ペギー葉山さんに続いて、4月20日に曽根幸明さんの訃報に接しました。曽根さん
の作品の中には「座頭市子守唄」があり、彼が勝ちゃんと仲良くしていたことはよく
知られていたことです。
私にも思い出話があり、拙著「スタアのいた季節」にも書きましたが、改めて披露さ
せていただきます。
大映当時、私は主要上映館で「本郷功次郎まつり」を、彼の歌とおしゃべりをメインに
叶順子、三田村元らも参加させて行いました。
その日は田川市と北九州市で開催、田川市を終えて車で北九州に向かったのです
が、途中で激しい渋滞につかまり、予定の時間にどうしても到着出来ない状態。今と
違って携帯電話もない時代です、もう仕方がないと成り行きに任せましたが、北九州
の小倉大映には地元キャバレーのバンドがスタンバイしている筈だし、満員のお客が
怒っているだろうとあれこれ考えながら1時間近く遅れてやっと到着、覚悟を決めて舞
台そでに駆けつけたら、舞台から聞こえてくるのはバンド演奏にのった誰かの歌声、
それが藤田功(後の曽根幸明)さんだったのです。
歌が終わると軽妙なおしゃべり。観客は我々の遅刻を怒るどころか楽しんでいたので
す。彼はちょうどバンドが所属しているキャバレーに出演していて、「本郷功次郎まつり」
があると聞きバンドマンと一緒に遊びにきていて、このピンチを自ら買って出て我々を
助けてくれたのです。深々と頭を下げる私たちに彼は「大映のピンチだもの、応援は当
然だよ」とこともなげに言ってくれました。その晩に我々がキャバレーに伺ったのは当然
ですが、素敵な時代でした。曽根幸明さんのご冥福を心からお祈りします。 合掌
俳優さんのように凛々しい方でしたね。
白黒のお写真には、Rock me Amadeusを
歌われたFalcoさんを彷彿としました。
舞台のピンチを救い、大いに盛り上げて
下さったお話には、その朗らかさ、
思いやりに曽根さんの男気を想いました。
大映に縁の深い方々の訃報に寂しさが
溢れますが、爽やかなお人柄を
忘れることはありません。
曽根幸明さん、素晴らしい作品をありがとうございました。安らかに
一時は俳優業もやっていましたから、本当に多才能の人だったと思います。
私の周囲から、どんどん物故者が出て寂しくなる一方です。
それに引き換え、女性の方たちは羨ましいくらい元気です。
お立寄り有難うございます。
今どきはこの手のお話、聞いたことがありません。
いい時代でした。
お立寄り有難うございます。
多種多芸の人というか、とても器用な方だったと思います。
ミッキー・カーチスさんよりはいい男ですよ。(笑)