既に先週号となってしまったAERAの記事に「『親の介護』に 蓄えが消える『自身の生活』『老後の資金』を守る介護費用節約術」というものがあった。
あまり説明するまでもない話だが、親の介護のために子供世代のお金を費やし、自分の老後のための資金がどんどんなくなる・・・という内容である。若い方々にはあまり縁のない話かもしれないが、40代、50代ぐらいになると、この手の話題は冗談交じりには語りにくい、真剣にならざるを得ないテーマとなりつつある。既に、何回かのブログの中でも若干語ってきたが、バラ色の未来を期待するには時既に遅く、如何にして持続可能な現実的な着地点に軟着陸するかという問題を正面から見つめ直さなければならない時期にきている。
AERAの記事にも書かれていたが、例えばボケが始まろうものなら10万、20万の持ち出しなど当たり前で介護をしなければならない。みなさんご存知のとおり、「ボケ」は要介護認定においてはそれほど評価されないのである。また、「寝たきり老人」というのは、要介護度は最高位ではない。何故なら、寝たきりなのだから介護士が常に寄り添わなくても危険なことをする心配がないのである。私の父は、寧ろこれが好条件に働き、なんとか無理をすれば動けてしまい、かえって危険なので若干高めに評価されてしまった。マニュアルに従えば妥当な判断なのかも知れないが、個人的には見かけの深刻さと介護認定の等級は比例関係にはないというのが、既に常識となっている。そして、例えば要介護2程度になると1割負担で2万円を払えば20万円分のサービスを受けることができる。つまり毎月、18万円近くが国から補填されるという状況である。
つまりこうである。国は一部の介護認定を受けた人には大盤振る舞いをし、一方で介護認定のない高齢者の場合には仮に子供世代の未来をも奪うほどの深刻な世帯であっても、全くもって不十分な援助しかできていないのである。では問題は何処にあるのか?もっと介護保険の適用の範囲を広げるべきか?答えはNoである。今、世間の議論の対象になっているのは年金問題であるが、当然ながら介護保険についても時限爆弾が爆発するのは時間の問題である。だから、目指すべき方向性としては、「より少ない税金の投入で、如何にして介護に絡む世の中の不幸を最小化するか」でなければならない。これは勘違いして頂いてはいけない。「如何に世の中の幸せを最大化するか」とは違う問題なのである。これが悲しい現実である。
以前、後期高齢者医療制度を称して「姥捨て山」と揶揄していた政治家がいた。冗談じゃないと言いたい。多分、介護保険制度の向かうべき姿は、本当に姥捨て山の世界なのだと思う。ボケ始めた老人や、介護を必要とする老人を自宅で介護するには、多分、つきっきりで自宅で面倒をみるか、高額の自腹費用を覚悟の上で介護サービスを受けるしかない。運良く介護認定が通れば良いが、現在の大盤振る舞いが何時までも続く訳がないのだから、そのうち自腹負担が増えてくる。その結果、会社を辞めて親の年金だけで親を介護する人たちが急激に増えてくる。これは社会的に間違っているとしか言いようがない。医療の進歩により、人は中々寿命に達しなくなってしまった。それ自体は喜ばしいことだが、自力で健康で文化的な生活ができないのであれば、不幸を長引かせる結果になるのかも知れない。だから「早く死んでしまえ」ではなく、だから「最も効率的な介護とは何か?」の問題と、真面目に向き合わなければならないのである。
親の介護の為に人生を棒に降る世代を生んではいけないというのが私の考え方である。その前提に立てば、月10万円程度の予算で入居費から食費、介護サービスの全てを賄えるサービスというものを実現する方法を考えるべきである。特に十分な介護認定が得られないながらも実際には介護が必要な人の場合、朝8時から夜8時まで施設に預けながら、夜間は自宅で同居することで費用を抑え、且つ自らの仕事を継続できるようにする。
例えば、最近では1食300円ぐらいの食事も現実的であるから、月額の食費を27000円と見込み、残りの73000円程度で入居費と介護サービスを受けるとした場合の提供可能なレベルを考えるのである。個室として3帖ほどの専有面積と、フロア単位での共有スペースを利用可能とし、地域により若干の増減があるだろうが月40000円程度の入居費で運営する。残りの33000円が介護費用となる。1日1100円であるから、当然、一人で介護士を独占することはできない。しかし、要介護1以下であれば、昼間だけ面倒を見てもらえればなんとかなるから、朝9時から夕方5時までを複数人の入居者で割り勘で1人の介護士(ないしは介護士に代わる資格の人)を雇えば良い。正式な介護士ではなく、もう少し条件を緩和することで時給単価の安い人を雇えば、割り勘要員は少なくて済む。例えば8人で割り勘にすれば、日当は8800円であり、月に22日働くとすれば月収が193600円である。60代の定年世代の再雇用を積極的に利用すれば、募集に応じる人は十分にいると思う。もちろん、要介護2以上の人手がかかる高齢者には当然さらにお金がかかる。ボケが始まれば、夜間もケアが必要になる。介護保険はこの様な人達に集中的に投入するのである。また、介護認定を受けれなかったとしても、朝8時から夜8時まで施設に預けることができれば、仕事を継続することはできる。そして、割り勘要員がいれば介護費用の持ち出しは少ない。上記のサービスのショートステイ版である。
もちろん、より収入や資産のある人はオプションのサービスを受ければよい。食事も高価なものを頼めば良いし、居住スペースも広めの部屋を選択しても良い。逆に、介護が不要な人ならば、月に67000円で良いことになり、概ね、国民年金の月額と一致する。
色々、不十分なところはあると思うが、もはやウケ狙いばかりは言っていられない。実際に困っている多数の人を救うための最小不幸の方法論も真面目に考えるたたき台にして欲しい。
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あまり説明するまでもない話だが、親の介護のために子供世代のお金を費やし、自分の老後のための資金がどんどんなくなる・・・という内容である。若い方々にはあまり縁のない話かもしれないが、40代、50代ぐらいになると、この手の話題は冗談交じりには語りにくい、真剣にならざるを得ないテーマとなりつつある。既に、何回かのブログの中でも若干語ってきたが、バラ色の未来を期待するには時既に遅く、如何にして持続可能な現実的な着地点に軟着陸するかという問題を正面から見つめ直さなければならない時期にきている。
AERAの記事にも書かれていたが、例えばボケが始まろうものなら10万、20万の持ち出しなど当たり前で介護をしなければならない。みなさんご存知のとおり、「ボケ」は要介護認定においてはそれほど評価されないのである。また、「寝たきり老人」というのは、要介護度は最高位ではない。何故なら、寝たきりなのだから介護士が常に寄り添わなくても危険なことをする心配がないのである。私の父は、寧ろこれが好条件に働き、なんとか無理をすれば動けてしまい、かえって危険なので若干高めに評価されてしまった。マニュアルに従えば妥当な判断なのかも知れないが、個人的には見かけの深刻さと介護認定の等級は比例関係にはないというのが、既に常識となっている。そして、例えば要介護2程度になると1割負担で2万円を払えば20万円分のサービスを受けることができる。つまり毎月、18万円近くが国から補填されるという状況である。
つまりこうである。国は一部の介護認定を受けた人には大盤振る舞いをし、一方で介護認定のない高齢者の場合には仮に子供世代の未来をも奪うほどの深刻な世帯であっても、全くもって不十分な援助しかできていないのである。では問題は何処にあるのか?もっと介護保険の適用の範囲を広げるべきか?答えはNoである。今、世間の議論の対象になっているのは年金問題であるが、当然ながら介護保険についても時限爆弾が爆発するのは時間の問題である。だから、目指すべき方向性としては、「より少ない税金の投入で、如何にして介護に絡む世の中の不幸を最小化するか」でなければならない。これは勘違いして頂いてはいけない。「如何に世の中の幸せを最大化するか」とは違う問題なのである。これが悲しい現実である。
以前、後期高齢者医療制度を称して「姥捨て山」と揶揄していた政治家がいた。冗談じゃないと言いたい。多分、介護保険制度の向かうべき姿は、本当に姥捨て山の世界なのだと思う。ボケ始めた老人や、介護を必要とする老人を自宅で介護するには、多分、つきっきりで自宅で面倒をみるか、高額の自腹費用を覚悟の上で介護サービスを受けるしかない。運良く介護認定が通れば良いが、現在の大盤振る舞いが何時までも続く訳がないのだから、そのうち自腹負担が増えてくる。その結果、会社を辞めて親の年金だけで親を介護する人たちが急激に増えてくる。これは社会的に間違っているとしか言いようがない。医療の進歩により、人は中々寿命に達しなくなってしまった。それ自体は喜ばしいことだが、自力で健康で文化的な生活ができないのであれば、不幸を長引かせる結果になるのかも知れない。だから「早く死んでしまえ」ではなく、だから「最も効率的な介護とは何か?」の問題と、真面目に向き合わなければならないのである。
親の介護の為に人生を棒に降る世代を生んではいけないというのが私の考え方である。その前提に立てば、月10万円程度の予算で入居費から食費、介護サービスの全てを賄えるサービスというものを実現する方法を考えるべきである。特に十分な介護認定が得られないながらも実際には介護が必要な人の場合、朝8時から夜8時まで施設に預けながら、夜間は自宅で同居することで費用を抑え、且つ自らの仕事を継続できるようにする。
例えば、最近では1食300円ぐらいの食事も現実的であるから、月額の食費を27000円と見込み、残りの73000円程度で入居費と介護サービスを受けるとした場合の提供可能なレベルを考えるのである。個室として3帖ほどの専有面積と、フロア単位での共有スペースを利用可能とし、地域により若干の増減があるだろうが月40000円程度の入居費で運営する。残りの33000円が介護費用となる。1日1100円であるから、当然、一人で介護士を独占することはできない。しかし、要介護1以下であれば、昼間だけ面倒を見てもらえればなんとかなるから、朝9時から夕方5時までを複数人の入居者で割り勘で1人の介護士(ないしは介護士に代わる資格の人)を雇えば良い。正式な介護士ではなく、もう少し条件を緩和することで時給単価の安い人を雇えば、割り勘要員は少なくて済む。例えば8人で割り勘にすれば、日当は8800円であり、月に22日働くとすれば月収が193600円である。60代の定年世代の再雇用を積極的に利用すれば、募集に応じる人は十分にいると思う。もちろん、要介護2以上の人手がかかる高齢者には当然さらにお金がかかる。ボケが始まれば、夜間もケアが必要になる。介護保険はこの様な人達に集中的に投入するのである。また、介護認定を受けれなかったとしても、朝8時から夜8時まで施設に預けることができれば、仕事を継続することはできる。そして、割り勘要員がいれば介護費用の持ち出しは少ない。上記のサービスのショートステイ版である。
もちろん、より収入や資産のある人はオプションのサービスを受ければよい。食事も高価なものを頼めば良いし、居住スペースも広めの部屋を選択しても良い。逆に、介護が不要な人ならば、月に67000円で良いことになり、概ね、国民年金の月額と一致する。
色々、不十分なところはあると思うが、もはやウケ狙いばかりは言っていられない。実際に困っている多数の人を救うための最小不幸の方法論も真面目に考えるたたき台にして欲しい。
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