く~にゃん雑記帳

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<ぐるっと南紀⑥> 紀三井寺に国内最大の木造立像、見る者を圧倒する粉河寺本堂前の石庭

2015年07月17日 | 旅・想い出写真館

【興国寺の天狗堂、海亀の甲羅のような貴石が鎮座】

 能や歌舞伎、浄瑠璃の「安珍清姫物語」で有名な道成寺(日高川町)。蛇に化身した清姫が、鐘の中に身を隠した安珍を鐘もろともに焼き尽くす。石段を上って朱塗りの仁王門へ。能「道成寺」の乱拍子はこの石段62段を上る姿を表すという。安珍と釣鐘を葬ったという場所に「安珍塚」が立つ(写真㊧)。焼け落ちた鐘は数百年後再興されるが、清姫の怨霊によって再び落とされ、その鐘は京都・妙満寺の寺宝になったと伝えられる。「安珍塚」の近くには「鐘巻之跡」の石碑(㊨)があり、ここが初代の鐘楼があった場所といわれてきた。ただ最近、言い伝えは間違いで場所は全く違う所ともいわれる。

  

 興国寺(由良町)は鎌倉3代将軍源実朝の菩提を弔うため1227年に建立された。その後、真言宗から禅宗に宗旨替え、「関南第一禅林」として栄えた。わが国の径山寺(きんざんじ)味噌、醤油の発祥地として有名だが、虚無僧の普化(ふけ)尺八の本山としても知られる。今も8月15日の火祭りなどでは虚無僧による尺八が奏される。本堂で手を合わせた後、裏手の天狗堂へ。巨大な天狗様の左手前に「天狗命根石」という黒光りする石があった。まるで海亀の甲羅。由来書きによると「地球創成期の頃、地殻の噴出による火山岩でできた世界最大の大きさを誇る貴石」で、この石をなでながら天狗様にお願いすれば必ずかなうそうだ。

 

 長保寺(海南市)は長保2年(1000年)一条天皇の勅願により創建された。一条天皇といえば皇后2人のうち定子皇后のお付きの女官が清少納言、彰子皇后の女官が紫式部。本堂、大門(下の写真㊧)、多宝塔(㊨)は鎌倉~室町時代に再建されたものだが、いずれも国宝に指定されている。3つそろって国宝の寺は法隆寺とこの長保寺だけという。江戸時代には紀州徳川家の菩提寺となった。背後の山の斜面には歴代藩主の廟所が置かれ、国指定の史跡になっている。ただ5代藩主吉宗(後の8代将軍)と13代藩主慶福(後の14代将軍家茂)の廟所は江戸にあり、ここにはない。

 

 紀三井寺(和歌山市)は西国三十三所観音霊場の第2番札所。200段を超える長い石段は紀伊国屋文左衛門にちなんで「結縁坂」と呼ばれる。母を背負って観音様にお参りしていた文左衛門はここで宮司の娘かよと出会い、宮司の出資で始めたミカン船で財を成す。石段下の朱で縁取りした立て札には「登段最速記録は二一・九秒(元陸上100m日本記録保持者・青戸慎司選手)」と書かれていた。石段の途中には「見上ぐれば桜しもうて紀三井寺」という芭蕉の句碑。本堂正面にある仏殿では木造の立像としては国内最大という「大千手十一面観音像」が公開されていた。高さ12mの総漆金箔張り。現代日本を代表する京都の大仏師、松本明慶さんの作で8年前の2007年に紀三井寺へ納められた。

 

 紀三井寺に続く西国3番札所は紀ノ川北岸にある粉河寺(紀の川市)。西国札所の中で最大級の規模を誇る本堂の前面崖地を利用した石庭は桃山時代の築庭で、国指定の名勝。茶人としても知られる上田宗箇(1563~1650)の作庭といわれる。豊臣秀吉の家臣だった宗箇は関ケ原後、僧籍に入るが、後に還俗して紀州・浅野家に仕えた。用いた石は雑賀崎の青石(緑泥片岩)、竜門山の竜門石(蛇紋岩)など。これらの巨石をふんだんに使って作り上げた豪快な石組みの世界は見る者をただ圧倒する。

 

 


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