渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

本日の米子道

2015年01月31日 | 外出・旅

岡山県久世から鳥取県大山までは雪。
境港まで行ったが、帰りがこんなもんでなく、凄かったよ。
路面まで真っ白で、しかも凍結防止剤散布車が3台連なって追い越し
禁止で、それが米子から岡山県久世までの数十キロ区間続いた。
走行時速は30km/hだぜい(笑
凍結防止剤撒いても追いつかず、路面ガッチガチに凍ってた。

今23:40。
夕方に境港を出て、今帰り着いただす(笑
明日も仕事だよ~ん。
月末月初は忙しす。

本日の走行540km。

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古今亭志ん生(五代目) 粟田口(あわたぐち)

2015年01月31日 | 職人技

古今亭志ん生(五代目) 粟田口(あわたぐち)

第一話「佐賀町河岸」のみ




不世出の名人、五代目古今亭志ん生。本名美濃部孝蔵。
祖父は高位の幕府直参旗本で槍術指南番だった。姓は菅原。
親の代で身代すべて潰し、幼い頃から丁稚に出たが、その後
放蕩三昧を続け落語と出会い、噺家になる。1973年没、83歳。

脳梗塞で倒れた以降の高座か、滑舌が悪いが、志ん生の芸を
聴くことができる「粟田口」。
名刀粟田口をめぐる人間模様の噺だ。
動画では第一話のみの噺だが、「粟田口」は全三話からなる。
この動画サイトの録音高座では、本題よりもマクラやくすぐりの
ほうが面白い。「首提灯」のマクラでもある「試し切り」をこの高座
ではマクラに持ってきている。これは笑える。

解説サイト → 「落語『粟田口』の舞台を歩く」
(秀逸で、きめ細かいサイト。いい仕事してます)


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歴史の真実

2015年01月31日 | 日本刀


(国宝 粟田口吉光)

昭和大戦での敗戦後、連合国総司令部(ゼネラルヘッドクォーターズ=GHQ)は
大戦中の日本軍の日本刀使用実態を見てか、あるいは日本人の心の象徴
たるものと見てか、日本固有の日本刀という刀剣を地球上から消滅させようと
した。

地球上から日本刀が消滅するのは、なんとしても食い止めたい。
ある日本人たちは尽力した。
ある時、GHQ総司令官マッカーサーに面談を請い、日本刀についての説明と
日本の歴史の上で日本刀が占めた位置に関する理解を求めようとした。
3口の日本刀をマッカーサー元帥に見せるために持って行った。
1口は昭和大戦で使用された軍刀。
1口は当時の現代刀で軍刀仕様ではない刀。
そして、もう1口は粟田口吉光だった。

3口の日本刀を観たマッカーサーは2口目まではフンという態度だったが、
3口目の粟田口吉光を観て言葉を失った。
面談していた日本人たちはその間、ずっと黙っていた。
マッカーサーは問う。
「これは何か」と。
日本人は言った。
「これが日本刀です。私たち日本人はいつかこれに迫り、これを超えられる
刀を造りたい。ずっといにしえの日本刀を追い求め続けてきた歴史が日本
にはあります」

マッカーサーは、粟田口吉光を観て、これが日本刀というものか、こんなに
美しい刀剣は私が生まれてから今までに一度も見たことがない、こうした
世界を日本人は求めているのか、とそれまでの認識を一変させた。
後年更迭されたマッカーサーだが、天皇の存続決断といい、現実を直視して
考えを即時に改める潔さと見識眼があったからこそ連合国の総司令官に
までなれた歴史的人物だったのだろう。
日本刀についても見識を改めた。
そして、サンフランシスコ講和条約調印に伴い、日本刀の作刀再開が許可
されるに至った。

日本刀は武器である。
しかし、それは単なる棍棒等とは明確に異なる質性と日本人の美意識に
属する資質を備えた、言ってみれば「特異な武器」であり、そうした刀剣を
歴史上愛し続けてきたのは、地球上で日本だけともいえる。
ゆえに、日本刀は日本固有であり、人斬りのためだけに供する武器という
側面だけでなく、日本人の心の支柱として、連綿と存在し続けた。
奉納刀などはその典型で、戦勝祈願で武器を奉献したのではない。
奉納専用の実用度外視した刀剣が作られて納められる。ここの意味は深い。
武器ではあるが、武器だけではない刀剣、それが日本刀の根幹を成している。
それがずっと一千年以上続いてきた歴史がこの日本にはある。
日本刀は日本人であり日本そのものであるのだ。

だから、日本刀に関しては、武器特性としての質性具備と歴史的重要性や
美的要素の三者はいずれも相互に関連し合って鼎立しており、三者を
分解してどれか一部のみを抽出して日本刀とすることはできない。
日本刀は人斬り包丁兼兜叩き棒でもないし、骨董遺物品でもないし、観賞
主体の絵画彫刻の芸術作品でもない。
また、逆を言えば、その三面すべてを備えた物が日本刀である。
つまり、分解はできないのだ。
700年前の刀でも研げば現代でも殺傷武器になるので骨董遺物とは位置づけ
られない。このことは「日本刀は美術品である」とのみ規定する偽装概念と
矛盾する。頭でいくら美術品で鑑賞対象のみとしようとしても、実存と矛盾する。
だからこそ、日本刀の登録は教育委員会であろうとも、発見届は警察が窓口
となり、また登録後の日本刀も警察が所在を把握して監視している。
また、美術品であっても、人間が手を加え続けてメンテナンスをしないと国宝
刀剣でもやがては古墳出土鉄剣のような状態になってしまう。鋼が大気と結婚
して錆をまとって駆け落ちしようとするからだ。
日本刀とは、そうした三面鼎立の質性を備えた世界稀有の刀剣なのである。

日本刀は日本と日本人と共にある。
日本刀という呼称自体は中世に中国大陸の人士が日本の邦刀を指して詠んだ
ことから来ており、その言葉自体が外来だが、名はどうでもよい。実体が大切だ。
日本に生まれ育つ日本人が生み出し大切に心のよりどころにして来た刀剣が
日本刀なのである。
武用のみ、歴史性のみ、美術性のみのいずれかの観点一方に偏った視点から
日本刀を捉えようとするのは、この地球の歴史における日本刀の歴史的な特異
性からみて、極めて的を外した観点だといえる。

ただ、残念なのは、日本刀を生み出した日本人自身が日本人同士でくだらない
言い争いにあけくれ、自論を譲らないことをやっていることだ。
昭和大戦による敗戦で日本刀が消滅しなかったのは何によるものか。
日本刀をこれからも残したい、造り続けたいという日本人有志のGHQへの
働きかけと、総司令官の慧眼とが、日本刀が持つ本質質性を背景にすべて
円滑に溶け合ったからだ。そういう歴史的事実があったからこそ、日本刀は
戦後70年経った今まで生き残れた。
日本人同士がくだらないことで言い争っていてどうする。

論説などは百論あってもよい。学説も多くあってもよい。
ただし、他者を排撃して己の地位を得ようとする者は下の下だ。これはたとえ
同国の同胞だとしても、下の下だ。下の下に国境はない。
しかも、内実において他者排撃志向者が、さも日本刀を愛するかのような偽装を
伴っていたとしたら、それは日本の宝とは真逆にある日本の害毒でしかない。
国宝粟田口吉光の材料となった鉄を吹いた際に出た鉄滓(かなくそ)のような
もので、日本刀の存在にとって不要な不純物でしかない。

70年前の日本人有志の心ある行動と連合国総司令官が日本人と日本の何に
触れて心が動かされたか(GHQを動かすということは世界を動かすということ
であった)、今一度、日本人は己を振り返る時期に来ているのではなかろうか。


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2015年01月31日 | スポーツ・武道など



毒を吐かないのは俺らしくないとの指摘を受けた。
だよな。猫かぶりも頬かぶりも似合わねぇ。
羊の皮をかぶったなんとかってのはあれは羊だから。
日本から狼はいなくなったが、ウルフはいつでもウルフだよなあ。
どんなに装っても。でも狂犬ではない。
ということで、思うところあり、あえて毒を吐く。

町井勲先生のBB弾や畳表斬りに対してもそうだが、世の中妬みや恨みや
辛みやヤッカミってやつは淀んだ空気が滞留しているところでは
蔓延しているらしく、よく切れる腕を観た場合、あそこまで切れる
のは何かカラクリがあるのだろうとか、仕掛けがあるのだろうとか、
撮り直しの演出だとか、ヤラセだとか、いろいろ下馬評というか、
野次馬や尻馬野郎がピーチクと陰口悪評を盛んにたてたがる。
これは各方面、各場所で今までいろいろ現実に耳にしたりした。
そういうのに対しては、俺なんかはこちらが馬になって馬耳東風
なのだが、できない者らに限ってできる者を観て、てめえの狭い
視野と判断力で決め付けたがる。
大抵は畳表漬けに苛性ソーダかましたり、数日漬けでイグサを
フニャフニャにしたりしないと切れない連中がてめえのやり口を
棚に上げて切れる連中を非難したりする。
もうね、アホかと。
恥ずかしいから物言わないほうがいいんじゃない?
と。
人がどうなのより、お手前の腕がどうなのかが大切なのではない
でせうか、というものでして。

ある物斬り主体の流派の畳表試斬で、たった一晩漬け畳表を切れない
らしく、「なんだこれは!何?一晩しか漬けてない?ちゃんとしろ」
と数日漬けしていないことを上層部「先生」方から御叱りを受けたり
することがある、ということをその所属組織の人から直に聞いて俺は
開いた口がふさがらなかったことがある。

試斬など、やめればいいのに。
そんな楽なほう楽なほうにハードル低くして、そして見た目だけ
人前でさも手際よく切ったように見せるためだけに畳表に仕込みを
するくらいなら、物切りなどやめたほうがいいのに。

きっぱりと言うけど、スパスパ切れるのは腕に決まってるじゃん。

でもって、俺(および俺の属したグループ)は、畳表の水漬けは
3時間乃至一夜漬けだ。
早朝漬けて午前10時頃から切ることが一番多かった。
それは、「切断できた」という結果をなりふり構わず求めるのではなく、
つまり、切れやすい被切物体を予め用意して切れて自己満足を得る
のが目的ではなく、適度に抵抗のある物体(換言すれば「人体に近い」
とされた先人伝の状態)を以ての斬術・刀術の稽古と自分自身の技前の
研鑽深度の確認のために試斬を行なっていたからだ。
最初から畳表を切りやすいような状態にして、それを切っても意味がない。
ふやかした畳表などは小学生の女の子でさえ簡単に切断できる。
かといって、硬い物に切りつけて叩き割ったりするのは、これまたまったく
刀法や刀のことが解っていない。

例えば、私が学ぶ流派での初太刀の横抜きつけ切りは、流派の通りの
切りつけでは3時間漬けの畳表の場合切断はできないが、それでいいのだ。
切断することが目的ではないから。
そもそも刀法と間合いがまるで切断用の切りつけとは異なる。
切開と切断は違うのよ。
私の流派の刀法での初太刀では、フクラ先は畳に切り裂くように食い込む
が、一般的な理屈として切断にはモノウチが切りこむように幅広い「切り代」
が発生する部分まで進まないとならない。そもそもが想定が異なるのだ。
叩き付けではない切り代を使用した刀法だと刃引きでも切断できる。
それは「術」の範疇に属する刀法を剣法として適切に使用するからだ。
頭蓋骨を片手横なぎ(しかもトリサシ刀法)で切断できると思ってか。
横なぎ切りつけ部位をこめかみ頭蓋ではなく首や腕とした場合は、刀身の
使う部分を適切に鐔寄りに持ってくる=さらに間合いを近く進める or 敵の
状態に合わせて適切刀法と刀身部位を瞬時に合致させて刀を繰り出す=と
いうことが必要となる。
状況に応じて瞬時に臨機応変に対応できるのは、技の裏付けなくしては
できない。

そうした刀術に少しでも長けるようになることが剣法における操刀法の一つの
ポイントであって、たかだか畳表(しかも薬品や数日漬けの)が切断できたか
どうかなどに重要ポイントがある訳ではない。

試斬は試斬で意味がある。
飛行物体や不規則可動物体を切ることのほうが剣戟戦闘の稽古にはなるが、
静止物体の据え物斬りだとて得るものは多い。
だが、最初から「簡単に切れる物」を使用して、「切断できたこと」のみを得よう
するから大きく道を外に外す。
そのような魂胆は武の世界では「外道(げどう)」という。
要するに、真摯に武術と向き合って、何を得ようか、どの高みに己をもって行く
べく如何に精進するか、というような真面目な姿勢が欠落しているのだと俺は
思う。
だから、クイズ王みたいな頭でっかち万歳や俺様大将みたいなのが大集合
になってしまうのではないかな。でもって、陰口しか叩けなくなる。実力ないから。

単純明快だよ。
切れる切れないは、腕だよ腕。術技があるかないかでしかないよ。
あと刀。模造刀ではいくら腕がよくても結果出すのはおぼつかない。

昔ね・・・刀道連盟ではないある団体の試斬の大会に出たことあるのね。
すると、数日どぶ漬けか薬品漬けかはわからないけど、簡単すぎるほどに切断
できる畳表だったのね。
で、自由刀法の時に、自分の流派刀法で片手抜き付け・即納刀で切断しまくった。
すると、見よう見真似で真似する方々が俺の後に何人も現れて、目を疑ったが、
刀を手からすっぽ抜けさせたり、片手切りで刃筋が立たずに畳表に叩きつけて
刀を床に落とす人が出て来た。
まあ、抜刀後に両手で構える物切りばかりやっていて日常居合斬術をきっちりと
稽古していない人たちだから多分そういうことになるのだろうけど、事の真相は
分からないが、現実的にはそのような現象が多く現れた。
やがて場内放送で「片手抜き打ちは禁止します」というアナウンスがなされた。
つまり、「居合」は否定された。
物切り主体というのは、結局のところはそういうことであり、「切断」を楽しむ
ためのカテゴリーなんだな、たぶん。刀剣を使った武術とはちょっと縁が遠い。
「抜刀」というのは抜刀術のことかと思っていたが、鞘から抜いた後の抜刀
状態だというのは、そのとき初めて実体として現実的な理解が及んだよ。
「抜きながら斬る」、「敵の動向に瞬時に即応する」というのが居合だから、
根本的に、据え物斬りはまったく居合とは別次元なんだよね。

それでも、据え物でも、きちんと想定を設定すれば剣術や居合術の稽古には
なる。
それは、「刀法」という剣の操作術の仕組みを理解する、という点においてだ。
要は、勉強のやり方如何ということだろうか。

まあ、俺はこういうとこで毒は吐いているが、基本的にリアル世界ではできる
人間は出来る人間として見つめるから、それなりにできるかできないか、
剣の腕が立つか立たないか、遣い手かそうでないかはある程度見える。
そして、それは事象として、思い入れや好き嫌いの主観をなるべく排除して
冷徹に視ようとしている。
だから、リアル世界においては、武術に関しては人の悪口は言わない。
陰口も言わない。ただ黙して見ているだけ。
だって、自分とは関係ないもの。陰口言ったり悪口言っても、それは自分の
腕が上がることになんにも寄与しないもの。
つまり、そういう行動は俺は要らない。
不必要だから、それは選択しない。
不必要なものを集積しても自分の中で心のダークゾーンを排除してクリーンな
光を獲得できるのだと己を過信できるほど、俺は自信家じゃないのよ。



畳表については、俺と剣友たちはいつも3時間~一夜漬け。
(連中はネットなど
には一切出てこない)


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不死鳥

2015年01月31日 | スポーツ・武道など


おお!
この日記に貼られた広告だが、なんだか力強い。
いいね~、こういうの。

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2015年01月30日 | 風情・季節・地球

朝、車を見たら、白い絨毯。
東京も雪だったようだ。

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リレー

2015年01月30日 | 内的独白





ギター仲間で15年来の友人が東京で整体院をやっている。
この私の日記を見たという方が今度施術を受けに来院されるとのことだ。
私のような者でも、少しは人の役に立っているようだ。

人を貶めていい気になるよりも、わずかでも人の役に立つほうが遥かにいい。
体の健康と心の健康は切り離せない。


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層としての個別性

2015年01月29日 | スポーツ・武道など



二天一流の木刀はなぜこんなに薄いのか。
それには意味がある。
意味を理解せずして実体の理解はできない。
まして、つぶさに実見せずに如何にして理解が及ぶというのか。


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Of Fortune

2015年01月29日 | 内的独白



「オーラが嫌われる」

なるほどね。


走って、伏せて、這いずって、立ち上がって、走った。


いかなる進退極まる状況下でも動じない泰然としたところは、返って 嫌われるのだそうだ。

いや~、でも俺は戦国武将みたいなやり口は好きじゃないし。
組織内での寝首掻きっこは好きじゃない。

でもな、事は現場で起きてるんだ。
本店会議室で起きてるんじゃない。
現場の苦しみ、たれが知る。


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それでも

2015年01月28日 | 日本刀
(古刀)

現代刀について、時の流れは止められない。
さざれ石の巌となることはなく、このまま流れることだろう。

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日本史は「線」でつなぐと面白い!

2015年01月28日 | 文学・歴史・文化

『日本史は「線」でつなぐと面白い!』(童門冬二)

帯に「2時間でスッキリ!」とあるが、2時間で読めってことか?!(笑

読み進めると、あら面白い。
新幹線内での時間潰しにもってこいのような記述だが、結構読ませる。
童門さんは歴史を題材に組織と人間の問題を浮かび上がらせる話題作を
数々手がけている。
文学的表現をあえて用いず、淡々と事実と感想を述べる文体は、くどく
なくてとても読みやすい。
ただ、体言止めが多発するので、文列の品位は下世話な赤新聞(共産主義者
の新聞じゃないよ。笑)みたいになってしまっているきらいはある。

それでも、この書は「線」でつながなくとも面白い。
770円(税別)なり。これはいいよ~。
古代から明治まで、これで丸分かりだ(笑
あくまで概略としてね。
だけど、切開のメスの切れ味は鋭い。




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弁別と識別

2015年01月28日 | 日本刀



以下は私見です。

過去記事で紹介した東北の剣士のこのような鉄切りは、拝見するに相当な
研鑽と研究をされた上での公開演武だろうから、私個人としてはいいと
思うのですよ。
コメント拝見しても刀法や刀について深い方だというのも分かる。
また、弘前の武家文化の継承保存もなさっている。

こうした系統と鉄ぶつけや石叩きやブロック殴りは全くの別系だと私は
思っている。
「斬る」及び「切る」。
このことはどういうことであるか、と剣法の一環として深化させることと
刀造りや刀剣選択の態様が密接
不可分にならないと、なんだかあれれ?の方向に行ってしまうように
思える。

現代刀に対して辛辣な苦言を私が呈するのは、現代刀工への期待がある
からだ。
切らなくとも切れて美しい刀、本来あった日本刀の姿を復権させて欲しい、
という。
切れなくて刃こぼれ激しく砥石もあてられず美しい刀、というのは、
それはなしだと思う。
質性具備の有無問題だと私個人は思っている。
実際に使うか使わないかがポイントではなく、ハリコは駄目でしょう、と
いう。

戦後第一人世代の刀工たちは、自らもしくは試刀者によって出来上がった
自作刀を試していた。
今は第三世代ともいえるが、堅牢性や切れ味をどんどん捨象して、形式的
な工法を表面上なぞらえることのみに重点が置かれる傾向が強い。
原因はいろいろあるが、現場にいる刀工たちも諸々の人間関係力学の
板ばさみで心理的重圧は大変なものがあると思う。
今の工法でももちろんいい。
第二世代までは、同じ工法でも堅牢な日本刀を造る刀工が大勢いたから。
しかし、このままだと、第二世代の切れ物作者(いずれも高齢)が物故者と
なったら、刀の本質特性を具備した日本刀は日本からなくなってしまう。
試行錯誤している働き盛りの刀工もいるが、単独系が多い。継承性に不安
が残る。
日本から元来の日本刀がなくなるということは、地球上から日本刀が
なくなるということだ。
見て美しい刀は素晴らしい。
しかし、それは、切らずとも「切る」という一点に集中して昇華結実した
本物が持つ美しさだ。

マルテンサイトは見る為に存在するのではない。
いにしえからの先人たちの英知の結晶として存在する。
その古人(いにしえびと)の心はどこにあったか。
刀とそれを造る人には、人の命を守る、一所に懸命するというところに
心根があった筈だ。
それは家族を守り国を護ることでもあった。
刀は人の命を司る。
刀は人の生き死にと共にある。
現代においては、直接的には戦闘に使われることがあってはならない存在
となった日本刀だが、だからこそなおさらその日本刀の歴史的な本質性を
きちんと見据える自覚があるかないかだと私は思っている。
時代とともに移り変わるアプローチはあってもいいだろう。
しかし、根っこの心根、根源的な日本刀が捉える立脚視座は不変でなく
てはならないと私は考えている。
なぜならば、そうでないと、日本刀が日本刀ではなくなり、「のような
もの」になってしまうからだ。
日本刀は単なる工芸美術品や単なる武器ではない。日本人そのものだ。

戦後第一世代の刀工たちは見てくれだけに流れることに対して軒並み警鐘
を鳴らしていた。
しかし、時が経ち、どんどん加速度的に日本刀を取り巻く世界は妙な方向
にベクトルが向いている。
本質性を剥奪することがあたかも美であるかのように。
それは、かつての戦後革新勢力と呼ばれた人々によってではなく、むしろ
戦後保守派と呼ばれた層によって推進されている。
その流れそのものにまやかしを見て、私のなかでは真の憂国の念へと
繋がる情念が湧く。
ただ、この感性自体健全かどうかわからない。
建設ではなく破壊を見て惹起せしめられた心情であり、主体的な能動と
しての創造性を帯びないからだ。
健康は病魔を滅することによって得られるものではなく、健康体を維持
増進することで得られるものだ、という概念を私は払拭できないからだ。
でも、ホントのところは、そうなのではないかな。


あ、それはそうと、本名は非公開でおながいすます。よろしこ( ´ ▽ ` )ノ






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訪問者

2015年01月27日 | 内的独白



いつもより300名ほど増えたが、またどこかに貼られたのかな(苦笑


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復活再生希望の刀

2015年01月26日 | 日本刀



今すぐには経済的理由で正式依頼は出せないが、ぜひ町井研ぎをお願い
したいのはこの短刀だ。(刀職への仕事の依頼は受けてくれるかどうかが
大切。「金出せば客だ」みたいなのは「おとといおいで」なのである)
依頼項目は
 ・研ぎ
 ・白鞘製作
 ・はばき製作
 ・つなぎ製作
といったところだろうか。う~ん。お金貯めようっと(^^;


かなり傷んでいる。






昔の所有者がひどいことしてる。

ただし、これほど棟打ちしても折れなかった。
なんなのか、この刀は。えらく頑丈だよ。金属の角などに棟打ちしたら
普通の刀ならポッキリだよ。

だからあえてこれ好むというイレギュラーな心われにあり(笑
なんとか復活させてあげたい。

どこの短刀?備前かね。寸の長い九寸五分の短刀で、反りは0.5センチの
鎬造、いわゆるドスだ、ドス(笑)。登録は古い年代の東京都登録だ。
でも、製作時も結構古そうな感じ。



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大河ドラマの方言

2015年01月25日 | 映画・ドラマ



最近の大河ドラマは、『八重の桜』でもそうだったが、舞台となる地方
独特の方言や言い回しを連発して地方の色を出そうとする演出が
あるようだ。
『八重の桜』では「ならぬものはならぬ」だった。
今放送している『花燃ゆ』では「世話ない(=大丈夫)」という言葉が
よく出てくる。

しかし!
これね、全国の人に分かりやすいように原語をアレンジしている。
本当のネイティブ長州弁では「せやぁない」というような発音なのである。
長州弁と周防・安芸弁は似ている部分もあり、この「せやぁない」は現代
の行政区分でいえば、広島県の西部(特に芸北山間部)のエリアあたり
まで今も普通に使われる。厳密には広島に入ると「せやぁあない」と尻から
二音目が強調される。
広島県東部の備後に近づけば近づくほどこの「せやぁない」は
あまり使わ
れない。


ただし、「~してつかぁさい(~してくださいませ。=丁寧語)」という言い回し
は岡山県中部域まで現代でも使われている。
用法は主として「懇請」の心象の場合に使われる。「~してください」では
なく「どうぞ~してくださいませ」というような心情を表している。

こうしたネイティブ発音や言い回しは、現地を知らないと全国的には知られ
ないことだろうから
ここに公開しておきます。

(せやぁない地方)


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