天満放浪記

matsuken tenma blog

本日発売

2013年10月04日 | 西:パディージャ事件

Nbc39報道されているようにスペインのラホイ首相が来日中で、西日交流400年記念行事が各地で行なわれている…のは東京だけですね。各種イベントには「スペインの第一人者」で「スペインを語らせると右に出る者のない」この「スペインを愛する」私に連絡があるかと思っていたらまったくなかった。けしからんことだ…。

 と、冗談はさておき、本書の刊行にあたってはスペイン文化省書籍図書総局の助成金をいただきました。解説に書けなかったので、ここで改めて御礼申し上げます。何があっても文化にだけは金を削らない国スペイン。自国はおろか本書のようにチリなどのスペイン語圏の文物を諸外国の言語に訳す仕事にまで、金を出している。職業柄、とても足を向けては眠れない国です。

 ちなみに我が国はとうの昔にその種の予算、海外への日本文学翻訳の助成金を削減、批評家らの間でかなりの反論があったが結局うやむやにされた。景気が上向いているとかいう今も復活させたという話は個人的には聞いていない。アニメや可愛い文化でクールジャパンを標榜するのもけっこうだが、海外での日本文学の需要はますます高まっていて、翻訳の欠如を嘆いている若手作家が多いということも政府は知っておくべきだと思う。(政府と聞いて顔が浮かぶあの人びとの教養ではまず無理だと思うが。)

 本書の概要は次の通り。

 作者はホルへ・エドワーズというチリの作家。1931年生まれで、82歳の現在も執筆活動を続けており、今年は自伝の第1巻が刊行された。また彼は現役の駐仏チリ大使でもある。つまり作家と外交官の二足の草鞋をはき続けている人。

 この先人としてはインドやフランスなどで大使を務めたノーベル賞詩人のパブロ・ネルーダ(チリ)、またフランスなどで大使を務めたこれまたノーベル賞詩人のオクタビオ・パス(メキシコ)などがいる。ただし、こうした大物作家たちがあくまで名誉職的な位置づけであったのとは違い、エドワーズは本職の叩き上げの外交官で、他にこういうタイプはアルゼンチンのアベル・ポッセくらいであろうか。華々しいキャリアとも縁遠い。実は正大使職は1994年からのUNESCO大使、そして2010年から現在に至る駐仏大使の2度だけ、60年代から1973年9月までは参事官や筆頭書記といった大使配下の事務員をこなしていた人である。

 そんな彼が一度だけ正大使に限りなく近い位についたことがある。スペイン語では encargado de negocios というが、日本語では代理公使といい暫定的な外交代表を意味する。それが1970年12月から翌71年3月までのキューバ、ハバナでの滞在だった。

 この1970年、チリでは左派の闘士サルバドール・アジェンデが人民連合という寄り合い所帯の政党連合を率いて大統領に就任。選挙という合法的手段で、アメリカ大陸初となるマルクス主義者の大統領が生まれたことになる。(キューバは社会主義を銃によって勝ち取った)。

 59年に誕生したキューバ革命政府は60年代を通じて経済的孤立を深めていた。ラテンアメリカ諸国は共産主義のドミノ化を恐れた米国が主導する「進歩のための同盟」に組み入れらてゆく。チリもアジェンデの前任大統領アレサンドリの時代に米国との関係を強化、たとえば60年のチリ大地震に際し、米国が復興援助金の代償として反社会主義路線を確約させたと言われる。もちろん革命キューバとも国交を断絶した。

 そのチリで社会主義政権が発足。

 喜んだのはキューバ。

 慌てたのは米国。

 こういう構図で、久しぶりにハバナにチリ大使館が開設されることになったが、政権発足直後で正大使を決める余裕がなかった。チリは社会主義政権になったとはいえ議会制民主主義を捨ててはいなかったから(暴力革命をやったわけではないので)、大使を選ぶには法にのっとって議会にお伺いをたてねばならない。革命後のハバナはドラスティックな変化を被っているから、もちろん旧大使館の建物も別利用されている。建物自体を探すところから始めなければならない。とりあえず外交事情をよく知る代理公使を派遣して、そのあいだに左派政党内の人材から正大使を探そう…。

 こんな次第で、当時リマの大使館で主席秘書を務めていたエドワーズにお声がかかったのだ。

 つまり、いっぽうには革命をもって社会主義を打ちたてたキューバがある。もういっぽうには、いちおう議会制民主主義のもとで憲法にのっとった政治を続けているチリのアジェンデ社会主義政権がある。

 原理的には、後者のように、議会運営上ブルジョワの無理無体が通りやすい構造を容認している状況を「ブルジョワ的合法性原理が生きている」という。分かりやすく言えば、今の米国議会がそうである。野次馬根性で見ている限りは、オバマが始めた医療改革、通称オバマケアを、製薬メーカーなどのロビイストに牛耳られた(要するに金もちにいいように使われている)共和党議員団が潰しにかかっているという風に見える。病院の前で金を持っていない怪我人が捨てられるビデオを見させられた日本人としては、なにかがおかしいな…とも思ってしまう。

 が、だからと言って革命を起こし、議会というプロセスを廃棄すればどうなるだろうか。それはそれでソ連型の一党独裁という弊害を生みだすだろう。しかしながら、当座の貧困をなくし、社会的平等を限りなく実現させるという計画を優先させ、その他の困難に目をつぶる状況を「社会主義的合法性原理が生きている」という。

 同じ社会主義路線を目指しても、70年のチリのようにまだブルジョワ的合法性原理が生きている場合もあれば、それが撤廃されたキューバのように社会主義的合法性原理が生きている国もあった。

 ちょっと微妙な関係だったのである。

 分かりやすく言えば、チリの革命はまだ中途段階。キューバとしてはチリがもう一歩踏み込んで、農地改革や資源国有化、また教育無償化や医療平等化などの斬新な政策を金持ちに媚びへつらうことなく推し進め、革命をさらに深化させるのを期待していたわけだ。そのためなら「キューバ人は加勢にいきまっせ!」というくらいの勢いだった。

 大陸全体への革命の波及を目指したゲバラは67年にボリビアで倒れた。彼の意志を継ぐ者たちはなんとかこのチリを足がかりにしたかった。ここから場合によっては武装闘争の拡大も辞さない構えのキューバ人もいた。

 もちろんチリではそれを嫌う連中もいた。

 その中心は国内の右派と米国などの資本家勢力…というふうに単純化して考えてしまうのだが、案外それだけではない。日本人に見えにくいのは、キリスト教徒たちが抱く社会主義や(無神論を肯定する)共産主義へのアレルギーである。ヨーロッパにも政党名にキリスト教を掲げる党は多いが、チリもキリスト教民主党という政党が保守リベラルのかなりの層を吸収していた。彼らは革命は好まない。もちろん危険な軍内極右など、73年以後の暗黒時代に直接的に関与した連中がいるのも事実だが、70年の時点でチリ国民のすべてが社会主義の未来へ期待を抱いていたわけではないのである。

 社会主義政権ができて、キューバとの関係が回復。

 もちろん仲良くはしたいが、あまりにキューバ方式に同調すると国内世論がどうなるか分からない。ことは慎重に進めねばならない。だがいっぽうで、革命のさらなる急進化とキューバとの関係強化を求める血気盛んな連中も増えている。現に「キューバ詣で」をする若者や文化人がこの時代のチリに急増していた。このつかず離れずの関係をどうしのいでいくか…。難題だ。

 さて、こうしたなかでまさに火中の栗を拾いに行ったのが、チリを代表するブルジョワの生まれであるエドワーズという人だったのです。可哀そうに。

 本書はそのときの回想録。

 キューバに赴任する場面に始まり、その後は国内事情の観察にかなりのページが割かれ、またチリ海軍の訓練船がハバナに寄港するのを出迎えたりと、外交官らしい手記が続く。

 いっぽうで興味深いのが、キューバ公安警察による文学者たちへの監視の実態が報告されていること。

 1970年のキューバは大ピンチに陥っていた。

 米国による経済封鎖のせいで物資が枯渇、あとはソ連に砂糖を売るしかないのであるが、その砂糖の増産計画が当初見込みを大幅に下回る結果になり、国中を落胆が覆っていたのである。

 本書ではハバナ旧市街の荒れた様子がやや強調して伝えられている。その様子は今では少しは改善されているのだろうし、物資枯渇にもかかわらずその後の革命キューバはなんとかやりくりしているわけだから、ちょっと大げさに騒ぎすぎじゃないのかと思う読者もいるかもしれない。

 問題は、こうしたなかで、性格的に文句の多い奴ら、つまり文学者たちがいったいどういう暮らしを送っていたかということ。この時代のキューバの文学者の暮らしぶりは大きく3つに分けられるようだ。1つはすでに亡命した連中。2つめは大きな声を出せなくなり地下に潜っていた連中。3つめは革命万歳とか言って(あるいはその種のことはなにも言わないことで)政府と仲良くやっていた連中。1にはギジェルモ・カブレラ=インファンテがいる。2にはホセ・レサマ=リマやレイナルド・アレナスがいる。とりわけ同性愛者は矯正施設にいれられるなど革命後ひどい目にあっていた。3は詩人ニコラス・ゴジェンなどメジャーな作家もいるにはいるが、むしろマイナー詩人が多い。

 エドワーズは、このうちの3、革命後に政府にすり寄り始めた詩人たちに手厳しく、容赦なく批判をしている。だが、もうひとり重要な人物がいた。

 彼は1でも2でも3でもない。

 革命政府を手厳しく批判する詩集を書いていながら、ハバナ市内で堂々と酒を飲み、文学活動を続けていた。

 それがエベルト・パディージャである。

 本書の最後、第5章は、そのパディージャが妻とともに逮捕された日、出国を明日に控えたエドワーズがフィデル・カストロに呼び出され、彼と対決する場面がハイライトになっているのである。ぜんぶで450ページなので、最後まで読むのが面倒な人はせめて第5章だけでもどうぞ!

 ところで、エドワーズのハバナ赴任から2年半後、キューバでの思い出を書いた本書をようやく刊行する手はずが整った1973年9月11日、チリでアジェンデ政権が崩壊する。ピノチェト将軍による軍事クーデターが起きたのだ。駐仏大使館から休暇をもらってカタルーニャ地方にいたエドワーズは『ルモンド』に軍事政権を批判する記事を寄せ、それがもとでチリ政府から要注意人物扱いされる。そう、つまりこの作家は、カストロ社会主義政権からも、ピノチェト軍事政権からも検閲対象にされた。右にも左にも嫌われた世にも珍しい人なのです。そのあたりはエピローグ「二重の検閲」に詳しい。

 エドワーズの邦訳は短編がひとつと、映画に関するエッセイがひとつだけ。本書を書いたというので名前は知られているが、案外現物を読みにくい作家だった。小説も多いのであるが、日本に紹介するにはやや難のある内容で、今後も翻訳が進むとは思えないので、解説には小説の一覧も記しました。何冊かは無理に読んだが、読んでもいないのに読んだような顔をして平気で内容を書いているのもある。ハハハ、笑って許して。

 


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いやな思い出(10)

2013年08月22日 | 西:パディージャ事件

 公安警察に逮捕されてから38日目にようやく釈放されたパディージャは、警察の面々といっしょにある作家の家へと向かう。ホセ・レサマ=リマ。その日の夜に予定されていたUNEACにおける公開自己批判への参加を求めたのだった。レサマは同意はするものの、会をどう進行させるか早く決めたい警察の話をいっこうにとり合おうとしない。

 ここでパディージャは、革命後にレサマがどのような立場に置かれていたのかを回想している。レサマは1910年生まれ、軍人の息子だった。30年に最初の詩集を発表、37年には初期の代表作『ナルシスの死』を発表している。40年代には詩人ホセ(ペペ)・ロドリゲス=フェオと雑誌『オリヘネス』を創刊、この時期のキューバを代表する文芸誌になる。文学史的には、このあと66年に小説の代表作『パラディソ』を発表、76年に死去、というので勉強完了なのだが、問題は59年以降のことである。

 レサマといえばキューバのバロック。その詩は語がパズルみたいに分解再配置されているので、趣味的な関心を持つ人間にしか読めない奇抜なものだ。面白いことに、パディージャはそうしたレサマの文体が苦手だと告白している。外国には支持者が多く、パディージャが言うようにスペインの詩人ビセンテ・アレイクサンドレやルイス・セルヌーダはレサマの大ファンであるし、米国の詩人(でろくにスペイン語も分からないはずの)ウォレス・スティーブンスも好きだと言っている。だがパディージャは苦手だという。

 <たしかなことは、私の目からすると、彼の作品がスペイン語文学で最低の悪趣味に満ちているということだ。彼の “バロック趣味” が、ホルへ・ルイス・ボルヘスの言うあの「自分自身の戯画とすれすれの」文体ではないにせよ。(183)>

 パディージャの自己批判文書はそうとうバロックじゃないのかと私なんかは思ったりもするけれど、彼自身は凝った文体が嫌いのようだ。なにしろヴァレリー、ゴンゴラ、マラルメが趣味と来て、詩は現実世界の言語体系とは関係のない独自の詩的体系の内部で完結すべきであるという、言うのは誰でもできる屁理屈を本当に実践していた人である。レサマの詩もいつかここで読まねばならないと私は思っているが、たぶん古典の教養がない私にその体力はないだろう。なにしろプラトンとオルペウス教とグノーシス派についてくらいは、本も何も見ず2時間くらいペラペラ語れるだけの知識がいるのだ。私にはとうてい無理。パディージャもそう思っていたかもしれない。

 レサマというのは、私はタイプ的には好きな作家だし、機会があれば個人的にも教えを請いたい人であるが、こういうのが人間的に苦手だという人もいよう。そう、文学は「社会を描き、人類の福利厚生に努めるべきだ!」と信じてやまない、一生懸命な人たちである。

 というわけで、革命前の50年代、すでにレサマと「現実に向き合う詩人」のあいだには溝が生まれていたようだ。パディージャも言っている。

 <50年代、レサマがマラルメに関する講演を行ったとき、左翼やそのほかの批評家たちは駄洒落で彼のことをからかった。「レサマがマラルメについて語るのを聞いて私はおびえた(訳注:おびえた me alarmé がマラルメと重なる、つまらん…)」。ニコラス・ギジェンはこのジョークをよく繰り返していたが、それは彼がレサマの詩的体系が真っ先に否定するタイプの詩人であったからだ。レサマは『フアン・ラモン・ヒメネスとの対話』のなかで、自分の出発点は、民族や血を否定することだったと述べている。レサマにとってキューバ的なものとは精神の一範疇に過ぎないのである。(184)>

 ニコラス・ギジェンはアフロ・キューバ詩(黒人詩)で知られる詩人で、革命後も体制とは良好な関係を保った。逆に、革命後のキューバに居づらくなった詩人とは、パディージャのような思想的原因に基づく者は例外であって、実はこのレサマのような「ナショナルなものの価値を低く見ていた作家」が中心だったのかもしれない。雑誌『オリヘネス』に加わっていた連中のその後をたどれば、おそらくそれは一目瞭然なのだろう。

 しかしながらレサマは周囲の特に若手作家たちに絶大な支持があったため、革命政府も彼を無視するわけにはいかず、UNEACの活動にも参加させ、各種賞の選考委員にも必ず彼を混ぜていた。アイデエ・サンタマリアの『カサ・デ・ラス・アメリカス』と、レサマの『オリヘネス』、雑誌だけ見るとこれほど毛色の違うものもないが、少なくとも60年代前半は革命とレサマの蜜月関係のようなものがあったというか、革命側に彼のような人物を泳がせておくだけの余裕があった。

 それが微妙になった原因はいくつかあるのだろうが、決定的だったのは小説『パラディソ』の刊行であろう。ここで扱われた同性愛は教会はおろか、革命政府をも敏感にさせる。これが事実上のアングラ文学となっているなか、レサマは政府主催の活動には参加し続けた。賞の選考会では、安直な社会主義リアリズムの作品や、政府が喜びそうな内容のつまらない作品を、徹底的にこきおろした。そして、パディージャの『退場』に関しては、これを擁護する側に回った。

 パディージャ自身は、おかしなことに、レサマがあのような単純な(何を言っているのかが明快な!)詩を気にいるはずがないと思った、と言っている。それでもレサマは『退場』を擁護し、ラウル・カストロに目をつけられたせいで刊行が危ぶまれたときも、審査員代表のひとりとして最後まで刊行を主張し続けた。

 Así era ese hombre.

 そういう男だったのだ。

 というパディージャの一言が、このレサマに対する敬意をよく表している。ところがこんなレサマのことをよく思わない連中も作家には大勢いた。こいつらの大半は社会主義リアリズムの作家だったらしい。

 パディージャはこのあともレサマとの会合をいくつか回想している。68年のハバナ文化会議の年だ。ニューヨークの編集者ボブ・シルバーと作家のフリオ・コルタサルらとレサマ邸を訪問した際のこと。作家マリオ・バルガス=リョサとホルヘ・エドワーズと詩人セサル・ロペスの家でレサマを囲んでいたときのこと。

 そして71年4月27日。

 パディージャと共に訪れた警官たちとレサマのやり取りに移行する。

 パディージャ逮捕の知らせはすでに世界を駆け巡り、作家たちが(メキシコとヨーロッパから)二通の公開批判状をカストロに送りつけていた。キューバ側としてはこの騒ぎを鎮静化させるためにも、パディージャ本人に自己批判の場を与えるのが最適であると判断したと警官は主張する。するとレサマは、そんなことをする必要がどうしてあるのか?と問う。

 「この騒ぎは彼をブルガリアでもいいから文化大使として送れば済む話じゃないか。パブロ・アルマンド・フェルナンデス(訳注:詩人)をロンドンに戻し、陰謀で解任させられたセサル・ロペス(訳注:詩人)を外務省に戻せば済むことだろう。」

 警官が乱暴な声で反論した。「あなたはその同志の解任が陰謀のせいだと言っているのか? それは誰のどのような陰謀ですか?」

 「陰謀というのはオペラによる誹謗のようなものだよ。次第に高まってゆき、ひっきりなしに現れる」

 警官が立ち上がった。「意味が分からん」

 「君が言っていることもね。まだ三十歳になっているとも思えない君が、我々をいいようにあしらう権力をもっている」

 警官がいらいらして話を遮った。

 「こちらには証拠がある。いざとなれば、あなたをとことんまで追求してもいいんですよ」

 「そのとことんがどの辺までなのかは知らないが、私はいっこうにかまわんよ」

 「レサマさん、私はあなたの協力を求めてきたのです」

 「してやるよ」

 「だがあなたは最初から革命政府を攻撃したではないか」

 「それは見方次第だね、私はそうは思っていない」

 「私は馬鹿じゃないんですよ」

 レサマは反論もせず、相手に続けさせた。

 「あなたは一度ならず革命を侮辱した。証拠を見せろなどとは言わないほうが身のためですよ」

 するとレサマは、半分吸いかけの葉巻をもみ消して、ほとんど超人的な努力を払って立ちあがった。

 「少尉」と彼が体を震わせながら切り出した。

 「准尉です」と警官が叫んだ。

 「准尉、人生というものはすべからく誹謗と誤解にさらされている。もちろん私とて例外ではないはずだ。だが君は、この私自身が知らないことを何一つ証明することはできないぞ。夢か悪夢のなかの私が自分を裏切ることがあれば話は別だがね。それはあり得る。人間は予測のつかない生き物だ」(189~190)

 すると警官が懐から録音機を取り出す…という、またもや映画的な展開に。なんだかこの種のやり取りを見ていると、キューバの公安警察の諸君が「血気盛んな高校生」のようにすら見えてきて、逆に同情してしまったりして。レサマのほうも「仕方がねえなあ…この一生懸命なにーちゃんたちは…」という感じで、うんざりすれども、さほど怒ってはいなかったのかもしれない。

 というわけで、レサマの協力は予想通り得られず、その夜の公開批判が行われることになる。仕切ったのはホセ・アントニオ・ポルトゥオンド。

10、終わり


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パディージャによる自己批判(5)

2013年08月20日 | 西:パディージャ事件

 だが私は(訳注:幻滅というものをいまだ知らない革命とは)違った。ひどく年老いて肝臓を悪くした哲学者ならきっと同じようにしたかもしれないが、私は詩集の冒頭に「難局に当たって」という詩をもってきた。そのあとに一連の詩が続く。この詩集は苦々しさとペシミズムに満ちている。この詩集は読書に基づいて書かれていて、生きた体験を表現せず、キューバ人の体験を内面化していない。認めざるを得ない。この詩集は幻滅を表現している。この詩集を高く評価する者がいたとして、やっているのは自分自身の幻滅をそこに見出しているだけだ。

 幻滅というものは多くの人々にとってとても古くからの感情だ。なぜなら、革命とは人の喜びを変質させたり、それを再確認したり、それを三日で途方もないものにするような現象ではないからだ。悲しみとは何万年の体験が積み重ねられた末にある。誰が言ったのかは分からない、たぶんロベルト・フェルナンデス=レタマールがどこかで繰り返したのだろう、あるいは初めて言ったのかもしれないが、詩においては喜びのための経験はそう得られない。喜ぶよりは、つまり希望や夢について書くことより、生きた詩を書くことより、泣くほうがずっと簡単なのだ。

 幻滅には「決まり文句」というものがある。私はそうした決まり文句を扱うことだけにはかねがね長けていた。今、ここから顔が見える多くの友人たちは、そのことをよくご存じだろう。セサル・レアンテはそのことを知っている。私が昔からずっと懐疑的な人間で、幻滅からのみ詩的発想を得て、私の幻滅が私の熱狂の中心に位置していたことを――陳腐な言い方で申し訳ない――セサルは知っている。要するに私の詩の原動力はペシミズムと懐疑主義と幻滅だったのだ。そして例の詩集『退場』は懐疑主義と苦々しさが際立っている。そうした懐疑主義や苦々しさは人を熱狂させないし、革命を導くものでもない。こうした詩は敗北主義精神を導くものであり、敗北主義精神は反革命だ。

 私は何日もかけてこうしたテーマを議論してきたが、相手になってくれた公安の同志たちは根っからの警官というよりは、とても知的な人々だ。私よりずっと知的だ、認めざるを得ない。そして私より若い。彼らがどうしてあんな考え方ができるようになったのか、いまだに私には分からない…。というのも、思い出すのだが、ひとりの同志――名は出したくもない、ひとりの警官――に私は何度も尋ねたのだ。私は彼に言った。しかし君たちはどうしてそんな考え方ができるようになったんだ?と。そのとき私は屋外にいた。彼らは親切にもときどき日光浴をせてくれたからだ。そこには子どもたちがいた。とても貧しく、とても単純で、とても素朴でキューバ的な子どもたちが。すると警官は私に答えた。あそこさ、あの子たちからさ、と。彼はとても単純な答を返してきた。場所を示す副詞だけを用いて。あそこさ、あそこから俺たちは生まれた、あそこから俺たちはみな生まれたのさ。

 私はとても恥ずかしい気持ちになった。あのときの健全な会話を思い出しては、毎日のように恥入った。ここ数年の私自身の私生活において中心的テーマであった病的な会話とは比べ物にもならない。

 私は態度を変えず、そうやって友人たちに毒を吐き、そうやって友人たちとの縁を断っていったのだ。以前の友人が、たとえば何人か挙げると、ロベルト・フェルナンデス=レタマールや、リサンドロ・オテロや、エドムンド・デスノエスや、アンブローシオ・フォルネだったとするなら、やがて彼らは私の友人ではなくなった、友人でいられなくなった。私が態度を変えるよう、彼らは懸命に努力してくれた。ロベルトとの会話や議論を思い出す。しかし私の口は毒を吐くのをいっこうにやめようとせず、やがては彼をうんざりさせたのだ。というか、彼自身が、相手は歳も歳だし、これ以上いくら説得しても無駄だと悟ったのだ。たしかなことは、私が病的で否定的な議論ばかりしていたこと、いっぽうのロベルトが正しい側にいたことだ。彼らのような同志たち、それ以上の同志たちが正しい側で、私が間違っていた。そうだ、私が間違っていたのだ! 私は完全に敵対的で、完全に有害だった。私の置かれていた状況を表すのに、こうしたはっきりした格調高い言葉を見つけることができて嬉しく思う。こうした言葉が意味論的に私を侮辱すればするほど――このことが文学にとってなんらかの価値をもつとして――精神的には喜びをもたらしてくれるからだ。

 かつての友人がロベルトら同志であったとするなら、だれがその後に私の友人になったか? そう、キューバを訪れていた外国人ジャーナリストたちだ。では、そうした外国人ジャーナリストがキューバで何を求めていたか? 彼らは革命の偉大さを讃えるために来ていたのか? 全員と言うつもりはない、なぜならそうした中には我々の革命を心から愛し、支持している人もいないわけではなかったからだ。だが私に、特にこの私に近づいてきた連中は、本当に革命の偉大さを探していたのだろうか? 我が国人民の努力、我が国指導部の揺るぎなさとエネルギーを取材しようとしていたのだろうか? そうではない。彼らは不満を抱えたエベルト・パディージャを、恨みをため込んだ除者を、この国が置かれた状況について――合理的ではなく、特に彼らが聞きたい――分析をしてくれそうな人間を、本当はわかってもいない問題について――ほとんどまったく知らない、まるでわかっていない問題について――4つか5つほどの決まり文句を並べ立てるだけのずる賢さをもつ男を探していたのだ。だが私はその誘いに乗ってしまった。こうしたジャーナリストどもが私の名を世に広めた。外国におけるキューバ報道で私の名がもてはやされ、私は反抗的作家、フランス人が言うところの「体制批判の」作家、頑固な作家、社会主義国家によくある人物、他の社会主義国で違う作家たちが担っている役割をキューバで象徴している人物とみなされるようになった。要するに、ある状況を異なる状況に機械的に、まったく人為的に移し替えただけだ。彼らは自分たちが加わっているゲームのことを知っていた。彼らは私に媚びへつらい、私にインタビューをし、私に関する素晴らしい履歴書をつくり上げた。彼らがそうしたゲームをしかけたいっぽう、私はそのゲームを利用した。私の名前は世に流れ始め、私は何が起きているのかを完全に意識していた。問題は、私が性格的にとても弱かったことだ。政治的な才能などなにひとつないにもかかわらず、私が読む本と私の気がかりは、政治に関すること、政治的問題に関することばかりだったからだ。現実の私には、他の連中のように銃をもったり山にたてこもったりする勇気すらない。言葉の山にたてこもり、身の回りのことだけを見て分析をする、今から思えばその才能だけはある。それは間違いない。

 たとえば思い出すのは、アメリカ人ジャーナリスト、リー・ロックウッドの書いた本だ。そこには煙草をくわえて『グランマ』を読む私の写真、上手に撮られた、とても知的につくられた写真が掲載されている。私はリー・ロックウッドの写真を、彼が撮った写真を否定的に評価するつもりはないが、その写真の下には私のとっているポーズに関する説明書きがある。それはこう言っている。「エベルト・パディージャ:詩人、政治的アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」

 結局、私はこの写真が気にいった。だが、この写真が私をどこまで連れて行ったか? このイメージは何の上に生まれたものか? そのイメージは何を利用していたのか? フランス人のいう政治的な恐るべき子どもとは何なのか? その「恐るべき子ども」とやらが何の恩恵に浴したのか? それは革命の敵ではなかったのか? 反革命、不満、毒という恩恵ではなかったのか?

 私の名は世に知られ、私の詩集『退場』はキューバ作家芸術家連盟の賞を受賞した。満場一致の受賞だった。連盟は、連盟幹部は、刊行の際に詩集の内容を批判する序文を掲載した。だが、五人の選考委員による激賞の言葉が書いてあった以上、そのような批判を私が気にかけるはずもない。そこが重要な点だ。

 それだけではない。そこには選考委員のひとりのイギリス人批評家コーエンによる激賞の言葉があった。コーエンは『退場』は西欧世界のどの国でも受賞にふさわしい詩集であると述べていた。実は、こうした西欧世界の地理的・政治的位置づけにこそ、本来であれば受賞すべき作品とそうではない作品との差がある。なぜならキューバ作家芸術家連盟の与える賞とは革命的な賞、革命的作家たちの連盟が与えるにふさわしい賞であるはずだからだ。

 私の詩集は賞を受賞した。そしていち早くフランスの出版社ドゥ・ソレイユから刊行された。彼らは50ちょっとの詩をわずか1カ月で翻訳し、そして帯に「キューバで詩人になることは可能か」という文を掲げて売り出した。キューバで詩人になるのは無理、という意味だ。

5、終わり


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パディージャによる自己批判(4)

2013年08月19日 | 西:パディージャ事件

 それでも私は目立ちたかったのだ――物事はありのままに見なければならない。私は与えられた役割をきちんとこなせなかった、これを言うところから始めなければならない。私は目立ちたかった。特に激しく攻撃されている作家はエベルト・パディージャだけであるということを、特に厳しく攻撃されている革命家はギジェルモ・カブレラ=インファンテであるということを証明しようとしていた。それ以外の連中は怠惰で、どれもみな臆病な役人であるということを。私と同じ立場をとっていない作家連盟など何の価値もないと。

 それが発端だった。それが私のとった明らかな敵対行動、革命を害するこれ以上ないほど明らかな行動だった。つまり革命で立派な功績をなんらあげることのなかったくせに屁理屈ばかり並べ立てたこと、革命に役立つ創造的知性と革命に対する忠誠を証明した我が友人を裏切って、逆に裏切り者の反革命作家を擁護したことだ。

 私はできればギジェルモ・カブレラ=インファンテには反革命作家になってほしくはなかった。彼の才能が革命に役だつことを願った。だが、マルティが述べたように、知性とは人間のもっともよき資質ではない。私が公安の同志たちのもとで学んだことがあるとするなら――自分たちのことは話さないでほしい、君の話をする場なのだから、と彼らには頼まれているのだが、敢えて打ち明ける――それはあの同志たちの謙虚さ、素朴さ、感受性のなかに秘められた、人間的で革命的な偉業を達成するのに必要な熱意というものだ。革命に奉仕しようと願う人間と、自の虚栄心という邪なものにとりつかれている人間との差だ。

 まさに後者が私だった。そのうえ、ひどいことに私は、そうした姿勢を本来持ち込むべきではない場所にまで持ち込んでしまったのだ。そういう姿勢が入り込む余地のないはずの領域、すなわち詩だ。私はこのことについて何度も考えた。真剣に反省をした。どうしてあんな姿勢を詩にまで持ち込んだのかと。キューバ詩においてこのような姿勢は一度も見られたためしはない。革命初期のキューバ詩は、革命の興奮に沸き立つ詩、模範的な詩、我々の革命の若々しいプロセスにふさわしい詩、革命が私に与えてくれた公安との短い時間で書き上げたこの文章と同じものだった。しかし私は書き始めてしまった。哀れにも先鞭をつけてしまった。恨み、苦々しさ、ペシミズムなどという、文学においてまさしく反革命と定義できる詩を。

 私が詩集『退場』について話していることはお分かりだろう。これまで私が散々この詩集を自慢してきたのを諸君も耳にしてきたはずだ。だが物事は深く考えねばならない。詩集『退場』について真面目に考えてみよう。諸君は――仮にこの詩集を読んだのであれば――この詩集が本当に革命的だと思うか? 革命と社会の変革へ人々を誘う本だと思うか?

 私は考えた。何度も考えた。何日もかけてこの本のことを、そこに含まれた詩のことを、最初の一行から最後の一行まで考えた。この詩集を特徴づけているのは何か? 何がこの本の特質か? この詩集の特質とは、歴史の諸問題に関する詩人の苦悩という外見を装ってはいるが、それは実は、フィデルがもっとも新しい演説で触れていたあの植民地主義の一形式に他ならない。つまり、他国の人間の精神状態、他国の歴史体験を、そうした幻滅をいまだその歴史において味わっていない革命の瞬間に持ち込んだのだ。幻滅などとは反対に、革命だけが持ち得る発展と情熱のあらゆる実現とあらゆる瞬間の衝動が肌で感じ取れる、革命の瞬間に。

4、終わり


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いやな思い出(9)

2013年08月15日 | 西:パディージャ事件

 昨夜のウルグアイ戦について毎日新聞が面白いことを書いている。日本はけっこうやっているが、それはある意味「一生懸命やってるだけ」であり、ウルグアイと好対照ではないかという指摘だった。特にフォワードのスアレス選手は「ディフェンスには参加すらせずひとりで前をフラリフラリしているだけ、だが肝心のとき、相手ディフェンスの隙に必ず入ってくる」と言い、このあたりが南米サッカーの奥の深さであろうと書いている。

 スペイン語に一生懸命という副詞句はあるのでしょうか?

 と思って調べてみました。

 白水社は第一に con todo su esfuerzo, con toda su fuerza とある。直訳すると「努力の限りを尽くして」「全力で」となる。なんかシンドそうである。三省堂のクラウンは第一に con toda el alma, en cuerpo y alma とある。これは直訳すると「全霊をかけて」「全身全霊で」となり、こちらは日本語の「一生懸命」がもつ精神主義みたいなのを意識しているらしい。なんかこれもシンドそう。重たい。

 クラウンはほかにも con sincero entusiasmo (心からの情熱とともに)、con el máximo esfuerzo(最大限の努力を払って)などの表現もあげている。どれも暑苦しい。

 そして、これらの表現は、日本選手には当てはまっても、昨日のスアレス選手の風情にはまったくしっくりこない気がする。

 一生懸命、前も言ったけど、私は苦手である。

 一生懸命な人も苦手。申し訳ないけど。

 でも、考えたらそういう苦手人種にスペイン語圏で出会った記憶があまりないのである。そのことと、一生懸命のスペイン語訳に漂う微妙な「暑苦しさ」とは、決して無縁ではないように思われる。

 私が一生懸命な人を苦手に思うのは、まさに何かに身も心もささげているその彼/彼女が、いずれ私に向かって「このことに身も心もささげろ」と迫ってくる姿が見えてしまうからである。

 むろん、現実にそんなことは起こらない。

 でも、その未来が見えた私の、その人物に対する評価はもうそこで決まってしまうのである。どうしてこんなことになるのか。俺はひょっとしてダメ人間なのだろうか…と考えていたときにスアレス選手を見て、少し安心したのでした。

 一生懸命不在の大陸、南米。

 私が安心できる大陸、南米。

 このテーマについてはいずれゆっくり考えたいと思う。

 さて、久々に『いやな思い出』の続き。

 なんとか8月中にまとめ切らねば。

 パディージャはすでに公安警察によって拘束されている。取調官のアルバレスに殴る蹴るの暴力を受けた後、軍の精神病院へ移送される、14章の最後ではここでフィデルと面会したとあるが、詳細は書いていない。

 15章では、ふたたび独房に戻り、アルバレスの尋問を受ける。4~5日、面会もできずに過ごすうち、パディージャは心神喪失状態になって、目の前にいない人物と語り始める。医者に診せられるが、ここで打たれた注射でもまた朦朧状態になり、その場にいもしないホテルのフロントを相手に話をし始める。おそらく自白剤か何かを打たれたのだろう。

 もう4月になっていたとあるので、逮捕された3月20日から10日以上が経過していることになる。ある日、アルバレスがやって来て、これまでの過ちを認める文書を作成するなら釈放することが決定された、と伝える。この辺からキューバ当局は自己批判文書への誘導を始めたらしい。

 ジュースとお菓子とタイプの置かれた部屋で、パディージャはこの文書を作成し始めた。ホルヘ・エドワーズは「外では小鳥の囀る快適な小部屋で葉巻を吸っているパディージャに詩の女神が訪れたのだろう」みたいなことを、やや皮肉っぽく書いているが、実際は違ったみたいだ。

 最初、パディージャは、自分と親しい友人が「外国の知り合いに対して無責任なことを言い過ぎた」と表現する程度にとどめる。2~3時間で書き上げたらしい。翌日、パディージャを呼びつけたアルバレスはこう言った。

 「こんなものは認められない。当局がどう考えているか知っているか? 要するにおまえは最後まで俺たちのことを嘲笑おうとする皮肉家なのだと思っているのだ」(171)

 すでに公開自己批判の和訳を読んでいる人は、あの文章がどうして書かれたか気になっているかもしれないが、このあたりから強引で入念な誘導が始まっている。一生懸命な人とは常にこういう無意味なことを一生懸命にするという、いい例だ。パディージャの一回目の原稿を破り捨てたアルバレスはこう言う。

 「いいか、おまえの書く文章は何ページにもわたる長文でなければならん。そこでおまえが敵ととった行動を逐一報告するのだ。フィデルと革命を侮辱したことに始まるいっさいのことを自分のタイプで書くのだ。時間は有り余っているぞ。だから考えろ。俺たちをファシスト呼ばわりし、ヘルメットをかぶればナチスと同じだと言い、俺たちに散々毒を吐き散らかしてきたことをな」(p.171)

 こうして書き上げたのが、4月27日に朗読された自己批判文書なのである。パディージャはこれも3時間で書き上げた。文法的にむちゃくちゃでも仕方がないのである。アルバレスは今度は文書を受け取る。パディージャは解放されるのかと思ったがそうではなかった。

 翌日、今度は道場のような場所へと連行された。パディージャ自身は空手かボクシングの練習場だろうと言っている。そこではアルバレスが若手を訓練していた。隅ではひとりの衛兵が何かの罰であろうか、せっせと床を磨いている。アルバレスはその男に声をかけた。

 「おい、アレハンドロ、一日中床磨きだなんて、上層部はどうしてそんなことをおまえに命令したんだい?」

 衛兵は立ち上がり、まるで俳優のような仕草で声高にこう答えてそこにいた皆を笑わせた。

 「なぜなら床磨きに当たって<健康な二本の手に勝るものはない>からであります!」

 アルバレスが笑い過ぎて息を切らしながら言った。

 「みろ、警官までもがおまえの詩を暗記してるぞ」(p.173)

 警官の答はパディージャの詩「難局に当たって」の一節をもじっているのだ。このあと、その道場に居合わせた数人の警官たちが、おまえがあの詩を書いたおかまのパディージャかと詰め寄り、よってたかってボコボコに。まあ、たとえて言えば、今甲子園に出ている高校で、ポエム部所属の内気な青年が「あんなに騒いでアホちゃうけ」みたいなことを書き、体育会系のあいだでたまりにたまった怒りを空手部有志一同からぶちまけられた…という感じか。可哀そうに。

 診察室で治療を受けながらパディージャは悔しさのあまり涙を流す。自分と自分の詩が侮辱された悔しさではなく、革命政府から敵対視され死んでいった革命の同志たちに比べたら、寝返って生き延びさせられている自分がいかにふがいないかを思って涙を流すのである。私としても感情移入をしにくい(要するに付き合いにくそうな、嫌な野郎の)タイプのパディージャだが、さすがにここは少し切ない。パディージャは、自分の苦難は思想上のものだが、実際は革命をともに戦ったのに、その後に革命から裏切られて非業の死を遂げた者もいることに、初めて気付く。

 翌日の明け方、ふたたび病院へ移送。

 アルバレスにふたたび恫喝される。

 「いいか、おまえという人間は、単に空威張りをしているだけのろくでなしだという結論が出たのだ。いくら言葉で偉そうにしようが、そんなものは屁でもない。おまえは戦争を好むが、銃弾は怖いという人間なのだ」(p.176)

 あの詩「難局に当たって」では、権力者と思しき者の声が詩人に “最後に言葉を渡してもらおう” と言うわけだが、アルバレス取調官がそれを踏まえたうえで上の発言をしたのだとすれば、彼にも詩才がなきにしもあらずと言えようか。

 このあとアルバレスは、自分の手には負えなくなったと断って、4人の上層部を部屋に招き入れる。ここまでの尋問パタンとして、まず逮捕→とりあえずどついて意気喪失させる→気狂い扱い→医者による懐柔→釈放をにおわせて自白文強要→またどついてさらに意気喪失させる→最後に偉い連中登場、となり、まあ分かりやすいといえば分かりやすいですね。キューバに限らず世界のどこでも、今日も、明日も、そんな同じことを、それこそ一生懸命繰り返している人々がいるのかもしれない。

 彼らが持ち出したのは、出国したばかりのチリ代理公使が残していった請求書の束だった。要するにホルヘ・エドワーズが飲んだウィスキーの請求書。ハハハ、このエドワーズ氏、本当に酒飲みのようなのです。

 アルバレスはこう迫る。

 「この請求書を我々革命政府が盗み出したなどと思うな。それどころか、これはみな革命政府が立て替えたのだ。エドワーズ氏も、彼の上司のCIAも、一銭たりとも我が政府に金を払っていない。我々が抜き出してきたのはスコッチの請求書だけだが、これはエドワーズ氏が出した請求書全ての半分の額を占めている。あの酔っ払いはチリ国民が支払うべき金でスコッチをがぶ飲みしていたのだ」(177)

 するともう一人の取調官が言う。

 「君はあのエドワーズが、すなわちチリでもっとも反動的な一族出身のブルジョワがキューバの労働者と連帯しに来たとでも思ったのか? そうではない。彼は君たちをリクルートしにきたのだ。恨みを抱えた知識人たちをスパイとして雇いに来たのだ。最初のターゲットが君だったのだ」(177)

 このあと、パディージャとエドワーズら作家仲間たちが談笑している写真が証拠として提示される。そこには売春婦も数名写っているが、公安はそれらの売春婦が自分たちの情報源であると明言する。文学者の集いに現れた「謎の女」についてはエドワーズの『ペルソナ・ノン・グラータ』でも触れられており、ここについてエドワーズは曖昧だが、うちの1名とは1夜を過ごしたと思しき描写もある。エドワーズ自身、その「もうキューバはお先真っ暗」みたいなことを呟いた女が公安の手の者だった可能性を示唆している。パディージャはそれが事実だと知らされたのだ。

 そして公安の連中は最後にパディージャにこう迫る。

 パディージャ事件の真相って、このあたりかな。

 「君がマルクス=レーニン主義者だとは我々も思っていない。だが君が抱いている深い社会的怨念は、我々が抱いているそれと通じる可能性が高いのだよ。エドワーズ氏のこうした浪費について君の意見を聞かせてくれないか?」(177)

 このあたり=一生懸命嫉妬する人々。


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