渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

朝の羽田空港

2012年11月29日 | 外出・旅



朝の羽田空港のこの雰囲気が好きかな。


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平仮名入り墨書土器発見 〜平安京跡〜

2012年11月29日 | 文学・歴史・文化



わあ。これはすごい!

  <漢字から平仮名への変化>
  


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A.G.ラッセル 〜ナイフ〜

2012年11月28日 | 刃物

A.G.ラッセル 125RP-01

とても美しいナイフだと私は思う。
ハンドルには白蝶貝とアバロン(あわび)のインレイがあしらわれている。

白蝶貝(しろちょうがい)

真珠は私の誕生石でもある。

アバロン(あわび)


白蝶貝やアバロンはアコースティックギターのインレイなどにも多く使われる。
また、日本でも飛鳥時代から刀装具などの螺鈿(らでん)に使われたりした。

私の別なラッセル・モデル、刃長49ミリ。エレガントだ。


こちらのラッセルナイフのブレードシルエットはフランス風のヨーロピアンスタイルである。
上のラッセルとは大分ブレードデザインが異なる。

刃長は68ミリで長すぎず短すぎず、ポケットナイフとして丁度よい。
このナイフの横にブローニングやコルト等の銃器メーカーのナイフを並べると、
正倉院の刀子(とうす)と蛮刀くらいの差を感じてしまう。
まるで小説『新選組血風録』(司馬遼太郎)の「菊一文字」の短編の中に出てきた
近藤の虎徹と土方の兼定、それに沖田の菊一文字則宗を並べた時の描写のように
思える。

ブレード・ロックの方式はライナー・ロックである。


アクションは極めてスムーズだ。




いくらナイフは実用として使い倒すものと言っても、このようなナイフをアウトドアに
持って行ってヘヴィ・デューティに使う気にはなれない。
このナイフが似合うのは、ブーツと焚火ではなく、ドレスにタキシードだろうと思うのだ。
フォーマルウェアに身を包む場面で、そっと紳士がポケットに忍ばせていて、ご婦人に
さりげなくケーキを取り分けたりして差し上げる、そんなナイフだろう。





一般的にラッセルナイフというと、こういうタイプが思い浮かぶ。

いわゆる戦闘用のコンバットナイフだ。かつて各国の特殊部隊などでも採用していた。
しかし、日常的に使うハイセンスなナイフもラッセルの得意とするところだ。



ラッセルナイフの特徴は、「所有したくなる」というところ、といえるだろうか。

アンドリュー・G・ラッセルは、1933年に米国のアーカンソー州に生まれた。
彼は9歳の時に曾祖父からナイフの造り方を教わり、その後趣味や職業として
ナイフを作るようになった。1964年、ラッセル31歳の時、彼はナイフの販売に
専念するようになり、雑誌等のメディアを大いに活用してアメリカン・ナイフ界に
足跡を残した。そして、1970年、彼はナイフ・コレクターズ・クラブと共同設立
した「ナイフ・メーカーズ・ギルド」を創設した。今日までアメリカン・ナイフ業界に
多大な功績を残した彼は、1988年にブレードマガジンで殿堂入りを果たした。
彼のナイフ・プロデュースは、ナイフ製造職人と提携し、独自ブランドで質の良い
ナイフをリリースする手法であり、これも彼が世界で魁(さきがけ)といえる。
ファクトリーラインにおいては、日本のMOKIナイフと提携をしており、世界トップ
クラスの品質のナイフをユーザーに提供している。
現在アンドリューは79歳。
長生きしてほしい、ナイフ界の先達だ。

私も自分のラッセルナイフは、大切にしていこうと思っている。
今年のクリスマスのケーキは、ラッセルで切ろうかな(^^


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居合の稽古 〜尾道〜

2012年11月27日 | スポーツ・武道など

先週は1週間のうち4日居合だった。
毎週火曜の夜は尾道の高校の剣道場で稽古である。

今週は、「原点に戻る」というテーマで合同稽古をした。
大切な基本からやった。
理合から理解し、それを体現していく。
これは自宅でもできる稽古法なので、反復して覚えることができる。
やるべし。


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ファスト・ドロウ 〜銃の居合〜

2012年11月27日 | スポーツ・武道など

アメリカのファスト・ドロウ。シングルアクション・リボルバーによる銃の居合だ。
アメリカは手軽にハンドガンの実弾射撃ができるからいいよね。
まあ、大西部では銃はなくてはならない物だったのだけど。
それにしても、よくリンゴや風船をドロウ・ショットで中てられるなぁ・・・。


Fast Draw - Howard Darby on More Extreme Marksmen



こちらは私のドライファイア(空撃ち)でのドロウ。
SLOW DRAW-COLT .45 SAA-


日本でも昭和20年までは街の銃砲店で誰でも拳銃を買えたというのは
意外と知られていないみたい。オートのブローニングM1910なんて
とても人気があったのよ。

これは息の長い銃で、日本軍の将校や戦後の警察でも使われた。
私服刑事なども1980年代までは普通に携帯していた。

ただ、ファスト・ドロウとなると、やはり19世紀のシングル・アクション・タイプ
の銃になってしまう。シングルアクションのドロウ・ショットは、世界一の速度
でショットできる。カウンターシグナルなしのセルフ・ドロウ(任意の抜き撃ち)
での世界記録は0.06秒だ。これは1960年代の10代の時にマーク・リードが
記録した。
何度やっても0.06秒を記録した。彼は天才だった。
記録をマークし続けるから「マーク」というニックネームがついた。
今はハリウッド映画にはなくてはならないガンファイト・コーチ=「殺陣師」に
なっている。
Thell Reed: Hollywood's Hired Gun

こちらはコルト.45シングル・アクション・アーミー(複製)の説明
Uberti 1873 Single Action Cattleman Cartridge Revolver


こちらは本物。1873年1stジェネレーションの後期タイプ(無煙火薬)の1902年製。
Colt 45 SAA ( First Generation )

いい色してるね〜。
所有者ご本人も「ナイス パティーナ」と言っている。

こちらは私の工具、19mmレンチ。ナイス、パティーナ(笑)
実銃の色みたい。ハイス鋼だけどね。


今の日本の場合は実銃の拳銃を合法的に所持携帯できるのは法執行機関に
勤務する公務員だけで、一般民間人の所持が今は禁止されているから、
国内でスポーツ射撃はできない。.22口径ピストルのオリンピック選手も銃保管は
警察でだし、選手もほとんど警察官か自衛官だし。
戦後の刀狩りと共に民間人の拳銃所持が禁止されたけど、よく考えると
変な法律だよ(苦笑)。それまでは拳銃所持OKが普通だったのだから。
まあ、それでもいいんだけどね。拳銃のない社会でも(法律用語は「けん銃」)。
かといって、現代の日本がそれほど「文明的」になったとは思えないんだけどな(笑)。
あまり知られていないところでは、かつての日本では郵便配達員は拳銃を
携帯していたのよ。これは現金輸送したりするから自衛のため。まるで西部開拓
時代の駅馬車みたいな感じだね。
今の日本は、ナイフどころかマグライト(懐中電灯)を携帯していても逮捕されます。
筆箱の中にカッター入れていても、状況によっては逮捕です。刃渡り1センチの
刃物でも持ち歩いたら逮捕です。
どうやら、そういう世の中になったようです。

昔、居合を始めた頃、稽古帰りに道場仲間と居酒屋に行くのが常だった。
ある時、店に仲間と入って行ったら、隣りの席の若い金髪の白人のあんちゃんが
我々を見て、
「その肩にしょっているのはライフルか?」とイギリス英語で訊いてきた。
だから「カタナだ」と言うと、日本語サッパリなので「Katana? What's that?」
と尋ねてくる。ジャパニーズ・ロング・ソードだよと答えると、なぜ持ってるの?と
訊くから「イアイの稽古で使うんだ」と言うとこれまた解らない。だから、クイック・
ドロウでカッティング・ダウンのタクティカルの際のエクササイズ
なのよ、と教えた。
更に「ケンドーか?」と訊くから、ファスト・
ドロウのテクニックでアダプテイボーなもん
なのよ、ビロング トゥー剣道なんだけどさ、と教えたら納得していた。

彼は「オゥ!ケンド〜。アイ シー」とか言いながら、自分のギターのハードケースを
ポンポンと叩いて、「This is my long guitar. フェンドォァ〜」とオヤジギャグを
言ってた(笑

ストラトかテレキャスか訊いたら、フェンダーのストラトだってさ(^^)
その時は、金髪あんちゃんとビールを一緒に呑んだよ。
今は居合稽古の帰りに日本刀持ったまま食事や飲みには行けなくなったので、
こういう出会いも不可能になったね。

米国人だけでなく英国人もサムライと発音できなくてサミュライなんだね。
字で書くとsamurai だからサミュになっちゃうんだろう。ま、内職で苦労した人
多かったから some wright と書いた方が意味も発音も合ってるような
気もするけどね(苦笑)。実質的な江戸シティの家内制手工業を支えていたのは
幕臣の下級旗本と御家人だったしのぉ・・・。現在レートに換算すると、生活保護
受給額の半額以下が下級武士の年棒だから。御手当だけでは暮らせないのんす。
地方ではもっと厳しい。映画の『壬生義士伝』なんか観てたら涙が出るよ。口減らし
の為に武家の奥さんが入水自殺しようとしたりして。職業選択の自由なんてないから、
侍辞める訳にいかないし、よく明治維新まで武士たちは生き残っていたと思うよ。
江戸時代を称して「誰もが侍に憧れた」なんて言うのは、歴史の現実を知らない
不勉強な人間の寝言ですから。「パンがなければケーキを食べればいいのに」と
同類のトンチキな話さね。 



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六本木 ワインバー グリンゴ

2012年11月26日 | 内的独白

六本木のワインバー「グリンゴ」のマスター、近藤 Joey 雅弘から電話あり。
11/17の10周年記念パーティーは盛況だったそうだ。Good.


カウンター奥の絵は近藤氏が描いた絵だ。
落ち着ける空間で、ワインをどうぞ。




ワインバー グリンゴ 食べログ







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福山市長杯 居合道

2012年11月25日 | スポーツ・武道など


試合中ナウ!

 


(16:00追記)
私は一回戦、広島県の全日本選手と対戦し、3-0でドボン。
以前、私は福山市長杯では決勝まで進み2-1で負けて準優勝、翌年は3位となった
ことがあったが、今はだめだね〜。
全日本の強化訓練後の選手ってすごいね。春の選手選抜大会の時よりず〜〜〜っと
すごいことになってるよ。私は懸命に抜いたけど、今の実力ではこれでパンパン。
精一杯やりました。
しかし、相手が全日本選手だろうと、いずれこの人に勝てる力をつけないと全日本大会
には出られない。がんばろ(^^;)
ただ、撞球でもそうだけど、現時点で力に差がある場合、向こうが10稽古したら、
こちらはその倍以上稽古しないと、同じ10のままだと差がついたまま10進化する
だけなんだよね。差を縮めて追い抜くためには、大切なことがある。
私が撞球の場合どうやってそこを乗り越えたかというと、とにかく撞き倒すことだった。
撞いて撞いて撞きまくることだった。寝る間も惜しんで撞き抜いた。そうやってはじめて
ボウラードでも260を出し、いつやっても200点以上出せるようになった。撞球の試合
では「駆け引き」があるけど、「地力」がないと駆け引きさえもできないし、試合には
ならない。撞球なんて、てきめんだよ。練習でもセンターショットを100発撞いたら、
100発がすべて穴の真ん中に入って、手玉がビタッと中央に停止して動かない(動いたら
カウントしない)ような正確なショットができるようにならないと話にならない。ドロー
(引き球)でも、きちんと狙い通りにポケットさせてからギュギューンといつでも狙い通り
に引けないと意味ないし、フォロー(押し球)にしてもそうだ。
第一、「選手」というものはプロでもアマでも、どんなスポーツでもいつも「練習」して
いるでしょう?練習なしに能書きだけで実力はつかない。コツをつかむとか、理屈が
解るとか、そんなレベルはあったりまえの大前提であって、それより先の問題が絶対に
ある。いくら「研究」しても、実力はつかない。
やっぱり、武道にしろスポーツにしろ、「勝負」というのに必要な実力をつけるには稽古
しかないと思う。しかも効果的な。精神論では乗り越えられない。近道というのはない
ように感じる。他の人も、本気の人は、いろいろなことやってる訳だし。頭で考えたり、
「要諦を理解した」だけでは深化も進化もないと思う。
自分一人だけでやっていると「自分に力がある」なんて錯覚しがちだけど、人と対戦すると
自分がどんなものかよく分かるよ。高段者である審判は見逃さないし、結果は冷徹に
出る。まさに「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負けなし」(松浦静山)という
やつだね。
尾道の剣友に言われちゃったよ。
「昔毎日500本抜いたその貯金をもうすでに使い果たしちゃいましたね」と(^^;
それに、きょうの私の居合で悪い部分を具体的に指摘してもらった。
居合の場合、人に見てもらって「現象を指摘してもらう」ということがとても大切になる。
その指摘をしてもらうのに段位の上下は関係ない。見たままを言ってもらえばよい。


広島県、島根県、岡山県、香川県、他からの参加者だった。
香川と岡山は英信流、広島と島根は神伝流だ。
本日も私は広島県でただ一人の英信流だったのす。
がんばろ(^^)


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本日の夜明け

2012年11月25日 | 内的独白



きょうの夜明け。

さあ、居合やりに行ってくっかな。


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秋深し (冬だけど)

2012年11月24日 | 内的独白

旧暦では冬であるが、現在の暦では秋である。晩秋といったところか。
昔ならば1月は春なんだけどね。「初春のお慶び」とか言うしな〜。

君子蘭の屋内搬入のために実家に行った。
母が趣味で増やした君子蘭が数十鉢あり、寒くなる今の時期から
冬の間屋内に入れるためだ。

庭の楓(もみじ?)も色づいてきている。


別なもみじはもっと紅くなっている。


以前、18年ほど前だったろうか、神奈川の居合の師匠と二人で大阪大会に行った
ことがあった。
大阪城のもみじが真っ赤に色づく季節だった。
二葉だけ葉をもらい、それを東京に帰ってからパウチっこにして
しおりにした。
一枚師匠に差し上げた。
私は今でも持っている。真空パックなので、今でも
紅く色づいている。

落葉樹は葉の処理が大変だけど、季節感を感じさせるので美しいと思う。
これは杏子の木。


庭と言っても、実は庭とは呼べない。
なぜならば・・・
サバイバルゲームのフィールド状態だから(笑)


中に進むとこんな感じ。




あら?
イチョウもあったの?
でっかくなったらどうするんだよ?(笑



これは藤棚。きれいな藤の花が咲きます。


オマケ。喜んで家の中と庭を走り回ってた帰り道。名残惜しそうな本日のカワウソ(^^)





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土佐居合

2012年11月24日 | スポーツ・武道など



土佐居合に三派あり。
谷村派、下村派、山内派と呼称されている。
私が習ったのは谷村派である。

昨日友人から借り受けたこの書は大変興味深く読める。
ただし、実を言うと、所作の違いは多少あれ、理論的内容は土佐の古老から
習ったことだった。居合を習うには「形」の所作だけを習っても深みはない。
「なぜなのか」という理屈と思想性を学ぶのだ。
この『京都山内派 無雙直傳英信流居合術』は、「口伝」部分にまで踏み込んで
記録されている。300部限定出版だ。

その中で、大変ためになることが記載されているので引用紹介したい。

四 おわりに−「居合など何時やめてもよい」ということについて−
 右の如く口伝や換え業について述べ、参考になると思われる資料を引用した。
この作業を通じて思うことは、「大江先生が明治になって業を統廃合した」と言わ
れるが、少なくとも山内派に関してはその痕跡が見られない。むしろ「番外」
や「早抜き」が付け加えられた分、増えていると言ってもよいのではなかろうか。
江戸時代、英信流は土佐に入ってから正座の部が付け加えられているし、又、
伝書にない業も付け加えられていることから、江戸時代を通じて業は新たに加
えられたものや、忘れられていったものもあると思われる。しかし、目録に載ってい
る業については、「技術的に伝えたい肝心なこと」は変わらずに伝え続けられて
今日に至っていると考えられる。ただ、その技術を学ぶこと・伝えることの意
義付けは時代によって大きく変わっていると考えられる。『根元之巻』を見ると
「生死一体戦場浄土也」と言う言葉が見られ、初期の英信流が討つ者も討たれる
者も共に往生するという中世武士の往生観をもつものであったことが読みとれ
る。言い換えれば、その当時の人々にとって居合は相手も自分も共に往生する
ための技術として受容されていったと考えられるのである。しかし、山内派の
伝承は「知・仁・勇」と言うことを述べ、中世的な、「共に往生するため」の居
合という要素に加え、人間の社会をどう生きてゆくのかを学ぶものとして居合
をとらえるようになっている。かつて中世の武士達が「生きる者(=討つ者)
も死ぬ者(=討たれる者)もついには共に往生する」という意味で「生死一体」
と言っていたのに対して、山内派に残る江戸期の伝承では「殺す・殺される、
即ち死を見つめることによって生きると言うことを学ぶ」という新しい「生死
一体」観を後世に伝えようとしていると言えよう。
 このように、極端な言い方をすれば、学ぶべき「業、技術」は全く変化をし
ていないのにその業と技術を学ぶ意味というのが時代によって変わっているの
である。とは言え、江戸期の先人達は全く中世的な発想を否定していたわけではな
く、それはそれで学んだ上でその時代の中で改めて「英信流」を学ぶことの意
義を模索し、その結果と先人の心とを合わせて伝えている、といことが伝書
や換え業、口伝などの伝承を学ぶことによって浮かび上がってくる。こういう
姿勢はあるいは土佐に入る以前の英信流にはなかったものかもしれない。しか
し、山内派がこういう居合の学び方を伝えているのは、居合を単なる戦闘技術
に終わらせるのではなく、自分が今日を生きる上で生きることに何の意味があ
るのかを考えるものとして、更にいえば自分が生きていることの意義を見いだ
すための一つの方法として居合を後世に伝えようとしているからなのである。

「居合など、いつやめてもよい」という口伝
 この口伝は、技術的な要素で言えば「執着しない」ということを教えている
のであろう。しかし、この言葉はそこでは終わらない。最終的に自分が生きて
いることの意義を体感するための居合であり、もし、それが体感できたならば、
次は自分がどう生きるべきか、何をなすべきかを見いだし、更に不退転の覚悟
でそれをおこなうことができたなら、その人に取って(ママ)の居合は、「その使命を終
えた」とさえいえるというところまで気がついて欲しいがための言葉である。
それ以外に居合を続けていくことに意義を求めるとしたら、それは「自分の生
きていることの意義を捜す一つの方法としてこういうのもあります」というこ
とを社会に提示するため、という意義付けが出来るであろう。そしてまた自分自
身にとっては、自分のなすことを見失いかけたり、不退転の覚悟が揺らい
だときに、それを再確認するものである、と言えようかと思う。以上のように
見てくると、山内派の居合の特色というのは、実はその技術にあるのではなく
て技術の受容の仕方、「居合とは何か」という、居合のとらえ方、居合に期待す
る精神的なものは何かということにあると言えよう。山内派にとって「居合道」
ではなく、「居合術」であるのは今更事新しく「道」などと言わなくても「術」
には「みち」の意があるということもあるが、なによりも居合そのものはあく
までも技術であり、道は技術の中にあるのではなく自分自身の中にある、と考え
るからである。」

また、宗家伝承について、現在も宗家制と宗家乱立、現行蔓延する商業居合での
観念を拒否
する土佐英信流山内派は、次のように断言する。

「 それは武家文化の重み、「家」の持つ文化的な重みを大切にし、その重みを感
じることで先人の心や先人が居合や社会に対して持っていた使命感を感じ取っ
て欲しいからである。それがなければ傳書(=根元之巻)も「何代目」という
言い方も、本文中に引用した「魚の磯くさきは新敷まゝ、一段の賞翫也。武士
の武士くさきは見られぬ者也。散々の事也」の言葉に見るような「散々の事」
を平気でする俗物を作り出す道具と成り果ててしまう。もっとも「葉隠」によ
れば旧幕時代、こういう人のことは「芸者」と呼び、技術はあっても心がない
ということで、武家社会では大変馬鹿にされたようである。もちろん山内派の居合
はこのような俗物を生み出すことを目標とはしていない。」

三派に分かれた土佐英信流であるが、谷村派において私が習ったこともまったく
この通りのことを皆伝者山本晴介直弟子の私の師匠、並びに兄弟子大師匠
である
日浦眞蔵範士から教えられてきた。
また、土佐の澤田友信範士からの教えも、『京都山内派 無雙直傳英信流居合術』に
記載されている内容そのものだった



土佐英信流においては、免許皆伝による相伝という制度は英信流谷村派では十七代
高知県士族大江正路の直弟子の列-
山本晴介の世代のライン-で終わっている。

同流派の同じ業でも業の形の違いは伝系によりいろいろある。

しかし、そんなことは土佐居合にとっては表層であり、些末なことだ。
もっと大切な根元が土佐英信流には存在する。
その軸がぶれないことが土佐居合を学ぶ上で一番大切なのだと私は思うのである。
それは尾張藩において新陰流が存在して藩主と柳生の血脈が道統を交互に
継いだように、武士の在り様としての「剣の道」とはなんであるかということを
求めることに集約されると思われる。つきつめれば人の在り様、生き方に行き
つくだろう。
どんなに武技に長じても、それが人間的な昇華と一致していく方向を目指さ
なければ、その技術は単なる殺戮者としての剣技でしかない。
ゆえに土佐英信流ではことさらに「実戦」という表現を安易に使うことを否定する。
英信流で言う実戦とは、「君子の剣」としての実戦なのである。 


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学習要領のありかた

2012年11月24日 | 内的独白

昨日、尾道の剣友と広島への行き帰りが一緒だった。居合についてのいろいろな
文献を貸してもらった。

剣友は高校で国語の教師をしている。
私が通った東京文京区の私立高校は妙な授業体制で、国語にしても、現代国語は
現国の専門教師、古文は古文、漢文は漢文の教師がそれぞれ授業を行なった。
英語も文章読解はリーダーの教師、文法はグラマーの教師(グラマーな女教師を
期待したが教員はすべて男だった。ちょ!)が受け持った。社会にしても日本史、
世界史、倫理社会の教師がそれぞれ授業を担当していた。数学や化学や生物などの
理系教科もそれぞれ一人ずつの教師が担当した。私は高校1年時は国公立特進クラス
だったが、2年からは文系選抜クラスだったので「物理」は習っていない。また数学も
「数2 B」までである。私の高校は文系理系を2年時できっぱりと分けてクラス編成を
する。文系などは語学の授業がドワッと増える。そのかわり理系科目がほとんど
なくなる。
これで文部省の高校卒業の単位が取れるのか疑問に思うが、現実はそうなっていた。
広島県の高校ではどうなのだろう。
記憶というのは不思議なもので、高校時代の教師たちの「声」は今でも明瞭に
覚えている。小説に出てきそうな特徴あるキャラクタの教師揃いだったことを
別にしても授業自体は専門プロ集団みたいで面白かった。教師はアジテーター
のように、あるいは法廷劇のように授業では講演の独壇場で、とても興味深かった。
そして、教師の「声」(音質やせりふ回し的に)をそれぞれ今でもよく覚えているし、
教壇で語られたこともよく覚えている。
ただし、それが「学力」として結実したかかというと、それは別な次元の問題だ。

道中、武具の話題になり、甲冑について話が出たが、私は甲冑類については
まったく詳しくない。刀剣については多少知っているが、それも槍や薙刀などは
詳しくなく、太刀・打刀・脇差についてのみ特化した知識だ。
そうした傾向について友人は面白がっていた。彼は武具についても全般的に
知っているし、居合や剣術も古流全般をよく研究している。

私の特化主義という傾向はどうなのかと自分自身でも思う。
あと友人が「あなたの文章を書く速度は異様に早い」と言っていた。
これは中学高校と国語の授業で「300字以内でまとめよ」というのがあったが、
あれと長文読解をウホウホと喜んでやったからだと思う。事実、私の学校での
学習具合は、刀と一緒で特定学科に
特化されたものだった(汗
高校の時は現代国語の成績なら駒場本郷赤門大学にも入れる偏差値だったが、
理系、特に
数学に至っては現国の偏差値から20位低かった。学科によって偏差値
が20近くも
違ったら受験生としては話にならない。全科目がある国公立はもちろん、
英国社の
3教科受験である私立もおぼつかない。英語や社会も現国に横並びならば、
大学
進学も楽だったろうし希望大学にも入れたのだろうが、英・社は階段を降りるが
如く、
現国の出来から見てトントントンと段階的に下向きだった。英語は英検2級を
高2の時に取ったが、さりとて身に着いた学力として「できる」ことではなく、事実、
今英語はサッパリ話せない。辞書があればどうにか新聞が「読める」程度だ。

勉強ができるやつというのは、どの科目も「できる」のが一般的だが、私は科目により
成績のバラつきが激しく、つまり「勉強ができない」のであった。
高校時代は唯一現国
のみがどうにかできたのである。しかし、受験科目の国語は現国だけではない。古文も
漢文もある(こちらは成績は偏差値60程度で「普通」だった)。

ところが、慶應義塾などは国文学科でさえ「国語」の受験科目がなかったりした。
義塾を出た人間に言わせると「国語は日本人として当たり前だからそんな受験科目
はない」とのことだ(笑)。慶應は受験しなかったが、これには「なるほどね」と苦笑した。
高校までの学問で現代国語ができても「そんなことは当たり前」なのだという。
然り、だと思う。要するに私は学校の勉強ができるクチではない。
イトコの兄貴などは、バイク乗り回してギター弾いてばかりいたのに「大学い〜こお」
なんてサクッと半年だけ勉強してから首都圏の国立大にスパッと入っていたが、
そういう人間が「勉強ができる」というのだろう。
中学高校の国語などは、小説や
論説文を10代のうちにむさぼり読みまくれば自然と
できるようになる。
だが、それが「学力」かというと、特化された力であるので学力とはいえない。
物が読めて書けて理解できるのは慶應義塾の人間が言わずとも、教育を受けた
人間ならば「当たり前」のことであるからだ。「学力」以前の問題なのである。私は
古文書が読めないし、草書が全部読める訳ではない。要するに英語並みに祖国
日本の言葉さえおぼつかない。
つきつめると、私は「読み書き」ができない。現在「祖国、愛国」とことさらに口にする
人たちは、どれほど祖国の文字が読み書きできるのかと思ったりする。


学習というのは、特化して深化させるというのはどうなのだろう。
アメリカ合衆国などはそうした学習姿勢をサポートする教育体制にあるらしいが、
日本では「おしなべて」学習が進むことを求めるようだ。私のような特化タイプは
日本の教育環境ではあまり歓迎されない。「なにごともそこそこに」できることが
日本では求められる。学問に限らず、武技にしても武器にしても、私の知識や学識は
極端に極度に一極に偏っている。バランス無視(苦笑

ま、いいさ。
おれは過激派だし(笑)


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居合の稽古 〜広島市南区〜

2012年11月23日 | スポーツ・武道など



広島市南区スポーツセンターにて広島県剣道連盟居合道部の月例稽古会。
参加者22名(うち受講者17名)。尾道からは6名が参加。
私は尾道道場の剣友と私の車で広島港そばのスポーツセンターに一緒に向かう。

尾道の道場代表の先生が講師となり、全日本剣道連盟居合12本を指導。
その後、前原範士八段が本日の「獲得目標」として重要なポイントに絞り講義した。
「居つき」の除去と「動の中に居合の要諦あり」という内容だった。
それは、私がかつて神奈川の道場で師匠の範士から受けた指導に通じた。
「居合」は「居合う」のだから、縦横無尽、どんな状況にも臨機応変に対応する
ために、足を止めて居ついて切るのではなく、剣体一致で、「足が着くと同時」
「踏み込むと同時」に切る、ということが重要になってくる。
私はかねがね、全剣連居合では十二本目が全業の中で一番難しい「居合の極意」
だと感じていたが、前原範士の指導により、やはり極めて居合の深い部分の集大成
の業であることを再認識した。実りある月例稽古会だった。
最後のまとめで前原範士はためになることを言われた。
奥様がジャムを作っておられるのだが、「ほんの少しの『匙加減』で全く別物になって
しまう」のだそうだ。居合も
そうしたところに非常に大切な何かがあるのではなかろうか、
という指摘だった。

居合の稽古においては、居合の業をどうかという物理的学習よりも、先達のこのような
深層についての指摘がとても大切なことに結びつく。こういうところにこそ「口伝」と
しての重要なポイントが潜んでいる。教科書には書いていない。古流においては、
伝書にも書いていない。伝書に書いてあるのは業名のみだ。重要部分はすべて
「口伝」である。
まさに、私が土佐の
故澤田友信先生からいただいた書にあった
「先人が尋ねし跡を踏みしめて 掟を守り道に従え」
なのだと思う。

帰路、高速サービスエリアでお茶タイムとなり、尾道道場のみんなでしばし歓談した。
この時、尾道の先生がまた重要なポイントについて説明した。これまた深い。
居合について、普段道場で習うこととは別な重要な点を教わる。
道場稽古をより深化させた部分でのこうした教えを学ぶ機会というのは、稽古会などで
自分より経験を積んだ先達のふとした指摘から大切な
ことを学び取ることにより実りある
ものとなる。ここでも「先人が尋ねし跡」なのだ。


とてもためになるよい月例稽古会だった。参加してよかった。

山陽道小谷SAでは、いつものように「アンデルセン」でパンを買った。
今夜のうちの夕食なのです(^^)
娘が広島市内で剣道の試合の時、私が広島市内の試合や稽古に出た時の定番なのす。
でっかいチーズロールが大人気で売り切れだったのが残念どす(・_・)

きょうは広島の市内路面電車操業100年でした。大正元年に広島の電車が開業しています。
今年は大正100年でもあるんですね。

大正時代の広島の電車。古いのに風景が妙にモダンにみえます。


こちらは現在の路面電車。お洒落です。

実はこの車両は、近畿車両・三菱重工業・東洋電機製造・広島電鉄の4社が共同開発
した国産初の100%フルフラット超低床路面電車なんです。日本初のフルバリアフリー
の電車なのす。こうした人に優しいところに積極的に着手するのはヒロシマのいいところ
なのさ。
ところで、ほぼ地面に近いところに床があるのだけど、モーターはどこにどうなってるの?
私の仕事も車両作りだけど、こうした人の役に立つ物を造っていきたい。


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ラ・マルセイエーズ 〜カサブランカでのベストシーン〜

2012年11月23日 | 内的独白

La Marseillaise Casablanca


国を盗られた人々がうたう。
心からうたう。
暴力で人を押さえつけることはできない。
たとえ、どんなに命を奪おうとも。

占領軍ナチスに抗して、命がけでフランス国家をうたう人々。
ドイツと共に暴力で占領を続けた日本人にこの人の心がわかるのだろうか。

今、同じことを繰り返そうとしている。
ゾンビのようなよみがえりの亡霊たちによって。


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芸術文化センター 〜居合の稽古と篠笛と愛の讃歌〜

2012年11月22日 | 文学・歴史・文化

尾道の居合仲間と三原芸術文化センターで19:00に待ち合わせ。
今夜は7時から9時まで居合の稽古。
 

真剣日本刀を使っての稽古もOKなのだそうだ。これは良い。
もっとも、練習室を借り切っての稽古だから、関係者以外は入ってこない。
完全防音の部屋であり、ドラムや譜面台の貸し出しもある。
第一練習室はグランドピアノもある。
友人は篠笛を持って来ていた。七調子。目白のお店で買ったそうだ。
へ〜。私のは六調子。

きょうは大きな鏡のある第二練習室での稽古だ。
一時間部屋を借り切って第二が400円、第一が300円。
やはり、『愛の讃歌』を歌いたくなる(笑)
今度からどんどんこの芸術文化センターを利用することにしよう。
完全防音だから、バンド練習やっても大丈夫な感じだよ。

居合の稽古は6人くらいまで同時にできる広さだ。

冷めやらぬ心の弾みで、家に帰ってきてから『愛の讃歌』を爪弾いた(笑)


私のKeyはC。


  愛の讃歌 〜L'hymne à l'amour〜

青い空が消えて 大地が崩れ去っても
かまわない あなたを愛せるならば
朝日にいだかれて あなたにいだかれて
ふるえるよろこび それさえあればいい
  お望みならば このブロンドも
  泥に染めるわ
  お望みならば あの月さえも
  盗みに行くわ
  お望みならば 友も祖国も
  捨ててみせるわ
  あなたが望めば 辱めさえ
  受けてもいいわ

あなたが死ぬ時も 私は泣かないわ 
あなたが死ぬ時 それは私も
二人で天に行き 青い空の中で
一つに溶け合う 永遠(とわ)の愛 誓うの
Dieu reunit ceux qui s'aiment.

(訳:渓流詩人)


この二人はEで歌ってる。ピアフのオリジナルはEだから。

俺もEにしようかな(以前のように4オクターブは出ないが、この曲の
高音部はどうにか普通に出る)。

Patrick Fiori & Lara Fabian - L'hymne à l'amour

 

エディット・ピアフ 愛の讃歌


ピアフを聴いたらノックアウト(死語)。
胸が締め付けられて言葉にならない。

申し訳ないが、他の人のを聴く気になれない。
まして自分で歌う気になどなれなくなる。
吉永小百合さんは「いつも『キューポラのある街』を超えようと思って、いつか
超えられるだろうと信じて、女優を今まで続けてまいりました」と言っていた。
永六輔氏は小百合さんに「もうキューポラの街で女優をやめてください」と言った。
それほど、あの映画作品での吉永小百合は素晴らしかった。

ピアフもそんな気がする。
ピアフの前に『愛の讃歌』なし。ピアフの後に『愛の讃歌』なし。
ピアフ以外の人が歌うイムアラムールは、別な曲のような気がする。
でも、ギルバート・モンターニュの歌は心に迫る。ミレイユ・マチューも。
ただ、ミレイユの「愛の讃歌」からは、なぜか死んでしまいそうな切なさが伝わらない。
ミレイユはミレイユで最高に良いのだが・・・。16歳の時に、すでにピアフとは
違う世界観だったのではないだろうか。ピアフが歌うこの曲は、一緒に心中でも
してしまうのではないかという切なさを感じる。実ることのない不倫の愛が
ピアフをして地球がなくなろうと大したことではないと言わしめた世界観がある
ように思える。(ピアフの素顔からでなく、彼女の「うた」からそう感じる)
ミレイユのは、「二人でやっていこう」的な強さみたいなものを感じてしまうのだ。
ピアフの強さは、そういう建設的な強さではなく、世界をも捨ててかまわないという
抜き差しならぬ背徳、悪魔に魂を売ってでもあなたを愛するという強さなのだ。
日本人では心に迫る人はいない。
美輪さんが「ヨイトマケの唄」と同じ世界で「愛の讃歌」を歌わないのはなぜだろう。
美輪さんの「愛の讃歌」を聴いても泣けないが、「ヨイトマケ」は心に迫りすぎる。
琴線などというものではない。名状しがたい「名辞以前の世界」が広がるのだ。
音楽って、そういうものなのかもしれない。

 


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警察民営化

2012年11月22日 | 内的独白

『東京残酷警察』劇中CM01 "東京警察株式会社PR"
 

笑えないが笑ってしまった。
自衛隊バージョンはないのだろうか。
(撮影予算かかるからなさげな感じ)


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