怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

さよなら大野正樹さん

2018-01-06 18:06:05 | Weblog
訃報は突然でした。
3日の朝にパソコンのメールをチェックしていたらTさんからの連絡でした。
2日の午後に急逝したとのこと。実は元旦にテニスの後、はげ親父、タケちゃんマンと一緒に嘉文へ飲みに行った時、大野さんも一緒に飲みに来ないとメールしたばかり。その時は行けないけど皆さんによろしくと普通に返事をいただいていました。
にわかには信じられなかったのですが、お昼ごろには奥様からも電話がありました。突然のことで何処に連絡していいかわからなかったので、とりあえず携帯に発信履歴が残っているところへ連絡してくれたみたいです。
2日の14時に倒れて名古屋医療センターの救急搬送。懸命に治療したのですが、心電計は反応せずに19時に逝去されたそうです。2日の午前には職場に挨拶に顔を出しているので本当に前兆なしの突然。駐車場から家に帰る時に倒れたそうです。
大野さんとは病院の係長時代からの付き合いで、テニスはしないのですが、我がクラブの合宿にも何回か参加していただきました。
下呂合宿では舞台峠のコートの横でクーラーボックスの番をしながらビールを飲んでいた姿を覚えています。
野間荘の合宿ではコート横の土手で土筆をたくさん摘んできました。
一昨年の12月には高山へも一緒して行きの列車で飲みすぎてホテルに着いた時にはみんなべろべろ、そこから先は記憶がほとんど飛んでいました。
最近は合宿にはご無沙汰でしたが、今でも定期的な飲み会には一緒に痛飲(私だけですが)していました。病院時代は本当にハチャメチャに飲んでいた記憶で御用納めの日はいつもはげ親父も含めて最後の風俗まで一緒でした。
飲み会にはどちらかというと私の方が一方的に誘うことが多かったのですが、都合がつく限り来てくれました。
実は大野さんから4日に年賀状が届いたのですが、そこにはいつも飲み会ありがとうと書いてありました。

ありがとうと言われても、もう誘っても来れないのに、どうしてくれるんだ。切なくて泣けてきます。
近しい人の訃報を目にすると今まで一生懸命作ってきたジグゾーパズルのピースがボロボロ消えていく感じがします。大野さんのピースは大事なところだったのに…
5日は葬儀だったので参列させていただきましたが会葬お礼には奥様の愛情あふれる文章が載っていました。

最後のお別れの時にもずっと奥様は大野さんのお顔を愛しむようにさすっていました。
一緒に参列したタケちゃんマンは大野さんは奥様に本当に愛されていたのだなとうらやましそうでした。
ヘタレの私はこれを打っているだけで涙があふれてきてキーボードを濡らしています。寂しくて、残念で堪りません。
これからは私たちの心の中で生きてください。
「死者を死者と思うなかれ 生者あらん限り死者は生きん、死者は生きん」ゴッホの手紙より
コメント (1)
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