天満放浪記

matsuken tenma blog

古風な短篇を書く頑張り屋さん

2017年01月09日 | 西:書評④コノスール

昨年、スペインの大手から再版されたこの短篇集が好評のパウリナ・フローレスは、1988年生まれの現在29歳。自分が29歳のときどれだけ愚か者であったかを思うと、つい遠い目になりますね。

 彼女は今、サンティアゴの旧市街に暮らし、中等学校で教鞭をとりながら作家生活を続けている。この記事によると、大学へ入学した段階で家を出たそうだ。この辺、前にチリから学者二人を招いてゼミで学生と話してもらったとき、日本の、大学生が卒業時に一斉に企業就職していくという奇怪な習慣を理解してもらうのに大変だったのを思い出す。(実際は理解していなかっただろう、私自身がいまだに理解できないのだから。)彼女はいろいろと私的な奨学金を得ながら卒業したが、文学部なんか出ても仕事はない。すでに物書きの真似ごとはしていたが、発表のめどもなく、挫折感と共に親もとへ帰る。

 チリにはいろいろな文化系の金蔓があっていつも不思議なのだが、彼女も2011年に fondo del libro というある種の支援金を得てしばらく執筆に専念できたらしい。実家は特に本もなく、家族も読書の習慣はなく、自分でもどうして文学部に入ったか分からないという彼女だが、大学で目覚めた模様。作家仲間の先輩がいっしょうけん命朝から書いているのを見て感動したと。そのあとは汗と涙で頑張ったというから、実は体育会系?

 この本に収められた短篇9つは2年で書き上げたという。

 その後は各社へもちこみを続けるがすべて玉砕、推敲を重ねてようやくこの Hueders からの刊行にこぎつけた。そこで彼女は「作家もひとつの仕事のなかの歯車に過ぎない」と知ったそうだ。こういう社会の真実を体験を通してすぐに学んでいくというのが真の意味での若さなのだが、これを知らない若者ってけっこう多い。私もそうでしたから。

 このデビュー作でいちやく時の人になったパウリナだが、学校時代は地味な生徒で、いわく「最初は本を読む暗いオタクでその後はパンクになった」という。オタクからパンクへの移行の意味がよく分からないが、チリの女の子にはよくあることなのだろう。去年サンティアゴを歩いていた時は、コスプレマニアの女子高生がとても多いのに驚いた。

 それはともかく実際に短篇集を読んでみて私は驚いた。

 そのなんとも古風な空気に。

 表題が Qué vergüenza. だから何やら若者らしいスキャンダラスな内容のパンクな小説なのかと思ってこわごわめくってみたら、そこにあったのはリベイロ的な世界、分かりやすく言えばチェーホフ的な人間模様の物語にすぎなかった。表題作は、真夏のサンティアゴ中心街を歩く親子の描写に始まる。時代は1996年と明示してある。失業中の父、10歳ほどの長女、まだ年端も行かない次女。三人が向かった先はあるオーディションだった。題名の言葉はこの短篇の最後に父が発する台詞に過ぎない。敢えて訳せば「とんだ恥をかいたぞ」くらいの意味になる。描写の焦点が途中で娘から父にずれたり、(小説執筆をある種の芸とみなせば)まだまだ稚拙なところも目に付くけれど、なにより、今どきこういう20世紀前半型の物語とまじめに取り組む作家がいることに、私は単純な驚きの念を禁じ得なかった。

 続く「テレサ」は図書館にいた女がふとしたことから自転車に乗る父娘と知り合い、誘われるがままにその父のマンションへ行って関係を持つというそれだけの話に見えるのだが、きちんと伏線が張ってあって、最後は鮮やかな落ちがある。いわゆるノックアウト系の短編と言えましょうか。

つづく…


この記事をはてなブックマークに追加