渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

帰還

2015年07月31日 | 外出・旅
本社取締役を姫路駅まで送り、今から帰路につく。

その前に今から一人で晩飯!
店内の有線放送では、小坂明子の「あなた」が流れている。
1973年、俺が中1の時のレコ大の曲だ(^^)
もうあれから42年も経つよ(笑
はえーー(^^)

市役所そばのここで食う。



味は、う〜ん(^_^;)
でも、満員。
何故だろう。
俺が頼む物を誤ったか。
野菜炒めではなく酢豚とかにしといたほうがよかったかも。

店員の女の子一人でてんてこ舞いしていて気の毒だった。
客は「まだかー?」とか、追加で注文をガンガン出している。
なんだか人気の店みたい。

さ、けえろ。

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引退犬

2015年07月31日 | ポチたま


盲導犬を引退した犬。かわい。

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色街

2015年07月30日 | 外出・旅

神戸の福原という所に生まれて初めて行ってみた。










本社役員も生まれて初めて福原を歩く。

東京吉原や川崎堀之内とは違う雰囲気だ。
無論、新選組が愛顧した幕末の京都島原は私は知らないが、花街という
のは独特の雰囲気がある。
私も歩いたが、往時の雰囲気は察することができても、なかなかピンとは
来ない。
私は現代の色街通いをした経験がないので何とも言えないが、色街評論家
には申し訳ないが、福原は何というか、ドラスティックというか、
「買春のためだけの街区」という印象を受けた。
何だか、浅草吉原・川崎堀之内とは違う。まるで、ハマの黄金町みたいだ。
ただ、共通項は、近隣地域にやたらと葬儀屋、仏壇屋、三味線屋、楽器屋、
武道具屋、ハケ屋、肉屋、靴屋、焼肉屋、ホルモン屋等が多いことだ。
東京ならば、さしずめ上野御徒町アメ横界隈か浅草寺裏方といったところ
だろうか。
神戸湊川界隈は江戸期に「造られた」街であるが、今もその名残を留める。
色街の周囲になぜ葬儀屋が多いか。
それは人権も福祉意識も皆無だった時代には、体を壊した遊女は「溜まり」
に放り投げられて捨てられたから
であり、死者を葬る人たちが要り様だった場所だからだ。
それらの任務にはいわゆる「賎民」が充てられた。御公議から特権を得て
その業務を為したが、同時に現代まで存続するいわれなき差別を「賎民
階級」は受けた。
彼ら(ではなく彼らの任務)なくして世の中は成り立たないのに、公家や武士
や百姓町人たちは、「賎民」を「外(と)の者」として徹底的に差別して、
人ではない存在として扱った。
そのくせ、警察権を与えて百姓町人を取り締まる十手を持たせたり木戸番
や刑吏などに従事させて、人民支配の先兵とさせた。
彼らは、お上への民衆の不満のはけ口の対象とさせられながらも、内実
としては、社会的な産業を根幹から支える立場と同時に「外(と)の者」以外
の民衆からの敵愾心を一身に背負わされた。
教科書で教える日本の歴史は、貴族や武士や「一般」民衆の功績は称え
ても、下層に置かれた「賎民」の功績には一切光をあてない。
数々の社会的な功績が実は「賎民」に置かれた人々の成し遂げたことで
あることは明らかにしようとしない。
初めて国家として渡米した幕末咸臨丸のクルーが「賎民」であったことも
隠そうとする。
さらに、中世からすべての職人階級はおしなべて「賎民」階級であったし、
そもそも武士自身が実は発生からして古代賎民であった。
歴史教科書などでは、「武士は元は下級」とのように書いているが、実は
後に日本の支配者階級となる武士そのものが、「俘虜の剣」を持つ「賎民」
だった。武士の発生における貴種下向論などはまやかしもいいとこだ。
江戸期の武士は人口の約8%だが、兵農分離以前は相当数の人口比率が武士
だっただろう。
仮に少なく見積もって、人口の約1割として、比率的に過去にスライドさせて、
総人口に対して1割の貴族が在野に下向して武士の先祖になったなどという
ことはあり得ないのである。
例えば人口が3,000万人いたら、300万人の貴族が家の始祖として野に下る
ことになる。
根本からして、成立しないコトガラなのである。
だが、武士たちは軒並み自家の始祖を天皇及び貴族に繋げる。系図買い
という捏造系図をこしらえて。
だから徳川も最初藤原氏を称したのに後にしれっと源氏に改変している。
元は三河の田舎土豪で、真の出自など分からない。
権威付けハク付けのために「御家」の貴種自称をして君臨したがる。
武家の棟梁徳川家からしてこれであるのだから、明治以降に華族=貴族に
なった諸藩の藩主及び家老数百家も似たようなものである。
支配者として自らを貴種と自称して階級差別の存在なしには生存できない
特権階級としてあった。
だが、それは絶対矛盾を内包した制度上の砂上の楼閣でしかない。
実際に、華族以外の士族の特権は明治初期に華族どもが剥奪し、その
華族の特権は敗戦により戦勝国に強制解体させられた。国の存亡に関わる
敗戦というものを経なければ貴族制度という階級構造の虚構は自力では
霧消させられなかった。
歴史あるチャイナに勝ち、大国ロシアに勝った極東の黄色い猿たちは、
完全にのぼせ上がっていたのであった。
三国干渉は新たに参加した新参泥棒の日本に対する他国を分捕る泥棒列強
の焦りだが、泥棒大国の英国は日英同盟の射程もあり、干渉には参加して
いない。
英国を頂点とする西欧貴族制度を明治に導入して江戸期とは異なる階級
制度を江戸期までにはなかった法制度として採用して新たな人民支配に
乗り出した日本だったが、地上の真実は、人は人であり、上も下もなく、
全員が同じただの人である、ということだ。
社会統治の階級支配は、明治も人為的に作られた制度であるなら、江戸期
までもそうであった。
現代のような単なる役割分担ではなく、支配者があたかも「貴種血統」
であるかのような虚構に基づく。
それを出だしからして嘘出鱈目で固めて人をたばかって君臨してきたのが
武士階級なのだ。
かくいう私の家も城まで持っていた武家の末葉だが、武士などというのは
そんなものだ。仮に武家の末裔で、自家美化だけに明け暮れている奴がいる
としたら、救いようがない寝ぼけた馬鹿なのではと思う。
貴種意識、特権意識自体がもうすでに虚構の嘘出鱈目から発生した産物で
しかなく、その様な構造も物理現象も一切真実としては人間界には存在
しないのである。真実はすべては全く同じ人なのである。大切なのは自分の
努力とは関係のない過去の血脈がどうのではなく、自分自身がどうであるか
しかない。ただし、自分の努力ではどうしようもない性別や出身地や身体状態
等でいわれなき差別を現代においても温存どころか助長している構造がある
から問題なのだ。
そして、武士という社会機構における階級は、貴種は貴種の逆を人為的に
こしらえなければ成立しないという絶対矛盾に依拠したものでしかなく、それは
天の理ではない。地上の塵芥(ちりあくた)ような人間が己のことだけを保身
するために設えた猿知恵でしかない。
本当の真実は、天下は万民が等しく同じ人である、ということだ。

現代人が武士を美化して武士道だのなんだの言うのをみていると、私に
とってはちゃんちゃらおかしい。
その様な世迷い言をあたかも正義の正論の如く公言する輩は、結局は
自書の著作物の売り上げを伸ばしたりするのが目的だ。
言ってる武士道とは根本からかけ離れているという自己矛盾を隠蔽して
いるところのみが唯一武士らしい。
見渡して見るがよい。
武士だ武士道だとこれ見よがしにことさらに言う連中にロクな者はいない。
大抵は「売り物」として武士道を利用している。そこにすでに存在の
絶対矛盾がある。
だから、私などからすると笑えるのだ。
なに武士の真似して肩肘張って気張って威張って偉ぶっているのかと。


さて、色街のことを「女性差別」とか(であることなど分かりきっている)、
そうした現代感覚観点のみで語ることはできない。
私が思うのは、福原が芸者や芸妓や吉原の太夫のような芸を活かす場所
ではなく、何の芸もないただの
性欲処理の岡場所のような買春地区になっていることは何だかまるきり
何かが違うと思うのである。

福原に限らず、ひどいのは昨今のキャバクラなるもので、店員の女性とは
何の会話もできない。
特に田舎の地方の店舗はそうだ。
かといって、岡場所のような買春の店でもない。
客と会話もできなければ、岡場所にもなり得ない。
何のためにキャバクラのなる意味不明な店があるのか理解に苦しむが、
面白いのは、勤める女性が軒並み妙な勘違いをしていることである。
「私たちは風俗嬢ではない」と。
そこには、武士の勘違いに似た差別選別意識が働いている。
無論、銀座のクラブのように政治論も理解しないし、程を弁えることも
しない。
ただ、馬鹿な客に金をどうやって使わせるかだけに意識が動く。
そのくせプライドは高い。
くだらない。程度が低すぎる。
銀座の女を君たちは知らんのか、とは思うが、銀座は銀座でまたヒエラル
ヒー意識の権化の集団で永田町と霞ヶ関のように伏魔殿の魑魅魍魎たちだ。

さて、幕末の志士たちの多くがなぜ芸者や芸妓を維新後に正妻に迎えたか。
彼女たちは、ただの芸を売る人種、ただ春をひさぐ人種とは別物だった
からだ。
そして、彼女たちを伴侶とした志士たちには差別的な選別意識は働いて
いない。
下女でも妾でもなく、正妻として彼女たちを迎えていた。
維新元勲が妻に迎えた元芸者は、とびきり「いい女」が多い。
それは容姿だけでなく、中身が良かったのだろう。
そこには「夫人同伴」という西欧型の社交において即戦力となる素材と
して花街の蝶が有利だったという背景はあったろうが、そうした社交的な
人付き合いをそつ無くこなせる質を持つ人材でなければ、背景以前に話に
ならない。格式や旧形式や人を見下す性根に凝り固まった武家の女では
全く新時代の外交夫人の役は務まらなかったのである。

陸奥宗光の妻。
志士の多くが芸妓を妻に迎えた。



つまらない女が集うとこは本当につまらないと思う。
そこには、つまらない男しかやって来ないからだ。

こうした現代の夜の街を探査するのも、ひとつの社会見聞を広める
ことだと思う。

私は中央主義ではないが、銀座の「高級」クラブの女性というのは、本当
に何から何まで違うから。良くも悪くも。

芸者遊びをしたいとは思わないが、何だか、金額ではなく、街に出ると、
安っぽいのばかりが世の中一杯なんだなぁ、とか思わされてしまうので
ある。

そして気づくのは、男もそうかもしれないが、女が変わった。
馬鹿女がかなりお手軽に風俗飲食業に出ている。
一般仕事で働けないからお手軽に風俗飲食業を選んでいる女が殆どだ。
水商売をなめるな、馬鹿女。

(造作からして娼館跡だろう)



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神戸

2015年07月30日 | 外出・旅




まあ、神戸より育った横浜のほうが好きなのではあるが、神戸のことは
よく知らないのでなんとも言えない。

神戸空港は広島三原空港と同じ位か。





打ち合わせまで時間調整で六甲アイランドのカフェで待機。


尾道の港にあるホテルもグリーンヒルホテルという名で妙だったけど、
六甲アイランドという名称も、よくよく考えたら何だか妙(^^;


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神戸の夜

2015年07月29日 | 外出・旅



ぶひ〜(><)
明日は神戸空港に人を迎えに行って、それから某官公庁系と
打ち合わせで神戸泊だが、ホテルが取れね〜。ビバ夏休み。
1泊3万〜なら空いてるんだけどね(^^;
翌日の移動先の姫路はもっと空いてない(笑

数時間かけて探しまくってもらい、手ごろなところをようやく2室
キープした。
以前もあったなぁ。急な用事で訪問先で泊まる時に、周辺のホテル
がまったく空いてなくて、しかたないから1人3万円程の部屋を2室
キープして泊まった。もうね、一般的なビジネスでの宿泊とはいえ
ないから、そういうの(笑
だって、1万円のホテルとまったく変わらないのだから(^^;
素泊まり3万円。なんだかねぇ・・・。
ディズニーリゾートだって、そんなにしねえぜ(笑
旅じゃねえんだから、パッと行って翌日早朝にすぐに移動するような
利用法なんだから、高過ぎはなんだかなーなんだすよ、と。
ゴルゴじゃあるめぇし。

てかさー、以前やはり新宿でホテルが空いてなくて、いっそ京プラだ
なんて連絡したら1泊18,000の部屋が3室空いていたので、3人で
泊まったけど、京王プラザで18は安かったと思うけどさ。
最近のビジネスホテルは過当競争が激しいから5,000代のビジネス
が増えているけど、やはり地方でも神戸や姫路などは厳しいね。
一昨夜の米子なんてサクッとすぐに泊まれたから楽だよ。

三原なんて観光地でもないのにホテルばっかりあるしよ〜。いつでも
泊まれるのがなんというか喜んでいいのかどうか・・・。
それとここ10年で三原市はマンションが乱立したね。これでもかと
いうくらいに。
おいらもてめえ名義の本家には住んでなくて集合住宅住まいだけど、
おいらがその新築マンションに入った時には三原市内には嘘のような
話、マンションが4ヶ所しか存在しなかった。
嘘みたいでしょ?
だって、もっとすごいのは、三原に引っ越してきた1990年代末期には、
市内にコンビニが1軒しかなかった。「うぴょ?」とか思ったもの。
あったのはポプラという超ローカルなコンビニで、ここは友人が買い取って
今はファミリーマートになっている。
嘘みたいな話はもっとあるよぉ〜。
三原でスタジアムコート着ていたら「そんな変な服着る人三原にはおらんよ。
やめんさいや」と言われた。いや〜、ぶったまげたっすよ。
そのくせおまわり毎日グールグル。
吉幾三さんの「おら東京さ行ぐだ」の歌詞みたいな感じだったよ、三原。
山の中ならわかるけど、新幹線停まる駅のある工業都市と自認する歴史も
ある城下町でこれかぁ〜、と結構カルチャーショックだった。

昔、三原駅には「0(ゼロ)番線」というホームがあったのだけど、今はどう
なったのだろう。

おいらが東京で生まれた翌年の三原駅。
おお!本丸にまだ御殿の建物があるよ!まじか?


おいらが大学生の頃の三原駅。


現在。


一方、ずんと飛んでこれは戦後直後。なんだか人多いね。


でも、三原が一番栄えていた時は江戸時代ではなかろうかと思う。


江戸期のおいらんちも左端に写ってる。
江戸期のここはちょいとした都市だったと思うよぉ。
軍事都市だけど。
上のほうの写真にあった本丸の建物は、赤丸で囲った
建物ではなかろうかと思う。

駅前に天満屋があった頃の三原。天満屋デパートは今は
もうない(笑
人が買い物しない町だからね、潰れたの(^^;


というかね、企業誘致で町を振興させようなんてのがそもそも
駄目なのよ。
企業撤退したら、炭鉱町やニシンの町みたいになっちまうんだから。
企業なんてのは利益利潤は愛しても人は愛さないのだから、利潤
主義でしか動いていない。市制がどうのとか市民の暮らしがどうの
とか関係ないのよ。業績悪ければ、従業員を大量解雇して撤退する。
帝人も三菱重工もそうだしね。
今の三原市は死滅する廃市に向けて一直線。
マンションばかり乱立するというのは人口流出よりも集住傾向にある
(デベロッパーもそこいらは抜け目ない)のだけど、雇用促進や賃金
アップなどは手つかず状態だ。収入増加がないのに税率だけ上げても
アップアップになるのに・・・と言っても仕方ないよな。政治家いないし。
政治屋ばかりというのだけは中央を見習っている。
維新後に士族のほとんどがとっとと広島市内か大阪か東京に転住して
行ったけど、まあ仕方のないことだったのかもね。主がいなくなったこと
だし、いきなし無職になって明治17年には拝領屋敷も官地となって
召し上げだし、数百年赴任して居住していたこの土地は自主的に自己
判断で見限ったのだろうね。
元々侍なんてのは土地に縛りつけられてる種族じゃないからね。
転封はじめ藩主の出世に伴う領地替え等々、武士は全国各地を転々
とした。一種の軍事浮遊民みたいなのが武士だったのだから。
まあ、土地には未練もなにもないよな。というか執着がない。
いつでも行くとこどこでもバッチ来い、新天地オッケ〜!みたいな感じ
だったのだろうと思う。


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刃引きについて

2015年07月29日 | 日本刀

私の居合で使う刀は刃引きがしてある。
ただし、刃引きといっても、様々な状態があり、刃先をカミソリのように
薄く鋭く尖らせるいわゆる「刃立て」の状態ではなく、触れても切れない
ほどに刃を軽く引く
刃引きもあり、私はこれにしている。
刃引きの
理由は武士が合戦の前に刃を潰して刃こぼれや打ち合いの
際に
刃先が火花と共にけし飛んできて顔面や眼球に突き刺さるのを防ぐ
ためである。
また、この程度の刃引きならば、充分に畳表くらいは切断できる(実験済)。
さらに、刃を引いていても、充分に人体に損傷を与えることは可能である
(救急車体験済/刃引き刀身が腕に中っただけであたり血の海救急車
で搬送15針。「ここで来たか」と即行で覚悟を決めて家内に最後の架電
連絡を入れて「後のことは頼む」と伝えたが、たまたま生き残った)。

刃引きは自分の怪我防止のためではなく、これが純然たる戦闘様式
だから私はそうしている。
意外と「刃を引くなどというのは日本刀ではない」などと誤った知識を
持っている人が多いようだが、カミソリのように刃先を薄く立てた刀で
斬り結びなどできると思ってか。
それでなくとも、出来うる限り刀身と刀身は合わせないようにするの
だが、しっちゃかめっちゃかの本当の斬り合い、殺し合いではそんな
試合のような悠長なことはやっていられない。幕末京都が良い例だ。
手甲脚絆に額鉄に鎖を着こみ防護していても、乱戦になったら死亡
したりする。永倉新八の口述著書にもあるように、斬り合いというものは
もうやたら滅多に刀を早く数多く振りまわして、気付いたら相手が倒れて
死んでいる、というようなものだ。日本刀という武器ではない長い得物
の場合でもこれはよく解る。乱戦の白兵戦というのはそういうものだ。
日本刀の寝た刃を合わせ(刃を立てるということ)たりするのは、戦闘用
ではなく、稽古や刀身自体の切れ味を確認するための試し切り用のもの
であり、日本刀はキンキンに刃を立てるものではない。
刃を薄くカミソリのように十分に立てるのは、畳表切り用であり、戦闘武器と
しての日本刀の在り方とはいえない。「良く切れる」ことよりも優先される
性能要件が実は日本刀にはあり、それは「折れず」「曲がらない」ことだ。
武器としての様式を離れて見た目重視の美術刀剣になってから、その
ような刀に関する位置づけは忘れ去られつつある。

私の刃引きは外見上は刃が付いているように見える。刃先は尖がっている。
(刃側から見た画像)


しかし、刺身や食材を切るために研ぎ上げた包丁のように、紙が
シャコシャコと切れることはない。モノウチから先部分の刃を引いて
いるからだ。

肉眼での見た目は刃を立てた物と変わらない。しかし、手を刃先に
乗せて引いても切れない。
私は康宏も則光もこうしていたし、宗重も刃を引いている。当然、
美術刀剣としての価値は下がる。
ただし、鑑賞用の刀には一切手を加えていない。研ぎ師の研ぎ
上がり状態のままにしてある。
康宏は上研ぎ刃立ての上鑑賞刀にシフト、則光は刃引き状態から
未経験者斬り試し指導のために一昨年キンキンに刃を立て直した。

(鑑賞用の新刀。刃中の働き盛んで見所多し)





私の刃引きは組太刀稽古のようにモノサシの定規のような刃先を
面で真っ平ら状態にはしない。


この図の上の状態で刃を引いても、刃先に手を置いて手を動かし
たとしても手は切れない。紙も切れない。いわゆる斧状態である。

だが、普通にスパンスパンと畳表あたりは切断できる。竹も切断
できる。

そういうのは、刀の刃頼みで刃で切るのではなく、刀身を操る刀術で
斬るから切れるの
である。
剣士は刀剣の刃頼みの刀頼みではなく、己自身の術で斬れないと
剣士である意味がない。刃がついていれば畳表など小学生の女の子
でも切断できる。
ただ、畳は切断できても、畳表切り用に刃先をキンキンに立てたような
刃先研ぎでは、剣戟の際にはチリチリに切り粉のように尖った細かく
欠けた刃先が容赦なく己の顔面や眼球部分に飛来してくる。これは
シールドバイザー付のフルフェイスヘルメットを被っての時代脇差の
立ち合いで実験済。
ポリカーボネイドのヘルメットシールドには両者とも無数の千切れ飛んだ
刃先が刺さっていた。道場の床もガムテープで注意深く粘着させて掃除
しないとならないほどに細かい刃先の切り粉が飛散していた。
素面だったら千切れ欠け飛んだ刃は顔面に突き刺さるし、目に入ったら
失明もしていたことだろう。失明で済めばよい。これが仮に過去の時代の
実際の剣戟としたら、パッと目に切り粉が飛び込んでひるんだ隙に斬り
倒されることは必至であろう。
あなおそろしや。
いかに畳表切りや竹切り専用に刃を立てている刀が馬鹿馬鹿しく現実離れ
した城内平和の産物であるかということが実見できた。
日本刀は畳表や竹を切断する刃物ではない。本物の武士がいた時代
には戦闘武器であったのだ。
江戸幕末期の京都で斬り合いを経験した本物の武士の伝承は本当
だった。「戦闘刀剣としては刃を引く」。これが戦う日本刀の鉄則だ。

よく抜刀動作が下手というかなってない者は、抜刀の際に鯉口に
刃のフクラ部分(横手付近)をこすりつけてしまうために刃が自然に
潰れていることがある。ひどい時には抜刀の際に鞘内を削り削いで
しまうだけでなく、左手の人差し指と親指の付け根を刃で斬ったりして
いたりする。
こうしたことで疵ついた拵や刀身は、意図せずに、つまり自然発生と
いうよりも目的を持たない無思慮で人災的に受けた刀身のダメージ
なので、「刃引き」という狙って出す効果の部類には属さない。端的に
言えば、剣士としては論外。
使用者不得手、未熟による刀身事故で刀身に疵をつけていることに
属する。
こうしたことと似た類で、鯉口という意味ある部位が拵にはあるのに、
それの機能を無視して刀身をパチーンと鍔音を響かせるほどに鞘に
投げ込む者もいる。
当然、すぐに鯉口はスカスカになる。危険この上ない。
鯉口は「鯉口を切る」という鍔を指で押して鯉口で押圧されたハバキを
押し出してやらないと刀は抜けないようにできているが、文字通り鯉口を
刃で斬ってしまったり、パチーン納刀で鯉口をスカスカにしていては刀剣
使用者としてはオハナシにならない。
刀は下を向いても落ちないほどに鯉口はきつめにし、さらに念には念を
ということで鍔に指をかけて押さえているのだ。鯉口がスカスカというのは
まったく日本刀の拵ではない状態にしていることになる。
(軍刀などのボタン式ロック機構は構造と発想が時代拵とは全く別)
日本刀の作り=拵は、とにかく、そのように鯉口をスカスカにするために
出来てはいないのである。

意図せず刀身につけた疵、拵の傷みは、それは不具合であって、
狙って得た状態変化ではない。
そうした刀身や拵の不具合の発生は不心得者であることの証であるので、
剣士が使用している日本刀がどのような状態かを検分すると、すぐに
いかほどの剣士か推して知ることができる。
見てくれの美術刀剣のみとしての視覚的な玩弄ではない本来の日本刀の
在り様という位相に肉迫すると、刀の扱い方一つ見れば剣をたばさむ
戦闘者が本物かどうか(あるいは本物の武士の心得を身に着けている
現代体現者か否か)がいとも簡単に露出してしまうのである。
鍔がカチャカチャ音鳴りしたりするほどに緩んでいたりとかするのは論外。
周囲に危険だからそういう刀を振ってはならないと剣士は自覚して
ほしい。

鍔カチャカチャ、鯉口スカスカ、横手近辺は刃で鯉口削りまくりの刃潰れ
状態というのは論外を超えて番外。
こういう状態の日本刀を振る人を見たら近寄ってはいけない。危険だからだ。
武具に無頓着ということは、当然安全配慮や人の生存についても無頓着
ということだ。
平和な時代だからそれでいられる。
これが剣戟が実際にある時代ならば、そのようなマガイモノは即座に
斬り殺されてしまうことだろう。
武具の適正状態に疎いまま竹あたりを斬って自慢して他流を睥睨して
勘違いしていられるのは、武士がいない平和な今の時代だからだ。
武士でもなく、誰でも日本刀を所持して稽古では帯びることもできる
平和な時代だからやれることだ。
そもそも武士はそんなことはしない。
理由は、すべてのことが武士は命がけだからだ。
下手なことすると即切腹。当然、切り捨て御免などもよほど町人が無礼
を働かないことには実質的にはできないことであるし、人を殺めて武士と
いえどもただで済むはずはなかったし、実際にそうであった。
当然、武具は武門(武家という血脈)の表道具としてのみならず、実際の
戦闘武器としても、状態保持に細心の注意を払ったのである。
その「状態」とは、「いつでも戦えること」であったのだ。見るためのことや
体裁として存在したのは、武人としての威風を保つために武具を磨きあげ
たり、死して後恥ずかしくないように衣服や兜に香を焚きつめることくらいだ。
好事家の鑑賞玩弄のための収集美術品などは武家の戦闘武具には一切ない。


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『中村道場』で居合道に挑戦!女子力アップの情報

2015年07月29日 | 文学・歴史・文化

『中村道場』で居合道に挑戦!女子力アップの情報満載


ローカル番組でこんなん見つけた〜。
中村せんせ。
本職は由緒ある神社の神職です(^。^)

初心者に試斬をさせるのは、きちんとした指導なくしては危険が伴うことと、
あたら日本刀を傷めるだけなので絶対に避けるべきだが、ここでは体験入門
でしっかりとした指導がなされているので、これならば見ていて安心だし頷ける。
これは居合術家で日本刀研磨師である町井勲先生の道場でも、きちんと
した指導をした後に娘さんの友人の女子高生に体験試斬をさせていたこと
でもわかる。

今日本刀がブームらしいが、練達者である指導者の指導なくして真剣
日本刀を見よう見まねで振ることは本当に危険なので、それはどうか
おやめください。また、模擬刀であっても、指導を受けずに振り回すのは
危険ですのでどうかおやめください。
一回のみの体験であっても、ちゃんとした指導者に指導を受けた後に
その指導者立ち合いの下で真剣試斬は行なってください。

中村道場の取材番組では、たとえ模擬刀であろうとも刀礼を指導して
いましたが、こうしたごく当たり前のことをすっとばして日本刀との接点と
いうのはあり得ないんです。
日本刀好きの方々、その点、宜しくどうぞ。


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道程

2015年07月29日 | スポーツ・武道など



昨夜の尾道道場での居合の稽古の時、有益なことを八段と七段の先生に教えて
もらった。
講習内容は毎回とても有益なのだが、それとは別に「修養の段階について」の
ことだ。

それは、「身に着く」道程は、富士の裾野のようななだらかな線での上りを描くの
ではなく、階段状の状態を示す、というものだ。
こうしたことはどうやら技術習得の定理のようだ。
これらは「段々と徐々に理解できて身に着いてくる」という高等学校までの学業とは
かなり違うと感じる。
「できない、できない」という状態から、ある日突然ポンと上のステップに上がるのだ
という。

なるほど、これは思い起こせば思い当たる。
勘所というか、「あ。できた」という時が突然やって来る。
そして、そのポンと上がったものはまさしく内実が伴っているので、一旦ポンと
上ったものはまず下がらない、というものなのだそうだ。
これを「実力」と換言してもよいだろう。
まさに「身に着いた」状態がそれだろう。
継続は力なりとはよくいったものだ。
考えたら、例としては当たっているかはどうか分らないが、自転車の運転などは
そうだろう。ある日突然乗れるようになる。一度自転車に乗れるようになった人は
まずその後乗れなくなるということはない。
居合の技術習得も、これに似たような階段状の段階を経ていくのではなかろうか。
確かにそうだ。
一度きちんとした納刀を覚えた人は、「おぼつかない納刀」ということに下降する
ことはまずない。他の技術においてもそうなのだろう。
「刃筋」についても、一度刃筋を立てて刀を操刀することを覚えてしまったら、刃筋を
立てないで刀を振るほうがかえって難しい。箸をきちんと持てるようになった人は、
箸を妙な持ち方で使うほうがかえって難しいように。
剣技という技術体系も「術の技」である以上、習得にはそのような段階的ステップと
一旦身に着いたらそれは離れないということがあるのではなかろうか。
そして、習得の道程の軌跡については、階段状に実力が上がって行く。

神奈川の師匠から暑中見舞いが届いた。
秋に開催される全日本剣道連盟の今年の全日本居合道大会で五段の部の神奈川県
代表は私が通った川崎の道場の師匠の門下生とのことだ。道場は剣弘会という。
剣弘は師匠の号だ。
噂によると、突出した力量の選手らしい。私は会ったことがないが、とにかく頭抜けた
ポーンと突き抜けた居合を抜くらしい。
「居合がかなり上手い」どころではない剣士だという。
そこに至るまでは、本人の努力含め相当なことがあったろうと思う。
ゆるぎない力というのは、着実に身に着いたものが自然と出たもので、確実な地力
がないと良い居合も抜けない。
まして突き抜けるということは、モーターサイクルロードレースでいえば予選からコース
レコードをいくつも塗り替えて、本チャンの決勝レースではポール to フィニッシュで
ブッチギリ優勝するようなものだ。二位以下を大きく引き離して。史上限られた数しか
いない歴代の世界チャンピオンがそうであったように。
そこには「実力」という、ゼニカネでは決して買えないものがある。
だからこそ、技術の習得は面白い。人の心と同じように金で買えないものが厳然とある。
こうした独立した着実な自立性こそが武人諸個人が目指した武(小なる兵法)としての
根幹だったように思える。
兵士と武人の違いがそこにある。兵士は訓練を経て一定程度の力が備わっていれば
よいが、武人はそうした「全体的」な位相とは異なるところを目指している。術技において
突き抜けた偏差値80超を目指しているのである。しかもできない人たちの中での相対的
偏差値ではなく、できる連中の中での偏差値だ。もはや偏差値の概念さえ当て嵌まらない
ような単独走の世界を武人の求道者(ぐどうしゃ)は目指している。世界トップのレーサー
が「もっと速く。もっと速く」とゴールのない世界を目指して己を駆るように。
その領域に希望的観測の自己満足の妄想ではなく内実共に達するには、おいそれと
できることではない。
見知らぬ同流同門下のその剣士の居合を見てみたい。
想像するに、史上初10点満点を連続で叩き出してオリンピック史を塗り替えた
コマネチみたいなものだろうか。
コマネチをタイムリーに観た時には、ものすごい衝撃だったものなぁ・・・。


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曇り

2015年07月29日 | 風情・季節・地球



本日曇り。海は見えない。

これは昨日通った米子城址。小山の山頂に石垣がある。







おとといから昨日にかけて山陰に出張したが、行きは山陽道→岡山道→
→中国道→米子道の赤ルートで行った。

帰りは新しく3月22日に全線開通した高速道の緑ルートを使って尾道まで
帰還
してみたが・・・。


緑ルート、ものすごく時間がかかる。まるまる半日が潰れた。

片側一車線の対面通行であるのと、制限速度による。
そして、この「中国やまなみ街道」と呼ばれる新しい高速道、恐ろしいことに、
島根県出雲あたりから広島県尾道まで一切GSがない。
SAそのものが全くないから、めちゃくちゃ疲れる。
個人的にはSAがあっても休息しないことが多いのだが、SAがあればこそ
いつでもピットインできるという保険があるからそうした連続走行ができるので
あって、延々と車を停止できる場所がないというのは、さて高速道としては
どうなのでしょう。おいおい整備されるのだろうが、今のところはとりあえず
道だけ開通しとけみたいな感が非常に強く、走行安全性への配慮も薄い
ように思える。
私自身も、走っていて耐久レースやっているような気分になった。
できたての時の「しまなみ海道」がこのような未完成状態の感じだったが、
しまなみは完全整備されるのに10年以上もかかった。
「やまなみ街道」も何年か後には整備されるのだろう。(その頃はあたしゃ
定年退職してるよ。笑)
東名との周辺環境整備進捗の違いに、少々苦々しさを覚える。
財源の問題なのだろうが、段階的整備では、別ルートがあった場合、利用者
は最初に利用して利便性に不満を感じたら別ルートに行ってしまうだろう。

実際に、個人的には米子方面に行くには、山陽道→岡山道→米子道ルートの
ほうがおすすめと強く感じる。
距離は多少西ルートよりもあるが、山陽道が制限速度100km/hであるので、
通行時間も東ルートのほうがかからない。SAやPも豊富にある。




中国自動車道岡山県北でのおすすめはこれ。
「真庭ラーメン」


関東もんは美味しく食べられるけど、大阪関西圏の人にはきついかも。
しょっぱいんです。
「しょっぱい」というのは関西にはない味覚で、「しょっぱい」という単語も関西
には存在しない。関西はすべて「辛い」で表現する。唐辛子の辛さも、胡椒の
スパイシーさも、塩のしょっぱさも、関西ではすべて「辛い」だけしか表現はない。
いうなれば「しょっぱい」というのは「塩辛い」ことです。「塩っぽい」が訛った
のでしょうね。
関東人は上方からみたらアズマエビスで野蛮人ですから(こうした関西人の
感覚は朝廷があった場所に起因する完全な中華思想です)、何にでも醤油
をかけます。おしんこ(という単語も関西には存在しない)にさえ醤油かけます
し、朝定食の味付け海苔さえ醤油に浸します。だいたいからして、蕎麦の汁
を見てください。丼の底は黒くて見えません。
関東の醤油はサラリとした濃い口醤油ですが、実は関西の薄口醤油のほうが
塩分はかなり高い。

で、この「真庭ラーメン」は、いってみれば「もやし肉炒め味噌ラーメン」なの
ですが、かなりしょっぱい。私は好きですが。
味としては上下線で差があり、私は中国道下り線のパーキングでの「真庭
ラーメン」のほうが好きです。上り線よりもコクがあると思える。
岡山県人の特徴として、中国地区であるのに何かと自分たちを関西の人間
としたがるという不可解で奇妙な気風がありますが、食文化も語学的な言語圏も
完全に
関東系なんですよね(笑)。
でも、岡山県人が関東人と気が合うかというと、まったくそれはないと思う(苦笑)。
まあ、なんというか、場所場所で「お国柄」というものは厳然とあるものです。
好き嫌いはしかたないけど、「自分とこが一番」というのを前面に出していくと
いうのは、私はあまり好きではないな。あまりでなく、毛嫌いしている。
そういうのは郷土愛でも何でもないと思うから。上下意識でしかない訳ですよ。
そして、それが進むと必ず民族排外主義みたいなことをやりだすんですよね。
人間って馬鹿だからね。大抵はそうなるし、現に世の中みるとそうなっている。
そういうのって、そこからは負の要因しか生まれないんです。
ただ、好き嫌いというのはあるよ。好みはあるからね、食べ物にしても。
ところが、自分の好みが客観的に最高でありそれ以外は認めない、という感覚を
人に強要するような感性を私個人は嫌うわけです。
これは個人、団体、地域、国家にかかわらず、そういう感性を私は好みません。
私の中で嫌いなもんは嫌いだからしかたない、という部類に、そうした感性が
属します。そういう感覚でもって平然と振る舞っている感性が嫌いなんです。
俺ね、そういう感性は「人間の悪意」としか思えないんだよね。
たとえどんなに人当たりがよくて「良い人」のような風であっても。
だから、どれほど愛想も笑顔もよくて人当たりがよい人でも、そのような感性を
根に持っている人は「良人」には思えないのです。むしろ野放図な無言の強要
に腹が立つ。

上記のことに関しては、映画『壬生義士伝』の中で斎藤一が、お国自慢をする
新人隊士の吉村貫一郎を「この男を斬ろうと決めた」と思った感覚が
よく解る。
あの映画は、あそこが一つのテーマの頂点でもあった。出だし部分だけどね。
原作者は好きではないが(百田ほど嫌ってはいないが)、映画作品のほうは
監督にしてやられた。私の中ではかなり引き込まれた良作となっている。
よかったのは、監督が役者の演技を十二分に引き出しているところだ。

ということで、きょうは列島各地は暑い一日になりそうです。
どちら様も熱中症などにお気をつけてお体を大切に。


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帽子

2015年07月28日 | アウトドア
帽子はベレー、ブーニーまで含めるとかなり持っている。
特に炎天下では頭髪、いや頭部保護に帽子は欠かせない。
野球も、帽子を被っていなければみんな熱中症になってしまうと思う。

屋外の現場での打ち合わせの作業帽として車内にも幾つか帽子を積んで
いる。

夏用のこんなのとか、


3シーズン用のこんなのとか。


これは、出先での夕涼み用(嘘


オサレアイテムとしてだけでなく、炎天下では帽子を被ったほうが
いいと思う。
炎天下でのフィールドゲームで、着帽を進言したのに面倒だと無視して、
熱中症で腎臓がやられて急性から慢性腎不全になり第一級の障がい者
となってしまった人が知人にいる。
屋外をなめたら取り返しがつかないことになる。
西部開拓時代のアメリカでは、帽子なしで外出するのは自殺行為とされた
らしい。
外では帽子の着用推奨。












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出雲

2015年07月28日 | 外出・旅

出雲路を行く。

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出張

2015年07月27日 | 外出・旅
まあ、毎日が出張のようなものなのだが、急遽日本海方面に出張、
3時間の打ち合わせ。


1900に打ち合わせを終えた。
今から帰ると0時近くなるので、米子に泊まることにした。
北海道から羽田で乗り継ぎ広島に打ち合わせに来たりしている本社常務に
比べたら、予定外出張宿泊など屁みたいなもんだ。
また、外に出ずとも現場で頑張ってくれてる生産拠点の従業員たちの苦労
を思うと、ホテルに泊まれるだけ有難いことだ。
私も常務も最初から役職ポストで採用された中途採用のいわば傭兵だが、
睡眠場所にはマラリヤ蚊もいない。
まるで楽園だ。

ホテル一階の和食屋で独り晩飯を食す。
スズキとイワシ。


地鯖寿司。


ベッドに寝れるだけ幸せだが、おれ、普段も日常的に眠るのは床だから(笑
コンクリの上でも木の上でも崖に吊られても土の穴の中でも眠れるが、
ベッドというのは、まあ、贅沢だよな(笑

お。今、店内でプリプリの「M」がかかってる。
この曲にはひとかどならぬ思い出があるよ。よい時間を有難う。
感謝してる。
今はそいつは世界を股にかけるトラベルライターやってる。
ネットで見られる27年経っても変わらぬ容姿にかなり驚いている。
彼女を見ると、女も男も、よい年の取り方をしたいとつくづく思う。

ただし、俺の「どこでも必要に応じて必要なだけ必要な時に眠る」という
体質は、多分死ぬまで脱却できないと思う。
ま、シートだから、もうラッシュで走れないけどね。
プローンしたらずっとそのまま、みたいな(笑

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2015年07月27日 | 風情・季節・地球

本日、雨である。
少しは気温も下がるか。

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使い勝手のよいナイフ

2015年07月27日 | アウトドア



この夏はキャンプ等ではこのナイフをメインに使おうと思っている。
これは15年ほど前にかなり親しんだ。解体から料理まで使いまくった。
このドロップポイントが異様に使いやすい。
そして、このナイフは鋼材は軟らかいのにやたらと切れる。
それは、表から見ると普通のランドールタイプのナイフのように見えるが、
実は裏は真っ平の片刃だからだ。

自分としては、このような形のナイフを作りたい。刃渡り10センチ
程の物が使いやすい。


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休息

2015年07月26日 | 内的独白



寝たも寝た。寝過ぎなくらいに寝た。
朝5時に起きて墓参りに行って帰ってから夜8時まで寝た。
それから3時間風呂に入った(笑
ぬるま湯に浸かって短編小説2編を読んだ。
ほんでもって、また寝る。久しぶりに休みの日にゆっくりしている。



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