一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

木村秋則

2017年05月01日 | 社会

木村秋則(きむら あきのり、1949年11月8日 - )は、世界で初めて無農薬無施肥リンゴの栽培に成功した日本農家。株式会社木村興農社代表取締役

 

 

自然栽培への経緯

1949年に、青森県岩木町(現弘前市)の三上家の次男として生まれた。青森県立弘前実業高等学校商業科を卒業し上京、トキコ(現日立オートモティブシステムズ)に入社し原価管理課に配属された。

1971年に帰郷、りんご栽培を中心とした農業に取り掛かる。22歳でリンゴ農家の木村家の養子になって美千子と結婚。農薬に過剰反応する美千子をきっかけに、福岡正信の著作『自然農法』を参考にして無農薬のリンゴ栽培を考え出す。農薬をまく回数を年10回以上を5回、翌年には3回、翌年に1回に減らした。収穫量は落ちたが、農薬の経費が浮いたので、収益は悪くなかった。

自然栽培

1978年から本格的にりんご無農薬栽培に挑戦したが、日本の温帯湿潤な気候で無農薬で育てることは困難を極めた。 通常5月中に咲く花がようやく9月に咲き、果実は結実することなく小梅程度の大きさにとどまった。さらに害虫を手作業で駆除するなどの毎日の手入れも相当な労力だった。しかし、それだけ苦労を重ねても数年は実がなることもなく、10年近くにわたって収入のない状態が続く。そのような状況にあっても、自給のために育てた他の作物での無農薬・無施肥栽培において良好な成果をあげつつ、木村は少しずつりんごの栽培方法に改良を重ねていった。

最終的に木村を助けたのは、大豆根粒菌の作用で土作りを行ったかつての経験だった。土の中の根張りをよくするため大豆を利用した木村のりんごの木は年々状態が上向いていった。1986年にはようやくリンゴの花が咲き、実も通常通りつくに至った。こうして木村が確立した無農薬・無施肥でのりんごの栽培方法は、従来の農家から不可能とされてきたことであり、弘前大学農学生命科学部の杉山修一は「恐らく世界で初めてではないか」と評している。