マイアミ留学日記 & みちのく勤務医日記

2007年6月から2年間マイアミで過ごした後,家族5人で東北へやって来ました.

なぜ研修医は大学病院を選ばないのか

2010-02-08 21:24:00 | 帰国後
今日は初期研修下半期の研修発表会があった.9人の1年目,2年目の研修医が各科で経験した教訓深い症例,勉強になった症例を学会形式で発表する場である.長らく大学病院にいた私には初めての経験でもある.

どれも実に興味深い症例ばかりである.その範囲は神経内科のみならず,小児科,耳鼻科,循環器,内分泌代謝科,消化器などの多岐にわたる.

急性扁桃炎に酷似した,緊急気管切開を必要とした急性喉頭蓋炎.
尿路感染症を契機に発覚した膀胱尿道逆流症の小児例.
全身倦怠感のみを呈した下垂体機能不全症.
当初膵癌と(大学病院で)誤診された,腫瘤形成型膵炎などなど.

症例としては決して論文になるような稀なものではないが,救急外来で生死を分ける判断が要求されたり,誤診によって患者さんの予後を大きく左右する,比較的commonな病気ばかりである.日常救急当直に携わる医師にとっては,どの科であろうと極めて勉強になる発表会であったと思うし,自分自身も十分ためになった.

実際,1,2年目の研修医と一緒に当直をしていると,彼らはとても頼もしい.2年目にもなれば,全科にわたって標準的な技術や知識を身につけており,正直いって卒後14年目の自分よりもはるかに仕事ができる.実際,研修医頼みのベテラン医師も多いのではないだろうか.

地域医療を崩壊させた新臨床研修は悪い面がクローズアップされていたし,たった1,2ヶ月のローテーションで何が身につくのかと疑問ばかりであったが,実際はそうでもないようだ.彼らはたとえ短期間であろうと,貪欲に吸収していく.そしてたとえ科が違っても,同じ医学であれば,各科の知識と技術は有機的につながっていくようだ.気づいてみれば実にオールラウンドな実力を兼ね備えていく.研修医の中には自ら進んで北海道の離島の診療所(常勤医師はたった一人しかいない)に1ヶ月赴任して,骨折から心筋梗塞,脳梗塞,呼吸不全,けいれん重責などの初期診療をトレーニングして来た者もいる.(当院にはそのような研修プログラムがある).

あと数ヶ月で2年の初期研修が終わるが,専門医になるのはそれからでも決して遅くはないだろう.高い山を作るには大きな裾野を作る必要がある.小さい裾野では,将来高い山(専門性)は作れないのだ.最初から高い山を作れば,早晩崩れる.

私は研修医の発表を聞きながら,一体自分は何をやってきたんだろうと思うこともあった.
そういえば昔は一生に一回しか診ないような症例の診断に奔走する日々であった.1年の大学病院での研修を終えたときに,ふと気づいたこと.それは,肺炎や脳梗塞,心筋梗塞を1例も診たことがなかったこと.小脳失調の診かたは知っていても,意識障害,麻痺の診かたが分からなかった.心電図もまともに読めなかったし,喘息の治療も知らなかった.

特殊な症例が集まる大学は,やはり初期研修としてはあまりに偏っているという感は否めない.得てして研修医は指示書きやカルテ書き,検討会の資料作り,保険会社の診断書,さらには採血などの基本的手技など,上の指導医がやりたがらない雑用を否応なしにさせられるのが現実であった.First callはもっぱら研修医だけで,上級医を呼び出すことすら気軽にできる雰囲気ではなかった.

そのような惨状を打開した厚労省の改革は,個人的には悔しいが,正しかったと認めざるを得ない.卒後1,2年目は医師としての礎を築く大事な時期である.かって私が研修医であったとき,このような考えがあった.

「卒後1年目はとても大事な時期である.理論的な思考力を身に付けるためには大学病院が最適である.最初は何もできないが,いずれはこちらの方が伸びる.ゆえに,いきなり外病院で研修するのは邪道である」

14年目の今,この考えは大きな誤りであると断定できる.大学側が人手を集めるために,単なる騙し文句を唄ったにすぎない.自分の手を汚さないで臨床をやろうとする医師にとっては,当時研修医は実に都合のいい(安い)労働力だったのだ.

なぜ研修医は大学病院を敬遠し,外病院で研修するのか.その答えは明白だ.

1)上記の雑用に煩わされることなく診療に専念できる.
2)大学のような,日ごろ病棟にあまり顔をださない指導医を持つよりも,
  常にグループで診療を行う一般病院のほうがはるかに知識と技術が身につく.
3)給与がいい
4)一般病院では大学のような各科の壁がない.医局で気軽に他科の上級医に相談できる.
5)経験できる症例数は圧倒的である.
6)医局の偉い先生にいちいち気を使う必要がない.ゆえに,診断,治療,入退院のプロセスが迅速であり,患者さんにとってもメリットが大きい.


地方の第一線病院で日々逞しく成長する研修医をみていると,私はとてもうらやましくなる.
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モンスターコンスーマー

2010-01-31 22:41:13 | 帰国後
金曜の夜は久しぶりにテレビでゆっくりドラマを見ることができた,「ハッピーフライト」というコメディドラマである.空港で働く人々の姿がとてもコミカルに描かれており,なかなか面白かった.

そのドラマの中でひとつとても気になるストーリーがあった.
エコノミーからビジネスクラスへの移行を頼まれたビジネスマンが,規定外の荷物を機内に持ち込めずに腹を立てていた.さらに飛行機がトラブルのため目的地のホノルルに向かわずに,一旦日本に戻ることに対して烈火のごとき怒り,フライトアテンダントを攻め立てる.
しまには緊急事態だというのに機長を呼んでこいと,無茶な要求もする.
しかしフライトアテンダントはひたすら頭を下げ,謝るのみである.

客観的にみて,このビジネスマンの態度は明らかに異常である.理性的な判断をしているとは言いがたい.もしアメリカの飛行機だったら,ここまでフライトアテンダントが頭を下げることはあり得ないと思うし,周りの乗客からつまみ出されてしまうだろう.

以前アメリカの飛行機に乗っているとき,エコノミークラスのあるアメリカ人がワインか何か,ファーストクラスレベルの要求を口走っていたのを目撃した.その場のフライトアテンダントは一言

「No!! It's out of regular service!] (ダメです.通常サービス外です)

と一蹴して,さっさと去っていたときにはアテンダントがとても恐ろしく見えた.日本人のように「大変申し訳ありませんが...」などと,くどくど客のご機嫌を伺うことなどはしない.考えてみれば,明らかに客の要求が間違っているから当然ではあるし,アテンダントもこのような毅然とした態度を示してこそ,逆に乗客も信頼できるというものである.

またアメリカではレジで買い物をした後に,店員は「ありがとうございました」なんていわない.大抵「Have a good day!」と一言,そして客の方こそが「Thank you」とか「You, too!(あなたもね)」と感謝の声をかけるのだ.そんな生活を2年もやってくると,日本は
「サービス過剰王国」という印象を拭えない.あまりにサービス精神が行き過ぎると,先の異常な乗客のように,逆にそこに付け上がる客が出てくるのではないだろうか.さしずめ,
モンスターペアレントやモンスターペイシェントにちなんで,「モンスターコンスーマー(消費者)」と言ったところ.

アメリカ人は相手が誰であろうと,申し立てははっきり言うというイメージがあるが,実はアメリカ人はとても礼儀正しいし,何かサービスを受ければチップも払うし,最低限「Thank you」は言う.一方,日本ではレジで商品を袋に入れてもらっても,ありがとうという言葉すら言わないことが多い.終始,無言で会計をすます姿は不気味にも見える.

医療現場に「モンスターペイシェント」という言葉が浸透して久しいが,依然として,「無茶な要求」をする人はときどきお見かけする.

医療者は患者さんやご家族の疑問に最大限答える義務はあるが,患者さんや家族の要求をすべて聞き入れる必要はない.「分からないことは,分からない」「治療できないものは,できない」医学的にあるいは社会的に無理な要求に対しては,先のアメリカのフライトアテンダントのように,プロとしての毅然とした態度を示すことはとっても大事なことだ.

ちなみに私個人は医療はサービス業とはどこか異質なものと思っている.
そもそもサービスというのはあまりにも提供するものは科学的に未熟であり,不確定な要素が大きい.それにこれまで私は退院した患者さんに対し.

「当院に入院していただき誠にありがとうございました.またお越しください」

なんて言葉をかけたことは一度もない.せいぜい

Have a good day! とかTake care!

が自然な言葉であろうし,退院される患者さんもその方が気分がいいだろう.



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研修女医の悩み

2010-01-21 23:33:17 | 帰国後
今日は研修医を含めた若手医師の新年会であった.アラフォーの自分としては,もはや「若手」のグループには属さないのだが,幸い飲み会にはいつも誘ってもらっている.

飲み会で,卒後2年目の女医さんがこんな悩みを打ち明けた.

「やっぱ,医局に入ったほうがいいんでしょうか.医局に入ると教授から行きたくない病院への赴任を命じられんですよね」

彼女にはもう結婚を意識した彼がいる.しかし,このような人事命令によって,通常の結婚生活ができなくなってしまう可能性が極めて高い.女医さんなら誰でも抱える悩みである.

最近では,なるべく夫と同じ病院への人事を考慮する良心的な医局もあるが,実際はそれほど甘くはないようだ.医局制度の絶対的権力を描いた「白い巨塔」は決して昔のドラマではなく,現在でもその悪しき伝統が受け継がれているところもある.

一方,このような医局人事には大きなメリットがあったのも事実である.何よりも「地域医療」を支えていたのが,この大学医局なのだ.しかし,新臨床研修制度が始まって,研修医が自由に研修病院を選べるようになってから,地域医療の基盤が崩壊したことは周知の事実である.

昔から「医局人事」というのはいろんな意味でトラブルの種になっている.横暴な人事にしびれを切らし医局を辞める医師も少なくない.また医局には多くの医者が集まる.当然,優秀な医師もいれば,そうでない医者もいる.教授の寵愛を受け,自分の思い通りの進路をかなえてもらえる人もいれば,そうでない人もいる.中には地域医療をほとんど体験せずに大学病院だけで「純粋培養」されたような人もいる.このような純粋培養された医師が将来医局で人事権をとることになるのは,ある意味奇異である.本来ならば,多くの地方病院の現場での臨床を体験し,その病院の医療事情を正確に把握している人こそが,バランスのとれた人事ができるのではないだろうか.おそらく人事に拘わるトラブルの原因のひとつには,「現場の理解に乏しい」人間による権力の行使に問題があるのかもしれない.

ほかには大学でのポストの少なさ,給与水準の低さも「白い巨塔」体制に拍車をかけている.ちなみにアメリカではProfessor, Associate Professorのポストは日本より圧倒的に多い.世界最先端の研究基盤をもつアメリカならではである.教室の体制でも日本はアメリカに遠く及ばない.

私は正直,彼女の悩みに対し適切なアドバイスをすることはできなかった.
医局に所属しようが,しまいが,それぞれメリットとデメリットがある.
すべては,その人が「どういう医者になりたいか」というビジョンにかかっている.

私にとっては逆に驚きであったが,彼女は「医局」というものがどういうものか,全く知識がなかった.医局に所属することで,どういうメリットとデメリットがあるか,どのくらいの給与がもらえるか,どういう生活なのか,など自分が知っている範囲で現実を説明した.
それでも彼女は「何か希望の光が見えた気がします」と満足気であったのは幸いだった.多少,医局に対する不安を解消できたようだ.

ほかの研修医も同様,彼らは「医局」については,ほとんど知識がなかった.ただ,彼らはどことなく「医局への抵抗感」があるというのは強く感じとれた.自分が研修医だった14年前はありえなかった感情を彼らは抱いている.

いっそのこと,日本のしがらみを断ち切り,アメリカに行って臨床をやるのも賢明な選択肢かもしれない.
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スキー

2010-01-11 15:38:46 | 帰国後
成人の日のおかげで日本では週末3連休である.幸い,当番から外れているため,この3連休は私にとってはフルに休める日となった.年始は怒涛の救急センターの仕事があったため,1週間遅れたがここで正月気分を味合えた気がする.

東北は大雪に見舞われている.これほどの粉雪が降り積もっていながらスキー場に行かないわけにはいくまい.と言うわけで,子供を連れてスキー場に出かけた.高速道路を使って1時間半でゲレンデに到着.もちろん,3人の子供たちはまだスキーはできないためソリで遊ばせた.

初めてスキー場に娘たちはおおはしゃぎであった.2歳の長男は斜面に連れていくと,恐いのか「パパー!パパー!!」を連呼しながら泣いてしまった.

しばらくソリで遊んだ後は,いよいよ一人でリフトに乗りゲレンデを滑走.娘たちがリフト乗り場まで駆け寄り,何をするかと思えば,「パパー!がんばってえ!」のエールであった.かなり恥ずかしかった.

今年はスキー板とスキーブーツを新調した.2年ぶりに味わうスキーは格別であった.何よりもパウダスノーなのがありがたい.とっても滑りやすい.「やっぱ冬は雪だよ」と雪国の有り難さを実感.

小学校3年で始めたスキーだが,その魅力にとりつかれ中学,高校,大学と何度もゲレンデに足を運んだ.とくに大学のときは,部活の仲間と泊りがけで行ったスキーは本当に楽しかった.ちょうど1990年代のスキーブームの頃であった.いつしかアラフォーになってしまった自分にはあの頃の楽しみを味わうことはもうできない.しかし今までのスキーで一番心に残っているのは実は大学ではない.

私にとってのNo.1は,小学3年生のとき今は亡き父が初めてスキー場に連れていってくれた泊りがけの旅行である.あの時のゲレンデはまさに「スキー天国」に見えた.そしてゲレンデにあざやかなシュプールを描く若き父親の姿が今でも心の奥深くに刻まれている.

今度は自分が,子供たちの心にかけがえのない思い出を刻ませる番である.
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タイミング

2010-01-05 14:54:42 | 帰国後
臨床医にとって必要な能力の中に,「死期を予測する勘」がある.
もはやあらゆる手を尽くしたが,改善は見込めず,家族も患者さんの死を覚悟している.ただし容態としては比較的安定しており,いつ急変するかの正確な予測が難しい.医療者としては心肺停止になる1,2時間前にその予兆を察知し,タイミングよくご家族に連絡し,ご家族に余裕をもって看取る時間を与える必要がある.家族としてもゆっくりと息を引きとる患者さんの姿を見てこそ,納得がいくものである.

このタイミングを読みあやまると多少大変なことになる.早まってしまえば,
「何だ,まだ大丈夫じゃないか.」と言われ,遅くなれば「何でもっと早く連絡してくれなかったんだ!」というクレームを受ける可能性がある.事態としては後者の方が深刻であるため,なるべく早めにご家族に危篤状態の連絡をすることになる.しかし,相手は生身の人間であり,科学にも限界があるため,そのタイミング予測を誤ることもしばしばであるし,「タイミング作り」に骨を折ることもある.

ある80歳の患者さんが脳梗塞で入院された.持病に心不全があり,入院後心機能が悪化し一時は最悪の事態を迎えたが,主治医の懸命の努力で回復したところだった.年末にはご家族に「もう状態は安定しました」と連絡されていた.

ところが1/2に急変した.また心不全が悪化したのだ.面会に来ていた配偶者にふたたび悪化したことを告げた.ただし,事前の相談でこれ以上の延命措置を敢えて行わないことになっていた.

1/3の深夜0時前,いよいよ心室頻拍(VT)が出現.しかし家族は病院にいない.ひとまずリドカインという注射薬で通常のリズムに戻した.まもなく配偶者が来院.聞けばほかの家族は事態の急変に困惑してるという.「年末には安定したと聞いていたのに,どうして?」どうやら配偶者の方は事態の悪化を家族に告げていなかったのだ.

「実は正月ですから,あまり悪い知らせは家族にしたくなかったんですよ」

事前の相談通り,延命措置は行わないことを再度確認しようとしたところ

「正月でしかも深夜ですから,家族に連絡とれないんです.何とか明日の朝までもたせてもらえませんか.明日の朝には家族全員来ますから」

つまり土壇場に来て方針が変わったのだ.その後もVTが頻発した.幸いリドカインの反応が良好であったため持続静注を開始.しかしそれでも30分から1時間おきにVTが出る.結局その晩は病院の仮眠室で睡眠をとりながら,30分から1時間おきにピッチが鳴っては病棟に走っていき静脈注射を繰り返すことになった.

私は睡魔と闘いながらも,太陽が出てくるのを待ちわびた.

ようやく朝になり,午前中に大勢の家族が集まった.もはやリドカインは効かなくなっていたが,なんとか心臓は微弱ながらも動いてくれていた.そして大勢の家族に見守られ患者さんは昼頃永眠された.

「本当にありがとうございました」

家族は私の一晩の格闘を評価してくれたのか,深々と頭を下げ感謝の言葉をかけてくれたのだった.最初は無茶だと思ったが.がんばった甲斐があったという充実感を感じることができた.

前日の救急センターの仕事の後の,ほぼ徹夜の勤務はアラフォーにはけっこうこたえる.帰宅した私は自宅で意識を消失した.

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雪で凍る街

2010-01-05 14:00:42 | 帰国後
年末年始は東北は激しい寒波に見舞われた.街の路面はカチカチに凍り,中にはスリップして前に進まない車も見られるようになった.これぞ,「ザ・東北」ってところ.

1/2は救命救急センターの内科当番であった.研修医2名,外科医1名も加えいつもは4名で診療するところが,幸い救急センター長も応援に来ていただいた.「おお,助かるー!」と思って安心してたが,その訳があとになってわかった.この日は日中90名,夜間39名,計129名の患者さんが救急センターに来院した.つまり年末年始休業で最多を記録したのだった.診察しても,診察しても一向に待合室の患者さんが減らないどころか,逆に増えていく一方であった.おまけに,いつものように交通外傷や意識障害,胸痛,呼吸不全の患者さんが次から次へと搬送されてくる.結局日中は12台の救急車が来た.

なかにはどう対応したらいいか判断に困る患者さんも来る.

東京の病院で検査を受けたある男性患者さんの家族が相談に来た.
どうやら癌と診断されたらしいが,本人には告知されてないという.癌はすでに末期のため,緩和医療も含めて,地元の病院で診てもらうように紹介されたという.そこで地元のK病院を受診し年末から通院してる.1/4には入院予約になってるとのこと.しかし,患者さんはK病院の一人の看護師の対応に不満だったらしく,この病院に診てほしいと相談に来たのだった.紹介状はない.

私は困ってしまった.
せっかく実家の近くの病院に通って,入院予約までしてるのに,たった一人の看護師の対応に不満があるという理由だけで,わざわざ遠いこの病院に来るのは,私には理解できなかった.もちろんK病院の担当医には無断で来院し,紹介状すらないのである.そのような状態で今すぐ入院させてくれと言われても,この病院の担当医も困るだろうと告げた.

それでも,患者さんと家族は何が何でもこの病院に入院したいと引かないため,せめて検査だけでもして,連休あけに消化器科外来を受診するように勧めたところ,ようやく納得された.胸腹部のCT検査を行ったところ,癌の多発転移が見つかった.おそらく,同じ結果が紹介状に書いてるだろう.

それにしても急変事態でもないのに何で1/2に,しかも専門外来ではなく救急センターにかけこむ必要があるのだろうか? という疑問が湧いてくる.ただ最後には「わがまま言ってすみません」とご家族が言ってくれたので,重症患者の診療の合間に時間を割いた甲斐があったかなあという感触を得ることはできたが...

ふと「地域医療の崩壊」というテーマが頭をよぎった.
地方の病院は確かに医師が不足してるし,その分医療の質が低下してる実態は否めない.しかしながら,診療自体に問題があるわけでなく,たった一人のスタッフの対応が気に入らなかったという理由で鞍替えするのはいかがなものだろうか.地域の病院を簡単に裏切ってるように見えないだろうか.

地域医療は決して行政だけで解決できるものではなく,そこに住む住民の意識改革にもその命運がかかっているという気がしてならない...
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雪ふぶく街

2009-12-18 14:02:24 | 帰国後
先週から連日の大雪で,一向に溶ける気配はない.粉雪が静かに降っている間はよかったが,いよいよ横風が強くなってきて,視界が真っ白.路面は凍結しており,車はのろのろ運転だ.私的にはこれでこそ冬である.

以前,大学でロシアの留学生と仕事をしたことがあった.そのときの仕事がようやく論文としてJournalにacceptされそうだと連絡を受けた.彼女は今,ロシアのヤクーツクという極東の地方にいる.その地方特有の遺伝性疾患の原因遺伝子を同定したという仕事である.ヤクーツクもきっと氷の世界になっていることだろう.英語でメールを打っていると,何だか懐かしい気分になる.

そういえば自分の英語力は急速に落ちている.日常では一切使わないからだ.
せめてアメリカ人と対等に話していた娘だけは,この力をキープして欲しいと思い,最近英会話教室に通わせることにした.

冬が厳しさを増しているのに逆比例して,幸い入院患者さんの容態は安定している.急性呼吸不全,深部静脈血栓症+敗血症,細菌性髄膜炎にインフルエンザ脳症.そんな重症患者さんも回復に向かっており一安心といったところだ.

今週末は久しぶりの休暇がとれる.
かねてから気になっていた山奥の”秘湯”に行って,癒して来よう.
雪に囲まれた山奥の温泉はアメリカには決して真似のできない”日本の美”そのものである.
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雪降る街

2009-12-15 16:46:00 | 帰国後
昨日から東北地方は寒波に見舞われ,深深と粉雪が降り積もっている.
およそ3年ぶりに見る雪だ.

アメリカで生まれた2歳の息子にとっては,初めてみる光景である.とは言っても,本人もマイアミの光景すら覚えていないだろうが.

東北で生まれ育った自分としては,やはり冬は雪が降り積もらなければ冬ではない.一面の銀世界は何とも言えない清涼感と神秘的な雰囲気をかもし出している.
この季節の雪は一旦溶けるらしいが,今回は根雪になる勢いで,ひたすら,ゆっくりとかつ着々と降り積もっている.この勢いで25日はWhite Christmasになってほしい.そろそろ子供たちのプレゼントも用意しないといけない.

2年間のアメリカ生活で得た最大のもの.それは「日本はいかに美しい国か」さらに「家族がいかに有り難いか」という二つの認識そのものである.
これは自分にとっては革命的といえるほどの価値観の変革かもしれない.

ぶち切れそうになるくらい忙しいときもあるが,粉雪の降る街で働けて幸せである.
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戦いは続く

2009-12-13 23:50:43 | 帰国後
今週末は,魔の当番日.土日の病棟回診と救急外来での診察依頼をすべて一人でやらねばならない.ほかの先生方は慣れているのか,何事もなかったようにこなしてるが,私にはまだ辛い.

さて土曜日.9時から病棟回診.インフルエンザの患者さんが減ってきたせいか,最近入院患者さんも減ってきた.とは言え,40名の患者さんの回診をするともう12時を過ぎてしまう.回診中に救急外来にコールされなかっただけ余裕があった.しかし昼食をとり,休んでいると早速救急外来からコール.脳梗塞の患者さんの診察依頼だった.同時に失神発作を起こした患者さんも続けて診察.二人とも入院.
何とか午後3時には終わり帰宅.休日6時間労働だが,病棟診療の時間外手当は2時間までしか出ないことになっている.つまり残りはただ働きだ.2時間で40名の患者さんの診察と処置をすることなど不可能である.医師の休日勤務はまだまだボランティアの要素が大きい.

翌,日曜.また9時から回診スタート.12時前に入院患者さんが急変した,呼吸停止となりそうで,すぐにご家族に連絡.相談の末DNARとなり1時に永眠された.患者さんを見送ったあと医局にもどると,また病棟から急変の連絡.またしても呼吸不全.幸い気管切開されてる患者さんだったので,対応は難しくなかったが,呼吸器を要するためHCUに転室となった.その後.救急室からコール.神経内科医のいない遠方の病院から「細菌性髄膜炎」の若い患者さんが搬送されてくるという.
当院へ即入院となった.細菌性髄膜炎は一刻を争う神経救急である.
何とか仕事を終え帰宅したのは午後7時半であった.夕食を食べていると自宅へ電話がかかってきた.救急外来からだ.

「午後6時半にうなり声をあげた左麻痺のある患者さんなんですが...」

脳梗塞だがてんかんだか分からないが,診察依頼があったのでまたQQに逆戻り.
どうやら脳梗塞のようだ.幸い意識ははっきりしており,麻痺の程度も軽い.ご家族に病状説明をしている最中に看護師から.

「先生,すぐに来てください!」と急変の連絡.

急に血圧が低下し,患者さんの意識レベルも急に低下.
「え!一体何が起こってるの? 心房細動による塞栓症だったので,脳幹梗塞でも起こしたか?でもいくら脳幹梗塞でもこんな急に血圧が下がるのはおかしい..」当直医が挿管の準備をしている最中,12誘導を再度とってみる.

「II,III,aVFのSTが上昇してるではないかあ!」

右側誘導でもST上昇あり.どうやら下壁梗塞のよう.脳と心臓が同時に梗塞になった可能性あり.大動脈乖離かもしれない.今度は循環器医がコールされ,すぐにカテーテル治療室に運ばれた.とりあえず循環器にバトンタッチ.循環器の先生.深夜の心カテ,大変ご苦労様です.

やれやれ,やっと今日の仕事は終わり.車に乗ってると救急車とすれ違った.

「頼むから呼ばないで!」と願うばかり.

午前0時過ぎに帰宅.これから風呂に入って寝ようと思っていたら,また救急外来からコール.

「あのー.めまいの患者さんですが,なかなか点滴でよくならなくて...」

それにしても,何でこんなに人は病気になるんだろう?
本当はぶち切れたい気分だが,もはやその元気もない.眠い.疲れました...




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医療機器は医師より強し

2009-12-09 16:53:56 | 帰国後
神経内科の一般外来では,頭痛,めまい,しびれを主訴に受診される患者さんがとても多い.中でも頭痛診療は神経内科の王道であるし,腕の見せ所でもある.しかし実際の場面では,あまり”腕”を要さない場面も多い...

1ヶ月前に夜間に強い後頭部痛と右肩の痛みを感じた70台の患者さんが外来受診した.しかし痛みは一過性で,その後1ヶ月間は無症状であった.ただ今朝になって同じような肩と後頭部の痛みが出てきたというので患者さんは”くも膜下出血”を心配して来院されたのだった.

診察時は症状は全くなく,吐き気や嘔吐もなし.丁寧に神経所見をとっても,これといって異常は認めない.もともと強い肩こりがあるらしい.頚椎症や筋緊張性頭痛の可能性が高い.

「脳卒中の可能性はないと思いますよ」

と伝えると患者さんは,逆に驚いた表情を見せた.

「そうですか?いやー,くも膜下出血だと思って来たんですが.すぐにCT撮ってもらえませんか」

ここで,なぜくも膜下出血ではないかをとくとくと説明しても,もはや馬の耳に念仏である.丁寧な問診も診察も意味はない.最初からこちらの診察も説明も全く信用してないのである.患者さんが要求してるのは,医師の診察ではなくCT検査のみである.

緊急CTのオーダーを出し検査をしたが,やはり異常なかった.
結果をお伝えすると患者さんは.

「それは良かった.じゃあ」

と言って外来予約もせずにさっさと帰ってしまった.あんなに訴えていた頭痛はどこに行ってしまったの??何となくむなしい風が吹きぬける...

それにしてもCT検査の威力は名医顔負けである.一瞬で患者さんの病気を治癒させる威力をもつ.

しかし,CTというのは相当の放射線を被爆する.胸部レントゲンのおよそ100倍の被爆量であり,2回CTを受けただけで,広島の原爆投下地点から3kmの距離での被爆量に相当するという説もあるくらいだ.なるべく不要な被爆は避けなければならないし,被爆するメリットがデメリットを上回ると判断されたときにこそ,意味のある検査である.また”本当の救急患者さん”のためにも,緊急性の低い検査も避けるべきである.とくに当院の放射線科医師は多忙を極めており,見ていても過労死するのではと心配になるくらいだ.

さらに医療経済も無視できない.日本では医療費は削減する一方で,我々医療従事者は最小限の費用と検査で最大限の効果を生む効率的な医療を求められている.(お金をかけずに,最高レベルの医療をすること事態に既に矛盾があることは,この場合置いておくが)つまり,効率的な医療は我々医療従事者の”腕”に
かかっているのだ.

しかし,結局医師の”腕”を全く信用せず,自分の思い込みで受診される患者さんになすすべはない.(信用するに足る腕がないという意見もあるが,ここでは置いておく).医学的に必要性が低い検査でも,しなければ,しないで医療不信が増幅されてしまう.

そんな矛盾をもう10年以上感じつつも,神経内科診療をやっている.
まあ患者さんが納得することが先決なので,たとえ緊急性はないと思っても
なるべく希望に沿うようにCTを撮るようにはしてる...
自分の”腕”が極めて不確かなこともある程度自覚してるからでもあるが...

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