Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

黒人と日本人 人種差別意識

2008年01月05日 01時52分50秒 | Weblog
本当は会計しなくちゃいけないんだけど、おれ、会計ってダイッキライだから、本屋いって読書に逃げた。で、買った本が、黒人差別とアメリカ公民権運動―。早稲田で教えている教授らしい。(白人)
 で、2点ばかり思いついたことがある。
一つ目

日本関連で面白い記述をまた見つけたんだ。
ジェームス・メレディス(James Howard Meredith) の日本体験 147ページ
彼にとって日本はまったくの別世界だった。他のアフリカ系アメリカ人兵士が日本での生活をどう感じたからわからないが、1950年代中ごろ、メレディスは自分が日本で経験した人種に関する寛容さに驚いていた。「日本では今まで感じたことがないほど自由だった。まず第一に、アメリカ人として扱ってもらえたんだから」とウイリアム・ドイルは「アメリカの反乱と1962年ミシシッピ州オックスフォードの戦い」(2003)の中でメレディスの言葉を引用している。
 1957年9月のある日、日本の基地の近くを歩いていたメレディスは一人の日本人の学生に出会い、2人はリトルロックでの出来事、また、南部の差別について話始めた。その学生はミシシッピー州出身の人間に実際に会えたことに驚き、またメレディスがそこに戻りたがっていることが信じられないようだった。メレディスが故郷のミシシッピ州に戻り、より良い社会を作るために戦うべきだと自分自身を納得させたのはこの出会いによってだった。

なぜか、黒人の公民権運動の主導者と日本人ってのは縁が深いね。
Du Boisについては以前書いた。
 ここでもまた、立派な日本人の先達に出会うことが出来たわけで、うれしい。
おれら黒人といってもほとんど無知だからかえって無邪気につきあえるのだろうと思う。問題はこれからだ。これからも立派な過去の日本人たちを鏡にして色眼鏡かけず健全な関係を保っていこう。Japan probeにでくるアフリカ系の可愛らしい日本人の子どもたちもいる。こうした可愛らしいアフリカ系の日本人とともに彼らが日本を誇りに思い、また他国の黒人の人たちに自慢できるような関係を築いていこうではないか。
なお関連する箇所の英語圏での紹介で次のような記事を見つけた。上記と同じようなことがちゃんと書いてある。
Meredith believed that the desegregation
of the military was one of the greatest developments in the history of
black Americans, and in 1951, he joined the Air Force at age eighteen.
The Air Force had been recently established after World War II, and
did not have the same legacy of racism as the other branches did.
Meredith was sent to Japan shortly after joining the Air Force. In
Japan, Meredith stated, he was never conscious of his racial identity as
he was in the US. Meredith was amazed by the attitude of racial tolerance
in Japan in the mid-1950sJames Meredith and the Integration of Ole Miss
Kelley Anne Donovan

また、日本女子とのエンカンターについては
アフロアメリカン文化と日本
も参考

二つ目
ときどきその旨、投稿しているが、例えば、アメリカ人が人種意識に敏感なのは彼の社会が凄まじい人種差別をしてきたからだ。奴隷から解放された後にも、リンチやらの差別は1960年代まで続き、それらしき事件は現在でも起きているとさえ言われている。(239ページ)(日本で関東大震災のとき朝鮮人ら虐殺があったのは1923年)分離するが平等という政策が違憲とされた後でも、その最高裁の判決を事実上無効にする、政策がとられ、黒人の学生が白人と同じ大学にいくのに軍隊まで動員される始末だ。その裏には黒人が白人と同じ学校に通うことは黒人の教育レベルをあげ、白人の地位を相対的にさげてしまう、という恐怖感があったようだ。(105ページ) 否定的な面が多々あったもののの、朝鮮に大学をつくり、朝鮮人を日本人とともに大学にまで入学させた日本人の同化政策とはまったく雲泥の差がある。1962年の時点で、ミシシッピ州では黒人の2.6%しか選挙人登録をしておらず、集会の権利や投票の権利があることさえ知らなかった黒人を紹介している(200ー202ページ)、植民地時代でさえ、朝鮮人に国会議員がいたの日本とは全く違う。

 確かに、彼らは人種意識、及び人種差別についての意識が日本人より敏感で、その点に関する人権意識にも敏感である。と同時に、そこに我々には想像もできないような根深い人種差別意識の歴史があり、また、一部にはそうした意識がまだあるのではないか?英語圏のコメント欄などをみるとそう感じざる得ない。彼らは、日本人の行動に自分たちの心や歴史を投影して、日本人を非難していると考えれば説明のつくようなコメントも多い。
 こうした偏見には徹底的に戦っていくべきだ、と思う。

住宅に関しては家主に優位な契約を結べるいわゆる不作為約款やたの差別的慣習は完全になくなったといえないまでも確実に減少しているが、いまでもいまでも一つの民族が大半を占めるような地域があることも事実である。231ページ

 つまり、そうした差別的慣習はまだなくなっていないわけじゃん。なんや、それなら、それに関する日本の差別的慣習を云々するとき、アメリカでもこういう問題があり、このように対処してきた、となぜいえないのか?あたかも自分たちの母国には問題がなく、日本が遅れた社会のように蔑むのはなぜなのか?なぜ、同等の立場からともに協同していこうとすることさえできないのか?
 一つには彼らが母国ではマイノリティではなく、そうした少数者の立場を日本にきて初めて知ったということもあろう。また単純に無知なのかもしれない。そして、もう一つにはやはり、彼らの根深い優越意識があるのではないか、と思う。
 もっともそうした人々がいるというだけで、平等な意識をもって、また、慈しみをもち、また、他文化に開かれた西洋人もたくさんいることも銘記しておきたい。


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