天満放浪記

matsuken tenma blog

夢のアンデス文学選集

2017年05月16日 | 天満放浪記:路上編

 翻訳の仕事がままならないという話をしたが、出版社も慈善事業ではないので、なんでもかんでも引き受けるわけにはいかず、おのずと仕事を淘汰する。そうなればスペイン語圏のような未知の領域はいっそうの淘汰対象となるのは必至であり、そのなかで僅かながらも仕事をさせてもらっているのは感謝してもし足りない話である。

 ビジネスを離れてときたま夢想するのは、夢のアンデス文学選集とか。

 何度か変遷してきてはいるのだが、変わらず定位置を占めているのが三冊あって、隠すことでもないので申し上げると1冊はホセ・マリア・アルゲーダスの『すべての血』。この長い小説はアルゲーダスにあってとても評判が悪い。でもネルーダによる天下の駄作『すべての歌』にとりかかっている私にしてみたら、どこが駄作だよ…ぜんぜん読めるじゃないか…なんて思っちゃうチャーミングな小説なのですね。駄作、駄作…っていうけど、駄作である理由を論証するのは難しい。私は、ある大家の作品を駄作というのなら(無名の作家の作品をいくら駄作だと言っても、それはあなたの責任だが)、そこにはある種の愛が要るんじゃないかと思う。バルガス=リョサはすごい作家だよ、でも近作のいくつかは西村京太郎が手すさびに書いたレベルだわな、こんなのを有難かる読者が哀れだよ…とか私が言うのはあくまでバルガス=リョサを全身全霊賭けて愛しているから(??)である。そういう意味でアルゲーダス、すでに、誰もが愛する2作が杉山先生によって訳されているこの人も、あの有名な駄作が訳されて初めて日本人に読まれた、と言えるんじゃないでしょーか。

 あとの2作は、ひとつはガマリエル・チュラタの『金の魚』。これは色々な意味で衝撃的な作品である。もうひとつはエドガルド・リベラ・マルティネスの『ハウハの国』。これもまた違う意味で衝撃的な作品。ペルーという国、いや、アンデスという文化圏の見方が一変してしまうような、それほどのインパクトがある作品なのだが、難を言えば、二冊とも、これだけ読んでもわからない。アンデス系の言説をいろいろ吸収したうえで改めて読むとその奥深さに驚くという小説である。これからのラテンアメリカのローカル文学、敢えて世界系と分けてローカルと言わせてもらうなら、そのポイントはここ、つまり、素で世界市場に出て来られてもまったく分からないが、ローカルな文脈を学習したうえで読めば驚く…になるのかもしれない。これはついこの間まで、いや今もなお、ローカルな文学が世界化しないままローカルである理由として否定的に語られてきた要素であるが、私にはその辺りは受容レベルで変わり始めている気もする。

 だって、どんなローカルな情報も、今や誰でも24時間アクセス可能。

 たとえばクロエリコウテンシという鳥がいる。

 スペイン語では calandria といい、アルゲーダスの『すべての血』の冒頭でよく現れ、とても大事なイメージ群を形成している。カタカナでクロエリコウテンシとだけ訳して注で「南米の鳥」とか記してあっては興ざめだが、たとえば訳者あとがきに、この本の鳥類はすべてウィキ検索で写真を見て、あるいはユーチューブで実物の鳴き声を聞いたうえで読み直してほしい、読みが変わる!とか書いてあったらどうでしょうか。

 ローカルな情報が多すぎて世界化しない辺境文学…。

 てなことを言っているトキオのインテリなあなた、世界化してないのは、実はあなたの方なのではないか?!

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