マイアミ留学日記 & みちのく勤務医日記

2007年6月から2年間マイアミで過ごした後,家族5人で東北へやって来ました.

恩を仇でかえす日本人

2012-03-29 17:49:57 | 医療改革
先日、田舎の小さな病院で起きた医療訴訟の判決がでた。

60代の男性がオートバイで走行中に車と正面衝突し、近くのA病院に搬送された。
骨盤骨折を起こしており、すぐに隣県の大病院に転送されたが、まもなく亡くなった。遺族は初期対応をした医師がもっと適切な処置をしていれば助かったはずだと考え、医師と病院を相手に一億4千万円を超える損害賠償を求めた。
高等裁判所は原告の訴状を認めたというものである。

A病院は県内の僻地にあり、その地域で唯一の総合病院である。
総合病院とはいえ、たった60床、常勤医は3名(内科2名、外科1名)しかいない。
耳鼻科、脳外科、皮膚科などはすべて非常勤医師でかろうじて成り立っている。
おそらく彼らは当院のように、自分の専門外の診療を強いられているだろう。ただでさえ東北は深刻な医師不足にあるというのに、このご時世に僻地医療に従事している医師は極めて貴重な存在であり、私は畏敬の念すら覚える。このような良心の固まりのような医師に、都会の大病院の”外傷専門医”と同じレベルの技術を要求するというのはあまりにも酷ではないか。
市立病院なのでこの賠償金により小さな市の財政はさらに窮地に落とされ、市民の生活が窮迫することが予想される。


遺族の悲しみは察するが、そもそも正面衝突した本人や対向車の責任は問われないのだろうか?
初期対応をした医師がすべて悪いのだろうか? 
定年間近の成人の余命を考えた場合、一億4千万円という賠償は妥当な額なのだろうか。
車と正面衝突したバイク事故は一般にかなり厳しいが、外傷専門医が初期に診れば本当に救命し得た事例だったのだろうか。
そもそも救命し得たか、し得なかったかを正確に予測できるほど、現代医学は進歩しているのか?
救命し得たと判断できる決定的科学的根拠はあるのか?

しかし明日は我が身でもある。
神経内科医である自分も、明日の当直では非典型的な心筋梗塞を見逃すかもしれない。
ここに来てから毎日こうしたリスクに怯える日々であり、実際個人的にもあやうく訴訟を起こされそうになったことも、この2年半で2例あった。

地域の救急医療を無理に支えようとするあまり、結果が悪ければ訴訟に負けるのが今の日本の現状である。
現場の医師の中には、こう葛藤する者も少なくないはずだ。

「地域のためにとどまるのか?あるいは保身を優先するか?」

自分と家族を守りたければ、なるべく都会の、しかも自分の専門だけ診療すればいい病院で働くのがベストな選択である。
そういう意味では大学病院が最も安全かもしれない。
病棟業務なし、救急医療なし、専門外診療なし、好きな分野だけ診療し、論文も書かなくていいし、アルバイトもOKとなれば、たしかに大学に引きもる医師が増えるのも無理はない。
地方のことなどほっとけばいい。
さらに今後もこうした判例が増えれば、地域の医師不足、地域医療の崩壊が加速することは避けられないだろう。

医者が勉強して知っている医療は、国民が考える医療レベルにはほど遠い。
日本人はいつから”修羅”になったのだろうか。
コメント (1) | 

You raise me up

2012-03-25 19:24:30 | 勤務医の日常
昨日、当院で2年間の初期研修を終えた8人の研修医たちが旅立って行った。

思えば2年前、右も左も分からない研修医たちだったが、たった2年間で見違えるほど逞しく成長したことに驚きを禁じ得ない。彼らとは院内で話をしなかったことは1日たりともなかった。
一つ屋根の下で、私は常に彼らと一緒にいた気がする。
彼らとは病棟や救急外来でともに汗を流し、ともに悩み、そしてともに遊んだ。
ときに彼らを叱咤したこともあったし、逆に彼らに助けられたこともあった。

学会やレジデントフォーラムでの仕事が終われば、部屋で酒を飲みながら語り合った。
生死をさまよう救急患者の前で、我々は必死に戦った。
ゆえに彼らは私の戦友そのものである。

送別会の席では涙を流す研修医もいた。
そして誰もがこう言ってくれた。

「この病院で研修して本当によかった。全く後悔はない。そしてここで神経内科を研修して本当に良かった。」

研修医たちはこれから専門医になるために新たな道を進んでいく。
精神科医を目指すもの、脳外科医を目指す者、泌尿器科医を目指すもの、内分泌代謝科を目指すもの、脳卒中医を目指すもの。
これから進む未知の世界に不安を抱きながらも、彼らの目は輝いている。
これこそ”若者の目”なのだ。

リスクが高かろうが、給与が低かろうが、休みが少なかろうが、彼らにとってそんな問題はどうでもいい。
彼らにとって最大の目標は「一人前の医者になりたい。そして、いつか後輩に尊敬される医師になりたい」というその一点だけなのである。彼らの中にはそれぞれ間違いなく明確なロールモデルが存在する。
彼らの輝く目はそうしたロールモデルを目指す目なのかもしれない。
そして、そうしたロールモデルを示すことこそ、我々指導医の最大の責務であろうと今更ながら私は痛感する。

今日は救急外来の日直だった。
いつもの救急外来のはずが、今日はいつもと違った。

「あいつらが居ない」

あれほど活躍した2年目の研修医の姿がなかったことに、何とも言えない寂しさと違和感を感じた。
控え室のソファーに座り、昨日の研修医の最後の言葉を思い出しながら、思いにふけっていると若い声が聞こえてきた。

「先生、相談していいですか。29歳の女性で腹痛です・・・」

目の前には1年目の研修医の姿があった。
これからは、彼らがこの病院の主役である。
私はまた1年間、彼らと戦場で戦っていく。

”総合力のある専門医”

これは地域医療推進講座の教授が提唱する、新しい時代の医師像である。
未曾有の超高齢化社会を迎える日本は、もはや従来の専門医制度では立ちゆかなくなっている。
これからは我々とは異なる、新しいタイプの医師が求められてくるだろう。

そして当院で逞しく成長した研修医たちは、間違いなくその素養を身につけている。
10年後、20年後、彼らはどういう医者になっているだろうか。
成長する若者を見ることは、燃え尽きる寸前の私自身のエネルギーであり、そして希望である。
コメント (0) | 

超専門医の弊害

2012-03-10 17:46:51 | 医療改革
今、医療現場で問題となっているのは、「専門医の弊害」である。
救急医療や外来の現場では「どこの科に振り分けたらいいのか分からない」患者が急増している。
たとえば「脱水症」や「栄養失調」そして「誤嚥性肺炎」などが代表的だが、なかには急性期に簡単に診断がつかない症例も少なくない。「何となく元気がない」「今朝から立てなくなった」「なんとなく食欲がない」「不明熱」「足の浮腫」など。
高齢者であれば、複数の原因が複雑に絡んでいることも珍しくない。
こうした単一臓器で説明できない症例は、専門医から

「うちではない!」
「こんなんで夜中に呼び出すな!」
と一蹴され、しばしば困惑する研修医も多いはずだ。
さらにこうした症例をめぐって、同じ内科系の間でしばしばケンカにすらなる。

一方で、逆に稀な単一臓器疾患が来ると、専門医は目の色を変えて「これはおもしろい」とハイエナのごとく群がる。
「おいしいとこ取り」しかしない最低の専門医の姿だ。

幸い当院ではこういう医者はいないが、例えば不整脈しか診ない循環器医、内視鏡しかしない消化器内科医、変性疾患しか診ない神経内科医など、こうした極端に守備範囲が狭い医者ほど現場でトラブルを起こす。
ようするに現場で「使えない」医者なのである。。

そこで最近では「総合内科医」「家庭医」「救急医」などの単一臓器に偏らない医師の育成が求められており、この県でも最近、市中病院の連携により、ようやく「総合医養成プログラム」が始まったばかりだ。

皮肉なのは、現場でこれほどニーズのある「総合内科」「救急医」に対して、多くの大学病院や教授たちは非常に冷ややかな態度を示している点だ。なかには大学内でさえも「救急医療講座」の教授をつぶそうとする悪質な教授陣もあると聞く。総合内科や救急医療というのは、昔から大学と非常に相性がわるい。

しかし考えてみれば当然でもある。
教授の多くはそもそも「地域医療」や「救急医療」の経験など皆無に等しいゆえ、その実態も必要性も分かっていない。おまけにプライドだけは高いため、何の断りもなく救急患者を入院させただけで腹を立てる人もいる。(科長の許可を待っていたら救急医療などできるはすがないのだが)。さらにcommon diseaseであれば「これは大学で診る病気ではない」と、”えり好み”、”おいしいとこ取り”全開の医者もいる。
そして多くの指導医がそうであるが、現在の専門医は「総合的な臨床能力」「救急医療」に対する系統的なトレーニングを受けていないため、指導もできないし、その必要性すら実感できないことも多いのではないか。

さらに皮肉なのは大学では以前にもまして「専門分化」の流れに拍車がかかっているように思える点だ。
変性疾患しない診ない神経内科医どころか、パーキンソン病しか診ない、神経免疫疾患しか診ない、脳血管障害しか診ない、などなど、専門外来や専門グループが形成されてきている。こうした専門外来は臨床研究に有益であることは理解できるが、私には一抹の不安をぬぐえない。

「そのような環境で育成された医者は地域医療の現場で本当に使えるのか?」

こうした大学の方向性に大いに疑問を感じたことも、私が大学を出た理由のひとつだ。
現場で求められているのは神経内科一般どころか、一般内科と救急医療である。
地方に行けば行くほど、社会が高齢化すればするほど、この傾向は強まるばかりだ。
都会と言えども高齢化の波は止められないため、いずれ地方と同じ状況になる可能性がある。
実際、この県の高齢化率(65歳以上が閉める割合)は全国でトップ(30%程度)だが、2025年には日本全体の高齢化率がちょうど30%を超える試算が、高齢社会白書に出ている。

地域のニーズに逆らうように専門分化が加速する状況をみるにつけ、いまや大学こそ「地域医療と救急医療の最大の足かせ」となってはいないだろうか。大学のプログラムで養成される医者は結局、「大学にとって最も都合のいい医者」を想定されており、必ずしも地域にとって必要な人材を想定していない。

地域医療はもはや大学に任せては再生しないと多くの医師が感じている。
我々が今考えているのは、大学に頼らずに「本当に現場で求められている医者を市中病院で養成」することである。
コメント (0) |