KENSEI みえの会

会員間の連絡用ブログ

老いて男のやりどころ

2016-05-17 08:59:18 | わたしの活動レポート
先日の、理想の暮らしを語る会公開講座に参加された
南伊勢の上野徳也さんから、感想をおくってもらいました。
紹介します
 
 

「先日は、大変有意義な会合への参加させていただきありがとうございました

特に、あの場でも申し上げましたが、男性軍の多いのには感心しました

それだけ、男性軍が何かしたいという願望が強いと思います。



女性に比べ男性は、人の輪に溶け込むことが苦手に思っています

特に、企業戦士であった我々世代、その前の戦中、戦前の男性は、

人の輪に入ってていきたいが、変なプライドがあり、「誰か誘ってくれたら

参加できるのになあ」と思っている人が多い(私の感想)

そういう事から言いって、現在参加されてる男性軍の意見が、今後の活動の

ヒントになることもあると思います。



女性軍は、ほっておいても自分の考えていることを行動に移せるバイタリティーがあ
ります。



定年過ぎて、家にいてテレビばかり見ていいる男性が多いという話も聞きましたが、

たぶん、私もそうですが、サラリーマン生活を送ってきた人にとって、会社と家の往
復が毎日で、

地域との関わりもほとんど女房に任せていて、仕事しか知らず定年を迎えた、という
人が多いはず。

何か趣味があるとか、友達が多いとか、ボランティアでもしてみようか、という人が

今回の参加者には大勢いると思います。それだけの思いがあり参加してくれたと思い
ます。



すみません、なんか生意気なことを言ったみたいですが、このような活動を個人的
(仲間と共に)

に展開できてることがうらやましいです。

特に、「語る会の目指すもの」に示されているように、「また来たくなるような会」
にしていきたいと

いう思いに私もそうだと思います

この会の更なる発展と、地域に根差した活動を今後も期待しています。



今後とも機会があれば参加させていただきたいと思いますのでよろしくお願いします



どうもありがとうございました。」
 
 
 
 
 
 
 
 
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やっぱ井戸端会議かなあ?

2016-05-15 10:57:07 | わたしの活動レポート

夏になったような陽気でした。

”衣更え”というのが、思い浮かびました。

 

5月14日昼下がり、理想の暮らしを語る会公開講座

テーマ「自分らしく老う(老いと死)」

が、鈴鹿カルチャーステーションでありました。

 

この企画のお知らせは「広報すずか 5月5日号」に載りました。

「テーマが老いと死じゃ、あんまり人気ないかもなあ」とも

おもっていました。

ところが、続々と寄って来られて、椅子をふやしました。

30人ほどになりました。

 

話をしてくれた人は3人。

1、未来の里山プロジェクト   鈴木英二さん

2、アズワンコミュニテイ暮らし  今井亜子さん

3、西部地域包括支援センター  玉井功輔さん

それぞれ、20分、今、思っていること聞かせてもらいました。

 

鈴木英二さん、66歳。

のっけに、トースターで食パンを焼いたときの失敗談がありました。

パンを乗せていたお皿がないのです。あっと、気がついたら、お皿ごと

トースターに入れていたのでした。

「夜は悲惨なんです。おしっこで何回も起きるけど、腰痛などで、最近は

尿瓶を使っています」

在りし日はアルピニストとして活躍していました。

朝になると、夜が嘘のように、里山に行くと元気に動けます。

里山や炭窯をやりながら、カラダのことや、仲間とのやりとりなど

思い通りにならないこともあります。、最近は、そういうときは心の

状態がどうなっているか、見るようにしています。

乗り越えるというよりは、問題がなくなっていることがあります。

さだまさしに「空になる」という歌があります。好きです。

「いくつもの峠を越えて、いつか空になる」

 

今井亜子さん、61歳。

週に一度、京都に行って、お一人様暮らしの方のケアーをしています。

やってきて、お一人様暮らしになって、元気になるのは、女の人ですね。

男の人はダメです。だいたい、5年ほど経つと死にます。

「ええ?」と参加の反応。亜子さん「そうだったんです」

私も4年前、夫がガンで亡くなりました。山の好きな、元気な人でした。

ガンと分かってからも、生きるぞ、と頑張っていました。私にも弱音を

吐きませんでした。

いつからか、老いや死を自分から遠避けていたんでしょうね。

死を受け止めることが難しかった。

「今、エンデイングノートというものをつけています。いろいろなタイプの

ものがあります。財産をどう分けるか、細かく書けるようになっているもの

とか」

「親しい人と、見取りの家みたいなものつくりたいなあと話しています。

自宅でもなく、病院でもなく、家族のような人たちと暮らしながら、

死んでいきたいなあ、と」

 

 

玉井功輔さん、40歳。

「高齢者の方の相談援助をやってます」若々しい語り口。

「親の介護のため、職につけないでいる若いケアラー(介護者?)が

全国で17600人いると言われています」詳しい。

わが家族というので、玉井さんが65歳になったときの実際を

シュミレーションしてくれた。

娘は結婚して子どももいる。親父は80歳を越えて、要介護状態かも

しれない。

このとき家のローンはまだ残っている。

年金だけでは、暮らしていけないだろう。

こんなとき、妻か私が何かで倒れたら、目も当てられない。

「私はこの仕事していて、とっても楽しいです。子育てもたのしいです」

(そういうことが、こころゆくまでやれる条件を整えることができないかなあ)

言外に語っているのかなあと感じました。

生命科学者で難病と付き合っている柳澤桂子さんの言葉を紹介して

くれました。

「生きていることは残酷」「人には生きていきたいという気持ちがある」

「老いの苦しみを生き抜くこと」「救い、カラダは苦しくとも、心は苦しくない」

「苦しみを分かち合う、心が満たされる」「お互いが通じ合うことこそ」

 

3人の話が終わったのが、2時30分、ぴったし。

「わあ、すごい!」と中井さん。

この後、参加者と懇談。

「エンデイングノートをぼくも書いてみたいとおもった。それを、他の

人に聞いてもらうのおもしろい。他の人のも聞きたい。どんどん変わって

いってもいいんだし」

「聞いていて、暗い気持ち。64歳になって、家事や仕事からやっと離れて

スポーツやカルチャーセンターなど、通い始めています。健康でいたいです。

健康寿命を延ばしたい。人に迷惑かけたくないですからね」

「死ぬことをいま考えるというのは、今をどう生きるかということでもあるの

かなあ」

「エンデイングノートって、老化の予防や人の最後をどう全うするか、そこが

大事かな。倒れたとき、救急車を呼ぶか、延命措置をするか、主治医は

いるのか、地域で使っているところもありますね」

「南伊勢で平均80歳の年寄りの拠り場をやっています。ワイワイ、ガヤガヤ

とっても賑やかです。今日の会合で男の人が半分以上いるので、びっくり

しています。だいたい、こういう場に来るのは女の人が多いんですが。

老いを元気に過ごすには、とにかく寄ることが大きいです」

「さっき、苦しみを共有するっていってましたが、人と人がつながるって、

どんなことかなあ」

「いま、要介護1,2の人、5人のケアしています。家族とのつながりが

なく、ホントにお一人様なんです。死んだときは、オレが納骨するでな、

とか、病院から帰ってきたら、お帰りって声かけている、そんだけ

なんだけど、・・・一個人としてつながっているんかなあ?」

「もう、80に近いけど、いろんなところに顔だしている。スポーツジムで

水泳しているけど、心臓の病でカラダはあまり動かないけど、会うと

よくしゃべる人がいる。野球のことから、そのほか話題にことかかない。

持ち味だなあと思う。やっぱり、みんなの中に出て行くのが大きい」

「そうなんだよね。炭焼きやっている連中が10人ぐらいいるけど、

意見違っても、寄っているといろんな話になる。男の井戸端会議

みたい」

「玉井さんの話を聞いていて、この国では親の介護は自宅でする

という方向らしいけど、子どもが親の介護をするもの、という

社会常識がそのままだと、結局家族のところに社会の矛盾が

しわ寄せされていくんじゃないか」

「デンマークとかスエーデンでは、親の介護は社会で見るという

考え方がベースになって、社会福祉の仕組みができているとか」

「そこ、具体的なテーマもあるけど、人間をどう見るか、社会を

どう見るか、一つの大事なポイントかな」

「地域の老人が寄れるサロンをつくること、行政が進めていますね。

地域の自治会だったり、社会福祉協議会だったり」

「機能してるのかな」

「人と人がつながるっていうのは、どういうことを言うんだろう?」

「これから、包括支援センターでは、医療、介護、終末期医療など

総合的な地域の福祉システムの実際を住民のみなさんに知って

もらって、いっしょに考えていきたいと思っています。よろしく、

おねがいしますね」(これは、玉井さん)

 

最後に、中井さんから7月公開講座のお知らせがありました。



 

9月理想の暮らしを語る会

  公開講座のお知らせ

テーマ  “死んだ時、どうしてほしい?”

 

1、日時  7月9日(土)13:30~15:30

2、会場  鈴鹿カルチャーステエーション

3、参加費 500円

 

4、考えるヒントを提供してくれる人

  〇誰もが入れる墓所 “ニルヴァーナの森”をつくった

               宣隆寺住職 ゆはず唯正さん

〇海洋散骨海のおくり人を任じる 

                    柳川真一郎さん

5、公開講座の趣旨

死は誰にも訪れます。そんなこと分かりきったことみたいですが、

意外に「死」について語ることは避けてきたように思います。

なんとなく、どこかで「死はダメなもの」と捉えていたようです。

「死んだらどうなるんだろう?」という不安もあります。

「死にたくない!」と心の奥から聞こえてくる声もあります。

「どんな死に方したいとおもっているのだろうか?」とか、

「死んだらどうしてほしいとおもっている?」とか。

そんなこと、他人に言うことと違う、となっていませんか。

自分が、老いや死について、どんなことを思い、何を願っているか、

各々のなかでも、少し立ち止まって振り返ってみたいし、みんなで楽しく

語り合えたらいいなあと思います。今をよく生きるために。

そんな願いで開催します。

 

     <理想の暮らしを語る会がめざすもの>

  「ほんとうはこんな暮らしがしたいよな」とか、

  「こんな社会だったらいいよな」とか、静かに自分のなかの

  気持ちや願いに耳を傾けたら、誰もが、言葉にできる、できない

  は別にして、語りたいことがいっぱいあるのではないでしょうか?

  人はそれぞれ、その時代を自分なりの人生を歩んできました。

  語る会では、お互いを尊重し、理解しながら、なんでも話せるし、

  話したくないときは話さなくてもいい、そこにいるだけでいい、

  そんな時間をともに味わいたいと願っています。

  今を生きることが、面白いなあ、豊かだなあと、ふと湧いてくる

  ような、また寄りたいなあとなるような会にしていきたいです

 

 

 

 

 

 

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死んだらどうする?

2016-05-07 21:33:30 | わたしの活動レポート

 

4/17(日)14:00~理想の暮らしを語る会をしました。

まだ、じぶんの病気のこと、かかっている病院のことなど、出していない人が

いたので、病歴発表会を何人かしました。

森原さんは、笠井歯科、丁寧と絶賛です。坪井整骨院もかかりつけ。

竹本さんは、ヘルニア手術後、順調。回生病院、福島先生に見てもらっている。

喘息では、同じ回生呼吸器科の高橋先生。街の医者では、喘息という診断は

しないみたい。北井内科は、節子さんがかかっている。

 

ここでガラリと話が変わる。

中井さん、最近死んだら、そのあと、どうなるか、どうするか、いま元気なうちに

個人的にも、地域社会としても、どうかんがえるか、いろいろ調べている。

いまのところ、見えてきたところ、中井さん、フローチャートにしている。

 

 

中井さん、熱く語る。

死んだら、本人の意志で病院の献体になることもできる。

この場合、病院で火葬、骨にしてくれる。

それ以外、フローチャートでは、土、水、火、風などで葬送する道が

ある。遺棄は論外。

火葬にして、そのあとどうするかというのでは、いろいろある。

海で散骨してくれるという人に会って、中井さんが話した。

二見の浦で、カヤックでお骨を粉にして、撒いてくれるという。

粉骨したり、写真撮影などして、38000円だそうだ。

もうからないらしい。でも、海に思い入れがある。

 

鈴鹿のなごのあたりに、宣隆寺という由緒ある寺がある。

そこの寺に行き、住職と、中井さんはなしてきた。

大きな石に寝釈迦が彫られている。そこに、ニルバーナの森というのがあり、

そこに骨が土に還るように埋めてくれるという。

寺のなかに、亡くなった人の名前も分かるようにしてくれるという。

年2回、供養もしてくれる。それが、10万円とか。合葬ということになるかな。

 

葬儀屋さんや、そのほかNPOなど調べたみたいだけど、

死んでから火葬して骨にするまでは、安くて60000円、

葬儀屋さんが絡むと20万ぐらいはかかるという。

分骨とか、実家の墓にいれるというのも、それなりに費用はかかるだろう。

死ぬのに費用のことばっかみたいで、顰蹙をかいそうだけど、

 

理想の暮らしを語る会では、老いとか、死について、その本質をもっと探究して

いきたし、そういう検討のなかから、死んだあとどうするというイメージも。

それぞれ湧いてこないかなあとおもっていますが、どうなんでしょう。

死んだら、あとは野となれ、山となれ、というのもありますが・・・

 

ってなわけで、そんな会でした。

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三岐軽便鉄道

2016-04-25 10:31:13 | 興味深々アクションデーレポート

いなべ散策の感想、余川さんから届きました。

それは、いつも「最新のコメント」欄に書かれてあるんですが、もしかしたら

見落としている方もあるかもしれないので、ここにアップします。

 

 

有難う (余川)2016-04-25 08:27:21 

丁寧かつ心温まる記録に感謝します。拝読しながら、楽しかった一日を思い出しています。

 それにしても、ウオークで、サプライズに出会いますね。テレビのサプライズは、計画者がいますが、計画者のいない、全くの偶然なのは、素晴らしいことです。
木の花桜の神事、心が安らかになりました。祝詞に、熊本地震や、東日本地震のことが、含まれていた事には驚きました。

 計画、案内をして頂いた 伊藤さんご夫妻、運転担当の、辻屋さん、中井さん、ご参加の皆さん有難う。

 センスのない小生にとって、俳句を詠むことは、しんどいのですが、推敲を含めて、非常に楽しいことになっています。駄句を紹介します。
    春昼や三岐軽便カタンコトン
    空を行く軽便映す代田かな
    余生なほ目指すものあり余花に遇う
  代田は、春の季語ですが 最後の句の余花は夏です。 まあ、いいか?

 

 

 

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新緑のいなべ散策

2016-04-24 18:32:02 | 興味深々アクションデーレポート

                 1 、遠足気分

桜が散って、新緑の季節に様変わりしている。

大気も温もってきている。身体中に血がめぐっていると感じる。

この日、4月23日、健生みえの会の老人たちが、いなべ市の

三岐鉄道沿線をピクニックして、阿下喜(あげき)温泉に行く。

 

夜、あまり眠れなかった。

当日は、阿下喜駅10時集合だった。みんな車で行くという。

ぼくは、電車で行くと伝えた。

平田町駅7:30~伊勢若松~桑名~西桑名~阿下喜駅9:30。

「あんた、もう起きたほうがよくない」7:00前、妻から声かかる。

もし、一人なら、「今日は止めとこかな」となるような気分だった。

妻が、平田町駅まで車で送ってくれた。

 

陽は射していたが、うす曇。薄ら寒くも感じる。

途中の駅で、若いカップルが電車を待っていた。

電車が止まると、女性が乗り込んだ。

電車のドアが閉まると、二人は互いに目配せして、手を軽く振った。

何か、二人の間に、ほのぼのとした恋心が微かに漂った。

一瞬、自分のなかにも、忘れていた感覚が蘇った感じがした。

さっき、駅まで送ってくれた妻に「ありがとう」って言ったとき、ふと

恥じらいのような、新鮮な気持ちがふくまれていたかも、と思った。

 

       2、三岐鉄道を行く 

 

西桑名から、三岐鉄道に乗る。

単線で、レールも小幅で、車両も狭い感じ。遊園地のお猿の電車?

おとぎの国に運んでくれる?

家の間近いを走ったり、途中庭先の端を行くときはスピードを落としたり。

カーブが多いし、線路が緩やかに上下し、視界が広がる麦畑のゆったり

と走ったりしていた。

駅名も一筋縄では読めない。

昔、朝鮮半島からの渡来人にちなんだ名前、「穴太(あのう)」「治田(はった)」

などの駅が連なる。

「いなべ」という名前が、そもそも朝鮮半島からの渡来人に由来すると言われる。

日本書紀には、新羅から来た水工技術集団として猪名部(伊那部)の名がみえ、

それがルーツとされる。摂津から伊勢を経由して来たとされる。

20歳のころ、韓国慶州の田舎に行ったとき、のどかな里山と田園風景が印象的

だったけど、この新緑の鉄道沿線は風景に自分が溶けていくような感じが

した。

 

      3、八幡神社・めがね橋・ねじれ橋

 

終点阿下喜駅に着くと、健生みえの面々は、車で到着していた。

まもなく、いなべの石ぐれ町に住み伊藤正敏。敏子夫妻が到着。

コースプランは、いろいろ臨機応変に考えているようで、ほかの

面々はおんぶに抱っこと決め込んでいた。

 

まず、一行は、車で駅から東にもどって、めがね橋近くの八幡神社

出かけた。

神社は三岐鉄道の踏み切りを越えた北側にある。

拝殿の左に大きな丸い鉄製の球体があった。ぼんやりしていた。

「大きいな、丸いなあ、何かな?」と横目で見ながら、拝殿東の広場に

移っていた。

敏正さんが、火の神様の案内してくれたり、石碑が「娘の書道の先生の

先生の書なんです」という案内に感心したりした。

戦没者の碑もあって、そこに刻まれてある年月日とどこで亡くなったか、

これにやたら反応していた。

「昭和19年10月20日 レイテ島」

これは、戦争末期、勝てないことが分かっていて、玉砕のためのレイテ戦が

始まった日だと思った。

どんな感情や理屈があるにせよ、そうして日本は敗戦した、ここのところ

今、もういちど向き合いたいと思った。

帰りがけ、「あの球体は、ブイかしらね」「いや、機雷でしょ」

「よくもそんなもの、神社に奉ることができたね」など、聞こえてきた。

あとで、調べてみると、その拝殿前には14インチの砲弾も奉られてあった。

 

「もうじき、めがね橋の上を電車が通るよ」と誰かから、声がかかった。

一行。とくに電車好きでもないだろうに、いつ来るか、いつ来るかと待って

いる。子どもの心境だなとおもった、

大気は日を浴びてうらうらと。

そのうち、「来たぞ、来たぞ」

東からくると思ってスマホカメラ用意していた。あわてて、西に。

そのあと、歩き始めていたら、今度は東から来るぞ、と声かかる。

それも、パチリ。

にわか鉄道カメラマン。

 

すこし歩くと、ねじれ橋。

土木学会の推奨の銅版があった。

たしかに、石がねじれて積んである。

「なんで、ここでねじれた橋をつくらなきゃいけなかったんだあ?」

「水路や周囲の水田をそのままで、レールを通すとしたら、こう

するしかなかったんじゃない?」

どんなんが正解か、それぞれそれほど関心があるわけじゃない。

案外、あっさりと通り過ぎた。

 

 

お昼ごはんは、いなべ公園で、いう流れだった。

「ありゃ、弁当をもってきてない」宮地。

「いいよ、余分に持ってきているから」と中井佳子さん。

ベンチに座って、中井さん、さあ弁当を、という勢いで黒いビニール袋

を持ち上げた。

「わあ、弁当じゃない。トウガラシの袋だった」

「何、出掛けに、これっていったじゃない」と佳子さん。

そのとき、何を言ったって、どういったて無いものは無い。

わがピクニック一行はあるものを分け合った。

余川さんは、あちこち歩く間、しきりとメモをしていた。

「俳句の材料、ありましたか?」

「いっぱいあるよ。今回は、三岐鉄道は軽便鉄道と言っていたらしい

ので、それを句に出来ないかとおもっているんだけど・・・」

(そうか、軽便鉄道と聞いて、あの車体がこの五月の空に浮かんでいったら、面白い

だろうな!ってなこと浮かんできた)

「余川さん、いい句作ってよ」

 

 

 

      4,木の花桜神事  

 

桜を見に行くらしい。

近くに今でも咲いている桜の巨木があるという。

敏子さんがナビゲーター。

ふつうのお宅の庭だというので、敏子さん、「トイレは済まして行きましょう」

というので、コンビニで休憩して、出かけた。

「ここ、ここ!」と敏子さん。

桜の巨木が見える脇道に車を入れた。

ちょっといくと、黄色いヤッケを着たおばさんが厳しい顔して、飛び出してきた。

「シッ・・・!いま、神事をやっているので、車をもっと奥に入れて、2台目ももっと

奥にいれて、・・・・・静かに・・・・・」あとは、よく分からない。

突然の来訪で叱られているのか、神事に立ちあってもいいと思っているのか・・

分からぬまま、車を降りて、神事をやっている、桜の木の下の庭の隅っこに

はべらせてもらった。


 

神主さんが祝詞を詠んでいた。

「熊本地震で被災された方」とか、「福島で放射能で被害を受けた人」とか、

そういう言葉が聞こえてきた。

この巨木は山桜の変種で、木の花桜と言われている。野生では、京都亀岡と

いなべのこのお宅だけという。市の天然記念物に指定されている。

いなべ市長もこの神事に列席されていた。

コノハナサクヤヒメの神話は知る人ぞ知るである。

ニニギノミコトが、桜の花のように美しいコノハナサクヤヒメに一目惚れを

したのである。

神話では、そのあといろいろな葛藤があるようだけど、今の時代の桜に

よせる心情は、誰もが安心して豊かに、満開する繁栄したいという願いを

託すものではないだろうか?

神主さんの祝詞は、そんな願いが込められている名文だと思った。

神主さんの進行で神事は粛々と、歯切れよく進んだ。

最後、「天津祝詞 みそぎの大祓い」を渡されて、参列者で唱和した。

「木の花耶姫の命 守り給え幸(さき)はえたまえ」

 

水谷さんのお宅の巨木。

語り部の方が、神事のあと、木の花桜がどういものか、その由来など

案内してくれた。

 

桜の木の下には、さまざまな種類の花が咲いていて、女の人たちには

興味深かったみたい。

大平照子さん。「これ、ミヤコワスレって言うのね。母が、私は花では

これが一番好き!っていってたの。それも、この濃い色の花がすきだって。

母の言葉で、これが出てくるの」

さらっと、世間話のように言っているけど、そのとき、照子さんは母の声を

近くで聞いているのではないかと思った。

おごそかな神事のあと、そんな時間が現れてきたといえないかなあ。

 

お神酒を振る舞ってくれたり、水谷さんの奥さん手製のトチの実の

せんべいを食べさせてくれた。

女性陣には「美味しい。サクサクよね」と大好評。

そうそう、子どものとき、節分とか、ただでもらえるものがあると、

すっごくうれしかったよね。

 

最後に、みんなで写真撮りたいね。

語り部のおじさんにお願いしてパチリ。

 

「それにしても」とひとしきり。

健生みえの会のアクションでは、たまたま桜を見にいったら、木の花桜

神事に巡り逢うような、思いがけないサプライズが毎回あるんだよね。

このアクションデイにずっと参加しつづけている辻屋哲男・康子さん夫妻

には、感慨ひとしおではないかな。

伊勢の斎宮行きのときも、たまたまその日、滅多に見られない屋根吹き、

なんと言ったけ、そういう日に出っくわしたもんね。

 

      5、阿木喜温泉

 

10:00にスタートした阿下喜(あげき)にもどり、温泉に浸かる。

何か今日は、うらうらとした4月下旬の新緑の里山の風景を堪能して、

満ち足りた、ちょっとうとうとしそうな感じ。

温泉は心地よい。

心地よさを通り越して、ほんとこのまま眠りに入ってしまってもいいかなあ。

「歩いたあと、温泉というのも、乙なもんだね」

誰かが言った言葉に反論はなかった。

 

そのあと、敏正夫妻と温泉で別れた。

辻屋さんが、「五百羅漢」に案内してくれた。

そのときは、正直、夢心地でした。

             (おしまい、宮地の個人的な感想)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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