麦わら帽子

本当にあった事 僕が覚えている事、思う事。

そもそもが、磯子プリンスホテルから始まった

磯子プリンスホテル

2017-06-16 20:21:24 | 日記
僕は小学校2年生の時、生まれて初めて、温厚な父に殴られました。父に怒られたのは、生涯

その1回だけでした。

その時父に言われた事、「2度とお母さんを怒らせるんじゃない!可哀想だろ・・お母さんい

くつになったか知っているだろ!」

僕の母はその時52歳で更年期真っ盛り、45歳で僕を産んで、僕はまだ小学校2年生。

小学校のPTAとかで授業参観等で、僕の母が和服で来ると、クラスの友達は「お前ん家はお

婆ちゃんが来たの?」とか言われ、その時は少し恥ずかしかった。

他のお母さん達は皆30前後の若さでしたから。その頃はそれが普通でしたから。

僕は、物心ついた時からお母さんに怒られひっぱたかれていた毎日でした。それ位僕はいたず

らっ子だったのです。

でも、父に怒られたその日から、父も母も僕の事を全く怒らなくなりました。

僕も、優しい父や考えてみれば優しいお母さんを2度と怒らせない様にしようと、心に決めま

した。

その日を境に、僕の人生はとてつもなく忙しくなりました。

僕は自分の事は自分でする様にしました。また、お母さんが困っている時には、出来るだけお

母さんが楽を出来る様に、買い物,掃除等は、僕が出来るだけ手伝う事にしました。

この様な事があり、1ヵ月位経った時、飛行機好きの兄が、僕に「夜、美味しいカレーライス

を食べに連れて行くぞ」

兄はもうその頃は実家では暮らしておらず、僕が3歳位の時から近くですが、1軒屋を借りて

大手自動車会社に勤めていました。

僕は兄の事が余り好きではありませんでした。年が20歳も離れているので、気も話も合うわ

けありません。

ところが、美味しいカレーライスの話で、たまには一緒に行ってもいいかな?と思い、兄につ

いて行く事にしました。

多分、伊勢佐木町辺りだと思い、少し僕も自分なりに身綺麗にして、兄の運転するイスズヒル

マンに乗り出掛けました。

海岸辺り16号線を少し走ると、急な坂道に入って行きました。

僕はプリンスホテルの道だな、と思いました。

僕にとって、プリンスホテルは、その当時、一生縁の無い、外人さんや軍人の将校さんとか

特別な人が行く場所だと思っていましたから。

はなたれ小僧だった僕は、結構緊張して来ました。

ホテルのエントランス前で、ボーイさんにドアを開けられ、「どうぞ。お食事ですか?お泊ま

りですか?」僕の頭の中には未だ無い言葉をかけられました。

すかさず兄は、「食事です。」と言って車から降り、僕にこっちだよ と手招きしました。

車は、すかした蝶ネクタイのボーイさんが、「駐車場にお預かり致します。」と言い、乗って

行きました。

僕は、カレーライスを食べるのが、とても大変だな!と内心思い始めていました。

兄は、ボーイさんに、「弟、未だこういう所来た事無いから、すみませんね。」と、気軽に声

をかけていました。

ボーイさんは、「レストランのご予約はなさっていますか?」

兄は、「午後4時頃、2名で予約してあります。一応7時半頃と伝えてあります○○です。」

ボーイさんは、「少しお待ち下さい、只今確認して参ります。そちらのソファーでお掛けにな

ってお待ち下さい。」

僕はというと、金髪の外人さん 皆背が高く、とにかく皆大きくて、英語がロビーで飛び交っ

ているので、兄を見失わない様にする事で精一杯でした。時折、金髪の女性が僕の頭をポンポ

ンと叩き、笑顔で手を振って行くのですが、僕は、本能的にお辞儀をする事しか出来ませんで

した。

内心、とんでもない場所に来ちゃったな・・と思っていました。

5分程で、蝶ネクタイをしたレストランの案内係の人に「只今お席をご用意致しておりますの

で、もう少々お待ち下さい。」と言われましたが、「僕に言わないで下さい、兄に言って下さ

い。」と言ったところ、「あ、お父さんですか?」となり、

それを聞いていた兄は、「よく言われるんですが、弟ですから。」と言い返していました。

僕は、ロビー天井のシャンデリアに、目が点になってしまいました。

程なく「お待たせ致しました。こちらへどうぞ。」と、案内された席は、水銀灯に照らされた

青いプールと緑の芝生が広がって見えるとても夜景の綺麗な席でした。

おまけに、座る時に椅子を引き押ししてくれるサービスにも驚きました。

テーブルの上にはナイフ,フォーク,スプーンがぞろっと並んでいる事にも驚きました。

僕の頭の中は、これでカレーライスかよ・・恥ずかしい・・よく兄貴平気だな・・

僕の心の中に見えない変な見栄が、生まれて初めて芽吹いたのを感じました。

ボーイさんは、分厚いメニューを持って来ましたが・・心の叫び「僕はカレーライスしか食べ

る事が出来ないのに」

少しメニューを見ましたが、ビーフカレーが1500円!

というのを見て、もう何も考えるの止めよう。この景色とサービス込みで1500円なのだな

と、自分に言い聞かせました。

兄を見ると、頻りにメニューを見ているではありませんか・・

「お前はここのカレーライス、1回食べてみな。」僕はただただ頷くだけでした。それが精一

杯。周りはアメリカの将校さんばかり。そして金髪の女性ばかり。

その様な中で僕が何を言えましょうか・・
 
兄は、チーンと鳴る呼び鈴でボーイさんを呼び、「お願いします。」

ボーイさん「こんばんは、いつもご利用ありがとうございます。今日はビーフハンバーグがお

すすめです。」

兄「じゃ、ビールとそれで。弟はカレーライスお願いします。」

僕、心の叫び「ウソだろ!兄の給料は7000円のはずだろ!ボーナスだって3万あるかどう

かでしょ!」

僕もっとも 兄がイスズヒルマンで来た時に、もう全てが計算出来なくなっていました。

ヒルマンは、当時、クラウンに匹敵する車だと僕は認識していましたから。

因みに、ラーメン30円の時代、横浜駅で食べても50円の時代でした。

食事を待っている間、ジャズの生演奏が始まりました。

錯覚かもしれませんが、もしかしたら、クラリネットは北村英治さんだったかもしれません。

生演奏,ジャズは生まれて初めて聴きました。とにかく最高でした。

そうこうしているうちに、僕のカレーライスがきました。

ボーイさん、「お好みでどうぞ。」 福神漬け,らっきょう,ピクルスの刻んだもの

カレーライスを見ると生クリームが綺麗に飾り付けられていました。

兄「美味しいから食べてごらん。」

僕、一口食べて・・これがカレーライス!美味しい!びっくり!

いつもお母さんのカレーライスとは違う(ハウスカレー)・・色が違う・・黄色くない・・焦

げ茶色・・とろけそうな牛肉

この夜景,このジャズ,このサービス

日本がアメリカに戦争で勝てる訳が無い・・

僕はこの時、嫌いな兄を、大人になる迄に追い越さなきゃ、と 心の中で感じました。

勿論、兄は好きではなかったですが、兄への見方,考え方が変わりました。

もっと驚いた事は、兄「父は10年間進駐軍にただ居た訳じゃないよ。父は何でも知ってい

るから。よーく覚えておきな。」

僕「覚える事一杯、やる事一杯」とおもいました。

この夜僕は感激で、なかなか眠る事が出来ませんでした。

磯子プリンスホテル これが僕の第一歩になった事は間違いありません。

その後、磯子プリンスホテルでの想い出、沢山あります。

おやすみなさい☆



ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 僕の初飛行 | トップ |   

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。