Japanese and Koreans invaded Asia. We apologize.

アッコは在日だった!!!

2007年09月21日 10時22分40秒 | Weblog
「ゴッド姉ちゃんこと、和田アキ子は在日だった」と報道されても、彼女の人気が下がるわけではもなく、ゴッド姉ちゃんの通称が取り消されるわけでもない。以前の通り人気を博し、また、日本社会の潜在意識的存在である2チャンネンルでもそれがもとで祭りになるわけでもない。(2ちゃんねる読んでないからあまり知りませんが)なんてことないです。あの極真空手のマス大山が在日だったといっても同じことで、ゴッドハンドの名声はそのままです。なんてことない。「ああ、そうなんだああ」「ふ~ん、そうなの」程度の反応が典型的な日本社会の反応で、それ以上会話は発展しない。。
 ところが、英語圏のジャーナリズムと韓国のナショナリズムが協働すると話しがおもしろくなるのであります。それが、アンポンタン氏のDoes the Emperor wear Korean genes?の主題のひとつ。
 そもそも、宇宙の果ての空間の元素は何ぞや、のような疑問にロマンを感じるタイプでもないので読み飛ばしていましたが、コメントが伸びているようですね。

日本の天皇の祖先は半島出身だった!!

ーーー別になんてことないっすね。

日本の天皇の祖先は韓国人だった!!!

半島出身ということが韓国人というなら上記命題と同じで、日本天皇の祖先は現代の韓国人の祖先と同じだった!!!ということなら、これはまた新しい命題になる。



日本の天皇の祖先は現代韓国人の祖先だから、韓国人が天皇を崇拝するのは当たり前。

ーとなると戦前の日本の膨張主義のもと作られた物語で、誰も眉をひそめる。

日本の天皇の祖先は現代韓国人の祖先だから、韓国人の方がえらい。

ーとなるとやはり、現代韓国のナショナリズムが作った物語なわけです。
そして、

天皇の古墳は掘り返すことはそのことがばれるから、許されていない。
ーとなるとまた、これも現代韓国ナショナリズムが作った新しい物語なわけです。

ところが、それを英語圏の論者たちは鵜呑みする。余程、日本は悪のイメージが
強いのか、韓国の弱者の物語がうまいのか?

まっ、私は掘り返しても、そのままでもどうでもいいです。

「天皇は在日だった!!」「ふ~~~ん、そうだったんだあ」

 興味ないっす。だから、書き始めても、やっぱ、この程度しか書くことないっす。
ごめんなさい。m(_ _)m

因みにかつて
Foreign dispatchesも同じような主題で知的な議論を展開されております。

追記
あたかも私の書いたことを証明してくれるような投稿がありました。
マーモットホール(因みに、上記投稿はこれをみる前に書きました。)
何を証明しているかというと、
1)韓国での日本の古墳に関する神話
2)マーモットの偏見
3)韓国ブログの荒れ模様。
 日本に関する英語ブログ圏ではこうした品のないコメントはほとんどないので、よかったな、と思います。
 因みにコメント欄をみると、韓国側にたつコメントで、日本語的なハンドルネームがありますね。内容からすると、日本社会について無知である。とすれば、日本人ではない。想像するに彼らは韓国系の人々で、どうも、日本人名を語れば、信頼性が増すか、攻撃されにくいとでも思っているのではないでしょうか?まあ、わかりませんけど、非常に屈折的な心理があることは確かです。もっともすべての韓国系の人々がそんな感じではないことも確かです。
  

あいまいな国 日本

2007年09月21日 02時04分45秒 | Weblog
同盟関係のありかたがどうあるべきか、あまりよくわからないのですが、Observing Japanがおもしろいリンクを提供してくれています。
 日本が「普通の国」になるという大きな潮流は、一指導者が辞任してもかわらんだろう、というものです。
そして、
The alliance now is reciprocal and Japan is an independent strategic player. That does not mean it will always agree with the US, but as such it is an infinitely more valuable ally to the US and a much more valuable strategic partner for Australia. It can undertake many different tasks and provide political leadership, as in being the only country besides the US willing to talk about Chinese human rights or to caution China meaningfully on Taiwan. It is critically important to the international order that there be nations other than the US capable of doing this. But of course Japan's new strategic personality is not primarily directed at China, or limited to Sino-centric issues. In fact it is a great conceptual and political mistake to conceive the region in Sino-centric terms.


 同盟関係は相互的なものになってきているが、だからといって、日本が米国に常に追随しなければならない、というものでもない。アジアにおいて中国に警告を発することができるのは米国をのぞいて日本のみであり、中国以外の問題に関しても日本は貢献できるのだ、というものです。
 オブザーバイングジャパンはこれに対して、いやいや日本は吉田ドクトリンのままだよ、だって、具体的な戦略がないじゃん、というわけです。
There are a number of questions yet unanswered.


多くの問題があいまいなままになっている、と。

 日本ははっきりしないのであります。
 はっきりしないと言えば、shisakuが引用する、コニシ氏も、おい、小沢、おまえさんのところも政権を担えるようになったんだから、日米同盟についてはっきりせえ、とかみついています。

 アジアの状況というのは、アジアの諸国が経済的に台頭するにしたがって軍事的脅威も増加しているのであります。中国、インドは友好的ジェスチャーの裏にミサイル増強に余念がない。(翻訳は今日の覚え書き集めてみました、参考のこと)
 現実の紛争が少ないことを人が思うほどアジアは平和だ、と捉えるのはいかがなものか?経済力の発展と軍備力の強化はアジアをますます不安定にしている、とみる方が現実的であります。
 大枠としては、日米同盟が重要であることは大方の政治家の意見ではないでしょうか。その上でその距離の取り方をどうするか、ということが問題になっているのであります。
 で、国民はというと、ヤンキーゴーホーム!!と叫ぶ人が皆無とは言えないが、力にはなってない。「もういなくなっちゃうもんねええ」とか言われたら、むしろ恐怖するではないでしょうか?それでも、いやあ、アメリカさんの理不尽な戦争に巻き込まれるのはまっぴらや、という感情があるのも確かでしょう。そこをどうつめるか?
「金払いまっから、堪忍な」という吉田ドクトリンはうまみのある戦略でしたが、世界の動向も、それを許してくれるほど、甘くはない。孤立を選ぶほど勇気もない。で、時代の潮流がそうであるならば、そのように変わっていくのが日本です。
 吉田ドクトリンを越えて、ほじゃ、どこまでいくべか、というのが問題なのであります。
 国連中心主義か?
国連を尊重することは確かでしょう。
 同盟関係による派遣もありか?
ここらへんが問題の焦点になります。
 同盟国の軍事戦略家たちは日本にそれほど不合理の要請しているわけでもない。
日米同盟・週刊オブイェクト
「後方支援お願いね」というだけなのですから、これもうまみのある選択だと思うのですが、たんなるパシリに使われるだけではないかという思いもある。
依存症の独り言
世界史に見られるランドパワーとシーパワーの戦略  参考)
 
 また、、歯止めがなくなって結局、前線に送られるのではないか、あるいは、社民党や共産党の扇動にされて、漠然と、とにかく、戦争じぇったい、反対!!、人殺しだ~め、という感覚もある。(もっとも、米国としても、歯止めのない日本の軍備力強化や、日米関係のひけらかしは、やりたくないという思惑があることを知っておくこともこの際重要です。中国をあまり刺激したくないのです。)

 要するに、日本の内部でも潮流は、吉田ドクトリンを越えていく方向にはある。その際米国などとの同盟関係が基軸とはなる。しかし、どこに歯止めをおくか。

 明確な国連決議の有るものだけに限るか?(しかし、これのみだと同盟関係の意義が不明確になる、ここがコニシ氏の問題意識でしょう。小沢氏の場合、国連決議があっても、政局のためなら「ない」といってしまうところに無理もあります。)

マラッカ海峡あたりまでなら、後方支援可、あるいは全面支援可。

すべての領域で後方支援は可。

但し、すべての全面支援可、とはならないでしょう。

 こうみると、それほど、日本の方向性がない、といえるわけではない。あいまいな国の日本をあいまいなまま方向性をみるには頭脳的分析力に加えて頭から下で考える腹、肌身で感じる感覚が必要であります。いずれにせよ、あいまいだから、ない、ということにならない。
 アンポンタン氏は、
nd if Japan would not align with the United States, with whom should it align?....
Should it place its faith in the United Nations? What would be the point for Japan to sit at a table and discuss matters at an institution that considers Venezuela’s Hugo Chavez and Zimbabwe’s Robert Mugabe to be equals worthy of respect?Anpontan

と論述されておられますが、やはり、日本を肌身で感じる感覚を備えておられるのではないか?

 小沢氏は現在は、権力奪取のために虎視眈々と策をこうじておりますが、かつては「普通の国」を唱道した男でありますから、仮に政権をとったとしても、大枠において、それほど、この大きな潮流に逆らうことはないんではないか、と考えております。そして、軍事面での国際貢献の仕方がどうなるにせよ、また、自民党が主導するにせよ、民主党が主導するにせよ、あいまいな形でおさまるのではないか、と思います。