渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う(パンセ) 渓流詩人の徒然日記 ~since May, 2003~

視聴率とテキトーな作り ~死にゆく時代劇~

2015年03月02日 | 映画・ドラマ・コミック

日曜日、娘とNHK大河を観ている時、「歴史好きな友だちもほとんど
観ない」と娘が言う。
理由を訊くと、「史実まる無視だから」とのことだ。
いわゆる歴女の娘だけでなく物語のオハナシとしても、時代考証等、
ある程度的を射るものを若い人たちも求めているのかなぁと思った。

「視聴率最低らしい」と妻が言う。
私自身は、オハナシとして観ても、そこそこ面白いと感じていたけどね。
伊勢谷さん好きだし。


ところが!

高杉晋作登場ということで、期待して観ていたのよ。


一気に萎えた。観る気が一気にけし飛んだ。




判る人は解るだろう。
私は「ふざけるな!」と思った。

時代劇がいくら作り物のオハナシといっても、やってはいけない最低の線
というものはあるのだ。

たとえば、この時代の幕末維新の官軍が1873年発売のコルト・SAAを
所持していたらおかしいだろうとか、戦国時代に
自動小銃が出て来たら
おかしいだろう、という類の。
傘の代わりに野球帽を被ったり、刀を右腰に差したり。
既婚女性がおはぐろでないのは変とか、髪形が変とか、そういうのは
まだ許容範囲のように思えるし、剣法にしても、活劇ゆえに非現実的な
ことをやるのはよしとしよう。
剣術の様もエンターテイメントとしての映像作品ならばまだよい。
『十手舞』で竹中直人が見せた左手剣法や、『壬生義士伝』で佐藤浩市が
見せた右腰両刀差しや下げ緒さばきなども、あくまでも「非現実」という
前提での活劇だからまだよしとしよう。

『十手舞』竹中直人/「アチャー!アチョー!」と叫びながらブルースリー
の真似で右腰の刀を抜く。完全に空想娯楽活劇だ。




『壬生義士伝』佐藤浩市/史実としてはあり得ない『十手舞』と同じく右両刀。


下げ緒さばきも昭和時代の「新発明」法式だ。


ただ、『壬生義士伝』は、他の隊士たちの帯刀法は考証がしっかり
しているくそリアルであり、佐藤浩市演じた斎藤一を「異端」として
際立たせる演出であることが読みとれる。








しかし、大河ドラマのこの高杉晋作のナリには非常に腹が立った。


まだ、ズラは良い。幕末流行の髪形にしているから。
瓢箪もまだよい。演出だろうから。

しかし・・・下げ緒。これはないだろう。
この時代の人間が腕時計をしてスマホを持っているくらいに
あり得ない。

(本物の武士/幕末/米国で発見された写真)



「なんだこれ。知らない人たちを惑わす適当な作りも大概にせいよ、NHK」
と呟いたら、妻が「林先生の指導かしら」と言った。

今はどうか知らないが、私が習っていた頃の林流はこんなことしていな
かった。

エンターテイメントとして公演している「武劇」でも、こんな変なことは
していなかった。


裏を取っていないのだが、多分、テケトーな作りでいいや、という
時代考証まる無視の若い演出家が現在の大河の着装や着付けを
「指導」しているのだろう。大河武術指導担当の林先生の指導では
ないと
思う。以前の『龍馬伝』でも岡田以蔵に同様の昭和新時代の
帯刀法をさせていた。それが当時の常識で当り前であるかのような
製作者の姿勢が腹立たしい。考証の上、あえて江戸期にはなかった
ことをさせて「異形」とする手法ではなく、単なる無知から来ている
着装法であることは見え透いている。

さる筋の知人から聞いた話だが、『篤姫』の時、薩摩藩士が多く出る
シーンで、時代考証のために薩摩藩重鎮の子孫のある方が家伝の
薩摩拵
を何だったら貸し出してもよいから時代考証をきちんとしてほしい
旨を申し入れしたらしい。

NHKの番組製作担当者はまったく取り合わなかったそうだ。
「そういうのは本物に近くなくともどうでもいいんです。うちの小道具が
きちんとやりますから」とのことで一蹴だったらしい。
文化遺産を現代に伝える本物の薩摩藩の有名な末裔が厚意で薩摩藩士
再現のために申し
入れたのに、まったく鼻であしらうような対応をした。
結果、「似て非なる物」以下の小道具が役者たちに持たされた。

安直であるし、仕事を舐めているとしか私には思えない。
特に、時代劇に刀剣は欠かせない。
着装も欠かせない。
昨夜観た大河は、一気に観る気を削いでくれた。
まあ、かつても、戦国時代を扱った大河ドラマで、前髪たらしの現代髪形
の登場人物たちばかりが出演していた作があった。最低視聴率だった。
一事が万事、適当な作りなのだ。
兜を被る武士がなんのために月代(さかやけ)を剃るのか、その歴史的
意味と事実を軽んじて踏みにじるような髪形にさせる演出の発想は、武士
の歴史に対する侮辱の実践だ。


だが、「時代劇の衣装」と称して、時代物小説家が自分撮り写真でこの
大河高杉のような日本刀の着用をしている画像もネットには出回っている。
要するに無知に過ぎるのだ。時代劇でなくばよいとは思う。現代武道ならば。
しかし、時代劇がこれは、絶対にいけないのだ。
こうした時代的には誤った刀の着用法は『雨あがる』でも出て来た。
クロサワが残した脚本を黒澤明死後にクロサワ組が撮影した映画作品
だったが、斬られ役の刀の着用法についてはデタラメも大出鱈目だった。
ふざけている。時代劇を舐め、視聴者が判るまいとタカをくくり視聴者を舐め、
仕事を舐めている。
クロサワが生きていれば、100%撮り直しだろう。


作り手のスタッフが視聴者を舐めた姿勢だというのが見えたので、
今までは録画もして楽しみにしていた今期の大河ドラマだが、
今後は一切観ないことにした。
役者には罪はない。製作者のスカスカ加減の態度が見えたので
もう観ない。会津中将様御預りの新選組全員にまでそのような帯刀
法をやらせそうな気がするが、見届ける気さえ起きない。

というか、現在最低視聴率更新中の意味が解ったような気がした。
たぶん、製作サイドは理解していないだろう。「視聴率低迷はなぜ
なのだろう?」と首をかしげるのが精いっぱいだろう。
しかし、事の理は簡単なことだ。姿勢は作品に顕れる。
いくら創作ドラマだとしても、「肉迫」なくば、人の心は動かせない。
マンガ『ドーベルマン刑事』のように、銃撃戦を扱う描写で主人公の
リボルバー(シングルアクション)が、固定式シリンダー(銃弾カートリッジ
を装てんするレンコン型の部分)を横にシリンダーオープン(スィング
アウト式リボルバーという)したり、西部劇のワンショットで6連発拳銃
から弾丸が10数発も発射されたり、そういうことはやってはならないのだ。
(『ドーベルマン刑事』のそのシーンは「世紀の恥部」として漫画ファン
の間では有名)
そういうのは、忍者がパッと後ろに塀を飛び越えたりする意図的な
活劇としての演出とは別物、別次元の「誤謬」なのである。銃撃の
リアルさにこだわるクリント・イーストウッドなどは、彼の作り込みゆえ、
あの『ダーティハリー』での名セリフが生まれたのだ。「お前の考えは
分かっている。俺が6発撃ったか、まだ5発か。」という。
6連発から20発も出るようなデタラメマカロニウエスタンとは大きく
異なる。(ハリウッド作でも超リアルを宣伝文句で謳いながら10数発を
ワンシーンで6連発銃から射撃する『ワイルドレンジ』という失敗作もある)
今期の大河ドラマは、そうした作り手の曖昧模糊とした認識ながらも
映像化で自らの不明部分を露骨に露出させるという作りの稚拙さが、
私のような突っ込み野郎だけでなく、娘や娘の同世代の友人たちと
いう若い世代をもシラケさせる作りとして現出しているのだろう。

「史実まる無視」。それもよかろう。エンターテイメントに徹するので
あれば。
しかし、そのような大活劇的な味付けの作品でもないところに、大河の
悲劇がある。
視聴者離れの現実は、すべて作品がどうかが起点であることを
映像作品製作者は噛みしめるべきではなかろうか。
小説でも読まれないのは読者が悪いのではなく、作品がおぼつかない
からだ。映画やドラマでも、人が観ようとしないのは、作品がしょぼい
からだ。それしかない。いくら別方向からキャンペーンを展開したり、
番宣をやっても、視聴者は正直なもので、作品が駄目だったらすぐに
離れて行く。飲食店の料理と同じなのだ。

そのうち、時代劇では、渡世人や博徒やヤクザのような刀の差し方が
武士の帯刀法であるかのように思いこみ、そのナリをするのが「当たり前」
の時代が来るのかもしれない。すでにそれは多くの時代劇によって開始
されている。1970年代まではあり得なかった現象だ。
岡っ引きが十手を腰に差して見せびらかせたりするのがいつの間にか
時代劇では「普通」になったように、刀の下げ緒などは、戦国時代にフロイス
か書き遺したように「意味不明な紐」として日本人自身によって取り扱われる
ことだろう。帯刀の際の下げ緒さばきも適当に扱って、現代人がそうやる
人が多いからそのようにやっとけばいいや、というような取り扱いになる
だろう。いや、すでに天下のNHKがそうしているし、時代劇ではそれが多く
見られるようになった。


現代武道としての手法と歴史的事象を扱った時代劇との区別をごっちゃ
にして、それは着物にジッパーを付けて時代劇でございとするのに似て
今後も進行するのだろう。
丹下左膳は「異形」の徒として描かれた。だからこそ演出の意味があった。
しかし、昭和時代の新発明の刀の下げ緒さばきと同じように、左利きで左手
で筆書きしたり、右腰に刀を差したり、そういうサムライ姿があたかも本当に
武士がいた時代の文化として存在したかのような描き方が今後ますます
なされていくような気がする。
そして、うっかり八兵衛あたりが台詞で言い出すに違いない。
「御隠居。チャンスです」と。

時代劇。お前はすでに死んでいる。


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