稽古なる人生

人生は稽古、そのひとり言的な空間

実は早稲田大学へ出稽古へ行ったことがある。

2017年08月06日 | 剣道・剣術
昭和57年に盛岡から秋田へ転勤になり秋田の興陽館という道場にお世話になった。
(元々、秋田県担当で毎週出張に行ってたので駐在所にした次第)

奥山京助範士八段の道場である。
その頃は偉い先生だとは知らなかった。
特に何も教えてはいただけなかったが、毎回稽古はお願い出来た。
「かすぃ、おめえはぶぎようだから大きな面さ打でぇ」とだけ言われた。

秋田で三段四段を戴き、会社を辞めて東京に出た。昭和59年のことだ。
早稲田大学ビジネススクールで勉強をやり直したのだ。

剣道稽古をする時間的余裕は無かったが、
一度だけ、同じ校内の早稲田大学の剣道部に出稽古に出かけた。
盛岡で「稲門会」の人達を知っていたから何となく親近感もあった。

一応は仕切ってる人に出稽古の旨を挨拶はしたのだが、
早稲田大学ビジネススクールと言っても何かわからなかったらしく、
紹介も何も無いので、どうやら途中から新入部員と間違われたようだ。
きっと「えらく老けた新入部員だなあ」と思われたに違いない。

1年生に混ざって素振りから始まり、道場の端から端まで足捌き。
それから切り返しが延々とあって、そあとが基本稽古だった。
29才の身には、18才や19才に混じっての基本はとても苦しかった記憶がある。

やっと地稽古。

偉い先生にかかるほどの体力は残って無かった。
元立ちの4年生(だと思う)数人に稽古をお願いした。
へとへとだったが、こちらも秋田県の四段を持っている身なので案外と打ち込めた。
「こいつ強いなあ」と怪訝な顔をされたのを憶えている。

稽古のあと、挨拶して退散したが、
紹介無しの稽古は難しいことがわかりそれ以降は行かなかった。

翌年にホワード株式会社東京本社に入社したが、
剣道をする時間も気持ちも無く、6年ほど剣道から遠ざかっていた。
今から思えばもったいない事だと思う。
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