一身二生 「65年の人生と、これからの20年の人生をべつの形で生きてみたい。」

「一身にして二生を経るが如く、一人にして両身あるが如し」

ヘルベルト・マルクーゼ

2016年09月23日 | 社会

 

 フランクフルト学派のメンバーでもうひとり,紹介したいのは,ヘルベルト・マルクーゼである。西ドイツに帰国したホルクハイマーやアドルノとちがって,マルクーゼはアメリカにとどまった。かれの主要な仕事は,
 
① 1936年にはじめて公開されたマルクスの『経済学・哲学草稿』(マルクスが1843~45年のパリ時代に書いたノート)をいち早く研究し,いわば経済学の体系である『資本論』に取りかかる以前に,疎外からの人間の回復をテーマとしたヒューマニストとしての「初期マルクス」思想を研究した(日本で刊行されているマルクーゼ『初期マルクス研究』は,かれが1932年に書いた2つの論文を翻訳した編著である[⇒ 対応する原著は存在しない])
② これまで保守的思想と見られていたヘーゲルの哲学の核心に,理性にもとづいて社会の現状を批判する批判的弁証法(批判理論)の契機がふくまれていると論じ,ヘーゲルの新しい読み方をしめした(『理性と革命』,原著1941年)
③ フロイト自身の思想が本質的に「社会学」的性格をもつと論じ,以前にこの授業で紹介した新フロイト派のように,フロイトを改作することによって「社会学化」しようとする「修正主義」を批判した(『エロス的文明』,原著1956年/下に記した紹介を参照のこと)
 
などである。古典とされる著作の硬直した読み方をくつがして,古典のまったく新しい読み方をしめすのが,かれの本領である。こうしたアカデミックな研究スタイルにもかかわらず,かれの研究は1960年代後半の新左翼運動に大きな影響をあたえたことでも知られている。
 
 ● エロスと文明
 この著作は,「文明は人間の本能を抑圧するというフロイトの命題についての考察から始まる。社会が生きることの快楽を追求する人間の生の本能(エロス)を抑圧することを通じてつくりだす過程は,右のように図式化される。
 文明が人間の生の欲求を抑圧するというフロイトの視点はそれ自体が,フロイトの本能論を改作して,社会のなかで人間のつながりを求める欲求と翻訳する新フロイト派の理論よりも,社会に対する本質的な批判をふくんでいる。
 マルクーゼによると,後年,フロイトは思索を深めるなかで,人間の本能には,生の喜びを追求するエロスとともに,自然と一体化し,静寂を求めるタナトス(いわゆる「死の本能」)があると考えるようになった。エロスとタナトスが調和した世界とは,歓喜と静穏が融合し,労働が遊びであり,遊びが労働であるようなユートピアである。マルクーゼはこのような社会のあり方をニルヴァーナ原則(ニルヴァーナは仏教用語。サンスクリット語で涅槃の意味)という。文明と人間の生との和解は,現実原則による社会がつくりあげた豊かな生産力を用いて,ニルヴァーナ原則によるユートピア的世界を現実化することによってはじめて達成される。
 
 マルクーゼにかぎらず,戦後のフランクフルト学派では,本来のフロイトを重視し,フロイトを改作して社会学(あるいは社会心理学)に発展させようとする新フロイト派(以前に紹介)を批判するようになる。そのため,戦前の社会研究所のメンバーでもあったフロム(新フロイト派の中心)はフランクフルト学派から離れていくことになる。
 
ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« フランクフルト学派 | トップ | マックス・ホルクハイマー »

社会」カテゴリの最新記事