マイアミ留学日記 & みちのく勤務医日記

2007年6月から2年間マイアミで過ごした後,家族5人で東北へやって来ました.

You raise me up

2012-03-25 19:24:30 | 勤務医の日常
昨日、当院で2年間の初期研修を終えた8人の研修医たちが旅立って行った。

思えば2年前、右も左も分からない研修医たちだったが、たった2年間で見違えるほど逞しく成長したことに驚きを禁じ得ない。彼らとは院内で話をしなかったことは1日たりともなかった。
一つ屋根の下で、私は常に彼らと一緒にいた気がする。
彼らとは病棟や救急外来でともに汗を流し、ともに悩み、そしてともに遊んだ。
ときに彼らを叱咤したこともあったし、逆に彼らに助けられたこともあった。

学会やレジデントフォーラムでの仕事が終われば、部屋で酒を飲みながら語り合った。
生死をさまよう救急患者の前で、我々は必死に戦った。
ゆえに彼らは私の戦友そのものである。

送別会の席では涙を流す研修医もいた。
そして誰もがこう言ってくれた。

「この病院で研修して本当によかった。全く後悔はない。そしてここで神経内科を研修して本当に良かった。」

研修医たちはこれから専門医になるために新たな道を進んでいく。
精神科医を目指すもの、脳外科医を目指す者、泌尿器科医を目指すもの、内分泌代謝科を目指すもの、脳卒中医を目指すもの。
これから進む未知の世界に不安を抱きながらも、彼らの目は輝いている。
これこそ”若者の目”なのだ。

リスクが高かろうが、給与が低かろうが、休みが少なかろうが、彼らにとってそんな問題はどうでもいい。
彼らにとって最大の目標は「一人前の医者になりたい。そして、いつか後輩に尊敬される医師になりたい」というその一点だけなのである。彼らの中にはそれぞれ間違いなく明確なロールモデルが存在する。
彼らの輝く目はそうしたロールモデルを目指す目なのかもしれない。
そして、そうしたロールモデルを示すことこそ、我々指導医の最大の責務であろうと今更ながら私は痛感する。

今日は救急外来の日直だった。
いつもの救急外来のはずが、今日はいつもと違った。

「あいつらが居ない」

あれほど活躍した2年目の研修医の姿がなかったことに、何とも言えない寂しさと違和感を感じた。
控え室のソファーに座り、昨日の研修医の最後の言葉を思い出しながら、思いにふけっていると若い声が聞こえてきた。

「先生、相談していいですか。29歳の女性で腹痛です・・・」

目の前には1年目の研修医の姿があった。
これからは、彼らがこの病院の主役である。
私はまた1年間、彼らと戦場で戦っていく。

”総合力のある専門医”

これは地域医療推進講座の教授が提唱する、新しい時代の医師像である。
未曾有の超高齢化社会を迎える日本は、もはや従来の専門医制度では立ちゆかなくなっている。
これからは我々とは異なる、新しいタイプの医師が求められてくるだろう。

そして当院で逞しく成長した研修医たちは、間違いなくその素養を身につけている。
10年後、20年後、彼らはどういう医者になっているだろうか。
成長する若者を見ることは、燃え尽きる寸前の私自身のエネルギーであり、そして希望である。
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超専門医の弊害

2012-03-10 17:46:51 | 医療改革
今、医療現場で問題となっているのは、「専門医の弊害」である。
救急医療や外来の現場では「どこの科に振り分けたらいいのか分からない」患者が急増している。
たとえば「脱水症」や「栄養失調」そして「誤嚥性肺炎」などが代表的だが、なかには急性期に簡単に診断がつかない症例も少なくない。「何となく元気がない」「今朝から立てなくなった」「なんとなく食欲がない」「不明熱」「足の浮腫」など。
高齢者であれば、複数の原因が複雑に絡んでいることも珍しくない。
こうした単一臓器で説明できない症例は、専門医から

「うちではない!」
「こんなんで夜中に呼び出すな!」
と一蹴され、しばしば困惑する研修医も多いはずだ。
さらにこうした症例をめぐって、同じ内科系の間でしばしばケンカにすらなる。

一方で、逆に稀な単一臓器疾患が来ると、専門医は目の色を変えて「これはおもしろい」とハイエナのごとく群がる。
「おいしいとこ取り」しかしない最低の専門医の姿だ。

幸い当院ではこういう医者はいないが、例えば不整脈しか診ない循環器医、内視鏡しかしない消化器内科医、変性疾患しか診ない神経内科医など、こうした極端に守備範囲が狭い医者ほど現場でトラブルを起こす。
ようするに現場で「使えない」医者なのである。。

そこで最近では「総合内科医」「家庭医」「救急医」などの単一臓器に偏らない医師の育成が求められており、この県でも最近、市中病院の連携により、ようやく「総合医養成プログラム」が始まったばかりだ。

皮肉なのは、現場でこれほどニーズのある「総合内科」「救急医」に対して、多くの大学病院や教授たちは非常に冷ややかな態度を示している点だ。なかには大学内でさえも「救急医療講座」の教授をつぶそうとする悪質な教授陣もあると聞く。総合内科や救急医療というのは、昔から大学と非常に相性がわるい。

しかし考えてみれば当然でもある。
教授の多くはそもそも「地域医療」や「救急医療」の経験など皆無に等しいゆえ、その実態も必要性も分かっていない。おまけにプライドだけは高いため、何の断りもなく救急患者を入院させただけで腹を立てる人もいる。(科長の許可を待っていたら救急医療などできるはすがないのだが)。さらにcommon diseaseであれば「これは大学で診る病気ではない」と、”えり好み”、”おいしいとこ取り”全開の医者もいる。
そして多くの指導医がそうであるが、現在の専門医は「総合的な臨床能力」「救急医療」に対する系統的なトレーニングを受けていないため、指導もできないし、その必要性すら実感できないことも多いのではないか。

さらに皮肉なのは大学では以前にもまして「専門分化」の流れに拍車がかかっているように思える点だ。
変性疾患しない診ない神経内科医どころか、パーキンソン病しか診ない、神経免疫疾患しか診ない、脳血管障害しか診ない、などなど、専門外来や専門グループが形成されてきている。こうした専門外来は臨床研究に有益であることは理解できるが、私には一抹の不安をぬぐえない。

「そのような環境で育成された医者は地域医療の現場で本当に使えるのか?」

こうした大学の方向性に大いに疑問を感じたことも、私が大学を出た理由のひとつだ。
現場で求められているのは神経内科一般どころか、一般内科と救急医療である。
地方に行けば行くほど、社会が高齢化すればするほど、この傾向は強まるばかりだ。
都会と言えども高齢化の波は止められないため、いずれ地方と同じ状況になる可能性がある。
実際、この県の高齢化率(65歳以上が閉める割合)は全国でトップ(30%程度)だが、2025年には日本全体の高齢化率がちょうど30%を超える試算が、高齢社会白書に出ている。

地域のニーズに逆らうように専門分化が加速する状況をみるにつけ、いまや大学こそ「地域医療と救急医療の最大の足かせ」となってはいないだろうか。大学のプログラムで養成される医者は結局、「大学にとって最も都合のいい医者」を想定されており、必ずしも地域にとって必要な人材を想定していない。

地域医療はもはや大学に任せては再生しないと多くの医師が感じている。
我々が今考えているのは、大学に頼らずに「本当に現場で求められている医者を市中病院で養成」することである。
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小坊主の涙

2012-01-15 20:58:57 | 禅のはなし
今日の最高気温は-2度で一段と冷え込みが厳しい。街はパウダースノーで見事に化粧され、路面はカチカチに凍結している。
ブリザードのせいで視界もたびたび遮られ、空港までの運転も一苦労である。
そんな中、東京出張のため私は飛行機に乗った。
昨晩は午後11時に救急外来に呼び出しをうけ0時まで仕事をしたせいか、離陸後間もなく私は強い睡魔に襲われ、しばらく夢路に入った。


気づけば私は遠い遠い昔、昭和55年頃、まだ小学4−5年のころにタイムスリップしていた。
ちょうど今日のようなブリザードがふきすさぶ中、私は同じ村の小学生と5−6人で列を組み、学校まで約1kmある通学路をトボトボと歩いていた。そう私は幼少の頃、東北の人口2万程度の小さな町のある集落で暮らしていた。
農業が主産業であるその村のはずれに小さな禅寺があり、そこで私は高校まで過ごした。

通学路はたった一本で周りには建物らしきものが全くない。本当に田んぼだけであった。
冬になるとそこも一面の銀世界になるが、日本で屈指の強烈な横風を受けるため、豪快に押しつけるブリザードの威力は小学低学年の児童の歩みを完全に止めるほどであった。ゆえに学校までは同じ村同士の小学生が連隊を組み、高学年が先頭と一番後ろに立ち、その間に低学年の児童をはさみ、みんな自分の足下だけを見ながら、黙々と雪道を進んでいくしかなかった。その光景はあたかも、ちょうど八甲田山で遭難した兵隊を彷彿させるものがあった。

当時一番小さかった小学1年になったばかりの男の子Kがいた。
Kは他の小学1年生と比べても一段と小柄で、ランドセルや服装も明らかに「おさがり」と分かるような、いつも古い服を着ていた。しかし、とてもかいわいらい顔をして愛嬌たっぷりだったため、同じ村の誰からもかわいがられていた。まるで「子犬」のようなかわいらしさであった。

夏のお盆になると「棚行(たなぎょう)」といい、私は村の檀家を訪問しながら、仏壇の前でお経を読む修行をしなければならなかった。
実はKの実家も我が寺院の檀家だったため、恥ずかしさをかみしめながら小学5年の私は衣をまとい、Kの家にお邪魔した。
幸いその時間にはKはいなかった。

Kの自宅に来た瞬間、私はあまりに質素なたたずまいに大きなショックをうけてしまった。
家の壁はトタンでできており、今にも崩れ落ちそうであった。
たった4畳半しかない居間の畳は段差ができるほどへこんでおり、家具のすべてが黒ずんでいた。
しかし誠に簡素ながらも、ささやかな手作りの仏壇があり、私はその前に座った。
私は大学6年まで17年間、棚行を勤めたが、後にも先にもあれほど「質素」な仏壇を見たことはなかった。
読経が終わると、挨拶をしてくれたのはKの両親ではなく、年老いた夫婦(Kの祖父母)であった。
噂で聞いてはいたが、不幸にもKには両親がいなかったのである。(蒸発したかどうかは分からない)
さらに中学生の兄はその当時「少年院」で服役中であった。
つまり当時Kは祖父母に育てられていたのである。

読経後、私はお布施をいただいた。
当時、お布施の相場は1000円程度だったが、封筒に入っていたのは青い500円札であった。
このことが何を意味するのか、鈍い私でさえ直感することができた。
お経の意味も修行の意味も分からない小学5年のガキのお経に、とても500円の価値があるとは到底思えなかった私はお布施をいただくことにとても抵抗を覚えた。

夕方にひととおりの勤めを終え、自宅の寺院に帰った私は自分の部屋でひとり呆然としていた。
気づけば涙がボロボロと流れていた。
当時の未熟な私には「なぜ自分が泣いているか]さえ分からなかった。

今にしてみれば、「あまりに貧困で、あまりに残酷なKの境遇にショックを受けたこと、にもかかわらず、当人はそれを全くに苦にせず、純粋無垢な表情でいつも我々に愛嬌をふりまく姿」に涙してしまったのかもしれない。何よりも私は生まれて初めて「貧困」と「格差」という現実を目の当たりにしたのだ。

ふたたび猛烈なブリザードの中でにっこり笑うKの姿が出てきた。
目が覚めると、もう飛行機は東京間近であった。


気づけば自分は、ある祝賀会の席で、これまで仕事でお世話になった大勢の医師や研究者の中にいた。
この会場にいる多くの人は日本社会では「エリート」と称される人ばかりである。
そんな中に自分が存在していること自体、ある意味奇跡に近い。
人類と日本の福祉のためエリートはエリートとしての責任と使命を負って突き進まなければならない。
決して下を見ることなく、常に上を向いて上昇していかなければならない。
一方で「下」を向く医者も必要である。
「格差」と「貧困」と「医療の理不尽さ」を前に苦しむ医者も欠いてはならない存在である。

私は帰りの飛行機の中でひそかに願った。
Kがどうか幸せな人生を歩んでいることを。




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真冬の救急(その3)

2012-01-08 17:29:18 | 勤務医の日常
世間は3連休だが、当然勤務医には休みはない。
昨日は当番のため病棟回診。今日は救命救急センターの日勤である。

記録をみると昨日の受診者は50名弱。大晦日、元旦の受診者はゆうに1日に100名を超えていたので、それに比べればかなり少ないほうである。休みになると市内の医療機関はのきなみ機能がストップし、そのしわ寄せが救急センターに来るため、当番に当てられた医師はたまったものではない。しかし救急センターには患者が容赦なく殺到する。

午前0時以降は1時間おきに受診者がいるが、感冒(発熱)で午前2時に受診する男性、下痢だけで午前3時に受診する女性など、結果をみると腰がぬけてしまうくらいがっかりする患者もいる。いずれも若い20代である。わざわざこんな大雪警報で出ている、しかも休日の深夜に受診しなくてもいのではと思うのだが。

当番医は少なくとも16時間以上の連続勤務の後につかの間の仮眠をとり、その最中にたたき起こされ、翌日には通常勤務をこなす現実を一般市民はどれだけ理解しているのだろうか?
少子化の影響で若者は大事に大事に育てられ、熱や下痢にも耐えられない体になってはしないか? 昔は「しょうが湯飲んで、一晩寝て汗かけば熱なんて下がる!さっさと寝ろ!」と逆に親にしかられることもあったくらいだが。

午前8時半スタート。早速救急隊からコール。
「90代女性が今朝から呼吸状態わるくSat 90%以下です!」 →誤嚥性肺炎で呼吸器科に入院となった。

すかさず救急隊から。
「70代女性。今朝トイレで意識失い倒れました!」→いろいろ検査した結果、血管迷走神経反射による失神のため帰宅。

またまた救急隊から。
「80代男性が午前10時に急にうなり声をあげてます。左共同偏視あります!」→けっこう重症の脳梗塞を認め神経内科入院。

さらに救急隊から。
「70代男性。午後1時45分ころ突然反応がなくなり、右に倒れたようです!」→病着時には症状は消失しており、TIAであった。→神経内科入院。

もういっちょ救急隊から。
「神経内科にかかっている患者さんです。熱が下がりません!」→パーキンソン病の患者さんだが、肺炎のため神経内科入院。

んー、まだまだ。最後の閉めに救急隊から。
「70代女性が今朝から反応がにぶいそうです!」→脳梗塞のため神経内科入院。


気づけばもう午後4時になっていた。
ほとんど救急車で搬送されてくる患者の対応に追われた1日であった。
この2日間で神経内科には6人の入院があった。院内ではダントツの多さである。
正直疲れた。
そろそろ病院辞めようかな。
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教授の収賄事件(その2)

2012-01-06 17:24:40 | 医療改革
新年早々、性懲りもなくまた教授の収賄事件である。

”和歌山県立医科大学(和歌山市紀三井寺)の血液浄化センター長を務めた元教授(64)が、在任中に二つの病院から現金290万円を受け取ったと一部で報じられたことを受け、医大は5日、外部の有識者や学内の医師ら計6人でつくる調査委員会の設置を決めた。 元教授は1999年4月〜05年8月、医大の血液浄化センター長を務め、現在は都内の私立大学教授。医大の広報担当者は「現金の趣旨も含めて調査委で明らかにしたい」と話した。”

きっと氷山の一角であろう。
多くは内部で知っている人間がいても、教授の報復を恐れるあまり大抵は表に出てこない可能性がある。
今回は良識ある内部告発者がいたのだろうか。

何度も何度も訴えているが、いいかげんに人事権を教授から剥奪してもいい時代ではなかろうか。
地域の病院での臨床経験が浅く、痛みの分からない教授になぜ人事権が付与されているのか、私は理解に苦しむ。
甘やかせば甘やかすほど彼らはつけあがるだけである。

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真冬の救急(その2)

2011-12-24 01:21:40 | 勤務医の日常
今は24日午前1時30分。ようやく仕事が終わって一息ついたところだ。
連休は寒波が襲うという予報通り、東北はすっかり冷え込んで路面はカチカチに凍結している。

23日は当番のため午前中は30人の患者の病棟回診。
年末には患者さんが退院することが多いため、かなり入院患者は減ったが、連休に救急外来に殺到するのが常識である急性期病院ではもっとベッドを空けておかないといけない。

早速、回診中に救急外来からコールがあった。
「先生の外来に通院しているアルコール性肝硬変の方が来てます。足がむくんで歩けないそうです!」

もともとはアルコール性ニューロパチーで神経内科に通院していたのだが、そもそもアルコール依存症で肝硬変もある患者さんである。これまで当科には10回の入院歴がある常連だ。肝硬変は消化器科が診るべき疾患だが、消化器科の医師に相談しても、アルコール依存症だと分かるとまともに取り合ってくれないのである。適当なアドバイスはもらえるが、結局、腹水のコントロールと食事指導を私がやっているはめになっている。

診るとお腹がパンパンに張っており、足の浮腫もひどい。
年末に懲りずに酒を飲んだようで、アルコール臭もする。
さすがにここまで来ると「神経内科」が責任を負う状態ではないと思い、
「当科では手に負えません。消化器科の医者を呼んでください」とつっぱねた。

午後4時。病院で仮眠をとっていると救急から2度目のコール。
「午後2時50分発症の脳梗塞です!左麻痺があります!」
急いで救急室にかけつけ、t-PA静注を行った。

隣では低体温を合併するCPAに対して救急部の医師3人、研修医3人と看護師3人が寄ってたかって異様な雰囲気を醸し出していた。瀕死の状態だが、PCPSを回しながら何度もDCをかけている。
救急室にはほかに消化器科や小児科の医師などがひしめきあっており、休日とは思えない賑わいようである。

10月に脳外科の後輩医師K先生が赴任してから、実は私はK先生の脳梗塞治療の教育係になっている。
K先生が来てからまだ一度もt-PAは使ってないため、久しぶりの適応症例であった。
いつか「t-PA治療」の劇的な回復を見せてやりたいと思っているが、今日は奴はスキーに行っているらしい。
劇的とはいえないまでも軽度の改善を認め、ICUに入室した。

午後7時に帰宅し11時に就寝。
熟睡モードに入った11時45分、救急室から3度目のコール。
「11時発症の脳梗塞です!右麻痺があります!」

急いで着替え、外にでると車は粉雪で覆われていた。
t-PAを使うつもりで、車を爆走させ救急室にかけこむ。
診察すると麻痺は改善していた。どうやらTIAのようであった。ABCD scoreは6点とハイリスクであり、入院となった。

これだから真冬は困る。
大学と違い、当番ともなれば何度でも救急室の呼び出されるのが現場の臨床である。
しかし、ここの雪は実に美しい。
このパウダースノーを楽しまない手はない。週末には子供を連れて山にくり出す予定だ。
頼むから、もう今晩はゆっくり休ませて欲しい。
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雪積もる東北

2011-12-12 12:49:33 | 勤務医の日常
いよいよ冬本番だ。今朝から雪がしんしんと降っており、午前中であっという間に道路や町並みがすべて雪で覆われてしまった。
曇り空ではあるが、雪化粧された山の景色が美しい。
子供たちは2ヶ月前からこの日をとても楽しみにしており、既に昨日は「雪だるま」を作って遊んでいた。

しずかな日曜の夜を過ごそうとしていた矢先、午後10時に救急外来からコールがあった。
「これから一酸化炭素中毒の患者さんが来ます! 先生お願いします」

いつもながら、心の静寂を一気にぶちこわす、憎たらしいばかりの救急コールである。
本当に疲れてきってしまい、これから寝ようとする瞬間に病院に呼び出しを受けるときが、実は「病院を辞めたい」と真剣に思うときでもある。同じことを30代後半の泌尿器科医が先日の忘年会で漏らしていたのを聞き、自分だけではなかったと多少安堵した。

この地域では冬には「練炭」を炊く習慣がまだまだ存続しており、特に部屋を閉め切って暖をとった場合は、一酸化炭素中毒が発生することになる。また残念なことに自殺企図による一酸化炭素中毒も多い。
実際この病院に赴任してからこの2年半に、50人以上の一酸化炭素中毒患者を診てきた。
おそらく日本でもトップを争う患者の多さではないかと思うが、おかげで一酸化炭素中毒についてはかなり詳しくなった。

多くは何の後遺症もなく退院されるが、ときどき重症例になると「遅発性脳症」といい、退院後1〜4週後に認知症のような症状を発症し逆戻りする患者がいる。

この遅発性脳症を神経内科医が診ることにはおそらく異論はないだろうが、急性一酸化炭素中毒は本来は救急部で見るべき患者ではなかろうかと思うことがある。このあたりは施設によって方針が異なるかもしれないが、ここでは神経内科医が最初から診る。
これほど日常臨床ではcommonな病気であるが、「神経内科ハンドブック」や「神経疾患診療ガイドライン」などの教科書には昔から一切記載がないのが、個人的には非常に不思議である。変性疾患の極めて稀な現象を説明するよりも、せめて「遅発性脳症」くらいの説明はあってもいいのではないかと思うが。大学の偉い先生は神経救急の現場を知っているのだろうか?

雪が降れば増えるのは交通事故と脳卒中である。
スキーができるはうれしいが、救急医療の現場としては嫌な季節でもある。
特に荒れた真冬の真夜中に、呼び出しを受けるのはけっこう辛い。
去年の悪夢が脳裏をよぎる。
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時間外勤務

2011-12-03 11:57:55 | 勤務医の日常
昨日は一足早い病棟の忘年会であった.
開始から1時間ほど遅れて,いつもお世話になっている呼吸器科のK先生が姿を現した.
K先生はもう50代である。

「いやー,先生遅くまでお疲れさまです.まず一杯やってください.」
「ありがとうございます.けっこうお腹空いてまして.ようやく昼食にありつけますよ」
「え!? 昼食? 今日は昼食はとらなかったんですか?」
「ええ.でもいつも私は日中は食事とれません.いつも午後7時に昼食とってます」
「朝食をとったあとは夜まで食事しないんですか?」
「ええ.ただ午前2時にいつも夕食をとってますから,一応1日3食はとってますよ」
「え!?午前2時? それまで何をしてるんですか」
「病院で働いてます」

どうやらK先生は朝6時半に起床後,朝食をとったあとは夜の7時までずっと働きづめらしい.
しかも帰宅は午前2時ころ.就寝するのはいつも午前3時だという.
つまり自宅での睡眠時間はたった3時間半である.

「そんな睡眠時間でよく体がもちますね」
「まあ,日中でも病院で空いた時間にこまめに休むようにしてますから.この生活リズムに慣れてしまいました.」

受け持ち患者は20名を超える.
一人主治医制のため土日も休みがない.
365日病院勤務である.
当院には月に100時間を超える超過勤務をこなすスタッフがいると聞いていたが,おそらくK先生もその一人なのだろう.
K先生の実態を知ってしまっては,まだまだ自分は甘いほうである.

月に80時間を超えた超過勤務は「過労死」との有意な相関があると言われている.

この悲惨な実態を大学は知っているのだろうか.
現場がこれほど苦しんでいるのに,なぜ人を派遣しないのだろうか?
どれほど医局のために尽くしたところで、一旦学外に出てしまえば用無しとなり、「本当に苦しいとき、本当に困っているとき、本当に助けてほしい」ときには彼らは見向きもしない。

K先生が過労死しないことを祈るばかりであるが、我々が今できるのは「肺炎当番」として当院の呼吸器診療をサポートしていくことである。
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プレゼンテーションの技術

2011-12-01 17:07:14 | 勤務医の日常
私がアメリカ留学で学んだことの一つに「プレゼンテーションの技術」がある。

新入院紹介や症例検討会、研究会や学会など、医者はとにかくプレゼンをする機会が非常に多く、実は臨床力と同じ程度にプレゼンの技術は医者にとって重要な技術であると思っている。
プレゼンがダメだといくら優れた研究業績であってもギャラリーにはほとんど魅力が伝わらない。

帰国してからも様々なプレゼンを聞いてきたが、個人的にダメだという思った点をピックアップしてみる。

1)パワーポイントのスライドの字が小さくしかも字数が多い。

 個人的にはこれが最も頻度の高いダメポイントだと思っているが、フォントが小さくて遠くから読めないのは、「私のプレゼンは一番前の席で聞いている人だけ理解できれば十分です」と言っているようなものである。最低でも28ポイントは必要であろう。
なかには詳細な診断基準やら分類表をそのままパワーポイントに掲載する例があるが、最悪である。
演者の中には最初から「細かいスライドで恐縮ですが、」などと弁明する人もいるが、そう分かっているなら最初から改良しなさいと言いたくなる。たとえば5分の発表時間であれば10枚のスライドにして、1枚30秒になる。30秒の短時間に読める字数など限られているし、演者の話に集中してれば、すべてを読むことなど速読術でもなければ不可能である。
 字数が多いのは逆に演者自信が何を訴えたいかが分からない、あるいは内容を十分に整理しきれていない、解釈はすべて聴衆任せといった無責任な態度と怠慢の表れである。

解決策としては、自分が話せる内容以外のことはなるべく割愛する。情報の多い表を掲載するのであれば、分割して2枚のスライドにしてしまう。とにかく自分が最も訴えたいことを大きい字でかつ単純なレイアウトで掲載する。

2)終始原稿を見たままで聴衆を一切見ない

これはよく言われることだ。私もなるべく聴衆の目を見るように心がけているが、なかなか容易ではない。
留学先でお世話になったJonathan Haines教授のプレゼンは恐るべきものであった。終始ギャラリーを見て、聴衆に語りかけるように話す。スライドの内容はすべて頭の中に入っているのだ。アメリカにいる日本人研究者も皆同じことを教えてくれた。
「下を見るな。ギャラリーを見て話せ!」と。

3)発表前の「よろしくお願いいたします」

うーん。これは賛否両論あるかもしれないが、個人的にはなぜ「よろしくお願いいたします」と前おきするのかが分からない。時間の無駄だ。おそらく「私はまだ学識と経験が浅いため、これから発表する内容には不備な点が多々あるかもしれません。どうかお手柔らかにご指導をお願いしたします」という意味なんだろうが、そこまで迎合する必要があるだろうか。戦いの場である学会であればなおさらである。自分の発表にはその指導にあたった上級医や所属機関の実力と責任が伴っている。であれば、堂々と発表して欲しい。少なくともアメリカではそんな前置きをする人は見たことがない。優れたプレゼンをしたいと思うなら、批判を覚悟で発表し、堂々と議論すればいいし、そのための発表の場ではないだろうか。
大学医局でもこんなプレゼンを見たが、迎合すればするほどスタッフはつけあがるだけである。現場の一線で汗を流していれば、教授の前でもっと堂々とすればいいではないか。

プレゼンの技術は意外に奥が深い。
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肺炎また肺炎

2011-11-28 16:39:58 | 勤務医の日常
日曜の午前中はいつになく病棟は落ち着いており、幸いなことに昼過ぎには帰宅することができた。
このまま何ごともなく月曜まで休ませて欲しいところだが、案の定夕方5時に救急外来の研修医からコールがあった。

「先生!88歳の女性ですが、肺炎です。肺炎当番よろしく願いします!」

研修医S君のやけに歯切れのいい声が、自分には逆に嫌みに感じてしまう日曜の午後である。
専門医にとっては時間外に専門外の診療を依頼されるときが、実は最も脱力感を感じるときだ。
しかし院内で決めたルールであるから従わなければならない。

救急室にいき、詳しい説明を聞くとかなりの重症肺炎であった。
気管内挿管、人工呼吸器を装着しなければ救命できない状態ではあるが、もともとADLが悪く、認知症や悪性腫瘍などの合併症の多い超高齢者に、気管切開を前提とした呼吸器管理を行うかどうかは常に救急の現場で議論になるところである。

こうした患者さんに呼吸器を装着した場合、どういう顛末をたどるのか。
経験の浅い研修医にとってはさすがに予後の詳細を家族に説明することは容易ではない。
私が直接病状説明を行い、結局ご家族は無理な延命措置は望まれなかった。
その翌朝6時にHCUからコールあり。

「先生!血圧が70台です」

その3時間後、患者さんは家族に見守られ静かに息をひきとった。


先日、ある研究会の席で大学の呼吸器外科の先生とかわした話が脳裏をよぎった。
現場では肺炎患者が多くて内科系が当番制で診療にあたっている話をしたところ、その先生はこうおっしゃった。

「うちの医局では、肺炎は絶対診るなと指導してます。そんなの診てたら本来の仕事ができませんからね。」

大学だから許されるのだろうが、肺炎診療を強いられている神経内科医としては多少カチンとくる発言である。
ここは患者を選ばない病院であることをひそかに誇りに思う。
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