渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

日本刀(ではない物)の製作

2012年04月29日 | 日本刀

Making of a katana


「カタナ」とは呼べるだろうが、日本刀とは呼べない。
鋼のインゴットの丸棒を叩き伸ばしただけで刀とは・・・。
しかも、火造りで鎬線まで出すところ、何と削り出しです(^^;)
まるきりアメリカンナイフの作り方そのものだ。
折り返しや炭素量調整とかはしないのか。出来合いの鋼材を素延べ
しただけで削り出したのが「刀」とは、いくら現代日本の日本刀の制作方法が
本来の伝統技法ではなく幕末頃の技法であるとはいえ、古刀期でも動画の
ようなこんな作り方はしなかっただろう。
特に帽子の成形にはたまげた。火造りでの打ち伸ばし成形ではなく
削り出し!
鉄鋼ヤスリもセンのように変な使い方しているし・・・。
これは日本刀ではない。長いナイフです、これは。

また、拵えや鍔の作り方もまるっきり日本工芸の手法を採っていない。
鍔なんて、素材は板材を切り取っただけだ。いくらなんでも、そりゃねーす。
も塗りがひどすぎる。
日本人でも素人で「私は拵が作れる」と豪語する人がいるが、大抵は
塗師(ぬし)という日本の伝統職人の仕事をなめているので、塗り上がり
が目も
当てられないことになっている。この外国人の人の鞘もそれと同じで、
あちこちがでこぼこだ。漆を塗るということがどれほど難しいことか。
居合用普及品のスプレー塗装鞘ではなく、本物の塗師が手がけた本漆の
日本刀の鞘を見る機会がないのなら、輪島塗のお椀を熟視してほしいと思う。
匠の技は一朝一夕に習得できはしない。

しかし、出来上がりのぱっと見がこの動画のようなナイフでも日本刀らしく
見えるのだから、困ってしまう。たぶん、外国人はこれが日本刀と思うだろう。
せめてタイトルが Japanese sword となっていないことが救われる。
Katana というのは刀剣のことであるから、どんな作り方で作っても切れさえ
すれば刀剣だからだ。
だが、現在の日本でも「刀剣」を作ることは刀工であろうと許されない。
「美術刀剣」でないと製作許可は下りない。刀剣というのは銃剣と同じ扱いで
あるからだ。武器である刀剣(銃剣)は軍部(自衛隊)に納める業者しか製造が
許されない。だが自衛隊の儀仗刀は「青銅に鍍金」と法律で定められている。
鋼で作った日本刀を持つことは自衛隊といえども許されていない。


それでも、仮に戦国時代にこのようなインゴットの鋼材が出回ったとしたら
どうだろう。当時の刀工たちは使っただろうか。
たぶん、使っただろう。実際に膨大な刀剣需要に応えるために、鋼が
大量に作られる方法に頼った。鋼の塊が「材料製品」として流通した。
さらに現実的に、時代が下った先の大戦では急場に合わせて鋼材を叩き
延ばしただけで軍用刀を製造したりした。
そうなると、「日本刀とは何であるのか」という根幹を深く考えさせられる。

日本刀の作り方は、ナタの作り方・ナイフの作り方と同じであるのか。
やはり「否」だと私は思う。
日本刀をことさらに神格化することは私は避けたいが、たとえ無垢造りだろうと、
硬軟の鋼を折り返し鍛錬して鍛接という日本独自の日本刀の製造方法を
採らないと、思うような「日本刀」としての要求性能には耐えられないの
ではないだろうか。
ただし、コールドスチール社の Katana の例もあるので、現代鋼材というのは
侮れない。コールドスチール社が作る製品(「作品」ではない)は、刀剣としての
性能面はそこらの日本刀を遥かに凌駕する。まるで戦時中の軍刀のようだ。
鋼材の良し悪しだけで見るならば、現代鋼材は伝統和鋼より遥かに優れている。
和鋼が世界一であり「日本刀」が世界最高だと思うのは現代日本人の思い
上がりであり、現実を直視しない偏頗な現代国粋主義に犯された脳がなせる
業だ。
そのような偏頗な国粋主義は、とどのつまり傲慢な中華思想につながる。
戦時中でさえ、日本人は柔軟な思考を持ち、洋鉄を使ってでも、あるいは
過去の技法を破棄してでも性能面の改良を徹底的に日本刀に求めた。
そこには「発達」を希求するというそれまでの日本人の生き生きとした躍動が
あった。
国粋主義が謳歌された
戦時中よりも現代のモノを知らない国粋主義者や
平和主義者のほうが頭が固いのは一体
どういうことなのか。
現実的には、「刀剣」としても世界トップクラスといえる「日本刀」を作れる
日本人は今はそう多くはいない。
ただし、日本刀の成分を分析した記録によると、古刀が軽くて強いのは、
つまるところチタン合金だからみたいなんだけどね。人間国宝の
天田刀工はそのことを指摘していた。

大正から昭和初期にかけての軍刀が面白いのは、徹底的に日本刀

そのものを科学的にあるいは化学的に解析しようとしていたことだ。
そして「さらに先を」という視点に立って改良を目指した。
現代の日本刀は死んでいる。「発達」の歴史が封印されたからだ。
日本刀は古から日本人と共にあり、時代と共に最良の性能を求めて発達
してきた。時代ごとに形状や長さが変化するのはそれを示している。
例外としては江戸期の一時的な平和な時代が挙げられる。
江戸初期の元和偃武(げんなえんぶ)により明治維新までの江戸時代の
間は日本刀の発達は一時衰退し(元禄時代、国内製作数ゼロという年が
何年も続いた)日本の制作方法は完全に失伝した。
だが、まだ本来の日本刀(いわゆる古刀)を復活させようとする刀工たちが
存在した。あるいは新規技法で要件を満たす刀を作ろうと努力する刀工たち
がいた。それらの技法は「新刀特伝」として、それまでの地方色を残す作品
ではなく流派の技法、一門の作風に結実していった。

だが、日
本刀の歴史は1945年で完全に死滅した。

それは、発展ではなく、「復古主義」の「美術品」としてのみカタナ造りが
模索されだしたからだ。
かろうじて製作技法は江戸末期の方法を墨守しているが、そこから
抜け出すことを現代のお上や権威筋は一切許していない。
日本刀の「発達」は、もはや望めないのである。やれることは古い時代の
日本刀の模写だけだ。どれほどよく似せられたかという。
似せる物。それは世の中ではニセモノと呼ばれる。
本物の日本人が作る「本物」の日本刀がすべからくニセモノとは、なんとも
歴史の皮肉だ。


この記事をはてなブックマークに追加

青空

2012年04月28日 | 内的独白


自宅駐車場から。
晴れ。
世間では連休の始まりらしい。

しかし、私は仕事である。

本社設計部の同期のやつのキャドの横に飾ってあった。
何機か並んでいたので、これを貰った。
かなり気に入ってる(^^)
今は私のデスクの横に置いている。


最近のジェットプリンタの性能はすごいね。
この Blue Impulse の文字なんて、縦方向の大きさ1ミリ以下ですよ。
老眼が出ていない私でも、目をこらさないと読めないよ(^^; 

しかし、めっちゃカッコいい機体だ。
実用の極が研ぎ澄まされたものは、航空機に限らず美しい。
必要なものだけを追求し、余分なものを捨象していくと、シルエットが
どんどんシンプルになっていくのだが、同時に美しさを伴ってくるのは
不思議だ。
レーシングマシンや航空機などの空力特性を特化させたボディは、
ただシンプルなだけでなく、とてもシャープなシルエットになる。
意味のないダイエットが内実のないことを翼は語る。
この航空自衛隊ブルーインパルスの愛器T-4の愛称はドルフィンという。
かわいいね。
製作しているのは川崎重工、つまり Kawasaki だ(^^)
カラーリングは一般公募である。

内的独白カテゴリー400話記念は「青空」と数字にちなんで「T-4」でした。


この記事をはてなブックマークに追加

ベンツ 500E

2012年04月27日 | バイク・車

マジか!?

私のイトコの兄貴は車好きで様々な車を乗り継いだが(ミニにも乗ってた)、
やはりポルシェ・ラインのベンツに行きつき、今ではマニアックなベンツ・フリークと
なっている。

成金趣味的数寄者社長趣味でなく純粋にベンツの良さを求めて、車種にも
こだわって愛着持って接しているようだ。

その兄貴の愛車、今ではレアな機種であるのだが、なんとどうやら当時のヤナセの
カタログに載っていた個体そのものだということが最近判明したらしい。

当時のヤナセのカタログから。




ま、マジか?
これって、レアケースというか、かなりとんでもなく珍しいことなのでは
ないだろうか。
オーナー本人の兄貴もまったく知らなかったらしく、車のお師匠様からの
調査報告連絡で知ったらしい。

う~みゅ・・・・。
お、おれ、これ運転したもんね(^0^)
(↑ほとんど、「銀座NOW!」でカメラに向かってピースしている小僧のノリ。って、
関西の人には何のことかわからないだろうけど・・・)

運転したのは東京から神戸までと、別な日に三原市内で。
あ~、こすらないで良かった(笑)。

今さらちょいとビビったりするヘタレなわし(^^;
だって、兄貴から聞いているメンテ費用知ったら・・・そりゃあね。
刀買えます、毎月(笑


(広島県三原市内にてあたくしが撮影)

兄貴のコアな車とワンコのブログはこちら(ワンコもマニアックすぎるだろっ)

  ↓
風の日記


この記事をはてなブックマークに追加

画題 ~鍔のデザイン~

2012年04月26日 | 日本刀



日本刀の刀装具として鍔がある。古くは津美波(つみは)と
呼ばれたらしい。
鍔には磨きの献上鍔や戦国期の平鍔を除き、殆どに画が
彫られていたりする。
私のこの薄板打ち出し技法の鍔にはヤッタランが描かれている(笑
  
(ヤッタランとは松本零士先生の作品に出てくるキャラクタで、
アシスタント時代の新谷かおる先生をモデルにしている)

冗談はさておき、本当は描かれているのは鳳凰(ほうおう)だ。
「こんな間抜けな顔した鳳凰は見たことがない」ということで(新谷先生ごめん
なさい)、頂き物だがとてもこの鍔は気に入っている。

鑑定書には作者も流派も記載されていないが(流派まで?)、桃山以前の
古美濃系古金工の鍔であり、山銅(やまがね)という銅の地に赤銅(しゃく
どう:銅に3~5%の金を含有させた素材)の
覆輪(ふくりん)が外周に使わ
れている。
表面はごく薄い板をたたき出しで高彫りと魚子(ななこ)を打っており、

それで鍔本体を表裏サンドイッチしている技法だ。
この美濃系古金工の作者(集団?)は、同じようなタッチなので、同人作と
思われる作にときどき出会う。
山銅(やまがね)とは、精錬技術が低かった江戸初期までに多くみられる
不純物を含む銅のことで、これが江戸中期に入り精錬技術が進むと
素銅(すあか)や赤銅が彫金素材としての銅の主体となってくる。

この鍔は外周部の少ない部分のみに赤銅が使われているので、当時
貴重だった素材である赤銅はごく一部のみに使用して単価を下げた
のだと思われる。さらに高級品になると、後藤家の鍔のようにすべてが
高価な赤銅で作られた
ことだろう。それでも一つ一つ丸鏨で打つ
魚子地(ななこじ)は、職人が20個ほど打てば1日分の稼ぎになったと
いうのであるから、面全体にびっしりと魚子が入った鍔は廉価品ではない。
また、山銅部分は黒く色上げされ、所々に金が入れられている。
赤銅は空気による酸化が激しく、烏色の深い味わいのある黒味を
自然に帯びる。私のこの鍔も、稽古で使うとすぐに覆輪の指が接触した
部分が赤く光ってくるが、一晩置くと真っ黒の元の状態に変化している。


刀の鍔に描かれている意匠は完全に芸術的な要素のみであり、鍔本来の
機能とは関係がない。
Wikipediaなどでは、刀の鍔は滑り止めや重量調整の意味が強く、
防具としての機能は低いとの旨が主張されているが、この説には
私は疑問を持つ。また、その説を補完するものとして中山博道の
「鍔ぜりは実戦では皆無」という言説を引用しているが、この
中山博道の言質は別な次元のことを例えてのことだと思われる。
現実的に鍔がない得物同士で渡り合うことによる「起きる現実」という
ものがある。木刀でも鉄パイプでもいいから「本気」でやりあうと鍔が
ないとどういうことが現象面で起きるか知っていれば、小さな鍔でも
どれほどの効果をもたらすか即理解できる。

想像だけで存在は生まれない。現実的に鍔が存在するのは、芸術的
理由からでも、鯉口を切りやすいからでもないと捉えるほうが自然だ。
剣道においても鍔があるかないかでは結果が大きく異なる。
それに、中山博道の言は、「鍔ぜり」という刀法上のことについて示唆
しているのであり、「鍔の効能」について語っているのではない。
幕末の京都油小路での新選組と新選組から分派した御陵衛士との
斬り合いでは、翌日現場を見たらそこら中に指や耳が落ちていたと
いう記録が残っているが、斬り合いでは鍔があっても小手や指が真っ先
に損傷を受ける可能性が高くなる。だから鍔は意味がないということでは
なく、鍔があるとないとでは現実的な斬り合いにおいては受傷度合いが
大きく異なってくるだろう。鍔が防護装置であることは、論を俟たない。


閑話休題、鍔の画題の話。
解りやすい図ならよいのだが、鍔に描かれる図というのは大抵は意味が
ある。それを画題といってもよいかも知れない。
多くは、花びらの透かしひとつとっても「ただ可愛いから」とか「美しいから」
として透かし彫りされたりしたのではないだろう。芸術的表現であるのだから、
そこには芸術的技法を通して作者が描いて人に伝えたい「題」が必ず存在
する。
私の鍔の例でいえば、画題は「鳳凰」である。
下にある樹木は何であろうか。
これは故実を知っていれば「桐」であることが解る。正確には「梧桐(あおぎり)」
である。想像上の霊鳥である鳳凰は霊泉の水を飲み、竹の実を食し、梧桐に
しかとまらないとされるからだ。

(アオギリ)

鳳凰自体は「聖天子の出現を待ってこの世に現れる」といわれ、麒麟、霊亀、
霊竜とともに四霊とされている。つまり、この鍔には、鳳凰を描くことにより、
聖天子の出現を待つという作者の思念が込められている。
想像上の霊獣は画題によく使われるが、鳳凰が住む所は仙人が住む場所と
されており、聖天子出現を願うという即物的な希望を表現するにしてはいささか
現実味を欠く。まさに夢物語のようになってしまうが、それを言ったら夢がない。

この仙人についても多くの解釈があり、仙人とは一体何なのかを知ると面白い。
老人の図などは、知らないと私などもちんぷんかんぷんなのだが、興味を持って
その画題について調べると意味が解ってきて作品を楽しめる。
しかし、南画でもそうだけど、画題に描かれる中国の故事などは、難解なものが
多いよね(苦笑)
でも、書画を見て深く理解するには、知るべきところを知らないと理解が及ばない。
これは歌舞伎のような前知識がなくとも誰でも即物的現実(架空の)世界に親し
める表現演劇と能のように知識がないと意味が理解しづらい舞台芸術との
違いに似ているように思える。
書画と同じく、刀装具の画題も、殆どが、風景を見て「わあ、綺麗。描こう」という
西洋的なアプローチではない。

それはアルファベットが単なる記号であるのに対し、中国人や日本人が表意文字
である漢字を文字として使用しているところからも、意識の上でも西欧との歴史的
な文化の違いが色濃く出ているように思われる。
ちなみに、チャイニーズ・キャラクターである漢字の数は85,500字を超えるけれ
ども、そんなに知らないよ、きっと中国人でも(^^;

日本の場合は終戦後に使用頻度の高い漢字を当用漢字として国で定めたが、
それは1850字にしか過ぎない。また1981年に定められた常用漢字としては、
1945字だ。
ということで、漢字が表意文字であるゆえどんどん増殖して行ったように、芸術表現
にも含みの意味を持たせることは漢字文化圏の特徴でも
あるように私には思われる。
ちょっと説教くさいけどね。南画、日本画の類は。
それ考えると北斎はぶっ飛んでいた。有名な『蛸と海女』なんてのは、後ろの文字列
を読むと、発禁モノだよ、あれ(苦笑)。今の世でも街中で声に出して読むと絶対に
逮捕されそうな気がする。
それでも、世界で認められた現在の日本のマンガの原点を切り拓いたという点で
葛飾北斎は偉大だったと思う。北斎漫画なんて、今の新聞掲載の四コマ漫画の
タッチそのものだものなぁ。

今、買い求めようとしている鍔がある。
一見不可解な図が彫られているが、これも「画題」として探ると面白いことが
解ってきた。解ってきたら、その図に深く惹かれるようになった。
その画題の解説は、その鍔が運よく手に入れられたというこで(^^)
オークション狙いではありません。
ただ、こればかりは、「買おうと思ったら売れてしまっていた」ということが
往々にしてあるので、「縁」があるかないかというのに左右される。
一品物だしなぁ、こうした彫金物というのは。陶芸作品とまったく一緒だよね。


この記事をはてなブックマークに追加

剽窃ながれ旅 ~中国製品~

2012年04月25日 | 時事放談


http://www.youtube.com/watch?v=r7LYhe3xti4

「お!あまりないコルト・ウッズマンの動画だ」なんて思ってyoutube見たら
なんだよ、これ。ノーリンコの中国製のパクリ製品じゃあ~りませんか。
ここ数年で、中華人民共和国による海外製品のコピーは多岐にわたるので
話題性としては著しいが、実は今にはじまったことではない。
ソ連のカラシニコフ氏が設計した軍用小銃のAKシリーズなどは、
生産ライセンスがとっくに切れたのに中国も北朝鮮も勝手に生産し続けている。
この件に関しては、カラシニコフさんが苦言を呈していた。
中国の言としては「これ(中国製AK小銃)は中国のオリジナルであり、
ソ連製のコピーではない」という傲岸なものだった。なんというか、
盗人猛々しいとはまさにこのことですな(苦笑)
だが、全世界の紛争地域に出回っているAK突撃銃は、そのほとんどが
中国・北朝鮮製であり、こちらは笑いでは済まされない。
ブラックマーケットに国家レベルで横流ししているのである。

中国は最近ミニ・クパーにそっくりな車を発表したが、こちらは「真似しました」
なんてついに開き直った。
法的モラル以前に人的モラルもへったくれもない。
古い中国には「李下に冠を正さず」とか「盗泉の水は飲まず」とかいう教えが
あるが、これとて、原意を吟味するとモラルの上でのことを説いているのではない。
(日本では模範的なモラルとしての行動規範のように伝えられたが)
あくまでも自己保身のためにはどうなのか、という視点で語られる故事なのだ。

だが、そんな救いようがない権利意識の中華人民共和国であるのだが、
今開催中の北京モーターショーを見ても、中国市場はマーケットとして
今や地球上で重要なポジションになったので、資本主義各国の企業が
増収を狙って中国に入れ込んでいる。狙いは高級車だ。トヨタも5倍の
増収を目指すそうだが・・・。
なんだかねぇ。貧富の差が資本主義国家よりも厳然と存在して、それが
半端ない開きがあるというのは社会主義国にあっていいことなのか。
というよりも、社会主義である訳がないのが中国と北朝鮮なのだが、
それをマーケットとして食い物にしようとしている先進国企業体も
いかにも金目当て、金こそ第一義の資本主義国家群らしい。

それにしても、本来ならプレミア付で超高価なコルト・ウッズマンの
ファーストモデルのデッド・コピーがこんなオモチャ価格で販売される
というのは、なんだかなぁ、なのである。日本のエアソフト・ガスガン(玩具)
の半値だ。中国製銃器は日本のオモチャ以下の価格帯で米国市場を
席巻している。



別な動画を見てもわかるように、ジャミング(回転不良)が非常に
多いようです。

アモ(弾薬)にもよるのでしょうが、コルト・ウッズマンはほとんど
ジャムしない銃として
信頼されたからこそ70年近くも販売され続け
たのに、こんなダメ仕様にしてコピーとは
どういうことかね、とか思うよ。

すまん。
イデオロギーがどうのこうの、ニセ社会主義がどうのこうの以前に、
個人的な好き嫌いの問題なのだが、どうしても中国は
昔から好きに
なれない。

自分たちが全世界の文化の中心であるという「中華思想」というのが
どうにも嫌いだ。
これは「好き嫌い」という個人的な趣味の問題だからいたしかたない。
それに国家レベルで詐欺働いたり、北朝鮮にしろ人の国の子どもたちを
人さらいしてしらばっくれたり、まったくどういうつもりなのか、イデオロギー
や体制がどうの以前の問題だろに。
マルクスもエンゲルスもは一言もそんなことしろとは言ってなかったぞ。


こちらの動画は本物のコルト・ウッズマン・ファースト・ジェネレーション。

http://www.youtube.com/watch?v=X210ztqiyU4

表面のブルー処理からして劣化コピーとはまるで違う。
会えない祖父と戦死した父のエピソードと御自身の30歳前後の時の体験が
大変興味深く聴けた。このウッズマンは大切に子孫に受け継がれている。
歴史の重みと残された銃を大切にしている様子がうかがえ、好感が持てた。
先祖から受け継いだ日本刀に接する時も、こうありたい。

 


この記事をはてなブックマークに追加

常識を覆す ~日本刀の焼き入れ~

2012年04月24日 | 日本刀

昭和53年(1978年)生まれの若手刀匠がいる。
刀工銘を康隆と切る。本名吉田康隆、33歳。
吉原荘二国家・故松原秀宗に学び平成15年に文化庁から
作刀承認を受けている。

その新進気鋭の刀工が作った新作刀がこれだ。


すばらしい地鉄にすばらしい刃を焼いている。

しかし、これが焼き刃土を一切用いないずぶ焼きで作られていると
知ったら、あなたはどう思われるか。
以前にも焼き刃土を使わずに古刀に迫る作を作った現代作者もいた。
某工房で兄弟子が「これ見てみろよ」と業界資料を見せてくれた。
ぶったまげた。重花丁子を土なしで見事に焼き上げていた。

古刀山鳥毛(やまとりげ)などは、研究者の間ではずぶ焼きによる
意図を超える予想外の焼き刃の結果だという所見もある。
では、この康隆作はどうだ。
まるで、焼き刃土を置いたごとく見事な丁子を複雑に焼いている。
単に刃先だけを湯に浸けるだけでこのような焼きが入るのだろうか。
いや、現実に入っているから入るのだろう。
だが、焼き入れにより反りが入るのを見越して、どうやってこのように
刃の幅をほぼ均等に焼き入れ冷却させることができるのか・・・。
ひょっとしたら、舟を使っていない?
炉についても、デンガク(焼き鳥用の炭火置きのような長方形の炉)
のような突拍子もない、いわゆる常識を破る物でも、出来栄えのため
には功を奏することがある。両刃や平槍などはデンガクで焼く方が
うまく焼けるという。
要は発想を固定概念から解放させてやることで、作域が広がるならば
それも大いにありだと私は思う。
しかし、冷却により刀身は上下左右に大きく脈動する。(特に上下に)
そして大きくコンニチハしてから背中にグーンと反るのであるが、
その反りが発生する時に際してどのように同じ幅を冷却し続けて
おけるのだろう・・・。


焼き入れの際に焼き刃土を使用する理由は、冷却部分に温度差を
設けること、毛細管現象により土部分に冷却が進むようにすること、
高温の刀身周囲に水蒸気が発生して冷却を阻害することを除去する
こと、等なのであるが、ズブ焼きで棟まで丸焼きにならないためには、
一般的な刀の焼き入れ冷却のように湯を張った舟にドボンと刀身全体を
入れずに刃部だけを水(湯)に接触させている筈だ。
それでこのように丁子が焼ける?
どうやって、これ作ったの?
とても不思議だ。
さすがに帽子は焼きが先で丸く返らず一枚帽子に近くなってはいるが、
それでも
きちんと返っている。働きも凄く出ている。

以前、刃先だけのずぶ焼き冷却をやってみたことがある。
この康隆のように頭の揃った丁子ではなく、大乱れに乱れて上に行ったり
下に行ったり横に走ったりのわけわからない焼き刃になった。
ありていに言えば、まとまりがなく、下品な刃というやつである。
まあ、素人だからそれまでと言われればそれまでなのだが、
ずぶ焼きでも刃に焼きが入ることだけは確かだ。(水蒸気理論ってなん
なのだ)

しかし、この康隆作のような古備前の如き見事な丁子が焼けるとは、
日本刀製作とは実に奥が深い。

というか、ここまで来ると、内容が高度過ぎて、おらわがんね(^^;

(文中敬称略)


この記事をはてなブックマークに追加

初めての料理 ~女子高生16歳~

2012年04月23日 | 内的独白

夜、家に帰ったら台所が騒がしい。
見たら娘が妻に教えてもらいながら料理を作っていた。
「お、彼氏でもできたか?」と訊いたら、学校の調理実習の
予行演習をしているのだという。
ワーとかギャーとかトホホとかホェ~とかギャハハハとか言いながら
料理を作ってる。
ぬぁんと、娘は高2になるのに、まともに包丁持って一人で料理するのは
生まれて初めてなのである。
幼い頃はともかく、竹刀とエンピツと携帯しか持ったことのないような
人なので、どうやら育て方を間違ったようだ。

包丁の持ち方、危ない!(幼い頃、私が毎週外に連れ出していた頃は
ナイフも包丁も完璧だったのに)
妻は口で説明するだけなので、実際に私が右手の握り方と
左手の刀身側面への猫手の添え方を教えた。(包丁を安定させるには
右手の人差し指の位置が重要)
「そういう風にやってるよ~」とか娘は言うが、やってないよ。
左指が伸び切っていて手を切りそうだ。
豆腐を掌で切る時も、包丁の切先で手を突っついて「いて!」なんて
やってるし(笑)
私が包丁で何かを人様に出すためにできるようになったのは、高1の
ときの喫茶店のバイトでカウンターに入ったのが初めてだった。大学
のときは一人暮らしなので当然自炊していた。私のチャーハンは結構
仲間内ではウケがよかった。そのうち割烹でバイトしだして、追い
回しをやりだしていた。
娘も、2年後に一人暮らしするのなら台所に自分の足で立たないと
ならない。
「こんなの、面白いの?」と娘は言う。
「食材と対話すれば楽しいよ」と私は答えたが、どうも私が外に連れ出して
自然と触れ合い、山と川と海の空気を吸わすことを8年前にやめてから、
人間が変わったようだ。どんどん感性が摩滅しているのではないだろうか。
剣道だけやっているというのは、弊害も大きいようだ。武道だけやって
金科玉条の精神論を説かれたところで、人の情操は豊かにはならない。
小学校低学年からずっと日曜は剣道の試合で、平日の夜は塾だし、
勉強と剣道と家に帰って寝るだけ。たまに日曜に試合がない日は一日中
爆睡モードで家で寝ている。そんなやつれたサラリーマンのような小学生の
ほうが楽しいのか私は疑問に思っていたが、現代社会の時代の趨勢
なのだから、娘のような若い子が世間では量産されているのだろう。
AKBなどが流行るのはアイマスと一緒で、非現実的な作り出された偶像を
現実逃避行動の一環として無意識下に希求しているからではないだろうか。
内向的なアキバ系オタが増殖するはずだ。
それに、なんかいつも疲れているような感じなんだよなぁ。まだスポーツを
やっているだけましではあるのだが。それでも、私の世代までのおっちゃん
たちよりもエネルギッシュ(死語)さに欠けるように見えるのは何なのだろう。
シャキーン!として「バリバリでコーナーに突っ込むぜ!」みたいなのが
いまひとつない。

どうにか出来上がった。
生まれて17年目の16歳、娘が初めて作った料理を食べる。
三色丼とおすまし。

まあまあ美味かった。
ただし、我が家では料理に一切白砂糖は使わないが、学校の
料理では指定されたレシピ通りに作らなければならないらしい
ので砂糖を使った。玉子焼きが甘い~。体に悪そう~(^^;

白砂糖の摂取はよくないすよ、いや、まじで。
おすましは、よくできました◎

それにしてもPCで自動設定されるこの検索ワードは何なのだ(笑


この記事をはてなブックマークに追加

作州津山城下 ~歴史散歩~

2012年04月23日 | 文学・歴史・文化

朝、6時台に岡山県津山市での仕事のため事務所を出発。
仕事を終えての帰路、津山城下の出雲街道をゆっくりと抜けてみた。

城下町というのは道がクランク状に作られている。
これは軍事的な配慮による。
目的はまったくサーキットのシケインと同じだ。
ここで侵略部隊を減速させ、一網打尽にする。




クランクの中央にはこんな道標


槌音が聞こえてきた。
ふと見ると、辻に鍛治屋があった。


声をかけて格子戸越しに撮影させてもらった。
エアハンマーで鋼と鉄を鍛着させている。


これは火造り。

鎌専門の鍛治職だ。
火造りでは日本刀のように水を打つことはしないようだ。
炉の送風機はブロアを使用しているようである。

10年ほど前までは三原城下を貫く街中の山陽道筋にもこのような鍛治屋が
あった。
道路拡幅により今は消滅した。
廃業すると聞き及び、エアハンマーとフイゴ(なんと手フイゴだった)を
譲ってもらうべく尋ねたが、すでに売り先は決まっているとのことで、
涙を呑んだ記憶がある。

さらに出雲街道を西に進むことにする。


感じが良い町並みが続く。

行政と街の人たちが一体になり、歴史的な町並みを保存する活動をしている。
城下町三原はすべて破壊を旨としている。江戸期からの文化も、建物も。
拡幅指定地区以外の旧町並みは「保存」は一切せずに「放置」ということを
執政として三原市は行っている。

なんだ!これは!時代劇のセットか?(^^)


建物のかたわらにはこのような石碑が。


説明書き。


路地の北は武家地らしい。



武家地だろうたたずまい。なんとも風情と威厳がある。庭もかなり広い。

さて、出雲街道に戻ると、こんな建物があった。
酒屋である。

暖簾には創業宝暦八年とある。1758年のことだ。
1階の屋根と2階の屋根の間の出っ張りの壁に注目してほしい。これは火事の
延焼を防ぐための物で、京都や江戸、大阪では一般的な江戸期の建築様式だ。
この部分を「うだつ」という。「うだつが上がらない」のうだつだ。
また、城下町では火災防止のために屋根は瓦葺と決められていた。

この酒屋の向かいには・・・

ありました、刀屋。
店内は古色蒼然とした造りで、様々な武具が置いてある。
掛かっていた十文字槍が欲しかったが我慢。
声をかけると奥から奥さんが出てきた。(奥にいるから奥なのね)
「たれかある!」とは声をかけなかった(笑)。
3~4万の手ごろな価格で気に入った鍔が何枚かあったが、我慢(^^
後藤一乗の小柄、四分一の瓢箪象嵌が美しい。欲しい。13万。我慢(^^;
きょうは我慢だよ~、我慢(^^;;
手持ちあるけど、これは使い道決めてるから使わない。
また来ると言って店を出る。いやな客だ。いや、買っていないから客とは
いえない。

路地路地に江戸期の名称を示す道標がある。


それにしても時代劇のセットのような町並みだ。

この風景などは三原とよく似ている。
これで電柱がなく、道が舗装でなかったら、拝一刀が箱車を押していても
違和感がないようなたたずまいだ。

この路地には説明板があった。


街道沿いの殆どの旧家は格子戸である。

三原も、すべて壊滅的破壊を蒙る前に、町並みを撮影しておこうと思う。
三原市は文化保存や町並み保存に対してはまったく興味を示さないからだ。
すべて破壊の一途をたどっている。他にまず破壊すべきものや意識があろうだろうに。

堀の代わりの川に出ると見えた!

この小高い丘が津山城(鶴山城)だ。



津山城古写真(撮影:松平国忠)


川にかかる橋の西詰にはこんな道標が。





城下町には各所に門が設けられ、通行を厳しく規制していた。
門が開いている間は街中を往来できるが、定刻に閉じられた後は
たとえ武家でも公式な理由がない限り通行はできなかった。

城下の地図も掲示されていた。

かなり大きな城下町だ。桃色部分が城下町。
赤線は出雲街道で、何ヶ所もクランクにされているのがわかる(7ヶ所ある)。
城下町とは軍事都市であるのだ。

津山藩は、美作国の殆どを領する藩である。関が原の合戦(慶長5年-1600)後に
岡山藩主小早川秀秋が領していたが、慶長7年に無嫡子のためお家断絶。代わって
森蘭丸の弟である森忠政が18万6000石で領主となった。その後、元禄時代に
越前松平家が10万石で入封し、明治4年の廃藩置県まで治めた。
刀剣好きな方は、津山というと「作陽幕下士」と誇らしげに銘に切る幕末の刀工にして
武士の細川正義を思い浮かべるかもしれない。なかなか武ばった覇気のある刀を
作る刀工だった。

東大番所の向かいにはこんな看板。

左が川の上流の北で、右側が南。城は左手のほう。

宮川大橋の上から撮影。

美しい城だ。

別方向から、城下東をのぞむ。

城下の区割りの思想は三原城下と非常に似ている。
はやり、軍事的な要所は共通部分があると見えて、おのずと似てくる。

別な位置から城を見る。

立派な城だなぁと思うと同時に、このような軍事要塞は一体何の犠牲の上に
成り立っていたのかと我ながら自問せざるを得ない。


城下町には町人と武士が住したが、やはり配置を見ると、町人が城の盾に
されるような町の造りになっていると感じる。江戸なんてのも典型だ。
そして、大きな街道の隣国との国境近辺にはやはり門を設け、近隣の
百姓とは別な階級に警察権を与え通行人や百姓の動向に目を光らさせた。
そして集団でそこに住まわせ、あえて百姓階級との軋轢を生ませた。
階級的には下に置かれた者たちに取り締まりをされる百姓たちは、差別による
支配構造そのものを崩そうとはせずに、その階級に対する更なる差別意識を
まんまと醸造させられた。誰によって?武士階級によってである。
武家文化の良いところはいろいろあるが、悪しき面もかなり多い。
武士は階級支配の手法として徹底的に差別的で相当に意地の悪いやり口
での民衆支配方法を「発明」して大いに利用していた。
文明開化から現代に続く自由民権の社会にあっては、そうした旧弊は
すべて破壊されるべきである。
だが、しかし。未だに封建時代から引きずられた旧階級への旧態然とした差別は
なくならない。それはゆえなき差別であり、被差別側に落ち度がある訳ではない。
生まれなどは人間本人は選べないのに、出自で差別されるようなことが現在も
繰り返されている。それは、明治の解放令以降現在までも徹底的に差別を
「当たり前」として制度や意識の上で継続してきた人たちがあまりにも多いからだ。
数が多ければ正しいということではない。差別構造を解体捨象して解放される
べき存在に対して見て見ない振りどころか、同国人に対しても陰に日向に差別を
繰り返しているのが我々日本人なのである。また、同胞だけでなく、近隣諸国の
外国人を揶揄排外するよりもまず襟元を正すべきだろうに、なぜか多くの日本人は
それをしたがらない。
さらに、国粋主義を標榜する「愛国者」たちは、自らの腹に刃を当てて自問する
ことはしない。およそ武士とは無縁の精神性に依拠している矛盾を恥ずかしいとも
思っていない(だから真の愛国者ではない右翼というものは大嫌いなのであるが)。
社会における差別構造やあらゆる差別意識は、これは明らかに武家文化から
引きずる悪しき面なので、私自身はそんな武家文化はいらない。与するのも嫌だ。
全人口の8%にも満たない階級の連中が他の92%の人間を支配した、それが
武家社会だ。こんな軍事独裁支配体制は無くなるに越したことはない。

と思いながら帰途についたきょうの日没。


だが、日はまた昇る。
誰の頭上にも分け隔てなく。
光よ、あれ。






この記事をはてなブックマークに追加

剣道の試合

2012年04月22日 | スポーツ・武道など

娘の剣道の試合のため、朝6時台に家を出発。
7時半に大会会場の福山の盈進(えいしん)高校へ。
この高校、校舎に着くまで物凄い急坂を上がる。
車がやっと登れるくらいのつづら折れの急坂で、コーナーでは
車の腹をこすりそうなくらい。時速数キロでえっちらおっちら登る。
それが600m続く。下りはジェットコースターのようだ。

家内が言う。
「これは毎日生徒は苦行だね」
いや、ほんと、毎日修行の道~みたいな。

娘を降ろして、先生に挨拶をし、三原に戻る。迎えは夕方だ。

帰り道、尾道市立美術館で浮世絵を展示してるというので妻の希望で
場所確認のために立ち寄る。

朝8時台だから開館していないが場所はわかった。千光寺公園の中に
あった。尾道の山の頂上だ。

この山からの瀬戸内海のビューがなかなかだった。

下に見えるのは尾道水道。右の島は向島(むかいしま)。橋はしまなみ海道の橋。
橋の向こうの陸地は「みろくの里」などがある福山市の半島だ。

向島の彼方に浮かぶ島の瀬戸内の景観が面白い。

瀬戸内海で水平線が見える場所はあまりない。
肉眼ではうっすらと水平線の向こうに四国が見えたが、
写真では写っていなかった。

美術館が開館していたら家内と浮世絵見ようかと思ったが、開いてない
のでパス。
大学の頃、美術史だったかのレポート作成のために銀座の美術館に
一緒に行って浮世絵をじっくり見てレポートを仕上げたことを思い出す。
何の一般教養の科目だったか忘れた。確か単位は取っている。
妻は社会科教師の免許を持っているが、私は途中で教職課程は
捨てたので持っていない。

日中、家で待機。
午後「負けた」と娘から連絡あり。
最近勝てないね。1週間のうちに1回~2回の稽古では無理か。
こつこつ稽古している子にはやはり勝てない。これは理だろう。
昨夜、竹刀を4本弦を締めて調整してあげて、娘も気合が入って
いたが、やはり稽古不足は否めない。学校にも学校用に防具一式を
持って行って備えているが、剣道部員が少なすぎて(学年では娘一人)、
どうも部活が活発ではないらしい。中学の時に全国大会に2度出た時は
三原武道館と毎週日曜の試合で週4回以上は竹刀を握っていた。
現在は部活よりも週末の三原武道館での稽古に本腰を入れているが、
やはり週1では厳しいものがあるのだろう。
剣道も他の武道やスポーツと同じで稽古せずに実力が向上する程
ちょろいものではないからだ。
はて、私が高校の時には何をしていただろうと考えると、剣道部には
入らず、バイクオンリーの生活だった(笑)。
一番仲良かったのは剣道部
の奴らだったけど(めっさ強かった。国士舘
よりも強かった。当時都内一
だった。関東大会では二位だった)、私は
オートバイとギターのみの
高校生活だった。小説や詩や曲も書いていた
けど、学業というのはとんと
本腰入れた記憶はない。『あいつとララバイ』の
研二くんのような高校生活
だった。それでも受験勉強はしたよ。3年生の
受験前の2週間だけ(笑)。


夕方、大会会場まで娘を迎えに行く。
先生に挨拶して帰路へ。帰りは高速ではなく一般道で。
途中、マックでバーガー買って車内で食べる。
久しぶりに家族で過ごした日曜だった。


この記事をはてなブックマークに追加

マイガッ!ロスト・タイミン ’! ~刀剣買い時、押さえ時~

2012年04月21日 | 日本刀

家の近所の骨董店には時々格安で日本刀が出る。
備州長船祐定の銘がある刀が出ていた。
拵え付きでかなり格安。


祐定とは室町時代に備前の長船(現岡山県瀬戸市)において
刀剣を大量に生産し、戦国時代の需要に応えた長船刀工集団の
うちの一流派で、集団で祐定銘で作刀していた。
いわばブランド名のようなものだが、永正年間以降は個人銘も
切られるようになった。
個人銘や年紀が入った物は入念作で、それ以外は数打ちと
呼ばれる量産タイプだが、実用上は数打ちでも何ら問題はない。
祐定の切れ味は良いことで知られ、江戸期から剣士も多く求め、
幕臣の伊庭八郎や佐々木只三郎の差し料としても知られる。
現在では金額もピンからキリまである。とにかく祐定は量が多い。
室町末期の祐定は末物として美術的評価は低いが、実用刀と
しては申し分ない。

で、祐定の大刀があった。
店主のオヤジさんに見せてもらい、正真かどうかはともかく、
まあそこそこの出来の刀だった。
尾道道場の人に先週の日曜にそのことを話すと、なんでも祐定の
脇差が所蔵刀にあるので大小一腰揃えにしたいので手ごろな祐定の
大刀を探していたとの
ことで、近々に見に行きたいということになった。
以前、私が店の売り物の祐定を見せてもらった時のオヤジさんの話では
私の紹介なら2万円値引くとの
ことだった。
(刀剣について私は一切値引き要請はしない。否、刀剣以外でも
まず値引き要請は私はしない。金額の折り合いがつかなければ、
それは「買えない」のであり、「負けろ」とこちらから「値切る」ことは
一切しない。ただし「これが最終価格であるか」とは問う。「そうだ」と
言われれば「さようか」てなことでしかない)


本日早朝、メールをもらい、明日見に行きたいとのことで、
それでは私がお供しましょう、ついては先方に連絡して
店主の在店時間を確認しましょう、と開店時間にオヤジさんに
電話したら・・・・ぬぁんと、売れてしまったってさ(><)
先週土曜にはあったので、ここ数日の間だね、売れたのは。


すぐに道場の仲間に架電して事情を話した。
私が悪いわけでもないが、「いやぁ、すんまそん」てな具合で
侘びを入れた。先週日曜日の段階で連絡入れて取り置きして
もらっておけばよかった。
でも、基本、
刀というのは現金商売だから、予約は本来はできない。
今はネット時代で、ネットで商品を掲示している店は問い合わせの
段階で「商談中」としてくれるが、これは本来の店舗販売ではあまり
ないこと。たとえ100万だろうが300万だろうが、パッと即決で
買い受けを気持ちよく決めて、支払い方法を選択するのが本旨だ。
基本は現金払いだ。

そして、刀剣も古物商品なので、逡巡しているうちに売れてしまう
ことが往々にしてある。

実は私も22年前に、ほしくて仕方ない刀があった。

毎週道場の帰りにウインドウに張り付いて眺めていた。
ケチくさい店で手に取って見せてはくれなかった。
その場で買わなければ売り物だから見せない、という。
「はは~ん。俺が値踏みされたな。これが骨董屋か」とは
思ったが、向こうの持ち物なので仕方ない。
60万を切っていたので、夏期ボーナスでは余裕のよっちゃんで
買える。あと3週間だ。
手元には20程しかなかったので、「手付けで予約では?」と尋ねたら
ダメだと言う。この世界、そういうものなのだろう。
夏期ボーナスが出て、現金を握って速攻でその店に行った。
・・・売れてしまっていた。数日前に売れたという。
「長い間うちでも番頭していたけどやっと売れました」と店主は
にこやかに笑っている。バッケァラーと思ったが、この世界そういう
ものらしい。
幸い別店舗では似たような寸法の備前長船則光を懇意ゆえ2週間ほど
押さえてもらったが、
1週間後には「どうされますか?」と職場に電話が
あった。
そういうものなのだろう。
この刀は、その翌日に現金の都合を
つけて買い受けに行き、現在でも
愛刀として刀箪笥の刀掛けに
納まっている。(1週間ほどポケットマネーを
貸してくれて、大家さん先輩ありがとう!)


うちの近所の店に出ていた祐定は残念なことをしたが、こういうのは
縁物なので、タイミングが大切。人間の女性だってそうそう待っては
くれないのに、ましてや一品物の商品となると即行動でコンタクト
しないとならない。だって、狙っているの自分だけではないもの。
あ、これは人間も同じか(笑)

だからって、人の女を獲るのはよくねーぜ(笑
盗むのは心だけにしときな。(なんちて


この記事をはてなブックマークに追加

会議出張 2日目

2012年04月20日 | 外出・旅

会議二日目です。
前日の年度決算・各地の活動報告と総括にかわり、本日は主に埼玉の
生産工場で製品の品質、新製品開発情報、業界再編情報等についての
報告と検証が議題です。質疑応答や情勢分析論では熱い議論が展開
されます。
昨日本日とビッチリと会議ですが、大学時代にも「なんとかほにゃらら会議」
というような自治会みたいなもので同じようなことやってましたので(笑)、
こうした長時間張り詰めた議論をするというのはまったく苦になりません。
むしろ私は水を得たカバのようになります(違

会議のメルクマールは、情勢分析をし、情報を共有化し、活動指針を相互に
確認し、活動方針を主体的に確定化していくことです。学生のときの命がけの
活動がひょんなところで役に立つ(笑)。そういえば、嶋耕作も学生のときは
ナニだったよね(笑
生活かかっているので、ナァナァで済ます人間関係のぬるい世界でないことは
確かです。主張すべきところは主張する。そして徹底した議論により方向性を
見出す。小さな民主主義がここでも体現されています。ナァナァの人間関係世界
というのは、たとえ趣味の遊び世界でも、正直いってつまらない。本気で人が
ぶつかり合う世界ではないから。結局、妙な力学が働いて、つまらん人間関係
が醸造されたりします。趣味の世界では、そんなのを嫌というほど体験した。
しかも、東京では存在しなかった形を地方で多く体験した。つまらんことです。
やはり、本気で本音で合理的整合性のある論が通る世界が本物だと私は思う。
「声の大きい人の主張だけが通る。だから嫌」などというしょぼくれてひねくれた
感性はヌルイ人間関係しかもたらさず、やっかみや妬みを醸造して自浄作用の
ない組織となります。これは、地方でよ~く勉強させてもらった。
私事としては、広島・岡山の地での趣味の世界では唯一「撞球会」での活動が
組織的自浄作用を持ち、民主的な組織性できっちりと体制が磐石だったと
私個人は回想します。
問題が出たらすべて会議という公式の議論の場の俎上に上げて検討する。
裏でどうのこうの動いている連中が支配する組織は、その時点で本質的に
健全な発展はないと思います。意見があるなら公式な場で言えばよい。
意見も言わないのに、裏でコソコソ動き回る人間が主導権を握る組織体制と
いうのは、まあ、近くの国を見ても、お先真っ暗ばい。どんどん実態意識も
現実的事象も閉塞・内向し、単なる自己満足で慢心し、外に向けては強がる。
そして、そこには必ず言論圧殺と歴史事実の捏造がつきまといます。

午後に会議を終え、夕方の飛行機に乗るべく列車に乗ります。


取締役と一緒なので、上野までグリーン車。


二階建て車両(笑)。いつ見ても妙に思える。


羽田の便まで、少し時間があるので、東京駅で降りて、駅ビル
ともいえる大丸にて買い物を。
大丸は昔から私は好きでして、結婚した頃も、お世話になった方への
お中元お歳暮は大丸を使っていました。
百貨店というのは、固定ファンがありますよね。高島屋の贔屓だったり、
三越だったり。大丸や松坂屋は日本刀に対して理解を示して営業展開
しているから好きさ(笑)。

東京駅の大丸の10階にはこのお店です。

あら、看板写すのが小さすぎた。
大丸店内の刀剣柴田で、岡山の顧客プレゼント用に刀の目釘抜きを購入。
ついでに、自分用の下げ尾と鍔ケースの桐箱を買いました。
店内は平日なのに結構混んでいた。皆、高級そうなスーツを着た中高年の
男性ばかり。体つきががっちりした人が多かったのは、なにか武道でもやって
いるのでしょうか。

格安品の長船祐定の脇差が出ていまして、じっくり見ていたら女性店員がケース
から出して私に
手渡してくれたので、手に取って見させてもらいました。
佐藤寒山博士の鞘書きもある立派な正真物で、刀剣柴田としては考えられない
ほどの価格提供で店頭に出ています。鑑定書も二枚ついてる。たぶん、4/24
からの大丸の刀剣展に出されたらすぐに売れてしまうだろうなぁ。傷ひとつなく、
健全なものでした。唯一差し裏の帽子にほんの少しの炭こもりに近い鋼の曇りが
うっすらとあるだけ。
お店の男性の方によると、下取り品で安く入荷したので、それを価格に反映させた
もので、本来はその価格より50万円は高く出てもおかしくはない値段とのことでした。
寒山先生の鞘書きはやはり墨が盛り上がっている。あれ、絶対にニカワを入れて
いるね、墨に。

あと、大慶直胤の大刀があったので詳細に観た。
柾目緩やかに流れる刃文も穏やかな作品。
わかりません。なぜ、直胤が折れやすいのか、外見からは皆目わかりません。
まったくわからない。
ただ・・・。鉄として気になったのが、この直胤は三枚系の造り込みなのでしょうか。
刃縁の上(刃文から上部の地の部分)と平地部分で明らかに鉄質が異なります。
なんというか、「緩んだ」ように見えました。鍛え目がそこだけ粕がかっていると
いうか、活火山の地層は地層と地層の間から植物が生え出すのですが、そんな
地層の境目のような緩んだ異質の鉄肌の筋が見受けられました。もしかすると
鍛着にフレックスを多く使用しているのかも知れない。直胤が折れやすかったのは、
その接着材の質が悪く鍛着が上手くいってなかったのかも知れません。あるいは
フレックス自体が悪影響を及ぼしていたとか・・・。現代の工業品でも鋼材を
溶接した場合、溶着部分そのものよりもフレックスが悪影響を及ぼして出錆し
やすかったり、その周辺がブリネル値が低下して応力に対しクラックを生じやすく
させる現象が起きます。技術も難しく、そのため船舶用の溶接などは一般自動車
溶接よりも高度な溶接免許が必要になります。また、一般貨物自動車のシャシ
を製造するのも、一般的な溶接免許では施工が許されません。国内で一番
高度な溶接資格を有する者しか製作作業が許されていないのです。
大慶直胤の平地を見る限りは、細かい柾がゆったりと流れて、よく鍛着されており、
とても脆弱な感じに見えないのです。ただし、相対としてべったりとした感は
ありますが、これは新新刀全般の鉄を練り過ぎる故の特徴です。私は直胤の
その刃縁の上の部分(古備前なら暗帯のある部分の最下部)の異質の鉄の
筋の存在がとても気になりました。無論、地景ではありません。折れるとしたら、
段階的にプログレッシブに硬度を棟に向けて軟らかく変化させている古刀に対し、
線で区切ったように鉄質が異なるこの造りの状態が脆弱性を生んでいるのかも
知れません。

幕末の刀の耐久テストについてはこちらをご参照ください→信州松代藩の荒試し

大丸のエレベーターから。

東京駅もいにしえの頃の形に改修されました。
関東大震災で被災してこのドーム部分が崩れて、その後ずっと
100年近くも簡易補修屋根のままだったんだよね。
東京駅にはステーションホテルにバーがあって、隠れ家的な狭くて
レトロな雰囲気が好きでした。秘密の密会(なんか馬から落馬みたいな
妙な表現だ)の時にはその小さなバーをよく利用していました。

羽田へ。
日没頃の便で広島に帰還します。

羽田空港第二のこの景観はいつ見ても近未来設備に見える。

映画『デモリッションマン』や『トータルリコール』に出てきそうな雰囲気。

私は国内線はANAしか使いません。

なぜならば、JALは客室乗務員が非常にタカビーなのと、何回か利用してみて
毎度不愉快な思いをするのと、会社の社風に問題を感じるし、その社風
ゆえ事故も多いし、問題ある会社と思っているから。そういう会社は利用
しません。丸ノ内OLと同じくドカンチの極みがJALだと思っています。
一度、以前の職場での北海道への職員旅行の際なんて、機内騒然と
したもんね。シート中央の人間が乗務員の女性に「申し訳ありませんが、
収納からコートを取っていただけませんか」と申し入れたら、「ご自分で
取ったらいかがですか」とか言われた。他の乗務員もギスギスしていて、
乗務員同士で「フン!」みたいな感じなの。他にも80年代90年代には
嫌な感じの乗務員がJALにはとても多かった。
北海道旅行の際は、所長弁護士と事務局長の決断で急遽JAL便を
とりやめて次回便からはANAにしました。あまりの乗務員の応対の違いに
びっくりしました。考えたらANAがまともなのでしょうが、ひどいのを見てきた
だけに、まともな接客が最上質に思えました。
JALは売り上げ落ちて会社も倒産する筈だ、あんな社風、あんな社員ばかりの
会社だと。人を大切にしない社内作風を客へのあてつけで憂さを晴らす社員たち。
JALって最悪だと思います。ぐずでのろまなカメがドラマでウケたのは80年代
初期のJALパック全盛時代まで。

帰りの便は787でも旧型(初期型)機でした。う~ん。やはりシートが狭い。
たった数ヶ月で古臭さを感じてしまいます。
しかし、なぜANAは最新機種をいつも広島便に導入するのでしょうか。
広島県人は新し物好きと言われているけど、もしかしてビジネスの試金石?

雲海の上、高度1万メートルで空と宇宙の狭間を見ることができました。
これは、ここだけでしか見られない景色だなあ。

写真ではよくわからないけど、肉眼ではかなり凄い景色だった。
しばらく、機内放送のJAZZを聴きながらこの景色を見続けていました。
この日はUFOは飛んでいなかったよ(笑)

多くの旅客パイロットは未確認飛行物体と接近遭遇を体験していますが、
それを報告すると「精神に問題あり」として地上勤務を命じられるようです。
私の友人の航空管制官も「見ても絶対に『見た』とは言ってはならない
ものがこの業界にはあるんだよ」とのことです(苦笑)


この記事をはてなブックマークに追加

会議出張 1日目

2012年04月19日 | 外出・旅

本社出張会議1日目。
朝一番の飛行機で羽田へ。
ANAのボーイング787-8は最新型機で、この前乗った787よりも
客室内の作りが格段に良い。シートも広くなり、各シートの前には
モニターがあって映画を観ることができる。
一番面白かったのが「マップ」というもので、ナビのような地図が
出て、タイムリーに現在の飛行ルートや速度や高度や外気温等々が
表示される。大体高度10kmを飛んでいて、速度は時速1000kmを
オーバーしていた。着陸の際もタイムリーに対地速度と高度が
表示されるので非常に面白かった。上空では外気温が-46℃ほどでした。
特筆できるのが窓で、従来よりも縦にかなり大きくなった。
これまでは手動でウインドウシャッターを閉めたが、今回のは世界初の
電気式の窓で、ボタンを押すとジワッと自然に窓がブルーに染まっていく。
一番濃い状態では上空で太陽を直視できるくらいになる。
この窓の横に座った時、「ああ未来に来たんだな」と思った。
機体が丈夫になったので、機内の気圧を以前のように高気圧に設定
せずに済み、飛行区間での快適性も大幅に増しているのを体感できます。
子どもの頃にSFなどで描かれていた21世紀の未来にだんだん近く
なってきている。
ボーイング787は世界初の継ぎ目のないカーボン新素材の一体構造で、
それらの開発映画も興味深く観ることができた。日本国内の技術産業
各社が各部を開発製造しており、私の同業他社が機体の部分担当に
関わっているのを知ってそれも興味深く思えた。ボーイング787は純国産と
言ってよい機体だ。

今回は羽田からモノレールではなく、久しぶりに京浜急行(都営地下鉄乗り入れ)
に乗り三田で都営三田線(旧都営5号線)に乗り換え内幸町へ。
なぜって、以前の職場のそばにある立ち食い蕎麦を食べるため(笑)。
ここ、立ち食いとは思えないほど美味いのです。

三田線は高校時代に毎日利用した地下鉄で、きょう見たら車内の沿線図
にある広告に私の高校も載っていた。
気づいて驚いたのが、高校の時、毎日お弁当を作ってJRの駅で待ち合わせて
渡してくれていた彼女の高校が、三田線利用だと4駅しか離れていなかったこと。
これは知らなかった。彼女は都バスを利用していたので、JR(旧国電)の駅で
朝待ち合わせてお弁当を受け取り、学校帰りに空の弁当箱を渡す青春(笑)の
毎日だったが、何のことはない。学校帰りはうちの高校の駅から彼女の王子の
女子高(現在男女共学)まで地下鉄だと10分もかからない位置関係だったのだ。
これは二人とも気づかなかったよ(大笑)。数十年経って、本日気づいたという
オソマツ。彼女、仲里依沙さんによく似てた。

内幸町で2枚もり+1枚もり(3人前)の朝飯代わりの蕎麦を食べて新橋へ歩く。
80年代90年代に毎日通勤した道です。
あ、新しい店ができてる。





このように通りの角地にあって、角の頂点に入り口を設けている店は
とてもおしゃれに感じる。この界隈にはもう一軒このような作りの古い
時計屋があって、レトロな雰囲気を出している。こうした作りは昔の
シカゴのようで私は好きだ。これで店がビリヤード屋だったら言うこと
ない(笑)。


内幸町から新橋駅への通り。20年前と殆ど変わっていません。



新橋駅も、駅前広場にあった噴水がなくなった以外は殆ど変わらず。
この駅前広場は、かつて学生集会や労働者の集会がよく行われたりしていました。
選挙の時もこの駅前で街頭演説が行われ、黒山の人だかりとなります。
よくTVで会社帰りのサラリーマンにインタビューなんかしているのも、この新橋が
多いですよね。働く人たちの町、それが新橋です。この周りのビル群はすべて
ビジネスビルです。横浜に住んでいるときは横浜市鶴見からこの駅まで通って
いました。通勤時間は電車の時間が30分くらい。早稲田に引っ越してからは、
職場まで地下鉄東西線早稲田→(大手町乗換え)→丸ノ内線虎ノ門で
ドア to ドアで17分(笑)。たった6kmの距離ですが、車で通勤すると朝だと
6kmの距離が45分かかりました。バイクだと25分くらい。都内通勤最強は
125ccのスクーターでした。(その後の時代にスクーターが流行るのはお手軽
便利だったからだと今思う)

ということで、第一日目の全国支店長会議。
今回は私が議事録を作成する書記担当です。
社員100名ほどの小さな会社ですが、業界では老舗として有名です。
一時期、はとバスや都バス、都の清掃車、羽田空港での作業車はうちが
一手に作っていた。スタジオクレーンも作っていて、NHK大河ドラマの
撮影はずっとうちのクレーンで撮影されていました(今では日テレのみ)。
日本で初の純国産車を作ったのが大正時代で、戦後は国内初のバス・トラック
のキャブオーバーを開発しました。

日本発の純国産車(大正時代)。
これを設計製作したのが弊社の創業者。
日本の自動車産業育成のため大正初期に官費留学で
仏に渡り、その後米国に留学、昭和初期の日本の自動車
産業揺籃期に活躍した。
秀吉の旗本H久太郎秀政の直径子孫で、江戸期は大名と
幕臣と各藩家老クラスに分家し、明治期は高級士族だった。
私の父はこの人の書生となり進学させてもらい、すべての
礼法も一から仕込まれた。私の食事マナーや一般礼法は
父を介しこの人のものを受け継いでいる。


キャブオーバーとは今あるバスの形で、運転席がエンジンよりも前にあるタイプ
のことね。大昔はボンネットタイプだったの。
「日本初」という産業製品を今まで多く開発し、現在の国内の物流や産業の
礎となってきた経緯があります。あたしの親父もかなりいろいろな物を発明
したようです(特許=知的所有権は会社。笑)。
私も、人の暮らしの為になる産業製品を作り出す仕事をしているのは、
ちょっと嬉しいかな。

会議後は、料理屋で社長以下、幹部による食事会。
本式の和食会席料理で、お酒もいただきました。食事美味かった!


この記事をはてなブックマークに追加

会議どす

2012年04月19日 | 外出・旅

きょうと明日は会議でおら東京さいぐだなので不在です。


この記事をはてなブックマークに追加

鉄の色揚げ ~色について~

2012年04月18日 | 日本刀

私は鉄の色揚げにはお茶の葉を使います。
お湯にドバッと緑茶の葉を入れて煮込む。


日本茶が緑なのになぜ「茶色」なのかというと、日本に茶が
入ってきた大昔は中国のウーロン茶みたいな茶色のお茶
だったからだそうです。まあ、言ってみれば紅茶も緑茶も同じ
お茶葉なんですが。茶には色の名前がつけられているのは
三つとも共通していますが、緑茶が茶色でないのは面白い。
ウグイスが本当は鶯色ではないのと似ている。
(現在広く認識されている鶯色はウグイスの色ではなくメジロの
色です。このためか、インターネット上でも多くの方がメジロを
撮影していながら誤解したまま「ウグイス」と紹介したりしています。
本当のウグイスの体色はメジロのように派手ではなく、もっと
地味で古雅な色合いです)

自作鍔も、結構いい色に色揚げできます。
 



まあまあかな。
というか、作りかけなんだから仕上げろよ>俺
この透かしは桜花になる予定が途中で中断して梅のように
なってしまっています(苦笑

色については、このような色をつけるのがひとつの目標。

光が反射してうまく写ってませんが、実物は何ともいえない
色合いなのです。この糸透かし(垂えん冠の上緒部分)は
再現できないけど、これもそのうち写しを作りたい。
結構お気に入りの冠の透かし鍔。(水戸安次)
これは康宏刀の拵えに着けている鍔。(現在康宏は白鞘で
隠居中)


まあ、自作鍔だと心置きなく使えるのす。
この柄下地は物斬り用に硬い桜の木で作られた物です。
一般的な朴の木だと柄の損傷が怖いので。
戦時中の軍刀故障の報告では、柄の傷みが一番
多かったようです。
そのため、試斬用の刀の柄は、私は試刀用の切柄と
同じように硬木で作ってもらっています。

それにしても日本の色というのは知ってみると深い。
大抵が中間色のようなパステルトーンであるのが日本人
ぽくて私には面白く思えます。
刀の誂えの下げ緒や柄糸は、伝統色名での注文になります。
「ブルー」とか「オレンジ」というのはないの(笑)
女性の和服の色も、呼び名は和名でしょうね。
そういえばキモノというと世界中では日本の和服を指しますが、
こちらもお茶と同じで正確には「呉服」だから言葉の由来は
もともとは中国服という意味ですね。
しかし、呉服屋あって和服屋なし。面白いものです。

(外部リンク)
日本の伝統色


この記事をはてなブックマークに追加

本当の歴史 ~日本刀の内部構造~

2012年04月17日 | 日本刀

私が持っているいくつかの古刀は、450年の間に研ぎ減ってペッタンコに
なっても、心鉄が出て来ない。


(別な古刀)


(上の刀の物打ち部分。度重なる試斬後の拭いにより肌目が伏さってしまった)

この白研ぎのような状態は、研ぎ師の手に託すと復活する。
素人は絶対に研いではならない。


(上の刀の中ほど部分)


古刀どころか、江戸初期の新刀においても心鉄が出て来ない刀がある。

(水田国重。厚さ3ミリ)

しっかり刃が残っているどころか、砂流し金筋の働きまで出ている。
これは深部まで鋼が使われていることを示す。つまり、無垢造りだ。

大抵の現代の日本刀は、これら古刀や初期新刀の一部とは異なり
このノリマキのような構造になっている。(あるいはタイヤキ)


低炭素の包丁鉄を鋼の皮衣でくるむ。


それはなぜか。
答えは単純だ。以下の通り。
1.現代刀は実用を全く前提としていない。
2.江戸中期~幕末の製造方法を模倣している。
3.心鉄構造が日本刀の伝統的構造であるという著しい誤認を
  刀剣権威筋が流布させ、刀工免許試験も心鉄造りで執り行われる。
4.誤伝を正真と思いこむ世間一般人の大きな誤解の継続。
以上の4点に絞ることができる。ここでは積層構造による含有元素の
遷移などの悪影響についてはあえて割愛する。


現在の日本刀の製造方法はたかだか150年前に考案された造り方だ。
伝統的な鎌倉・南北朝時代の日本刀の製作方法と構造ではない。

現代刀鍛冶でさえ「心鉄構造でない物は手抜き」などというとんでもない
誤伝を信じ切って公言している人が多いので、正直日本刀の未来は暗い。
なぜならば、実用性を一切勘案していないからだ。

甲伏せや捲り(まくり)など海苔巻きのような心鉄アンコ構造だとしたら、
研ぎ減って皮鉄の鋼が無くなるともうその刀は刀としての役目を
終えるだけでなく、刃物としても使えなくなる。実用に供していれば
この時期は結構早く到来する。
ところが、現存する古刀の多くは、茎(なかご)がナタのように厚くて
刀身は研ぎ減って薄くなっている物が多い。本来新品の時は茎と
同じ厚みの刀身だったのだ。
しかし、薄くなっても心鉄は出て来ない。出て来る訳がない。心鉄など
用いてはおらず、芯の芯まで精良な鋼だからだ。これならば、いくら
研ぎ減っても刀剣としての役目を果たす。また、再刃(刃がなくなった
場合に再び焼き入れして焼き刃をつけること)もできる。
しかし、皮鉄でくるんでいる構造だと、皮鉄が薄くなり、心鉄が出て来たら
腰は弱くなるし、皮鉄がなくなったら再刃もできない。
むしろ、積層構造の方が「使い捨て」のような様相を呈してくる。
「無垢鍛えは手抜き、本三枚や四方詰め造りは入念作」というのは、
真実の歴史からいうと、まったくの嘘なのである。
そして、実力ある刀工は、実は無垢造りこそがまとめるのが困難な
工法であることを知っているし、若手刀工でも歴史を見据えている
作者はその内実をわきまえている。(「え?あの人が?そんな所見を」と
思える程に、第一線級の若手美術刀工でも「刀は無垢が本旨だ」「だが、
まとめるのは難しい」というような炯眼を持っているという事実もある)

現代は各方面で研究が進み、古刀期の日本刀の刀身構造の殆どが
無垢造りあるいはそれに準ずる造り込みであることが判明しているので、
私が今さら詳細に説明するまでもないが、「無垢=手抜き」「心鉄構造
=上級作」という碌でもない呪縛に未だに取りつかれている刀工や
権威筋やちょっとだけ日本刀を知っていると自認する日本刀愛好家
たちが跋扈しているかぎり、日本の正しい歴史は広く国民の間に認識
されないだろう。私は嘘の歴史のねつ造に手を貸したくはない。
1970年代の書籍を読んでいて、現在第一人者である吉原義人刀工が
若き日に自作の造り込みについて「無垢。甲伏せ」としていたのに先日
私は注目した。吉原刀工は別な対談でも「(玉)鋼だけを用いて刀を
作ったら素晴らしい物ができると思う」と述べている。美術的な見地から
のみではない深い洞察があると思われる。そして吉原刀工は「割り鋼が
一番頑丈だ」とあっけなく言ってのける。「でもそれだと面白くないから」
と続け、あえて、心鉄構造でも頑丈で本質を見失わない日本刀を
作っており、実際に自作刀で兜を断ち斬っている。吉原刀工の取り組み方は
表面的には現行の日本刀を取り巻く現状をなぞるようだが、その実としては
実に深い部分で日本刀の歴史性と「刀とは何か」を見据えているように
思われる。


さて、現在の岐阜県関において造られている日本刀は本来の関伝ではない。
幕末の工法である。
本来の関伝の工法は戦時中まできちんと存続していた。

美濃の関伝などは、古刀と同じ無垢造りに限りなく近い。「準無垢造り」と呼んでも
よいほどの構造となっている。古来よりも関物が実用刀剣として突出していたことの
歴史的意味をこの構造に垣間見ることができる。
刀身の体配を大和伝にして、構造は関伝、刃の付け方は相州伝にしたならば、
史上最強の日本刀が出来るような気がする。事実、軍刀身はそうした各伝の
最良部分を高次に融合させるような作りを目指していたようだ。

また、戦時中の軍用刀身については、刀工の柴田果さんが深い研究をしている。
その研究の視点は、徹底的に実用に耐えうる刀身の製造を目標としていた。
現代のような「刀身をキャンバスに見立てて絵を描く」などという坊ちゃま感覚で
日本刀があってはならない、国民の生命の存続に関わる重大事案として
日本刀造りがあった時代だ。
国工という最高位置にいた柴田さんは昭和12年に『軍刀身の研究』という
報告をまとめている。極めて卓見だ。
こちらに詳しく紹介されている→ 「軍刀身の研究 1」

また、柴田刀工は、斬れ味や実用効果を上げるために、「より直し」という
工程は必須だと説いている。→ 軍刀身の研究 2」
極めて興味深い。
このサイトは、現代の第一線の有名刀工と高名な研ぎ師も研究の一端として
熟読されているらしい。先入観を捨てて自分の仕事に取り組むための過去の
歴史を検証するという見識が高いのだろうと思われる。
私が熟読してみても、この柴田刀工が言うところの「より直し」という工程が
果たして「焼き戻し」も含めるのか、あるいは「ねじれ取り」のことであるのか
今一つ判然としない。
大筋での説はこうだ。
・刀身は焼き入れによってマルテンサイト変態で膨張した部分とそうでない
 部分が発生する。
・そのために、「より直し」をしていない刀は、たとえ短い短刀だろうと、高名な
 研ぎ師が相当に困惑するほどに研ぎ上げに困難が伴う。
・さらに、「より直し」を経ていない刀は切味においても良好ではなく、試刀を
 やると、打撃点に歪みが生じ曲がってしまう。修正も利かない。
・「より直し」とは、マルテンサイトの膨張部分と他の部分の均衡をとってやる
 作業のことをいう。
・「より直し」作業として、刀身の歪みを除去して、棟および平地を巻き藁に
 打ちつけて不平均なところを狙って歪みを取る。この操作を十数回繰り返す。
 すると、刀身に弾力がついて茎を握っている手にビンとはね返る弾力がついて
 くる。この作業を経た刀身は作業前の状態よりも試刀において良好な結果を
 残し、切味も冴えてくるというように変身した。

思うに、残留応力除去の手法の一種だろうか。
刃物は、熱処理によりとてつもないストレスを生じる。
日本刀の場合、727度以上に加熱させ、鋼の立方格子を面心立方格子に変えてやる。
この鋼の状態を冶金学ではオーステナイトと呼ぶ。

(面心立方格子)

それを一気に急冷させることにより、鋼の組織が変わり、面心立方が
炭素を中に包んだ体心立方格子に変化する。急激に変わるので
「変化」ではなく「変態」と呼ぶ。この状態をマルテンサイトという。

(体心立方格子)

日本刀をはじめとする炭素鋼の刃物の刃部は主にこのマルテンサイト
によって形成されている。変態にはダイヤモンドより硬いセメンタイトと
いう組織も発生し、それがマルテンサイト周辺に存在する。

マルテンサイト変態の際には、体積が一端縮み、そしてすぐに膨張する。
日本刀の焼き入れの水冷の際には以下のような現象が刀身に起きている。

日本刀の刀身は、加熱後に湯(水温は摂氏17℃くらい)に入れて急冷させるが、
その際に、ブルブルッという脈動を起こす。これは、一旦刀身が前のめりに
お辞儀して、それから後ろにグ~ンと反ることから起きる。その現象は
マルテンサイト変態による収縮と膨張によるものだ。

こうして、日本刀に焼きが入るわけだが、このままでは刃物にはならない。
柴田刀工が指摘しているように、マルテンサイトの微小な結晶はまんべんなく
刀身に存在するわけではなく、硬さがあちこちバラバラに分布して引っ張り
あっている。だから、焼き入れしたまま放置しておくと、その引っ張り合いが
崩れてキンという音と共に割れが生じたり、何もしないのに刃先が飛んで
なくなることがある。
そのためには、「焼き戻し」という二次加熱を焼き入れ直後(これ大事。直後
でないとならない)に施してやる必要がある。
焼き戻しにはさまざまな手法があるが、すべて現在では冶金学的な見地から
説明がつく。
簡単にまとめると、ゆっくり一定程度の決められた温度まで再加熱して
残留応力を除去してやり、またマルテンサイトだけでなく別な組織を
発生させてやり、やんわりとマルテンサイトを別な組織で包むような状態
にしてやる。
この「焼き戻し」を経て初めて鋼の刃物は「靭性」というネバリが発生する。
再加熱するので、刃の働きの冴えはやや消失するが、焼き戻しは絶対に
必要なことだ。
焼き戻しの方法は、油で決められた温度で煮込んだり、あるいは炉で
時間をかけて温められたり、いろいろな方法がある。

しかし、柴田刀工の書を読む限り、「より直し」なるものが、焼き戻しそのものを
指すのか、あるいは「ヨジレ取り」を指すのか、私にはよく理解できない。
私の場合、焼き入れ前に、「空打ち」と称して、刀から火が出るくらいに
刀身をまんべんなく鎚で打って叩き締めるが、どうやらそういうこととも
違うようだ。
焼き入れ後の刀を数十回巻き藁に打ちつけたら靭性が増すということは、
その意味するところをとても興味深く読める。

本当の日本刀を作ろうとしていた心。
柴田刀工のようなこうした心こそ、真の意味での日本の伝統を探ることだと
私は思量する次第だ。


この記事をはてなブックマークに追加