ぼやかせていただいております。

Trump: 'only one thing will work on North Korea'

2017年10月08日 05時23分36秒 | Weblog


米国大統領やら、政権やら、この25年間ずっと北朝鮮と対話を試み、同意にこぎつけ、莫大な支援金もはらってきたが、なにもうまくいかず、舌の根がかわかないうちに、約束は破られ、米国側の交渉人は、コケにされてきたわけだ。残念だが、北朝鮮に通用する手段はひとつしかない!
とトランプさん。


JSF‏
@obiekt_JP


この記事、後半にちょっと気になることが書かれてある。 「太平洋西部で空母3隻と韓国、日本が参加する大規模な軍事演習が実施できるかどうかについても、軍が検討を行っているという。」 3隻は多い・・・ 


”The administration could send two or more carriers to the western Pacific”

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野次るのは好きだが、野次られるのは嫌いな安倍ちゃん。

2017年10月08日 05時20分22秒 | Weblog
2017衆院選

「秋葉原のトラウマ」日程非公表、問われる首相の姿勢
北見英城2017年10月8日05時02分


suzuky‏
@suzuky

自分だって国会で「ニッキョーソ!」とか偏見に満ちたヤジを飛ばしているのになぜ一般人からのやめろコール程度でビビるのか。政治家としてどうなのこれ?


へええ、そうなんだああ、ふーーーん。
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安全保障で、共産党と社民党はあまりにも無責任

2017年10月08日 04時07分44秒 | Weblog


???

侵略戦争を是とする政党ってどこやねん?

党首討論会を早送りで見たが、共産党全然だめじゃん。


合憲、違憲、って、共産党にとっては違憲、政権にとっては合憲、という理屈はない。

違憲なら違憲。合憲なら合憲。

で、自衛隊が違憲だ、というなら、自衛隊解体を主張すべき。それをしないなら、立憲主義の意義を歪める。

北朝鮮問題でも、共産党と社民党は対話、対話って馬鹿の一つ覚えで、いままで、対話で失敗した現実を無視している。





共産党そのものが、北朝鮮との対話に失敗した歴史があるではないか。

いや、そんなの関係ない、できるんだ、というなら、なぜ、訪朝して、猪木氏のように、対話をしてこないのか?


立憲民主党はスジとしては、ギリギリセーフだけど、安全保障で、共産党と社民党はあまりにも無責任だね。





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日本を褒める機会があると取り上げる人、貶す機会があると取り上げる人

2017年10月08日 03時23分06秒 | Weblog

「日本で大人になるはずが、偶然にもここに残ることになった。だから物事を日本的な方法で見るように教わってきた。それは両親の世代の古風な日本かもしれない」

 あなたは英国の作家なのか、日本の作家なのか――。これまで何度も受けた質問だ。「明確な答えを見いだすことはできない。英国の作家、日本の作家であるということがどんな意味を持つのか分からない。自分のことは、いつもただの(ひとりの)作家だと思っている。自分は日本、英国という生い立ち、さらには国際的な環境、すべての影響を受けている


 本人は、日本、英国からの影響を認めつつも、究極的には作家個人なわけですね。イシグロ氏は、日本、英国からの影響と同時に、そこから距離がおける自分、距離をおかされている自分の立場を作品に活かしているとも言えるわけですね。
参照

自分の一部は常に日本人なんです






FTの記事もとりわけ、日本について取り上げているわけではなく、





All I had at that point was that I wanted to write a book about how societies remember and forget,” he says. “When is it better just to move on? We all face that question as individuals but I had become more and more fascinated by how it applied to countries. I was quite conscious that I was addressing a Japanese audience and, of course, I think Japan has forgotten a huge chunk of what happened in the second world war.”



Ishiguro was reading widely on examples of national memory being mobilised or suppressed — France after the occupation, the Rwandan genocide, South Africa’s post-apartheid reckoning, the disintegration of Yugoslavia — and a few years later would chair a debate on the subject at the World Economic Forum in Davos. Yet he struggled to give form to his ideas. “Every time I tried to put it down in one of these historical settings it didn’t feel right,” he says. “I wanted to step back and write a novel that was a little more metaphorical, a little more universal.


特定の国から距離をおいて、もうちょっと比喩的に、さらに、普遍的に、描写しようとしているんだ、と。

つまり、アメリカでもイギリスでも日本でも、生きている間には、あるいは、生きていくために、忘却していることはある。

因みにあるインタビューでは、フランスは自国が、忘却していることさえも鈍感である、と。

日本なんかは自国の侵略の歴史について忘却しようとしている人たち、打ち消そうとしている人たち、そうした、忘却や打ち消しを批判しようとする人たちがいるわけですが、フランスはそうした論争は他人事だとおもっているんでしょうね。

 で、なにかいいたいかというと、日本が褒められるとき取り上げる人、貶すとき取り上げる人がいる、と。

 権力を擁護する右翼なんかは、日本が褒められるときに取り上げる場合が多いですけど、権力に批判的な左翼は、日本を貶す時に取り上げるときが多い。

 で、面白いのは、他国については逆になる。つまり、例えば、韓国が褒められるときは、右翼は無視するし、左翼は取り上げる。

 マッカリ君とかーーマッカリくんはイギリス人ですけどーー、一部の外人の中にも、貶す材料があると日本を取り上げる。アメリカ人でも本当の左翼はベトナム戦争とか人種差別とかそうした側面を日本にいてもとりあげて、日本の悪いところについては、無視する傾向がある。

 日本人は勘違いするけど、マッカリくんとかああいう輩はーー何度もいいますけどーーー要するに産経新聞の記者みたいなもんで、それを歓迎しているのは、産経の記者の記事に感謝している韓国人くらい愚かなのであります。



It was similar with The Remains of the Day, the butler’s reverie that won Ishiguro the Man Booker Prize in 1989: “I’d made a reputation as a kind of Japanese writer, a kind of foreign correspondent based in London. And to write a book that was nothing to do with Japan felt like a big risk at the time.”


5歳からイギリスで育ったイシグロ氏も最初は、イギリス人にとっては外人として見られていたわけですね。

The protagonists of A Pale View of Hills (1982), An Artist of the Floating World (1986) and Remains all live, in their different ways, in the shadow of the second world war, their narratives unfolding as the layers of self-deception are stripped away.


 面白いのは、「日の名残り」 とか、恋に正直に生きなかった主人公は自己欺瞞的と評価されるわけですね。
  
 実際には、「長男が戦死したことで失意の底にある母のもとに留まるべきか、戦争に行って兵士として戦うべきか、というジレンマに陥った学生」に似たような状況にある。

 ただ、自分が恋をしていることを否定してしまっているという意味では、自己欺瞞なんでしょうね。



The Buried Giant is about more than memory and conflict, however; it is also a meditation on love and mortality, and in this respect perhaps the most striking resonances are with Never Let Me Go, about a group of cloned students in a parallel present growing up to face their destiny as “donors”. In both novels there are characters, as Ishiguro puts it, who won’t let go of the idea that their love is so strong they can, if not exactly overcome death, then at least win some concessions.


Love & friendship given our limited time of existenceでもありましたけど、彼は、愛とか友情が、人生のなかでどんな役割を演じているのか、描きたかった、と言っている。

 そこで、有限の人生という舞台の上で、愛の力を信じて、強烈な愛があれば、世界になにか影響を与えることができる、と信じているキャラを登場させる。
 
 しかし、その力が幻だったという結末だとすれば、それはとても切ない物語であり、残酷な人生の比喩にならざるえないかもしれない。(ーーー作品、読んでない ^^;)






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党首討論会

2017年10月08日 00時39分55秒 | Weblog
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