冨士大石寺顕正会向上委員会

     「会長無謬神話」の崩壊を直視しよう

妄想の根拠 … 「御生骨」

2011年05月11日 | ◆ 動向
 平成二〇年、浅井会長は「御生骨」について、こう言及した。
 「私は、この御生骨を昭和三十一年四月、日淳上人の御登座のおり、具に拝観させて頂きました。その時は、もう御肉が盛り上がって御歯の全体を包んでいるごとくで、御肉の色は薄紅色のごとく拝観できた。このとき私は『もう広宣流布は、甚だ近い』との確信を懐いた」

 これが、「広宣流布は甚だ近い」とする浅井会長が示し得る「確信」の、唯一の<根拠>なのだった。
 昭和三十一年といえば妙信講再建の前年、平成二〇年からすれば五〇年も前のことであり、昭衛氏が若干24歳の時の確信である。
 浅井会長が言う、「甚だ近い」というのはそういう時間的レンジでのことだ、ということを顕正会員は知らなければいけない。

 御生骨(御肉牙)の伝承を真に受けるのは、これもまた戸田会長譲りである。
 戸田氏は昭和31年3月、「御肉牙に関する請願書」を宗門に提出し、「この世界的秘宝『御肉牙』に関し、世界的にその存在を発表して反響を待つべき時であると信ずるものでありますが、この儀ば如何なものでございましょうか。特に医学界・生物学界・生理学界・その他科学界に広く発表したならば謗法となるものでありましょうか」として、「何卒、宗門当局におかれましては、この際『御生骨記録委員会』を結成して、御座替りの盛儀を期に御肉牙に関する一切の正確な記録をとって頂き度く」と申し入れたが、宗門(淳師)は無視して取り合わなかった。

 戸田会長が戒壇建立への指針を明確にし、国立戒壇への言及がはじまるのは、まさにこの時期を境にする。
 「この国立戒壇は、当然日蓮門下において、遂行されなければならないが、これは重大なる仕事であって、一朝一夕になし得られるような、やさしい仕事では断じてない」(「大白蓮華」、昭和31年4月1日)
 法道会からの妙信講離脱は、御生骨の拝観から1年4ヶ月後のことである。戸田・浅井両氏の動向は、御生骨による確信が根底にあると言えるだろう。

 浅井会長は、「御生骨こそ、広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた、富士大石寺に伝わる大事の秘宝である。… いうに甲斐なき凡夫の我等が、何という重大な時に生まれ合わせたものか。… そして御遺命成就の日、光を放つ御生骨を、全員で紅の涙の中、拝見させて頂こうではないか」(平成二十年 「年頭の辞」)と、会員を煽動する。

 この御生骨については、「富士門家中見聞」(精師)に「其の頃御牙歯脱け落つ、聖人此の歯を以て日目に授けて曰わく、我に似り問答能くせよとて御肉付きの御歯と申すは是れなり、此の御歯当山霊宝随一なり、広宣流布の日は光を放ちたもうべしと云えり」、と伝承されている。
 この伝承の文脈においても、聖人曰わくの部分は「我に似り問答能くせよ」であり、「申すは是れなり」や「当山霊宝随一」や「光を放ちたもうべし」は、主語不明の後代の「云えり」に過ぎない。

 諸天や功徳を実体視し、かつ教条的な浅井会長であるから「と云えり」という伝承を、ストレートに受けとめてしまう。
 近年、ES細胞が医学界で「再生医療」への応用に、注目されている。生体外で、すべての細胞組織に分化する能力を保ちつつ、増殖させる事ができるからである。
 七〇〇年も生体外で生きていて、「御肉が盛り上がって御歯の全体を包んで」という昭衛青年の観察が事実なら、医学界・生物学界において衝撃的な出来事だろう。

 しかし、御生骨の伝承が今日の科学的・医学的な検証に、耐えうるべくもないことは自明である。
 「と云えり」という伝承は、他宗・他門にもいくらでもある。あくまで伝承は伝承として、その範囲で尊重すればよいのだ。 
 浅井会長のように、「御生骨こそ広宣流布の証明として御本仏が留め置かれた」などと強引に言い張れば、自ら墓穴を掘るだけである。

 結論として、「あと二十年」(平成07年)とか「あと十有余年」(平成21年)とか「広宣流布は甚だ近い」(昭和31年)とする「確信」の唯一の根拠として、不確かな伝承を浅井会長は提示するだけである。
 そして、その「根拠」は二重・三重に、破綻を来たしている。(櫻川記)

浅井会長の妄想シナリオ

2011年05月03日 | ◆ 時事
 先の論考で、「最終段階の直線コース」という常套句を、「浅井会長の妄想であり願望に過ぎない」と、わたしは述べた。
 また、「本当に今が『最終段階の直線コース』なのか、よく考えてみて欲しい。そこが核心である」、と。
 しかし、「浅井先生絶対」と信ずる会員諸氏には、怨嫉による先生への誹謗中傷・悪口憎言の類、としか受け止められないかもしれない。

 さらに別の角度から、なぜ浅井会長の「広宣流布・最終段階」説が妄想シナリオに過ぎないのか、分析してみよう。
 以下は、「顕正新聞」元旦号の「年頭の辞」から、会長発言を抽出したものである。

  ・平成03年:「七年後の百万が成れば、一国広布は必ず成る」
  ・平成04年:「数年後には必ず百万が成る」
  ・平成05年:「まさしく百万こそ、一国広布の鍵
  ・平成06年:「他国侵逼の影は刻々と日本に迫りつつある」
  ・平成07年:「前代未聞の大闘諍は迫り」「あと二十年
  ・平成08年:「六年後の十万人の国会請願」
  ・平成09年:「大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ出陣」
  ・平成10年:「最終段階の戦いは開始」「一千万をめざし」
  ・平成11年:「平成十四年の百万は必ず成る」
  ・平成12年:「広布の最終段階」「一千万は必ず成る」
  ・平成13年:「いよいよ最終段階を迎えたごとく
  ・平成14年:「国家財政の破綻も巨大地震の発生も時期を同じくし、早ければ二〇〇二年、遅くとも二〇〇五年」
  ・平成15年:「百万達成こそ"日本の夜明け"」
  ・平成16年:「大聖人御馬前の法戦場に到達
  ・平成17年:「あと十有余年」「広布の鍵たる三百万」
  ・平成18年:「大聖人のお待ちあそばす大法戦場へ」
  ・平成19年:「この五十年 … 国立戒壇建立は必ず成る」
  ・平成20年:「広布最終段階」「御生骨 … 広宣流布の証明
  ・平成21年:「あと十有余年」「大法戦場に急ぎ到着しよう」
  ・平成22年:「あと十二年」「大法戦場に馳せ参じなくては」
  ・平成23年:「広宣流布はすでに直線コースに入っている」

 この二十年間にわたる浅井会長の発言に基づき、「広宣流布・最終段階説」の誤謬について吟味してみよう。

 1)広布最終段階
 
 十一年前の平成12年、すでに「広宣流布は最終段階に突入」していた、のである。ところが、翌年に「最終段階を迎えたごとく」と、やや後退。
 しかし、平成20年でも言及されるように、現在が浅井会長にとって「広布最終段階」であることは一貫している。
 それが願望に過ぎず、妄想にほかならないと検証するのが、本考の趣旨である。

 平成23年、3月の巨大地震を経て浅井会長の目には、直線コースの先に「もうゴールが見えて来た」らしい。

 2)大法戦場

 平成16年の百万達成が「大聖人御馬前の法戦場に到達」であり、顕正会はついに「御照覧直下の戦い」「最後の戦い」の段階に入った。
 大法戦場とは、百万達成のことだったのである。

 次の大法戦場は、三百万達成であろうか。ゆえに平成18年には、「急ぎ駆け付けよう」と変化している。
 「大法戦場に急ぎ到着しよう」(平成21年)、「大法戦場に馳せ参じなくてはならぬ」(平成22年)のごとく、「大法戦場」は蜃気楼のように遠ざかってしまった。

 現在は、遠いかなたの大法戦場への途上であり、もうその大法戦場は到来しないかもしれない。

 3)必ず成る

 平成3年には百万達成を、「七年後」の平成10年としていた。平成4年には、「数年後には必ず百万が成る」と述べている。アバウトな浅井会長にとって、七年くらいは数年の範囲らしい。
 平成11年には「平成十四年の百万は必ず成る」と断言していたが、浅井会長の「必ず成る」とは、「必ずしも成らない」という意味であることが(帰納的に)知られる。

 言葉を正しく使うためには、「必ず」とか「全て」とか「絶対」とかという言い様に、よほど注意しなければならない。
 「必ず」と言う人を信用して、安易に金を貸してはいけない。「必ず返します」といっても、そう簡単には戻って来ない。
 「絶対」に安全だ、と国家の威信をかけて保証していた原発の今日の惨状は、言うまでもないだろう。

 4)一国広布の鍵

 平成12年、「百万が成れば一千万は必ず成る」と豪語していたが、浅井会長の「必ず成る」であるから、やはりそうはならない。 
 百万達成後、顕正会の年間の会員増加数を見れば、むしろ減少・横這い傾向にある。昨年末の最終法戦も今年の初陣の法戦も、かつてなかった誓願未達の惨敗を喫してしまった。

 百万達成が「一国広布の鍵」であり、その鍵を開けさえすれば加速度的に弘通の勢いがつくだろうというのは、浅井会長の空しい期待に過ぎなかった。かつての創価学会の躍進が忘れられないのだろうが、経済成長期の当時と今とでは状況があまりに違う。
 そして「一国広布の鍵」は、「広布の鍵たる三百万」(平成17年)に、先送りされてしまった。

 こうして「一千万」という言葉は、もはや顕正会で死語となってしまった。一千万がどこかに行ってしまった以上、「広布最終段階」「最終段階の直線コース」というのは、「浅井会長の妄想に過ぎない」と、まずは暫定的に言っておころう。
 
 5)残された時間は、あと○○年

 平成7年の時点では、残された時間は「あと二十年」だった。
 この「残された時間」の意味するところは、一千万達成までに残された時間、ということだったろう。

 平成九年の発足四十周年記念幹部会で、「日本を揺り動かす力は、五十万ではとうてい足りない。百万、二百万、三百万でも足りない。五百万でもまだ足りない。… やがて他国侵逼が事実となって、仏弟子一千万人の諌めにより日本国が一時に信ずるとき、この戦いは終わるのであります」と述べ、浅井会長は「仏弟子一千万人の諌め」を広宣流布への重要な要因と規定した。

 ところが、時過ぎて平成21年。「残された時間は、あと十有余年」と、「残された時間」は変更された。
 これは、何を意味するだろうか?
 一千万を放棄した以上、三百万達成までに残された時間、としか解釈のしようがない。

 目標は、一千万から三百万に縮小されても、残された時間はたいして変わらない。いつまで経っても、「残された時間は、あと○○年」なのである。
 顕正会員諸氏よ!
 だから無茶な「御奉公」に、のめり込んではいけない。

 6)ゴールが見えて来た
 
 「もうゴールが見えて来た」との言葉に、あと十有余年で広宣流布が実現すると思い込んでいる顕正会員は、少なくないだろう。
 だが、そうではないのである。

 ここで「ゴール」と言うのは、浅井用語で「大法戦場」と同じく、実は「三百万達成」を秘かに意味している。
 だから、「三百万達成というゴールが見えて来た」というのは、浅井会長にとってあながち嘘ではない。

 しかし「ゴール」の意味を明確にせず、会員に「ゴール」を広宣流布達成と思わせ(錯覚させ)てしまうのは、詐欺師の常套とする話術と同じである。
 「消防署の方から来ました」と言って、消火器を訪問販売する手口と大差ない。

 7)私は確信している

 平成19年の年頭の辞で、「そして今、第二の五十年を迎えた。この五十年のうちに…広宣流布・国立戒壇建立は、必ず成ると私は確信している。五十年の中にもその前半にと、私は深く願求し祈請している」と、浅井会長は述べている。
 顕正会員諸氏には、この会長発言をよくよく、熟読玩味して欲しい。
 
 「この五十年のうちに…広宣流布・国立戒壇建立は必ず成る」というのは、ただ浅井会長の個人的な「確信」であり、「思い入れ」に過ぎないのである。
 「確信」と云っても根拠がなければ、ただの幻想・妄想と違いはない。そして、「願求し祈請し」が願望であることに、誰も異論はないだろう。

 浅井会長の「必ず成る」は「必ずしも成らない」で終わるし、その時期は「この五十年のうちに」という、まだ遠い先のことだった。

 8)破綻しているシナリオ

 顕正会員諸氏は、浅井会長に<かくも馬鹿にされている>ということに、もうそろそろ気づかなくてはいけない。
 浅井シナリオを真に受けたとしても、「この五十年のうち」にすでに浅井会長は、この世にいないではないか。
 自分の発言に何ら責任を取らず、「ハイそれまでよ~!」ということなのだ。

 お応えすべき「無二の師匠」がいなければ、顕正会員は何もできない。三百万も一千万も、雲散霧消である。
 「やがて他国侵逼が事実となって、仏弟子一千万人の諌めにより日本国が一時に信ずるとき、この戦いは終わる」というシナリオも「絵に描いた餅」であり、実は破綻していたのだ。

 他国侵逼はさておき、必須要因であるはずの「仏弟子一千万人の諌め」は、空しくなってしまった。
 もし、十有余年後に「仏弟子三百万人の諌め」があっても、「仏弟子百万人の諌め」が何の効果もなかったことは、すでに実証済みである。
 だから、浅井会長の「広布最終段階説」は幻想・妄想に過ぎないと、わたしは敢えて論断するのである。

 どうだろう? まだ説明が、不充分だろうか?
 顕正会員諸氏には、小生の言わんとするところを理解することは、困難だろうか?
 顕正会で、どれほど頑張って真摯に「先生にお応え」しても、残るのは先生に欺かれたみじめな一生でしかない。
 かけがえのない人生、それで果たして満足だろうか?

 これは古参会員からの、現役活動会員への切なる「忠言」である。
 顕正会員諸氏にはどうか、よく考えていただきたい。(櫻川記)


 
  

 


 

震災後の三月度総幹部会・浅井会長講演について

2011年05月01日 | ◆ 顕正新聞
 わたしは四〇年近く顕正会員であったから、いつかは巨大地震に見舞われ被災することがあるだろう、と覚悟して生きて来た。
 今回の想定外の大震災には、その被災状況の悲惨さに言葉を失った。

 この事態に際して、「今こそ折伏だ!」(顕正新聞 4月15日号)等と顕正会が反応するのは、当然のことだろう。
 それを憂える知己の顕正会員から、震災後の浅井会長講演(顕正新聞 第1202号)に対し「批判の論陣を張って欲しい」、との依頼があった。
 浅井会長に心酔している活動会員諸氏に、すこしでも常識を取り戻して踏みとどまって欲しい、そうした思いで文章をまとめた次第である。


 1)部分と全体をごまかす詐欺的トーク

 「これほどの大惨事の中で、いかに全顕正会員が御本尊様の御守護を頂いたか。先ほどから多くの体験を聞き、ただ有難さでいっぱいであります」(三月度総幹部会・浅井会長講演)

 無宗教・他宗教の人でも津波から逃れた人が多くいたし、顕正会員にも震災から逃れた人がいた。
 この震災の後、機会があって話しをした顕正会員は当初、「顕正会に死者は一人もない」と言い切っていたが、根拠を訊ねるとそれは総幹部会での会長の、「全顕正会員」との言葉だった。

 地元自治体や警察・消防すら行方不明者の全容を把握してない状況にあって、杜撰な会員把握の顕正会でどうして「顕正会に死者は一人もない」と言えるのか問うと、彼は口を閉ざした。
 顕正会では、会員名簿の数割しか連絡先を把握できていないことは、組織を引き継いだことがある幹部なら承知しているだろう。

 言葉のニュアンスだと擁護する会員がいるかもしれないが、「顕正会に死者は一人もない」と会員に信じさせるような言い様を、そう意図せずに使ったのなら愚鈍であるし、意図しての誘導なら狡猾である。
 一部の者しか儲からないのに、全員が儲かるように騙すのは、「ネズミ講」と同じである。

 2)御守護を強調する、「有難さでいっぱい教」

 顕正会にとって、外部は三毒であり、自分たちは清浄である。
 地域・社会がどのように悲惨であっても、自分たちさえ安穏であれば、「ただ有難さでいっぱい」なのである。

 顕正会で繰り返し強調される功徳や御守護は、生死の根本問題と関係のない、現世利益の類である。それは仏法の本質から遠い、たかだか天界の果報に過ぎない。
 そしてさらに、「清浄」と「自分さえ」という差別意識は、ひそかに連動しているようだ。

 これだけの大量死を眼前にして、会員さえ良ければ「有難さでいっぱい」とする浅井会長には、仏教の生・老・病・死の基本的理解と宗教的情操が欠如している。
 顕正新聞の記事は「御守護」のオンパレードで、まるでテレビの通販番組を見ているかのようである。

 いずれ顕正会員は、思い当たる時が来るだろう。
 浅井会長にとって清浄なのは自分だけであり、会員がどのように悲惨であっても自分さえ安穏であれば「有難さでいっぱい」なのだ、ということを。
 
 3)「不思議の御守護」のレトリック

 「大自然の猛威の前には、人間の力などはまことに小さい。だからこそ、御本尊様の御守護を頂く以外にはないのです。あの四条殿が、絶体絶命の闇討ちにおいて不思議にも一命を全うすることができたとき、大聖人様はこう仰せられた。『すぎし存命、不思議とおもはせ給へ』と」(同)

 「人間の力などはまことに小さい」のは、その通りである。
 しかし、それと「御守護を頂く以外にはない」には、あまりに大きな飛躍があり、そう言い切るにはあまりに無茶な短絡がある。
 ハチャメチャな論理であるが、顕正会員に「御守護を頂けば大自然の猛威も克服できる」と思わせてしまうのが、浅井マジックである。

 顕正会員に格別の別感の功徳があり、「御守護を頂く以外にはない」と言うなら、定量的な信頼性のある調査・検証を顕正会として、実施すればよいのである。御守護が実証されれば、無謀な勧誘などせずとも入会者が続出するだろう。
 しかし浅井会長が、そうした客観的な検証を受け入れるはずがない。たちまち、エア御守護・ニセ功徳の実態が、バレるからである。

 「すぎし存命、不思議とおもはせ給へ」とは、滅多にないことだから不思議なのであって、日蓮大聖人は「必ず御守護がある」、などと決して言われていない。
 大聖人の御指南は、「世間の留難来るともとりあへ給うべからず、賢人聖人も此の事はのがれず」(四条金吾殿御返事)であって、信心の有無や凡庸・聖賢にかかわらず「世間の留難」はのがれられない、と教示されている。

 しかし、浅井会長の手にかかると「滅多にない」ことが、いつのまにか「必ず」ということにすり替えられてしまう。
 これこそ不思議なレトリックであり、詐欺的話法の典型である。

 4)諸天を実体視する教条主義

 「地震にも通常の原因によるものと、仏法上の原因すなわち諸天が起こすものとの、二通りがある」(同)

 現代においては大陸移動説・プレートテクトニクス理論が常識であり、それは浅井会長もさすがに知っていて「これだけの巨大地震になると、周りのプレートや断層にも多大の影響を及ぼし」(同)と述べている。
 そして、「そのような神仏に力のあるはずもない。かえって身を亡ぼし国を亡ぼす」(同)と浅井会長は政治家たちを批判するが、それは神仏・諸天の否定ではなく、力ない神仏への祈りの批判に過ぎない。

 諸天を実体視して諸天の実在を力説し、「諸天が地震を起こす」と妄想するのが教条主義の浅井会長であるが、それは四悉檀を弁えずに勝手読みするところの、御書の誤読である。
 中世においては神威・怨霊が強く信じられており、日蓮大聖人は世界悉檀・各々為人悉檀を以って「諸天」を用いられたということを、原理主義・教条主義の浅井会長は理解できないし、理解したくもないのだ。
 浅井会長にとって諸天が実在しないと、頼みの「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」(上野抄)の言葉が、むなしくなってしまうのである。

 「いいですか。梵天・帝釈・日月等の諸天が、今の日本を見れば、必ずこう思うに違いない」(同)
 こういうことを平然と言えるというのは、妄想者の典型的な例であるだろう。
 諸天の実在が論証できるなら、キリスト教のゴッドやイスラム教のアラーにも、同じくその論理が適用されることになる。

 5)論理的思考力の欠落

 下山抄の「定めて仏法より事起こるかと勘ヘなしぬ」とは、日蓮大聖人の三大秘法弘通という事実・結果から立ち返っての仰せだということが、基本を知らない浅井昭衛氏には理解できない。
 大聖人は「勘ヘなしぬ」と、過去形で云われている。

 将来、本門戒壇建立の時に「仏法上の意義」(同)として、直前の巨大地震を「仏法より事起こるか」と言い得るのである。
 仏教の縁起を知らないから、諸天や功徳を実体視(物象化)し 原因 → 結果の一方通行でしか事物を理解できない。そうした理解は、近代合理主義的発想に無反省であり毒されている、とさえ言える。
 加えてかつ、頑迷な原理主義・教条主義者であるから、そこに「トンデモ解釈」が生じるのである。

 以上見て来たように、浅井会長は「原因・結果」、「部分・全体」、「必要条件・充分条件」という概念を用いた論理的思考が、まるでできない人である。
 講演では吾妻鏡を引き、縷々と御書を引き専門家の説を引くが、まずは結論ありきで都合のよいところのつまみ食い。そういう論法を使えば、どんな荒唐無稽なことでも言えてしまう。
 「天馬空を行くごとき」(同)勢いだけのアジテーションであり、それにいつまでも幻惑されている会員も残念ながら、レベルが低いと言わざるを得ない。

 冷静に講演内容を吟味すれば、どれだけ御書をふんだんに引用しようと、現在が広宣流布直近と確定できる根拠は認められない。
 あるのはただ、浅井会長の<願望>だけである。

 6)浅井昭衛先生・讃仰団体

 「それより七年を経て、いよいよ今、大罰の号鐘たる巨大地震が発生したのであります」(同)

 自身を自ら讃嘆して、「それより七年を経て、いよいよ今…」という自画自賛。
 過去五十年の長きに渡って、巨大地震の脅威を言い続けて来たことに口を拭って、「それより七年を経て」と平然と言えるところは、異常な精神構造としか言いようがない。

 「凡夫の私がいうのではない」(同)と謙遜に見せつつ、実は「私は凡夫ではない」「私は仏勅を受けている」「私は日蓮大聖人の言葉を聞き奉っている」、と言いたいのである。
 それどころか、日蓮大聖人ですらなしえなかった広宣流布をいま<自分>がなし遂げるのである、という会員への強烈なアピールとなっている。

 事実、先の顕正会員に質問したところ「浅井先生の存命中に広宣流布・国立戒壇は実現する」と、彼は信じていた。顕正会員にとって、浅井先生なくして広宣流布は有り得ない。
 顕正会員に、理事長・城衛氏への期待がどれだけあるか、自問自答して欲しい。「浅井先生がすべて」という結論しか、見出せないだろう。浅井会長が没すれば、顕正会は立ち行かない。

 妙信講はかつて「在野の諌暁団体」と称したが、現在の顕正会は「浅井昭衛先生・讃仰団体」と、なり果ててしまった。

 7)被災地での勧誘活動奨励

 「大地震の被災地では入信勤行が続々と行われていると。あの大災害の中でも、顕正会員は毅然として立っているのです。私は聞きながら涙が出てきた」(同)

 顕正会員は常日頃、「無二の師匠にお応えできず申し訳ない」という、被虐的意識を植え付けられている。「何としても先生にお応えしたい」と思わなければ、まともな顕正会員ではない。
 そういう会員に対し「私は聞きながら涙が出てきた」と、浅井会長は被災地での勧誘活動を明らかに奨励している。
 先生にお応えしたいと、会員は被災者に「諌暁書」を配り、またメールでも「諌暁書」を喧伝する。

 地涌の菩薩は、苦境に付け込んでの勧誘などしない。
 避難所等での勧誘行為を続ければ、世間から厳しい非難を浴びるだろう。顕正会員諸氏には非常事態だからこそ、常識をわきまえて行動して欲しい。
 せめていろいろな意見・見解に、心を閉ざさず接して欲しいものである。

 8)無謬神話、いま次々に崩壊

 「見てごらんなさい。日本人はこれまで数々の安全神話を信じてきた。しかし今、その安全神話が次々と崩れているではないか」(同)
 顕正会員は、これまで数々の浅井先生の無謬神話を、信じてきた。しかし今、その神話が次々と崩れている。

 平成十九年は、浅井会長がかつて「あと二十五年で人類絶滅」と会員に訴えた、その年に当たっていた。
 「あと二十五年で広宣流布ができなければ、核戦争により日本も世界も破滅することは、一点の疑いもなきところであります」(昭和五十八年五月)
 平成二十三年の現在、「一点の疑いもなき」との断言は現実に裏切られ、その言説は虚妄となった。

 今もそうであるが、当時の会員たちもみな無二の師匠・浅井先生の言葉を、「一点の疑いもない」と信じたのだ。そう信じて自身の人生設計を定め、大切なものを犠牲・ないがしろにして、全力で先生にお応えしようとして来た。
 浅井会長は会員の人生を歪めた、自らの言動と煽動にどう責任を取るのか!

 食糧危機、疫病の猛威、彗星の出現、巨大地震、経済崩壊、国家破産、ソ連・中国・北朝鮮の脅威、核戦争、環境破壊、そして人類滅亡。
 繰り返される浅井会長の食言は、機関誌・紙に否定できない証拠として、今に残っている。
 自分の言説は棚に上げ、「しかし今、その安全神話が次々と崩れているではないか」と他者を批判してみせるところこそ、妄想者・詐称者の面目躍如である。

 9)「もうゴールが見えて来た」

 「最終段階の直線コース、もうゴールが見えて来た」(同)というような、過去に何度も繰り返されてきた常套句を、今回の大震災を目にしたからといって真に受けてはいけない。
 浅井会長の妄想であり願望に過ぎないということを、古参の妙信講員の責任として顕正会の活動会員に訴える。

 今年、浅井先生は八〇歳になる。顕正会でゴールと云えば、紅の涙の国立戒壇以外にない。しかし、国立戒壇の実現は十余年後になっても、その兆しすらないだろう。
 数々の危機に言及し、「日本は必ず滅ぶ」と一国諌暁しているつもりの浅井会長には、日本の混乱が望ましく願わしいのである。

 阪神・淡路の大震災から、人々は着実に復興を遂げた。十余年後、今回の大災害の被災地も、復興を遂げているだろう。
 菅政権の震災対応は拙劣だが、日本中の多くの人々が心をひとつにして復興を願い、その支援を惜しまないでいる。

 出生率が下がり、経済規模の縮小が続く日本にバラ色の未来はないだろうが、「日本は必ず滅ぶ」ということにはならない。
 広宣流布・国立戒壇が実現しても、巨大地震・巨大津波は繰り返される。
 浅井会長が自分勝手に思うようには、世の中は動いて行かないのである。
 自分のことですら、望んでいた「宗門復帰」も「嫡男への後継」も「日本一の教学部」構築も「柱たる壮年部」育成も、果たせなかった。どうして、「御守護がある」と言えるだろう。

 会員諸氏には、本当に今が「最終段階の直線コース」なのか、よく考えてみて欲しい。そこが核心である。
 浅井会長の言葉がインチキであろうと、「ただ先生を讃仰し、お応えできればいい」と、覚悟して活動できるだろうか?
 誰でも、自分の生き方は、自分で決められる。自ら浅井会長の妄想に殉じてよしとするなら、それは自業自得というものである。(櫻川記)





 

三月度総幹部会 浅井会長講演

2011年05月01日 | ◆ 顕正新聞
 【正嘉の大地震に次ぐ今回の大地震
     大罰の時代の号鐘、広宣流布の大瑞
     広宣流布は近い、敢然と立たん】


 きょうの総幹部会は、数々の素晴らしい登壇で、感動の極みであります。


 ことにあの巨大地震の中で、顕正会員がいかに有難い御守護を頂いていたかということ、肌身に迫りました。
 本日の集会こそ゛巨大地震の中で大聖人様の御守護をこのように頂きました゛との記念として、まさに歴史的な総幹部会であったと私は思っております。

 【松野抄講義録出来】

 さて初めに申しておきますが、先ほど発表のごとく「松野殿御返事」講義録は四月三日前後に、いよいよ発刊されます。
 すでに皆さんが承知のごとく、この御書は、大聖人様が入信早々の松野殿に対して、何としても松野殿を仏に成さしめんとの大慈悲から、一生成仏を見つめての信心の在り方を懇切に御指南下された大事な御抄であれば、いま広布前夜に戦う顕正会員こそ、これを心肝に染めて拝さなければなりません。
 どうか、しっかりと繰り返し読み、その感激を同志とともに語り合い、いよいよ大事な四月の、大法弘通の原動力にしてほしいと念願しております。

 【東日本巨大地震 国内観測史上の最大】

 さて、このたび東日本を襲った巨大地震は、日本の観測史上最大のマグニチュード9・0でありました。
 死者・行方不明の数は昨日二十四日現在で二万七千人超、しかし未だその全貌はわかりません。
 大津波がいかに恐るべきものか。全日本人が改めて知りましたね。
 今回、大津波が襲った地域は、なんと青森・岩手・宮城・福島、さらに茨城・千葉までの長い沿岸です。しかも津波の高さは10メートルを超え、場所によっては20数メートルにも達したという。
 この大津波によって一瞬のうちに、市が、町が、村が消滅し、多数の人々が海に引き込まれた。この悲惨を思えば、強く胸が痛むものであります。

 【不思議の御守護】

 同時に、これほどの大惨事の中で、いかに全顕正会員が御本尊様の御守護を頂いたか。先ほどから多くの体験を聞き、ただ有難さでいっぱいであります。
 まさに大聖人様が「何なる世の乱れにも…」と仰せ下された大慈大悲、また「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」との御金言の重み、ただ身に迫り、ひれ伏すばかりであります。
 またこれほどの大災害を受ければ、みな打ちひしがれ「ただ天を仰いで恨みをのむ」という姿になって当り前なのに、顕正会員はみな強いですね。そして逞しく、明るい。
 これこそ、日蓮大聖人を杖・柱とする者の強さ、御本尊を信じ奉る者の生命力であります。大自然の猛威の前には、人間の力などはまことに小さい。だからこそ、御本尊様の御守護を頂く以外にはないのです。
 あの四条殿が、絶体絶命の闇討ちにおいて不思議にも一命を全うすることができたとき、大聖人様はこう仰せられた。「すぎし存命、不思議とおもはせ給へ。なにの兵法よりも法華経の兵法を用い給うべし」と。
 今後、広宣流布までは三災七難が続く。その中で、全顕正会員はいよいよ強盛の大信力を出だして、大事な大事な御奉公を貫いていかねばと、強く思うものであります。

 【正嘉の大地震に次ぐ今回の大地震】

 さて、今回の地震でありますが、これは、御在世の正嘉元年の巨大地震に次ぐものであると、私は思っております。
 正喜元年には五月十八日、八月一日、八月二十三日、九月四日、十一月八日と、計五回の大地震が連発している。
 その中で八月の二回と十一月八日、この三回は巨大であった。とりわけ八月二十三日の巨大地震は、まさに前代未聞だったのです。

 【正嘉元年八月二三日前代未聞の巨大地震】

 当時の史書・吾妻鏡には、こう記録されている。「八月二十三日、戌の刻の大地震。音有り、神社仏閣一宇として全きはなし。山岳類崩し、人屋顛倒し、築地悉く破損す。所々に地裂け破れ、其の中より火炎出ず。色青し」と。
 凄まじいですね。これで正喜元年の巨大地震の震度がほぽわかる。
 ちなみに、震度というのは揺れの強さを示し、マグニチュードは地震の規模を示す。震度はマグニチュードの大きさと、震源域からの距離で決まるのです。
 気象庁が一九七八年に定めた震度階級によれば、震度0から震度七までの階級が決められている。震度0というのは「人体には感じないで、地震計に記録される程度」と説明されている。
 で、この震度階級では、震度五を強震、震度六を烈震、そして最大の震度七は激震と名づけられている。
 その「激震」はどういう内容か。こういう説明がなされている。「家屋の倒壊が三〇%以上に及び、山くずれ、地割れ、断層などを生ずる」と。これが最大の震度七ですよ。
 そこで吾妻鏡を見る。ここには「神社仏閣一宇として全きはなし」とある。神社・仏閣というのは、一般庶民の家屋とは違って極めて堅固に造られている。その神社・仏閣がことごとく倒壊してしまったということは、正嘉元年の大地震は震度七をはるかに超えたものと思われる。
 今回の東日本巨大地震の震度は、宮城県栗原市の「震度七」が最高で、あとは六以下であった。ゆえに今回の地震は、正嘉の大地震に次ぐものであると、私は思っております。

 【正嘉元年大地震の仏法上の意義】

 では、前代未聞の正喜元年八月二十三日の巨大地震を、大聖人様は仏法の上から、どのように御覧あそばされていたか。
 このことは多くの御書に記されており、いかに大聖人様がこれを重視しておられたかということがわかります。
 まず立正安国論の奥書には「去ぬる正嘉元年八月二十三日戌亥の剋の大地震を見て、之を勘う」とある。立正安国論は、この正嘉元年の巨大地震を見て勘えた――と。
 また安国論御勘由来には、この地震を指して「他国より此の国を破るべき先相なり」と仰せられている。

 【仏法より事起こる】

 そして下山抄には「此の災夭(正嘉元年の大地震・文永元年の大彗星)は、常の政道の相違と世間の謬誤より出来せるにあらず、定めて仏法より事起こるかと勘ヘなしぬ」と。
 いいですか。この巨大地震は、通常の原因から起きたものではない。定めて仏法上のことから起きたものである――とご断定されているのです。
 この仰せを拝すると、地震にも通常の原因によるものと、仏法上の原因すなわち諸天が起こすものとの、二通りがあるということがわかる。

 【御本仏を怨むゆえに諸天怒りをなす】

 では「仏法より事起こる」とは、どのようなことかといえば――
 まず第一に、大慈大悲の御本仏日蓮大聖人を、一国あげて怨むゆえに、諸天怒りをなして起こすところの大罰であるということです。
 そのことを法蓮抄には「此の大瑞は他国より此の国をほろぼすべき先兆なり。乃至、予不肖の身なれども法華経を弘通する行者を、王臣人民之を怨む間、法華経の座にて守護せんと誓いをなせる地神いかりをなして身をふるい、天神身より光を出だして此の国をおどす。いかに諌むれども用いざれば、結句は人の身に入って自界叛逆せしめ、他国より責むべし」と。
 「いかに諌むれども用いざれば」とは、諸天が巨大地震・大彗星を以ていかに日本国を諌めても、なお大聖人様に対する迫害をやめなければ、ついに諸天は人々の身に人って、自界叛逆を起こさしめ、ついには他国より責めしめる――ということです。
 さらに撰時抄には「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり。此をそしり此をあだむ人を結構せん人は、閻浮第一の大難にあうべし。これは日本国をふりゆるがす正嘉の大地震、一天を罰する文永の大彗星等なり」と。
 ――日蓮大聖人は閻浮第一の法華経の行者、すなわち下種の本仏であられる。この大聖人を謗り怨む邪法の悪僧等をもてなす国主・万民等は、閻浮第一の大難にあうであろう。それが、日本国を振り揺るがす正喜の大地震と、一天を罰する文永の大彗星等である――と。
 どうです。正嘉の大地震等が、大慈大悲の御本仏を怨むゆえの大罰であるということ、よーくわかりますね。

 【久遠元初の自受用身ご出現の大瑞】

 さらに、大聖人様はより深い仏法上の重大意義をお示し下されている。
 呵責謗法滅罪抄には「去ぬる正嘉元年八月二十三日戌亥の刻の大地震と文永元年七月四日の大彗星。此等は仏滅後二千二百余年の間、未だ出現せざる大端なり。此の大菩薩の、此の大法を持ちて出現し給うべき先端なるか。尺の池には丈の浪たゝず、驢吟ずるに風鳴らず、日本国の政事乱れ万民歎くに依っては、此の大端現じがたし。誰か知らん、法華経の滅不滅の大端なりと」
 まことに天馬空を行くごとき、雄大の御気魂みなぎる御文であります。
 まさしく正喜元年の大地震等は、釈尊滅後二千二百余年の間未だ曽てなき前代未聞の大瑞である。これこそ熟脱の釈迦仏法が滅尽して、いよいよ下種の御本仏日蓮大聖人が、三大秘法を持って出現し給うべき大瑞である――と仰せられる。
 また観心本尊抄には「此を以て之を惟うに、正像に無き大地震・大彗星等出来す。此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず、偏に四大菩薩を出現せしむべき先兆なるか」と。
 「四大菩薩」とは、別しては上行菩薩すなわち御本仏日蓮大聖人の御事です。
 さらに顕仏未来記には「既に後五百歳の始めに相当たれり。仏法必ず東土の日本より出づべきなり。其の前相、必ず正像に超過せる天変地夭之れ有るか。乃至、去ぬる正嘉年中より今年に至るまで、或は大地震、或は大天変、宛も仏陀の生滅の時の如し。当に知るべし、仏の如き聖人生まれたまわんか、滅したまわんか。大虚に亘って大彗星出づ、誰の王臣を以て之に対せん。当瑞大地を傾勤して三たび振裂す、何れの聖賢を以て之に課(おお)せん。当に知るべし、通途世間の吉凶の大瑞には非るべし。惟れ偏に此の大法興廃の大瑞なり」と。
 まさに、釈迦仏法滅尽の末法の始め五百年に、久遠元初の自受用身日本国に出現され、三大秘法を弘宜し給うという仏法上の重大事のゆえに、正像二千年に未だ無き巨大地震・巨大彗星が、その大瑞として現われたのである――と仰せ給う。
 いま、これら重要な御文を拝して、正嘉の巨大地震の意義を端的に述べさせて頂けば――
 正嘉の大地震こそ、日本が亡ぶ他国侵逼の先相であり、それは同時に、久遠元初の御本仏出現して三大秘法を弘め給う大瑞相である、ということであります。

 【今回の大地震の仏法上の意義】

 そして、大聖人様の御在世は一国が怨をなした逆縁広宣流布の時であった。しかし大聖人様は「末法濁悪の未来」に、日本国の上一人より下万民に至るまで南無妙法蓮華経と唱え奉る順縁広布の時が、必ず来ると御断言であります。
 そのことを上野抄には「ただをかせ給へ、梵天・帝釈等の御計いとして、日本国一時に信ずる事あるべし」と。
 いいですか。梵天・帝釈・日月等の諸天が、今の日本を見れば、必ずこう思うに違いない。
 「日本はまだ、御本仏を無視し軽んじているのか。御在世には大恩徳まします御本仏の御頸を刎ね奉らんとし、滅後もなお背き続け、さらにいま門下まで大事の御遺命を破壊せんとしたではないか。いったい何時まで背き続けるのか。早く日蓮大聖人に帰依しなければ、もう日本は必ず亡ぶ」諸天は必ずこう思うに違いないのです。
 ここに、諸天は全日本人をめざめさせるために、一国に総罰を下す。これが広布前夜の「大罰の時代」なのであります。

 【七年前の諌暁書に記す】

 私はこのことを感じたゆえに、七年前の平成十六年の諌暁書「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」の冒頭に、こう記した。
 「日本は今、亡国の前夜を迎えている。その亡国は、どのような災難によってもたらされるのかといえば――
 まもなく始まる巨大地震の連発を号鐘として、国家破産、異常気象、大飢饉、大疫病等の災難が続発し、ついには亡国の大難たる自界叛逆と他国侵逼が起こるのである。
 これは凡夫の私がいうのではない。日蓮大聖人が立正安国論の奥書に『未来亦然るべきか』と示されるところによる」と。
 それより七年を経て、いよいよ今、大罰の号鐘たる巨大地震が発生したのであります。

 【巨大地震が連発する】

 この地震は大地動乱の始めであるから、決して一回では終わらない。
 今回のマグニチュード9・0というエネルギーは、大正十二年の関東大震災の四五倍、平成七年の阪神淡路大震災の一四五〇倍ですよ。これだけの巨大地震になると、周りのプレートや断層にも多大の影響を及ぼし、余震域と無関係の地域でも大きな地震を誘発するのです。
 事実、あの巨大地震の翌十二日に発生した日本海側の秋田県沖の地震はマグニチュード6・4であった。同日の長野県北部の地震はマグニチュード6・7.いずれも東日本巨大地震に誘発された、別の地域で起きた地震です。
 同じく十五日には静岡県東部で地震が起きている。震源地は富士山頂から南方に八キロ下がった富士宮市でした。マグニチュードは6・4、震度は六強というかなり強いものであった。私はこの地震をことに注目しております。
 そしていま富士山を中心に、日本列島全体で13の活火山が一斉に活動を活発化しつつある。
 地震学者は口をそろえて、「今回の東日本巨大地震により、日本列島は地震の活動期に入った」という認識を示しております。
 この巨大地震に誘発されて、やがて首都圏直下の大地震が起こる。
 首都圏は東北とは人口密度が違う。日本国土のわずか三・六パーセントの面積に、総人口の約四分の一に当る三二〇〇万人がひしめいているのです。しかも政治・経済の中枢がここにある。もし首都圏が巨大地震に襲われたら、日本は半身不随になってしまうのです。
 首都圏直下大地震だけではない。さらに東海・東南海・南海等の巨大地震も連発する。そして種々の災難が続発したのち、ついに亡国の大難たる他国侵逼が起こるのであります。
 すべては、この国に御出現し給うた久遠元初の御本仏・日蓮大聖人を、早く全日本人に信ぜしめんとの、諸天の働きによるのです。

 【安全神話次々に崩壊】

 いいですか。もし諸天が日本を罰するなら、いかなる科学技術も、経済力も、軍事力も、いっさい役には立たないのです。「夫れ遅きはまりぬれば兵法もいらず」の仰せのとおりになる。
 見てごらんなさい。日本人はこれまで数々の安全神話を信じてきた。しかし今、その安全神話が次々と崩れているではないか。「絶対に倒壊しない」といわれていた高速道路は、阪神淡路大震災で簡単にひっくり返ってしまった。
 「日本の原子力発電は絶対安全」と科学者、政府、企業は胸を張っていた。だが今回の福島原発の大事故で、この安全神話も崩れた。
 日本経済は世界第二位で国債の信用度は世界のトップクラス、といわれてきたが、あっというまに国家破産寸前になってしまった。
 国家の安全神話は日米安全保障条約ですよ。「日米安保がある限り、アメリカは必ず守ってくれる」と日本人は長く信じて来た。しかしどこの国が、自国を犠牲にしてまで他国を守りましょうか。米中の軍事バランスが逆転するとき、この安全神話も必ず崩壊するのです。
 といって、日本は自力で国を守ることはできない。「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して生存してきた日本は、もう頼るものがないのです。

 【慢心の者も神仏にすがる】

 人間というのは弱いものです。どうにもならなくなると、人は必ず神仏にすがる。普段、慢心し強がっている者ほどそうです。
 今年の正月は全国の神社・仏閣に未だ曽てない多くの人が参拝したでしょう。神田の何とかいう神社には、錚々たる企業のトップクラスまで神妙な顔つきで頭を下げていた。見通しのつかぬ大不況がこの光景を作り出したのです。
 自民党の領袖たちが、行き詰まるたびに真言の坊主に祈祷を頼み、また民主党でも大物が高野山に行って祈祷していることはすでに周知です。
 まして、国亡び我が命が危うしとなれば、政治家たちは右往左往してこぞって必ず神仏に祈る。しかし、そのような神仏に力のあるはずもない。かえって身を亡ぼし国を亡ぼすのです。

 【日蓮大聖人に帰依せよ】

 日蓮大聖人に帰依し、戒壇の大御本尊を信ずる以外、人も国も助かる道は断じてない。
 ゆえに聖人知三世事には「設い万祈を作すとも、日蓮を用いざれば必ず此の国今の壱岐・対馬の如くならん」と。
 また新尼抄には「諸仏・諸菩薩・諸大善神等の御力の及ばせ給わざらん時、諸人皆死して無間地獄に堕つること雨のごとくしげからん時、此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば、諸王は国を扶け、万民は難をのがれん」と仰せられる。この御金言はまことに重い。

 【大罰の時代の号鐘 広宣流布の大瑞】

 いいですか。今回の巨大地震を仏法の眼で見れば、これまさしく――
 広布前夜の大罰の時代到来の号鐘であり、同時に、いよいよ広宣流布が成就し全日本人が救われる大瑞であります。
 まさに広宣流布は最終段階の直線コース、もうゴールが見えて来たのです。
 諸天の活発なる動きに、もし地上の戦いが遅れたら、何とも大聖人様に申しわけない。
 しかし、先ほども聞きました。大地震の被災地では入信勤行が続々と行われていると。あの大災害の中でも、顕正会員は毅然として立っているのです。私は聞きながら涙が出てきた。これこそ地涌の菩薩の魂ではないか。
 大聖人様は「軍には大将軍を魂とす。大将軍臆しぬれば、歩兵臆病なり」と。
 戦いは長の一念で決まる。
 さあ、全幹部が確信と情熱の塊となり、四月二十八日を見つめて誓願を断じて成し遂げ、大聖人様の立宗の御心に、全員で応え奉ろうではありませんか。以上。(大拍手)

  顕正新聞 4月5日号