ブログ新設

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2013/11/23(土) フィリピン台風被害救援ライブ (急遽決定)

2013-11-20 | 自分のライブ

★11/23(土) 「Pray For The Philippines」
フィリピン台風被害救援ライブ

札幌エルプラザ 3F 大ホール(札幌市北区北8西3)
開場 16:00 開演 17:00

チケット(募金一口:大人 2000円、学生 500円 ※中学生以下無料)

出演:
重松 忠男(bass)
須山 恭一(sax)
舘山 健二(drums)
山本 敏嗣(guitar)
豊口 健(piano)
神山 慶子(vocal)
大山 淳(drums)
大山 小夜子(keyboard)
きのうち のぶこ(bass)
粟谷 元尋(guitar)
石川 真衣(keyboard)
Louis(piano)
Luna(vocal)
Erykah(vocal)
佐々木 陽介(sax)
Esmie(vocal)

<お問合せ・連絡先:北海道ひびき法律事務所 011-218-0111(西)>

 

チケットお届けしますのでご連絡ください!
ken_toyoguchi@yahoo.co.jp

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ボイジャー1号

2013-09-14 | 自然
昨日の新聞のトップは「ボイジャー太陽系脱出」

太陽系外に飛び出した(実は1年前)人工物は、初めてだそう。

このNASAの探査機「ボイジャー1号」は何と自分が高校2年の時、1977年に打ち上げられた。
それから35年かかって、光の速さでも17時間かかるところまで行った(ちなみに地球から太陽まで、光速で8分かかる)。
がんばったな。

木星や土星の鮮明な写真を送ってくるたびに、ニュースに映像が流れたのを覚えています。
長い旅だ、のんびり飛んでるのかと思いきや、今は太陽から187億km離れたところを時速6万キロの速さで飛んでるんだって!秒速に直すと、、1秒間に16.6kmだ、速いっ


これからは太陽電池はもう使えないので、積まれているプルトニウムの崩壊熱でずっと旅を続けるそうだ。
こんなところに、原子力の利用がされていたんだ。
東京五輪の2020年まで地球にメッセージを送ってくるらしい。

ボイジャーには、地球外の知的生物に人類と地球を紹介するレコードが積んである。
55ヶ国のこんにちはとか、バッハの音楽とか、動物の声とか記録されてる。
誰かが聴くのかな。

でも、ボイジャー1号が次に恒星の近くを通るのは4万年後!なんだそうで、地球や人類がそのときあるのかどうかも、わからないね。
4万年なんてどんな時間なのか正直わからないが、なんとも壮大なストーリーだ。

たった35年で、17歳から53歳になったのも、かけがえのないストーリーではあるけど、
宇宙の砂粒にも満たないような自分、どんなものさしを使って生きていったらいいんだろうね。

 (ボイジャー1号からの写真)
  木星の大赤斑
  木星の衛星カリスト
  土星





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秋吉敏子ソロ

2012-06-11 | ライブ・コンサート感想
札幌のライブハウス「くう」で行われた、秋吉敏子さんのソロライブに行ってきました。
入替の2セット。その後半を聴きました。D.エリントンの曲を中心に演奏されました。
すばらしかった。
83歳にして、未だ前進をやめていないことが伝わってきます。

MCも演奏も、眈々として、そしてアメリカのジャズの歴史とともに生きた積年の重み、そしてそれらに裏打ちされた決してひけらかさない自信があらわれていました。
でもピアノを弾く世界的ジャズミュージシャンの秋吉さんは、自信満々にどうだ!と弾くというよりは、必死で今日の自分のベストな演奏を行う、という様子で、プロミュージシャンとしてのひたむきさ誠実さは、それだけで心打つものがありました。
もちろん、80歳を超えたとは思えない力強いタッチの音はすばらしかった。

とにかく飾り気がない、そこに感動しました。
そして神様のような秋吉さんも、ジャズピアニストとして垣間見せる悩み=向上心は、とても人間的で、自分のような一流ではないミュージシャンにも十分に共感と勇気を与えてくれるものでした。
エリントンを尊敬してるんだ、バドパウエルが好きなんだ、それらを聴いてきたからこそ今の自分がある、と真っ直ぐに語っているピアノは、ひとに生かされていることを自らわかっていることがどれだけ大切か、という人間の生き方も教えているようでした。

ペダルを極力使わないで、演奏することはピアニストにとっては難しいことです。
バラードでもノンペダルでバッピッシュにアドリブしていく秋吉さんの音は、パウエルの「ジニアス」のアルバムを彷彿とさせます。
「I Let The Song Go Out Of My Heart」や、クーティーウィリアムスに捧げたコンチェルト(別の題名で有名ですが)が印象に残りました。

「私(秋吉敏子)が、バドパウエルの曲をコンサートで演奏しないというのも何だかな、と思うので」と言って、最後に演奏した「テンパスフュジット」は圧巻でした。
日本のモダンジャズの黎明期、1953年に当時は果てしなく遠い海の向こうにあったであろうアメリカに単身渡り、心細かったであろう秋吉さんが残した、1950年代の何枚ものアルバムは、ほんとうに奇跡と言いたくなるような作品です。
(その時代のことは、岩波新書「ジャズと生きる」という本に感動的に書かれています)
その勇気の大きさは、ただただビバップを好きになったから、と言っているようです。

10代のとき、夜中に米軍キャンプの柵越えして本場のジャズ演奏を聴いたそうです。
「どうしても聴きたいから、柵を乗り越えた、それだけ」


演奏会終了後

 

「僕は、ハーフノートというライブハウスで毎日演奏してます」
「あー、どっちのハーフノート知ってるの?ハドソンリバーから引っ越したのよね」

渡米し、日本人のジャズミュージシャンであることを考えに考えて苦悩した、といわれる秋吉さん。
でも僕から見ると、もうアメリカ人のようだった。
チャーリーミンガスを友達のように話すんだ。





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インターネットのゴミと責任

2006-09-16 | 日記
以前、ある公共機関に行くのに、インターネットで住所調べて、急ぎの用だったのでタクシー飛ばして行った事がある。
そしたら、空き地に看板が立っていて「○○は■年前に▲▲に移転しています」!!

ネットの古い情報をうのみにした自分のミス、と言われればそれまでだが、公的な感じの信頼できそうなサイトだったので、疑う事もなかった。
タクシー代がくやしかったので「くらー!カネ返せー!世の中に情報を発信してるなら、ちゃんと管理しろ、責任もってやれ!古い情報は直すか削除しろー!タクシー代ならいいが、まちがいで大事件がおきたらどうするんだー!」
と電話しようと思ったが、作者の電話番号がわからないのでやめた。

インターネット上には、見捨てられたたくさんのゴミがある。
「正しいんだよ」という顔をして、残っている多くの情報。でもいったいいつアップされたものかわからない。

インターネットにはすばらしさがある。
インターネットは差別しがらみなく開かれた自由空間だから、気まま勝手でいいんだよ、という考えがある。
でもネットに情報を発信する責任は、必ずある。
サイトの責任者の権限は絶大であるのに、ネット上では責任をとろうとしないひとも多い。まだまだ実社会とのちがいがある。
まだ、匿名でなかったら、とことん責められる社会の信用問題の場合も多いと思うのだが。

ミクシーにも、管理する気はない、と言ってどんどんコミュニティーを立ち上げてるひとがいるが、それでいいんだろうか。
立ち上げることは素敵なことだし、うれしい人もたくさんいるだろうけど。 ゴミが増えていく。

インターネットのすばらしさには検索の機能がある。
が、検索でゴミを拾うことは世の中や良心的な人の無駄な労力をとても増やすことになる。

ゴミ箱は自分のを使うべしだ。
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裸足で歩く

2006-08-16 | 自然
キャンプを夏休みにしかやったことがないひとも多いと思うが、夜の寒いのはごめんだからかな。でもキャンプ通は混雑期を避けて、春や秋にキャンプするのだそうだ。
北海道でも、11月までやってるキャンプ場もある。
焚火もその季節にやると楽しそうだし、朝飲む熱いスープも美味そうだ。

キャンプ用品売り場へ行くと、そんなもん作らないでくれ、ってな便利なもんがあったりする。
携帯テレビもっていってどうする。
オートキャンプ場には、コンセント付と書いてるし。
ちょっと不便で苦労するのが楽しいのにな。
文明人というのか、特に都会人は、自分が自然に溶け込むようにいることが苦手になっている。

 

靴を脱いで川を渡る!
足の裏が痛くてまるでうまく歩けない、、はて、子供の頃はもっとラクだったような気がするが。
そのまま土や石の上を歩いてみると、痛くて走れない。
トシとともに自然から離れ、足の裏の皮が薄くなってしまったのか。

裸足で森の中を走る未開のひとを尊敬してしまう、弱っちい文明人にゃ不可能だ。
どっちがまっとうな地球人だろうか。
われわれはアスファルトでなく、土の上で生まれたんだ。

沼の水を飲む。枯れ木を集めて焚火で暖をとる。手づかみで魚を獲る。
どれもしていないなあ。
雨に当たるのをとてもいやがるひとや、冬に手がかじかむと何もできなくなるひとは多くなった。
ふだん家にはただの一匹たりとも虫の侵入をゆるさない、対ムシ戦闘体勢の人も(笑)。
防虫スプレーを使うひとは、一度使うと、それなしではいられないらしい。

そのうち人間は全員宇宙服を着てあるくようになるんでないか。
まさか、、窓の向うにトンボが飛んでいくなんて。。

ひとは自然に便利を持ち込む、それは最後はどうしてもゴミにしかならないものが多いな。
自然の中で使うなら、持ち帰らなければならない、トンボに悪いじゃん。

自然の中にいて、じゃまにならない自分でいたいもんだ。





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作曲(2)

2006-08-16 | 音楽
即興演奏も作曲だが、作曲には自分の経験してきたことや、吸収してきたものが出ると思う。
即興演奏が、知らない新しい自分を引き出してくれたり、自分を知らない世界にいざなってくれることはある。それをしてくれるのは、驚くなかれ自分自身なのだと思うとハッとする。

が、自分が神がかって世界中のどこでも全く聴いた事がないようなメロディがでてくることはない。だいたい自分の範疇だな、と思う音、が自分の中から出る。
自分じゃないみたいものは偶然出来上がることはあるし、聴いた事ない音楽は造ることはできるかもしれないが。ちゃんと勉強していれば「○○風」ってのもできる。

いろんな曲の作曲の仕方がいつも同じわけではない。
あっという間にできることがあるし、何ヶ月もかけてやっとできることもある。
一つの曲を作るのに時間がかかるときは、最初の動機を覚えている事や気分の持続がむずかしい。
たいてい途中で放り投げているが、あとからよみがえって作業を再開することもあり不思議だ。


作曲雑感


ステージ上で曲ができちゃうこともある、そして二度と演奏できなかったりしてくやしがるんだが。
演奏後にすぐ書きとめられたらラッキーだが、そんなことはとても少ない。


白状すると、ピアノの曲よりアコーディオンの曲ができやすかったり、ジャズよりボサノバのほうができやすかったりする。
そんなとき、自分はジャズピアニストではないのかなー、と考えたりもする。


最初、明るい曲にしたかったのに、作ってるうちに悲しい曲になっちゃった、ってのもよくある。


何の楽器を使って作曲するか、または何も使わないか、でも曲の行き先が変わったりする。


「あ、この曲○○に似てる」と言って消しゴムでごしごしやることも多い。
むかし、これはホントに名曲ができた!と思ったら1ヵ月後にジャズ喫茶で4小節くらい全く同じメロディの曲がかかった事がある。


曲作りに時間さいたって、ピアノうまくならんよ、とブツブツいうこともある。


曲作りやアレンジはけっこうノリがポイントかな。




作曲はけっこう疲れる、いつもノってないからかなー。
海苔に乗る?







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作曲(1)

2006-08-16 | 音楽
最近、夜中にちょくちょく作曲をする。
コンサートが近いと、その時間は増える。。

作曲について深く勉強したわけでないので、あまり語ることはできないと思うが、うかんだ曲を自分でどう演奏するかしたいかをわかるひとは、専門的な知識がなくても作曲できる。
五線譜をあまり使わないフォークシンガーだってオリジナルで勝負しているし、盲目のレイ・チャールズも。

そして作曲は編曲と切っても切り離せない。
ジャズやポピュラー音楽に関して言えば作曲の作業の多くは実際どう演奏するかの編曲の苦労だ。このメロディを二回繰り返すといい感じになるなんてアイデア。

もちろん元々なメロディは肝心だ。
いつも古くから歌い継がれてきたシンプルなメロディの名曲に会うと、作曲をむずかしく考えている自分に気づく。
かんたんな曲を作りたいものだ。作曲法の本も読んだが「とにかく作らなきゃわからんて!」ってもんだった。
名曲解析コンピュータにデータを全部入力して「この曲は名曲です」とは判定できない、実際演奏してみないとわからない。名曲には理由はあるが、名曲の正体を言い尽くした理論書はないだろう。

また、名曲にはその名演も必要だと思う。
いい曲でもアレンジが悪かったり、心無い演奏だと死んでしまう。
○○が歌ったから名曲として今残っている、って曲はある。
もし、ハンク・ジョーンズが自分の曲を演奏してくれたとしたら、相当いい曲になるかもだ(失礼いってます)。

作曲をすると自分のことがわかる。
自分の得意なフレーズとか、好きな和音などがわかる。
逆に悪いクセや弱点、自分に足りないことなどもよくわかる。
無意識に最近凝ってるアイデアがあったりして、自分の今好きなことが作曲にあらわれたりする。
タイムリーなそのアイデアを、どうしても使いたいもんだから、それが曲を完成するさまたげになることも多い。
そして自分の心の世界はせまいなあ、と思う。

 




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カローラ / 巨大化

2006-05-16 | 日記

今のカローラは、昔のクラウンよりはるかに大きいんだそうだ。
どんどん大きくなったクルマに乗っている人間の気持ち、はどう変わったのだろうか。

ちょっと大きい箱には、ちょっとたくさんモノが入る。
ちょっと大きいと、ちょっと便利だ。そうやってちょっと、ちょっと、、と、ついつい大きくなってしまうのかもしれない。

   

大きいものが増えすぎると、それらがせめぎあって結果、世の中せまくなる。
実際、都会の子供たちの遊び場はせまくなった。
大きいものはエネルギーをたくさん持っていることが多く、それが何かを傷つけるときは被害も大きい。
また、大きな街が生むいろんな狭さに、ひとは傷つけられてはいないのかな。

社会の経済も、家庭の予算すらもどんどん大きくなって、なんだかアップアップしてないか?
子供の頃、近所にあった小さな文房具屋や電気屋、金物屋も、どんどんなくなっていった。
小さい店を飲み込んでしまった巨大量販店。
でも、アッと驚くことには、それらすら自分の巨体を自ら持ちこたえられずに、消えていくとは。
世の中でさんざん暴れてから無責任に姿を消したりする、巨大化した会社たち。
コツコツと手工業の時代、分相応に大きくなく生きること、すぐそばにあるものを大事にすること、は決して忘れないほうがいい。

人間の心でコントロールできない大きいもの、は危い。
巨大なエネルギーを生む、原子力も。
でも危ない理由は、コントロールするスキルではなくて、心が自分が作ったモノから離れていってるからかもしれない。

際限なくは巨大化しないもの、を探してみよう。
アコーディオンの鍵盤数、花火大会の打ち上げ花火、ウィンドサーフィンの帆、生き物の体、、、
、、、
手を直接使って、気持ちをこめるものかな。





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