渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

緑茶

2015年04月30日 | 風情・季節・地球



なんというかね、緑茶がめちゃくちゃ美味いよ。
世の中で一番美味い飲み物は緑茶じゃないかと思ってる。
しかも、一日のうち、かなり飲む。
家で飲むのはトチュウ茶ばかりだが、これもかなり飲む。

高校の時にはコーヒーばかりだった。これもかなり飲んだ。
一番好きなのはキリマンジャロだった。
次にガッツリ飲んだのは紅茶だった。好きなのはダージリン
だった。

緑茶については銘柄にはこだわらない。
ただ、うちのおふくろは自分で好みのブレンドにしているようだ。
あの人も凝り性で、ペティナイフや包丁を30本以上持ってるの
だから、妙な人だ。
そのブレンドの緑茶が結構美味い。
うちで緑茶を飲む時には単銘柄だ。単銘柄で飲むのが本道
かも知れないがブレンドもありかなとは思う。
ファミレスで特にドリンクバーなどで葉っぱを自由に選べる
店(ココス)などでは、オリジナルのブレンドにしたハーブ茶に
している。いろいろ配合を考えたが、なかなか面白い。
俺が自分で好む3種類ブレンドは真っ赤なお茶になる。

でも、緑茶だな。
緑茶最高!

ガキの時は「なぜ緑色なのに茶色(ブラウン)は茶色というのだろう」
なんて思ってたよ。
まだ、国内にウーロン茶が一般的ではなかった頃ね。
ウーロン茶が世の中に出始めたのは、昭和が終わる頃からだ。
ペットボトルの登場の頃から。

昔から、ペットボトルではないが、駅弁と一緒に透明ケース入りの
緑茶を頼むのが列車旅での定番だった。あれも結構美味かった
けどね。軽井沢に向かう峠の釜飯弁当などにはかなり合った。
峠の釜飯は本物の焼き物の釜だったものなぁ。
あと、最近見なくなったのは冷凍ミカンね。
あれ、まだあるの?
俺が高校の時に書いた『泥流』という小説では、車窓から尾道水道
が見える列車内で、少女に主人公のサエキケンジが冷凍ミカンを
手渡されるシーンがオープニングだった。
人の生と死をテーマにした純文学な(笑)。
兄が死に、妹が死に、母が死に、父が死に、主人公の「私」である
大学生のケンジも病に侵されているというお先真っ暗な小説だった。
不条理物ですね、いわゆる。実存は本質より先立つという。

当時、文学同人に入っていたのでそこに出そうかと思っていたが、
未発表のままだ。原稿読んだ学友にはウケていたけどね。
「おまえらしくて面白い」と。
俺らしいとは言われたものの、俺からしたらどっぷりと福永武彦風味
で、全然俺らしくなかったのだけど(苦笑

いっこ年上の中沢けいが『海を感じるとき』で18才で群像新人文学賞を
取ったのを知り、
本気で、「小説書くのはやめよう」と決心した。
けっこう衝撃的だったよ(笑
その後、ゴーストでつまらん売文などもしたが、いくないね、ああいうのは。



ということで、茶でものむ。
大坂の人は、なぜ「茶しばく」と言うの?


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刀鍛冶より粘る刃物を造れる刃物鍛冶

2015年04月30日 | 火と土と水、そして鋼

刀鍛冶、刀鍛冶と天狗になってちゃいけねぇよ。

こちら勉強になるね~。 → プロを超える鍛冶 続編

ダマスカスには全く興味がないし、世界で何人だけとか
そういうことにも興味はない。初めて玉鋼で映りを出すこと
に成功とかの大宣伝の大嘘も刀剣界では黙認されたり
しているくらいだし、そういうのには興味がない。
斬鉄剣だって、小林康宏だけでなく、誰でも造れるはず
だし、「うちだけが唯一絶対の斬鉄剣」なんてことは小林
康宏本人は逆立ちしても口にしない。
いつも康宏が言うのは「うちはうち。よそはよそ」だ。
ただ、情報収集としては見聞は広める必要がある。
たとい、『刃物のおはなし』や『焼き入れのおはなし』に記載
されている中身と重複する内容であってもだ。

現世の事実として、刃物鍛冶のほうが刀鍛冶よりまともな作を
造れることが
実は多かったりするという現実これあり候。
なぜならば、刃物鍛冶は実用品として切れ物でないならば
てんで相手にされないから。
現代刀鍛冶はヌルイ。
切れなくて刃こぼれしまくりでも先生、先生とおだてられて
「私は芸術家」を自認して大手を振ってやっていける。
日本刀の実用性は本来は戦闘武器だから、本当の実用性は
現代社会では行使されてはならないものだが、せめて刃の
ついた刀剣としてまともなのを造ってくらはいな。
芸術もいいけど、俺はヌルイ境地に甘んじて高みから他の
一般鍛冶職を見下ろしたがっているだけのように見えるよ。

一般刃物鍛冶は常に真剣勝負だ。それでおまんま食ってるの
だし、刃欠けし易くて「あそこの刃物は駄目だね」という噂が
広まったら死活問題だから。
噂はくだらない設えられた風評ではなく、刃物の切れる切れない
は皮肉にも正しく人口に膾炙される。刃物の世界はシビアだよ。

刀鍛冶の方々も、ピリッと自分で自分に気合を入れてほしいと
切に願う。
茨木弁でいうところの、「みしっとしたらかっぺや」というやつだ。


一般本職刃物鍛冶や結構詳しい素人をあなどってはいけないよ。
ぼやぼやしてると、本職刀鍛冶より本質的な部分ですごいの
造ったりするよ。
これは青や白だけでなく、どんな鋼を使っても。もちろん玉鋼でも。

刀は「折れず、曲がらず、よく斬れる」。
これ、日本刀一千年の定式だ。
外しちゃならねえよ。


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ラーメン

2015年04月30日 | 内的独白

ネギ味噌ラーメンを食べる。



きようもネギ味噌ラーメンを食べる。

ネギネギを食うぞ~!
カラオケタクシーには乗らないが。(楽屋オチ)

4月の経費〆と、年度〆をした。
4月の30日間で、自宅で寝たのは5日間だけだった(≧∇≦)
ビジネスマンみたい。
てか、傭兵(笑

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江戸刃物師 左久作ブログ

2015年04月30日 | 火と土と水、そして鋼

江戸刃物師誂え鍛冶の左久作師がこんなこと書いてる。




つづきはこちら→ 江戸鍛冶の言いたい放題ブログ 「こんな事が現実ですか」


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遺作展

2015年04月29日 | 火と土と水、そして鋼

フンガッ!
いらしてたんだ。


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温度

2015年04月29日 | 火と土と水、そして鋼
温度は「止まれ」。


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妖刀村正

2015年04月29日 | 映画・ドラマ

魔界転生 柳生十兵衛三厳 VS 宮本武蔵


妖刀村正といえども、これではすでにデッド・スチール。
溶ける寸前の高温まで熱し過ぎで、こうなると鋼は完全に死ぬ。
業界では「馬鹿鉄」と言われる物で、これでは刃物にならない。
だが、フクレを防止するためとして、本当にここらあたりまで熱して
しまう現代刀工は結構いる。
結果的に、鋼の内部結合粒子は肥大化し、簡単に刃先がボロボロッ
と欠けるような脆い刀になる。地そのものも死んでしまう。折損もし易い。
まったく戦闘刃物としての刀剣の体を為さなくなるのである。

横座が刀工村正(丹波哲郎)、向こう鎚が柳生十兵衛(千葉真一)。










まあ、撮影用に火花が派手に飛び散るように本物の刀ではない
それ用に加工した鉄を叩くことはよく使われる演出なんだけどね。
これは本当の刀鍛冶も撮影用の鉄を叩くことがある。
いってみれば、あくまで演出だ。小林康宏もプロモーションビデオ
中では普段使わない梃子鉄を使って、派手な火花を散らして撮影
していたことがある。


史実として刀工村正が柳生十兵衛の時代にいたのかというと、
六代村正であるとの設定であれば不具合はない。
尤も、『魔界転生』は、オカルト時代劇なので、そもそもがファンタジー
なのではあるが。
千葉真一版はキャストが豪華で見応えがある。
特に若山富三郎の柳生但馬守の殺陣がよかった。

実話としては、研ぎ師の話で、村正の刀は手を切った時の切られ味
が異なるという。
スーッといつの間にか切れている名刀は多いが、村正の場合は
サイテ(刀身に巻く保護布)ごとズバッと切れて、手もピリピリとする
ような痛みなのだそうだ。
もしかして、村正の鋼は刃先が細かく欠け易いギザ刃?
もしくは別な要素か。

徳川家に幾多の災いをもたらしたとして江戸期には忌避された村正
だが、多くの例があるということは、それだけ量が出回っていたという
ことだ。
量が出回るということは、戦国期にあって、実用性に富んで多くの
将兵に愛用されたということである。
凄く切れた実用刀だったのだろう。
そもそも、実を離れた見かけ倒しの刀などは成立しなかったし、奉納
記念刀等を除いて、腰間の刀剣としては実無き刀は存在を許されな
かった。
本当も嘘もない実の時代。日本刀はその歴史の中で生まれ育って
来たのである。


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鐵の産地

2015年04月29日 | 文学・歴史・文化

「三原鉄」というものがある。
主に地鉄に使われる鉄だ。
刃物師左久作氏によると、三原鉄とは錬鉄系の鉄だという。
だから、産出地は別場所で、三原に持って来て製錬加工したものが
三原鉄と思っていたが、私のレポートで三原にもかつて鉱山があった
ことを初めて知った、と仰っていた。
三原には確かに鉱山があった。蛍石の鉱山と銅山があった。
銅山などは現三原から、(私が元三原と踏んでいる)久井という八幡
方面に抜ける恵下(えげ)谷を超えたところにあった。
現在は閉山しており、立ち入り禁止区域となっている。銅山のガス事故
は死亡につながるから閉山後は立ち入り禁止なのだろう。
蛍石が採れた鉱山では磁鉄鉱もゴロゴロしている。

三原のカネクサ。金属鉱山のある山に生える。


ただですね。
「三原鉱山」と呼ばれる場所は広島県三原市にある「三原鉱山」のことではなく、
岡山県の井原市吉井町芳井にある「三原鉱山」のことであり、旧来「三原鉄」と
呼ばれた物が、実は現広島県三原の鉄のことではなく、岡山産の鉄のことで
あったとしたら、これはこれまで三原鉄を備後三原の鉄と思っていた研究者に
とっては、ちょっとした事件だ。
真相はわからないが。
ただ、三原には「火山(ひのやま)」と呼ばれる山が鉄鉱石も産出した山である
ことは古書
にみられるし、それらしき記録もある。
中世の
安芸国大山鍛冶が、実は近隣から算出した鉄鉱石と砂鉄によって小型
たたら炉で自家製鋼
していたらしきことは、昨年現地を実地調査して、地元の
郷土史研究者たち
との交流によって推測がついたが、備後三原においても
製鉄がなされていた
可能性はかなり高い。

ただ、「三原鉄」と江戸期から呼ばれた鉄が、岡山県の三原鉱山から出た
鉄鉱石
で製鉄された鉄のことだとしたら、これはかなり衝撃だ。
真相やいかに。


これは私の餅鉄(もちがね/べいてつ)。東北で採れた製鉄原料だ。


砂鉄の以前は鉄鉱石、鉄鉱石の以前は褐鉄鉱で製鉄を行なっていた
ことだろう。つまりソブやベンガラと呼ばれる物だ。
実際に三原には古代勢力が陣取って勢力を張ったと思われる「眞良
(しんら)」
という古代山陽道に駅家(うまや)が設置された場所がある。
シンラは新羅のことではあるまいか。
周囲は焼いたら赤くベンガラとなるような土だらけだ。

三原の山はソブっけが強すぎ(笑)。
これは大和王権成立以前に古代在地政権があったとされる古墳群
の近くで、大和王権以降の古代律令制時代には「眞良」と呼ばれた
駅家(うまや)が置かれていたあたりの山間部である。現地名三原市
高坂町真良。超古代製鉄原料の宝庫だ。






まったく学術界では製鉄の面からは三原に注目はされていない。
学究テーマとして、「備後三原と製鉄」という内容は、未発見の
お宝がビシバシ埋もれているように思えるけどね。
広島大あたりの若き専門研究者諸君に期待したい。

製鉄だけではなく、なぜ「八幡」と呼ばれる地区にあったはずだろう
古代山陽道の駅家が「名称不明」として存在そのものも消去されて
いるのかも、歴史の解明として重要なテーマとなりうると思う。
なぜ駅家の名前が判明していないのか。
なぜ現在日本最古の弥生時代の製鉄炉が発見された三原市八幡に
駅家があったはずなのに抹消されているのか。
なんだか、とんでもない学術的お宝と歴史の闇が眠っていそうな気が
する。


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花の季節

2015年04月29日 | 風情・季節・地球



うちにはモッコウバラのアーチがある。
手作りの鉄製アーチだ。

これは先月中旬頃の写真である。





今は満開だと母から聞いた。
現在4/29の0時1分。
本日、咲き具合を見に行ってみようと思っている。

初春から梅雨までの今の時期は花がいいね。

これは先月の目黒区某所の風景。いわゆるお嬢様学校だね。





卒業記念樹というのはいいね。

目黒区のマークは手裏剣です(笑)。


お嬢様学校にある謎のモノリス。


一方、こちらは目黒区下目黒という場所で目黒駅から山手通りに下る権之介坂下です。
東急バスの中から撮影。



目黒通りを走る東急バスに乗ると、車内広告に驚いた。
墓石や墓の広告だらけなの(^^;
ありは一体なぬだ?


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パソコン死亡

2015年04月28日 | 内的独白



パソコン死亡!
ボードが逝ったかモニターが死んだか。


直ったよ!
先週日曜に東京に行く前に購入した店舗に持って行った。
メーカー保証期間(5年)以内だったので、無償ですべて直った。
モニターと内部配線と電源コードを新品交換だったそうです。
つーことは、このところ1週間の日記記事はどうしていたか。
それはi-Phoneからの投稿だったのです(笑)。



家にあと2台ある古いPC(OSはXPとVISTA)は現在使用していない。
会社で内勤の際に使っているPCは最新スペックだからサクサクだが、
家の古いのは動作が遅すぎる。
キャドなんてまるで使えないし(苦笑

魚屋新ちゃんのところに私の日記の読者さんが来たそうだ。
「あの人、いつ寝てるんですかね」とのことだ。
同じようなことは居合の道場の人にも言われた。
寝てますよ~。たっぷりと(^^;
眠れる時に眠る。仕事もしこたまして寝る時には寝る。
仕事はできないから、本職のほうは朝6時から夜9時過ぎまでやる。人並み
以上の速度(のつもり)で物量をこなしても、あるいは丁寧なきめ細かい業務
には慎重に時間をかけても、延々と仕事は終わらない。次から次に案件が
複合的に来る。人並み以上に働いても人並み以下の収入だが、自営業では
ないからこれは仕方がない。ノルマがないだけうちはいいけどね。業務内容の
うち、交渉事が一番楽しいよ。困難な案件に筋道を見出してすっきりと解決する。
これは結構面白い。細部まで上から決められた行動形体をこなすのではなく、
すべて自分でプランニングできる権限も与えられているし。だが、しくったときの
リターンリスクはでかい。

ただ、PCボードの打ち込みは私かなり速いんですよ。手は早い(笑)。
それに、原稿は書き溜めたのをアップしていることも多いし。
それを校正して投稿するのだけど、誤字脱字、不具合のある表現等は
投稿後も訂正しているので、記事自体を変更することもある。
道場でも目ざとい人は「微妙に表記が変更されていたりしますよね」と
気付いている。
一度アップしたら削除変更するのはいけないとする人もいるけど、
印刷出版物ではないのだから、私はアリだと思っている。
そういうもんだろう、ネット記事は。まして日記(当日の日記ではないから日記
ではないかもしれないが<ややこしい)。
プライベートなことなので、自由にやらせてもらう。


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売約御礼

2015年04月28日 | 日本刀







インターネットの波及効果ってすごいですね。
日記に掲載してたった1日で、愛刀家の方にお買い上げいただいたとの
ことです。
私の日記の読者の方だそうです。
いつも拙日記をご覧頂き、ありがとうございます。

現物を私が見て、良かったのでご紹介いたしましたが、先に述べたように
疵もございます。
歴史の中でついた疵です。
北海道登録なので、幕末の戦乱期のものかも知れません。
疵までひっくるめて、可愛がってあげていただければと思います。

懐具合に問題なければ、私が即買ってたし(笑
千代鶴の鎧通し写し、良い作でした。
どうぞ、末長くお手許に置かれて大切になさってくださいませ。
お買い上げいだいた御方に、笑顔と光と幸あらんことを祈念いたします。

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魚屋さん

2015年04月28日 | 日本刀

笑える話を聞いた。
刀剣しのぎ新藤店長のところに知り合いから「うちのお客が魚屋に行きたいので」
と連絡があり、最初魚屋の話かと思って「何言ってるのだろう」と思いながらも
要領を得ないまま相手の話を聞いていたそうだ。言ってる先方もなんのことか
よく分からないまま話していたようだ。「渓流なんとかというブログを見た人が
魚屋に・・・」とのことだ。
魚屋「魚新」で扱ってるのは渓流魚でなく太刀魚なんだけどなぁ(笑
目黒のサンマはよく出入りしているらしいが。


なぜ新藤店長が魚屋かというと、初対面の人に「お仕事は?」と訊かれ、「刀屋です」
と答えると、「は?サカナ屋?」と大抵訊きなおされることからきている。
新藤店長の推測では「たぶん、一般の人の概念には『刀屋』というものが存在しない
のではなかろうか」とのことだ。
そして、「見た目も魚屋か板前みたいな容貌だから、初対面の人は勝手にイメージ
を直結させてカタナをサカナと連想するのではないか」とのことである。
この連想の連鎖が面白いと感じた。
さらに、「なぜか『刀屋です』と言い直しても『サカナ・・・?』とまだよくわからない
様子の人が多いんですよね。だから面倒だから『そう。魚屋なんすよ』で済ますこと
が多い」とのことだ。


「何度言ってもわかってくれないというのは、世間一般の刀屋に対する認識度
なんだろうなぁ。あんたが言うようにめんどっちーから、いっそのこと、初対面では
今後は『魚屋です』と最初からきっぱりと言っとけば? 『活きの良い太刀魚専門店
なんですよ』くらい
の与太言ってさ」と私が言い出したら、「今度からそれにしよっと」
とのことだった。

店名は「魚新」にしとくとのことだ。

爾来、私と新藤テンチョの間では「魚屋」で通っている。
康宏新作刀の進捗や段取りの打ち合わせもあり、毎日のように電話で話すが、
毎回しゃべり始めは「きょうは活きのいいの入ってるかい?」だ。
彼も受けたりかけてきたりの話し始めは威勢よく「こんちぁ!」である。

高校時代に住んでた家のそばには本物の「魚新」があって、その写真を先日
見せたら「お!そのまんまだ!」と喜んでいた(笑





活きのいい太刀魚を眺めて嬉しそうな魚屋「魚新」の大将。鉄も斬れる太刀魚らしい。


いろいろな方が私のこの日記を読んでいるようだ。
左久作師にまで「拝見しております」と言われた時にはびっくりした。
刀工小林康宏はインターネットをやらないので読んでいない。

特に最近は日本刀関係に興味をお持ちの方が増えているのかも知れない。
日本刀に関して言いたい放題書いているブログがあまりないから読者が集中
するのかもしれない。日本刀に関しても良質なブログは結構あるのだけどね。
(ここはブログではなく独白日記ですよ、と。)

ただし、ここは言論とはいえ、学術界に発表する論文でも文学誌の文芸評論
でもない。あくまで個人のウェブ日記である。私が書きたいことを勝手に書いて
いるのであって、中身は私的な独白とネタと与太の集合体だと思っていただか
ないとこちらが困る。(いや、別段困りはしないのだが)
この日記の記事によって一喜一憂したり、憤慨したり感動したり、そんなことは
私は一度も頼んではいない。それをするのは読者であり、読者のアイデンティティ
の問題だ。
そこの精神的な「自他の区別」をつけられる大人以外には読んでもらってもあまり
よいことにはならないと思う。そういう人はここだけではなく、どこ行ってもそうだろう
が。

ただ、可能な限り、刀剣情報については正確な情報と私的所見とを織り交ぜて
書いて行く。

この「私的所見」について「公論」であると認識してもらっては困る。そう認識する
のは私は依頼していないし、人の概念認識について他人が強制することでも
ないからだ。
一見矛盾するこの文節は、真意を読みとっていただければと思う。
勝手に判断して勝手に自己消化している範囲までならよいのだが、その自己
脳内解釈を基に他者排撃や攻撃に利用する行動(言動)に出るとなると、
これがリアル社会に及ぶと問題を発生するからだ(その本人の責任だが)。

そこのところがよく理解できない人は、まず「文章」についての読解力を身につけ
ないと、ネット
時代で嘘を嘘と見抜けず、本物と嘘の区別弁別がつけられない。
風評などに
流されて集団心理に絡めとられて行く。もしくは自分が風評の発信源
となって病原菌をまき散らす。

独立した自己という自我の不在は、「己の眼で見て己の頭で考えて判断する」
ということをこんにちの情報社会の中で加速度的に捨象して行くので、どんどん
自分が不在になる。危険なのだ。
だからこそ、少なくとも私の日記を読んでくれる読者の方には、正しく見抜く目を
持ってほしいと思うのである。

まず、私的表現であるのか、一般論として人口に膾炙されてきたことの引例である
のか、
あるいはこれまでの「定説」として紹介されているのかくらいは弁別して読み
解いてほしい。

例えば、「無垢が一番だ」と書いた場合、その文脈と文意の中で「私個人は無垢
造が一番好きである(理由はきちんと前後を読み込めば解る)」と言っているのか、
あるいは「構造的に無垢造が適合性
があるとの所見」と言っているのか、はたまた
まったく異なる文意があるのか、そこいらは最低限でも読みとって
ほしいと思う。
ある読者からかつて「知り合いの刀剣商が、『頑丈にするため無垢で新作刀作って
くれという依頼
が最近多くて困る』と言ってる」との情報連絡をもらったことがある。
これなどは、「無垢造=最強」とのイメージをなにかの文章をどこかで読んだ読者
が勝手
に作り上げた脳内強靭論であって、現実問題として「無垢=最強」であるか
どうかなどと
いうこととは別次元の問題だ。認識、認知、識別が事実現実と乖離して
いるかどうかの自己判断基軸が不存在というのは、とても人間として危険なので
ある。

そもそも、日本刀の構造と強度に関しては、「無垢の丸鍛え=強靭」とか「組み
合わせ造り込み=強靭」とかいう事実は一切現実的に存在しない。無垢でも折れ
欠けする刀もあれば、造り込み工法でも折れ欠けする刀もある。
だからこそ、これまで日本人は刀を試し、研究し、刀鍛冶は日々努力してきた。
日本刀は
完成形ではなく、今もどうしたら折れないか、欠けないかというところに
根幹があり、だからこそ「折れず、曲がらず、よく切れる」という三位の一体(これが
難しい)が追求されている。
「完成された日本刀」など過去の歴史では存在しなかった。
ゆえに、あくなきさらなる次のステップ、高みを求めて刀工は求道(ぐどう)者のように
己の技を探求し続けてきたのが日本刀一千年の歴史なのである。

日本刀の強靭性は、鋼の処理如何で粘り強い強靭性から簡単に刃こぼれ折損
する脆弱性まで示す。これは現実なのである。単純に造り込みや構造によるもの
(これも鋼の内部介在物の状態という点ではあるにはあるが)ではないのである。

だが、文意文脈行間が読めない人は、「あ~。無垢だから斬鉄剣なんだ」などと
いう短絡発想に陥るのか、勝手に自分で理解が深く及ばないまま解釈して結論
を出したがる。

また、逆も真なりで、とかく揶揄対象としてのみにしか世の中の事象や文章を
捉えられ
ない人もネット時代には多く「社会」に溢水の如く噴出してきている。
脳内迷走のはけ口を
情報ツールであるネットにぶつけても何の精神的安寧を得る
ための解決にはならないのだが、
そもそもが「わかっていない」人なので論外だ。
そうした方々に必要なのはネットではなく医者で
あり病院である。

この渓流日記は読者が減らない。じわりじわりと増えている。
日によって200~300IDの訪問数の上下幅はあるが、平均すると1500/1日を
割らない。

私自身がフェイスもSNSもせず、アフェリも何も使わないブログであり、単なる
一般市民の書き連ね物
としては、まあ訪問者は少なくはないほうではなかろうか
と思う。

(余談だが、アフェリエイトを私に勧める人は何人もいる。しかし、私はやらない。
私は自身の日記について集客行動をしたことがない。する気もない。すべて
自然発生的な情報拡散による来訪者数の増加である。今世紀初頭、最初は
私の日記への来訪者は5人だった。それが70になり、150になり、300になり、
時代と共にどんどん増えた。じわりじわりだが、それでいいのだ。ネットツールを
使っての爆発的拡散などは望んでいない。
ポチ等で集客してアフェリに流すというのは、それは読者を「金づる」にすることと
同じであり、金が欲しいのか読者に文章を読んでもらいたいのかどちらなのか、
と私自身は言いたいのである。
来訪してくれた客に茶こそ出しても、来たからここをこうしてくれと自己の金員収入
につなげるような行為を求めることが果たしてリアル社会であるだろうか?
ネット社会の「利益誘導型システム」に対して対抗文化を形成したいと考える私は、
読者を食い物にする行為を自分自身は「恥」だと考えているし、第一読者に対し
失礼ではないか、と確信しているのである。
ただし、これが店舗附属のブログであったり、商業活動の付帯物であるならば
話は別だ。大いに集客展開してよいのではないかと思う。
しかし、この私の日記は商業活動ではない。ゆえに、集客して訪問者の数に
頼んで小銭を稼ごうなどという気は私にはさらさらない。)

刀ネタについては与太のネタとしても時々は書くが、基本真剣については真剣だ。
読者の方々すべてに同意など求めていない。それは私の本旨ではない。
人が一億いたら一億の思いがあっていいと思うのが私の考えだからだ。
認識や考えの画一的強制こそ私が最も嫌うところだ。あくまで独立した一人一人
の個として、自分で立ち、自分で考えて、自分で歩くのが人間の基本的姿だと
思っているからだ。
従って、人に一切の強要は私はしない。それは精神のあり方にあってもだ。

ところが、己の考え方と同一でないと気に食わなかったり半狂乱になる人は
世の中いるもので、大抵は旧分類では境界例と呼ばれたところに属する方々
なのだが、非常にこちらが困惑する。
リアル世界では、それなりの対処があるのだが、ネットはあくまで「ツール」であって、
そこをわきまえないと、ネットでの情報がいかにも自己世界のすべてとなると、
これは実に危険だ。
この危険性は何度も繰り返し私は言って来た。2000年からずっと。私のサイトは
2001年開設なので、古い付き合いの人は私がその危険性を言ってることは知って
いるだろうが。
リアル社会に生きてほしい。
インターネットはあくまでツールだ。ツール、機械に人間が支配されてはならない。

(こういう断定の止めに対し、文意文脈表現手法を勘案せずに、表層のみ見て
不快感を示したりする人は、多分、これまでジャーナル系論評文や評論など一切
読んできた経験がない人なのだろうと感じる。新聞や書籍含めて、文章に接する
機会がなく、ネットによって初めて文字の羅列に簡易に接したのではなかろうか。
まったく短文であるのに「長文」とするネット文化は、そうした「文に接する人の位相」
をよく表している。パソコン通信から続く「あめぞう」と「2ちゃんねる」が作り上げた
虚像の世界の功罪は大きい。2ちゃんねるに批判的な人たちでさえ「w」を無自覚に
ネット通信上で使う。すでに意識が支配されていることへの自覚はない。危険なこと
である。)


来訪感謝。


魚新は、こっちがホントね(苦笑


でも、本気でテンチョと揃いの法被を作ろうかと考えてる。
紺染めの生地に真白に鍛造用鎚の形を大きく白抜きにして、
中に「魚新」と江戸文字を染め抜いたやつを。
魚新の店長も結構乗り気だ。
スカジャンのノリだけどね。


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鉄(かね)の地肌

2015年04月27日 | 日本刀

私はどうも刃物業界で人気がある「ダマスカス」とやらの外連味のある
肌が好きになれない。

ダマスカス(包丁)



なぜかというと、ただれた肌にしか見えないし、清廉さはなく、おどろ
おどろしい、まるでウルトラQのオープニングを思い出してしまうからだ。

ウルトラQのオープニング(初代ウルトラマンは「ウルトラQ」の続編である)


ナイフや包丁などで使われる「ダマスカス」は、私には清涼感ある
背景ではなく、怨念渦巻く模様のように見えてしまうのだ。


また、日本刀の名刀の地肌を知ってしまうと、あの毒々しい地肌は
ゲテモノにしか見えなくなってしまうという面もある。
これは感性の問題なので、否定しようがない。


太刀、小龍景光(国宝)。


この景光の鉄味と地鉄(じがね)の肌合いを見てしまうと、しょっぱなに
掲示した「ダマスカス」なるものとは天と地との差があるように私は思えて
しまうのである。
この小龍景光の肌などは、吸いこまれそうだ。画像からでさえも、鋼の
多様な変化が水面直下に沈んでいるように透けて見えてくる。
しびれる。これが日本刀だ。
なんて美しいのだろうと思う。


また、国宝クラスでなく一般的な日本刀でも、このような地肌もある。
素晴らしい。


「ダマスカス」というものとは日本刀の世界は異なることがおわかりに
なるだろうと思う。

硬軟の鋼を練って出た鍛え肌にしても、現代刀でもこうした作もある。
(小林康宏作。撮影:私)


日本刀における、「自然な」鋼の変化変態は、差し出がましく俺が俺がと
前に出ない。
だが、光の反射で肌のキメがほんのりと浮かび上がる。
これも日本刀の一つの魅力だ。

日本刀の妙は鉄味にあり。


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ポスター

2015年04月27日 | 内的独白



なんだか、このポスターに好感が持てる。


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本物

2015年04月27日 | 内的独白



あったかいスープじゃなくて、冷えたレモネードなんだよ。

そろそろみんな、本物に気付こうよ。
そろそろ夏本番なんだし(笑)。


松田聖子『レモネードの夏』


こんなのもあるけどな~。
クマムシ「あったかいんだからぁ♪」に似てる曲 20曲メドレー


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