天満放浪記

matsuken tenma blog

踊る死神と遭遇

2017年06月28日 | 天満放浪記:路上編

 東大新入生にアンケートをしたら自民支持が36%、支持なしが38%と拮抗したそうである。東大生に限らず全国的にそんな感じであろうか。自民しかないじゃんか…アベ以外に誰もいないじゃないか、とか言う人が世のなかに一定数いて、そしてそれについて「馬鹿が…」と言っていられる高等遊民は羨ましいなあ、大阪市民として。と、都構想住民投票があった時から、私はずっとここで言い続けているが、なかなか分かってもらえないような気がしている。

 なぜだろう。

 いっぽうには、現在の内閣が体現している色を毛嫌いする人がいて、私のような仕事をしていると、周りはほとんどそれかも。インテリとインテリの周囲の人々。こんな日本に誰がした!みたいな憤りを共有している人たち。私もできれば仲間でい続けたい。しかし、いっぽうで、街場の酒場に行けば、この辺ならたとえば「やっぱり橋下っちゃんに総理でもやってもらわんと日本もワヤやわな」みたいなことで盛り上がっている人々がいて、その前には産経新聞と読売新聞が置いてあったりする。

 私、そのどちらの局面でもただヘラヘラしているだけなんです。

 できればどちらとも仲良くしたいので。

 けれど、たまに「松本さんはどう思う」とか「センセイも私らと同じように思ってはるでしょ」とか尋ねられて、そこでつい、前者には「ペルーやキューバを見てきた身としては特に驚く状況でもないし、そもそも祖国に過大な期待は抱かないことにしている」と述べてその場をシラケさせ、後者には「人が思っていることと実際の行動は別なのでいかんともしがたい、いわばアメーバみたいなもので生き物に実は自由意志などないのです」とか煙に巻いて、もう…センセイと名の付く人はこれやから困るわ…とさんざん笑いものになっている。

 こっちとしては、たとえ2人であれ、人が集まって言葉遣いがヒステリー化するのが生理的に嫌いなだけで、おそらくそれは私の心の病であるから仕方がない。できるだけ大人しくしているほうがいい時代がきたのかな…と思ってはいるけれど、それは同時に人付き合いが苦手な私には歓迎すべき時代であるよなあ…と、またそんなことを言えば「傍観者面するな!」と怒られるのか。こわ。

 何を言っても怒られる…。

 というのは東大生も同じでしょうか。

 東大生の場合は日本国民全員に怒られる。

 勝手に妙なアンケートとられて「やっぱ東大生は…」みたいなこと言われてさ。

 むかしテレビのインタビューで、合格発表直後の東大新入生にマイクを向けたら「国民のために頑張りたい!」と述べておられたのを今なお鮮明に覚えている。ああ、彼らはもはや国民ではないのだ、国民に奉仕する公僕なのだ…と少し遠い目になったのと同時に、これが別の旧帝大なら「わたしはもう人生勝ち抜けた!」とコズルい奴らも多いところを、彼らは18歳の段階で、それまで受けてきた恩恵を国民に返済する義務をすでに背負っている。私はそこには心からの敬服の念を抱いた。実際、阪大あたりで入学後に「国民の皆様にご恩を返したい」とか思っている学生なんて皆無だと思うけど。そんな変な奴、別にいなくていいんだけどさ。でも、東大って、その種のスティグマを背負っちゃう可能性が高い場所なわけで、なんだか、陰ながら応援したくなっちゃう人たち…なのですね。

 話は変わるが先日映画『ローガン』を観てきた。

 むむむ…いろいろな意味で身につまされる話でした。

 独身の男がいかにして死を迎えるかという話ですので。

 そしてもうひとつ、兵庫県立美術館で、ボス(かつてのボッシュ)を中心とするベルギー奇想派の流れというのも見てきたのだが、日曜だけあってけっこう人が多く、しかもあの小さな版画に皆さん並ぶので、大変でした。その最中、七つの大罪を描いた面白い版画の前、うちの「邪淫」を描いた絵の前で、ちいさな女の子が「なあ、おかあさん、ジャインってなんなん、ジャインって!」と連呼していて、お母さんが困った顔で「それは難しいなあ…」とその場を切り抜けようとするそばで、私ら大人はみんな笑いをこらえながら「お嬢ちゃん、その絵をよく見なさい、ほら、その絵の男女をよく見なさい!!」と声にならない声を発していたのです。ワハハ。

 ところがこの展示、ボスとルーベンスで終わりかと思ったら、20世紀以降、シュルレアリスム以降にまでその流れがつながるのだという、かなり無理やりの設定で、私としてはフェリシアン・ロップス(展示のなかでもっとも人が少なかった空間)の踊る死神を生で見られたのは収穫だったと思うが、後半の流れを理解できた観客は少なかったのではないかなあ。現代芸術アレルギー患者をまた増やしたのではないかと少し心配だ。

 キュレーションは難しい。

 ジョルジョ・モランディであの奇跡的な展示を達成した同じ美術館でコレ。

 でも、何かを押し出そうとすると、何かの色が褪せたりするのは、仕方がないか。

 突飛な組み合わせでも発見はあるもの。

 実際、今度の展示でも、細かいところで学ぶべきものは多かった。

 私にはまだまだ学びというものが足りないような気もしている。

 東大生の「集中的な学びの力」を私もいつか(生まれ変わったら)学びたい…。


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