渡辺謙さん庵かず4見聞録

渡辺謙さん庵管理人かず4が謙さん作品始め、映画、ドラマ、本などの感想を投稿する予定(予定は未定)

The Japan Times 2007.12.13記事和訳(後編)

2008-01-15 00:27:33 | 渡辺謙記事和訳
そんなわけでへっぽこ和訳後編。誤訳はご容赦を。
↓The Japan Times記者の方の奥様のブログに日本語で詳細が!
http://blog.livedoor.jp/keikomc/archives/51088963.html

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彼が言うハリウッド映画と邦画の大きな違いとは、アメリカのセットには
どれだけ多くの無駄があるかということらしい。 
「ハリウッドでは大量に撮って後から最良の画を選ぶ。でも一旦撮影に入っ
てしまえば、邦画と外国作品にはそんな大差はありません。(日本でも)
何テイクも撮りたがる監督もいれば、(『硫黄島からの手紙』のクリント)
イーストウッド監督のようにたいてい1テイクでいい、という監督もいますしね。」


聡明で博識な渡辺はハリウッド作品にある文化的に合う俳優をキャスティング
することの危うさに鋭く気付いている。『ラストサムライ』のDVDボイスオーバー
にてズゥイック監督は以下のように説明する。渡辺謙というスターは何十年もの間
日本人俳優のイメージが「よくて二次元的で、しばしば風刺的に描かれる」のだ
と「いくぶん根本的に知っていた」ため、奮闘したのだと。

彼は偉大な俳優であるが、彼の名がアジア男性に対する極めて制限された
ハリウッド作品におけるステレオタイプを演じさせてきた。つまり武士、
軍司令官、実業家そして腹黒い東洋の悪役である。このステレオタイプを
壊すことは可能なのだろうか。

「う~ん、僕も普通の人を演じたくて、常にそんな脚本を(エージェントや
助言者、友人たちと)探しているんですけどね。」


それでも彼はそんな風に身をやつさなくてもよい役を見つけるのは難しいと感じている。
「僕のところに送られてくる台本の半分近くは僕が共感できないような
キャラクターを扱ったものなんですよ。特に一次元的実業家役とか、コメディ
だったらいわゆる10年来の馬鹿げたステレオタイプの日本人役とか ITとか
ビジネスに関連のある役とかね。そんなことに腹を立てても意味がないので。
ただそういうもんだし。でも僕は積極的にそういうステレオタイプには
立ち向かいたいと思っています。」


彼によれば、このことは役を受けた後でも監督や脚本に意見することも含むという。
「ええ。そのまま捨て置けないことが脚本にあったりしますからね。  
『硫黄島からの手紙』ではイーストウッドに「これはありえない。」と進言する
こともしばしばありました。」
さらに彼は毎日サジェスチョンをし、監督に
衣装や小道具、セットが正確なものであるように確認を依頼したとか。
「この物語は史実に忠実でなければならなかったので。しかしイーストウッドは
僕が戦わなければならない人ではありませんでした。彼は撮影の最後まで
いつも注意深く僕の意見を聞いてくれて、尊重してくれましたから。」


彼いわく、『硫黄島からの手紙』において最も深刻な議論になったシーンは栗林の最期のシーンである。

「僕らはその件で数週間話し合いました。最初の脚本のシーンには僕は反対でした。  
栗林は刀で切腹自害すべきだという意見の人もいましたが、僕はそれは
彼の死を美化するものだと感じた。部下に多くを求めてきた彼だったら、
彼らしく自決するまで戦い続けただろうと。何もなくなってしまったときに
やっと死を受け入れただろうと。僕はそう強く感じたんです。」


渡辺はきわめてまじめであるが、彼自身が最もセクシーな男と見なされるのを辞退したがるのはそのためかもしれない。

「その(セクシーな男という)肩書きを頂くことは全然理解できないですね。」彼は笑って言う。 
「自分がセクシーな男として見られることはさっぱりわからないですが、日本
では他国と比べて「セクシーな男」の定義は少し異なるかもしれません。
日本語での意味はある種大人だとか成熟した男性の魅力に強調があるような
気がします。そういう意味でなら、そう言われるのは嬉しいですね。」


渡辺は常に「直感で」作品を選び、めったにその直感が外れることはないと言う。
彼が言うには『硫黄島からの手紙』や『明日の記憶』は特別だということはすぐ
わかったそうである。しかしひとたびそれぞれの役を引き受けると、自分自身を
深く掘り下げねばならず、その過程で彼はヘトヘトになったという。
「どんなにメイクしても僕は僕以外の人間にはなれませんから。自分自身の過去
や経験、人格そのものからその役に投影されますが、それって芝居をとても
リスキーなものにする。自分自身が曝け出されるわけですから。
どうにか逃れられないものかといつももがくわけです。」


日本以外で芝居をすることは言語の壁のせいで難しかったに違いない。渡辺は
『ラストサムライ』や『SAYURI』のために熱心に英語を勉強してきたわけであるが。
彼によると、台詞そのものはそんなに難しくないのだが、台詞にない意味や監督
や脚本家が言わんとすることを理解するのが大変だったという。
『ラストサムライ』で勝元を演じた後、栗林を演じる重圧、歴史的・政治的負担
を負わされ、日本では後にも先にも他の映画ではめったに吟味されなかったような
二つの当たり役が昨年彼が極度に疲労した原因となったのかもしれない。

渡辺は『硫黄島からの手紙』の撮影に対して「緊張」していたと認めている。
「自分の文化に大変重要な意味を持つ映画」であったからだ。彼は確かに
自分の役に全力で打ち込んだが、この映画を評価しない映画批評家もいた。
ロンドンに本社を置く『インディペンデント紙』はこの映画が、何十年も昔の
映画でありがちな筋で万歳を連呼する将校たちの戦争映画の後に現れた偉業である
ことを無視して、「日本人も人間であるということを除いては特筆すべきことはない。」
と報道したのだ。

渡辺はめったに自分の病気について語らない。彼を知る者は彼の画面での静と動
はある面では死に直面し、また再び直面するかもしれないと知っていることの
産物ではないかと言うものもあるのだが。『明日の記憶』を撮影していたとき、
白血病と闘病していた時の記憶がこみ上げてくることがあったと認めている。

「そういう経験ってスクリーンで見せるべきではないと思ってました。  
そういう経験が演じる役を引き継いじゃうから。しかしこの映画を撮ってるとき
思い出し始めて。病気になったとき、一日24時間ずっと自分が患っていることや
死ぬことを考えているわけじゃないんです。話したり、笑ったり、他の事を
考えたりしたい。普通に人生を生きようともがく霧の中、全て終わるかもしれない
という恐怖や不安、実感が自分の中に去来するんです。それが僕が映画に
持ち込んだものです。最初はそうするつもりはなかったのですが。監督が僕の
意見を聞いてくれたので、いくつかのシーンを変えました。」


スクリーンの中の役柄と、現実世界のその人と境界線を惑わせるこの俳優は
もちろん多少映画人っぽいところがある。渡辺は威厳があり、立派で、
運命的な男たちを演じてその俳優としてのキャリアを積んできたが、彼の映画
での登場人物の多くより身近に感じられる。

彼はつつましい生活を送ってきたとされ、また几帳面なほど注意深く、誠実である
と評判である。彼のもの静かで思慮深く熟考された返答にはむしろ仏の境地の
ようなところさえある。新聞記事で指摘するものもあるように、彼は現代のサムライなのだろうか。

「そうですねぇ。質素な侍のような生活を送りたいものですね。必要最低限の  
身の回り品だけもって。」
彼は笑う。
「しかし現実には人生においていろいろ集めてしまうので。いるものと
いらないもの分けるようにしています。ものを買う前に妻や子供たちにそういう
話をします。しかし侍の精神はもっと深いものがあると思います。他人を
尊重するとか、時間を有効に使うとか約束を守るとか。こういうことが日本が
かつて持っていた、しかし今いくぶん忘れつつある資質だと思います。
僕にとってこういうことは大切なことですね。」


『EARTH』は1月12日日本全国公開である。

The Japan Times 2007 12 13 記事和訳(前編)

2008-01-14 00:19:44 | 渡辺謙記事和訳
渡辺謙「結局ハリウッドとは何か」

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/ff20071213r1.html

渡辺謙の最新映画はホッキョクグマが何ヶ月も地下で過ごした後、まぶしい
春の日差しのもとへ再び出てくる映像で始まる。そのシーンは熱心で高く
認められた仕事の続く日々があったり長い冬眠があったりという彼の経歴の
メタファーのように思いたくなる。

この48歳の俳優はよく知られるように、NHK大河ドラマ『独眼竜政宗』で
一躍人気を博したたった2年後、1989年に白血病と診断され、休業を余儀なくされた。
彼は闘病し、寛解するまでに至ったが、彼の経歴にまた5年の穴をあけ1994年
に再発した。

渡辺は今再び芸能界に復帰し、メディアの注目を浴び光り輝いている。
おそらく彼を世界中で最もよく知られ、リスペクトされるアジアの俳優
たらしめたハリウッド大作での活躍の数々の後に(今回は自分の意思で)
もう1年カメラから遠ざかった後に。

『ラストサムライ』(2003)や『SAYURI』(2005)や『硫黄島からの手紙』(2006)で
渡辺は彼でなければ単なるステレオタイプを生み出したであろう役に
カリスマと深みを与えた。つまり滅び行く封建時代の日本で反逆する武士、
第二次世界大戦勃発前の中年実業家、そして悲運の太平洋戦争栗林忠道中将役である。

『ラストサムライ』ではエドワード・ズゥイック監督の”武士道”礼賛作品
で渡辺の表現力豊かで、感情のこもった芝居はハリウッドの大スタートム・
クルーズのそれをしのぐものがあった。実際この作品で彼は最優秀助演男優賞
でオスカーノミネートを果たした。彼は『硫黄島からの手紙』の中心的存在で、
この映画は傑作だと広く賞賛された。

彼の次の作品へと動かすものは全て奇妙に思える。渡辺は日本に戻ってきて
『明日の記憶』を作ることにした。派手ではないが重く、明らかにハリウッド
作品とは異なるドラマで、あるサラリーマンが認知症を患って行く物語である。
そして彼が女優・南果歩と結婚した時、またしばらく新聞の見出しを賑わわせた
のだが、それ以来公での露出は少なく、また彼が充電期間に入ったのだと思う
人もいたかもしれない。

しかし彼は今ここにいる。日焼けして、調子のよい様子で、ある東京都内の
ホテルで我々のインタビューのために仕立てられたイタリア製のスーツを
申し分なく着こなして現れたのである。彼は今までどこにいたのか。

「どう説明したらいいんでしょう。」新潟出身48歳の俳優は言葉を選ぶ。
「『硫黄島からの手紙』とそして『明日の記憶』で僕はある種、俳優人生における
ターニングポイントに到達したと思っています。これらの作品にあまりに心血を
注いだので、そこから次にどこに向かうべきか本当にわからなくなってしまった。
もちろん脚本はいくつもオファーされましたが、同じように僕を突き動かして
くれるものはなかったんです。たくさんの人が僕に前進して、とにかく映画を
やってみろと言ってくれたんですが、結局一年近く一作もやらなかった。」

しかしオフの時間は彼にとって大変良い効果があったようである。

「かみさんに『1年何もやってないんだけど、大丈夫かなぁ?』って言ったら
『何言ってんの?ちゃんと生活してたじゃないの。』って言われて。
家族と一緒に生活する、他の日常的な当たり前のことをする、人生って
こういうもんなんだ、ということを実感してちょっとほっとしたんですよ。」
彼は微笑みながら、思い出してこう言ったのだ。

彼を「冬眠」から引き戻すプロジェクトはドキュメンタリー監督アラステア・
フォザーギルによるBBC自然シリーズ『PLANET EARTH(日本版タイトル
『EARTH』)』である。アラステア・フォザーギルは『ディープ・ブルー』で
世界的大ヒットを生んだ創造力ある監督である。環境破壊から地球を救おうという
映画の嘆願で、『EARTH』は冒頭のホッキョクグマが冬眠から出てきて、
解けつつある氷上に足場を探しているという忘れがたいシーンで始まる。

渡辺は日本語版でナレーションを勤めるが、『EARTH』のプロデューサーから
オファーを受ける前に、異なる作品で自身が北極で一ヶ月過ごした時見たもの
を思い出していた。

「かの地で冬が終わって最初の夜明けは2月中旬のはずでしたが、太陽は
2週間も早く昇ったようでした。僕が現地の人にそのことについて尋ねると
ここ数年で大きな変化があったとのことでした。天候も変わり続けている、と。
ですから僕がナレーションをやってくれと頼まれた時、僕はこれはやらなくちゃ
いけないと思った。これは一大事だと。つまり、人間はこの地球で短時間しか
生きていないし、そんなに先行き長くないかもしれない。だけどたとえ小さな
ことでも僕たちはまだできることがある。例えば、水や電気を注意して使うとかね。」

ハリウッドからははるかな道のりだが、渡辺は年をとるにつれ、観客に
「何かメッセージを伝える」作品をより追求したくなってきたと思っているようだ。
小劇場に戻ることは可能性があることだと彼は言うが、スターダムにのしあがった
ことで、大作映画の魅力に敵対することになるわけではないと否定する。

「そんなこと全くないですよ。」彼は言う。
「内容によります。脚本が良くて、キャストや監督も良ければ僕はどこにでも
行きます。あなたは尋ねるでしょう。『今日のハリウッドって結局どんなの?』って。
僕は、そんな名前で異なる原理とスケールの物理的な場所があるけど、
映画はもはやそこで作られてるわけじゃないと思う。今やたくさんのコラボが
ある。資金は日本から、映画は韓国人監督がいて、アメリカで撮影される、みたいな。
「ハリウッド」というのはもはや「映画を作る場所」ではないんですね。」

渡辺謙に10の質問(TIME誌記事和訳)

2007-01-07 21:17:27 | 渡辺謙記事和訳
久々に英語記事和訳投稿。謙さんに10の質問・・・してみてぇ・・・

渡辺謙に10の質問

10 Questions For Ken Watanabe

渡辺謙は映画界の失われた大義名分の守護聖人か何かになりつつある。『ラストサムライ』(以後『ラスサム』と表記)
でこの日本人俳優は名誉のみを遺して滅亡していく侍というタイトルロールを演じた。彼はまた新作映画で同様の役を演じている。
今回は批評家たちに絶賛される『硫黄島からの手紙』で第二次世界大戦時アメリカ軍に対して最後の抵抗を見せた
日本軍将校である。渡辺(47歳)はTIME誌のトヤマミチコとのインタビューに応じ、役柄について、クリント
イーストウッド監督との仕事はどうであったか、戦争の恐ろしさに忠実であることへの挑戦について語った。

Q1 アメリカの監督が日本側の視点で硫黄島の話を描けると思いましたか?

謙さん:僕はクリントがどのように作品にとりかかるのか興味がありました。しかし僕も含めて日本人俳優
でさえも未知の領域に踏み出していました。我々は当時の兵士たちがどのように考えていたのかあるいは
愛国心の程度をわかっていませんでした。クリントに、我々は入念に真実を探り、歴史的事実を調査しなければ
ならないと伝えましたが、彼は非常に理解を示してくれました。


Q2 『ラスサム』でハリウッドは誤った日本をたくさん描いてしまったという批判がありました。
『硫黄島』は日本人の精神に(『ラスサム』)より真実を描いていますか?

謙さん:そう思います。『ラスサム』はフィクションです。しかし今回の作品では僕たちは歴史的事実となると
徹底的に調べました。ささいなことにも注意を払いました。


Q3 ご自分の役・栗林中将と硫黄島での日本軍の攻防について調べて何を学びましたか?

謙さん:彼は指揮官だったのでこの戦争がどのように始まったのか、そしてどのように過ちをおかし
誤った道を集結させたのかに興味を持ちました。僕は彼が経験した思考過程を理解できなかったので
再度この戦争について勉強しました。このような方法で戦った栗林のような人たちがいたことや
彼らがどれだけ苦しんだかを知ることができたことは僕にとっては非常によい機会でした。


Q4 栗林の戦法は、アメリカ軍日本軍両国に多大の犠牲を払い、硫黄島での戦いを引き延ばしたと主張する
意見もありますが、それについてあなたはどのように思いましたか?

謙さん:彼は硫黄島は最終的にアメリカ軍に陥落され、自分を含む自国の兵士たちが全員戦死することをわかっていました。
そのため彼は戦争の終結のために従事したといえます。日本全土には広がらないように。アメリカ人が
この愚かな戦争をこれ以上続けなくていいように。彼が考えていたことというのはいかにアメリカ人たちに
出来るだけ早くこの戦争を終わらせようと思わせるかだったのだと思います。


Q5:栗林中将のことを英雄か悲劇の主人公と思いますか?

謙さん:そんな風に分類されるべきではないと思います。彼らは自分たちの生き方で精一杯生きた。
そして僕はこの映画でクリントがそれぞれの登場人物に生命の息吹を吹き込んだのだと思っています。
そんな人々が滅ぼされる。それが戦争なのです。


Q6:これは反戦映画ですか?

謙さん:これは決して単純な反戦映画ではありません。そんなに単純ではないのです。
しかしクリントは戦争の残虐なリアリティを描く目がありますね。


Q7: 日本が再軍備し始めるのではないかと案じられる時にこういう映画が出てきますよね。
このような状況でこの映画はどのように受け入れられると思いますか?

謙さん:政治的なことは言いたくありませんが、この映画を見る人は誰でも、この映画が
言わんとしていることを理解してくれるだろうと思います。この映画は愛国心を見せようと
しているものではないし、戦争の叙情詩でもない。また日本人を悲劇的犠牲者として
描いているものでもない。戦争とは何たるかの一証言です。


Q8:この映画は日本軍兵士を敬意と名誉に値する存在として描いていますか?

謙さん:最後の激戦時、栗林は兵士たちにこう言いました。「いつの日かある日
子孫が我々の魂を慰め、お前たちの勇敢さを讃え、涙を流すであろう。」と。
映画にこのような台詞があります。しかし戦争は崇められたり正当化されるべきもの
ではありません。僕たちは常に自国の軍隊の過去の現実を受け入れ、将来僕たちは
何ができるのかについて落ち着いて考えなければなりません。


Q9:あなたが演じる役は死ぬ傾向にあるようですね。

謙さん:残念ながら(笑)

Q10:いつかコメディ作品でお目にかかれますか?

謙さん:ちょうど今何かそういうものをやりたい雰囲気なんですよ。
あるいは何も起こらず、誰も死なない人間ドラマかな。全く平凡な話を。



IndieLondon和訳

2006-02-01 23:32:45 | 渡辺謙記事和訳
また和訳記事投稿。一部ごまかしてしまった・・・

http://www.indielondon.co.uk/Film-Review/memoirs-of-a-geisha-ken-watanabe-interview

質問:原作をご存知でしたか?原作は日本ではよく知られていますか?
謙さん:ええ。8年前、どの女優も原作を読んだと思いますよ。僕も原作を読んだので話は知っていましたが
スティーブン(スピルバーグ)はその時僕のことを知らなかった。オファーももらっていませんでした。
それについて気にもとめませんでしたけど。ただ僕は英語で芸者の世界のことを書いた小説に感銘を受けました。
最初「これは実話なんだろうか」と思いましたが、後でもう少し読んでそれがフィクションだと知った時は驚きました。

3年前『ラスサム』プレミアの後で僕はスティーブンと会いました。彼は信じられない感情や想像力で色々
説明してくれて、僕に会長の役をやってほしいと言ったんです。僕は「えっ?!僕が会長役?女性の憧れの役
じゃないか、無理無理!」と思ったんですが、ロブに会って、この話や、習慣、文化について語り、より深く
考えました。僕らはセットでは英語、中国語、日本語の三ヶ国語で頑張りました。

曲は英語で書かれましたが、旋律は日本の曲でした。芸者は日本ではオペラです。
美しい衣装、素晴らしい曲、踊り。まさにオペラにいるような。彼女らは伝統的で素晴らしい女性たちです。
そしてロブ・マーシャルは監督の中でも最高の監督ですね。

質問:これはあなたが誰も人を殺さない(アクションシーンのない)初のハリウッド映画ですが非常に女性向けの話の男性役を演じることはどのように感じておられますか。

謙さん:僕は常に最高の機会を求めていますが、今回の役は非常に興味深かったですね。
会長はとても強い男で、「彼はどういう男なのか」「彼はいくつなのか」
大変プレッシャーでした。大変な役でしたが、俳優としては面白かったです。
そして僕はロブと仕事がしたかった。彼は違ったタイプの監督です。

質問:さゆりを演じた子役の少女は素晴らしかったですね。彼女と以前に共演されたことがあるとか?

謙さん:日本で彼女と共演しました。彼女は僕の娘役でした。
撮影前彼女はとまどっていました。「この間は娘役を演じたのに、今回は恋人役・・・?!」
おかしいでしょう。彼女はとてもかわいい。その日本映画の監督(『北の零年』の行定監督のこと)
がいつもなかなかカットをかけなくて、一場面が終わった後も撮影し続けたんですが
彼女はカットがかかるまでずっと芝居を続けていました。彼女は非常に賢くて才能があると思います。

Go World Travel 記事和訳

2006-01-29 15:06:47 | 渡辺謙記事和訳
謙さん英語記事和訳。
最初の方の「ラスサム」についての内容はどこかで読んだ記憶が・・・
同じ記者さんなのか??例によってへっぽこ和訳の誤訳はご容赦下さい。

http://www.goworldtravel.com/ex/aspx/articleGuid.{91DD4B44-04E5-4D27-9AFF-E68F11DFCD0D}/xe/article.htm

数年前は日本以外の者はほとんど「渡辺謙」という名を聞いたこともなかった。しかし、今ビバリーヒルズのこじゃれたレストランに朝食のため彼が入ってくれば、人は皆彼が誰であるかわかる。確かに、黒いサングラスをかけ、普段着を着た、この長身で、痩せた映画スターのことを一見わからないかもしれないが、『ラスト・サムライ(2003)』か最近公開された『Memoirs of a Geisha'(SAYURI)』を挙げられれば、誰もがすぐに頷くだろう。

『ラスト・サムライ』における威厳ある侍のリーダー・勝元という、渡辺の魅力あふれた役は彼にアカデミー賞ノミネートと、世界の観客から関心をもたらした。『ラスト・サムライ』は渡辺にとって初の英語台詞で出演する役だったが、この47歳の俳優は、敵軍を養成するために日本に送られた、失意のアメリカ人軍人ネイサン・オールグレンを演じた、トム・クルーズと対等に共演した。オールグレンは勝元の部下たちに捕らえられ、侍たちの生き様に引き込まれていく。そして彼は勝元と、死すら別つことのできない友情を築いていくのだ。

この友情は映画から現実生活にも広がった。クルーズと渡辺は『ラスサム』で一緒に仕事し、冗談を言い合ったり、時にはセットで歌を一緒に歌ったりして仲良くなった。しかし渡辺の真の才能を際立たせたのはその二つのキャラクターの間にある静寂だった。その冷静沈着な武将という彼の魅力的な演技は勝元の内なる強さをうまく表現していた。

渡辺は語る。「『ラスト・サムライ』で演じた役について全て気に入りました。あれは正しい観点で日本文化を描いた初のハリウッド映画作品の一つでした。彼らは日本社会の一部である精神的価値観を反映させようとあらゆる努力をしました。

あの映画は”武士道”という、年長者を敬ったり、約束を守ったり、誠実であることなどを強調する道徳規則を反映しています。」渡辺はこの道徳規則は今日の日本社会でも未だ見出せると信じている。

「もちろん時が経つにつれて、世代とともに価値観は変わりますが、これらの価値観の基盤は今でも存在します。」彼は時に英語で、また時には彼の通訳の助けを借りて言う。「この映画は日本人に自分たちが持っているものを気付かせてくれる機会を与えてくれたと思っています。この道徳規則は今はそんなに市民権を得ているものではないかもしれませんが失われてしまったものではありません。」

「ラスサム」でハリウッドに進出して以来、渡辺は新作映画に精力的に参加してきた。「バットマンビギンズ(2005)」ではラーズ・アル・グールという不死身の天才犯罪者役で出演した。

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第一弾にも増して意訳全開気味の続編。
監督のコメントに一言。謙さんどこ行ってもリーダーシップと
いうか座長気質を発揮してしまわれる方なのねw一度下っ端で
いいから一員に加えて頂きたいものだ・・・笑

http://www.goworldtravel.com/ex/aspx/articleGuid.{91DD4B44-04E5-4D27-9AFF-E68F11DFCD0D}&pageNum=2/xe/article.htm

しかし批評家にものを言わせるのは新作映画『Memoirs of a Geisha』における渡辺の役柄である。アーサー・ゴールデンのベストセラーを原作とするこの映画では、一文無しの日本人少女が売り飛ばされ芸者の置屋で働かされる。苦労の末、その少女は伝説の芸者さゆり(チャン・ツィイー)となり成功する。

さゆりは欲しいものをほとんど全て手に入れるが、叶うことのない会長さん(渡辺謙)への秘めたる恋にとらわれている。

恋愛モノの主役を演じるのは渡辺にとって初めての経験だった。「過去に強い男の役は何度も演じてきましたが、この役には殺陣シーンはありません。」渡辺は言う。「会長の役は紳士的で、受身的。彼は他のキャラクターを抱擁することで成長するので僕は彼女ら全ての感情をとらえなければなりませんでした。」

この映画はアジアのトップ俳優・女優陣の豪華キャストを配している。チャン・ツィイー(『グリーン・ディスティニー(2000)』)、コンリー(『紅夢(1991)』)、ミシェル・ヨー(『グリーン・ディスティニー(2000)』)
役所広司(『SHALL WE DANCE?(2004)』)、工藤夕貴(『ヒマラヤ杉に降る雪(1999)』)などである。

渡辺は語る。「僕たちはリハーサルで一ヶ月過ごしましたが、僕たちの間に良い化学反応がありました。監督のロブ・マーシャルが英語で話すと、僕らの通訳それぞれが自分たちの言葉で話したものです。20秒後、リハーサルが始まるという具合でした。それ以降、僕らは通訳を必要としませんでした。なぜなら皆英語で進めていたので。」

渡辺の働きはロブ・マーシャル監督の尊敬を勝ち取った。「謙は非凡な俳優であるだけでなく良いリーダーだね。」マーシャルは語る。「彼は『Memoirs of a Geisha』における精神的支柱だったと心から思うよ。」

渡辺にとっては『Memoirs of a Geisha』は単なる映画以上のものだったという。
「これはアジアにとって一丸となる機会。僕の願いはこの映画が、日本だけじゃなくてアジアの文化を表現してくれることです。アジア人と一緒に仕事できてよかった。」

この映画は日本文化、特に芸者の日常生活に対する関心の増加をもたらした。芸者は日本の芸事を行うプロの芸人である。その職業は全く自発的なものである。本物の芸者は未だ日本の最も伝統的な地域の一つである、京都の祇園界隈で今日でも見られる。

しかし映画が日本を舞台にしながら、製作はカリフォルニアで行われた。
「ここロスの交通は東京と同じくらいひどいもんですよ。」渡辺は冗談を言う。しかしこの俳優はハリウッドで活動していて他に順応しなければならないものに直面する。「こちらの方が人は皆、より感情を表現しますね、おそらく日本の三倍以上。良い面でも悪い面でも。そういうときに”自分は今アメリカにいるんだなあ”と実感します。また言葉の違いに関係なく一緒に仕事する人はとてもプロ意識が高くて、お互いに尊敬しあっていますよ。」彼は語る。

渡辺は新潟の沿岸地域で少年時代を過ごし、そこで兄・純とスキーを楽しんだ。
彼の両親は共に教師で、母は小学校、父は書道の教師だった。音楽は渡辺の人生において重要な一部だったという。

「僕はトランペットを7年間習っていて、音楽高校に行きたかったんですが父が病気のため退職した時に、行けなくなりました。なので19歳の時、東京の演劇学校に行きました。子どもの時、伝統的な一人喜劇芝居である、落語が好きだったので、これに影響されたのでしょう。」彼は思い出を語る。

渡辺は最終的に、日本の演劇集団「円」に入り、1982年「未知なる反乱」でテレビデビューを果たした。それから、彼が日本のお茶の間で誰もが知る名前になるのは時間の問題だった。

その後、1989年渡辺は生命をおびやかす白血病だと診断された。それは衝撃的ショックだった。彼はその病気と闘うために仕事をあきらめなければならなかった。「病気になったことは僕の人生観を変えたかとよく聞かれます。例えて言うと、もし僕が舟なら、舟の大きさはそんなに変わっていません。しかし障害物に出くわしても、船底は今の方が強くなっているだろうし、何か問題があってもそう簡単には影響されないだろうと思っています。」彼は言うのだ。

その経験は他の面でもその俳優を変えたのだろう。彼は食生活にも注意し、一日たりとも無駄にすることなく人生のあらゆる機会を享受している。

「僕は人生を真面目に、そして誠実に生きたい。」渡辺は言う。彼は最近日本人女優・南果歩と結婚した(共に再婚)。「僕は真面目さと遊び心の良いバランス感覚を持とうとしてます。他に読書や、ゴルフ、犬の散歩が好きです。」

しかし渡辺が俳優という仕事を楽しんでいることは確かだ。「僕はフレキシブルで
世界のどこででも働ける俳優になりたいと思っています。」彼は言った。

きっと彼はその通りに実行することだろう。

(ちなみに更なる日本に関する情報として 芸者に会えるツアーや御茶屋で芸者さんを愛でながら会席料理を食せるプランを紹介するサイトが紹介されてる・・・しかも後者はホテルグランヴィア京都・・・爆)