天満放浪記

matsuken tenma blog

70歳で作家デビュー

2013年11月18日 | 映画:2013年

Nbc54まるでマフィアのような家族が本物のマフィアに立ち向かう…と宣伝は謳っているが、そうではなくて、保護観察下にある元マフィアの大物の家族が因縁のあるマフィアに狙われる話である。とちゅうで気付いたのだが、これは『グッドフェローズ』の続編と言える話で、最初ちょっと不思議に思ったのは、スコセッシの映画では裏切られる役を演じていたデニーロが、前作で裏切る役をやっていたレイ・リオッタのその後という位置づけで登場するからだろう。厳密に言うと続編ではなく、『グッドフェローズ』的な密告事件の後日譚ということになる。だから監督のベッソンは、デニーロ演じるジョヴァンニにノルマンディーで『グッドフェローズ』を見せるという御遊びを挟むことができた。そして、『グッドフェローズ』はリオッタの語りつき映画で、たしかあれはマフィアの実在する大物による告白自伝を元にしていた。だからこそ、この映画でもジョヴァンニは突如として自伝を書き始めるのである。二人の監督たちのちょっとくどい遊びが入っている。前作を見ていない人は、そちらを見てからこちらを見たほうがいいかも。

 こういう風に入れ子式に話をつなげていくなら、この映画の続編では、今度はマラヴィータこと飼い犬のシェパードが主役になるのだろうか…。

 ところで、細かいところでわりとこだわっているのが、米国人とフランス人の愛憎である。そりゃそうでしょう、米仏の大物監督による映画なのだから。でも厳密に言って米国人というより米国系イタリア人だから、これはいわばイタリア人結社によるフランスのど田舎嫌いということなのだろうか? 米国とフランスって、常に米国が田舎扱いされるけれど、イタリアとフランスならフランスが田舎扱いという話も聞いたことはある。フランス人とイタリア人の愛憎関係は知らないけれど、バーベキューの場面などでは、きっと米国人やフランス人、あるいはイタリア人のほうが笑えるようになっているのでしょう。嫌なフランスの田舎者をイタリア人が殺戮するあたりはテキサスの米国人が拍手を送ったりして。

 それにしてもデニーロってもう70歳。

 ということはジョヴァンニも70歳で作家デビュー。

 悪くない。

 デニーロは俳優なので雰囲気的には50代後半であるが、仮にジョヴァンニも本当に70歳だったとして、映画のなかであの子供が生まれるためには誕生時にオヤジが57歳くらいでなくてはならない…。私はそういうことをぼんやり考えながらノルマンディーの田舎の光景を眺めていたのでした。


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映画『ダヤニ・クリスタルの謎』

2013年11月11日 | 映画:2013年

Quienesdayanicristal国境なんてそもそもないほうがいいじゃないか…という疑問は無垢で頭の出来が悪い子どもしかしない、というのが日本の常識になっているような気が私はしている。逆に国境がどうしてあるのか、仮にあったとしてもどうしてそれをリジッドに守ろうとするのか?という問いが当たり前のように発せられている環境がどのようなものか、興味がある。

 簡単に考えるなら、それは陸続きの国々だろう。

 日本は陸の国境線を持たない。

 あそこを越えれば向こうの世界というような、目に見えるフロンティアがない。当たり前の話であるが、日本人に国境は「見えていない」のである。学校で教育はするだろう。この島とこの島が日本のものだと。海のここまでが日本の領海だと。しかしながら、残念なことにそれは「グリーンランドの東の境はここ」とか言っているのと同じで、具体的なイメージとして捉えられていない。少なくとも明治以降の日本人は「国境は太古の昔からあって当たり前」という程度の認識が普通であり、だからこそ「俺らもエラなったし、ちょっとその向こうもとったるか」といった愚かなちょっかい心を抱いたり、逆に「いつ隣の奴らに攻め込まれるか分からん」といった無意味な恐怖を抱いたりする。

 近代国家である以上は軍隊や国境も必要であろう。日本も国境に関してポリティクスはある。しかし、こちらという不思議な世界とあちらというこちら以上に不思議な世界とのあいだに境目があるという生きた感覚、つまりフロンティアに関する詩的想像力がない。これは世界でも珍しい国なのではないか。

 ということは、私も日本のさらにど田舎の大阪市に住んでいるわけで、普段は自覚することなどまずない。島国根性でも俺は困らないよ、てなもんである。珍しい国に住んでいても幸せだし。

 それを意識するのは、国境を常に詩的に受容している人々の生に触れたときのことだ。それはナショナルなものとは限らない。文化的な線でもあり得るし、宗教的な線でもあり得る。私たちは異なる宗教がなかなか共存できないことを知っている。かつては異なるイデオロギーが共存できなかった事実も知っている。そうした共存できない異物どうしは互いの間に壁を作りたがる。

 この壁を人類の多くが「できれば壊したい」と願っている。

 少なくとも若者の多くはそう願っているはずだ。

 しかしこれが国の間の壁となるとその数は激減する。

 国境線もいつかはなくしたい…。

 この発言を日本の大学の教室でしたら、おそらく失笑が漏れるだろう。しかしメキシコの大学でこの発言をし、その根拠を説明したらどうだろうか。おそらくそれは何らかの議論に発展するに違いない。

 と思ってこの映画を見ていた。

 21世紀に入ってメキシコから米国への移民が厳しく制限された結果、もっとも難所といえる砂漠が多いアリゾナが密入国の主要ルートになった。このころからアリゾナの砂漠で死亡する越境ラティーノの数が増えていく。そんななか、ある日砂漠で発見された死体の胸に掘られた入れ墨。

 それが Dayani Cristal だった。

 北部の麻薬組織 Los Zetas のメンバーも多いことから、当初はこの入れ墨を手掛かりに犯罪者履歴など広範囲の調査が行なわれたが、やがてこの人物がメキシコよりさらに南のホンデュラスから来た男であることが判明する。

 その顛末をドキュメンタリータッチで映画は追う。

 特に、アリゾナ側で越境死亡者たちの面倒を見ている役場の人々へのインタビューが秀逸だった。彼ら米国人役人にとって、不法越境者も人間である以上、死なれたくはないのである。また、仮に死んでしまったとしても、同じ人間である以上、人間としての死をまっとうさせてやりたい。だから彼らは遺体の身元調査に全力を尽くす。

 いっぽうで、死んだ男のホンデュラスの家族へのインタビューも挟まれる。妻と3人の子ども。うちのひとりは白血病で、父親には金がどうしても必要だった。日本ならマスコミを通じて募金、手術という道もあるだろうが、平均月収1万円以下の国でなかなかそれは難しい。そこで北へ行く。

 この北への移動は一昨年の映画『闇の列車、光の旅』でも描かれていた、中米を縦断する貨物列車に乗る旅だ。

 この映画では、プロデューサーとしても名を連ねるガエル・ガルシア=ベルナルが、死んだ男ヨアンの旅を自ら再現して見せる。この仕掛けもなかなかおもしろかった。ああ、こういうやり方があるのね、と。

 先日も同じメキシコのホルヘ・ボルピがイタリア沖での不法移民船沈没に憤ってコラムを書いていたが、(全般に社会批判意識が日本よりも高めのような)メキシコの若者たちが共有する問題意識がメキシコ北部に収斂していくことだけは事実のようだ。

 この映画はラテンビート映画祭の一環として関西では1度しか上映されなかったが、映画館にはうちのゼミ生も来ていたので、私は少し嬉しかったです。


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少し早いですが今年の映画ベスト

2013年11月01日 | 映画:2013年

Mbc2013今年は特撮に金をかけていそうなSF映画が多かったが、ついうっかり見てしまった5作品に点をつけていくとすると

 1:『パシフィック・リム』(ギジェルモ・デル・トロ)/ロボットが地底から這い出てきた怪獣を倒すというただそれだけの映画なのであるが、2回も見てしまいました。でも3Dで見る必要はなく、フラットな2Dを巨大画面で見たときのほうが圧倒された。最近映画館は小型化しているが、梅田ブルク7のいちばん大きい画面はなかなか迫力あり。

 ロボットや怪獣のギミック以外にも「紅一点少女」が重要なカギを握るという筋立てを見ている限り、メキシコ出身のギジェルモ・デル・トロは相当ディープなオタクである模様。

 それにしても、あんな爆走しジャンプするロボットに人間が入っていたら、一瞬にして脳がおかゆみたいになってしまうと思うのだが…。95点。

 2:『エリジウム』(ニール・ブロムカンプ監督)/この監督のミニチュア撮影が私は好きで、今回も宇宙ステーションや飛行艇全般がよくつくり込まれていて感心しました。やはりSF映画はディティールだと思います。

 舞台は2150年のロサンゼルス、ほぼ全市民が英語とスペイン語のバイリンガルという設定で、マット・デイモンのスペイン語も実に達者でした。見たのは梅田東宝シネマズのシアター9。ここは昔、ニューOS劇場と言って、私は中学時代にここでなぜか映画版『アニー』を見た記憶あり。劇場から午後9時に外に出ると、ナビオ周辺はヤングだらけ。オジサン、2150年の火星に来たような気分になりました。最近の日本の女の子って、みんな足が長いですね。82点。

 3:『オブリビオン』(ジョセフ・コジンスキー監督)/こちらは猿の惑星系のアイデアで楽しませる映画。トム・クルーズは現実世界でもこの映画のようになっていそうで少し怖い。顔にしわがまったくないし。

 小型飛行船の造形がなかなかシャープでよかったが、最後の展開は宇宙戦艦ヤマト並みの陳腐さで、もうひとひねり欲しかった気もする。

 でも前半の展開だけで合格点を出しておきたい。72点。

 4:『スタートレック イントゥ・ダークネス』(A.J.エイブラムズ監督)/私はこの悪役をやっていたベネディクト・カンバーバッチ君がどうして日本で人気があるのか、今ひとつよく分からないのだが、かつて『モーリス』とか『アナザーカントリー』が流行ったときのような需要、つまり宝塚+少女コミック的な女子ニーズがあるのかもしれません。

 それにしても開始早々で彼の正体が分かってしまった私は、けっこうトレッキーなのでしょうか。それが分かればあとは随所に前作へのオマージュがあって、監督の遊びをそれなりに共有することができます。

 おそらく続編もつくると思うが、この展開で行くと次はタイムスリップになるのだろうか。私はあの野蛮な異星人が操る小型のウォーバードが好きで、今回は少し登場したのは嬉しい。テレビ時代の小型感が再現されていた。本当はエンタープライズ号の10分の1程度のクルーザーという設定のはず。

 なので、次回はぜひ『スタートレック 惑星連邦対クリンゴン帝国』でよろしくお願いしたいところである。早くもマンネリっぽい感じがあるのを減点して少し辛口の68点。

 5:『ワールドウォーZ』(ブラッド・ピット主演)/監督の名前すら知らないが、おそらくゾンビをなめている。ブラッド・ピットはなにか金欠にでも苦しんでいるのだろうか。私としてはただ「俺はどうして平日の昼間からこんなアホな映画を見ているのか…」と猛省を迫られただけの映画。14点。

 ところで、最近のSF映画はエンドクレジットを見る限り、まるで大企業のようである。ああ、この映画にこれだけの人間がかかわったのだ…と思うと、少し複雑な気持ちに。逆に映画では作者性を前面に打ち出すのが難しいだろう。監督が個性を出せば出すほど現場は荒れるのではないか。リドリー・スコットなどは毎回周囲が往生するという。映画は集団制作だから監督といえどそう無茶はできないはずである。そこにどう個性を出すのかは、けっこう難しい話であるはずだ。人間性、社交性というか。なんとなく映画監督の個性は作家など個人製作のそれと同じように扱われているけれど、本当は少し違うのかもしれない。

 それを分かったうえで言うと、今年の映画は(5を除いて)それぞれ監督の個性が出ていてよかった。

 ワンフレーズで各監督の個性を定義していくと、まずギジェルモ・デル・トロは「ラブクラフト的なあちら側の世界」にこだわり続けている。ロボットよりも、本当は地底の向こう側が彼の興味対象なのだろう。それは出世作の El laberinto del fauno.から一貫している。

 ニール・ブロムカンプはずばり「世界の格差問題」であろう。『エリジウム』は今そこで現実に進行中の事態であり、宇宙ステーションと地球の間の溝はリオ・グランデにも、そしてランペドゥーサ島沖合にもどこにでもある。俗に言う社会派SFでしょうか。

 ジョセフ・コジンスキーは「仮想現実」だろう。なにもヴァーチャル世界に限らず、人が複数の仮想現実に属している場合どちらを選択するのか、あるいは単独の仮想現実に複数の自己が存在しているとしたら…と考えていけばきりがない。次作もこのテーマ系でぜひ。

 エイブラムズ監督は映画ではもっぱら「フィクションの上書き」をやり続けているようだ。これはパロディではなく、観る側にあらかじめ共感を強いる確信犯的な遊びである。『スーパー8』は『ET』を見ている必要があるし、スタートレックも基本的には既存のスタートレックをテレビも含めてすべて見てる観客しか想定されていないように思う。要するに観客に教養を要求するというタイプで、これはこれでありだと私は思う。

 来年はゾンビ映画にもう少し期待したい。


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奴隷が御主人どもをめった殺し

2013年03月17日 | 映画:2013年

Nmc2予想通りあの歌で始まる。しかもたぶん昔の録音のまま。『続・荒野の用心棒』ではフランコ・ネロが棺桶を引きずっているところだが、この映画はジェイミー・フォックスのジャンゴが奴隷としてほかの黒人たちと足枷を嵌められて行進している場面から。でも意外と歌の内容が合うのですね。

 そこへ現れた謎のドイツ人歯医者。怪優クリストフ・ヴァルツ演じるこの歯医者はバウンティ・ハンターで、ジャンゴだけが顔を知っている男たち3人を追っている。時代は南北戦争の2年前。黒人は奴隷として売買されていた時代のテキサスだ。

 ヨーロッパ的知性の持ち主で奴隷制を嫌う歯医者は、黒人奴隷のジャンゴが天性の拳銃使いであることを知り、やがて彼を相棒として扱うようになる。やがてジャンゴの元妻が逃亡奴隷として顔に焼印を押された上に、マンディンゴ・ファイト(黒人奴隷をどちらかが死ぬまで闘わせる賭け事)を仕切る悪名高い農園主(レオナルド・ディカプリオが演じる)のもとへ売られていることが分かる。

 一冬を過ごすうちに絆を深めたふたりは、ジャンゴの妻を取り戻すため、いよいよミシシッピの地獄の農園にもぐりこむ算段をする。しかし…。

 あっけらかんと痛快。

 密室に閉じ込められた男たちが一触即発のまま長回しで下らん会話を延々と続けて最後に爆発…というタランティーノ節が今回も数度にわたって炸裂なうえ、マカロニウェスタンへのオマージュが(分かる人間にはわかる感じで)これでもかとばかりにつぎ込まれており、音楽聴いてるだけでも涙が出そうになってきます。脇役も渋過ぎ。サミュエル・L・ジャクソンは南部の一癖も二癖もある黒人執事に扮し相変わらずの奇怪ぶり、声を聞いてるだけで笑える人だよなあ。懐かしいドン・ジョンソンがテネシー訛りのダサダサ英語を駆使し、あの白い頭巾をかぶるかかぶらないかで揉めるあいかわらずのタランティーノ的脱線の場面で大いに笑わせてくれる。ほかにもジェイムス・レマーやブルース・ダーンまで、ああ、そうだよなあ、というドンピシャのキャスティングで、もちろんタランティーノ本人も出てきて相変わらず派手に死んでいきます。

 黒人奴隷のバウンティハンターが白人をめった殺し。

 むむむ、これぞマカロニウェスタンの究極形か。

 さすがにここまでは20世紀には出来なかっただろう。

 日曜ということもあって、往年のマカロニを見て育った年配の夫婦連れが多かったように思うが、血の量からして夫婦で見る映画じゃないかも。アハハ。


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テッドちゃん

2013年03月03日 | 映画:2013年

Bc265ひとは誰でもヌイグルミとしゃべった経験くらいはあるだろう。

 ただし子どものころにだ。

 少々おっとりした女の子なら20代でもお気に入りがいるかもしれない。いつまでも女「の子」を続けていたい困ったサンなら、30でも40でもお気に入りのヌイグルミがいるかもしれない。これらはすべて許容範囲である。

 だが30を越したオッサンがヌイグルミと話していたら?

 警察に通報したくなりますよね。

 ハハハ。

 ヌイグルミに話しかけるというのは独り言ではありません。よく誤解されるので断っておきたいのだが、ヌイグルミに話しかける、のではなく、ヌイグルミと話しているのだ。双方向なのです。これは二重人格ではなく、オート双方向とでも呼ぶべきコミュニケーションで、精神障害でもなんでもない。

 分かりにくい人はトム・ハンクスが主演した『キャストアウェイ』という映画を観るとよいと思う。FEDEXだったかDHLだったかの敏腕社員が自社飛行機で事故にあい、太平洋の無人島で暮らす羽目になる。落ちた貨物の残骸から彼が友に選んだのはバスケットボール。彼は次第にこのボールとコミュニケーションするようになる。最後にボールとのお別れのシーンがあるのですが、必ず泣けます。

 これを見ても分かると思うが、ヌイグルミに類する対象はそのうち私たちにも語りかけるようになります。

 ハハハ、狂ったと思わないでね。

 当たり前のことを言ってるだけなので。

 そんなぬいぐるみとのコミュニケーションを映像化したのがこの映画。いや~今の映像技術はなんだってできるのね。

 この映画のユニークな点はヌイグルミが歳をとっていること。クマのテディ(テッドちゃん)ではなく、ただのテッドになってるんである。

 もちろんぬいぐるみが主眼の映画ではない。

 マーク・ウォールバーグ演じる主人公が1980年代的なマインドを修正できないまま中年を迎えているという、その象徴としてテッドというブサカワキャラが持ち出された。アメリカ人的な読みはそうだろうと私は思います。

 驚いたのはあの伝説の映画の主人公がほんとうに登場すること。やっぱりアメリカ人もこの映画が好きだったんだ!

Nmc1なんと私、DVDまで持っていました。知らない人のためにいちおう紹介しておくと、『フラッシュゴードン』はアメコミのスーパーヒーローのひとり。ただし「ただの人間」(と、クイーンの主題歌も言っている)で超能力などは皆無、また「ただの英雄」なのでバットマンみたいな陰もなく…という、まあ、昨今流行りの屈折アメコミキャラとは対照的な、要するに「滅びゆくヒーロー像」の象徴みたいなキャラでした。アメリカ風のゆるキャラですね。

 でもアメコミ界の超大物なので、だれもが映画化を望んだ。一説ではジョージ・ルーカスも映画化権を狙っていたとか。いや、ルーカスみたいな物語主義者に権利が渡らないでよかったですね~と、私なんかは思う。皮肉なことに、金を湯水のように投下して作ったらしいこの映画『フラッシュゴードン』は、無名のルーカスが低予算でつくった創作SF『スターウォーズ』の栄光の陰ですっかり “超失敗作” の汚名を着せられることになったのだった。ただ、なかに細々と「むむむ、スターウォーズみたいなリアルすぎるのより、こーゆー極彩色のおちゃらけ活劇のほうがいいんだがなあ…」と思っていた暗い子どもたちがいて、ちなみに私もそのひとりでした。

 映画『フラッシュゴードン』は確かに超大作。

 ちなみに『フレッシュゴードン』というのはこのキャラを流用した有名なポルノ映画なので間違えないように。

 悪の皇帝ミンにはマックス・フォン・シードウ。この人、ベルイマンの映画に出てた時から老けてましたが、老け役でもう何十年も現役をやっているという、本当に不思議な俳優です。そのミンの娘の悪い姫にはイタリアのオルネラ・ムーティ。この映画でのボンデージファッション最高です。ちなみに悪の将軍役でちらりとサディスティックな三白眼を見せていたマリエンジェラ・メラートさんも先ごろ亡くなりました。フラッシュの頭脳役のハンス・ザーコフ博士にはユダヤ人のハイアム・トゥポル。フラッシュのライバル兼友人になるパリン王子にはボンドになる前のティモシー・ダルトン。

 けっこう豪華キャストだった。

 主役のサム・ジョーンズを除いて。ハハハ。

 で、このサム・ジョーンズが『テッド』に本物として登場するのです。なんともダサダサ映画で主役を張って、案の定その後はパッとしなかったこの一発屋(にもなれなかったというのが正しい)俳優こそが、1980年代のすべてを体現しているのである。ほかにも流れる曲やファッションがすべて80年代というあの能天気なだけの(オースティン・パワーズ言うところの「エロもグロもなにもないスッカラカンの」)時代にかかわっていて、主人公の携帯の着メロがTVドラマ『ナイトライダー』の主題歌だったりする。

 なので、そういうのにいちいち笑えない人たち、具体的には80年代以降に生まれた若い世代には、この映画を笑いつくすことは無理だろうとオジサンは思いました。21世紀の変わりゆく社会にすこし疲れている中年オヤジ。そいつがダメな自分を最後に肯定する物語。そう、アメリカ人の好きな「自己肯定物語」だったのです、この映画。

 それにしてもミラ・クーニスちゃんは可愛いですね。

 結婚してほしい。


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