天満放浪記

matsuken tenma blog

語りがたいもの

2016年08月15日 | 西:詩

ラウル・スリータ(1950-)の詩集『楽園の手前』(初版1982)の2009年版(ディエゴ・ポルタレス大)には82年に彼の詩をニューヨークで飛行士が空中に描いたあの「空中詩」の写真が掲載されている。むろん初版の姿と含めて全体像の解説をする必要があるが、それは今後の仕事として、とりあえず先般ブエノスアイレスを訪れたスリータがインタビューに答えているので、今日はそれを見ていくことにしよう。

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問:できれば話してみたいと思った詩人はいますか。何を質問したいですか。

RZ:ネルーダと話してみたかったね。あの完全に上っ面だけの『大いなる歌』以後について。ネルーダは言葉というものに完全に合体した天才だった。それが彼の天才のゆえんでもあったし、耐えがたい言葉遊びのゆえんでもあった。私の心を躍らせるのは彼の詩作の幅だ。「死せるギャロップ」や「マチュ・ピチュ山頂」のような詩はネルーダがいなければあり得なかっただろう。

問:師匠をあげろと言われたらすぐに思い浮かびますか?

RZ:『神曲』に影響を受けたと言うのはさすがに大げさすぎるが、あのシンメトリカルな構成には圧倒された。私にとって大切なのは些細な一行だ。ボブ・ディランの一節、私が勝手に訳した彼の一行とか。

問:あなたにはチリの現実があまりに重くのしかかっているので、文学的な影響は希薄なように見えますが。

RZ:若い詩人にとって最大の挑戦は、自分自身の声を見つけることにあると思う。私はボルヘスを愛読していた。彼の Two English Poems.を読んでから詩を書き始めたが、うまくいかなかった。ネルーダの『地上の住処』も読んでいたが、結果は同じだった。なにを読んでも、いざ自分で書くとなると同じ。半時間ほどはそれっぽい気分になるが、すぐに煩悶し始める。そのうちにようやくこれだ、あの有名な自分の声ってやつだ、と思う詩を書けた。そしてその自分自身が自分にとっていちばん近いものだということに気が付いた。その声というのは自分以外のあらゆることに満たされた声だった。

問:「語りがたい」という形容詞があなたの作品には頻出しますが、これはチリ史との関わりにおいてだけじゃないですね。

RZ:語りがたいものは省略記号に現れる。これはたいてい残忍なものだ。テクストがつくらない感情を読者に負わせるのが狙いでね。たとえば「そして彼は歩き続けた…」と読めば、そこでは何も起きないが、省略記号のおかげでベルイマン映画のような余韻が生まれる。わかる?

問:あなたの詩が組み立てるチリの神話はいろいろな意味で幻想的です。あなたがチリ以外の場所では今のような詩人ではありえなかったと思わせるのですが。

RZ:チリ以外の場所など考えようもないことだ。クーデターがなかったらどうなっていたか。アルゼンチンに生まれていたらどうなっていたか。私は、私に関係はないが、あのチリ詩と称され得るエンテレキーに関係して何かがあると考えている。おそらくアロンソ・デ・エルシーリャの昔からそうだったのだ。エルシーリャは詩で「豊かなるチレの大地よ…敬うべき遥かな国々よりなる」と謳ったが、そんな国々は地図に存在しなかった。やっこさんは国ひとつでっちあげたわけだ。なにもなかったこの世の果てにね。いわゆるチリ詩というのは、このエルシーリャのついた最初の嘘っぱちを隠すためのまずまず壮大な試みだったのだ、と私は常々思っている。今のチリ詩がアルゼンチンみたいな国に生まれたとは思えない。アルゼンチンのパンパは確固たる土台で、あれは小説向き、ボルヘスにとってはエッセイ向きなんだな、小説やエッセイというのは確固たる土台から出発するから。それに対してチリの国土は解体し、散り散りばらばらになる。アンデスは太平洋に沈み込む。物理的に恐ろしく不安定な感覚がある。チリの国土はほとんど存在論的に脆く、それは子どもでも地図を見ればわかることだ。この細い筋は自然の奇跡と言ってもいい。

問:あなたの詩は順列数式のようですね。強い名詞―破片、岩礁、断崖―が交互に現れ、自然のもうひとつの力ともいうべき詩をつくっています。

RZ:いちばん大事なのは、少なくとも私がやろうとしているのは、力、詩が力を持つことだ。力がなにより大事なんだ。自分がその大事なものの模範になっているとは言ってない。自分が自分であこがれている力の模範であるとは思わない。私にとって自然とは静止しないものだ。激流のようにあちらから押し寄せてくるものだ。なので私はこう考えた。自分という存在の限界はどこにある? 私が届くのは肌で触れられる場所までなのか、目が届く場所までなのか? 私はどこで尽きて、どこから風景が始まるのか?

問:ハンマーのように力強いそれらの言葉がつくりだす音楽性とは別に、いくつかの固有名へのこだわりもありますね。あなた自身のスリータという名前、チリ、アンデス、アタカマ砂漠…、こうした言葉にも音楽性が付与されているように思えます。

RZ:それらは私にとってないと困る存在なんだ。読者は地図をみてその語がどの場所を表しているのかを知り、その二つ、つまり実際の太平洋と私が表現する太平洋との間の緊張を見なければならない。私にとって耐えがたいのは抽象詩だ。なにか深いことを言いたいのだろうが、そこに具体的な場所がない。私の詩の砂漠とはあくまでアタカマ砂漠であり、山脈とはあくまでアンデス山脈のことだ。

問:詩を書くときは、創作につきもののいわゆる幸運な偶発性を重視されますか?

RZ:幸運をどう理解するかによる。たとえばレナード・コーエンの歌“Dance me to the end of love”に出会って、あのとき私はやられた、こてんぱんに。そういうことは今後も起こり得るし、実際に起きている。ああいう出会いがなければ、詩なんて1行も書けなかっただろう。

問:あなたはしばしば公共の場で朗読をしますが、それによってよい詩と悪い詩の基準に修正が施されたこともあるのでは?

RZ:それはない。あくまで書いていた瞬間と同じ気持ちになれる詩しか朗読しないから。私の朗読は常にそこを基準にしている。朗読用に詩の語句を変更したり、それ用の詩を書くことなどはない。

問:あなたの朗読に魅了された人が、これならわざわざページをめくる必要などない、と考えたりするとは思いませんか?

RZ:たしかに。でもある形式が朗々とした演説調だから効果的だとみなすのは安易だと思う。もっと深いところから湧き出てくるものもある。朗々とした演説調なんて私は大嫌いだ。だから役者が詩を読むのも嫌なんだ。彼らはいかにも朗々と感情をこめて詩を朗読する。リチャード・バートンやヴィットリオ・ガスマン並みにね。そうじゃないんだ。詩の朗読で感情を込めるなんてことだけはやってはいかん。詩を朗読してなんの感情もわいてこないなら、それで終わりだ。

問:ご自分の創作についてどれくらい理解を?

RZ:いちばん深い部分は自分でも理解していない。ちなみに私は言語とは意識よりむしろ無意識から来ると考えている。書くという行為は、人が言語によって伝えたいことと、言語が人を介して伝えたいこととの、闘いの現場なのだ。だから、人の意志が言語の意志に勝ってしまうと、詩はたいてい失敗すると私は思う。

問:あなたのスタイルは昔からまさにそこ、ご自身への厚い信頼に基づいていますね。なにかあなたを揺さぶった読書体験、詩に影響を与えた本があると思いますか?

RZ:いわゆる詩人と呼ばれる人たちの本じゃない。ボブ・ディランがそうだが、あれは根っからのポピュラー音楽だ。たとえばボリビア音楽がそう、あれは深い、むき出しの感情がある。あれには圧倒された。フォルクローレは言語が、スペイン語がはがれる瞬間、あの亀裂の瞬間に生まれる。

問:圧倒されたといえば、あなたは翻訳という行為を通じてある種の錯乱に身を委ねてこられた。『ハムレット』や『神曲』に立ち向かってこられましたね。ああした翻訳は、いわばあなた自身のなかに亀裂を生じさせる目的でおやりになった?

RZ:『ハムレット』がどうしてすごい作品だと言われるのか私は理解できなかったが、翻訳をしてみて、そのすごさがようやくわかった。ボルヘスはミトレが訳した『神曲』を嘲笑していたが、あれは決して悪くない訳だ。私のほうは地獄篇の最後にさしかかっているが、ちょっと今は難航している。

問:地獄と言えば、ピノチェトという言葉はあなたにとっていまだに意味を持っていますか?

RZ:ああ、残念なことに。ピノチェトというのは他の多くの犯罪者と同じひとりの犯罪者にすぎないが、彼には象徴的性格もあって、おそらくそのせいで特殊な存在となっている。彼は20世紀後半でもっとも有名な右翼の独裁者だったと思う。あるとき、実にくだらないが、決して見過ごせない出来事に遭遇した。アメリカの大学でこんな紹介をされたんだ。「スリータ氏はアルゼンチンの独裁者アウグスト・ピノチェトによる政権下で投獄され拷問された体験をお持ちです」。思わずこう言いそうになったよ、おいおい、あいつは私たちチリ人の独裁者だよ、苦しんだのは俺たちなんだよ。アルゼンチンにはタンゴもボルヘスもサッカーもあるけれど、ピノチェトだけはチリのもんだからなってね。まったくひどい話さ。

問:最後にひとつ。詩人としてもっとも強く問うてきたことはなんでしょう?

RZ:限界、人の思考の限界についての問い。つまり絶対的に思考すら不可能な領域とはなんだろう。こうした問いかけさえ不可能な領域とは。

問:今回あなたの作品を回顧するイベントが開催されるわけですが、満足感を覚えることもありますか?

RZ:どんな苦痛も、なにかうまくいったと自分で思えるものを創りあげ、揃っていなかった二つのものを結び付けて、初めて報われる。でも回顧という言葉には二つの側面があるな。名声を勝ち得たという意味でもあるし、お前の人生はもう終わりという意味でもある。いつか人生と詩はひとつになるだろう。きっとそれはあの最後の時、例の最後の瞬間になるのだろうね。

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