今日は初期研修下半期の研修発表会があった.9人の1年目,2年目の研修医が各科で経験した教訓深い症例,勉強になった症例を学会形式で発表する場である.長らく大学病院にいた私には初めての経験でもある.
どれも実に興味深い症例ばかりである.その範囲は神経内科のみならず,小児科,耳鼻科,循環器,内分泌代謝科,消化器などの多岐にわたる.
急性扁桃炎に酷似した,緊急気管切開を必要とした急性喉頭蓋炎.
尿路感染症を契機に発覚した膀胱尿道逆流症の小児例.
全身倦怠感のみを呈した下垂体機能不全症.
当初膵癌と(大学病院で)誤診された,腫瘤形成型膵炎などなど.
症例としては決して論文になるような稀なものではないが,救急外来で生死を分ける判断が要求されたり,誤診によって患者さんの予後を大きく左右する,比較的commonな病気ばかりである.日常救急当直に携わる医師にとっては,どの科であろうと極めて勉強になる発表会であったと思うし,自分自身も十分ためになった.
実際,1,2年目の研修医と一緒に当直をしていると,彼らはとても頼もしい.2年目にもなれば,全科にわたって標準的な技術や知識を身につけており,正直いって卒後14年目の自分よりもはるかに仕事ができる.実際,研修医頼みのベテラン医師も多いのではないだろうか.
地域医療を崩壊させた新臨床研修は悪い面がクローズアップされていたし,たった1,2ヶ月のローテーションで何が身につくのかと疑問ばかりであったが,実際はそうでもないようだ.彼らはたとえ短期間であろうと,貪欲に吸収していく.そしてたとえ科が違っても,同じ医学であれば,各科の知識と技術は有機的につながっていくようだ.気づいてみれば実にオールラウンドな実力を兼ね備えていく.研修医の中には自ら進んで北海道の離島の診療所(常勤医師はたった一人しかいない)に1ヶ月赴任して,骨折から心筋梗塞,脳梗塞,呼吸不全,けいれん重責などの初期診療をトレーニングして来た者もいる.(当院にはそのような研修プログラムがある).
あと数ヶ月で2年の初期研修が終わるが,専門医になるのはそれからでも決して遅くはないだろう.高い山を作るには大きな裾野を作る必要がある.小さい裾野では,将来高い山(専門性)は作れないのだ.最初から高い山を作れば,早晩崩れる.
私は研修医の発表を聞きながら,一体自分は何をやってきたんだろうと思うこともあった.
そういえば昔は一生に一回しか診ないような症例の診断に奔走する日々であった.1年の大学病院での研修を終えたときに,ふと気づいたこと.それは,肺炎や脳梗塞,心筋梗塞を1例も診たことがなかったこと.小脳失調の診かたは知っていても,意識障害,麻痺の診かたが分からなかった.心電図もまともに読めなかったし,喘息の治療も知らなかった.
特殊な症例が集まる大学は,やはり初期研修としてはあまりに偏っているという感は否めない.得てして研修医は指示書きやカルテ書き,検討会の資料作り,保険会社の診断書,さらには採血などの基本的手技など,上の指導医がやりたがらない雑用を否応なしにさせられるのが現実であった.First callはもっぱら研修医だけで,上級医を呼び出すことすら気軽にできる雰囲気ではなかった.
そのような惨状を打開した厚労省の改革は,個人的には悔しいが,正しかったと認めざるを得ない.卒後1,2年目は医師としての礎を築く大事な時期である.かって私が研修医であったとき,このような考えがあった.
「卒後1年目はとても大事な時期である.理論的な思考力を身に付けるためには大学病院が最適である.最初は何もできないが,いずれはこちらの方が伸びる.ゆえに,いきなり外病院で研修するのは邪道である」
14年目の今,この考えは大きな誤りであると断定できる.大学側が人手を集めるために,単なる騙し文句を唄ったにすぎない.自分の手を汚さないで臨床をやろうとする医師にとっては,当時研修医は実に都合のいい(安い)労働力だったのだ.
なぜ研修医は大学病院を敬遠し,外病院で研修するのか.その答えは明白だ.
1)上記の雑用に煩わされることなく診療に専念できる.
2)大学のような,日ごろ病棟にあまり顔をださない指導医を持つよりも,
常にグループで診療を行う一般病院のほうがはるかに知識と技術が身につく.
3)給与がいい
4)一般病院では大学のような各科の壁がない.医局で気軽に他科の上級医に相談できる.
5)経験できる症例数は圧倒的である.
6)医局の偉い先生にいちいち気を使う必要がない.ゆえに,診断,治療,入退院のプロセスが迅速であり,患者さんにとってもメリットが大きい.
地方の第一線病院で日々逞しく成長する研修医をみていると,私はとてもうらやましくなる.
どれも実に興味深い症例ばかりである.その範囲は神経内科のみならず,小児科,耳鼻科,循環器,内分泌代謝科,消化器などの多岐にわたる.
急性扁桃炎に酷似した,緊急気管切開を必要とした急性喉頭蓋炎.
尿路感染症を契機に発覚した膀胱尿道逆流症の小児例.
全身倦怠感のみを呈した下垂体機能不全症.
当初膵癌と(大学病院で)誤診された,腫瘤形成型膵炎などなど.
症例としては決して論文になるような稀なものではないが,救急外来で生死を分ける判断が要求されたり,誤診によって患者さんの予後を大きく左右する,比較的commonな病気ばかりである.日常救急当直に携わる医師にとっては,どの科であろうと極めて勉強になる発表会であったと思うし,自分自身も十分ためになった.
実際,1,2年目の研修医と一緒に当直をしていると,彼らはとても頼もしい.2年目にもなれば,全科にわたって標準的な技術や知識を身につけており,正直いって卒後14年目の自分よりもはるかに仕事ができる.実際,研修医頼みのベテラン医師も多いのではないだろうか.
地域医療を崩壊させた新臨床研修は悪い面がクローズアップされていたし,たった1,2ヶ月のローテーションで何が身につくのかと疑問ばかりであったが,実際はそうでもないようだ.彼らはたとえ短期間であろうと,貪欲に吸収していく.そしてたとえ科が違っても,同じ医学であれば,各科の知識と技術は有機的につながっていくようだ.気づいてみれば実にオールラウンドな実力を兼ね備えていく.研修医の中には自ら進んで北海道の離島の診療所(常勤医師はたった一人しかいない)に1ヶ月赴任して,骨折から心筋梗塞,脳梗塞,呼吸不全,けいれん重責などの初期診療をトレーニングして来た者もいる.(当院にはそのような研修プログラムがある).
あと数ヶ月で2年の初期研修が終わるが,専門医になるのはそれからでも決して遅くはないだろう.高い山を作るには大きな裾野を作る必要がある.小さい裾野では,将来高い山(専門性)は作れないのだ.最初から高い山を作れば,早晩崩れる.
私は研修医の発表を聞きながら,一体自分は何をやってきたんだろうと思うこともあった.
そういえば昔は一生に一回しか診ないような症例の診断に奔走する日々であった.1年の大学病院での研修を終えたときに,ふと気づいたこと.それは,肺炎や脳梗塞,心筋梗塞を1例も診たことがなかったこと.小脳失調の診かたは知っていても,意識障害,麻痺の診かたが分からなかった.心電図もまともに読めなかったし,喘息の治療も知らなかった.
特殊な症例が集まる大学は,やはり初期研修としてはあまりに偏っているという感は否めない.得てして研修医は指示書きやカルテ書き,検討会の資料作り,保険会社の診断書,さらには採血などの基本的手技など,上の指導医がやりたがらない雑用を否応なしにさせられるのが現実であった.First callはもっぱら研修医だけで,上級医を呼び出すことすら気軽にできる雰囲気ではなかった.
そのような惨状を打開した厚労省の改革は,個人的には悔しいが,正しかったと認めざるを得ない.卒後1,2年目は医師としての礎を築く大事な時期である.かって私が研修医であったとき,このような考えがあった.
「卒後1年目はとても大事な時期である.理論的な思考力を身に付けるためには大学病院が最適である.最初は何もできないが,いずれはこちらの方が伸びる.ゆえに,いきなり外病院で研修するのは邪道である」
14年目の今,この考えは大きな誤りであると断定できる.大学側が人手を集めるために,単なる騙し文句を唄ったにすぎない.自分の手を汚さないで臨床をやろうとする医師にとっては,当時研修医は実に都合のいい(安い)労働力だったのだ.
なぜ研修医は大学病院を敬遠し,外病院で研修するのか.その答えは明白だ.
1)上記の雑用に煩わされることなく診療に専念できる.
2)大学のような,日ごろ病棟にあまり顔をださない指導医を持つよりも,
常にグループで診療を行う一般病院のほうがはるかに知識と技術が身につく.
3)給与がいい
4)一般病院では大学のような各科の壁がない.医局で気軽に他科の上級医に相談できる.
5)経験できる症例数は圧倒的である.
6)医局の偉い先生にいちいち気を使う必要がない.ゆえに,診断,治療,入退院のプロセスが迅速であり,患者さんにとってもメリットが大きい.
地方の第一線病院で日々逞しく成長する研修医をみていると,私はとてもうらやましくなる.









