渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

良い金具みつけました ~人も刀も出会い~

2014年09月30日 | 日本刀

日本刀というのも、出会いと縁が強く作用するが、刀装具である
金具などもそうだ。
「あ!」と閃くものがあったら、それはその作品と自分の感性が
同調しているのだから、予算が許せば買い求めたほうがいい。
その瞬間に。
「他にもいいのないかな」などと逡巡していたりすると、気に入った
金具は人手に渡ったりする。
刀もそうであるが、金具も得てしてそういうものだ。
ピン!というか(それは手配書だ)、ビビッと来るものがあったならば、
予算が許す限りは絶対に買っておいたほうがいい。

九州の友人が小林康宏の新作日本刀正式受注公開前の前段階先行
予約として個人的に製作依頼をした。
これは実は今を去ること4年前からの作刀再開の際には必ず発注
したいとのことで私に連絡をしてきたのだった。
映画『七人の侍』の五郎兵衛の台詞ではないが、人というのは思わぬ
ところで知己を得るものである。爾来、その人とは気心が知れて親友と
なった。
その友人が、康宏作真剣の拵を製作するにあたり、時代金具を探して
いる。

今回の新作刀製作については、公式発表前に、個人的に熱烈作刀
希望の方々が私に連絡を取ってきた。まだ、公式受付を開始していない
のに想像以上に希望者が来た。そのため、向こう一年以上のバック
オーダーとなるため、公式受付発表前に一旦公募(してないけど)を
締め切る形となった。
これ以前に康宏は作刀を再開していた。
数年前のバックオーダー残をこなすために鋭意製作にあたっていた。
私がプロデュースして以降の渓流詩人プロデュースバージョンの作は
第一作目が現在製作中だが、それ以前にも刀工康宏は作刀自体は
行なっている。
私がプロデュースするのは、これまで斯界であまりなかった受注形態を
構想している。かなり周辺整備は進んだ。
端的に言えば、「お客さんを選ばせてもらう」ということだ。
金出せば誰でも依頼者、という図式を私はまず崩したかった。
そのため、今回のプロジェクトにあたっては、刀工、予定する販売代理店、
工房スタッフと会議で協議を重ねた。
私の発案による企画書も作り、業者にもプレゼンを通して、プロジェクト
自体の趣旨を十分に理解してもらい、その上で、賛同の意思を確認でき
た信頼のおける業者と「一緒にやろう」ということになった。
そして、私が関与した第一作の製作に取り掛かることになった。
企画発案は昨年中に興し、プランを多角的に練った。
また、種々の法律問題までを射程に入れて、弁護士までを含めてのバック
アップ体制を取った。城を構築するのには本丸だけではだめで、外堀までを
強固に築く必要があるからだ。あとは、人だ。人こそが城を守る。本丸の
本陣は刀工自身であるので、刀工が製作のみに専念できるようにすべての
企画を巡らせた。
ただ、正式発表前に希望者が予想以上に個別に私に連絡を取って来たのは
予想外だった。
渉外に関しては、私が刀工康宏から全権委任された。
ただし、スタンドプレーは絶対にせずに、常に刀工と密接な連絡を取りつつ、
私がすべてお膳立てをして、刀工が作刀のみに専念できるようなプランにした。

希望者の方々には「1.どこで康宏刀を知ったか 2.作刀希望の動機」について
本人の意思を表明してもらった。
申し訳ないが、誰にでも作るという方式は取らないからだ。
康宏作を愛でる人にこそ所有してほしい。これが大前提だった。
幸い、メール等でのやり取りの中で、今回締切までの作刀確定の枠に入った
方々は皆さんとてもよい方々だった。人数が増えたので、申し訳ないが
次回の正式受付開始連絡まで待っていただく方も何人か出た。
今回受注の最終作でさえも完成渡しが再来年の夏過ぎ頃になってしまう
ロットとなってしまったので、残念だが、事情を説明して今回の先行予約は
規定員数で一旦締切とせざるをえなかった。
また、私の選考により、残念ながらお断りした方も何人かいた。
それは御縁がなかったものとして諦めてもらうしかない。
私が全権を任されているので、受任して完成作を渡した後トラブル発生が
予想されるに相当するだろう方には作刀をしないことにしたからだ。

そもそも、私と刀工小林康宏との出会いは、私が剣術稽古の経験から
現代刀の悲劇的現実を知ってしまい、それを克服している刀工がいない
か探していた折、たまたま康宏を知り、工房を探し当てて突然訪ねて
行ったことに始まる。まあ、押しかけた形だ。
そして、偶然に、高輪にあった旧鍛刀場を地上げした大手デベロッパー
から法律業務として依頼を受けた私の職場の弁護士の事務職員として
私が現地調査をしたのだった。これは個人的に工房に通いだしてから
半年ほどして気付き、刀工と二人で大笑いしたものだった。
偶然とはいえ、何らかのエニシを深く感じる。
以来、東京下町の墨田区千歳にあった第二工房兼販売店舗には足げく
通った。気づくと、客ではなく、準スタッフのような存在になっていた。
私が通う道場の人たちも、実は康宏に作刀依頼をしたかったらしく、
私が康宏と工房の人たちと懇意にしていると知ると「え?そうだったの?」
と驚き、すぐに自分の差し料を製作依頼した。それでも当時2年半待ち
だった。
私が第二工房まで英信流の道場の仲間を連れて行って、刀工と面談して
作刀依頼の橋渡しをしたのだが、しまいには私の居合の師匠(現全剣連
範士八段)まで作刀依頼をした。数人の道場仲間もすぐに作刀依頼を
した。中には一人で数口依頼する者もいた。
そんな感じで、和やかな時間が緩やかにゆっくりと過ぎて行った。
良い季節だったのだと思う。

今回のプロジェクトの骨子は、「あの90年代を再び」だ。
これが最後の作刀になるだろうことは、刀工康宏の年齢を考えれば如何とも
しがたくとも、時の流れの中で最後の花を咲かせてあげたい、という私の
悲願でもあった。
製作販売価格については検討を重ね、販売代理店の利益を大幅に削る
ことで圧倒的価格を実現することができた。誂え拵付の新作康宏刀を
金具抜きにすれば70万円でリリースする。(現代金具付では75万)
職方への仕事料の値切りは一切していない。しいていえば刀工への
打ち下し価格がそれほど高くないことだ。これは直紀康宏が協力して
くれた。販売代理店とて霞を食べては生きていけないので、利益も上げ
なければならないが、極度に利幅が薄い仕事として今回のプロジェクトに
協力してもらっている。
作刀依頼者の方々は「え?思ったよりもかなり安い」と言われる方が多かった。
しかも、標準仕様で縁・頭・目貫・切羽・しとどめは既製品だが、ハバキは
当然誂えで拵える。まあ、これは当たり前だが。
しかし、鐔は現代物といっても、既製品の規格品ではなく、現代鐔工に
鉄鐔を新規に康宏用に製作してもらう。つまり刀剣と同じく一品物を装着
する。現代新物(あらもの)を着けるといえども、せめてもの気遣いだ。
真剣の拵が模擬刀と同じというのはあまりにもさびしい。
限られた予算の中で、どれだけ誂え物としての工作が実現できるか、
各方面に交渉をしてきて、達成できる見越しとなったのが75万円という
価格である。
だが、現在の日本人の世帯当たりの一般的平均所得は537万円である。
ひと月あたり約45万円。しかもこれは税込だ。実質所得はもっと下がる。
それを考えると、75万円でさえ大きな買い物だ。ローンも取り扱うが、今の
ところローン希望の方はいない。
しかし、いくら高価な日本刀とはいえ、購入にあたっては、月給の2ヶ月乃至
3ヶ月分が勤め人の限度ではないだろうか。
一口(ふり)の刀剣が200万円も300万円もするのは、自動車に比べれば
安い金額だが、おいそれと買えるものではない。まして一口500万円の
新作刀という価格帯の刀は、パトロン的な立場で刀工を支える人が出資
すればよい世界で(またそれも文化の保存となる)、私が関与するところ
でもない。
それにタダではないのであって、75万円は相対的に低価格とはいえ、
お金を出すのは製作依頼者だ。それなりの捻出をして希望しているのだ
ろうし、私たちとしても何とか良い物を廉価で提供したいと思っている。
現在製作している私プロデュースにかかる第一作目は、それを企画の
パイロット版にしようとしている。
一作目の注文主は自作をテストピースにすることを了承してくれている。
まあ、よく言えば、先行者=パスファインダーとなってくれたのである。

これまでに作刀再開してから康宏自身は新作刀を製作していた。
だから、あくまでも「渓流詩人がプロデュースする第一作目」が今回12月
登録の
個体であるのだ。
今後のメインの受注は私と刀工の企画で進行して行くことだろうが、個人的
な康宏への依頼を断る権限は私にはない。

かといって、いきなり「刀匠の住所教えろ」とかいうのはやめてくださいね(苦笑
失礼ながら、そういう方が何人もいらっしゃいました。
店舗を構えた(ここ大事。ブローカーのハタ師ではなく店を構えているという
のは法的にもとても重要)刀剣商の販売代理店を
明確に企画として設定します
ので、購入はそこ通しとなります。
また、数年前にご連絡いただいて作刀再開の折にはぜひ依頼したいという
方が複数いらして、ご連絡差し上げたが、メールが宛先不明で不着となった。
連絡のしようがないので、申し訳ないが、そうした方々にはコンタクトでき
ないので、枠外となった。(数年前にすでにお断りしている方もいる。康宏
の作刀趣旨と合致しないから断った。康宏は特定流派の専属刀工などに
なるつもりはないし、またスタッフとしてもそのようなことをさせるつもりもない)




新作刀といえども、着ける金具は、できればご自身で気に入った物を
揃えることを勧めています。

私も個人的に先週金具をオークションで落としてみました。
金額が信じがたい金額(マックで2人分ほど)だったので、「まあ本物でなくとも
いいや」と思っていたところ、送付された品物を開けて見たら、ぬぁんと本歌。













スマホのカメラで撮影したので、接写がうまくできずにピンが甘いので
申し訳ありませんが、燕の目や蓑を着たおっちゃんの彫りなどは
かなり微細で、本式です。時代偽ではない。
実際に肉眼で精査したら「ドッシェ~(@。@)」となってしまった。
物はかなり良い。
この縁(ふち)を縁(えん)として、「越冬つばめ」の物語で拵を作りたいと
私は思っている。


このような商品も探せば考えられない金額で入手することもできます。
拵は誂えですので、金具もお気に入りの作をお求めになることを私は
ぜひとも勧めたい。
懇意にしている刀剣しのぎ桶川店の新藤店長は私に言った。
「拵製作にするにしても、いろいろ自分で金具を探したりする時、勉強
したりするでしょう?そういう研究が大切なんだと思う。金具に興味
持って、日本の伝統工芸に興味持って、そんでいろいろ調べたりする。
そういう学術的な探究心って私はとっても重要だと思うんですよね」

康宏を発注した九州の友人もいろいろと拵の金具を自分で探し始めた。
彼が言うには、「思えば、刀剣小町さんで気に入った鐔を買い逃したのが
一番痛かった。あのような作風の鐔に出会えていない」とのことだ。
あの鐔は私も欲しかった。どうしようかなぁなどと悩んでいるうちに売れて
しまった。そんなもんだ。
町井先生の刀心さんでも、かねてから欲しい鐔があり、「あ、まだあるな」
と思って買いそびれていて、先日、在庫を確認してもらったらとうに売れて
しまっていた。そんなもんだ。逡巡していた自分が悪い。
刀でもそういうことがある。
こちらは逡巡ではなく、タイミングの問題だったが。

私がいまだに忘れられないのが、平高田の古い白鞘入り磨り上げ無銘刀で、
数か月間毎週ウインドウに張り付くようにして
欲しくて欲しくてたまらなかった。
まだ29歳の時だ。刀剣商ではなく骨董屋で、店が手付を受け付けないと
いう
ので、夏のボーナスが出た時にすっ飛んで行った。バブル真っ盛りの
頃だ。即行で銀行で賞与の一部60万円だけを引き出して、札束掴んで
その店に向かった。

そうしたら、つい数日前に売れたとのことだった。
あの時の落胆といったらなかった。
その刀が市場に出てこないか探しているが、未だに再会できない。
今でもあの刀が欲しくてしかたない。
その落胆している時に別な青山の研ぎ師の店で偶然出会ったのが、今でも
大切に持っている備前
長船則光だ。
その落胆話を四方山話として研ぎ師にしていたら「似たようなのあるよ」と
奥から出してきたのがそれだった。
こちらは「貴方だったら」ということで、信じがたい安価で譲ってくれた。
普通に店に売り物で出すならば私に譲ってくれた金額の4倍だとのことだった。
これは特異なケースで、人とのつながりゆえの販売金額だろう。一般的な
販売というよりも個人譲渡に近い。その研ぎ師も、もう鬼籍に入ってしまった。
時間を止めることはできない。


時代物の刀剣、刀装具は出会った時に呼びかけるものがある。
よくいわれる「縁」というものだ。
手持ちの予算が許すならば、刀も刀装具もビビッと来た時が買い時だ。
新作刀剣も、すこしだけそのようなことがある。
なぜならば、刀工は人だから、いつまでも生きているわけではないから


この記事をはてなブックマークに追加

寸づまり

2014年09月30日 | 内的独白

寸づまりが好きである。
刀の長さもそうだが、長大な物は私は好きではない。

まして、長寸大切先の幕末ハッタリ刀みたいなのはなおさら
好きではない。むしろ大嫌いなクチに入る。
定寸もしくは少し短めの刀で必要十分以上の働きをするよう
な刀が好きである。

これは銃にもいえていて、くそバカでかい拳銃を好むオタク
とは私は完全に感覚が異なる。
1970年代にマグナムブームに先鞭をつけたのはイースト
ウッドだったが、『ダーティーハリー』の第一作品では6インチ
バレルだった。その後8インチも出るが、まあ6が一般的な長さ
である。4インチだと.44マグでは反動が半端ないからだ。
銃身は長いほど反動軽減にはよいが限度がある。6インチは
S&W.44にはちょうど良い。それでも身長2メートル近いクリント・
イーストウッドが
握ると、まるで4インチバレルのように小さく
見えた。


超有名な名シーン。
多くの山田康雄ファンは、このシーンの日本語吹き替えの台詞を
モノマネする。「試してみるか?」とルパン三世のような言い方で。

この『ダーティーハリー』によって大口径マグナム弾ブームが
全米を席巻し、アメリカのポチである日本にもマグナムブーム
が訪れた。
だが、それは非常にちぐはぐなものだった。
一番度し難く許せないのは、漫画『ドーベルマン刑事』だった。
これは、当時ハイティーンだった私たちGUNフリーク仲間の間でも、
作品内容(ストーリー)とディティールがあまりにも稚拙(というか幼稚
過ぎた)で出鱈目のため、お笑い草になっていた。
ハリー・キャラハンを剽窃した日本の刑事が.44マグナムのルガー・
ブラックホークを使用するのだが、そのシリンダーたるや左横に
スイングアウトするのだ。.45PMと同じシングルアクションという
ことを原作者(というか漫画家)は知らなかったらしい。恥ずかしい
にも程がある。
単にブームや流行に乗って馬鹿デカ銃に便乗するような気風は
私は大嫌いだった。

その時代の流れの中で気を吐いていたのが、.22口径で銃身を切り
詰めたソードオフバレル抜き撃ち仕様を愛銃とする『ワイルド7』の
主人公飛葉だった。
望月三起也先生は短寸拳銃が好きなのか、各作品を俯瞰すると
思い入れのある主人公には銃身長が短い銃を持たせていることが
多いようだ。
私も、銃身が短い銃を見るとゾクゾクする。
バレル長がバカ長くて大口径マグナムなどは、「ホッキョクグマでも
相手にするのか?」という感じがする。デザートイーグルを好むこと
なども私は絶対にない。あり得ない。.44オートジャムもだ。
私は体感巨乳、いや、大艦巨砲主義は好きではないのだ。勿論、
星人でもない。

従って、拳銃も、このようなシルエットを見たら、とてつもなく
カッコよく見えるのだ。

たまらないね、これは。


当然、だからして、『ワイルド7』の飛葉仕様のGUNは
俺の中では至高の銃なのだ。短銃というくらいだから
短銃でねぇといけねぇだろ、とか思うのだ。


(世界に1丁しか存在しないコルトウッズマン飛葉モデル・ガス
ブローバック。
ワンオフの唯一カスタムの作品である。外見を
崩さずにブローバックエンジンを
内部に搭載し、可変ホップアップ
機能を付け、専用マガジンで製作された
ウッズマン飛葉モデル
ガスガンは今のところ、世界中でこれしか存在しない。

製作を試みた人を何人か知っているが、ことごとく完成には至って
いないようだ。
このモデルは作動も完璧で命中精度も極めて良い。パーフェクト・
カスタムだ。勿論、一般的には販売されていない)


小粒でもピリリと辛いのが俺は好きだ。
ハッタリ俺様大将みたいなの、大嫌いなんだよ。

ライトウェイトの250ccや350ccでナナハン(今時ねぇが)を追い回し
て峠でロックオンして撃墜するこの快感。
わかるかなぁ?
わからねぇだろうなぁ(笑
わかるわきゃないよ。350ccについて「なんでこんな半端な排気量
なんだ?」とか言ってる若いのばかりだもの。
350ccというのはかつての二輪世界グランプリの排気量カテゴリーで
最高峰排気量クラスよりもむしろ人気があったクラスなんだよ。
それが、350ccが廃止されて、500cc、250cc、125cc、80cc、50cc
の選手権に統一されて、それからすぐに500-250-125の三種に統合
されたんだ。
バイク乗るならバイクの歴史くらい少しは知っとけってんだよ。
目先の目の前の「今」しか見えないし見てないでやんの。
こういう奴らは「レジェンド」については大抵無関心なんだよね。


まあ、一般道でなくクローズドサーキットコースの場合は、ノーハンデ
だからね。レギュレーションもきちんとあるし条件はイーブンだ。
だけど、一般道では俺様大将みたいな大排気量を自慢したがる
奴が多いのよ。
バイクが速いのであって、おまえが速いわけじゃないだろ?ってね。
「直線で250km/h出した」とか自慢したり、もう馬鹿?みたいな。
お前でなくても出るだろ、と(^^;
四輪車でも多いよね、勘違い野郎。スピード出るのは車であって、
お前の腕ではないでしょう?と問いたくなるような連中が。
そういうのがね、俺は嫌いなのさ。
刀もことさら長くて長大な物を持って「相手に威圧感を与える」とか
言ってるのもいたりして、これまた「パカ?」とか思う。
そんなので威圧されるようなチョロい相手にしか通じないよ、そういう
見かけ倒しのハッタリは。ハリコの虎だよ、そういうのは。瞬息パンチ
一発でボン!キュッ!チーン!だろうが。
まったく見せかけで虚勢を張りたがるのが多くて、嫌になっちゃうよ。
てか、そういうの好みというのは、たぶん、心理的には非常に人間的
に脆弱なんだろうなぁ・・・。刺青にビビったりするクチだろうね。
関係ないんだよ、そういうのは。どんな人間でもたった一発の銃弾、
たった一個の爆弾ですっぱりと消えて無くなるんだから。違いは一切
存在しない。
世の中の真理が判ってねぇなぁ。


この記事をはてなブックマークに追加

目貫の向き ~刀装具~

2014年09月29日 | 日本刀



日本刀の打刀(うちがたな)の刀装具で、柄に装着する「目貫(めぬき)」
という金具がある。
元々は大刀・横刀・太刀(たち)の時代に、外装である柄と刀身をとめる
金具を表裏貫いた物を目貫と呼んだ。現在にも言葉として残る「目貫通り」
という単語は、刀身の表と裏を貫き通した孔のことから来ている。
初期には目釘も兼ねた物が目貫だった。
しかし、時代と共に、目貫から目釘が分離して、ナカゴ穴の位置も刃区
(はまち)寄りに移動した。
これはナカゴ尻に近い位置に孔をうがって刀身をとめると、折損しやすい
という事例が多くでたからだ。
初期日本刀の目釘穴は丸型ではなく実に多様な穴の形をしていた。
位置も打刀よりずっとナカゴ尻に近かった。
しかし、平安時代末期にすでにナカゴ穴部分から太刀が折損する事故が
起き、強固な目釘と共に、位置がだんだんとずらされていった。
そして、大よそ刃区から指三本程の下部に穴を開けてそこに目釘を打つ
ことで折損事故が大幅に防止できることが発見された。
並行して、それまで、ねじ式のとめ金具でもあった目釘兼用の目貫は、露出
部分のみが金具として独立して目釘と分離した。
以降、目貫は主に装飾的な役割を果たすことに遷移していった。
太刀佩きにおいては表目貫は縁側に寄せ、また刃を上にして帯に差す打刀
でも表側の目貫は縁側に寄せた。実用性以外の形式美が大きく影響していた
ことの証左でもある。

等装具においては飾太刀の時代から古美濃に見られる秋草図案が多く
武人に好まれたが、目釘と分離して装飾金具として独立するにあたり、
目貫は飛躍的に美術的技巧を投入されることとなった。

この目貫は表裏で一体であるのだが、どちらが表でどちらが裏であるのか、
掟があるとこれまでされてきた。
福永酔剣『日本刀大辞典』によると、人物の場合には高位の者が表、動物や
草花の場合は大きい物が表とするとある。
さらに、生物の場合は頭を鍔側に、草木の場合は根の側を鍔方向に向ける
とする。
ただし、福永先生は同書においては1万余に及ぶ参考文献を記載している
のだが、この目貫の向きに関しては出典を明らかにしていない。
この福永先生の説も、これまで伝聞的に伝えられてきた「きまりごと」でしか
なく、確固たる文献等でその論拠が見られない欠点がある。

そして、時代刀装具においても、その掟に合致していない目貫の向きも
多く見られる。
古来、「目貫の向き間違いは逃げ目貫と呼ばれて縁起をかつぐ武士からは
嫌われた」とされてきた。
はたして、本当にそうであるのか。
時代刀装具のうち、目貫の向きが逆のケースもままあるので、これらを
「無知な職人の仕事」で片づけてしまってよいのであろうか。本職の職人が
果たしてそこまで無知であるのか。

私個人としては、伝統技法やしきたりのうち、これの真実は「失伝」に類する
ものではなかろうかと推測している。
つまり、「本当のところは何だか分からない」というのが実情なのではなかろうか、
というものである。

(時代拵/幕末)

この私の柄においては、四分一の蜂目貫は、いわゆる「掟」通りの
方向に装着されている。

この件について、刀屋シンちゃんと昨日ずいぶん長い時間話をしていた。
すると、彼が以前勉強のためにメモったというポンチ絵をメールで送ってくれた。


(かわゆす。これは猫かね?)

動物などは頭を鍔-刀身方向に向けるのが掟とされてきた。
刀を抜いて構えた時に敵に向かうように頭が向いているものだ。
植物の場合は敵側から伸びる枝であり、それに対して逃げないという
例えなのだろう。
動物の場合、このイラストのように三種に大別できる。すべて一対物だ。
鍔側が画面の右側として考えてみよう。
1.の場合、左側の猫が表目貫となる。一般的にはこれが多い。
2.の場合はどうだろう。体の向きが鍔側と考えれば、左が表で右が裏だ。
では3.の場合は?
これも左が表で右が裏ということになるだろう。
つまり、頭の向きではなく、体がどちらを向いているかということがすべての
パターンに共通していることになる。頭の向きを基準にしたら合致しない。

目貫については一対が同方向を向いているものは存在しない。
仮にあったとしたら、それは別物を後世に「合わせ」て揃えたものであり、
業界では「競馬」と呼ばれて「後家もの」とすぐに看破され嫌われている。
同じ合わせでも、整合性がなければニコイチの合わせの意味がない。
程度の良い気に入った意匠の片目貫同士を合わせる場合には、こうした
ことへの配慮も必要だ。

また、柳生流仕様で施される「逆目貫」についても、ただ単に鐔寄りの目貫を
掌に収まる裏側の位置に持ってくればよいということではない。
目貫の形に鮫を陥没させる加工を施すのが正式な柳生拵であり、単に目貫
を逆にして柄糸を巻いただけでは柳生拵とはいえない。
しかも、柄糸も逆に巻く。
こうしたことを知らない剣士や職人さんもいるのではなかろうか。
知っている人は真実事実を伝えないと、こうした伝統的な事柄はすぐに失伝
する。あっという間にこの世から消えてなくなり、後世の人たちは「何なのだろう」
ということになる。
たった一世代で鉛筆をナイフで削れなくなり、マッチで火をつける方法を忘れた
のが私たち日本人だ。ほんのわずかな時間で失伝はやってくる。
特に日本刀の伝統技法については、失伝によって嘘伝が本伝かのように誤認
されることが多い。
一度失伝してしまうと、多角的検証で科学的かつ論理的に解析していくしか
再現方法はなくなる。
だが、それさえも、どういう訳か拒否して、固定観念に固執しようとするのが
不思議なことに現代日本刀の世界なのだ。
日本刀は悪くはない。人がそのようにしているだけのことだ。

目貫の効果については、太刀時代の手の収まりを再現したものとして柳生拵が
あったことだろう。
それには大いに首肯できる。
だが。
私は、柳生よりももう一歩踏み込みたい。踏み込んで考察したい。
目貫が目釘との分離によって位置と位相が遷移したように、目貫そのものの
原初的目的が希薄になって以降は、私は目貫の役目というのは、本当は存在
しないのではないかと思っている。
この方向性を極度に体現したのが薩摩拵だ。
目貫など取っ払って(というか最初から着けない)しまっている。
薩摩拵は鍔でさえ防具としては捉えず、ただの滑り止め程度に考えている。
徹底的に斬切の攻撃性に特化して純化させた思考法で刀剣の拵の仕様を捉え
ているのが薩摩流儀だ。
私はこれは、ある意味、刀装具の発展の歴史を俯瞰して、原初的本質性に回帰
する視点だと思量する。
そして、それに近い発想で幕末の男谷信友のいわゆる「講武所拵」がある。

(講武所頭取男谷下総守信友の差料)


男谷信友の拵は実用性に特化している。
まず、金具の頭は半太刀風で、しかも江戸肥後のように手あたりが良い形状にし、
鞘は(たぶん)籐巻きの上に黒漆でコーティングしてある。鞘に堅牢性を持たせる
ためだ。薄くなめした鹿皮を鞘に巻いた上に黒漆をかけた鞘も存在したほどに、
武人は鞘の堅牢性にもこだわる。鮫皮一枚巻きなどの肥後拵などは、鞘の堅牢性
を第一義に、さらに鮫を研ぎ出すことでカイラギとさせて美的領域までも手に入れた
質実美観兼ね揃えた秀逸な鞘といえるだろう。

さらに、この講武所拵は鞘尻にはコジリを着けている。これは太刀拵の流れをくむ
準戦時仕様だ。
そして、注目してほしいのが目貫だ。
私の上記「目貫不要論」を証明するかのように、目貫を手にあたらない位置に
配している。基本的認識背景としては薩摩と同じ考え方だろう。
薩摩拵のように柄木もやや逆反りになっているようにも見える。

実は私は、この男谷拵の思想性を一部採り入れている。
今回の日記のテーマでもある目貫の位置がそれだ。
私は目貫が一切手に干渉しない講武所拵風の位置に表裏の目貫を配している
のである。


私は、「目貫を着ける」という伝統美を踏襲しつつも、本来の原初的操作性を
回復させるために、主たる差料の拵の目貫はこの位置にしてある。
ただし、実用一点張りではなく、現在のところ「だろう」ということで掟と
されている(検証の余地大いにあり)ところの目貫の向きは茎(くき)側を鍔
方向に向けて装着している。
伝統美と実用性の融合を、私は己の差料で試みている。
目貫の現在の一般的位置については「小指に当たって小指が利くため」という
説は、私個人は嘘だと思っている。
なぜならば、戦闘仕様である太刀拵にあっては柳生式の掌に収まる位置に
目貫はあったのが事実であるし、第一小指に金具が当たるのなどは不可解な
ことだ。
刃を下にして佩いた太刀から刃を上にして差した刀に変化した時、形式美と
して太刀と見た目が同じ縁側に目貫を寄せたというのが歴史の真実なのでは
なかろうかという疑念を私は持っている。
さらに考察を押し進めると、薩摩式になるのが本義のように思える。
ただ、目貫がなくなるのは個人的には寂しい。
どうせ見た目の飾り物になった目貫だ。飾り物ならば飾り物として、武張った
武士の武器の中にも一輪の花を添えてやりたい。
そんな気持ちで、実用性が希薄であろうとも、花を添える心で私は目貫を
柄に着ける。
しかし、人間工学的な実用性のみを見るのではなく、そうした「心のゆとり」と
いうものを常に武士は求めていたようにも思えるのだ。
それはもはや、物理的な実用性を超えて、心に寄り添う、形而上的な実用性
の役割を果たすのではなかろうか。
料理における包丁技法にしても、そのような視覚的な美意識が心のありかと
連動するという文化が、日本には存在してきたと私には思えるのだ。
和食の化粧包丁だけでなく、ただのウインナよりもタコさんのウインナのほうが
子どもも喜んだりするよね。「盛り付け」などというのも、視覚的なものから
食する人が少しでも心地よくなってくれるような日本人独特の配慮だよね。
大皿にドンと鍋からかき盛って、大勢で箸で突っつき合うというのは、鍋料理
などの例外を除いて日本には食文化としては存在しない。常に個人の意識を
尊重する文化が日本には確固として存在した。
そして、武士などは、死んだ時のことまで考えて、兜や鎧の下の狩衣には
香まで焚き詰めた。実用性のみの武張ったことが表のすべてではなく、
そこに雅な心のありかを寄り添わせた。
ゆえに、日本人は、古来から武具にあっても清廉なる美しさを求めてやまな
かったのではなかろうか。
美しい日本とは、そういう心の風景のようなもののように私は感じる。


この記事をはてなブックマークに追加

体験イベント『弘前藩の武士の作法と技』

2014年09月28日 | 内的独白

観光PR/弘前市笹森家住宅・体験イベント『弘前藩の武士の作法と技』


これはいい!
あたしの動画サイトに本日リンク貼ってくれた方のyoutubeチャンネル
を見てたら、こんないい動画があった。
津軽様御家中の子孫の方々なのかな。
広島は武家茶道の上田流と信抜流居合剣法、佐分利流槍術しか
残っていない。トホホのホだよ。

明治以降は三原の士族なんて、ほとんどが広島市内か東京へ行っち
まった。城下に残った士族はごくわずかだったよ・・・。

私事で恐縮だが、東京の前職での私の師匠(法律関係)が青森裁判所を
退官してから事務所に来た人で、動画を観ていて、言葉遣いがとても
なつかしかったよ(^^)
あと、東京の高校から大学までの親友が青森出身だったし。
弘前大附属校と広島大附属校って「ヒロ大」同士ということで姉妹校
のような学究提携結んでるんだよね。と、そいつから教わった。


いいなぁ、こういう住宅は。


でもって、弘前というのは桜が綺麗だよね。弘前城の桜は有名だ。
これね、おいらの高校の時の文学同人に菊池くんてのがいてね。前述の
俺の親友の弘大附属小中の幼馴染でもある。
今、大阪大の教授やってるん
だけどね。
その菊池くんの先祖が植えた
のよ、弘前城の桜は。一般人も見られるように、
って。弘前藩士だった。
五十石。
そしたら、他の士族の連中が「平民に城で花見させるなどとんでもない」と
やってきて一騒動あったんだよ。
で、その菊池くんの先祖が偉かったのは、花見で桜を植樹して多くの人に
開放
しようとしたことと、もっとすごいのは青森リンゴを作り出した人だった
のよ。
こっちはすごいね~。その子も梨かなんかの神様とか呼ばれて
いた。
二人とも帝国大学出て学者になってたね。だからか代々明治
初期から学者
の家だ。菊池くんも東北大の院出てから今は阪大の
教授だぁな。

(弘前城)


さて、この青森県の剣士たちの動画の個人的な注目部分はここでした。
鉄パイプを斬っちゃってますね~。正確には斬りでなく切りですね。
つまり切断。鉄棒を刀で軽くパンと切っちゃってます。


まあ、本物の日本刀であれば、鉄パイプなんて切れちゃう。
小林康宏作では当たり前のことだし、戦前の軍刀なども鉄などはスッポコ
スポスポと切れていた。それが当たり前。武士時代も甲冑武者に斬りつけ
たら欠けたり折れたり曲がっちった~、なんてのは役立たずなので刀と
しては認められなかった。だからこそ、幕末騒乱直前には各藩で荒試しを
行なって、刀の耐久試験ばかりやりだした。使える刀と使えない刀を
ふるいにかけるためだ。
刀は肉を断ち骨を断たなければならないし、鉄をも切れなければならない。
とはいっても、小
学校の鉄棒みたいなパイプを切断するのは無理よ、たぶん(^^;
切りつけても、頑丈な刀なら折れたりはしないだろうけど。
この動画のようなことやってる人は、まあ、刀のことを理解している人たち
でしょうね。
でも、こういう動画をアップすると、変な流派がにじり寄って来るよ(笑
我が流の指定刀にしてやる、刀工の住んでるところ教えろとか。無礼千万な
度し難い俺様流派が来るかもよぉ~(苦笑

この試刀者の方は刀だけでなく刀法を解ってますよね。
説明もその通りだと私は思います。
刀を背負っての門入りは土佐英信流古伝に「獅子洞入」という業で全く
同じ所作があります。
また、正座での下げ緒を膝で踏んで刀を奪われないような心得も
英信流古伝として私は習いました。
どこの藩でも武家所作は共通項があるものですね。

鉄管切りの斬り手は外崎源人さん。
武家文化だけでなく地元の文化の伝承者のようです。

(外部リンクで紹介→ 青森ねぶた製作団体「我生会」応援サイト

なんだか熱いですね~。
動画の中でも、外崎氏は日本刀は二、三人切ったら油で切れなくなるという
のはない、私も豚の頭で・・・との趣旨を言われてます。「ラーメン屋さん?」と
思いましたが、ご実家は製麺会社のようです。ばっちし直営ラーメン店もある
模様。美味しそう~!
ラーメン食べすぎでドクターストップかかったくらいのラーメン好きな私としては
「豚の頭」でピクッ!と反応してしまいました(^^)v → ラーメン一源 



津軽様の御家中の作法についてはとても勉強になります。
こういう本物筋の伝統をどんどん公開アップしてほしいよなぁ。
広島藩伝なんて失伝してるもの。

この青森県の剣士たちは、津軽殿御家中の作法を現代に伝えているという
点で、すごいなぁと思う。
なんせ広島は武術を除外すれば上田宗箇流という武家茶道だけだから、
残っている家中の武家文化は。
まあ、残っているだけよかったのだけどさ。
上田宗箇流は直線的で無駄を捨象し、結構カッコイイすよ(^^)

武家茶道上田宗箇流(外部リンク)


この記事をはてなブックマークに追加

醤油『魯山人』

2014年09月28日 | 文学・歴史・文化



「魯山人の醤油注しで使いたくなる醤油」という醤油を買ってみた。
キャッチフレーズやボトルなどどうでもいい。
味を確かめたかった。



極上だった。醤油マニアとしてはいろいろな醤油を試したが、こんな
醤油は初めてだった。(似た方向性の醤油は出会ったことがあるが、
ここまで完成度が高くはなかった)
「甘くて辛くてさらりとしているのに深みがある」というのがこの醤油を
試した時の私の感想だ。これ、かなりの物だ。
200ccで1500円。高値だが、その価値は十分にあまりある。
よくこんな醤油作れたなぁ。感服なり。
これ、かなりの醤油です。
魯山人は陶芸作品も人物もあまり好きではないが、彼のキャラとは
別に、彼の功績は認めざるを得ない。
そして彼の金言がある。
「美味しいものを食べるのではなく、美味しく食べる」
これは、これこそ至高の言葉のように思える。

10年ほど前に銀座の黒田陶苑に魯山人作のぐい飲みがあった。
30万円だった。
魯山人ということでその値なのだろうが(人間国宝作より高い)、
作品は彼独特の野趣があって面白かった。
買おうかどうしようか悩んだが、買わずに、別な人の作を贖った。
黒田さんは悪く言えば陶芸界を牛耳っているような国内一の「格」の
陶苑なので不確かな物は置いていない。また、陶芸家たちも黒田さん
に置いてもらえれば一応陶芸の世界で「一人前」と認められたと感じる
人が多いようだ。
そういうのは、私個人は、あまり好きな世界じゃない。
まあ、私が関与しない別世界のことではあるのだが。

ただ、今回の醤油もそうだが、「核心に迫る領域」という物はどの表現
世界にも実存する。
日本刀の場合も、陶芸の場合も、店舗なくして販売のルートが立たない
ので、私は刀屋も陶芸屋もその生業自体は否定はしない。また口汚く
その職業を指して非難することも私は絶対にしない。
なぜならば、刀なら油一つとっても刀剣商から分けてもらうのであり、
もちろん刀装具の手配も刀屋にお願いするからである。出物があったら
声をかけてくれ、と頼むのも八百屋ではなく刀屋に対してだ。
自分がその恩恵を享受していながら、その職業を侮蔑するのは、私個人は
人間として最低の行為だと思っているからだ。
普段、肉を食していながら肉屋を侮蔑したりとかね。米を食べていながら
百姓を馬鹿にしたり蔑視したりとか。そういうのはクズだと思っている。
それは天に向かって唾を吐くような愚かであさましくさもしいことだと私自身
は思っている。

たまたま出会って買ってみたこの醤油は、思わぬクリーンヒットだった。
ただ、説明書き等読むと、まったく私のアイデンティティとしての感性では
受け容れられない目線で物造りをしていることがひしひしと伝わるが、
実際に出来上がった醤油の味は格別だった。
ナチスドイツのバイオリニストでも心に沁みる曲を弾くことができる。
芸術だ美術だを前面に出して格式付ける連中は私は実に鼻持ちならない
と感じるのだが、実際に「作品」というものは、作り手の個人的属性や個性
とは区別して捉えないとならないのかもしれない。
でも、日本刀の場合、私は気に入らない作者の作は絶対に所有したいとは
思わないけどね。逆もまた真で、私が仮に刀工だとしたら、気に入らない
注文主には死んでも造らない。死んだら作れないが(笑
つまり、命を賭しても造らない。
でも、人間とはそういうものだろう。金さえ払えば何とかなるというものでは
ない。





この記事をはてなブックマークに追加

ドラマ『喧嘩屋右近』と『春の坂道』

2014年09月28日 | 映画・ドラマ



『喧嘩屋右近』(原作・:林不忘『魔像』/企画立案:杉良太郎)
を何本か観た。
このドラマ、おふざけが過ぎるが、かなりファンだった。
なぜ、DVD化されないのだろうかと思う。
いろいろ複雑な権利関係での問題があるのだろうなぁ。
動画サイトではyoutubeやニコ動などでは軒並み即行で削除
されている。アップと削除のいたちごっこだ。(会員サイトでは
観ることができるが、削除も時間の問題かと思われる)
最近でこそ整理できたのかも知れないが、『ルパン三世』が一時
著作権関係が複雑に入り組み、ビデオやキャラグッズがまったく
作られない時代があった。かなりそれが長く続いた。ルパンは
別漫画家によるリメイク作やキャラクグッズが販売されるように
なったのは、ここ10年ほどではなかろうか。80年代90年代は
TVアニメ以外はほぼ再生不能のような状態だった。
『喧嘩屋右近』は与太時代劇ではあるが、DVD化を強く希望する。

そういえば、最近ようやく映画『白昼の死角』がDVD化された。
これはタイムリーに劇場で観たが、素晴らしい出来だった。
しかし、ずっとビデオ化さえもされていない作品だったのだ。
主演は夏八木勲、竜崎勝、中尾彬だ。千葉真一も出ていた。
戦後直後に東大生が起こした闇金融事件「光クラブ事件」がモデル
となっている映画作品だった。
原作は高木彬光だ。原作は1959年から1960年に週刊誌に連載
された作品で1963年に一度映画化されている。
だが、1979年の角川映画での映画化は結構話題になった。
そして劇場で観た。かなり来たね~。引き込まれた。154分と長尺
物だったが、まったく緩みがなかった。映画作品として良作だった
印象が強かった。
その後1980年代に入りビデオデッキの一般普及に伴い、どんどん
様々な映画作品がビデオソフト化されて行く中で、この『白昼の死角』
は一切ビデオ化されなかった。されないのは何か理由があったから
だろう。
だが、やがてビデオ化もされ、DVD化もなされた。
『喧嘩屋右近』のDVD化にも期待したい。

けさのネットNEWSで「好きな大河ドラマ」というテーマでのアンケート
結果が出ていたが、人気作品はどれもが最近の作ばかりだった。
私の個人的にNo.1大河は『春の坂道』(1971)なんだけどね。古過ぎて
まったくアンケートではランキングにも出てこなかった(笑
『春の坂道』は柳生宗矩の成長の物語で原作は山岡荘八だ。柳生但馬守
宗矩は萬屋錦之介、徳川家光が市川海老蔵(先代)だった。
柳生但馬が「真っ直ぐに振り下すことができれば鉄の兜も斬れましょう」
と言い、剣術稽古嫌いの徳川家光が「兜など切れるはずがない」と反発
する。
そして、「たれか兜を持て」となって、座敷内に兜を設置して柳生にこれを
斬らせてみる。宗矩は一刀の下に兜に深い斬りこみを入れる。割るの
ではなく、兜を斬ったのだ。
それに驚愕した家光は、翌日から剣術の稽古にいそしむようになったと
いうくだりだ。
私は小学生だったが、このシーンが一番印象に残っている。
それと、出奔した宗冬と十兵衛が成長した互いと知らずに剣を交える
シーン。ここでは完全に柳生の剣の構えだった。十兵衛役は原田芳雄さんだ。
宗矩の三男宗冬役は若き日の清水鉱治さんだった。宗冬と同い年の異母
兄弟である左門友矩役は田村亮さんが演じていた。史実と同じく美形だった。

このドラマの成人後の柳生宗矩は萬屋先生(出演時は中村錦之助名)が
演じていたが、若き日の宗矩は中村
勘九郎(先代)さんが演じていた。
15歳で若き柳生宗矩を演じる勘九郎がまた
すこぶる良かった。(私は歌舞伎
俳優では五代目勘九郎が一番好きで
ある。演技以外の素顔でも好きだった)
『春の坂道』は、かなり新陰流そのものも正確に考証されていた。それは
20年後に新陰流を学ぶようになって「あ、これ『春の坂道』にあった」と
その勢法に気付いたりした。(太刀数が多いきらいはあるが、私は新陰流の
完成されたシステムに敬服している。新陰流を学べば、誰もがひとかどの
剣士レベルまで到達できる。こうした整理された合理主義的術技学習システム
は新陰流が最初だったのではなかろうか。新陰流といっても、一国一人の
相伝者のうち柳生の剣がやはり素晴らしい。袋シナイの発案も日本の歴史を
一変させる革命的な出来事だった)

中村錦之助(萬屋錦之介)さんは、役作りに努力する人だった。柳生但馬を
演じる際には実際に新陰流を学び、『子連れ狼』で柳生と対決する拝一刀を
演じる時には水鴎流宗家のところまで水鴎流を学びに行った。
今、このように役を自分の手元に引き寄せて研究してものにしようとする
俳優がどれほどいることか。ハリウッド俳優には本物の俳優が多かった。
ポールニューマンにしても、名作『ハスラー』(1961)撮影前にはまったく
素人だった撞球を15度も世界チャンピオンになったウイリー・モスコーニに
就いてビリヤードを練習し、ウイリーから「公式試合に出ても上位に行けるよ」
とまで言われる程に習熟した。25年後の続編『ハスラー 2』でテクニカル・
アドバイザーとなった世界チャンピオンのマイク・シーゲルはニューマンを
指して「まったく指導する必要なし」と言っていた。トム・クルーズはいつまで
経っても撞球を身につけられなかったそうだ。だからアップシーンは同じ
サウスポーのシーゲルがすべて吹き替えを演じていた。『ハスラー』でも
トリックショットはモスコーニが演じていたが、長回しのワンショット(撮影の)
シーンではポールニューマンが難球を撞ききっていた。役者の技量の違い
がここにある。
最近の日本の時代劇で、日本刀を真実扱える役者は皆無に近い。特に、
漫画を映画化したドタバタ時代劇などでは、殺陣においても木造殺陣刀
ではなく、事故防止のためかウレタン刀を使い、刀身がビヨンビヨンあちこち
にしなりまくったままでの引っ叩き合いをやってそれを映像に収めている。
その映像を観て、自称武術家たちも拍手喝采なのだから、役者の演技
以前に、観る者たちのレベルが40年前よりも直滑降のように下向きに低い
位置にある。
本身、鉄身、殺陣用木製刀(銀貼り)。時代劇の撮影はこの三種だ。
殺陣で安全に配慮するのは当たり前で、そのために、斬ってはいないが
斬ったようにカメラに収める最低限の殺陣・立ち回りの稽古が必要だし、
技術も要する。そういうところをすっ飛ばして、「安全のため」にということで
ウレタン刀を使用して刀がビヨンビヨンのままの映像をフィルムに収めて
それを劇場で公開する。製作者も役者も恥ずかしくないのかと思ってしまう。
いっそ、すべてCGにしてしまったらどうか。
杉良太郎さんは、そういう意味で、文化遺産的に、古い時代の「正統殺陣」を
研究して実践している俳優さんだ。当然、役に役立てるために合気も居合も
稽古を真剣にやる。杉さんは、役作りのために歩き方一つも研究に余念がない。
こういうのが本物の「俳優」なのだといえる。
でも今の時代、こうした本物の役者魂は流行らないのかも知れない。
歌舞伎の世界はごまかしがきかないが、映画・ドラマの世界はド素人大集合
で学芸会を観ているようだ。また、そうしたものが歓迎されている。お笑い芸人
たちでさえ本業を稼業とするのではなく、バラエティ番組に集団出演することで
稼いでいる。それを視聴者は喜んでいる。本物なんてどうでもいいのよ。
今はそういう時代なのらしい。面白いことに、時代なりなのか、武術の世界でも
贋物やパチやバッタモンや似非が大挙してはびこっている。大抵は俺様縛り
の連中だ。ニセモノほどその性悪な強欲を露わにしている。

どうやら『春の坂道』はNHKにもオリジナルマスターが残っていないらしい。
つまり、全編完全映像メディア化は不能ということだ。とても残念である。
なぜ残っていないか。それは当時のドラマのフィルムは重ねて撮影して
しまうので、マスターを残すことはしなかったからだ。一般用ビデオテープ
なども存在しなかった。
『春の坂道』は長らく幻の名作映像といわれてきた。
2007年頃、その映像を偶然モノクロフィルムで撮影していた一般視聴者
がいて、その映像がNHKに寄贈されて奇跡的に映像が蘇った。
今その映像はオープニングのみyoutubeで観ることができる。



貴重な中村錦之助インタビューは → こちら


この記事をはてなブックマークに追加

ツクツクボウシ

2014年09月27日 | 風情・季節・地球



朝九時過ぎ--
九月も終わりだというのに、広島大学附属校の杜ではツクツクボウシが
盛んに啼き始めた。

(三原城)


この記事をはてなブックマークに追加

小柄小刀 ~武士が常に身につけた日常刃物~

2014年09月27日 | 日本刀

それにしても、小柄小刀というのは、なぜ大銘ばかりなのだろう(笑
なんというか、お土産的な物が多かったのだろうなぁ。


近江守源久道(笑)
しかし、銘の鏨運びは正真にソックリでGJだ。
というか、本物のような気が・・・。
そして、この刀身は滅茶苦茶切れる。怖いほどに。




小柄小刀のサイズには規矩(きく/寸法の決まり)という
定寸がある。
これの図は幕末の水心子正秀が著書で描き残した小刀の
規矩である。

穂(小刀の刀身)について細かく寸法指定がしてあり、小柄についても
「幅四分五厘ヨリ七厘ニ不過モノナレハ小刀ノ幅中心ノ長サ可考計
(幅4分5厘より7厘に過ぎざるものなれば、小刀の幅、なかごの長さ、考え
計るべし)」と書かれている。要するに小柄の大きさは決まっているので
小刀も身幅となかごの長さなどの寸法をよく考えて作れ、ということだ。

この規矩に基づいて私は小刀を作る。



材料の硬軟鋼の積み沸かしの仕込みや折り返し鍛錬はまったく
日本刀と同じだ。
ただし、私は無垢造で作る。だが、折れない。なぜか。それは
折れないような造り方をするから。
私はある工程で、火が出る程に空打ちをする。いわゆる冷鍛なの
だが、かなり叩き絞める。加熱鍛練の鍛えが失敗していたら、そこの
段階で亀裂が入る。少しでも亀裂が入った個体はジャンクだ。
それまでの苦労がパァ。
そうした刀身は、適正に熱処理で戻して応力除去後にリセットして
材料として再利用することもできるが、その過程で脱炭もする。卸せば
炭素量は調節できるが、ケチがついた鋼なので私は作品には再度それ
は使わない。
それでなくとも、沐浴して、金屋子さんに祈り、気を引き締めて厳粛に
私はやっている。
これは誰も見ていなくともやっている。
ガムを食いながらバッターボックスに立つようなことはしない。
私自身は刀工ではないし、「のようなもの」しか作ることができないが、
私はすべての本職の刀工=鍛人(かぬち)に敬意を抱いている。
「康清」という貰った銘には「安き世」という国家鎮護と人々の平和な
暮らしへの願いも私自身は重ね合せ、その思いを込めて鎚を握る。
いくらプロではない趣味の世界とはいえ、おいそれといい加減な態度で
鉄と向き合うことは、私にはできない。


刀身だけを作っても納める物がなければ保存が利かない。
小柄小刀については、私は自分で入れ物を作る。
本職の刀職の鞘のようには出来ないので、私は鞘ではなく「入れ物」で
あると自重している。
素人で「鞘が作れる」とか「拵が作れる」とか言う人は、本職のプロの
仕事を見たことがないのかとさえ思う。
素人は鞘も作れないし、柄前も作れなければ柄巻もできない。
勿論、刀剣の研磨などは絶対にできない。
真似をしても、すべて「のようなもの」でしかない。
プロはプロだ。
ただ、刀職の中で、素人がやっても一番それらしくなるのが刀身だろう。
特に、小物は鍛造も焼き入れの際の刀身の平均温度の取り方も、短刀
以上の長さの真剣に比べれば簡単だ。(但し、「沸かし」は刀同様難しい)
はばきや金工、柄拵えなどはまず素人は出来ないと思ったほうがいい
だろう。

特に、素人製作の柄などは危険すぎて実用には使えない。本物の柄
には、伝統芸としての隠れたこと細かい技術が凝縮されているからだ。
本職の仕事はとてつもない。私のような素人が作る物は、あくまでも
「のようなもの」でしかない。手慰みのようなものだ。
ただし、剣法については、そこで学ぶことは行住坐臥に関わることなので、
素人の趣味という領域とは位相がやや異なる。日常の食事で箸を持つ
ようなものだ。箸を持つのが趣味という人はいない。私にとっての剣法は
それと同じである。趣味ではない。居合もさして取り分けて好きでもない。
ごく普通の私のアイデンティティの質性に関する素養として学んでいる。
ゆえに、当然にして、ゴールはない。
ただ、学ぶことは楽しい。そして、好きだ。

小柄小刀の「入れ物」作りについてはこちらをどうぞ→過去記事

ああ、そうだ。
私が蛙さんを集めているのを知った刀剣しのぎの新ちゃん店長が分けて
くれた
小柄があったのだった。


なかなかの味を出している作だと思う。
よく判らないけど、肥後?
小野道風だね、この画題は。
道風は書の道に迷いを生じた時、蛙が柳に飛びつこうと何度も
挑戦している姿を見て、最初は届く訳がないと馬鹿にしていた。
だが、遂に枝に飛びついた蛙を見て、馬鹿は我であったと己を
恥じ、一念発起し書道に専念したと云われている。
小野道風が柳に飛びつく蛙の姿を見て覚醒するという逸話は、
江戸中期の思想家、三浦梅園の『梅園業所』(寛延三年-1750年)
に見られるものが最も早いのだそうだ。浄瑠璃『小野道風青柳硯』
(おののとうふうあおやぎすずり /宝暦四4年-1754年初演)から
一般的に広まった。その後、画題として浮世絵をはじめ、この逸話に
基づく道風の姿が多く描かれるようになった。明治以降は、花札にも
この画題が登場している。

私が無意識のうちに、なぜ蛙の画題に無性に惹かれるのか
ほんのりと解ったような気がする。小野道風と私は無縁ではない。

(小野道風模様蒔絵櫛/東京国立博物館蔵)

私の青柳の小柄は宝暦年間以降の作であろう。
よく鍛えられた鍛鉄の肌が独特の味を出している。
これに合う穂先(小柄小刀の刀身)を打ちたいな。


この記事をはてなブックマークに追加

ぼうし

2014年09月26日 | 風情・季節・地球

東京で一人暮らしをしている大学生の娘が帰ってきた。
夏には夏休みで帰ってきてはいたが。
なんでも友人とゴールデンボンバーのコンサートを観に行くために
帰ってきたらしい。
東京では高校時代の友人たちとよく会っているという。
まあ、3歳児の頃からパブリックスクールのように中3まで一緒に
育った友人たちだからなぁ。男女とも家族のように仲が良いのが
娘が通っていた幼~中校の園児生徒たちの特徴だ。
娘は、
普段は宮崎あおいさんがイメキャラやっているブランド普段着の
ような恰好をしている。



まあ、なんというか、今の子っぽい。


帽子をかぶっていた。ニットベレーだ。
こんな感じのかぶり方をしていた。

ま、いいかな(笑
「俺のベレーサイト読んでね~」と言ったら、「これベレーじゃないよ。
ニット帽だよ」とか言っていた。
あいや~。
きっとベレーとは、いつも見ていた親父のこんなのだと思い込んでるな(笑


女の子はザックリとした生地の場合、こういうかぶり方も
エレガントだ。


基本はやはりキノコにはしないこと。こういうのはアリ。


ニット(knit)もエレガントにかぶってほしい。
昨日、山手線の中で目の前に座ったとても可愛い子がニットベレーを
かぶっていたのだが、思いっきりキノコだった。服のセンスもいいのに
もう少しだけ帽子を潰すか傾けるかしたらもっとエレガントになるのになぁ
と思った。
ニットもそうだが、ベレーのような造形の帽子は、「どの角度から見ても
同じに見える」というのだけは避けるようにすればキメられる。
特に、ウールベレーだと、見る角度によって全部違うシルエットに
見えるようにすることがファッショナブルさのポイントとなる。
それによって、ベレーは視覚的に不安定なことが逆に躍動感として変化し、
見る者に刺激を与える。そこがウールでもニットでもベレー帽のかぶり方の
ポイントといえる。
そうすると、造形は「傾ける」ということと切っても切り離せなくなる。
普通に気遣わずに被ると、ポコンとキノコ型に丸くなるだけだからだ。
キノコはぐるりと周囲を360度回ってどこから見てもキノコに見える。
ところがこれが女性の場合、シュークリームのような形に見せると、がぜん
違ってくる。
ファッションはちょっとの気遣いでファッショナブルになるので、どうせ服を着て
帽子を被るならば、工夫はしないよりもしたほうがいいように思える。
それと、ファッションは贅沢に金をかけずとも、身ぎれいにすることが大切で、
身ぎれいは折り目から。これ基本。
カジュアルにおいては、ダフッとわざと着崩すのがおしゃれになる場合もある
ので、フォーマルとは別なアプローチがいるだろうが、不潔感があるのは
ちょっとね、と個人的には思う。
あ、これは居合やってる人の道着もそうね。パリッとしていないと。

普通のウールのベレーもこんな感じで(笑
1972年当時でこのようなかぶり方をしていたのは日本では稀有だ。
スタイリストさんに脱帽である。

魔法が解ける前の白雪姫(涙)。

娘は羽田空港で筆入れの中のカッターを没収されたそうだ。
逮捕されなくてよかったね(苦笑
文房具のカッターナイフは6センチ以上刃渡りがあるから、その気に
なれば取締官は逮捕できます。
カッター所持を口実に銃刀法違反で逮捕しはじめたのはオウム事件
から。


この記事をはてなブックマークに追加

小柳ゆき I WILL ALWAYS LOVE YOU

2014年09月26日 | 音楽

小柳ゆき/I WILL ALWAYS LOVE YOU

素晴らしい!感動しちゃったよ。

こちらオリジナルですが、上の動画と聴き比べると、ホイットニーの
声質に小柳さんの声がとても似ている
ことがわかります。
(涙なくして聴けないホイットニーバージョン)

Whitney Houston - I Will Always Love You - Lyrics


この記事をはてなブックマークに追加

拵金具 ~物語を~

2014年09月26日 | 日本刀

友人が康宏新作注文刀の拵用に鐔をネットオークションで落札した。
鉄味もデザインも結構イイ!
というか、鐔選びに悩んでいた風で、「これなんかどう?」と私が
ウォッチリストに入れていた鐔を紹介したら、ズバッと落札した(^^

拵を新作するにあたり、武用刀なので美術刀剣拵のような超高価な
拵はなかなか作れない。美術刀剣拵は最低でも金具抜きで80万円~
というような感じだからね(^^;
それに、私は一度柄前だけを美術刀剣商に頼んで作ったことがある
のだけど、使ってるうちに糸巻きが緩んじゃった。
柄糸の裏には薬練(くすね)という松脂と油を練って調合した接着剤
を塗るのだけど、もしかして、それしてないのかも・・・。
薬練は、弓の弦などにも塗りこんで補強したりする。「手ぐすね引いて
待つ」などと言う諺は、この武具専用古式接着剤の薬練から来ている。
柄前に薬練を使用したのは、古式では鮫巻きによる補強だけでなく
薬練自体がコーティングの役目も兼ね、柄の強度を確保した。

現代武用刀剣刀職仕事は美術刀剣界からは「あれらは日本刀ではない」
などと一段も二段も下に見下されたりしているが、では実用性はどうかと
いうと、実用上は現代武用職方の仕事はかなり練れている。
使えない権高(けんだか)な美術刀剣よりずっといいと私は思う。
だって、使えない刀装具って、刀を使う武術の人間からしたら意味がない
物だもの(^^;
鳴らないギター、調子外れの笛、響かない太鼓・・・走らないレーシング
マシン・・・飛べない墜落する飛行機・・・こういうのを求めている訳じゃないん
だよね(^^;

いくら威張っても駄目なんす。実用に使う人たちは実を求めているのだから。

友人は拵金具を揃えるにあたって、何に基づいたらよいのかと尋ねて
きたので、「物語を作ればよいのでは」と答えた。
和歌、俳句等がサラッと作れない武士はいない。
俳諧は日常の悲哀や感受を、そして和歌は辞世の一首を詠む際に絶対に
必要だ。武士なんてのは和歌が普通に詠めてナンボだ。
恋愛もね、相聞歌がさらりと詠めて、互いの安否を気遣ったりして気持ちを
通わすような風雅が武人にも欲しいところだ。
刀装具の金具選びには、ひとつの物語を自分で演出する楽しみもある
ように私には思える。
チグハグは駄目なように感じる。
材質や描かれている世界や職方の系統等が統一性を欠くバラバラだと
妙なことになる。
肥後拵には肥後系だったり、赤胴魚子(ななこ)地は魚子物で揃えたり、
虎には竹だったりとか。
洒落で馬と鹿を揃えても、それはシャレにならなかったりすると思える。


ただ好きだからと集めた物を着けると、このようにまとまりがなくなる(笑

全て在銘物のそこそこな物だが、まとまりがない。

加州(と思われる)新刀の拵を新たに作る時の物語は最初、雁でまとめ
ようかと思っていた。

ワイルドギースだ。
しかし、たまたま紹介されて手に入れた雁の縁頭は肥後だった。
肥後拵に加州物・・・。
まあ肥後拵で有名な信長拵があるので、刀身が北国物でもおかしくは
ないのだが、少しイメージが違う。ということで思案中。

(雁と草の図/肥後)

金具選びには物語を持たせたい。


この記事をはてなブックマークに追加

小説『研ぎ師太吉』(山本一力/新潮文庫)

2014年09月25日 | 文学・歴史・文化



一度読みかけてやめた小説だが、再度気を取り直して読んでいる。
作品の作りはいいのだけどね。どうしても細部において「やってはいけ
ないこと」を数多くやらかしている。

現在、深部まで読み込み中。

直木賞作家の作だが、三十五が二十五だったり十五だったりしたら
いけないと思うのよ。やはり時代小説は特に。
極端な例が、将軍吉宗の時代に江戸城天守閣があったりとかの類
なのだけど、それと同じようなことを一つや二つではなく、この作品では
やらかしている。
技達者な研ぎ屋の使う砥石が真ん中が凹んだ砥石とかね(^^;
要するに、作者はよく知らない、というか圧倒的に多岐に亘り調査不足だ。
それがさも解ったように説明文的に記載されているのだが、全然歴史事実
と異なる(異説などというものではなく事実そのものの誤認)認識で筆を進め
ているから、とんでもないことになっている。
時代小説は、たとえエンターテイメントでも歴史考証はきっちりとする部分は
しないとならない。
知行取りと蔵米取りをまるっきり混同していたり、四公六民を無視して
いたりとか、「家禄四百俵取りの御家人」などということは絶対にやらか
してはならない。
他にも、この小説ではその類が沢山出てくる。
さらに、江戸の職人に話す言葉をあえて伝法な台詞回しでしゃべらせて
いるが、微妙にタッチが異なるし、正確な江戸弁ではない。
そいつぁいけねぇよ。
作者は高知出身で世田谷の工業高校卒とのことだが、江戸文化について
研究不足というか、あまり詳しくないみたい。
詳しくないなら詳しくないなりに別なエンターテイメントとしての展開が
あろうというものだろうが、妙に歴史考証部分は説明文調に解説したがって
いる。
ところが、それが歴史事実とはまるで異なることが多いので、すっとこどっこい
になっちまってる。

それらについては後に追記で解説したい。
第一ね、町方包丁研ぎは「研ぎ屋」と呼ばれ、刀剣研磨師のみが「研ぎ師」
と呼ばれたんだよね。これは江戸時代には明確に区別されていたし、その
意識は史料にも見られる。
要するに、『研ぎ師太吉』においては、作者の書き手の下地というか歴史事実
についての認識の底が浅すぎる。
直木賞作家だが、ことこの作品に関しては、事象描写がプロの職人技とは到底
いえない。
職人を題材に据えているのになぁ。いけねぇよ。もっと仕事を身近に引き寄せ
て時代物は書かないと。
時代小説を書こうとすると一冊の時代考証辞典ができてしまうと気づいて
「こいつぁよくねぇぜ」と悟った長野峻也氏などは、その点に関しては自分を
見る目があるね。
映画の『眠狂四郎』などでは、拳法を使う若山富三郎先生が「狂四郎、俺の
少林寺拳法と貴様の円月殺法、どちらが勝つか勝負だ」とかいうような
セリフが出てくるが、こういうのはやったら駄目なのよ。少林寺拳法は昭和に
「発明」された新拳法なんだから。
『水戸黄門』で八兵衛が「御隠居、チャンスです」と言うようなもので、そういう
のは駄目なの。
シャレでやるならともかく、この小説『研ぎ師太吉』では大真面目に歴史事実の
説明場面でそのような大出鱈目が多すぎる。
作品の流れとか脇役のキャラとか心象描写がとてもいいだけに、実に惜しい。

のちほど、部分部分を指摘しながら追記します。
歴史事実を知っている人は、多分「え~?それはないでしょ」と思うのでは(^^;


この記事をはてなブックマークに追加

外へ向かう力

2014年09月24日 | 文学・歴史・文化



古書店で『日本刀工作便覧』(光芸出版/1972年)を購入した。
カバー無し(^^

この本、かなり面白い。


昔の書籍は内容が濃いなぁ(^^)
よく取材して編集もしっかりしているよ。
1970年代の刀剣書関係では、光芸出版が飛び抜けている。
今の時代、どうして「おもしろい!」という刀剣書が少ないのだろう。
ネタ切れということではないと思うけど・・・。
今の人のパワーの問題のような気がする。
IT関連は1990年代に革命的なことが多くでてきたのだけどね。
刀剣界は1970年代が画期的で飛躍的な展開を見せたが、今は
閉塞感に覆われている。
なんというか、近視眼的な感性の蔓延というか・・・。
人がつまらないから作る本もつまらない。
それしかないように思える。
ネタなどいくらでも転がっている。
作り手の問題だろう。
映画の世界は1990年代からこれまでの殻を破り、今世紀に入って
からも外に開いているよね。
内向的な閉塞というのは人の心にも歪みをもたらすように思える。
スティーブ・ジョブズは大きかった。



この記事をはてなブックマークに追加

鋼の感触

2014年09月23日 | 刃物



きょうはお彼岸でした。
お墓まいりは行きましたか?

包丁を研いだ。

家庭用なので日常的に使うのはこの4種だが、多用するのは一番
右のインテグラル打ち出しの全鋼包丁だ。ヒルト部分を別パーツに
したほうが効率的ではないかと思うが、同一材料から打ち出しで
一体成型されている。

ただし、鋼だけをみたら、左の出刃包丁の鋼のまとめが一番良い。
砥石との相性もあるのだろうが、同じ砥石を使って同じように研ぎ
上げても、この出刃が一番「切り味」がいい。
コピー紙を使った「切れ味」テストをすると、切開する切れ味は右の
西勘牛刀と変わらないが、「切り味」がまったく異なる。なんの抵抗も
なく極めてなめらかに切れるのだ。
これは刃厚による抵抗も多少は影響しているのだろうが、刃先先端
の微妙なタッチが異なるのは切ってみれば体感できる。
無名包丁職人が作った出刃だが、この個体はアタリ個体だ。
新婚旅行の高知(今時国内旅行。笑)の露店市で購入した。これは
大正解だった。他の出刃とか使わないもの。

ただし、刃物は研げば減る。
右の西勘などは30年でかなり減った。
それでも、原形の相似形で縮小していくように研ぐよう心がけている。
下手な研ぎ方をすると、コンコルドの機首のような形になってしまう。

鋼の不思議。
原素材の要素が大きいが、同じ鋼を使っても鍛造過程でかなり性格も
変わる。
それゆえ、同一鍛冶でも一品一品の出来にばらつきがあるのだろう。
だからこそ、幕末に山田氏と柘植氏がまとめた日本刀の切味業物位列
でも、「10本中何本切れ物を造れる作者か」という製品クオリティの視点
でランキングをつけたのだろう。古今東西の万余の刀鍛冶のうち12工
だけ選ばれた最上大業物作者とて、10作中10作すべてに最上大業物
が作れるということではない。一定レベルを超える品質をどれだけ確率
的に確保できるかが一つの鍛冶職の腕といえたのだった。
刀も打刃物ゆえ、かなり個体によって差がある。
元々鑑賞も、見た目上の働きや景観を表面上追うのではなく、いかに
丈夫で切れるか、それに寄与する働きとしてどんなことがどのように
刀身に現れているか、というところで観賞していたことだろう。

合わせ鋼の包丁はテンションがかかっているのか、研ぎこんで行くと
表か裏のどちらかに湾曲するように面が反ってしまうことがある。
鋼は合わせてくっついていても、その引っ張る力の配分が研ぎ減りに
より崩れるからかもしれない。
上の画像の薄刃包丁は1979年に私が大学に入って一人暮らしを
する際に購入した和包丁だが、最初はまっつぐな平面の個体を選んだが、
35年経った今、面に対して軽く反ってしまっている。
このような現象は、日本刀でも生じる。

たまたま私の天正八年の古刀にはその現象が出なかったが、樋を掻くと
まったく樋中がよじれるようには彫っていないのに、刀身が表裏のどちら
かにグイーンと曲がることがあるという。
これは樋のない刀を研いでいても生じたりするという。
元を研いでいたら先が曲がったり、先を研いでいたら中や元がねじれたり
することがあるらしい。
身近でも、刀に新樋を掻いたらかなり曲がって、研ぎ師さんが苦労したと
いうケースがあった。

これが合わせ鋼構造によるものかどうかは私は知見を有しない。
そもそも刀身の構造というのは、切断してみないとどのような組み合わせ、
内部構造になっているのかは判断できない。かろうじて三枚系が鋼と低
炭素鋼の境目にある種の働きが出るので三枚系ではなかろうか、という
推測が立つのみで、甲伏せか無垢かなどは見た眼からは判断できない。
甲伏せでも私の備前物などのようにかなり研ぎ減って刀身が薄くなっても
ほんの一部しか心鉄が出ておらず、そのことから内部のアンコが極小極薄
で、「なんのために心鉄構造にしたのだろう」というような造り込みの刀もある。
ほとんど無垢と変わらないような構造だからだ。
ただし、無垢は硬軟の鋼を細かく合わせていくのが通常で、板状に同一鋼を
伸ばした部材を貼り合わせた構造とは根本的に設計思想が異なる。
私の備前数打ち物はいってみればナイフのような構造なのだろうが、これが
どういう訳か比類なき頑丈さを持っている。
鋼というものはよく解らない。
現在の識者たちの所見も、「こうではなかろうか」という程度のものであり、
「これがこうである」とは断定できないのが実情だ。
ゆえにかえって鋼の探求は面白い。

天文年間からの銹(さび)の色合いが非常に良い私の備前刀。
長船住の新衛尉さんの数打ちとほぼ比定できる個体だが、嘘のような
頑丈さを持っている。これも斬鉄刀だった。
刀身には戦国時代の合戦の痕が数か所残っている。美術刀剣界でも
それらを「誉疵」と称して美術的価値を下げないという風潮がまだ残って
いるのだけは救われる気がする。
この刀で椅子の肘掛を切断してしまったことがある。我ながら若気の至り、
真似しないでほしい。


棟重ねが6ミリ強ほどに薄くなっても信じがたい頑丈さを有する刀と
いうのは、一体どうやって作者は鋼をまとめていたのだろうかと思う。
ただし、この個体はなかごの厚みがかなりある。8ミリ以上ある。
戦国刀というのは、甲冑武者への斬撃も視野に入れているので、
このような厚物が常識的だったのだろう。
だが、それがかなり薄くなっても、折れ曲がりせず、刃も充分にあり、
切れ味においてもまったく問題がないどころか、非常に大切れする。
450年を過ぎても、まったく本来の存在意義がひとつも損なわれない。
本物の日本刀というのは、大したものだ。
幾星霜を駆け抜けて現代まで存在しているが、まだ生きている。
人の命は五十年。最近は長生きになって八十年か。
刀の命は一体どれくらいなのだろうか。
科学的にはマルテンサイトが消滅するのは数万年と云われている。
数万年後に人類は地球上に存在しているのか。
おそるべし、日本刀。
タフネスだからこそ生き残れる。
人も心と体は頑強でありたい。


『三匹の侍』(1964年)から。ちょうど50年前の映画である。
真剣が撮影に使用されている。柱への斬りこみなどは本物の刀に
とっては普通にできることだ。動画サイトで米国人が畳表ごと心棒
に斬りこんだことに驚いていたが、刀にとってはそんなことができる
のは本来は当たり前。今の時代の現代刀は、折れ欠けという当たり
前でないことが当たり前になっているだけのことだ。

持つならば本物を。


(追記)
人間正直だね。
家内が今回の刃付けに対して、切り味が気に入らないと言ってきた。
微妙に刃先を変えたのを感じ取っている。
「どういうのがいいの?」と尋ねたら、「前々回の刃」という。
わかっちゃいるんだけどね。前回も今回もそれにはしなかった。
別な砥石で前々回と同じ「切り味」のタッチを体現できないか試している。
すまん、妻よ。実験台になってもらって(笑
まあ、フィードバックでのセッティング煮詰めは大切だよな。
サスセッティングなんて、向こうを立てればこちらが立たずで迷路だもの。
油面だけでなくバネレートと減衰力の絡みはとても複雑だ。

ということで、さしあたって、前々回と同じ手法で刃を付け直した。
妻は満足げだったが、また別方法をトライするよ。
面白いのが、「切り味」については、俺個人の好みと家内の好みは明らかに
違うことだ。私はスルッという切り味が好きで、妻はザクッというのが好み
のようだ。紙切りテストではどちらもスパスパなので差異を掴みにくい。
やはり食材を実際に切ってみるとよく分かる。

切れるか切れないかという物理的側面が切れ味だが、切り味というのは
主観的な好みに属するものだ。たとえるならば、料理の味に似ている。
家内が好む切り味はどうやったら出せるか解っているが、別な砥石と
別な押し方でそれが出せないかと試している。
かみさんには、今しばらくつきあってもらおう。

つーこって、今から晩御飯にする。
今夜はサケのホイル焼きだ。きのことタマネギスライスとレモンをアルミホイルで
包む。御御御付けはジャガイモとワカメで、味噌は赤と白の合わせで、
出汁は煮干しとかつぶしだ。きゅうりの沢庵も忘れない。それと、試し切りの
ザク切りトマトだな(笑
アルミホイルの発明ってすごいよね。あと特筆ものはラップだよ。
日本のラップというのは世界一の品質らしいよ。刀もね、鞘が無い時は、
油引いて、ラップで空気抜きながらぺたんと刀身を真空パックのようにパッキング
すると保存が効くよ。
アルミホイルなんて、宇宙人の発明じゃないかというくらいで(笑
職場のPCがどうしてもラジオ音声を拾ってしまうのだが、コードをアルミホイル
で包んだら電波を拾わなくなった。
デムパってのは、困ったもんだ(笑


この記事をはてなブックマークに追加

栗うまし

2014年09月23日 | 風情・季節・地球



伯母が危篤だ。
日帰りで東京まで見舞いに行って帰三した母に友人が煮た栗をくれた。
おすそわけで頂いた。
かなり大きな栗の実だ。
食した。味は良い。
秋だ。
時の流れをしみじみと感じた。
だが、なんだか普段通りには喜べなかった。


この記事をはてなブックマークに追加