渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

江戸の蕎麦

2012年07月31日 | 外出・旅

朝8時に池袋駅で取引先社長と待ち合わせ、埼玉の生産現場へ。
そこで製品の検収。総重量45トンの大物です。

検収を終えて、池袋に社長と共に帰還。
江戸蕎麦を二人で食すことになり、スマホで店をみつくろって入ります。


なんでも創業明治8年だとかで、元は神田にあった店の
暖簾分けなのだそうです。
ただ、明治創業というのは老舗ではないよなぁ。
京都では老舗というのは「最低400年くらいちゃいますやろか」
とのことですので、江戸が江戸時代の行政首府とはいえ、首都と
なったのは明治からですから、たかだか140年程です。東京自体
若いが、江戸の「老舗」というのも千年王国京都からみれば
まったくのヒヨッコということになります。外海を知るべし、ですね。

店内は夜に酒を飲むとよさげなメニューが並んでいました。


店主はズージャが好きなようで、日本蕎麦屋なのにJazzがかかっています。

CDはすべてJazz

私が頼んだのは・・・
せいろ蕎麦2枚、かつ丼、出汁巻き玉子、もつ煮込み。
社長曰く、「その年になってそんなに普通食べないよ(大笑)」とのことです。
う~む。確かに。
「満腹になるために食うのではない。戦闘力を維持するために食う」という
時代からは考えられない食事です(苦笑
あの頃に比べたら体重もとんでもなく増えてますし、バック天なんてもう
絶対にできないぜ。保障する(^^;

店を出ると明治通りです。都内の環状線ではこの明治通りが一番愛着が
あるかな。明治通りは環状5号線ですね。山手通りは環状6号線ですが、
山手通りもかなり愛着があります。生まれた病院は山手通り沿いにあったし、
生まれた街の真ん中を山手通りが通っていたしね。
伊勢正三さんの『海岸通』という曲は「り」を入れてないので、仲間内では
「カイガン・ツウ」とネタにされていたと伊勢さんがステージで言ってました(^^)
ハマの山下公園前の通りのことですね、きっとあの「カイガン・ツウ」は。

明治通り。目白、早稲田方面を望む。


北側を見ると池袋東口のロータリー。池袋は高校の時の通学路で、毎日の
ように友人たちと喫茶店に行っていろんな話をしてました。立教附属の奴が
いたから、西口の立教大そばの喫茶店が多かったけどね。
きょうは晴れ。♪やっぱり頭の上はブルースカイ(by 尾崎亜美)という感じの空。



帰りの羽田からの空路は、愛媛松山に車を置きっぱなしなので、
四国まで飛ばなければなりません。

羽田で飛行機の搭乗口確認したら・・・
あら。ゲート直接ではなく、バスだよ(^^;
バス乗るの久しぶり。


空港内をかなりの距離走って飛行機へと向かいます。

う~ん。787かぁ・・・。隣りの席との間隔狭いんだよな・・・。

搭乗。車椅子とかには優しくないよなぁ・・・。まあ、大昔は皆こうでしたが。


エンジン。でかっ。直接ゲートではエンジンを間近に見られないから
近くで見ると珍しく思える。


タラップから撮影。


787は一般席は隣りとの肘掛が共用ですので、隣りに威張った人が
座ると苦しい思いをします。
今回は・・・
学校の先生でしょうか、英語の教材を機内で出していろいろ作業して
いますが・・・15秒おきくらいに横の私に越境してきて肘がぶつかったり
ドカドカ動きまわって資料が飛んできたり、隣の人まったく落ち着きません。
あまりに見かねたので「先ほどから肘が何度も当たるのですがもう少し
お静かに願えませんか」と申し上げたら「あ、すみません」と言って、
前の空いている席に移動してしまいました。左隣りの乗客はいたって
普通の人だったのでよいのですが、右隣りはちょっと何でした。
ならばプレミアムシートにすればよい、と思われる方もいるかも知れませんが、
プレミアムシートでも他人に配慮不足の人もいるので同じです。
一度こんなことも。
プレミアムシートで自分が私の手荷物置き場に荷物を置いていながら、
私が荷物置けないので申し入れしたら「ちょっとくらいええやないの。何よ。
失礼な!」とおっしゃる関西(大阪?)のご婦人がいらして閉口しました。
キャビンアテンダントが飛んできて先方の荷物を別場所に移動しましたが、
その後も私に向けて「な~にが!しっつれいなっ!」とおばさまは叫んで
いました。なんだか大阪のおばはんの駐車禁止のCMをリアルで見ている
ようで面白かったです。世の中にはいろんな人がいます。

松山空港に降り立つと、こんな物がお出迎え。

とても巨大な神輿(?)です。
源氏の車紋が金で染め抜かれている。
由来は読んでいません。

昨日、東京に行きしなに時間をつぶした空港のカフェで一息いれます。
「みかんスカッシュ」がかなり美味い。

これはいい。
地元愛媛のみかんを凍らせて氷かわりに使っています。
100%フレッシュだし、味もとても美味でおすすめです。
展示ウインドゥを見てみましたが、この店、スィーツもおいしそ。

ということで、松山から広島までは車で帰還です。
往復走行距離、420km。
職業運転手ですね(笑

松山空港に車乗り捨てての急な東京出張で、本日の居合の稽古は
参加できませんでした。
羽田から尾道の先生に電話をいれて事情を説明しました。
稽古できなくてすんごく残念。


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最終便で羽田へ

2012年07月30日 | 外出・旅

夕方に仕事を一段落つけて、松山空港まで戻り、最終便で
羽田にフライトです。車は空港に乗り捨てだす。

搭乗までのわずかな時間、喫煙できるところを探す。
すると「全席喫煙席」という今時珍しいカフェが松山空港内にあり。

グレイト!
というか、本来カフェってのはこういうもんだよっ!
俺はタバコをやめる気は一切なし。
そういう精神の健康に悪いことはしない。
(小さな子どものそばや妊婦の前では吸いません)

店内は良い雰囲気です。


カウンターの目の前に変わったゲームがインテリアで置いてあった。

おおっ!手動木製の野球盤!これはなんだかいいぞ。
かなり欲しくなった。任天堂野球盤はかなり燃えたけど、
この木製野球盤もなかなかよさげ。
おとーさんたち狙いの商品だろうか。

いや~、まじ欲しいっす。
スマートボールの野球盤みたいな感じ。
かなりでかい。

最終便で羽田に到着。

これは別の機。
今回来る時はジャンボだったので、座席もゆったりで心地よかったのですが、
最新型787はちょいと狭いのが難点かな。

羽田第二ターミナルの通路。


宿はスマホからの予約で池袋に。
いつものホテルは取れなかった。

ここはホテルのバー。




タバコをやめる気はまったくなし。
そのかわり浮気もしません。
大昔からショッポです。
よく「健康のため」と称して軽い銘柄に変える人がいて、それはそれで
選択肢としてありなのでしょうが、俺ならそれだったらいっそやめます。
今までタバコを吸うのを一定期間ぴたりと停止したことは2回あります。
(禁煙ではない。禁煙とは口にしたら二度と吸わないことであり、男ができない
ことを口にするべきではない。そんな情ない生き方はしたくない。いつでも
生きるか死ぬか、のるかそるかの人生だ。いつでも死ねるし、そのために
こそ生き残る。19歳の時に拾った命、すべてが真剣勝負だと思っている)
喫煙停止したのは、ロードレースで「必要ないもの」と認識した時と、あとは
人との約束で停止した時。前者は活動の終了と共に喫煙再開、後者は
約束した相手が約束を守らなかったので約束自体が不履行不成立と判断
し喫煙を再開。前者は自分のために停止し、後者は人との信義のために
停止したようなもんです。
タバコやめるのなんて簡単です。「いらない」と思えばよいだけです。
そりゃ肉体的に中毒性のものだからまた吸いたくなるでしょう。
でも、禁煙は100%意志の問題だと思います。節煙はあまり効果ないだろうなぁ。
ただ、飲酒による中毒症状がドクターの世話になる精神病の領域である
ように、喫煙者も最近はドクターケアによって禁煙治療を受けるようですね。
精神力の問題では片付けられない要素も強いようですが、私の場合には
当てはまりません。「泥を食ってでも生き残る」ということは「いつでも自己の
決断によりすべてを断ち切れる」と表裏一体ですから、決断-即行は全く
苦になりません。
ちなみにうちのかみさんも喫煙者でしたが、子どもを作ると決めたときに
ピタリとやめました。禁煙ってそういうものだと思います。あくまで意思と意志
の問題かと。
一番「こうはなりたくないな」と思うのが、今まで自分が散々吸っていたのに
タバコやめた途端「タバコなんて体に良くないからやめろよ」と説教臭く言う人間
だな。
仮に将来何らかの理由でタバコをやめることがあっても、こういうのにだけは
なるまいと思ってる。恥ずかしくないのかね、あれ。
意見としては聞くが、アドバイスとしては自己総括なき助言は助言にあらず、
ってね。甘いよ。他人に対してそういう自己検証抜きにしての口出しは。
「俺はタバコ嫌いになったから俺の前では控えてくれ」というのならスパンと
こちらの心に響くが、さも君のためにアドバイスするという姿勢が鼻持ちなら
ないし、ふふっと笑いを誘う。
そして、喫煙者は、副流煙に注意するのは当然の配慮でしょう。


ということで、ホテルで小説を読んで眠る。
部屋はダブルのシングルユース、かなり広めでくつろげます。


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移動

2012年07月30日 | 外出・旅

本日愛媛県の大洲市に行き仕事を片付け、夕方松山空港に車を置いて
今夜中に羽田に向かい池袋で待機。
明日は朝一から埼玉県央で仕事を片付け、その後、羽田から松山まで
空路で戻り、松山から
広島まで車の行程。
かつての仕事で北海道日帰りとか海外日帰り(笑)とかよりは楽だけどな(苦笑


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家紋

2012年07月29日 | 文学・歴史・文化

広島藩浅野家42万6000石は安芸国、備後国(半分)の地を領した。
三原城には藩主の弟が筆頭家老として在勤し、3万石を拝領していた。
三原朝野家の官職は甲斐守、維新後は子爵である。

三原浅野家(本藩広島浅野家の弟筋)は藩主の名代や公式場面では
広島浅野家の違い鷹ノ羽の
家紋をつけたが、殿御自身の定紋は杵だった。

三原城主、三原浅野家の裃。杵のくびれ部分が剣形になっているのが特徴。
三原領内の士族であるならば、同紋の杵紋を着用することは憚った筈だ。

三原浅野家の替え紋は日月紋だった。
昭和40年(1965年)に三原西宮八幡宮で三原藩伝承の信抜流居合剣法が
演武
された時の陣幕には三原浅野家の替え紋が染め抜かれていた。


こちらは広島藩槍術で三原に伝わった佐分利流槍術の演武。


まだ江戸時代から100年経っていない1965年の奉納演武である。
私は5歳だった。

その頃は無論武士はいないが、「士族生まれ」はまだごろごろいた。
私は戦後生まれなので士族ではない。士族の族称は昭和23年
(1948年)に法律的に廃止された。

ちなみに我が家の家紋は定紋の一つのみ現在は使用している。
替え紋の花菱、向雁は現在は使用していない


本日はこれから父の三回忌の法事だ。
私個人はブッディストではないので、なんとも複雑なのではあるが、
私の先祖が坊主を連れてきて復興させた寺の第一檀家であるから
真言宗のその寺との関係で家の行事は執り行うしかない。
上の写真の神社の氏子でもあったのだし、母方の母系の家は別な
神社の神職でもあったのだから、いっそ家の宗派を神式に宗旨替え

したいところだが、坊主寺の檀家としては数百年の歴史があるので、
本家の長とはいえ、そうしたことは私個人の一存では決められない。

よくわからないが、古い家とはなんともむつかしいものである。

個人的には仏教は好きではない。仏教そのものも異論反論オブジェクション
なのだが、それよりも、坊主が好きではない。まったくもってありがたくない
連中ばかりだからだ。日本のインスタント仏教は、還俗したのかと
思うような坊主ばかりである。


それにしても、暑い。


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柔道 ロンドンオリンピック

2012年07月29日 | スポーツ・武道など

ロンドンオリンピックが始まった。
柔道の試合を見ていた。

あら。福見さん負けちゃった。
福見さんは3位決定戦でも負けてしまった。
あ!と思った瞬間にやられてしまった。



一方、谷亮子選手に続き福見さんを破ったドゥミトルは・・・




引退だそうです。

男子柔道でも平岡選手が決勝で敗れて銀メダルだった。
男子、女子の試合後のコメントを聴いていて考えさせられることがあった。
かつて女子水泳でオリンピック金メダルを取った前畑さんは、「金メダルを
取れなかったら自殺しよう」と決意したそうだ。なぜならば、それほど周囲の
圧力がすさまじかったという。銀では許されず、金以外は認めないとする
競技関係者や金を望む国民たち。選手は「国の代表」ではなく「国家の代表」
として国の威信をかけて国際競技に投入されている感がある。
こうした作風というのは、戦前だけのことではなく、現在も継続しており、
それがあたかも「良いこと」のように美化されているのではなかろうか。
男子柔道の平岡選手の決勝試合後のインタビューコメントを聴いていて
何だかとても違和感があった。
外周の声、心無い世論、「期待」という無言の重圧、一等賞以外は認めず
金以外はすべてを否定する無責任な関係者たち。そうした外からの圧力
という辛いことに耐えながら続けるのがスポーツと呼べるのだろうか。
「跡継ぎである男を産まない女は不必要」「子を産めない女は石女(うまずめ)で
あり存在不要」として妻が当たり前のことのように離縁されて実家に帰された
旧習のようで、私にはどうにもそのような感覚は馴染めない。

美しい国、神州日本は、美しくないことも多い。
それらは真逆の「日本の美徳」とされ、それを偏執的に愛好する「愛国者」たちに
よってさらに推し進められる。
そして、そこにはいつも誰かの犠牲が伴う。
国を愛することと人を愛することを同居させられない人たちを真の愛国者と
呼べるのか、私は疑問である。


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蝉しぐれ

2012年07月28日 | 内的独白



蝉しぐれで目覚めるきょうの夏の日。

朝風呂入ったら、この映画を観てみるか。
藤沢作品は時代小説ではなく、純文学のような気がする。





現実と文学の狭間。
現実を見ると・・・蝉に見えない・・・(^^;

マスたちは食わないように思える。
ハチフライもまったく食わなかったしなぁ(^^;
今の季節、最高のヒット率はやっぱりテレストリアル(甲虫)だと思うよ。
小さなカナブンみたいなのね。

これだよこれ!こいつは釣れるぜ。

背を付けないで、ピーコックをグルグル巻いてハックルつけただけでもよく釣れる。
エルクをこんなに野球小僧のように刈り込まなくても、ただのピーッコック巻きの
ナンジャラモンジャラ・フライでもいけるのが今の季節だ。
ドライ・フライがメインの夏のトップ・ウォーターは、シーズンの中でも最高だ。
水面をテンカラのように叩いて流すと、ガバッとジャンプするように飛びついてくる。

ヤマメやアマゴのマスくんたちは、なぜ釣られると「困ったなぁ」という顔をするのだろう。

かわいいね。ヒレピンのアマゴくん。

広島の渓流で俺に釣られたおチビさんっ。

写真パチリですぐにリリース。当然、手は水に浸けて十分に冷やしてから。
人間の体温でアマゴっちは火傷して病気になって死んじゃうからね。
俺は漁をしているのではないから、ほとんどがキャッチ&リリースだよ。
山の神に感謝してときどきは美味しくいただくけど、ほとんどは流れに還す。
一つの支流に仮にアマゴが100尾しかいないとして、50人の釣り師が入って1人あたり
2尾を釣り殺したら、その支流にはアマゴが絶滅してしまうんだよ。だから俺は放す。
内水面漁業規則では15センチ以下の魚は放流することと決められているけど、15センチ
以上のアマゴやヤマメでも俺は流れに還すようにしている。
森の中では、俺たち人間こそが異邦人だと人は思い知らないといけないんじゃないかな。

緑の風の中を君に会いに行きたい。



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お知らせ

2012年07月27日 | 内的独白

2012年8月1日から、レンタルgooブログには設定の如何にかかわらず
記事の下段に
広告が出るようになってしまうそうです。
営利目的でモノを書いているわけではないので、今まで無広告と
いうのが気に入っていたのに・・・。

goo運営者からの連絡では以下のような形式で広告が出るそうです。

(例)



まことに申し訳ありません。


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よい波長

2012年07月27日 | ポチたま

撞球会のリーダーとは互いに犬を飼っていながらもワンコネタで
話をあまりしたことがなかった。
それがここのところ、ワンコネタでの会話が多い。
昨日も仕事がはねてからワンコのことで話をしていた。
うちの家族に新たなメンバーが加わったこともきっかけになっている。

私も不勉強だったりするので、情報も相互交換できてためになる。
そういえば、今までは玉撞きばかりだったが(イカ釣りには一度一緒に
行ったが)、ワンコを連れて一緒にアウトドアで食事なんてのもいい
のではないだろうか。家族ぐるみで。
台風の季節が過ぎて涼しくなったら、一緒に行きたいのぉ。
その頃にはうちのニューカマーも外には出られるから。
よい波長の合う相手とよい波長の話題で接しているのが一番精神的にも
負担がない。相手はアメリカの高校出身の洋行帰りだからか、やはりきちんと
言うべきことははっきりと言う、控えるべきときは控える、という機微を身に
着けているからつきあいやすいのかも知れない。ジメッとグジグジした
ところがまったくない。つきあっていて爽快だ。互いにポンポン本音で物が
言えるのが良い。自然体だしね。かといっても親しき仲にも礼儀ありで、
そのあたりは互いに外さない。本音で言い合えるからなおさら自論のゴリ押し
は互いにしない。というか、そういうのはないね。お互いが「俺はこう思うんだけど
どう?」みたいな本音スタンスで接していて、それで何の問題も生じないから。
いわゆる「ぶっちゃけトーク」ができるというのはありがたい。
腹に一物持つ奴だったり、稚拙な裏読みに心が支配されてる奴だとこうは
いかない。人と人が理解しあうということは認め合うことから始まるように思える。
時には「そういうのはどうかと思うよ」と相互に諌めることもある。
そうした人間関係というのはとても大切で、そういうことを言い合える相手が
周りにいなくなったら人間終わりのような気もする。
こういうつきあいがストレスなくていいよ。スポーツマンの清清しさというのは
やっぱりカラッとして気持ちいいもんだ。
互いに「しょーもね~」とか言い合うバカも言えるしね。
二人とも底抜けの馬鹿噺ネタも尽きないところも波長が合うのかもしれない。
一緒にいると、時事問題などシリアスな話もするが、とにかく互いによく笑う。
しかも、声出して「どわっはっははあ・・あ・・腹いて」みたいな感じのバカ噺で。
健康である。

と、これを書いていて犬を見ると・・・

例によって俺の枕を引っ張り出してきて噛んでいる。


こちらを伺いながら。


名前を呼ぶとアイコンタクトする。


そして、しばらくすると寝る。


おまえさん、気楽な稼業だねい。


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時代の流れ ~ブローニングのナイフ~

2012年07月26日 | 刃物

日本はかつて古代から中世にかけては nippon および jippon と発音した。
後者がなまって英語の Japan となった。
では中国は?
現在は英語で China と呼んでもよいが、それの元になった「支那」は忌避される。
なぜならば、日本の侵略時代に日本が中国を支那と呼んだからだという。
だってでも「ちゃいな」は「しな」のことでしょ?(^^;
「日本は中国に侵略していない」などという世迷い言を言う恥ずかしい日本人と
話をする気はないが、かつての被侵略国側の国家的反日政策とそれに踊らされる
あちらの国民もどうかと思う。かといって、人の土地に踏み込んで資源や言葉や
名前や命を分捕って来たことを「侵略していない。おまえらのため」という方向に
日本人が向くのは、自省を忘れた恥ずべきことだ。ニセ右翼に多いが、武士道や
国家安寧を口先で唱える割には自分や自国の失敗には刃を向けない。そんな
ものは愛国者でもなんでもない。自省すべきところは自省し、それからでないと
人や国家間はつきあいはできない。自分に刃を向けない侍などいない。侍とは
日本人だけに存在したものだ。
よく、過去と現在の日本国家の功罪について意見を述べると「反日か?」と問われる。
まったく違う。自国の失敗を含めて客観的に考察して意見を述べるのが「反日」で
あるならば、一つの勢力にすべて同調しない者は非国民とみなす共産主義と一緒
ではないか(苦笑)。ニセ右翼の多くが自分に刃を向けて自己の非を認めることを
しない連中ばかりだから、他人に対しても傲慢なレッテル貼りのステレオ脳判断で
済まそうと
する。

個人的に言えば、私は中国人は嫌いである。古代中国の歴史も文字も好きだが、
どうにも私が知っているここ30年来の中国人は好きになれない。
これは好みの問題だから仕方ない。ニセ右翼が朝鮮人を排斥目的で嫌うのとは
ちょっと違う。あくまで好みだ。
何が嫌いかというと、中華思想というのが嫌いだ。あの行儀悪さで自分たちこそが
世界の中心であり文化の発祥地だという感覚でいるのが堪らなく受容れられない。
テーブルマナーだけでなく、生きること全般において、漢民族優越主義の中国では
中華思想が徹底している。それらがたまらなく嫌だし、現行の大陸政府の領海侵犯
も「人の土地に侵入して自国の領土と言うな。それって自分らが味わっただろ」と
言いたくなる。
そんな中国が嫌いだからといって、「日本は侵略していなかった」ということには
ならない。歴史的事実は捏造することはできない。現実的に日本は台湾朝鮮を
日本国の外地として日本領土にしていたし、大陸の一部も日本領土にしていた。
日本がなんでもかんでも正しいとしたがる連中は「うちの子に限って」と同じ
甘えの共同体を求めようとしている。自分に甘く、他人には厳しくしたがる。
頼まれてもいないのに境界線を越えて隣りの家に乗りこんで居座って「お前らも
うちらの家族にしてやるよ。名前はうちらと同じ名前な。言葉もな」とやって
これを不当と思わない神経を疑う。
人を殴ったり犯したり殺したりしたら、それなりの報いを受け、償いをしなければ
ならない。
これは国家間においても同様のことだ。

ナイフの話である。
中華人民共和国は、日本が長年抑えていたので、戦後も工業化が遅れていた。
私が高校の頃に日本に来た中国主席は「自動車がこんなに多いとは」と驚愕して
いた。まだ、中国人は人民服を着て自転車に乗っていた時代だ。これは1980年代に
入ってもそうだった。
ところが、香港返還を見越しての開放経済政策(=事実上の社会主義の放棄)に
より、「東洋の奇跡」と世界で呼ばれた戦後日本の産業復興よりも急激に中国産業
は成長し始めた。

そして、中共は世界第二位の経済大国だった日本を抜いて先年GDP世界第二位に
躍進した。もうね、上海なんてとんでもない大都会だしね。



かつての「メイド・イン・チャイナ」は安物の粗悪品の代名詞だったが、現在、実は
世界の先進国は中国製品なしには経済が成り立たない程になっている。
つい10年ほど前までは日本の刃物は世界一だった。
日本のオートバイと刃物は戦後高度経済成長期の後半あたりから世界の頂点に
立って、ずっと王者として君臨してきた。
オートバイに至っては、1970年代初頭から1990年代中期に渡る四半世紀の間、
世界グランプリではどのクラスも日本製バイクのみが頂点に立っていたし、世界の
各国代表の世界GPライダーにより日本製バイクでレースが戦われていた。GPライダー
たちは日本製バイクと日本人に対して尊敬の念を以て接していた。
世界中のカミソリの6割以上は日本で生産されていたし、日本の刃物は名実ともに
世界を席巻していた。

アメリカやヨーロッパの老舗ナイフメーカーも高品質な日本で自社製品を製造して
世界に供給していた。
日本は、つい最近まで世界に誇る鉄馬と刃物の国であったのだ。
まさに剣と馬、騎士の日の本、文字通りのトップ・オブ・ザ・ワールドだったのである。

だが。
現在は多くの米国系ナイフメーカーは、日本での刃物のOEM生産を中止して
中華人民共和国で自社製品を製造する
ようになった。
コストだけの問題ではない。相対的な品質も10年以上前に比べると中国製は著しく
向上して
いるからだ。かつての日本がそうだったように。製造国の刻印がなければ日本製と
区別がつかない程だ。

ただ、未だにチャイニーズ・クオリティのままで作動性が悪く、日本国内のナイフショップ
などでは「中国製はすべて返品。バックオーダーはキャンセル」という事態も起きている。

2年ほど前に試しにブローニングの中共製ナイフを購入してみた。


だがこれは、「いいなぁ。くれ!」と言う知人にあげてしまった。
デザインは優れている。ブローニングだからだ。
加工の品質も申し分ない。そして考えられない程に安価だ。
その価格で出荷しても中国企業が成り立つというのは、一体
経済格差というのはどれほどになるのかとさえ思う。
となると、品質基準を満たす工業国で賃金が格安となると
先進資本主義国が放っておくわけがない。より一層儲かるからだ。
だから先進国企業は中国に進出する。
米国などは中国は重要な将来的なマーケットであると同時に、タコに
てめえの足を食わせてその後に自分たちが食らって太るにはもってこい
なので、中国に対しては懐柔路線で政治折衝を執り行う。足を食わせる
ために多少元手はかかっても、十分に自分らは肥え太ることができるカラクリ
があるので、積極的に大蛸にエサを撒く。

この中共製ブローニングにはひとつだけ不満があった。
それは、ブレードを閉じた時に、インナーのテンションがだんだん弱くなって
刃が外に若干ダランと出てしまう点だった。これは危険だ。日本製品では
絶対にこのようなことにはならないだろう。
このナイフは少し大型だが、デザインが気に入っているので、近いうちに
また買い求めようと思っている。このナイフが2,000円代だなんて信じられる?
日本だとファクトリーメイドのこのクラスで15,000円位はする。

知人に上のブローニングをあげてから2年。
新しいタイプをネットで購入してみた。金額は2,400円。タダみたいなもんだ。
日本では2,400円では原価にも満たない。無論、人件費も出ない。

サイズ:[開時]約160mm、[閉時]約95mm
ブレード長さ:約65mm
刃厚:約3mm
重量:約88g
ブレード材:ステンレス

材料ステンレスって・・・。いろいろあるのに。名刺の材料=紙みたいな?
アバウトすぎだろ?(^^;

前回よりも小ぶりのポケットナイフだ。

ブレードに疵の線が入って黒色仕上げが剥げているが、中共クオリティなので気にしない。
日本製ならばこれはアウトレット商品対象だろう。 


CHINA の刻印はマジックで消してイメージを作ってみた。
なぜならば、刻印を除去してブルーイング加工してみる予定だからだ。

ただ、黒色表面処理は完ぺきで、これは銃器と同じ処理がされている。

そのうち製造国ロゴ刻印を消そうと思っているのは、シナが嫌いだからというからではなく、
このブレード面に CHINA の文字があることがとてつもなくデザインを崩しているように
思えるからだ。
米国ブローニング社のナイフはかつてすべて日本でOEM生産されていたが、現在は中華人民
共和国で製造させている。
ボトムはクリップで携帯できるタイプであり、これは同じ米国製ナイフメーカーが採り入れ、
1990年代初期に米国ポリスに大量採用されて世界のナイフで流行になった。
ナイフを入れる入れ物=シースが要らないので便利である。コロンブスの卵的発想だが、
もとはマネークリップがヒントではなかろうか。日本人は財布を持つが、財布を持たずに
札を裸で持つ米国人らしい発想だ。


グリップはココボロなどという高級(笑)なトーンウッドではなく、
なんだかラワンを色染めしたような感じである。
このナイフの良い点は、すべてがトルクスネジで組み立てられており、
完全分解ができる構造になっている点だ。生産性向上から採り入れた
構造だろうが、メンテナンスの面からもこれは良い発想だ。

一方、安い実用ナイフの代名詞だった米国製バックだが、バックの質感は中国製ブローニング
をはるかに凌駕している。ハンドルはローズウッドを使用している。9,700円。




チャイニーズ・ブローニングの説明書と箱は一応本物に似ている(というか本物だってば。苦笑)
製品番号は、MODEL 322277 KNIFE, BRK WOOD FOLDER


切れ味は良い。
鋼材が判らないが、たぶん440C相当の物だろう。
コピー用紙もシャクシャクと切れるので、デスクナイフとしても
使えるだろう。
(日本刀も刃が付いたか付かないかはこうやって調べる)
アクションもスムーズで、ブレードを開く時に「チャッ、チャ」と
まるでリボルバーのハンマーを起こしてシリンダーが回った
時のような心地よい音を奏でる。(ブローニングのリボルバー?
なんだそれ?)
総体的なデザインイメージは、銃と同じ質感のブラックとダークな
ブラウンピースのウッドハンドルで、ブローニングの銃器、特に
ピストル(自動式拳銃のこと)を連想させる。そうした総合デザイン
的な狙いなのだろう。このナイフのデザイナーはかなりのセンス
があると思える。


ナイフは使ってみないと使い勝手は分からない。
この夏のアウトドア活動などで思い切り使い倒す予定だ。
少し大型のシースナイフとこの小型の刃渡り6センチ程度のフォールディング
ナイフがあれば、大抵のことはまかなえるだろう。
鋼材が不明というのがなんとも不安だけどね(^^;
かろうじて、鋼だけは日本がまだ世界一の品質を誇っている。
I Tは韓国に抜かれちゃったしね(´_`)

どうせ競争で負けるのなら、資本主義とかでなく日本主義とかで
行けばいいのに。ニとシで数はふたつしか違わないしさ。
俺、中学出てるから戦車の戦とか書けるしよ(傷天)。

ブローニングという呼び方は日本的な発音だ。
原音はブラゥニン' に近い。
銃器設計者ジョン・ブローニング氏は人類の歴史を変えた。
それは、銃器において初めて「ブローバック」という自動排きょう+次弾自動
装填構造を彼が実用化したことによる。
ブローニングの生涯の最高傑作はこれだ。

コルト社で製造されたM1911(A1)。通称ガバメント。
(実はこの画像は東京マルイのエアソフトガスガン。プラスティック製。
ウェザリングという表面処理を施すことにより、プラ製とは思えない
実銃の重量感を演出している)

ブローニングの設計によるコルト・ガバメントは70年間に渡り米軍の制式拳銃の
座にあった。
引退後もレースガン(競技用)や軍事組織では使われている。構造が発表時の
1911年にはほぼ完成されているから100年後の現在でも十分に現役、どころか、
銃の現在を創った。
ブローニングが1987年に特許を取得したブローバック・システムは現在の人類が
有する半自動拳銃のベースとなったとんでもない機構だ。ブローバック・システムは、
その後、遊底の遅延後退機構(ディレート・ブローバック)や銃身可動後退構造
(ショート・リコイル)等の弾丸威力の低下を防ぐ構造も考案されて現在に至る。
ブローニングの考案は、オートマティック・ピストルだけでなく、地球上の軍用小銃
やガス圧利用の排きょうシステムを持つあらゆる銃器の基礎となった。まさに
銃器の革命を彼はもたらしたのである。もうこれは人類史において「ネジ」を発明
したのに等しいほどの「功績」といえる。
このM1911以前に、ベルギーのFN社でブローニング設計の小型拳銃M1910
(峰不二子愛用。笑)が発売され、日本軍の将校や民間人(戦前は民間人も拳銃
所持ができた)にも大人気だったが、大型拳銃としてはガバメントが歴史上の最高
傑作といえる。
ガバメントの弾丸はこの銃専用で、西部開拓時代からアメリカ人が圧倒的な
信頼を寄せる.45口径を採用している。貫通力よりも表面打撃力を重視した
パワー弾で、米国人は1873年に軍に採用されたリボルバーのコルト・シングル・
アクション・アーミーに採用された当時史上最大口径である.45インチ口径弾
に他国の人間たちには理解しがたいほどの信頼性を置いている。
そして、彼らは「45(フォーティファイブ)」という数字を一種信仰にも似た形で
最上のものとする感覚がある。「45」という彼らにとって特別な数字は、メジャー
リーグチームの名前にしたり、ギターの最高機種名称にしたりしていた。
彼らにとって「45」は「強さの象徴」であり「史上最高」を表すものなのである。

ガバに似合うナイフはガーバー(洒落かい)ではなく、やはり本家ブローニングの
ナイフなのかもしれない。今回購入したナイフもデザインや表面処理のまとめ方は
とても洗練されている。銃器メーカーのデザイナーの設計か。
小さなナイフ1本がまるで重厚なブローニング・コルト・ラインの銃器を見るような
思いがする。
これは良い。



 


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きのうのワンコ

2012年07月26日 | ポチたま



バリの中と外でにらみ合う。
しかし、どちらが中でどちらが外かというのは取り用による。
宇宙空間におけるダークマターのようなものがない限り、
概念上は正負は同じ力量存在である。


この直後に犬はバリケードを破壊して突進した。
猫は例によって駿足の動きで逃げた。

飽きたらハウスで寝る。

気楽な稼業だねぇ。
なんとなくマイケル踊りのポーズに似ている。
 


そういえば、東京下町の日本刀探究舎鍛人(かぬち)で、康宏刀工の弟子の

栗原氏(通称クリさん)が出来た刀見ている時に俺が「俺にも見せて」と言うと、
彼は
持っている刀を隠すようにして「だめっ!マテ」と言い、しばらくして「ねえ、
見せてよ」
と言うと「ちっちっち。ガルルルゥ。ハウス!ハウス!」と俺に言って
いた(苦笑



昨日の広島県三原のある病院の食堂から見た風景。


今さらながらだか、ちょっと意外な感覚を覚えた。
海のそばにある病院なのだが、窓から見ると山が迫っているのだ。
足柄あたりの病院にいる感覚に襲われた。
普段、海が近いとはいえ、山裾付近にいると山を感じない。
木を見て森を見ないとはよく言ったものだ。

木を見て森を見ないの喩えに当てはまるものに日本刀の年紀がある。
現代刀を除き、昔の日本刀の銘には「二月」「八月」の銘が多い。
これは旧暦の二月と八月が水の温度が丁度良いからだとされる説が
あるが、実際には疑わしい。
なぜならば、現実は、冬至から夏至までの間に鍛えた刀には「二月」、
夏至から冬至までの間に鍛えた刀には「八月」と銘を切ることになって
いたからである。
この風習は鎌倉時代中期に長船鍛冶から始まったようだ。
刀剣書における二八月の初見は『長享二年目利書』(1487年)であり、
そこには「二八月水、ヒガシノ中日ノ水クスリナリ」とある。当時、春秋の
彼岸の中日の水は薬になるという迷信があったことが見て取れる。
つまり、二月八月の年紀銘が多いのは、水が水冷にほどよい季節だから
という近代合理主義的な判断では解明はおぼつかないという宗教儀礼的な
理由により二月八月が選ばれていたことになる。風習として月を二月八月と
切っていたのである。だから、刀剣を打ちためておいてから二月と八月に
まとめて焼き入れしたということではないので注意を要する。

総合的多角的に物事は解析していかねばならず、現代の合理主義的判断
のみに依拠して過去の時代の文化や行動様式を規定してしまうと危険である。
なぜならば、そうした画一断定の方式は、知的活動とは呼べないからである。
木を見て森を見ずの喩えがまさに当てはまる。


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鍔の画題

2012年07月25日 | 日本刀
今月初めに埼玉の刀剣商で世話してもらった鍔を眺めていて
画題が判った。


鉄地 長丸形 象嵌 耳鋤残し 縦69.9ミリ 横68.5ミリ 厚4ミリ 重さ110グラム


状態は良くないが、面白い画題なので買った。
最初は梶原景時の頼朝助けかと思っていた。
しかし、武人の特徴から、これは「熊坂長範(くまさかちょうはん)」であると
いうことが判った。
熊坂長範とは、平安時代末期の架空の盗賊で、牛若丸(源義経)と金売(かねうり)
吉次の一行が奥州下りの際に義経を襲って逆に牛若丸に討ち取られたという
伝説の人物である。九郎義経は夢に先祖が出て来て盗賊の襲撃を知り、備えを
整えて見事討ち取ったとされる。義経は襲い来る370人の賊のうち83人を斬り
伏せたたそうで・・・(^^; 大げさにもホドがあるんですけどぉ。。。


水戸派の鍔などにも熊坂長範の図の鍔があり、幕末の名工加納夏雄も
意匠として
採り入れている。人気の画題だったようだ。

無銘 水戸
鉄地 長丸形 鋤出彫 象嵌 耳鋤残し 縦74ミリ 横71ミリ 厚4ミリ


熊坂長範は日本の伝統芸能ではよく出てくる人物である。

(長範が出てくる芸能)
 幸若舞曲 『烏帽子折』
 謡   曲 『烏帽子折』、『熊坂(幽霊熊坂)』
 御伽草子 『天狗の内裏』
 古浄瑠璃 『義経地獄破り』、『源氏十二段』
 義太夫節 『十二段』、『末広十二段』
 歌 舞 伎 『初雪物見桜』、『熊坂物見松』、『熊坂長範物見松』
 能      『烏帽子折(後半)』、『熊坂』

能『烏帽子折』


熊坂の面はこのようなもの

面の裏側は「オモテノウラ」というのでしょうか(^^)

江戸末期の浮世絵師の歌川國芳(1798~1861)も描いている。


過去に散々人々から物品を盗み、義経を襲った盗賊であるのに、英雄と
されているところに屈折した人気の様子がうかがえる。現代ならばルパン
三世の
人気のようなものだろうか。あれも考えたら泥棒が主人公であるので、
よく考えると何ではあるのだが、江戸時代の当時も完全なフィクションとして
石川五右衛門や鼠小僧などと共に熊坂長範は人気を得ていたのだろう。
ただ、日本人の感性として「判官贔屓」というものが底流にある筈なのに、
その判官義経に襲いかかって討たれた熊坂長範が人気があるのは、一種
逆説のロジックのようで面白い。判官に討たれた熊坂に対する判官贔屓の
さらなる連鎖みたいな感じだろうか。
また、そうした感性の連鎖だけでなく、長い物に巻かれるのを嫌う気概や
体制に
抵抗することを歓迎する反骨の気骨のようなものを熊坂長範等を好む
江戸市民
に見ることができる。盗賊を義賊として歓迎することには、抑圧
された人民の鬱積した感情の発露を感じざるを得ない。それが最末期には
「ええじゃないか」で現実的に無政府状態の現出として爆発したのだろう。
能や謡曲での熊坂の表現と江戸期の歌舞伎等の大衆芸能での熊坂長範の
表現は、感性の
ベクトルが異なるように思われる。

ちなみに、義賊とされた鼠小僧は現実的には盗んだ金はすべて自分で消費
していたようだ。鼠小僧を裁いて磔獄門を言い渡したは時の町奉行榊原主計頭
(かずえのかみ)だった。直参旗本の榊原家は家康四天王の榊原康政の直系だが、
この時の奉行職(関八州廻りの勘定奉行も歴任。劇画『子連れ狼』では拝一刀に
暗殺された)だった榊原主計頭は織田家からの養子であるので、康政の血脈は
途絶えているのかも知れない。一方、織田家の方が織田信長の血脈が継続して
いたかどうかは私は不知だが、旗本榊原主計頭の子孫は顔の特徴や気質などは
織田信長と共通する部分が非常に濃いことを私は個人的に知っている。痛い程に
知っている。



熊坂長範ゆかりの地とする伝説がある場所は全国に存在する。
その中で、金沢をピックアップして紹介したい。

なんだか「熊坂長範誕生地」という字体が私の字にソックリ(笑


なんだよ。これじゃまるで、横浜ケンタウロスのボスだよ(笑
まあ、大将、実際に盗賊みたいな感じだけどな(激笑
いつもビールごっそうさんどした。





(劇画『ケンタウロスの伝説』より)

32年来の疑問がある。
レディは箱崎健に「帰ろう。ヨコハマへ」と手を差し伸べたのに、なぜボスは
帰る場所を「ハマ」ではなく「東京」とこのコマの時に表現しているのか。
地方出身者ならハマまで含む首都圏を「トウキョウ」と呼ぶことは一般的だが、
原作者のオサムちゃんは東京出身なので「東京」という言葉はほぼ使わない筈だ。
東京や横浜出身者は「東京へ」とか「神奈川へ」などという表現は使わない。
「ジュク(新宿)へ」とか「ブクロ(池袋)へ」とか「ノガミ(上野)」、「エンコ(浅草)」
あるいは「ハマへ」という具合に、特定ピンポイントを地名隠語として使う。
渋谷などは新しい街だから隠語はないようだ。「シブヤ」だけである。
しかし、いずれにしても、首都圏を以て「東京」と呼ぶのは地方の人間だけで、
首都圏の人間は場所は場所を特定して呼ぶ。大雑把に東京とは呼ばない。
ハマから神戸まで走って帰る600マイルブレンドのこの時、ボスがなぜ「東京へ」と
表現した演出になっていたのかはいまだに謎である。
現実のセリフはちょっと違っていた。

そういや、ケンタ主催で本牧で特設会場で能舞台開いたりしたなぁ・・・(遠い目)
あれは伝統芸能というより前衛能という感じだったか。


若き日の俺。
妙だ。最初の文字はKではなくHの筈なのに。

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居合の稽古 ~尾道~

2012年07月24日 | スポーツ・武道など



18:00~21:00までは居合の稽古。
画像は全日本剣道連盟制定居合12本の演武を見取り稽古の様子です。


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スクリムショウ ~ナイフ~

2012年07月24日 | 刃物

米国がガーバー社のナイフのラインナップにシルバー・ナイトという製品がある。
これがなかなか垢ぬけたデザインをしており、大昔からガーバーファンは1本
持っていた。折り畳み式のフォールディング携帯小型ナイフだ。


ハンドルには針で彫り物が施してある。これはスクリムショウという。
いわゆる毛彫りだ。

象牙やクジラの骨に航海中の船員が時間つぶしで加工し始めたのが
はじまりという。

こちらは私のガーバー・シルバーナイト#300である。
飛翔する鴨のスクリムショウが彫られている。

なかなかカワイイですよ、これは(^^)
プリントではなく本物のスクリムショウだから、同じ図柄は二本とない。


しかし、シルバーナイトはグリップは、象牙やウッドよりも一番似合うのが貝だと思う。

アバロンのこの美しさ。

アバロンときて、押井のあの作品を思い出したマニアックな貴方。
ガーバーのシルバーナイトのアバロン、1本どうですか?
ブレードは銀紙1号だからめっちゃ切れます。
ブレードロック式で刃長さが6センチを少し超えるので、常時携帯はできません。
もっとも、6センチ未満でも「正当な理由」なく刃物を携帯することは銃刀法で
禁じられていますし、軽犯罪法では刃渡り関係なく刃物の携帯は禁止されて
います。

ナイフは持ち運ぶときは厳重に梱包していないと取り締まり対象になります。
キャンプ場などで使う場合、運搬は梱包して「すぐに取り出せない」ようにしておく
必要があります。車の中に置きっぱなしとかいうのは、職質くらうと逮捕されるよ~。
狩猟などでも、車内にナイフ置いたままというのは駄目で、実際に猟銃所持免許取消
の案件が発生したりしています。不当だ!と言っても、現場の警察官の裁量という
権力が行使されますので、抗議しても駄目です。日本で「武装」していいのは、
警察と自衛隊だけ、ということになっているのでやむなし。武装じゃないのにね、
工具ナイフは。
最近銃刀法が改正されて、模擬刀でも「正当な理由」なく携帯してはいけないことに
なったみたいで「コスプレのため」とか「好きだから」とかで持ち歩くのは処罰対象
です。
だから、軍人の格好してサバゲフィールドに軍刀持って来たり、侍の格好してコスプレ
記念撮影などというのも、全部アウトになりました。
特に本物のナイフは、首都圏ではたとえ刃渡り2センチのツールナイフだろうと携帯が
発覚すれば検挙されています。一般人が検挙されまくりです。キーホルダーナイフで
さえ逮捕されています。私の友人のジャーナリストは、車の中にドライバーが付いた
十徳ナイフを車の工具箱に入れていただけで最近検挙逮捕されています。
それと・・・車の中にマグライト置いていたり、スパナやドライバー
などの工具を裸で置いて
いたりするのもアウトとされます、法では。法解釈が現場の警察官の裁量というのが、
なんともそちらの方が怖い。


ガーバーとガバ、よく似合う。

こちらは私が仕上げたガバチョ。オールドタイプですが、よく当たります。
(プラ製には見えないよなぁ。いわゆる表面処理は「時代つけ」というやつですね)


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鉛筆の作られ方

2012年07月23日 | 日本刀

How It's Made PENCIL
 

鉛筆の作られ方。

鉛筆でさえ芯の硬度試験やってるくらいなんだから、
現代日本刀も出荷前に刀工が刃欠け強度検査くらいしろよ、と
言いたい。
いくら自家製鉄で作ったとか、切れ物とか、清麿写しとか業者
さんが宣伝していても、鞘の朴の木にこすっただけで切先が
パリンと大きく欠けるような日本刀作ってくれるなよ(苦笑)。
他の刀工さんたちも、頼むよ。粘る鋼に仕上げてくれ。
鑿や鉋や鉈鍛冶の方が刀鍛冶より上手いんじゃないの?
刃が脆くて欠けやすい危険な日本刀造りはやめてけれ。
刀工という鍛冶職だというのではなく、刀匠だ作家だ先生だと
自認するのは勝手だけど、一品物の手作りの日本刀があまりにも
脆すぎたら、刀である以前に刃物としてお話にならないだろう。
どうか、お願いします。
刀工を信頼して大河を渡ろうとしている剣士たちを泥の舟に乗せる
ようなことはしないでほしい。


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鍔の作者

2012年07月22日 | 日本刀

先日、九州の剣友と飲んでいる時、最近入手したという
鍔を見せてもらった。
居酒屋の奥の座敷は互いの鍔箱を重ねて、さしずめ
骨董市のブースのようになっていた(苦笑
新しく入手した鍔は、居合抜刀用の自分の刀に装着する
つもりだという。
見せてもらったら、丸形鉄鍔で、水辺の風に揺れるさざ波が
高彫りにされ、花の葉が鋤彫り、花を真鍮象嵌された作だった。
不思議なもので、鍔の大きさというのは直感的に判る。
「これ69ミリでしょ?」と訊いてから、最近私も入手した鍔と
重ね合わせてみたらぴったりと同じ大きさだった。

まだ手入れしていない状態の友人の鍔。




なかなか味のある鍔だ。
赤錆のみを落として、適切な手入れをすればかなり
良い鉄味が出てくると思う。赤錆はこさぎ落とすしかないが、
気長に手や顔の脂を着けていくのもよい鉄味を生む。
日本刀のナカゴのみは素手で触るのも、良好な黒錆を
着けるためだ。学校の鉄棒が真っ黒で良い錆が着いているが、
あのような黒錆の状態が鉄鍔や刀のナカゴには良いとされる。
おかしかったのが、長船刀剣博物館で誰でも握れるようにして
ある安藤広清刀工の裸の刀だった。平成15年製作だから、まだ
9年しか経っていないのだが、いろいろな人がナカゴを素手で
触るから、とても良い黒錆が着いていた。一般的な新作刀剣は
10年程度ならば、ナカゴはビッカビカに光っている。



友人の鍔を眺めていて、ふと思った。

5月に埼玉で私が買った蛙鍔と同じ作者なのではないだろうか。
どうにも手業がかなり似ている。

こちら私の蛙鍔。蛙合戦(かわずかっせん)の図だ。



縦77ミリ 横74ミリ 厚4.6ミリ 重さ117グラム
画像では判りにくいが、ところどころ目の部分に真鍮の
丸象嵌が施してある。

どちらの鍔も無銘なので、作者は特定できないが、作風からして、
私が観るに加州貞之あたりではなかろうか。
もしこれらの二枚の鍔が同じ作者の作品だとしたら、期せずして、
同じ時期に離れた場所で同じ作者の同じような水辺の図の鉄鍔を
友人と別々に買い求めていたことになり、何だか面白い偶然だよ。

私の蛙合戦鍔は加州新刀の拵に着けようと考えているが、まだ
トータルイメージがまとまらない。
刀装はトータルバランスが大切で、好きな金具を適当に着けていては
チグハグで妙なものになる。
また、刀身の出来と合わせることもポイントで、肌が詰んで粛々とした
直刃に派手派手な拵は合わない。また逆に、薩摩拵のような剛直な
拵の中身は薩摩刀のような相州伝系が似合うだろうし、尾張関や尾張
藩工の刀には柳生拵や尾張鍔を着けたい。大小の刀の場合、大小揃い
の鍔や金具を揃えるのは大変だが、別々な物でも釣り合いがとれるような
外装を着せてあげたい。
私は手持ちの鍔は少ないが、たまたまラッキーなことに、別々の場所で
大小とも同作者、同意匠の鍔を2組入手することができた。どちらも
よくあるデザインではなく珍しい物なので、偶然の出会いというのは
本当に不思議なものだ。古物というのは一品物が多いので、出会いは
一期一会という感じがする。
かといって、大尽ではなく普通の勤め人なので、集める鍔は数十万円の
大名道具ではなく、せいぜい2万円~10万円の範囲の物だ。一般的な
平侍が身に着けていたような品物だろう。

江戸時代は各藩での傾向があったので拵の選択は比較的簡単だが、
現代は
自由なのでなおさら今の持ち主のセンスが問われる。
基本としては、金具は赤銅系なら赤銅系でまとめ、鉄系ならば鉄系で
まとめる
ことだろう。透かし鍔はどの拵にも合うかというとそうでもない。
そのあたりは、伝統的な日本の「刀装の定法」を知る必要があるだろう。

刀の外装の金具には、縁・頭・目抜・こじり等がある。ほかには刀身を支える
ハバキと鍔を固定するスペーサーの切羽(せっぱ)がある。
これらすべてを単体で「これが好きだから」と装着していては統一性を欠き、
落ち着きがない刀装になってしまう。秋草の図の縁頭に源平合戦図の鍔
まったく合わないし、肥後鉄金具に赤銅磨き献上鍔などは全然チグハグだ。

これは現代の「色合わせ」という被服にも通じるセンスというものが必要に
なってくる。黄緑と黄色や灰色と赤のツートンは合うが、色合わせでは
不釣合いな配色もある。刀装もそれと似ていて、トータルでのまとまりが
重要になってくる。

刀の外装はトータルバランスで。
好きな金具を何でも着ければよいというものでもない。
ご利用は計画的に(笑)。


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