天満放浪記

matsuken tenma blog

ジジイの嫌味

2017年05月14日 | 天満放浪記:路上編

 仕事以外でまったく知らない人と交流する機会は年に何度あるだろう。

 相手は人間に限定しようか。

 私は最近、野鳥とけっこう交流しているような気がする。大川沿いを朝うろつくと(年寄りは前の晩になんぼ飲んでも朝は6時前に目が覚める)、カラスがいっぱいいて、なんとなく挨拶せねばと思いカーカー言っているうちに知り合いができたような気がするのだが、あるとき、鬱蒼たる木の下でクークークーみたいな貧弱な鳴き声が聞こえて、なんだこりゃ、カラスの出来損ないだなあ…などと思いながら見上げていたら、背後で一羽のハシブトがギャアギャアと鳴いていた。明らかに威嚇である。どうもその木には彼か彼女の雛がいたようで、私は招かれざる客だったらしい。その後、近所のビルの谷間で別のカラスに襲われたところを見ると、どうやら大阪市北区のカラスのスマホ、いや鳥たちのネットワークで、あの変なポリ100%シャツを着た頭のおかしそうな昼から歩いている雪駄の親父、あいつは悪!みたいな情報が飛び交っているのかもしれない。

 それはともかく、相手は人。

 皆さん、いかがですか?

 実は、私は知らない人と交流するのは案外好き、たぶん得意だと思う。

 割と苦にならないのです、知らない人と話すの。

 テロリストでも犯罪者でも、たぶん。

 逆に難しいのが、知っているようで知らない人かな。

 どういえばいいのか、酒場で目にする、アイコンタクトくらいはするが言語での交流はない、みたいな微妙なあわいにいる人たち。そして、経験上、そういう人というのは私の鏡であり、むこうもそう思っている以上、基本的には現状維持でいいのだ…ということも分かっている。

 問題はそうではなく、そこの一線を越えたときである。

 つまり、さあ交流しましょう、となったとき。

 私の言っていることは分かりにくいかな。

 今どきはスマホでフェイスブックとかやっていれば、その一線は簡単に越えられる。ああ、あそこの写真で写っていたあれがあなたでしたか、初めまして!という感じだろうか。しかしながら、その種の、フェイスブックつながりのグルーピングに、たまにうっかり混じってしまった時、私は周囲の人たちのことなど見たことも聞いたこともない。でも初対面である以上、なにか交流はせねばと思い、焦るのだが、そこはジャパンではあまり努力しないでいいようなのである。デジタルでつながっている人はいいが、そうでない人は現実世界で出過ぎた真似をしてはいけない。

 なにかのイベントのお出かけの帰りにタクシーが一緒になったとしよう。私はなにか話さねば!と思うが、隣にいる女子はスマホでなにかをチェックしつつ、できるだけ私の目を避けているような気がする。その子は私には初対面であるが、グループの人たちとはフェイスブックで関係している。むむむ。

 これはなにも今に始まったことではなく、要するに「ウチの中か外か」で対人関係を築く日本文化特有のものであって、その際の「ウチ」が今はフェイスブックなどになっているだけであり、決してスマホのつくった文化ではないという気もするが、少し気になるのは、その種の、まあいわば、初対面交流嫌い、という感じの人が、実は中高年のスマホのヘヴィユーザーに多いのではないか…ということ。

 これは職業上気付いたことかもしれない。

 思うに、初対面交流が苦手な人種は、学生には少ない。

 彼らは生身の対人関係にけっこう貪欲である。

 やろう、という気構えがある。

 そして、残念ながら、中高年の「社交的なフェイスブックユーザー」の皆さんのほうが、ときとして田舎の中学生のように見えることもある。

 だからどうだ、というのはないけれど、40を越えたらもう少し、何かこう、みんなでつるんで楽しく…というのもいいけれど、それとは別のところで、用があるなら言ってみろ、場合によっては話を聞こう(@デューク東郷)という雰囲気を醸し出してもいーんじゃないかという気もするのですね。

 私はもうないけれど、それこそ酒場で、なにかのきっかけで隣のレディと言葉を交わすことがあるかもしれない。そんな場面には観客としても遭遇したいものだ。でも、その5分後に、僕(わたし)はこのフェイスブックに登録してるんですよ、よかったらご一緒に…なんてやってたら、少し興ざめだよね。

 むむむ、最近、この種のジジイの嫌味が増えたなあ。

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