天満放浪記

matsuken tenma blog

これぞまさしく白人の家

2017年01月23日 | 西:ラテンアメリカ情勢

 1月20日を境にいろいろと動いているが、あの男に対して総理が「一刻も早くお目にかかりたい」などという奇妙な敬語を使ってしまう、世界でも稀なこの自称独立国ではあまりその動きが伝わってこない。なのでスペインのエルパイスを見ていると、さっそくこんな記事が。私は常々、全世界最大のスペイン語話者集団は米国にいる、スペイン語圏の勉強とかいうなら、まずはテキサスやアリゾナの話をしろ、とか言っているのだが、5年後には訂正していたりして。とりあえずは静観するしかないが、今のところは、スペイン語圏という語の意味自体に変更を迫るとんでもないことが起きつつあるようだ。阪大第二外国語中級の皆さんは来週いっしょに読みましょう。

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ドナルド・トランプのホワイトハウス、ホームページからスペイン語を削除か(シルビア・アユソ、エルパイス・オンライン、2017年1月22日)

 ドナルド・トランプが米国第二の民族集団ヒスパニックの共同体にまたもや門戸を閉ざした。新閣僚にヒスパニックがひとりもいないこと(過去30年間なかったこと)に加え、ホワイトハウスはネット上に有していたスペイン語による広報を中断している。オバマ政権時にいたヒスパニック系諸問題専属のスポークスマンも現時点ではいない。ホワイトハウスは文字通り「白人の家」になったのである。

 20日金曜日の正午、就任後のトランプ氏が就任演説を行なっている間、ホワイトハウスの所有者はアナログレベルでもデジタルレベルでも一変しつつあった。大統領公式ツイッターはオバマ氏からトランプ氏のそれに変更され、ホワイトハウスのホームページも同様に、表紙の写真が新たな主に替えられた。しかし変化はそれで終わらなかった。新政権が取り組む課題(訳注:issues スペイン語版で asuntos)が抜本的に変容した――気候変動問題、キューバ問題、対イラン核合意協定問題といったオバマ政権時の課題はさっそく消去された――のに加えて、もうひとつ消えたリンク先がある。En español.

 このリンクはオバマ時代にはスペイン語版につながっていた。そこには英語版での主要な情報のスペイン語訳に加えて、特にヒスパニックの共同体にとって本質的利害の絡む諸課題が情報開示されていた。そのなかにはいわゆるDACA、合法的滞在資格のある子供のいる非合法移民の強制送還免除政策などが含まれていた。

 2期にわたるオバマ政権時、ホワイトハウスはヒスパニック系共同体向けの特別なスペイン語ブログも運営していた。そこでは移民政策から、キューバとの国交正常化問題、プエルトリコの経済危機といった諸問題がスペイン語で語られていた。

 新大統領はツイッター好きで知られるが、ホワイトハウスのスペイン語による公式ツイッターはオバマ氏時代のものを最後に凍結されていて、新政権はトランプ氏の私的ツイッターを公式なものとして流用している。1月13日に投稿された前ホワイトハウス最後のスペイン語公式ツイッターはこちらだ。(訳:これまでありがとう。私の最後のお願いは最初のそれと変わらない。私に変化をもたらす力を期待するのではなく、あなた自身の力を信じてほしい。)

 現時点ではオバマ時代にあったポスト、すなわちスペイン語圏のメディアやヒスパニック系の諸問題を扱う際に登場していた、スペイン語話者の政府スポークスマンも置かれていないようだ。

 新大統領にとってヒスパニック系が優先課題でないことは選挙戦中からすでに明らかであった。トランプ氏はラテンアメリカからの移民が諸悪の根源であるとし、米国在住ヒスパニック最大の母集団である隣国メキシコの人々を困惑させた。彼が選挙戦で用いた唯一のスペイン語は bad hombres という英語交じりの侮蔑表現だった。ヒラリー氏との最後の公開討論で、彼が当選後に一掃すると誓った「危険な不法移民」を指して用られた言葉である。

 トランプ氏はさらに、共和党予備選で敵対していたジェブ・ブッシュ氏が選挙戦中にスペイン語で地元民に話しかけたことすらも批判している。

 彼は2015年9月に開かれた共和党の候補者討論会ですでにこう述べていたのだ。「この国の一員になりたければ英語を話さなければならない。こう言っているのはなにも私だけではないのだ。ここは英語を話す国なのであって、スペイン語ではない」。その後、長い一年が過ぎ、選挙を勝ち抜いてホワイトハウスの主となったトランプ氏。このときの考えは今なお変わってないらしい。


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大統領ツイートあれこれ

2016年12月25日 | 西:ラテンアメリカ情勢

 ドナルド・トランプのツイッターが世間を、というか世界をにぎわせている。トランプスピーチで英語を改めてキチンと学び直そうと思っている私もフォローすることにした。その結果、英語のあまり分からない私でも、こんな八尾の立ち飲み屋で息巻いてそうなオヤジを元首にするなんてアメリカ人は大丈夫か…と不安になったのでした。

 そのトランプツイート、クリスマスに「ハッピーハヌカ」ときた。ユダヤコミュニティのあるアルゼンチンなどではマクリ氏がハヌカを祝うツイートをしていたが、トランプがなぜ? そういえば国連でイスラエルの占領地入植停止決議が採択され、オバマがそこで否決権を行使しなかった、ひょっとしてこれへの抗議か、と思って少し調べたら本当にそのようです。小説なんかよりずっと解釈の勉強になりますね、ツイッター。ラテンアメリカ文学を「代表する」と言われることが驚くべきことに稀にでもある小説家パウロ・コエーリョが、かつて、ジョイスより自分の方が偉い、ユリシーズなんて読破した人間はわずかだが、私のツイッターは何百万の人々が見ているのだ、と言っていた。ある意味で真実かもしれない。大学も文学の講義などせずツイッター解釈論とか開講すべきかも。

 ところでアメリカ大陸には他にも国があります。

 ちょっと気になったので、各国大統領のツイッターを全部のぞいてみた。

 特に、11月25日のフィデルの死に際し、各国首脳がどのようなコメントを出したかで、だいたいその人の性格や思想が見えてくるだろう。こういう記事も出ているが、改めて確認していこう。

 メキシコはエンリケ・ペニャニエト大統領。66年生まれということは私の2つ上、私の兄と同い年のようですね。むむむ。最初の奥さんに先立たれて女優と再婚、愛人との間に婚外子が2人。なかなかやりますね。わりとイケメンだし。フィデルのことは referente emblemático del siglo XX だったとしている。さすが「いちおうインテリ」、難解な言葉をお使いになります。

 グアテマラは元コメディアンのジミー・モラレス大統領。国民の過半が先住民インディオという可憐な小国の大統領ブログは更新があまりなく、犯罪がらみのものが多い。6月10日のナルコは写真だけでも怖いよ。ジミー君は元コメディアンであるが、フィデルについては El Pueblo y Gobierno de Guatemala jamás olvidará a Fidel Castro por ser un amigo que tendió su mano cuando más lo necesitábamos.とツイート。我々がもっとも必要としたときに手を差し伸べてくれた友、と敬意を表した。

 エルサルバドルは元FMNL所属ゲリラのサルバドール・サンチェス大統領。元ゲリラとか元コメディアンとか人材が豊富な地域だなあ。エルサルバドルなんて国があること自体、知らない人も多いでしょう。ぜひ大統領ブログをご覧あれ。元闘志の大統領はフィデルにこんな言葉を捧げた。La humanidad ha perdido a un gran hombre, que supo interpretar y transformar al pueblo.(人類は偉大な男を失った。人民を代弁し変革できた男を。)翌日はエルサルバドルから米国などへ移民していった人々に、困ったら現地領事館に助けを求めてと訴えている。中南米の国では国外移民のケアが重要課題となっている。理由は単純。行った先でケアしてくれないからだ。

 ホンジュラスはフアン・オルランド大統領。フィデルの死のときにはハリケーンで壊滅的被害を受けた先住民居住地域の援助で手一杯だった模様。災害時にここまで細かく国家元首が情報把握をしていてくれたらありがたい。小国だからこそできるのかもしれないが。

 コスタリカはルイス・ギジェルモ・ソリス大統領。こちらもハリケーン被害のケアでてんてこまい。ホンジュラス大統領と同様、フィデルの死に関してはオフィシャルな声明のみ。中南米では、いわゆる左派政権ではないかぎり、公人がキューバに対し極端にシンパシーを示すような真似はしないのだろう。

 ニカラグアはダニエル・オルテガ大統領。こちらはツイッターは1年前に止まったままである。大丈夫? カストロ路線をある意味で継いでいるオルテガ氏だが、中国を巻き込んだ大洋間第二運河建設という大ばくちに出ている。したがってこの国は現在、事実上、中国のラテンアメリカ進出の拠点ともいえる場所だ。百年前には米国がパナマで同じことをしている。歴史は繰り返すのでしょうか。

 そのパナマはフアン・カルロス・バレーラ大統領。気のいいオッサンという感じ。パナマは死ぬまでに一度訪れてみたい国の一つだ。あの人工的な都市の景観がいろいろな想像を刺激してくれそうで。

 キューバの横にあるドミニカ共和国はダニロ・メディーナ大統領。公式の哀悼の意の次で Emblemático símbolo de la lucha contra la desigualdad, convirtiéndose en una de las figuras más influyentes del siglo. Descanse en paz.と少し個人的感想を書いている。不平等に対する闘いの象徴、と書くだけで、この人の物の見方が分かる。キューバ革命は、それを論じる人間の思想や生き方を測る、とても便利な物差しになっている。

 コロンビアはノーベル賞授賞式の記憶も新しいフアン・マヌエル・サントス大統領。はじめて幸せなクリスマスを迎えた、と和平交渉成立の成果を強調している。フィデルの死に際しては公式な哀悼の言葉の次に(ツイッターはこの公式声明の直後の「お気持ち表明」が注目ね!)なかなか面白いツイートが。Fidel Castro reconoció al final de sus días que la lucha armada no era el camino. Contribuyó así a poner fin al conflicto colombiano.(フィデル・カストロはその最期に武装闘争が進むべき道ではないことを認めた。そうすることでコロンビア紛争終結に寄与してくれた。)この言葉はくだらない詩よりもポエティックで含蓄に富んでいる。さすがノーベル賞?

 お隣ベネズエラはニコラス・マドゥロ氏。マドゥロ(成熟した)の名の割りにいっこうに国のかじ取りが成熟しないと言われるマドゥロ氏であるが、ツイッターを見る限り幸せな国を統治しているように見える。フィデルの死に際しても怒涛のツイート。そんなことしてる場合か…おまえ。

 エクアドルはラファエル・コレア大統領。この国は4月16日に生じ、死者600人以上を出した地震の復興に追われている。クリスマスのメッセージはやはり移住者へ向けたもの。国を出ていった人たちのほうがネットメディアを見ていることを意識してのことだろう。左派のコレア氏はフィデルの死に際して「彼の革命は時空を超える」と敬意を表している。その次のツイートでは「サッカーの試合ごときで人が2人も死ぬなんて許しがたい」と言っていて、なにかキトのスタジアムで事故でもあったんでしょうか。面白いなあ、南米。

 ペルーはPPKことペドロ・パブロ・クチンスキ氏。この人はフィデルやキューバには何のシンパシーも感じていないだろう。11月26日にはチリを訪れている。ちなみにサンティアゴ市内はペルー料理屋さんだらけ。それもそのはずだ、あんなサンドウィッチとスープしかない国ではペルー料理はあまりに魅力的で…これ以上言ったらチリ人に怒られる。

 そのチリでPPKを出迎えたのがミシェル・バチェレ大統領。この人の経歴と思想は今さら確認するまでもないのだが、微妙な歴史を持つ国のかじ取りをしている以上、これがフィデルへのぎりぎりの敬意の表明だったのだろう。Mis condolencias al Presidente Raúl Castro por la muerte de Fidel, un líder por la dignidad y la justicia social en Cuba y América Latina. 後半、キューバとラテンアメリカに尊厳と社会正義を求めた指導者、という部分の「発言されなかった気持ち」を想像するだけで面白い。

 マドゥロと並ぶフィデルの弟子筋に当たるのがボリビアのエボ・モラレス大統領。国家の主権と世界人民の尊厳のために戦う方法を教えてくれた師匠、といった、本当に師を敬う弟子のような言葉が並ぶ。しかしその他のツイートを見る限りボリビアも前途多難であるよなあ。ここは20年前のペルーのようになっているとも聞くので、近々ぜひ訪れてみたい国の一つだ。アイマラ語の教育をやっている写真も興味深い。

 パラグアイはオラシオ・カルテス大統領。かなりスカスカで、11月9日にはトランプおめでとうとかツイートしているので、大丈夫か?と思ったりもするが、よく考えたら公職の人間がツイートなんてやってる暇があったら仕事しろよ、という気も。政治家はツイートが少ないほうがほんとはマトモなのかもしれないが…。

 と思っていたら、ようやくツイッターをやらない人が。ウルグアイのタバレ・バスケス大統領は、大統領執務室が代行して「大統領は~と述べている」という形のツイッターを運営している。まあ、これが当たり前だよなあ。国家元首がペラペラしゃべりまくる時代が来るなんて、いったい誰が想像したでしょうか。ヒトラーがあの世で臍をかんでいるかも。

 最後はアルゼンチンのマウリシオ・マクリ大統領。PPKと並ぶ新自由主義ゴリゴリの人なのでフィデルの死にも素っ気ない。

 以上、各国元首のツイートぶりを見てまいりましたが、トランプ氏に負けないくらいに、どこも皆さんお元気。スマホを持たない私も、机のPCで、公人のツイッターなら読める。文学に当てている時間の半分はこちらの読解に費やした方がいいのかもしれないな。ひょっとして。最後にこちらはクリスマスのプレゼントです。あの人によるスペイン語のツイート。


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いよいよ決戦

2016年05月31日 | 西:ラテンアメリカ情勢

 大統領選が近づいてきた。

 初の女性大統領の誕生なるか。

 それとも史上まれにみる富豪大統領の誕生となるか。

 というのはアメリカ合衆国ではなくペルーの話である。29日の大阪日日新聞(共同通信)によると世論調査ではケイコ氏が有利。ケイコ氏は前回選挙も出馬したが、父アルベルト・フジモリ氏(人権侵害事件で禁固25年の服役中)の負のイメージを払しょくしきれず、元軍人ウマラ氏に敗北した。ケイコ氏は良くも悪くも父フジモリ氏の支持基盤を継いでいるので、大雑把にいえば貧困層からの支持が厚い。今回も対立候補クチンスキ氏の公約を「大企業の利益を守るためのもの」と攻撃し続けているもよう。

 前回選挙ではクチンスキ氏をはじめとする自由主義と企業経済を重視する候補が全滅し、結果的に左派路線軍人というベラスコ独裁政権を思わせるウマラ氏と、父フジモリ氏のひいたポピュリズム路線にのっかったケイコ氏の争いとなり、作家バルガス=リョサが「ペルー国民にとってはエイズか癌の二択になってしまった」などと発言して物議をかもした。

 今回は貧困層に支持を得ているポピュリズム政治のケイコ氏と、企業活動重視派のクチンスキ氏の勝負となり、実はこれはそう、父フジモリ氏と「自由主義政治家」バルガス=リョサの一騎打ちとなった1990年の大統領選の再現。そのバルガス=リョサの動向にいちおう注目しているが、今回は沈黙を保っているようだ。実はクチンスキ氏は90年選挙でバルガス=リョサの経済顧問だった。近ごろ翻訳が出た自伝『水を得た魚』(寺尾隆吉訳、水声社)でも彼のことがちらりと描かれている。ブラジルで前年に当選したばかりの「イケメン大統領」コロルとの対談場面で(上掲書389~390ページ)。

コロルとの会談は終始友好的なムードのうちに進んだが、私の経済政策担当顧問の一人だったペドロ・パブロ・クチンスキーが昼食中の会話を取り仕切り、時には、新ブラジル大統領に対して、あれはダメ、これをしろ、など指図とも取れる助言を冗談半分に繰り出し続けたせいで、水を差された格好になった。第二次ベラウンデ政権でエネルギー・鉱山大臣を務めた―ベラウンデ政権最高の大臣だろう―ペドロ・パブロは、かつてベラスコ独裁政権に追われて亡命を余儀なくされたが、これが勿怪の幸いで、それまでペルー中央準備銀行の下級職員しか務めたことのなかった彼は、ニューヨーク・ファーストボストンのエグセクティブとなり、後には、ベラウンデの口添えもあって、その社長にまで昇りつめた。この数年は世界を飛び回り―いつもチャーター機を要求し、それが叶わないとなればコンコルドを選んだ―、企業の民営化をサポートするとともに、市場経済について、そしてその達成に向けた手順について関心を示す国があれば、イデオロギー色を問うことなくどこへでも駆けつけて助言を与えていた。経済分野におけるペドロ・パブロの才能は秀でていた(ジョギングや、ピアノ、フルート、リュートの演奏、それにジョークの才能まで備えていた)が、それ以上に虚栄心の強い男であり、この昼食会では特にこれが強く出たらしく、経済学を講義するかと思えば、必要とあらばいつでもお力になりますよ、と自分を売り込み、とにかく片時も口を閉ざすことがなかった。

 自分の顧問なのにけっこう言いたい放題。虚栄心の強い男だ、ってあんたに言われたかないよ…とクチンスキ氏も思っていることだろう。とはいえ、そこは小説家だけあって、人物描写のポイントはしっかりと押さえている。クチンスキ氏という人をまとめると、ベラスコ政権時に亡命している(=資産家である)、外資との太いパイプをもつ、各国(おそらく第三世界が中心)の経済政策に詳しい、となり、こうした資質はケイコ氏にはおそらくまったくないものだ。

 ではケイコ氏に何があるか?と言えば、そこは私にもよくわからない。米国の大学で経営を学んだということもあって、クチンスキ氏の得意分野にも一定の目配りはあるのかもしれない。お父さん同様、かなりのしたたか者であろうと思われる。

 ただ、政策はよくわからないのに人気だけある…というのは、私のような大阪市民がよく知っているあの事態。それを考えると大雑把にポピュリズム政治家と言っちゃっていいのかも。

 その辺、彼女が当選した暁には、日本のメディアが競って取り上げることだろう。

 敢えてわかりやすい構図にすれば「底辺層ケア型」対「トリクルダウン型」の対決、要するに父フジモリ氏とバルガス=リョサとのリベンジマッチと言えよう。

 結果が判明するのは6月5日。

 どちらになろうと、おそらくその直後からノーベル賞作家が声を上げ始めると思うので、そこを実況していきたいと考えております。


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地球の裏側の大統領:4(最終)

2015年03月05日 | 西:ラテンアメリカ情勢

  April is the cruellest month, breeding

  Lilacs out of the dead land, mixing

  Memory and desire, stirring

  Dull roots with spring rain.

 という『荒地』冒頭の april に march も may も私は加えたい。

 一言でいえば春が嫌。

 一年でいちばん嫌な季節だ。温暖化がこのまま進んで暦から消滅することを願ってやまない。中米みたいに雨季と乾季だけでいいじゃんか。そう思います。

 エリオットの詩は春の気色悪さを端的に表現している。むずむず感とでもいいましょうか。春がもっとも残酷だと思うのは、もちろん花粉を飛ばすからである。目と鼻もさることながら、この時期は冬以上に肌が乾燥し、今こうやってパソコンの前でも私は頭をしじゅうかきむしっている。詩にあるような植物の蠢動も気味が悪い。なかでも群を抜いて気色が悪いのが桜の木。あんなものをいいと思う人々の感性が私にはよくわからない。見ていて吐き気を催すのがこの時期3月上旬の桜で、あの中学生のニキビみたいにボツボツ噴き出たな蕾に赤ん坊の肌みたいなうっすらとした紅色がさしているのが、マジ鳥肌立ちます(感動したという意味ではありません)。

 いっせいに咲いてすぐ散るのもウザイ。

 まるで崖から集団で飛び降りるレミングの群れである。

 あと何が嫌かと言って4月は授業が始まってしまう…と、これ以上言うと本当に石を投げられそうな気がしてきたので慎むことにしまして、その授業のシラバス記入の締め切りが明日に迫っていることをたった今、思い出しました。

 それは明日の松本さんにお任せして、昨日の続きです。

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 私たちはポシート地区へ向かう116番のバスに乗った。ポシートはモンテビデオの一区画で、分かりやすくいえばマドリードのアルグエリェスみたいな町だ。ポシートには魚市場があると聞いたが、これは妙な話だ。これだけ豊かな海と川を目の前にしておきながら、モンテビデオの市民は魚というものをまったく食べないからだ。彼らは肉とパスタを交互に食うだけである。なんともったいない話であろうか。今日は肉、じゃ明日はパスタ。この国にはいわゆる郷土料理というものがない。私はウルグアイ料理が好きだ、という文章はあり得ないのだ。そんなものは存在しないのだから。街へ出ても肉かパスタソースの匂いしか漂ってこない。あなたが世間に逆らう変わりものであったとしても、選択肢としては、みんなが肉を食う時にパスタを食う、みんながパスタを食う時に肉を食う、の二つしかないのだ。

 ところが聞いた話によると、ポシートのブセオ市場では魚介類を売っているばかりか、シーフードレストランまであるという。というので私たちは116番のバス(であろうが112番であろうが読者にとっては同じだと思うが)に乗ってそこを目指したのだった。運転手の横にまるで玉座みたいな立派なシートがあったので、くだらない劣等感を克服するチャンスがあれば決して逃さない性格の私がそこに座ると、次の停留所にさしかかったところで女性客のひとりからお金を渡されそうになった。運転手が笑って言った。

 「お客さん、そこは切符係の席だよ。今、休暇中なんだ。ま、いずれにせよ、じきになくなっちまう職種だがねえ」

 「そんな仕事、スペインではかなり前になくなったなあ」

 すぐに他の客たちも巻き込んでこの話題に花が咲いた。やたらと饒舌な運転手にこう尋ねてみた。

 「客と話したりしていいのかい?」

 「禁止だが、そんなの知るかい」

 「イタリアのバスでは運転手に話しかけるなって表示があるんだよ」と言ってやったが、誰も笑わなかった。目的地に近付いてきたところで運転手の携帯電話が鳴り、誰か、たぶん奥さんと話を始めた。

 「運転中に携帯もありなのか?」

 「禁止だが、そんなの知るかい、規則なんてクソくらえだ、わはは」

 有名なシーフードレストランとやらは揚げ物ばかりの安食堂だったが、海に面した中産階級のややアッパーな人々(人がたいてい目指すカテゴリー)が住むポシートは快適な街に見えた。

 その夜、ホテルにもとると電話が鳴った。大統領からだった。ムヒカ氏は体調がすぐれず、アンチョレーナ行きをキャンセルしたという。苦々しい気持ちになって「まいったな」と呟き、ジョルディに教えると彼も残念そうな表情になった。

 エアコンをつけたまま寝て喉をやられるか、窓を開けっ放しにして蚊にやられるか、どちらを選ぶか悩んだ。結局、蚊を選び、目を閉じてすぐに腕に強烈なかゆみを感じた。起きて電気をつけ、新聞紙を丸めて壁にとまっているであろう敵を探した。すると、前の客がつけたのだろう、たくさんの黒い蚊の死体の染みができそこないのロールシャッハテストみたいに広がっているのがわかった。その部屋で毎回壮絶なハンティングが行なわれていることは明らかだった。私を刺した奴が見つかった。蚊にしては異常なほど大きな奴だった。私は新聞紙を叩きつけた。私自身の怒りも。壁に赤い染みができた。やがて黒ずんでいくのだろう。ベッドに戻ったとき、中央墓園(モンテビデオ最大の墓地)で見かけた貼り紙を思い出した。花を生ける穴に水を入れっぱなしにしないでください、デング熱を媒介する蚊が発生します。墓とホテルの距離を考えれば、奴があそこで生まれた可能性は十分にあるようだった。

 ムヒカ氏の体調急変で私たちは予定変更を余儀なくされた。大統領に会うことはもうできないと踏み、モンテビデオを散策してウルグアイという国を知り、人々と話してみようと考えた。国を知る方法はたくさんあるが、煙草を買うのもひとつの手だ。ジョルディと私はスペインでは煙草を吸わないが、外国では吸う。他の理由で捕まることはあっても煙草が理由で捕まることはないという迷信があるのだ。箱には同一人物の2枚の写真が貼ってあった。片方は健康な男、もう片方は酸素吸入器をつけた男。使用前の男が「体の調子はどうだい?」とにこやかに問いかけている。

 「煙草はあなたを殺します」「煙草は癌のもと」といったスペイン風のあけすけな言い方はこちらでは好まれない。ウルグアイではすべてがもっと繊細で、それはポルトガルとガリシアの血によるものかもしれない。煙草のパッケージは種類が多く、私たちは嬉しがって全部買っていった。うちのひとつは、女性が鏡を見るとそこに末期癌に苦しむ自分の姿が見える、というものだった。「体の調子はどう?」とまたもや女性が未来の自分に問いかけていた。

 煙草を買うのもいいが、市場を訪れるのもお勧めだ。私たちは古本屋と新刊書店が並んでいるトリスタン・ナルバハ通りへと向かった。ウルグアイの書店の陳列を見て彼らの教養を測れと言われたら、この国の文化度は世界最高レベルだと答えざるを得ない。しかし動物園から同じことをしろと言われたら、この国の人々は他人―少なくとも動物―の苦痛に鈍感であると答えざるを得ない。あんなに物悲しい、あんな動物たちが痩せこけた、まるで中世の牢獄みたいな動物園を見たのは初めてだった。動物たちは私たちをまるで終身刑の目に遭っているような顔で見つめ返した。

 煙草と動物園とは別にレンタカーを借りて内陸部へも遠征してみた。ちょうど嵐の真っ最中だったので、車は何度かまさしく遭難しかけた。ウルグアイ内陸部はどこまで行っても同じ風景が続く。あたり百キロ周囲が見渡せるのだ。なだらかな平原がどこまでも続き、まるで車ではなく船に揺られているような錯覚すら抱く。街道沿いの畑では小麦やトウモロコシやコメなどの穀物が栽培されている。ときおり牛や羊の群れに遭遇した。何キロにもわたって人影も人家も町らしきものもガソリンスタンドすら見えないこともあった。これは人口密度が異常に低いせいでもある(一キロ平米で約19人しかいない。ちなみにスペインは93人(訳者注:ちなみに日本は343人。アホほど人口が多すぎる国なのです))。できればブラジル国境まで行きたかったが、時間の都合であきらめた。

 「これ以上はやめておくことだ」と休憩所でくぎをさされた。「天気がひどいからね」

 アルゼンチンの金持ちが集まるので有名なプンタ・デル・エステを見逃すわけにはいかないと思い、折り返して海辺を目指した。プンタ・デル・エステはビーチ沿いに高層ビルが立ち並ぶベニドルムのような完璧なリゾートタウンだった。予想はしていたものの、がっくりの風景だった。そのまま海沿いを移動し、ホセ・イグナシオという町で初めて美味しい魚料理にありつくことができた。海岸沿いの町は人の少ないほうに面白みがあると言われて、なるほどその通りだと思ったが、とりあえず引き返してプンタ・デル・ディアブロを目指した。

 人々に会うたびにぺぺ(ムヒカ氏の愛称)はどうだった?ときかれるので、私たちはそのたびに「あなたはどう思うのか」と尋ね返した。それを聞いていると、ムヒカ氏の印象については、国外でもたれているそれと国内でのそれが必ずしも一致しないことがわかった(預言者故郷にいれられず、というわけだ)。あまりに一般化し過ぎていることは承知のうえで敢えて言うなら、知的な中産階級と富裕層は、ムヒカ氏を比較的好意的に見ているようだ。彼がウルグアイを世界地図のなかにちゃんと戻したことを感謝しているという。しかし、彼の一風変わったライフスタイルは奇異に映っているようだ。

 「変な人だから昔が懐かしいんじゃないかな」大統領が大統領宮殿を嫌って農場の粗末な小屋に住んでいることについてあるジャーナリストがこう言っていた。

 結局のところ、彼が質素な暮らしをしていたり、テレビカメラの前でサンダル履きで登場する(これは循環系の持病のせいでもある)ことについても、富裕層のあいだでは一定の理解があるようだった。彼の統治期間に国がドラスティックに変化したことを誰も否定しなかった。しかし、ときには経済政策について文句を言う人もいたし、あるいは選挙の二大公約だった行政と教育改革ができていないと非難する人もいるにはいた。さらに治安の悪化を嘆く人もいたが、ジョルディと私が見た限りでは、モンテビデオはマドリードやバルセロナなどのヨーロッパの町と同じ、世界でもっとも治安のいい首都であるように思われた。

 「あの親父は強烈なキャラを自分でつくっちまったんだ。今じゃそのキャラが話しているのか、素顔の本人が話しているのか、誰にも分からんのだよ」と言う人もあった。

 ムヒカ氏への支持は社会的階層を下降するに従って高まっていく印象があった。中産階級より下の人たちからは絶大な支持を得ていた。彼らはムヒカ氏を仲間だとみなし、その意味で彼がいまだに質素な暮らしを続けているのも納得がいくようだった。  

 こうして三日ほどが過ぎたころ、大統領府から電話があった。それによるとムヒカ氏はアンチョレーナ行きをキャンセルした件をとてもすまなく思っているそうで、もしよければその週の金曜に改めてどうだという。二人のスペイン人(フィンランド人でも何人でもいいが)ジャーナリストとの約束をキャンセルしたことを一国の大統領が「すまなく思っている」こと自体が不思議だった。ひょっとして冗談か? 私たちはもちろん行きますと答え、ホテルに13時に迎えに来てもらうことに決まった。大統領の家に寄って彼を拾い、そこからアンチョレーナへ行って見学し、夜にモンテビデオにとんぼ返りという予定だった。80歳の大統領にはあまりに酷な日程で、彼の寛大さに頭が下がる思いだった。

 大統領専用車はなんの表示もないありふれたフォルクスワーゲンだった。運転手は大統領の家まで向かう道中こんなことを言った。

 「ぺぺは私らと同じで人から隠れて生活をしたりしません。スーパーにも金物屋にも行きます。焼き肉が食いたければ焼肉屋だって出かけます。家にも使用人はいませんしね。掃除だって自分でするんです。ビートルを運転するのが大好きなんですよ」

 「約束通りアンチョレーナへ行って写真を撮ろう、それからちょっと飲んで帰ることにしよう」ムヒカ氏は昼寝から起き出してきたばかりのような、洗いたての髪を濡らしたまま現れてこう言った。

 アンチョレーナは、同姓のアルゼンチン人がウルグアイ政府に大統領専用邸宅として利用させることを条件に寄贈した、千三百ヘクタールの農場であるという。条件には他にも、転売の禁止、年に30日は大統領がそこで過ごすこと、の二つが含まれていた。事の発端は、アルゼンチン有数の富豪だったアンチョレーナ氏が気球に乗ってラプラタ川を渡り、たまたま着地した川沿いの場所を大変気にいってしまったこと。彼はそこに英国風の大邸宅を建てさせ、他にも馬場等様々な施設を設けさせた。世界中の植物をもってこさせ、今では巨大な自然公園となっている。

 車のなかでムヒカ氏は助手席に座り、ジョルディが運転手の背後に、私が大統領の背後に座った。

 「先週の土曜はどうされたのです?」と私は尋ねた。

 「いや、雨のせいで滑って転んでな。応急処置はしたんだが」

 この雨はまったくしつこいな、と彼は言った。ムヒカ氏は地方の農場に生まれ、この国最大の富の源泉を知るべく世界中の畜産業について数年間学んだそうである。と、ここまで話して彼のノキアが鳴った。「ああ、あんたか、ああ、会うと伝えてくれ」電話をすぐに切ると大統領はまた昔話に戻った。17歳か18歳のとき、当時はウルグアイに亡命中だったホセ・ベルガミン(訳注:スペインの作家、内戦時に亡命)の授業に出たことがあるという。20歳までに文学と哲学をむさぼり読んだ。ベルガミンからは文章作法の授業を受けたという。それ以降は理系の本へと傾いていく。彼の世代はスペインを文化的な父とみなしていたらしく、彼も98年世代やオルテガ・イ・ガセーをそうとう読んだという。現政権の農業相はコメ農家にしたそうだが、これは農業用水の9割をコメが消費するからだそうだ。地下水層が常に海水と接していることから、ウルグアイでは農業用水の問題が頻発する。海水を除去する必要があるが、それを昔からやってきたのがコメ農家だということだ。小麦は近年栽培され始めたのだという。

 「あそこは獣医学部をつくっているところだ」とある一点をさしてこう言った。

 彼が言うには、昔のアナーキストたちはまず書庫を作って印刷物をするところから始めたそうだ。1900年から20年にかけてウルグアイでは無政府主義思想が浸透する。アナーキストは次第に減ったが、社会問題に対する国民的関心は持続した。さらにアナーキストたちのおかげで労働組合が結成される。

 「父は私が七歳のときに死んだ。母ととても小さな農場で暮らしていたんだ。でもそういう土地が次々と労働者用の町に変わっていった。農民が消えて作業服を着た工員が増えていった。私が政治に興味をもったのはそういう環境だ。やがて学校で自由主義のグループに混じるようになった。そのときのモットーは“サボってクビになるのではなく、闘ってクビになれ”だったな。それ以前の近代アナーキストは仕事をサボるために闘っていたようなもんだから」

 去年公務でスペインへ行った際、サルスエラ宮殿で国王と面会したそうだが、それにどれだけ金がかかったことかと彼は愚痴る。ほかにすべきことがあるのに、あんな馬鹿なことに金をつかうなんてと。父が亡き後の農場では母が細々と花を栽培していた。当時は墓参りの習慣がまだあって花がよく売れたのだ。彼は、空気は売っても土地を売ってはいかん、と主張する。こんな緑でいっぱいの土地は世界でも他にないからな、と左右の大地を見渡しながら言う。石油は枯渇しても土地だけは枯れん、と。

 「あの黄ばみは」小麦プラントの屋根を指さして大統領が言う。「窒素だよ、雨のせいでな。窒素は水に溶けやすい」

 彼はフアン・カルロス国王に触れて、あの象狩りの写真が致命的だったな、コリーナ(訳注:コリーナ・ツーザイン・ヴィトゲンシュタインは国王の愛人)の件はともかく、あの象はひどかった、と言った。

 「サルスエラの晩餐では国王とどんな話を」と私は尋ねた。

 「世界情勢についてだ」

 「決まり文句ばかりでしたか?」

 「どんな国家元首だって人間だぞ。みんなトイレに行く」

 「国王があなたのお宅のキッチンで食事している姿は想像できます?」

 「彼は私の家では食事できんだろうな、私も彼の家では無理だし。私はどんな人にも敬意をもって接するよ、招かれたらテーブルにもつく。でも自分にふさわしい食卓がどこかは分かっているつもりだ」

 ヘクタール当たり3千キロの小麦は千五百ドルに相当すると彼は言う。「ただし正味は五百ドルだ。四か月の労働には見合う額かな」

 ドルを信用するのは東方三博士の存在を信じるのと同じだとムヒカ氏は言う。布を売ってもらうのに伸縮自在のゴムで長さを測られるようなもんだからな、ということだ。彼は無神論者だが、宗教については哲学的かつ政治的重要性があるという。

 「ウルグアイで無神論者をやって困ったことはない。バッジェ(訳注:ホセ・バッジェ・イ・オルドーニェスは二十世紀初頭のウルグアイ大統領)は強烈な政教分離主義者で神の d の字を小文字で書いたほどだ。私はアンチ宗教の立場ではない」

 アノチョレーナは噂以上に素晴らしい場所だった。まさに天国。二十世紀初頭風の瀟洒な邸宅が建造時のまま敷地の中央にそびえ立つ。広大なキッチンを見るだけで19世紀小説の世界に誘われるようだ。バスルームも往時のスタイルのまま保存されている。大統領は建物のひとつひとつを案内してくれたが、何度見てもいまだにこんな浪費は信じがたいとでも思っているかのように、建物を移るたびに目をむいていた。奥さんと週末を過ごすときは、おそらく客か使用人が使用していたと思しき小さな棟を使用しているという。彼らはそこをプチホテルと呼んでいるそうだ。トイレのひとつを通りかかったので、使ってもいいかと尋ねてみた。

 「トイレなんて好きなだけつかうといい、山のようにあるから。真ん中の邸宅にはブッシュとかアルゼンチン大統領のような連中まで泊まっていったよ。あいつらが帰ると掃除をしてまた閉める。あんたらの国王陛下が来られたら、ここにお連れすることになるだろうな」

 冷たいものを飲んでから、ジョルディと大統領と私の3人だけでランドローバーみたいな車に乗った。大統領の運転で、私たちは広大な敷地内を回ることになった。行く先々に鹿がたくさん歩いていて、おそらく何百、何千頭といるみたいだった。それにしてもおかしな状況だった。世界のどこを探しても、一国の元首がどこの馬の骨とも分からない外国人ジャーナリストを相手に単独で車を乗り回すなんて、まずあり得ない話だったから。敷地には噂通り世界中の植物が生い茂っていて、雨で湿った地面のうえを、大統領の運転する車が奇跡的に木や藪をかわしつつ走っていった。

 車が止まったところで大統領に所持金額を尋ねてみた。

 大統領は尻のポケットから古びた財布を取り出した。

 「2~3万ペソだな。実は私は買い物係でね。カードは持たない現金主義だ。昔べスパを買おうとしたら分割でいいって言われたんだ。その分割っていうのがべスパをバラバラにするのかと思ったらカードの分割払いだって分かった。結局現金で払ったが、百ドル以下にまけさせるのはさすがに無理だったな」

 大統領の所持金にはおそらく電話番号だろう、いろいろなメモ書きがあった。何枚かのドル札もあった。

 「そのドルは?」

 「ああ、これかい、変に思うかね、これは外国へ行くとき用だ。といっても飛行機を降りた瞬間に拉致されるから、つかう機会はないよ。こいつらは世界で一番長い旅をしてきたドルじゃないかな。中国へも持っていったし、他にも世界中を旅している」

 結局最後は小さな砂浜に出た。ラプラタ川を挟んで対岸のブエノスアイレスがかすかに見えていた。風に吹かれてひしゃげてはいるが、なんとか砂に根を張って持ちこたえている松の木があった。

 「あの木を見ていると嘘みたいに思えるな」と大統領が言った。「我々人間が命をいとも簡単に粗末にすることがね。人生は長いっていうのにな」

 敷地の中心部に戻ると、今度は牛舎に案内された。アンチョレーナでは農場経営も始めていて、その収入額を施設の保存と20人ほどいる管理人の給料に充てる予定とのことだった。

 私たちは午後の最後のひとときを、アンチョレーナの末端にあってブエノスアイレス行きのフェリー発着場になっているコロニアのカフェで過ごした。この時点からムヒカ氏は私たちの手から離れてしまった。人々がひっきりなしに近寄ってきて彼に挨拶やキスをし、マヌエラ(例の三本脚の犬)は元気かと尋ねたり、この問題を解決してくれとか話しかけてきて、それこそ大変な騒ぎになってしまったからだ。ムヒカ氏はあちこちに電話をかけまくっていた。まるでオフィスごと移動してきたみたいだった。カフェは大統領が国民の直訴に耳を傾ける急造執務室となった。

 「大統領という職を市民に身近なものにするのはとても大切だ。これには政治的な意味もある。共和制を強化するというね。政治家が市民と距離を置くと不信感がそこに芽生える。なにが深刻かと言って、市民が政府を信用できなくなることよりひどい事態はないからな。あいつらなんてみんな同じだ、と私らが言われるようになったら、もうおしまいなのさ」

 夜、私たちは疲れ果てて首都へ帰還した。ジョルディと大統領は寝ていたと思う。モンテビデオに近付いてきたところで料金所があった。システムが作動していないようだった。運転手が窓を下ろした。

 「大統領の車なんだけどね、どうにかならない?」

 料金所の女の子は、システムがダウンしているので現金を払ってもらわないと困る、と言った。ぐったりした表情のムヒカ氏が身を乗り出して「お譲ちゃん、なんとか通してくれんかね」と声をかけた。

 女の子は当惑したまま、上司に相談しないとなんとも、と言うので、結局私たちはお金を払うことにした。

 数分後、例の大統領邸に着いた。明かりはまったくなく、大統領の姿も暗やみのなかにすぐ消えた。よろよろした足取りごと夜が彼の姿を飲み込んでしまった。私たちの旅は終わった。

 モンテビデオの墓地に墓碑銘のような落書きがあったのを覚えている。

 物語は終わりだ、と。

 そう、これでこの物語も終わりである。

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地球の裏側の大統領:3

2015年03月03日 | 西:ラテンアメリカ情勢

 みなさん、こんばんは。

 日本でいちばんヒマな語学屋です。

 ところでカール・オーヴ(あるいはウヴェ)・クナウスゴートは米国滞在中。今はこんなことをしているのだとか。彼の小説は正直に申し上げてスペイン語で読もうがノルウェー語で読もうがシンドイ気がしているのだが、私がもっとも気がかりなのは「あんなにシンドイのになぜついつい読んでしまうんだ?」の一言に尽きる。これだけ話題になっているのに日本語で読めないのはちょっといかがなものかと思うので、ノルウェー語(北欧語文学?!)関係のみなさん、なんとかなりませんかね。

 スペイン語からの重訳でよければ、不肖松本がなんとかいたしますけど。

 ま、そんなわけないか、スペイン文学の仕事さえ来ないのに。

 でもマジで読みたいっす、彼の自伝6部作『我が闘争』。

 不毛なのに惹かれるって、今や文学しかないのではという気も。

 他人の人生を、赤の他人の体験した思いを知りたいという、およそどうでもいい、世界のヒマな人種のやけっぱちな熱い思いを一身に背負っていそうないい奴なんですよね、カールは、たぶんさ。

 なんだか憎めないとゆーか。

 ところで私、ただいま趣味でポエムを翻訳中。チリの現代詩(これ)ですが、一度はまると抜けられない中毒性のあるタイプで、だいぶその良さがわかってきました。でもポエムは難しい。私は詩人ではないので余計に難しく、でも言語の人工性を意識して丁寧に、あとは流れでなんとか(誰も読まない紀要だし)。むむむ。その「流れ」を加速するために音楽をかけるとうまくいくことがある。

 詩によって合う音楽がある。

 で、最近はまっているのが、こんなことを告白していいか分らんが、ポール・モーリアなのです。「薔薇色のメヌエット」とか「渚のプレリュード」とかエエのう。むむむ。

 ポール・モーリアなんて「軽薄短小」に縁のないバルガス=リョサの新作について岩波書店から依頼があることを願ってやみませんが、願ってこのまま死にそうな気がしてきました、最近。

 さて、ムヒカ元大統領のインタビューが続きます。作家の書いている文章なので、ふだんのエルパイスの一般記事に比べると読み応えがあると私は思う。

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 英国の『エコノミスト』のような著名な雑誌がウルグアイを「人類の幸福に対する処方箋を示した」として<今年の国>に選んでいる。伝統ある雑誌もとうとうイカれてしまったのか…

 という疑問もある。

 ウルグアイは小国で(アンダルシア自治州の二倍程度の国土)南東部は大西洋とラプラタ川に接し、北西部はブラジルとアルゼンチンに接していることから、北が上で南が下という私たちが見慣れた地図でコノスールだけを見ると、大きな二つの国に海側に向けて押し出されているような印象を受ける。こうした地政学的な状況からすると、閉所恐怖性に駆られたウルグアイ人が他国へ移民したくなる気持ちも分からないではないが、実は近年、ウルグアイへ帰国する国民のほうが増えているのだ。人口は3百20万人で、その半数が首都モンテビデオに住んでいる。アルゼンチンとブラジルという大国に事実上呑み込まれている、国土が小さい、気候が温暖、国民の9割がヨーロッパからの移民で構成されている(大半が祖国に永遠の別れを告げている)こうした事情が色々積み重なって、ウルグアイ人は自らを過小評価しがちな国民だ(アルゼンチン人は逆に自らを過大評価しがちである)。アルゼンチン人は自らの意思で自殺できるのに対し、ウルグアイ人は死のうと思って飛び降りても脚の骨を折るのが関の山、というジョークすらある。要するに自尊心を著しく欠いた国民性なのだと言えよう。むろん、こうした言い方は、大雑把に過ぎる。だがこうした大雑把な国民性の把握をすることもときには大事で、意外と会話の端々や彼らの書いた書物のなかにそうした特徴を見つけることはできるのだ。たとえば仕事で成功を収めたウルグアイ人はすぐにブエノスアイレスへ移住するわけだが、そこでその人物を待ち受けるのはラプラタ人というめでたい称号である。間違ってはいないが、ウルグアイ人ではないわけだ。あのホセ・アルティガスですら、現アルゼンチン大統領クリスティナ・キルチネルに言わせると、アルゼンチン人ではないがウルグアイ人にもなろうとしなかった人物ということになる。ホルヘ・ドレクスラーによれば、ウルグアイ人であるということはアルゼンチン人でないことしか意味しない。カルロス・ガルデルの国籍はどこだなんて話は論外なのだ。1923年にアルゼンチン国籍を取得した以上、ガルデルはウルグアイ人ではない。

 ウルグアイ人というのは要するに、暗いとまでは言わずとも、昔を懐かしむ憂鬱かつ沈思型の人種なのだ。データによるとウルグアイはラテンアメリカでもっとも自殺率が高く、癌死亡率も高いのだとか。自虐的なウルグアイ人のなかには、自分の国は世界で名前をもたない唯一の国だという人もいるそうだ。たしかにこの国の公式名はウルグアイ東方共和国といい、これはウルグアイ川の東岸にある国という意味である。いわば義理の妹の名前で呼ばれているような国だと言えるかもしれない。

 こんな奇妙な国を『エコノミスト』誌は今年の国に選んだというわけだ。あの雑誌は本当にイカれてしまったのだろうか?

 もちろんそうではない。たしかにここ数年ウルグアイでは中絶や同性婚や大麻が合法化されたりしているが、そのようなことは実は枝葉末節であり、真の問題はメディア向けではない、あまり目立たない部分にあって、そこがあったからこそ『エコノミスト』のような雑誌までがこの国に一目置くようになったのだ。 

 2005年に左翼政党を束ねる拡大戦線が選挙に勝ったとき、ウルグアイは、2002年のアルゼンチン金融危機と新自由主義的政策によって衰退の一途を辿っていた。失業率は頂点に達し、国民の4割が貧困層と化していた。実質賃金は下がるいっぽうで、国外へ脱出する人々が相次ぎ、急速なインフレが進行、対外債務はとうてい返せない額にまで達していた。どんな医者が見てもウルグアイは末期的昏睡状態にあった。国民自身も外資にとってもなんの興味も持てない国となっていたのだ。

 それが9年後の今現在、失業率は6.5%にまでおさまり、実質賃金も金融危機以前の状態に回復している。『アメリカズ・クオータリー』の調査によると南北アメリカ大陸各国における「社会的包摂」のランキングで、ウルグアイはチリや米国を抜いて堂々1位の座を占めている。国民総生産額と雇用率との関係における政府の社会支出について21の指標で1位になったのだ。とはいえ10%以下のインフレ率(近隣諸国に比べるとまだマシ)だけは政府にとって心配の種になっている。

 タバレ・バスケス大統領が率いてホセ・ムヒカ氏が農牧水産相を務めた拡大戦線政権は、瞬く間に改革を進め、雇用を創出した。彼らは新自由主義政権時代に失われた労働者の権利を復活させた。法律で給与規定が設けられ、新たな労働基準法が創設された。農業従事者を対象とする法整備が進み、かつては夜明けから日没まで働いていた農民も8時間労働者となった。政府は新たな投資に着手した(ウルグアイには世界最大のセルロース生産プラントが二つあり、三つ目も建設中)。今現在も15年から20年規模の稼働が見込まれる鉄鉱石抽出プラントの建設がとある他国製企業との間で契約間近となっている(アラティリ計画)。こうした生産部門の発展は国民の大半の生活水準向上に反映されている。というのもそうした産業界の利潤(徴税制度が近代化して洗練された結果国庫が潤い始めている)を分配するシステム作りが同時に進められてきたからだ。

 2009年の選挙に勝ったホセ・ムヒカ氏も前政権の経済政策を引き継いだが、公共部門の政策には独自の変更を加えることになった。共和国銀行に出資させ、彼自身が「資本主義ではないもうひとつの発展モデルの探求」と名付けた社会経済集産体制づくりに着手したのだ。これはある種の生活共同組合、今とは異なる所有の形態で、結果が求められるが、そうするにはエコノミストや専門家によるとても厳しいコントロールが必要になる。無理なら無理というレベルの政策だ。

 『アメリカズ・クオータリー』が指摘しているように、ここ数年でいわゆる社会的マージナル、金融恐慌期に首都郊外のバラックなどに住まざるを得なくなった人々への支援体制も整えられた。生活補助金、住民が自力で住居や保育所や病院を建設するプログラムなど、そうした人々が行政の諸制度からこぼれ落ちないようにする緊急措置がとられた。スラム街のいくつかは法的に認められ、公共サービスの対象となり、住民たちの自助努力の結果、今では貧しいながらも人間の住むにふさわしい普通の町になっている。失業率が下がったことも、こうしたマージナルな市民が社会に再参入する手助けになっている。今では法律が最低賃金(500ドル程度)、国民健康保険への加入、組合創設、退職金などを保証し、いっぽうで非識字率は低下している。国民の98%が水道のある家に住み、70%が公共医療の恩恵に預かっている。テクノロジーに目を向けると、ウルグアイはラテンアメリカ随一のソフトウェア輸出国で(IT系の求人が非常に多い)、また農業や食料品生産部門と密接に結びついたバイオテクも盛んだ。

 こうした社会経済全般にわたる改革を見ているだけで、『エコノミスト』誌がウルグアイを今年の国に選んだ理由「人類の幸福についての処方箋を示した」の意味が理解できよう。その幸せを自らの生活で実践しているムヒカ氏を大統領にもつというおまけまでくっついてきたわけだ。

 ではウルグアイは本当に前途洋洋なのだろうか? 諸政策について国民的コンセンサスは得られているのだろうか? もちろんそうとは言えない。一例をあげると、セルロース生産のために平板な国土に大量の植林をせざるを得なくなっているが、植林されるのはユーカリの木で、これは水を多量に吸収して土地の生物学的多様性を破壊するというので、エコロジストに毛嫌いされている木なのだ。またアラティリ計画における鉄鉱石の露天掘りについても環境汚染が危惧されている。とはいうものの、ムヒカ氏の支持率は依然として好調だ。その人柄もあって、国のかじ取りについても概ね賛同を得ている。実際、ムヒカ氏の退任に伴って実施が予定される総選挙でも、拡大戦線が勝つことは既定路線化しつつある。

 ということは、私が言わずとも『エコノミスト』誌が詳細に論じているわけだが。

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3終わり、4につづく。


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