麦わら帽子

本当にあった事 僕が覚えている事、思う事。

そもそもが、磯子プリンスホテルから始まった

僕の初飛行

2017-06-14 22:27:27 | 日記
それは僕が小学校3年生の夏の出来事です。

僕の兄(20歳年上)と藤沢飛行場(現在はありません)に行った時の事です。

僕は民間機を見たのは、その日が初めてでした。

飛行場に着き、兄の後をついて行くと、兄は振り返り、僕に向かって言いました。

「今日はお前を飛行機に乗せてあげるからな。お父さんお母さんに絶対に言うなよ。」

と念をおされました。

兄は、掘っ建て小屋の様な事務所に入って行きました。

それは、今思うとフライトプランを出し、セスナのキーの受け取りに行ったのだと思います。

僕は15分位の間、停まっている6機位のセスナを見て触っていました。

飛行機の機体には日本飛行機連盟と書いてありました。

僕は機体に触ってみて、びっくりしました。

なんと、翼,エンジンを除いて、防水ビニールの機体でした。

コックピットを見ると、余りにもボロくて汚く、これ本当に飛行機?これ本当に飛ぶの?

と思いました。

遊園地のボロい回転式の飛行機と変わらない!とあれこれと考えていると、兄が大きな浮き袋

を持って、「さあ、行くぞ」と、僕に浮き袋を背負わせ、

前後1人づつ乗るタイプの、今で言えば訓練機だったのでしょうが、そのボロい機体がビニー

ル(テントの様な素材)のドアを開け、僕は後ろの席に浮き袋を持って乗りました。

一応シートベルトらしき物をした様な気がします。

兄は前の操縦席に乗り、サングラスをかけ、早速、計器チェック等をして、離陸の許可を無線

でとっていました。

兄は気取って得意そうな顔をしていました。

僕に振り返り、「辻堂海岸と鵠沼海岸の間でアベックが沖合いに流されているので、お前、近

くに行ったら低空飛行するから、フード(今のキャノピーもどき)を開けて、持って来た浮き

袋をアベック2人の近く、当たらない様に落とすんだぞ。」と、兄は言いました。

その時、急いでいる様子で、離陸許可も直ぐに下り、直ぐに滑走路に出ました。

僕は、兄が飛行機の操縦が出来るとは知らず、大丈夫かな?と、不安になりました。

まして、機体のビニールは2~3箇所穴が空いていましたから。

これは・・・ジェットコースターより恐いな、と思いましたが、兄には僕が弱虫だと思われる

のが嫌で、兄が振り返り僕に親指をたてたので、つられて僕も兄に親指をたてました。

機内は、エンジンが煩くて話が出来る様な状態ではありませんでした。

発進前に、メーターのチェック,エルロン(後部の翼)及びフラップ,ラダーのチェックも終わ

りました。

僕の小学校3年生の夏、初飛行でした。

兄はエンジンのパワーを上げ、一路滑走路を全速で進み、途中、何かフワッとしたなと思った

ら、見事に離陸していました。

当時の藤沢飛行場は山の頂上にあったので、回りをを見ると、もう、100メートル以上は上

がっていたと思います。

2分も経たない内に、目標の海が見えて来ました。

兄は、慣れている様で、なかなかスムーズは飛行をしていました。

離陸後、10分も経たない内に現場海域に到着。

直ぐに辻堂海岸から鵠沼海岸に向かって岸から2~300メートルの所を低空で飛行して行く

と、それらしいアベックが直ぐに見つかりました。

兄は僕に、人差し指でその2人の方を教えました。

その後、僕にフード(キャノピー)を開けろというジェスチャーをしました。

ところが僕は、どうしたら後ろのキャノピーが開くのか分からずもたもたしていると、

兄は、その2人の上空を、多分20度以上の角度で旋回を始めました。

僕は、キャノピーの開け方も知らない・・おまけに20度以上での旋回は、シートベルトを調

節していなかった僕は、浮き袋を体から外そうとした時、僕が海に落ちてしまうと思いまし

た。

焦ってシートベルトをきつくして、浮き袋は僕の体から抜け、キャノピーの開け方も咄嗟に分

かりました。

兄が左手でしきりに僕に浮き袋を落とせというサインをしていましたが、僕はその2人を良く

見るととても溺れている様には見えませんでした。

何故かと言うと、その2人は、セスナに向かって助けてくれという手の振り方ではなく、あっ

ちへ行けという手のリアクションでした。

それに良く見ると、2人は大きな大きな浮き袋の中に抱き合って入っていました。

おまけに2人は素っ裸でした。

僕は兄に、下を見る様に肩をたたきました。

兄は知らん顔をして、僕に浮き袋を落とせという合図をさかんにしていました。

僕は何故か、子供ながら段々頭に来て、海のアベックに浮き袋を投げ付けましたが、

速度と旋回角度の勘が無かったので、近くには落とせましたが、ぶつける事は出来ませんでし

た。

海のアベックは、案の定、僕の投げた浮き袋を無視しました。

兄は、頼まれた事、遂行完了の旨を無線で話していました。

それから海岸沖を1時間程飛行しました。

その間、緊急無線等は入りませんでした。

海岸は、7月末の日曜日でどこも蟻の巣の様でした。

兄と僕は、それから飛行場に戻りましたが、藤沢飛行場は滑走路がガタガタで、着陸に兄は苦

労している様でした。

これが僕の初フライトになりました。

その後僕は18歳迄、時々(土曜日,日曜日)早朝、フライトする様になりました。

勿論、兄とも乗りましたが、危険な教官とも乗りました。

危険な教官との想い出は沢山あります。

因みに僕は、パイパーチェロキーが好きでした。

おやすみなさい☆



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