く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<京都地名研究会> 綱本・新会長講演「ハザードマップが警告する危ない地名」

2014年04月28日 | メモ

【真下・元立命館大学教授の演題は「万葉集『鷺坂』の歌」】

 京都地名研究会の講演会が27日、京都市の龍谷大学大宮学舎であり、新会長の綱本逸雄氏が「ハザードマップが警告する危ない地名―京都盆地の場合を検討する」の演題で講演した(写真㊧)。続いて立命館大学教授を3月に定年退職したばかりの真下(ましも)厚氏が「万葉集『鷺坂』の歌」と題し講演、鷺坂の地名の由来や所在地について話した(写真㊨)。長年、同会会長を務めてきた国内地名研究の第一人者、吉田金彦氏はこの日の総会で新設の名誉会長に就任した。

 

 綱本氏は「先祖が残してくれた地名の中には、その土地のクセを今でも的確に教えてくれる地名がたくさんある」と指摘し、京都市域をはじめ各地に残る〝災害地名〟を1つ1つ列挙した。西賀茂にある『蛙ケ池』の「蛙」の語源はカエル(返・反)で「覆る」を意味し、土砂崩れのある山谷を指すという。衣笠の『開キ町』の「開キ」は開墾地のことで、この地名は各地の川縁の氾濫原に多い。

 上賀茂の『大柳』の「柳」は各地の川岸に多い地名で、旁(つくり)の卯(ぼう)は留の原字。一時留め置くこと、つまり水が溢水することを意味する。同様に出町柳のそばの『上柳町』『下柳町』の柳地名も川が溢水する地を指す。柳の文字が入ると風情のある地名と思いがちだが、元々は災害地名の場合が多いというわけだ。『出町柳』については「地名と思っている人が多いが、元は出町と柳ノ辻という2つの旧地名を合わせた駅名」。

 深草の『藤森町』の由来は「藤の森」説と、藤はフシ(節)からの転訛で「小高い所」を意味するとして「台地の森」説がある。綱本氏は「地名は美辞麗句化されやすいが、これは自然地形語で藤は七瀬川の淵の小高い所の意であろう」と推測する。山科の『百々(どど)』は①トドメクの語幹で水音の轟く所②トドマル(留)で、水が溜まる湿地――などの解釈があるが、綱本氏は付近に湿地があることなどから後者を支持している。

 宇治市の『ウトロ』は江戸~明治時代には「うど口(くち)」や「宇土口」と表記された。ウドはウツ(空)が転訛したもの、口はクチル(腐・朽)から湿地のことで、「うど口」は水溜まり地を指すという。「宇土口」が「ウトロ」になったのは居住させられた在日韓国・朝鮮人がカタカナ読みで呼んだことによる。北海道にも知床に同じ「ウトロ」があるが、「こちらはアイヌ語で〝岩と岩の間の通路〟を意味し、両地名には関係がない」。

   ☆    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆ 

 続いて登壇した真下氏はまず万葉集の中で「鷺坂」が登場する3首の歌を紹介した。「白鳥の鷺坂山の松陰に宿りて行かな夜も更け行くを」「栲領巾(たくひれ)の鷺坂山の白つつじ我ににほはね妹に示さむ」「山背の久世の鷺坂神代より春は萌(は)りつつ秋は散りけり」

 その「鷺坂」という地名の由来には①さきさか(向坂)②日本武尊伝承由来③鷺の棲む坂――など諸説あるが、そのうち②の日本武尊由来説が通説になっている。所在地については城陽市の長池北方説と久世神社周辺説があり、現在の通説は後者。だが、真下氏は奈良時代の道路の遺構などから、「鷺坂はサギが餌場とした長池の上にあったのではないか」として前者の長池北方説を支持している。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« <奈良・猿沢池> ギョ!、... | トップ | <ライラック> フランス語... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿