ポリティカルセオリスト 瀬戸健一郎の政治放談

政治生活30年の経験と学識を活かし、ポリティカルセオリストの視点から政治の今を語ります。気軽にコメントして下さいね!

旗幟鮮明~憲法改正の意味と意義。

2013-04-03 02:32:57 | 市議会議員として
※写真はArend Liphart教授とその著書「多極社会のデモクラシー」。私の事実上の卒論のテーマ。社会が複数に分断されていても共存し、一つの国家を形成することが出来る「多極共存型デモクラシー」(Consociational Democracy)を提唱。獨協大学在学中に、シンポジウムに参加するため来日したレイプハルト教授を東京見物にご案内したのが、今も忘れられません。


■旗幟鮮明(きしせんめい)であること

日本維新の会の橋下徹代表と石原慎太郎代表の発言に、強い危惧を感じる人たちがおられます。それは両代表の発言が「旗幟鮮明」(きしせんめい)であることと、強いインパクトのある表現によるメッセージだからではないかと私は考えています。あたかもその行く末には軍国主義の復活が、待ち構えているかのように受け止られているのではないかと思います。

今日のようなグローバルな世界の中で、民族や国家のアイデンティティが以前よりも強く認識される傾向があるのかもしれませんが、日本人には「出る杭は打たれる」という格言にもあらわれているように、「違い」を拒絶し、切り捨てる感覚ではなく、むしろその「違い」を受け入れ、乗り越えていく感性が求められているのであって、旗幟鮮明でインパクトのある政治家の発言についても反応するのではなく、ひとつの議論として冷静に受け止め、日本国民全体の意志や意識のベクトルの合力が、日本国をどのような方向に、どのような強さで動かそうとしているのかにこそ、もっと意識を向けて、自分自身の政治参加の在り方を決定していくことが肝要なのではないかと私は思います。


■多極共存型デモクラシーを教訓として

日本人が好むと好まざるとに関わらず、グローバルな世界は様々な民族、風俗、習慣、宗教で多種多様な多極社会なのだと思います。この多極社会を民主的に動かしていくために必要ななのは「共存」というテーマであり、これを政治学では「多極共存型デモクラシー」(A.Liphart氏)と呼んでいます。

それぞれの「極」を担う様々な民族、風俗、習慣、宗教が、それぞれの違いを認め合うには、まずそれぞれの違いを認識し、相互理解を深めることが肝要ですが、そのために時に、侃々諤々の歯に衣着せぬ議論=ディベートがその手法として不可欠となります。最終的なベクトルの合流地点を目指して、それぞれの違いを十二分に発揮して、力いっぱい引きあうことが、本当のコンセンサスを導きだす最善の策であるとは考えられないでしょうか。


■「終わればノーサイド」というルール

そのためには「終わればノーサイド」といったマインドが重要であり、結論や結果が自分たちの思い通りにならなかったとしても、そのことに恨みつらみの怨念を残さないことが最低限度の参加のルールであるべきなのかもしれません。

とはいえ、政治は正当性の論理だけでは動きません。ここに利害や感情が加わると、冷静な議論そのものが毒されてしまいます。ここには政治家は特に、注意が必要であることも事実です。そして、日本の政治や日本型デモクラシーの可能性や伸びしろはまだまだ大きいとも感じます。


■日本維新の会という政党

私は、日本維新の会はそのようなベクトルの合力という国民総意のデモクラシーを活性化させる問題解決型の議論をリードしている政党なのではないかと考えています。これまでのしがらみに左右されず、国家経営の方法論ではなく国家ビジョンそのものを論じる政治を実現することにミッション(使命)を果たす意味で、日本を維新する。そんな勢力なのではないかと考えています。


■自衛隊「違憲合法論」に隠れた本質的な問題

さて、憲法改正の意味と意義については、ひとつだけ所感を述べておきたいと思います。

かつて日本社会党の石橋正嗣書記長は、「自衛隊は憲法違反ではあるが、自衛隊法という法律によって設置されているのであるから、合法である。」と私が参加していたある会合で発言しました。これがいわゆる自衛隊の「違憲合法論」であります。

まだ20代前半の若いころでしたが、私はまず「確かにそうだ。」と思いましたが、すぐに、「待てよ?それでは自衛隊法の成立は違憲立法だということになる。」と困惑しました。そもそも三権分立というのは、「立法」、「行政」、「司法」の三つの権力がそれぞれにけん制し合うけれども、最終的にこれが一致しているからこそ、国家は平らかに成るわけなのであって、もしも自衛隊法が違憲立法なのであれば、司法たる最高裁判所が、その機能である「違憲立法審査権」を行使していないことになると思いつき、今日までこのことが心の片隅から消えたことがありません。

自衛隊法が憲法違反ならば、この法律も自衛隊の存在そのものも「無効」にせられなければならず、もしも自衛隊が日本国と日本国民の利益を最大化するために必要不可欠な機関であり、これが現行憲法において実現不可能なものなのであれば、今度は憲法そのものを改正しなければならない。そうでなければ論理矛盾の中に日本の政治が埋没していることになるのではないかと思います。


■政治の機能不全と官僚国家誕生のプロセス

「社会の変化」に対応して「法律を創り、改廃」する。それが「政治の役割」です。社会が変化しているのに、政治がその役割を放棄すれば、行政を司る行政権力(官僚)は、現行の法制度を解釈論で運用せざるを得なくなり、社会全体が機能不全に陥らない限り、立法権力と司法権力が機能不全に陥っても、行政権力だけで社会を統治する官僚国家が厳然と誕生することになるのです。

現在議論されている憲法96条改正問題は、政治が社会の変遷に合わせて諸制度を作り変えることが出来るしくみに変えよう。国会議員の三分の二の特別多数議決がなければ、日本国民に憲法改正を提案することさえできない決まりを改めて、もっと現実的で機動力のあるしくみに変えよう。という議論なのだと思います。


■日本を変える。~ビジョンと議論の政治をはじめよう!

世界も国も、大きく、急速に変わっているのですから、「変えられない政治」(決められない政治)をこれ以上続けていては、日本の将来設計は絵に描いた餅になってしまいます。

国と地方の役割分担を明確に区別する。消費税を地方税化して、国民生活の日常的な必要は地方で担い、国は国益を最大化させるために大きな社会制度の枠組みを含む諸制度を設計し、外交、防衛に権能を集約させる。行政の無駄を最小化していくために、まず大阪の二重行政を解消して大阪都(仮称)を実現し、東京一極集中を改め、東京・大阪二極化を経て、道州制への移行を目指す。

このようなビジョンすべてに日本国民が総意として支持を与えるかどうかは、これからの議論なのだと思います。しかし、日本社会の閉そく感を打開するためには、現状を分析し、いくつかの処方箋を立て、国民のみなさまにご提案を申し上げ、国民的な議論を喚起していただくことが不可欠であると私も考えるものの一人でありますので、このような取り留めのない議論を、思うがままに久しぶりのブログ記事としてアップした次第であります。

どうかみなさまのご意見ご感想を、もしもコメントがうまくアップされないようでしたら、コピペでメッセージとしてお寄せ頂きますことを、末筆ながらお願い申し上げます。


だれもが幸せなまちをつくろう!


瀬戸健一郎
kenichiro Seto
草加市議会議員
Soka City Councilor

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1 コメント

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Unknown (ある草加市民)
2013-04-04 21:06:10
こんばんは。新聞報道で知りましたが、はじめに「参議院選挙」において比例区で日本維新の会公認候補となられたこと、お慶び申し上げます。
瀬戸議員が政治生命をかけて国政に挑まれるわけですから、温かく見守って行きたいと思います。ご健勝をご祈念申し上げます。

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