く~にゃん雑記帳

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<沖縄点景③> 往時の栄華を今に伝える雄大な今帰仁城跡

2016年10月27日 | 旅・想い出写真館

【沖縄古謡にも歌われた美しく波打つ〝百曲がり〟の城壁】

 沖縄本島北西部の本部半島の高台に位置する「今帰仁城跡」。沖縄の北部、中部、南部地域を北山(山北とも)王、中山王、南山(山南とも)王がそれぞれ支配した14~15世紀の〝三山鼎立時代〟、北山王はこの今帰仁城を拠点とした。2000年、世界遺産として登録された「琉球王国のグスク(城)及び関連遺産群」のひとつである。

 三山時代は1322年頃から1429年までの約100年間。14世紀の中国の史書『明実録』には琉球国の北山王として帕尼芝(はにじ)、珉(みん)、攀安知(はんあんち)の3代の国王が登場し、明の皇帝に使者を度々送って朝貢を行ったと記す。だが北山は1416年(1422年説も)、中山によって滅ぼされる。中山は北部地域管理のために監守を置き、今帰仁城を監守の居城として使った。その城も1609年の薩摩軍による琉球侵攻の際に炎上してしまったといわれている。

 

 城跡は外郭を含め7つの郭(区画)から成る連郭式の配置。外郭は高さ2mほどの石垣が数百メートル蛇行して伸びる(上の写真㊨)。その波打つ曲線の美しいこと。地形を巧みに生かして、最も高い場所に位置する主郭(本丸)を中心に全体がこうした曲線の石垣で囲まれる。沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』でも「ももまかり、つみ、あけて」と百曲がりの石積みの美しさを称えた歌が紹介されているという。外郭から「平郎門」をくぐりまっすぐ進むと「大庭(ウーミャ)」。様々な行事に利用される重要な広場だった。「大庭」の先が「主郭(俗称本丸)」だ。

 

 「大庭」の左側に広がるのは女官の生活の場といわれる「御内原(ウーチバル)」。その一角に神聖な拝所「城内上の御嶽(ウタキ)」(上の写真㊨)があった。眼下は兵馬の訓練場所だった「大隅(ウーシミ)」。ここからは大量の馬の骨が出土したという。「御内原」からの眺望も青い海を一望でき最高だった。「主郭」の高い石垣上から望むのは「志慶真門郭(シゲマジョウカク)」(最上段の写真)。城主に仕えた人たちが住んでいたとみられ、4つの掘っ立て柱の建物跡が見つかっている。北山が滅びて約600年。長大な石垣が堂々と今なおほぼ原形をとどめていることに感動を覚えた。

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