3回に分けて南美川洋子さんから預かっている資料の中より「大映グラフ」四冊の特集
を組みましたが、今回がラストで「千羽鶴・特集号」です。ただ内容をご紹介するだけで
はなく、「千羽鶴」の出演を熱望し衣装合わせまでやっていた雷蔵さんの病状が悪化し、
急遽平幹二郎さんに変わった因縁の作品でもあり、その辺りを少々付け加えて書きたい
と思います。
昭和43年(1968)「関の弥太っぺ」を撮っていた雷蔵さんが下血し、直腸がんが発見され
ましたが作品は何とか完成。翌年昭和44年(1969)も、年初から「眠狂四郎悪女狩り」「博
徒一代血祭り不動」を無理して撮り終え、2月に入院したものの小康状態になったので、
どうしてもやりたいと言っていた4月公開の「千羽鶴]に取り掛かろうとしていたのです。
でも矢張り無理だったのです。私は宣伝部ですから、今だからこそ言えますが最悪の状
態であったことを知っていたので、覚悟はしていたのですが、この年、昭和44年(1969)7
月に雷蔵は帰らぬ人となりました。そして大映の倒産はこの2年後です。
↑池広監督から貰った雷蔵お気に入りポート ↑雷蔵が亡くなる年に出した最後の年賀状
また、大映俳優の年賀状、というここでしか拝見できない画像は、てんこ盛り状態。嬉しいやら、なんやらで、気持ちは~てんやわんや!
スチール等をしまっていた社封筒、名刺等も支障が無い限り、他の意匠・図像画像ともにチラリと垣間見たいものです…。
わがまま言ってすみません!
その節は有難うございました。
お身体のほう どうぞご無理なさらずお願い致します。
雷さまの写真を有難うございます。
この写真は、中島さまのご著書の「スタアのいた季節/わが青春の回顧録」で
まず第一に、おっとり、穏やかな雰囲気の雷さまが
それも 目立つ位置で微笑んでいる表紙が目につきました。
内容も しみじみと心に残るエピソードばかり・・・・
ご逝去のニュースを知った時は 本当にがっかりしました。
肝心な「大映」の文字が書いてなくて 失礼しました。 汗
南美川さんは、大映の思い出を皆さんと一緒にしたいと思っている人です。
また他にも資料があるかとも言っているので、私も楽しみにしています。
そして彼女は相変わらず元気で美人です。
こちらこそご無沙汰しています。お元気なご様子なので安心しました。
今回は「千羽鶴」から脱線して、雷蔵さんのことを書きたくなってアップしました。
大映最後の時代劇大作が「尻啖え孫市」なら、未見ですが大映最後の文芸大作が「千羽鶴」という感じですね。どちらも雷蔵さんで見たかったと思います。そして南美川さんはどちらにもご出演ですね。
表紙の茶室はセットでしょうか、どこかでのロケでしょうか。セットであれば、末期でもこれだけの美術スタッフがいたということは素晴らしいことだったと思います。先日、スカパーで東映の月形龍之介さんの「水戸黄門」を見ましたが、セットの仕上がり具合が大映の時代劇に比べて貧相でした。プリントの状態もあるのでしょうが、大映の時代劇のセットの重厚さはどの作品で見ても圧倒されます。白眉は「忠臣蔵」の松の廊下ですね。
茶室のセットですが、この四人を社外の茶室に集合をかけるとなると
かなり無理だと想像します。詳しくは私も存じませんが、セットと思います。
南美川さんに確かめて見ます。
11月3日に東京で、南美川洋子さんを囲む懇親会を予定しています。
決まればお知らせしますね。