今回は大映に在籍したことがある伊丹十三さんです。伊丹さんの監督としての活躍
と謎の死は、皆さんがよくご存知だと思いますので省略させていただきます。
伊丹さんは昭和8年(1933)年に京都で生まれました。お父さんは映画の脚本家・監
督として著名な伊丹万作さんで、京都~松山~大阪~東京を転々、松山高校時代
に同校にいた大江健三郎と親交を結んでいます。しかし大学受験に失敗した彼は上
京、新東宝の編集部に入りますが、すぐに飛び出して商業デザイナーの道に入り、
ここで知り合った山口瞳と生涯の親交を結ぶのです。
彼のデザイナーとしての腕は定評があり、本の装丁、ポスター、レタリングは業界で
有名でした。
1960年の26歳のときに、お父さんと永田雅一の関係で大映に俳優として入社、伊丹
万作と小林一三に因んだ芸名・伊丹一三を永田社長からもらいます。1960年に川喜
多和子さんと結婚。大映では「嫌い嫌い」「男は騙される」「銀座のどら猫」「おとうと」
「偽大学生」「黒い十人の女」「女のつり橋」などに出演しますが、彼の個性を生かせ
ず、単なる二枚目をやらせたことから上手く行かず、社内でもあの大根と影愚痴を叩
かれる始末、そんな立場に嫌気が差したのでしょう、1961年に早々と大映を退社しま
す。その後、「北京の55日」「ロード・ジム」などに出演して話題になり、邦画でも改め
て活躍、1967年にマイナスをプラスに変えるとして芸名を伊丹十三に変えました。
1966年に川喜多和子と協議離婚、1969年に映画で共演したことが縁で宮本信子さん
と再婚、俳優のみならず広い分野での活躍が始まる訳です。彼が生きていたら今年で
84歳、まだまた活躍をしていたことでしょう。