西洋音楽歳時記

旧称「A・Sカンタービレ」。07年には、1日1話を。その後は、敬愛する作曲家たちについて折に触れて書いていきます。

ベートーベン・ピアノ協奏曲第五番「皇帝」

2007-11-28 10:04:50 | 音楽一般
今日は、ベートーベンのピアノ協奏曲第五番「皇帝」が初演された日です(1811年、ライプツィヒ)。
ピアノ協奏曲第五番「皇帝」は、ベートーベン37歳から38歳にかけての作品で、第五・第六の二つの交響曲を書き上げた直後の気力漲る時期のものです。それはこの曲を聴けば誰でも頷けることでしょう。しかし、時代はフランス革命後の混乱期に頭角を現した野望に満ちたナポレオンがヨーロッパを席巻しようと言う時期に当たっていました。ウィーンも例外でなく、フランス軍の砲弾のなか、老ハイドンが亡くなりました(1809年5月31日)。ハイドンの葬儀には占領軍のフランス兵たちも参加したと言うことだ。荒廃したウィーン市に、フランス軍は占領後1千万グルデンの軍税を課した。ウィーンの物価高は収まらず、市民は極度の疲弊に喘いでいた。ベートーベンも「世の中の経過が肉体も精神をも揺さぶり立てた」と書いている。このピアノ協奏曲第五番に付けられたニックネーム「皇帝」は彼自身によるものではないが、その構想の雄大さ、華麗さ、気力溢れたエネルギーを感じさせるこの作品には相応しいものと言っていいだろう。管弦楽の全奏と共に始まるピアノの独奏は、作曲者の決然たる意志を表しているように思う。多くの人は、この雄大さに目を向け論じるが、私はこの曲のなんとも言えない穏やかで、耐え忍ぶかのような、思索的な第二楽章に心底惹かれます。まさにここには思想家というのが相応しいか哲学者という言葉が相応しいか(前者がより相応しいか)、そういったベートーベンが見られます。私は、「悲愴ソナタ」や「熱情ソナタ」の第二楽章にもその芽が出てきていて、それがより結実したのがこの部分ではないかと思います。そして、そのまま第3楽章になだれ込んで、さらに自分の意志を示し、力強く終結部を迎えます。私は常々、ベートーベンの真骨頂は後期の作品群にあると主張していますが、「皇帝」のような力漲る作品があってこそ、後期の作品の意義もより明確になるのではないかと思います。
勿論この名曲は多くの指揮者・ピアニストが録音していますが、私は、ここでも独奏ピアノの素晴らしさゆえ、ルドルフ・ケーレルの演奏を取り上げたいと思います。人類史上特記するに足るべき、暗黒国家ソ連を彩ったスターリン体制及びその後の崩壊までの多くの時間を共有しなければならなかったケーレルは、何と「15年間ピアノに触れることができなかった」と言っている。おそらくそのような状況下に置かれていたことがその演奏に現れていないはずはない。ケーレルの演奏は明るいのである、決して暗さに陥らない。そしてその明るさには、作品、作曲家に対する真摯な解釈があるのである。私は、このケーレルによるピアノ協奏曲第五番「皇帝」の演奏に多くのことを教わった。高校時代であった。ケーレルの録音はその後すべて集めた。LP10枚足らずであろうか。ラジオで録音したものもある。私は、ケーレルのようなピアニストの演奏を聴きたいものだが、残念だが今のところできないでいる。

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2 コメント

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ケーレル万歳 (ピサロフ)
2013-05-04 01:11:59
私もケーレルのピアノに心酔する人間の一人です。
同志をみつけられてうれしいです。なぜこれほどまでにすぐれたピアニストが日本で無名なのか、いつも不思議に思ってます。一生涯彼の作品を集めるつもりです。
勉強させて頂き感謝いたします (大石良雄)
2020-09-05 09:07:14
拝啓 サイトヘッド様には残暑の中よろしくお願いいたします。
*「ルドルフケーレルについて」
 正直自分にはほとんど未知の人でした。かなり以前海外マイナー専門のレコード&CDメーカーのカタログで知りえた程度で、今回手を尽くしてのリサーチで「何とか皇帝のほんの一部分のみ=コンドラシン指揮&モスクワPo」を聴けましたが、こんな短いサワリでは何も解りませんでした。
どうも当時からそれなり以上の年齢であり、レコーディングも旧ソ連時代の物らしく、情報が少なすぎて今別の手段でリサーチしております。せめてもう少し聴いてみないと解りませんので、また改めて勉強させて頂きます。唯気になるのは「これほどのピアニストが何故知られないのか?」なのですが、実は自分的にもこういった「指揮者やアーティストは何人もおられ」ます。やはり世に知られないという事は、何かしら原因がある訳で実力と人気知名度は必ずしも一致しないのが不思議な処です。自分が初めて皇帝を聴いたのが「1969年Mカッツの演奏」でしたが、バルビローリの熱狂的な指揮は特に印象が強いです。
しかしサイトヘッド様の言われる「第二楽章が好き」と言われるのはさすがに凄いなと。かつて中学生時代に面会した某指揮者さんより「べト9は第三楽章をどう響かせ聴かせるかだ」と。自分も10代の頃プロのピアノ弾きやPAエンジニアをしていた当時、「大音量でガンガンすっ飛ばす曲よりも、カンタービレでppを響かせる曲こそ一番難しい」と教わり、ようやくこの年齢でやっと理解できたと思います。ベートーヴェンの革新的な処は「オケの前奏が当たり前の当時、いきなりピアノソロから始まる第4番協奏曲」等が斬新で、かつて武満徹さんが「正直ベートーヴェンは本当に作曲が上手いが、皇帝よりも4番が好きで上手いなぁ」と。自分は5番皇帝が大好きですが、具体的にはメロディやオーケストレーションの雄大広大さと極めてオーソドックスな中で納まっている事=更に1音たりとも余分な音が無く、絶対に誤魔化しが利かないのですね。これが例えば「チャイコフスキーの1番」等と比較しますともどうもチャイコフスキーと言う方は大好きなのですが、、、「線香花火を江戸の大火にする」様な、、、何と言いますか「本当に些細な事を物凄く巨大にさせるテクニック」が感じられます。ご承知の通り「ある一つの和音=ドミナント等をある種転回和音の様にこねくり回して如何にもこ難しい様に見せる聴かせる 更に一つの和音でずーっと持続させながら単純な展開を如何にもそうでは無い様に見せかける」事に極めて長けていた。つまりあまりに一聴難しいので「1音程度音が抜けても誤魔化せる」と。
実際ヴァイオリン協奏曲等を聴きますと「ハイフェッツ等は1音2音と音がすっ飛んでいる」のが解りますが、ベートーヴェンの場合はそういう誤魔化しが一切効かないのですね。特に皇帝の場合そう感じます。
自分は代3楽章が好きですが、特にピアニストの御贔屓はおりません。自分的にはピアノは基本的に「女性が弾く方が良い」と感じますので。
今回は本当に勉強させて頂きまして有難うございました。 敬具

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