一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

アンジェイワイダ

2017年12月02日 | 社会
1926年3月6日、ポーランド東北部のスヴァウキで生まれる。ポーランド軍大尉だった父は対独戦中にカティンの森事件に巻き込まれて亡くなる。1944年、青年時代に博物館で開かれた日本美術展において喜多川歌麿や葛飾北斎などの浮世絵をはじめとした日本美術に感銘を受け、芸術家を志す。第二次世界大戦中は対独レジスタンス運動に参加した。1946年にクラクフ美術大学に進学する。その後、進路を変えてウッチ映画大学に進学。1953年に同校を修了した。

1955年、『世代』で映画監督としてデビュー。1957年の『地下水道』が第10回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞。1958年にイェジ・アンジェイェフスキの同名小説を映画化した『灰とダイヤモンド』は反ソ化したレジスタンスを象徴的に描き、1959年の第20回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。これら三作品は、ワルシャワ蜂起時のレジスタンスや戦後共産化したポーランド社会におけるその末路を描いた「抵抗三部作」として知られている。以後、アンジェイ・ムンク、イェジー・カヴァレロヴィチらと並んで、当時の映画界を席巻した「ポーランド派」の代表的存在となる。
ポーランドのアンジェイ・ワイダ監督が10月9日に死去したことを新聞で知った。
90歳だった。
ワイダと言えば、私にとって10代後半にテレビで観た『地下水道』(1957年)の印象が忘れられない。

第二次世界大戦末期の廃墟と化したワルシャワの街。
ドイツ軍に追い詰められたパルチザン部隊は、地下水道を通って市の中心部に出て活動を続けることにする。
しかし、やがて離ればなれになり、発狂する者や、マンホールから出てドイツ軍に発見され射殺される者。
目的の出口を見つけたとしても、そこには頑丈な鉄柵が張られ、爆薬も仕掛けられていたりする。
特に印象的なのは、やっとたどり着いた河へ注ぐ水路。
河の向こう側を目の前に、手前の鉄柵が希望を遮断する。その残酷さが目に焼き付いて離れない。

この強烈な内容を、ワイダはわずか31歳の時に作る。
その一年後には、あの傑作『灰とダイヤモンド』(1958年)を発表。

私にとって、ワイダはもっとも信頼できる監督として、20代以後、新作は意識して観るようにした。
『白樺の林』(1970年)、『約束の土地』(1975年)など。
そして、ワイダがまたまた脚光を浴びるようになった『大理石の男』(1977年)や『鉄の男』(1981年)。
その後で記憶にあるのは、『ダントン』(1983年)や『コルチャック先生』(1990年)か。
いずれにしても映画を観ながら、権力に抵抗する人たちに共感し熱烈に支持した。
だが、今では個々の作品がおぼろげな感じになってしまって、それが何とも寂しい。

最近の作品として観たのは、ワイダの父親も犠牲者になり、作るべきにして作られた『カティンの森』(2007年)。
これが上映された時は、是非観なければと勇んで行った。
しかし、その後の『ワレサ 連帯の男』(2013年)は見逃していたりして、好きと言いながらも、私も案外いい加減だったりする。

ワイダは日本びいきであったりして、随分と前になるがNHKでもそのことを放映していて、今思い出すとそのことが懐かしい。