ブログを始める前の事ですので、こちらにはその日の記録は無いのですが、
以前、2000年ころのことだと思いますが、ある日、トルコ駐日大使の主催の日本とトルコの親睦会が、今はなき赤坂プリンスホテルの旧館にて催されまして、
(他にも『〇〇記念』といったお題目があったとは思うのですが、失念いたしました。すみません)
その席に、知り合いの歌手が招かれ、僕がピアノの伴奏を仰せつかったことがありました。
これだけでしたら、まあ、ちょっと気の張るパーティでの演奏といったものなのですが、
その席に、ご臨席されたのが、先日、ご逝去されました、三笠宮崇仁親王様と、奥様の崇仁親王妃百合子様だったのでした。
日本、トルコの関係者が揃ったところで、三笠宮様、百合子様がご入場。
そして、僕が弾くピアノの、すぐ目の前の席に、ご着席されたのでした。そのお席には、当然、トルコ大使ご夫妻もお座りになられたわけですが、
僕が、このような席でピアノを弾くなどということは、僕自身が、まったくもって信じられないというものでございまして、
今思い出しても、随分と向こう見ずな仕事を引き受けたものだと思います。
春のことだったと思いますので、それが2000年だとしますと、31歳の時ですよね。
しかも、歌手の方の伴奏だけでなく、
「君が代」も演奏してくれないかと言われまして、楽譜(しかもきちんとオタマジャクシの書いてあるピアノの大譜表)が、ファックスで(そういう時代です)送られてきたのでした。
今でも、オタマジャクシは苦手でありますが、当時は、色々とまだまだ分かっていない頃ですので、さらに危なっかしい。
そもそも、皇族の前で君が代を演奏するとなりますと、これは。
結局、オペラ歌手の方が追加でゲストとなり、その方が君が代を独唱で歌われるかたちとなり、僕はその任は逃れた・・・わけですが、
いやはや、色々なことがございますね。
サポートをした歌手の方との演奏は、これも僕と歌だけというシンプルなものでしたので、ドキドキではございましたが、
・・・いえ、ドキドキしている余裕もなかったと思われまして、あまり記憶がございません。
ともあれ、どうにかつつがなく終了。
演奏や、その他の催し物が終了し、陛下ご夫妻がご退席された後のひと時、パーティ会場の片隅で、トルコ料理をお皿に山と盛って立ったまま食べておりましたら、
燕尾服を着た宮内庁の方がすすーっと寄って来られ
「ああ、川村ケンさん!本日は誠に素敵なピアノ演奏を、どうもありがとうございました。川村さんの”リリカルな”ピアノの演奏のおかげで、素晴らしい会になりました。本日の会のこの成功は、川村さんのおかげです」
と仰る。僕は、はあ、とか、いえ、とか要領を得ないような答えをした可能性が大ですが、それにしてもびっくりしたのが、お目にかかったことも無い宮内庁の方が、僕の名前をしっかり憶えて、ご挨拶に来て下さり、上のような、ちゃんと聴いてくれた上での感想と、謝辞を述べられたこと。
勿論、このような丁寧なご挨拶を頂いて、悪い気などいたしません。
ただ、それにしても、あまりの過分なお褒めの言葉に、あっけにとられたのですが、
その方は、その後、方々に周られて
「ああ、〇〇様!本日は誠に・・・」
とご挨拶をされておられるのを見て、何と言いますか、礼儀と儀礼、そして、その”社会”を見たような気がいたしたのでした。
そして、目前で拝見した昭和天皇の弟君であらせられた三笠宮様の神々しさは、今も鮮明心に焼き付いております。
三笠宮様のご逝去の報に触れ、改めまして、心より、哀悼の意を表したいと思います。
では。