今朝から北朝鮮のミサイル打ち上げ失敗の話題で持ちきりである。天気の良い昨日の打ち上げを先延ばしし、せっかく大々的に呼び寄せた海外のマスメディアに打ち上げ映像も見せずに打ち上げをするのだから、それなりに失敗の確率を覚悟していたのであろう。また、昼の時点で既に衛星軌道への投入失敗を認めているのも、この様なシナリオを想定して対応を考えていたのかも知れない。もし、頭の固い年寄り連中に任せていたら、もう少し有耶無耶にして、衛星の「打ち上げ」自体は大成功だが、部分的には上手く行かなかった部分もなくもない・・・的な発言に終始していたのだろう。
昨日のブログの中でも、相手がポカをしないと勝ち目がないという話をしたが、まさにそのポカをやってくれたのだから付け入るスキはある。個人的な意見としては、これでアメリカは以前のような金融制裁を再開する口実も出来たと理解している。今、金正恩に求められるのは実績であり、以前のデノミでも失敗して、建国の父であるはずの金日成生誕100年を祝うことにも失敗し、国際的には赤っ恥を書いてしまった。この状況で重鎮をつなぎ止めるには、外貨をばら蒔くぐらいしか手はないのであるが、そこで金融制裁をすればその効果は実に大きい。核実験をしようものなら、その金融制裁解除の道は大幅に閉ざされるのであるから、金正恩にとってこれほど嫌な対応はない。アメリカがその様な制裁をすれば、例えば日本に拉致問題に対する譲歩をしてでも仲介を求めてくる可能性もあるから、日本からアメリカに金融制裁を強く求めても良いのではないかと思う。この結果、きっと現在の北朝鮮の様々なシナリオを書いて裏で糸を引いている人々は、重鎮からの信頼を失い失脚する可能性もあるから、その意味でも長期的なボディブローとして効果が出続ける可能性がある。金正恩の立場が弱まることは、彼が逆に強がって暴走するための権威も失わせるだろうから、戦争のリスクを高めることにはならないと読んでいる。
とまあ、色々話は尽きないが、あんな国のことでいつまでも踊らされるのは嫌なので、今日は別の話題を取り上げることにする。
今日の話題は、昨日の報道ステーションの中で、登山家の野口健氏が「原発再稼働私はこう思う」のコーナーの中で述べていた意見についてのコメントである。最初に断っておくが、報道ステーションの扱いはフェアだったと思う。というのは、彼は「UNMO(原子力発電環境整備機構)」の広報ビデオに出演したりもしているらしいので、これを最初にインプットされると彼の言い分を素直に聞くことはできなくなってしまうかも知れない。しかし、発言内容は非常に理にかなっていたのでその理屈だけでも聞いて欲しい。
まず、登山家の立場からすれば、地球温暖化をこれほど体感している人はいないだろうから、CO2排出削減の視点からは彼は当然ながら現状の火力発電への軸足の移動は耐え難く思っている。
反原発派の人の多くは環境問題にも関心がある人が多いだろうから、以前であれば(原発はとりあえず横に置いておいて)CO2が地球を滅ぼす・・・というようなことを言っていた。その時、統計データとしてCO2の排出量と地球温暖化の相関について異を唱える人がいたが、3.11前であればその様な人に「(CO2削減のコストを嫌う)産業界の回し者!」というレッテルを貼っていた。しかし、最近になって火力発電所を多用することでCO2排出量が増えると、昔は攻撃対象だった人の説を思い出して「必ずしも相関があるとは言えないらしい!」と開き直る者がいる。如何にもご都合主義である。
私は、純粋学術的に統計的な処理として何が言えるかは議論すべきだと思うので、CO2排出量の削減は進めながらも、本当に相関があるのか否かの議論は継続すべきと思っていた。原発関係の報道でよくテレビに登場する中部大学の武田邦彦教授なども、温暖化とCO2の排出に関しては直接的な相関がないかも知れないというスタンスでテレビにも出ており、元々は原発推進派でありながら立ち位置がご都合主義的でなく面白い。
話が逸れたが、現時点では温暖化とCO2排出量の相関は強いというのが主流派だから、この立場に立てば火力発電によるCO2の大量排出は禁じ手であるので、少なくともこの先10年程度は天候などに左右されない安定的な自然エネルギーに急激にはシフトできないことを考慮すれば、現実的なところでは原発が有力な選択肢となるという結論になる。
さて、ここまでの議論は別に新しい視点などは全くない普通の話しである。しかし、この先が私には新鮮に写った。話はこうである(記憶だけを頼りに書いているので、実際は多分、表現は違うと思うがご容赦を・・・)。
「鳩山元総理がCO2を25%削減と言った時、(産業界はともかくとして)多くの国民が『良くぞ言った』と飛び付いた。しかし、CO2を25%削減ということは、当然ながら原発依存度を高めることを意味していた。それでも誰も異論を唱えない。さらに鳩山さんが辞めたら、殆どその話題に触れる人がいなくなった。そして3.11が起きて、現在は脱原発に多くの国民が飛び付いている。火力発電の多用でCO2排出量は爆発的に増えたが誰も何も言わない。一方、原発の再稼動を認めなければ、産業界に少なからぬ打撃を与えるのは間違いない。工場の電気代が上がり、やりくりできずに工場が閉鎖されたとき、失業することになっても、それでもあなたは『脱原発』と言い続けられますか?今、日本人に足りないのは『覚悟(テレビでは腹をくくると表現してました)』である。本当に3年後に、まだ『脱原発』と皆が言い続けられるだけの覚悟が(国民には)あるのだろうか?その様に考えると、逆に原発再稼動という『覚悟』もあり得るかも知れない・・・。」
概ねこの様な議論だったと思う(間違っていたらゴメンナサイ)。もちろん、再稼動するなら安全確保は必要である。先日のブログにも書いたが、免振重要棟の設置や多くの人が納得できる安全基準の確立、さらにはごまかしのないチェック体制など、最低限の安全の確保は必要であろう。それなしでの再稼動の『覚悟』と、その対処期間の電力不足の我慢の『覚悟』と、どちらの覚悟を選択するかは議論しても良い。この、『覚悟』という問題提起が私には新鮮に写ったのである。
それからもうひとつ、彼は『地熱発電』に目を向けていた。実は、私は地熱発電の活用には大賛成である。と言っても、私は少々過激な考え方を持っているのだが・・・。その過激さとはこうである。日本には山が多く、地熱発電を比較的経済的に利用可能な活火山も多くある。それらの地域では、その火山を観光資源として利用し、多くの温泉街が栄えてきた。また、国立/国定公園という形で、その地域の開発を禁止することも行なってきた。既に既得権益と言っても良いだろう。だから、大分前から地熱発電が話題になりながらも、日本では殆ど利用されることがなかった。しかし、ある程度長期的な視野に立てば、これほどランニングコストが安価で、国際情勢にもコストが左右されず、天候の影響も受けずにCO2を含めて環境にも易しい発電方法は他にない。メタンハイドレートにも注目しているが、それは地熱発電では対応できない地域ないしは不足分を補う(ピークカットの)ための予備的な位置づけが適当であると思う。
しかし、地熱発電を大々的に行なうと、場合によっては温泉として湧き出す湯量に影響を与えるかも知れない。これまでは、このリスクを既得権益者が許さなかったから、地熱発電は普及しなかったのである。しかし、原発で汚染された福島の多くの地域に国が立ち入り禁止を強いることが許される現在であれば、国は強権を発動して「もし、温泉に悪影響が出たら100%補償する。だから、地熱発電の開発を強行する!」と主張しても良いのではないだろうか?
確か池上彰さんの番組で、アイスランドの地熱発電で潤う町の紹介があった。地熱発電で利用する熱を、近隣の住民の家に無料で配り、真冬には極寒の世界なのに家の中は暖か・・・という暮らしぶりが紹介されていた。多分、地熱発電所の設置を逆手に取り、それを観光の第2の目玉に据えれば、更なる地域復興の切り札にもなるかも知れない。これは考え方の転換である。その転換の『覚悟』の方が、今後も原発に依存し続ける覚悟や、世界情勢で高騰する石油の不安定さに悩まされ、且つCO2の大量排出で世界中から後ろ指を差されながら生きていく覚悟よりは、よっぽどスジの良い覚悟の様に私は思える。
テレビの中ではここまでは野口さんは言わなかったが、多分、同様なことを考えていたのではないかと推察する。どんなに逃げまくっても、何処かで何らかの『覚悟』は迫られるのである。温泉街の一部の人々に無理を強いることは申し訳なく思うが、やり方次第では温泉と地熱発電の共存もありえるかも知れない。また、この地熱発電が大々的に立ち上がるまでにはやはり5年以上(野口さんは10年から15年と言っていた)はかかるだろう。短期的に脱原発依存につなげるためにも、短期的な原発再開は視野に入ってくるだろう。是非はともかくとしても、面白い問題提起だとつくづく感心した。議論はここから始まるのだと思う。
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昨日のブログの中でも、相手がポカをしないと勝ち目がないという話をしたが、まさにそのポカをやってくれたのだから付け入るスキはある。個人的な意見としては、これでアメリカは以前のような金融制裁を再開する口実も出来たと理解している。今、金正恩に求められるのは実績であり、以前のデノミでも失敗して、建国の父であるはずの金日成生誕100年を祝うことにも失敗し、国際的には赤っ恥を書いてしまった。この状況で重鎮をつなぎ止めるには、外貨をばら蒔くぐらいしか手はないのであるが、そこで金融制裁をすればその効果は実に大きい。核実験をしようものなら、その金融制裁解除の道は大幅に閉ざされるのであるから、金正恩にとってこれほど嫌な対応はない。アメリカがその様な制裁をすれば、例えば日本に拉致問題に対する譲歩をしてでも仲介を求めてくる可能性もあるから、日本からアメリカに金融制裁を強く求めても良いのではないかと思う。この結果、きっと現在の北朝鮮の様々なシナリオを書いて裏で糸を引いている人々は、重鎮からの信頼を失い失脚する可能性もあるから、その意味でも長期的なボディブローとして効果が出続ける可能性がある。金正恩の立場が弱まることは、彼が逆に強がって暴走するための権威も失わせるだろうから、戦争のリスクを高めることにはならないと読んでいる。
とまあ、色々話は尽きないが、あんな国のことでいつまでも踊らされるのは嫌なので、今日は別の話題を取り上げることにする。
今日の話題は、昨日の報道ステーションの中で、登山家の野口健氏が「原発再稼働私はこう思う」のコーナーの中で述べていた意見についてのコメントである。最初に断っておくが、報道ステーションの扱いはフェアだったと思う。というのは、彼は「UNMO(原子力発電環境整備機構)」の広報ビデオに出演したりもしているらしいので、これを最初にインプットされると彼の言い分を素直に聞くことはできなくなってしまうかも知れない。しかし、発言内容は非常に理にかなっていたのでその理屈だけでも聞いて欲しい。
まず、登山家の立場からすれば、地球温暖化をこれほど体感している人はいないだろうから、CO2排出削減の視点からは彼は当然ながら現状の火力発電への軸足の移動は耐え難く思っている。
反原発派の人の多くは環境問題にも関心がある人が多いだろうから、以前であれば(原発はとりあえず横に置いておいて)CO2が地球を滅ぼす・・・というようなことを言っていた。その時、統計データとしてCO2の排出量と地球温暖化の相関について異を唱える人がいたが、3.11前であればその様な人に「(CO2削減のコストを嫌う)産業界の回し者!」というレッテルを貼っていた。しかし、最近になって火力発電所を多用することでCO2排出量が増えると、昔は攻撃対象だった人の説を思い出して「必ずしも相関があるとは言えないらしい!」と開き直る者がいる。如何にもご都合主義である。
私は、純粋学術的に統計的な処理として何が言えるかは議論すべきだと思うので、CO2排出量の削減は進めながらも、本当に相関があるのか否かの議論は継続すべきと思っていた。原発関係の報道でよくテレビに登場する中部大学の武田邦彦教授なども、温暖化とCO2の排出に関しては直接的な相関がないかも知れないというスタンスでテレビにも出ており、元々は原発推進派でありながら立ち位置がご都合主義的でなく面白い。
話が逸れたが、現時点では温暖化とCO2排出量の相関は強いというのが主流派だから、この立場に立てば火力発電によるCO2の大量排出は禁じ手であるので、少なくともこの先10年程度は天候などに左右されない安定的な自然エネルギーに急激にはシフトできないことを考慮すれば、現実的なところでは原発が有力な選択肢となるという結論になる。
さて、ここまでの議論は別に新しい視点などは全くない普通の話しである。しかし、この先が私には新鮮に写った。話はこうである(記憶だけを頼りに書いているので、実際は多分、表現は違うと思うがご容赦を・・・)。
「鳩山元総理がCO2を25%削減と言った時、(産業界はともかくとして)多くの国民が『良くぞ言った』と飛び付いた。しかし、CO2を25%削減ということは、当然ながら原発依存度を高めることを意味していた。それでも誰も異論を唱えない。さらに鳩山さんが辞めたら、殆どその話題に触れる人がいなくなった。そして3.11が起きて、現在は脱原発に多くの国民が飛び付いている。火力発電の多用でCO2排出量は爆発的に増えたが誰も何も言わない。一方、原発の再稼動を認めなければ、産業界に少なからぬ打撃を与えるのは間違いない。工場の電気代が上がり、やりくりできずに工場が閉鎖されたとき、失業することになっても、それでもあなたは『脱原発』と言い続けられますか?今、日本人に足りないのは『覚悟(テレビでは腹をくくると表現してました)』である。本当に3年後に、まだ『脱原発』と皆が言い続けられるだけの覚悟が(国民には)あるのだろうか?その様に考えると、逆に原発再稼動という『覚悟』もあり得るかも知れない・・・。」
概ねこの様な議論だったと思う(間違っていたらゴメンナサイ)。もちろん、再稼動するなら安全確保は必要である。先日のブログにも書いたが、免振重要棟の設置や多くの人が納得できる安全基準の確立、さらにはごまかしのないチェック体制など、最低限の安全の確保は必要であろう。それなしでの再稼動の『覚悟』と、その対処期間の電力不足の我慢の『覚悟』と、どちらの覚悟を選択するかは議論しても良い。この、『覚悟』という問題提起が私には新鮮に写ったのである。
それからもうひとつ、彼は『地熱発電』に目を向けていた。実は、私は地熱発電の活用には大賛成である。と言っても、私は少々過激な考え方を持っているのだが・・・。その過激さとはこうである。日本には山が多く、地熱発電を比較的経済的に利用可能な活火山も多くある。それらの地域では、その火山を観光資源として利用し、多くの温泉街が栄えてきた。また、国立/国定公園という形で、その地域の開発を禁止することも行なってきた。既に既得権益と言っても良いだろう。だから、大分前から地熱発電が話題になりながらも、日本では殆ど利用されることがなかった。しかし、ある程度長期的な視野に立てば、これほどランニングコストが安価で、国際情勢にもコストが左右されず、天候の影響も受けずにCO2を含めて環境にも易しい発電方法は他にない。メタンハイドレートにも注目しているが、それは地熱発電では対応できない地域ないしは不足分を補う(ピークカットの)ための予備的な位置づけが適当であると思う。
しかし、地熱発電を大々的に行なうと、場合によっては温泉として湧き出す湯量に影響を与えるかも知れない。これまでは、このリスクを既得権益者が許さなかったから、地熱発電は普及しなかったのである。しかし、原発で汚染された福島の多くの地域に国が立ち入り禁止を強いることが許される現在であれば、国は強権を発動して「もし、温泉に悪影響が出たら100%補償する。だから、地熱発電の開発を強行する!」と主張しても良いのではないだろうか?
確か池上彰さんの番組で、アイスランドの地熱発電で潤う町の紹介があった。地熱発電で利用する熱を、近隣の住民の家に無料で配り、真冬には極寒の世界なのに家の中は暖か・・・という暮らしぶりが紹介されていた。多分、地熱発電所の設置を逆手に取り、それを観光の第2の目玉に据えれば、更なる地域復興の切り札にもなるかも知れない。これは考え方の転換である。その転換の『覚悟』の方が、今後も原発に依存し続ける覚悟や、世界情勢で高騰する石油の不安定さに悩まされ、且つCO2の大量排出で世界中から後ろ指を差されながら生きていく覚悟よりは、よっぽどスジの良い覚悟の様に私は思える。
テレビの中ではここまでは野口さんは言わなかったが、多分、同様なことを考えていたのではないかと推察する。どんなに逃げまくっても、何処かで何らかの『覚悟』は迫られるのである。温泉街の一部の人々に無理を強いることは申し訳なく思うが、やり方次第では温泉と地熱発電の共存もありえるかも知れない。また、この地熱発電が大々的に立ち上がるまでにはやはり5年以上(野口さんは10年から15年と言っていた)はかかるだろう。短期的に脱原発依存につなげるためにも、短期的な原発再開は視野に入ってくるだろう。是非はともかくとしても、面白い問題提起だとつくづく感心した。議論はここから始まるのだと思う。
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