読書ノート  

主に都市、地域、交通、経済、地理、防災などに関する本を読んでいます。

20世紀の日本6:高度成長 日本を変えた6000日 吉川洋 1997

2017年08月24日 | 経済・財政・産業(財務省・経済産業省・日本銀行)
 現代日本経済の歴史を復習するためにもう1冊。この本が書かれたのが今から20年前。その時には高度成長が終わって既に20年以上も経っていたのだ。私は著者吉川先生より少し若いが、高度成長を幼少期に体感した人間も年をとったものだ。
 以下、この本のポイントをノート。

 高度成長が始まる前の1950年、就業者の半分は農民(第一次産業)で、農村生活は、伝統的、半自給自足的なものだった。都市には「未来」の萌芽があったが、やっと食料や衣料の統制・配給が廃止された段階で、生活は農村と大差なかった。

 1950年代末頃から、洗濯機やテレビなど耐久消費財が、先に都市部で、追って農村部でも普及した。高度成長が始まり、都市勤労世帯の収入が農家のそれを上回っていた。

 高度成長の経済現象 企業の旺盛な新技術導入と「投資が投資を呼ぶ」と形容された旺盛な設備投資、技術革新に対応できる若手労働者、理系学生の増員、石炭から石油へのエネルギー革命、スーパーマーケットなど流通革命。
 農村から都市への民族大移動。1955年に中卒者の半分は就職。その多くは個人商店や中小零細企業に就職し、数度の転職を経験した。60年代前半には農村の人余りは解消(ルイス転換点)、60年代後半には労働需給はひっ迫し中卒初任給の地域格差は縮小した。

 1960年から10年間に、農業従事者比率は29%から16%に減少、農家数は減少したものの兼業化し、経営規模は拡大しなかった。

 高度成長のメカニズムの説明。生活の近代化に対する切実な欲求。それをバックにした企業の技術革新と設備投資。冷戦下での占領政策の変更。農村からの若年労働者の供給。高い貯蓄率は脇役。輸出は輸入のために必要であったので同じく脇役。

 高度成長を終わらせた要因として、「オイルショック主犯説」は単純すぎる。規定が失われた。人口移動・世帯増加の減速により高度成長の基底が失われたことを重視。

 池田の「所得倍増計画」が時代を作り出したのに対し、田中角栄の「日本列島改造論」は高度成長の末期に咲いた「あだ花」だった。土木工事のみで高度成長を生み出すことはそもそも不可能。

 高度成長の光と影。寿命は20年余りで男12歳、女14歳も延びて欧米を抜いた。乳児死亡率の低下と医療保険。

 公害問題は、原因を指摘する研究者や被害住民に対し、それを否定・隠蔽し、生産を続ける「企業の論理」を通産省はじめ国は長く支持した。

感想
・一般人が1973オイルショックを高度成長の終焉と捉えるのに対し、本書は1970年としている。経済学者の方が早く終わったと見るらしい。

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