渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

JAZZ DVD

2011年11月30日 | 音楽


デューク・エリントン/
カウント・ベイシー/
ライオネル・ハンプトン/
Meet The Band Leaders−1

最近、運転中はこのDVDから流れるJazzを聴いている。
エリントン、ベイシー、ハンプトンという3大ビッグ・バンドの
1965年の名演を集めたDVDだ。

でも、一番好きなのはウォルドロンの哀しいピアノだけどね。
Left Alone のウォルドロンのピアノは切な過ぎて涙が出る。

きょう、 高校から大学まで一緒だった親友の奥方の葬儀だ。
ひとりで去ってしまった。
お召しになる順番間違ってないかと神を恨む。


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居合の稽古

2011年11月29日 | スポーツ・武道など

いや〜、きょうの稽古は良かった。
極めて大切なことを習ったよ(^^)
やはり、外の世界は知るべきだよなぁ。
おいらが通う道場は脳ミソ筋肉系でないところがとてもイイ。
それにしても、本日の内容は良かった。
どういう訳か、参加者も多かった。
内容といっても、実に根幹に関わるキモを教えてもらったのだけど。
さすが腰使いが鋭い私も(嘘つけ、シートのくせに)、これには気づかなかった。

それにつけても、雑談タイムではまたまた先生方と刀剣談義です(^^)
夏に入手した私の江戸初期の新刀を持って行った。
先生方が先週「見せて〜」と仰ってたので。

なかなかの出来なので見入っている先生方に入手金額を告げたら
「!?・・・これがその値段? どこで見つけてくるんだ」
とのことでした(^^
ちょっと落ち着きがないけど、おもろい出来だし、部分直しの研ぎも
良かったし、まあ、なんというか、よい刀に出会えてラッキーでした。


出羽大掾国路みたいでしょ?

居合仲間でもある古流柔術を教えているガッコのセンセが
これ貸してくれました。


拳骨和尚武田物外の物語だよ。
原作の津本陽さんの小説は昔読んだ。
作画の横山まさみちさんは・・・エチィ漫画ならよく知ってるけど・・・(^^;
なぜかウナギがよく出てくるやつ(笑)。そして、出てくる女性は皆美人
だけどドヤ顔で、男の方が狼狽しまくり、というのが定番。
これの原作の小説で一番面白かったのは、新選組の近藤さんを手玉に
とっちゃったくだりだった。しかもお椀で。これ、実話らしい。
三原・尾道にいた和尚さんなんだな、この人。
もともと伊予松山の武士の子で、子どもの頃から怪力であまりにもやんちゃ
だったから寺に預けられたという。
で、江戸や長州など各地を点々とするのだけど、広島藩内にも長期滞在して、
のちには三原城管轄の尾道の寺の住職となった。
けれども、慶応3年に海路で尾道に帰る途中、大坂の宿で謎の死。
あたしゃ、暗殺されたような気がする。
同年同時期においらの5代前も死んでいるけど、こちらは暗殺とは関係ない
だろね(^^;
慶応3年はいろいろあったよね。土佐の坂本君も物外の10日前に暗殺されているし。
三原藩の同僚では志士丹羽精蔵さんが京都河原町で新選組に斬られている。
丹羽さんのお墓がある寺は、うちの玄関から見えるだすよ。
その後に倉橋誠太さんたちが三原から京都に志士として乗り込んだけど、
ちょっと遅れてきた活動家という感じで歴史の流れとは噛み合っていなかった。
倉橋氏は三原の信抜流居合剣術と佐分利流槍術の宗家をその後継承した。
倉橋氏の次の宗家が吉永先生といって、戦前に剣道やってた私の叔父の話では
三原の醤油屋の御曹司だったそうだ。大日本武徳会の重鎮でもあった。

武田物外は不遷流(ふせんりゅう)という一派をなした。
もともと、広島藩の難波一甫流という柔術(というよりも剣術や鎖鎌まで含む
総合武術)を習い、そこから新流を編み出したという。
おいらもセンセに習おうかななんて思っている。
あたしは武術家じゃないけどね。
単なる素養として。
居合もそうだけど、武術家としてやっているのではなく、箸の持ち方や筆の
持ち方と同じように、属性というか私自身の素養として学んでいるのよね。
自分の血がどうのではない。単に刀好きが刀の使い方知らないのはどうなの、
みたいな感じかな。私の場合、完全に刀から入っているから。
だから、私個人は武術家ではないけれど、剣術遣いではあると思う。
微妙なニュアンスなんだけどさ。
武術家なんて、こっぱずかしくて言えないよぉ。箸を持つのに箸術家なんて
ないでしょ?(^^;
そもそも武術家というのがよくわからないんだよね、おいらは。
日本人の人口の一割が武士だったけど、ならば日本人の一割が武術家だった
のかというと、そうか?そうなのか?と思ったりするもの。
もっと別な「属性」というか、「表芸」というか、う〜ん、ごく自然で当たり前のこと、
みたいな?
そんな感覚で居合とかやっているのかも、私の場合は。
まあ、居合がなくても今の世の中生きていけるのだけど。
大切な何かがそこには確実にある。私の場合は。
大切な何かって、毎日刀をいじれることだったりして(^^;
わはは、たぶんそれだ。


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初体験 〜初撃ち〜 マルイ・ガバメント

2011年11月29日 | トイ



地元の撞球仲間が興味あるというので、私のこいつを撃ってもらった。
まず安全確認注意と基本の握り方、構え方、狙い方を教えた。
基本だからフォームはウィーバースタイルを。
ポンポン当てていた。
ガス・ブローバックを射撃したのは初めてだという。
「おっもしれ〜」と言っていた。
そりゃそうでしょう。
日本人が世界で初めて考え出した低圧ガスによるブローバックシステムの凄さは、
メカニカルでリアルな作動方式もさることながら、単純に撃っていて面白いところに
ある。
当たればなお面白い。
それに俺のこいつは外見は徹底的にクタビレ感を出しているが、中身のメンテは
ばっちりだから作動は快調そのもの。

よくできたオモチャだよ。
この玩具銃なんて、バレルがショートリコイルまでする(笑)。
リアルすぎだってば(苦笑)。
私がウェザリング加工(時代つけ)で汚して外見もリアルにしてあるし。
プラスティックの塊には見えないよなあ。
レースガンのガバもいいけど、こういうオールドスタイルのガバも捨てがたい魅力がある。
歴戦のツワモノみたいな感じで。
いいぜ、ガバ。同田貫みたいで。


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斬術 〜間合の事〜

2011年11月28日 | スポーツ・武道など

あまり試斬はしたことがないという居合仲間が昨日私に訊く。
「簡単にきれるものなの?」
答えは、「きれる」だ。
大切なのは「切(切断すること)」と「斬(きり裂くこと)」の違いを
弁別することだ。
漢字の原意を刀法において理解することは大切だが、どういう
わけかこの剣の世界では「斬る」が「切る」も語法として併用している
感がある。
こうなると大きな問題が起きる。
なぜならば、刀の刃の部分のどこを使うのかに関わってくるからだ。
切先(正確には帽子)を使って斬る刀法と物打を使って切る刀法
では「斬り裂きもしくは斬り抜け」か「切断もしくは打ち込み」かの違い
が出てくる。
ということは、当然刀剣による対敵戦闘で一番重要なことの根幹に
関わる問題が発生する。
それは「間合」だ。
間合は意図的にこちらがイニシアチブを取って自在に選択できると
有利であるのだが、ボクシングの試合を見てもわかるように、それを
実行するのはかなり難しい。

なおかつ、「物打」に関しては「切先三寸」などという誤解が広まって
いるため、本当の物打よりもかなり上をモノウチだと勘違いして
いる剣士が剣道居合道界にもかなり多い。刀の横手下あたりを
物打と思い込んでしまっているのではないだろうか。


本当の物打は刀身の三分の一の位置あたりが下端だ。
物打から吸い込ませないと鉛筆くらいならともかく太い物は切断できない。
試斬の初心者がよく失敗するのは間合であり、「切」と「斬」についても
理解していないから、間合が遠くなりすぎて「斬」となってしまい、ただ畳を
斬り裂くことが多い。
昔の教えに「鍔元で切れ」「膝を相手の股座に押し込むように切れ」等が
あるが、これはすべて「間合」についての教えだ。想像以上に間合いを
詰めろ、ということだ。そうしてはじめてモノウチが敵の部位に届く。

(刀は初代康宏)
こうやって見ると、物打(ものうち)とは、多くの剣道家や居合道家が
一般的に持っている概念よりもかなり下部であることが判る。
小手などを切断したり面を割るには、斬撃の際に横手が完全に
向こう側に抜けていないと切断はできない。当然、切り込む位置は
切先三寸ではなく、この物打になる。
2尺4寸(72.72cm)の刃長の刀で下の刃区から先48.48cmの部分が
物打だ。そこから切断部位に当てる。斬ではなく切のためには、刃の始まる
部分から50cmにも満たない敵との距離の間合で切らなければならないと
いうことだ。
一足一刀の間合とは、このように極めて近接していることを理解する
必要がある。


また、居合ではよく習う教えに刀身の刃の部位による主要な働きが
ある。
刀身を三分の一に分割して、鍔元三分の一は「防御」、真ん中は
「制御」、三分の一から先は「攻撃」という教えが刀法たる居合には
ある。攻撃は上の三分の一なのだ。つまり物打からフクラと切先まで。
そして、切断には物打を使う。

居合をやっている人でも、初めての試斬の時にこうした教えを忘れて、
横手すぐ下が物打だと勘違いしてしまうから斬り裂きだけになってしまう
ことが多いようだ。
ということは、普段の仮想敵を切っていたはずの居合も、実は間合が
遠すぎたということになる(切先を使う「斬刀法」ならば可)。
居て合わせるのが居合なのに間合が遠いとはこれ如何に。

実際の斬り合いというのは、半歩進めば相手を殴れる距離なのだから、
考えると極近で壮絶だよねぇ。間合が近いということは向こうにとっても
間合いが近いということだし。
有効斬撃のためには間合が大切。
読み誤ると、まさに「咫尺(しせき)を弁ぜず」というやつだ。


追記(2011.11.29)
ふと、何気なく書棚にある20年以上前に購入した中村泰三郎著の
『抜刀道』(1988年発行)を開いたら、「物打は刀身の三分の一の部分」
と明記してあった。


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<歴史散歩> 謎の鬼の石碑 〜三原市宮浦〜 続編

2011年11月27日 | 文学・歴史・文化

6月18日の日記<歴史散歩> 謎の鬼の石碑 〜三原市宮浦〜
で書いた記事で紹介した石碑の文言が解明された。
本日、高校で国語(現国と古文)を教えている教師の居合仲間から
教えてもらった。
二人でラーメンと餃子(かなり美味かった)を食べているときに。




「鬼門除」(きもんよけ)と読むのだそうだ。
方位から鬼門方向両面にこの文字が刻まれ、左右には「南無」と
刻まれているのだが、これを私は「鬼川弥」と読んでしまった。
単なる草書体で「鬼門除」なのだそうだ。
ゲヒョ〜ン。
いや〜、読み書きができないというのは恥ずかしいものだ(ポリポリ)。
ホンマに学ねぇし、俺(^^;

鬼門除け石に似たのは西洋にもあるよね。
魔よけなのにデーモンみたいなのを屋根に飾ったりするやつ。
鬼瓦なんかもそういう発想の一種だろう。

「鬼門除け」ついては
こちら
う〜む、この石柱の鬼門方向の延長線上に三原の八幡宮があるぞ。
というか、何故この場所にこの謎の石碑があるのか。
サカキが植えられているのは気づいていたが、ここらあたりは
江戸時代には田園だ。建物などない。
郷土史を探らないとだめだな、こりゃ。

いや〜、字が読めるようになりたい。
世の中、やっぱ学問は必要だよ(^^;


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名も知らぬ樹

2011年11月25日 | 外出・旅





埼玉県のとあるJR駅前に佇む樹。
小さな実を結ぶこの樹の名は知らない。

行きも帰りもこれに乗った。

全日空が世界で初めて導入したボーイング787。
この11月から就航だ。
先々週の都内への往復もこれだった。

かっこいいね、787。






ただ、ハイクラスと一般搭乗クラスでは差がありすぎ。
以前の機種はそれ程差がなかった。
機体をコンパクト化した煽りはもろに一般クラスの座席に
しわ寄せさせる発想となっている。
ハイクラスは横並びで6席のシートだが、一般は10席だ。
狭くなった機内でそれだから、一般座席は頗る狭い。
新幹線よりもかなり狭い。(むしろJR新幹線は座席にゆとりを
もたせることで航空便と差をつけようという方向性のようだ)
この座席はですね〜、隣りの人の肘がかなり左右にせり出してきて
こちとらの体に当たって落ち着きません。いつも通路側か窓側を
選ぶから片肘しか来ないけど、狭すぎてこいつぁよろしくないぜ。
まるで明治時代の鉄道の上等車と下等車(こういう呼び名だった)
の車両座席の差のようだ。
エグゼクティブクラスには贅を尽くし、一般席は品質や快適性を
大幅に犠牲にする。いかにも「金持ってるやつが勝ちやで〜」という
アメリカらしい資本主義の落とし児のような機種なのだが。
一般席が窮屈すぎてどうにもね・・・。
「いくらなんでもこれはどうなの」と思わざるを得ない。
まさに文字通りの鳴り物入りで導入された787に今月4回乗ったけど、
747
の方がよかったな、俺は。導入前のトラブル続きも安全性に不安を残す。
エコノミークラスで広島-羽田間を片道3万円以上出すほどの費用対効果
としてはこの話題の機種、アウトのような気がする。客側としては。
結局、プレミアクラスの人間と航空会社のことしか考えてないだろ、この機種は。

家に帰ったら、ウェブサイトを見たアメリカ人から渓流カフェに広告を出さ
ないかとのメールが来ていた。閲覧数がこれだけだとこれくらいの収入に
なるよ、とか云々。どこで調べたのか俺の氏名宛てで来たメールだった。
「申し訳ないが、日本の侍は金儲けには興味がないのでお断りする」と
英文で返事をしておいた。
生きるために金は必要だが、金のために生きてるんじゃねえやい。

 


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血の日曜日(1972)

2011年11月23日 | 映画・ドラマ

Bloody Sunday 2002 ENG


涙なくしては見られない。

大画面は
こちら

公民権を求める非武装の北アイルランドの群衆を殺しまくるイギリス兵。
死亡14名(7名が10代)、負傷13名。
死亡者のうち5名は背後から射殺された。
これは1972年1月30日に北アイルランドのデリー市で起きた。
昨年2010年6月15日、英キャメロン首相は英国政府として
初めてイギリスの非を認め謝罪した。

血の日曜日事件(Wikipedia)


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渡辺恒雄氏 九官鳥守るため電動銃でカラス狙うも転倒し骨折

2011年11月23日 | 時事放談

読売グループの渡辺恒雄氏は常々政治、プロ野球などの発言でも
注目される存在だが、病気やケガで注目されることもあった。
(週刊ポスト2004年8月27日号より)

1998年、渡辺会長は前立腺がんの全摘手術を受けたが、退院後、
東京ドームに現われた際に詰め寄ってきた記者たちに恐れをなして
大声でこう叫んだ。
「キミたち、頼む。何でも話すから携帯電話の電源を切るまでオレに
近づかないでくれ。オレの体にはペースメーカーが埋め込まれてい
るんだ!」
報道陣はいわれるままに電源を切って渡辺会長を取り囲んだが、その後、
渡辺会長が身につけていたのは携帯電話の影響など全く受けない
不整脈の測定器であることが判明。それだけに当時のおののきぶりは、
いまだに語り草なのである。

2000年には自宅内で転倒、骨折する事故があった。愛鳥家として知ら
れる渡辺会長自身が当時、番記者たちに語った説明。
「うちの庭にカラスが来てな、九官鳥を狙おうとするんだ。それで電動銃で
ダダダッと撃ったらカラスが落ちて、とどめを刺そうとベランダから飛び降り
たら芝生の上にスッテンコロリン」……。
その上で「石原都知事にカラス退治を直々にお願いした」と、さりげなくその
人脈を誇示してみせることは忘れなかったが、庶民派の一面も見せるから
面白い。

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面白くねーよ(><)
やめろ、ナベツネ!
カラス駆除のためにエアソフトガン使っていいと思ってるのか。
ふざけんなよ。
自己中もええ加減にせいや、爺さん。


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研ぎ雑感

2011年11月22日 | 日本刀

あさっては朝一番のシコーキで東京さいぐだよ。
会議だすよ、会議。
日曜日は福山で試合だす。

さて、本日、居合の先生と稽古後に少し刀剣談義。
以前二人で博物館に刀剣展を見に行ったり、尾道や福山の夜の
街をよく飲み歩いたり、一緒に伊豆に合宿に行ったりした仲の先生。
気が合うというかウマが合う。酒の飲み方が好きだな。せこい飲み方
でなく、ガッツリと飲む。年は5歳ほど上だけど、やっぱ昔風の飲み方
が気持ちいい。ズバーッと飲むから(^^)
この先生は大切な審査の前には無償でつきっきりで週に何度も
道場外の稽古場を借りて個人指導してくれたり、とても親身に後輩を
みてくれる。尾道の先生方がすばらしいのはゼニカネの世界とは無縁
なところで、そういう環境に生きているから、普段の付き合いもゼニカネ
とは全く無縁だ。飯に行ったり飲みに行ったりすると、私は大抵年下には
全部おごりだが、これは先輩方に今までそうしてもらってきたからだ。
この先生との場合二人きりの時は大方は有難くゴチになる。(複数の時は
割り勘)
これ古い感じの日本人のつきあい方なんだけど、今の若い人で先輩から
普段ご馳走になっている人たちは、自分より若い世代には今度は是非とも
自分が返してあげてほしい。
刀を次世代に伝えるのも、何だかある種同じような心情が働くような気がする。
金は天下の回り物、刀も天下の回り物(違うか)。

夏に入手した私の刀剣の直し研ぎが結構良かったという内容を先生に告げたら、
「お、そりゃあ、ええのぉ」とのことで来週見せることにした。
こうして、良い研ぎは波及してお客を獲得していくのだろう。
かつては新作現代刀剣に関してもこういう感じで、私の道場のほとんどの
人が特定刀工に私を介して依頼した。拵えも含めて丸ごと依頼。
私はマージンなどは一切もらっていない。ゼニカネで動くことでもないし、
人はゼニカネでは動かない。
一度刀剣工房の兄弟子が「いつもいろんな人を連れてきて刀の製作や研ぎを
発注してくれるから礼に」と脇差を一口くれると言ったが、「いらないよぉ、そん
なんで貰うわけにはいかねぇ」と断った。
それでも世の中ゼニカネと思ってる人が大半なのだから、古典落語の
『井戸の茶碗』(←名人五代目志ん生)などが一服の清涼感を現代人に
運んで来るのだろう。
この噺に出て来る千代田卜斎という浪人は元広島藩士だ。
私事だが、話し方が死んだ私の親父にそっくり(^^;
性格までソックリときてやがる。まんまだよ、これ(笑)。
一方、志ん生が演る細川家の若侍はなぜか中村梅雀さんにイメージが重なる。
釣りバカ日誌の中村さんあたりのしゃべり方(抑揚や声色)の感じに似てる
ような気がする。くず屋の正直清兵衛さんは江戸家猫八さんのイメージかな。

さて、尾道の先生は刃中の働きが結構良くて気に入っていた刀をある
研ぎ師に出したら、真っ白にされて全く刃中が見えなくなったとのことだ。
ガックシきたってさ。
よくあるんだよなぁ、それ。あちしも一度あったし(苦笑)。
その時は、チョンガーだったし、懐具合も今とは違っていたから
ソッコーで別な研ぎ師に研ぎ直しに出した。
大体、最近の研ぎ師は地をやたら黒くして刃を白くするのが「冴え」
だと勘違いしているのが非常に多い。あれ、なんざんしょ?
なんというか・・・。値段の問題ではなく、なにか大きな勘違い。
しかし、世の中、マフラーに竹槍みたいなのつけたり、キンキラキンに
するのがカッコいいと思ってる人たちもいるし、デコトラが良いと思う
人もいるのだから、刀の研ぎも黒白の明暗をつけるのだけが化粧だと
思っている人もいるのだろう。
女性でもケッバケバの化粧も最近流行っているみたいだし。
でも、ここんとこナチュラルな綺麗さと思っていたアヤパンが女子高生
の時にガングロギャルでTVの取材まで受けていたのはちょいとビックリ
だけどさ(笑)
世の中、わからねぇもんだ(^^;

居合の世界、意外と刀が見えない人が多いが、刀が見える人と
話すひとときはとても楽しい。

再掲で申し訳ないが、刃はこういう感じで研いでほしいと思う。
(記事最下段のバーをスクロールすると右まで見られます)

私の刀。

帽子の具合もよく判る。

国宝の刀を人間国宝が研ぐとこんな感じになる。

やはり、こういうのがお手本ではないだろうか。
本研ぎ、安研ぎいとわずに。
ふんわりと自然な感じが出せずに、刃縁の取りも不自然に尖ったり、
刃中をただまっちろにする最近の研ぎは、本質的に何か大きな間違いを
犯しているような気がしてならない。
刀によって研ぎは変えるから何も差込研ぎだけが良いとは言わないが、
刃中を白く取るにしても日本刀の研ぎとはこのようにすべきではないだろうか。

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日帰り出張 その2

2011年11月21日 | 外出・旅

ひと仕事終えて帰り路。
以前の日記でも紹介しましたが、三次には古戦場跡があります。

この神社がじつは中世の城跡。高杉城といいます。
神社の名前は知波夜比古神社。
ここで、壮絶な戦いがあったそうです。



神社一体が城で守備隊1000名が敗北し、600に渡る
討ち首が並んだそうで・・・。戦国の常とはいえ、わが毛利は
やることエグイ。というか戦国武将全員がそんな感じですが。
一見力攻めをしないような印象がある秀吉も、調べるとかなり
エグイことやってます。
この高杉城の戦いで敗北した武者は後に三次の鵜飼になったと
伝えられているそうです。


合戦地の東側
(クリックで拡大)
西側も撮影したけど、逆光でよく写ってなかった。

ちょっと気になる表示が。


一級河川?
岩倉川上流端?

これが?

(西方を望む)
農業用水かと思った(^^;
まあ、のどかな里川風景ではあるわけですが・・・魚がいない里の川というのは・・・。
源流域は遥か西方です。画像の小山のずっと先。
鱒類が棲む親しんだ川である江の川(ごうのかわ)水系なのですが、
同水系で唯一汚染がひどい馬洗川に差し込む川なので、この川の
上流で鱒類の生息は望めないと思います。
というか水量が少なすぎ。
鱒類が棲む川は上流域、源流域でも水量が豊富です。

生きてる川は上流域でもこんなだぜい。


でもってこんなのがコンニチハしたりする。


関東の多摩川の源流域
などは砂鉄が採れないため水がコバルトブルー
ですが、広島の河川は砂鉄が豊富に採れるため、石が茶色く(原色は金色
に近い)見えます。そのため、源流域のイワナの保護色となる魚体の色は
金色に近い色に進化しています。


広島と島根に生息するイワナの亜種ゴギ。
私が魚の中で一番好きなのがこのゴギなのです。
獰猛なイワナなのに愛嬌のある顔をしているだな。
魚体は金色に輝く。まさに、幻のゴールトラウト(正確にはチャー)
なのです。
地球上で最南端に生息するサケ類が広島島根のこのゴギなのです。
広島の川は砂鉄の影響で川底も金色!(^^)
広島の山をフライロッドを片手に釣り歩くと、製鉄遺跡がかなり多く、
いにしえにはここでどんな砂鉄が採れたのかなと思いが巡ります。

源流域でも水量が多い川。これは山に落葉樹が多く、保水力にも優れ、
山そのものが生きているからです。
住宅建材のために杉や檜を植えまくった針葉樹だらけの山は保水力に乏しく、
濁流がそのまま川に流れ込んでしまいます。結果砂防ダムを造り、さらに
悪循環で河川汚染が進む。そしてさらに三面護岸を施したりして河川をめぐる
環境が完全に出口のない最悪環境に進み死滅していきます。防災にもならず、
悪循環が増幅する無限ループ。
鱒類を釣る釣り師たちの多く(特に西洋毛鉤釣り師)は、釣るだけでなく、
環境保全のための活動を行政に働きかけたり地域ぐるみで取り組む人が
多いのも事実です。てめえだけ楽しめればあとは関係ねーやの釣りっぱの
遊びっぱじゃないのよね。フライマンは何故かしらそういう人が多い。


先祖がこの高杉城周辺の出という由緒の人に毛利藩の高杉晋作がいます。

左高杉晋作、右伊藤博文

高杉さんは背が低いのを気にして絶対に立った写真は
撮らなかったとのことです。名前高杉なのに(笑)
でもって、超長い刀を好んだから、立った時に床に引きずり
そうだったらしい(^^)






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日帰り出張 その1

2011年11月21日 | 外出・旅

県北の三次(「みよし」と読みます)まで日帰り出張。
土日月と3連続(笑)

三原はお城のまわりにあまり田んぼがなく、また三原の名が三つの
谷に囲まれた小さな原っぱという由来であるほど狭い土地で、
昔の古写真を見ても広大な田園というのは郊外でもあまりありません。
そこそこの田んぼ地帯がちょろちょろっと広がるだけ。
どうしてこんな狭い場所で3万石も獲れるのかなぁ、と常々思って
いました。
ところが、海のすぐ背の山を一山越えたら県北の広島藩支藩の
三次藩領までずっと高原田園地帯が広がっています。
(クリックで拡大)

こういう場所を走ると、広島藩が49万8000石(のち42万6000石)だった
ことが判ります。1石は2.5俵です。合計何トンの生産量?計算でけん(^^;
この画像は三原藩領(正式には広島藩家老が三原城主で三原は広島藩)
の領内です。旧御調(みつぎ)郡。
「みつぎ」とは古代税制の租庸調の調のことです。この北部の三次を
「みよし」と読ませるのは中世武将の三好氏にちなんだものですが、
もともとは「みつぎ」と関係あるのではなかろうか。
三原城のある町は明治維新後は「御調郡三原町」となり、御調地区の中心
でした。後に市になります。平成の大合併で残った御調郡の町村部が三原市
に編入されるのを嫌って尾道市になってしまいました。御調というのは
三原が中心だったのに(苦笑)
歴史性をも蹴っ飛ばすほどに三原という町は周辺住民から嫌われている
ようです(笑)
尾道も今では独立した市ですが、江戸期は三原城の管轄だったのですが。
三原の隣町尾道には現在の商店街の中に旧代官所が置かれていました。
この広範囲まで「三原」とする概念は刀剣においてもみられます。
南北朝から室町末期まで続いた備後の刀工集団三原鍛冶の駐槌地は
現福山市鞆(崖の上のポニョの舞台)から尾道、そして戦国末期にできた三原
城内にまで及びますが、すべてそれらの刀工の類別は「三原」と呼びます。
かつては備後の沿岸地域一体が「みはら」という概念で呼ばれていたのでは
なかろうかと思われます。これは刀の銘にも見られますが、「貝三原」などは
現在の行政区域でいうとまったく三原ではないですから(苦笑)。
ただ、昔は広範囲に渡って「三原」とすることに何の抵抗もなかったと思われ
ます。
現在では工場誘致などで大企業の工場が三原にできても、通勤者は三原
市内でなく東広島市に望んで多く住んでいることも三原市制の「課題」として
公式データ化されています。要は三原市は住みたくない街ってこと。それが
なぜなのか、どうしてそのような感情が一般的に起きるのか、三原の人は
真剣に考える必要があるように思えます。

きょうは、空が印象的でした。


最近不思議に思うこと。
山間部を走ると、神社の境内にこのような道場のような建物があります。

これって、一体なんなのでしょう。三次市南部の神社。

似たような場所を居合道場として使っている東北の例もありますし、
そっくりな建物を九州の剣友が写真を撮って送ってくれました。
比較検討はいずれ。
思うに、神楽用の建物のような気がする。
このあたりは民俗学的な検討が必要かと思われます。

(つづく)



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神奈川県警のふしぎなおどり

2011年11月21日 | 文学・歴史・文化

神奈川県警のふしぎなおどり


ううっ・・・。
なんだか恥ずかしすぎるぞ、われらが神奈川県警(笑)


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日本刀の研磨 〜部分研ぎ〜

2011年11月18日 | 日本刀

部分補修研ぎに出していた刀が返ってきた。
研ぎの依頼内容は以下。
 ・物打ち部の刃こぼれ数箇所の除去
 ・横手左右不ぞろいのそろえ
 ・切先の錆切りこすりの痕跡除去
 ・差し表物打ち砥石当ての痕除去

研ぎ師が物打ち周りのウネリを指摘、それも修正依頼した。
その作業と全体的に刃の取り直しをサービスでやってくれた。
部分研ぎは「継ぎ研ぎ」とも呼ばれ、高度な技術を要するので
なかなか引き受けてくれる研ぎ師が少ない。
今回は予算を予め提示し、その予算内で価格提示して引き受けて
くれた研ぎ師の言い値で依頼した。こちらから値切り交渉は一切
もちかけない。結果、格安だった。

巧い。(三つ頭付近に黒く映っているのは撮影者の上着)





化粧研ぎというと壁に白スプレーを吹いたように刃の部分を真っ白に
してしまう研ぎ師が最近多いのだが、ふんわりと柔らかく仕上げている。
刃中の働きもよく見える。

まるで差込のようだ。

焼き刃がフワリと浮き上がる


差し表

きょえ〜と思った。
直刃かと思っていた刃はのたれ小乱れで、しかも差し表
物打ちは刃崩れにはなっていないものの焼き刃幅が2ミリ
くらいしかない。これは研ぎに出す前は光に透かしてもまったく
見えなかった。
以前の研ぎが繕いのように刃を白く取りすぎていたからだ。
このように刃文をきちんと見せる研ぎでは刀の出来のごまかしが利
かない。
逆に言うと、研ぎによって刀はどうでもごまかせるということだ。
日刀保平成19年、21年、22年、日文協平成22年、23年と
連続入選している程の研ぎ師の腕がよく分かる。腕というより
センスと美的表現の方向性がよく分かる。
数年連続入選となると、技術というよりも内在する美的センスや
感性をどれほど表現できるかという技術をいかに体得しているかが
表現芸術の要となってくるだろう。つまり、自分が持つ芸術観をどれだけ
表現できるかにかかってくる。

この刀、差し裏は派手派手な大乱れ。


研ぎにより、刀の本来の状態を引き出してくれた。

研ぎに出す前は差し表の物打ちはただ白いだけ。
そして、研ぎから返ってきたら、畳表のアクはすべて落ちていた。
刃こぼれも、錆切り痕も、砥石痕も、アク付着もすべて前所有者の
痕跡だった。
刀の物打とは切先三寸のことではなく、刀身の2分の1より先の
中心あたりを言う。斬(斬り開くこと)でなく切(切断)のためには
この物打を使用する。切断物の寸法に差し渡しがある場合は
切先三寸では寸が足らず、当然物打部分から対象に吸い込ませる。
畳表も一巻きは8センチ〜12センチくらいあるので、切先三寸では
切り裂くことはできても切断はできない。切断には物打部分を使う。
これは情念という概念的なことではなく物理的なことだ。刀線が
物体から抜ける段階で横手より下が向こう側まで突き抜けて通過
しないと当然切断は不可能である。間合いの問題だが、その意味
でも横手筋は剣術において重要なモノサシの意味を持ってくる。
世間では物打の概念を横手よりすぐ下と、上部にとりすぎている誤解
が多い(特に剣道や試斬をしない居合で)。
横手付近を使うだけでは小手さえも切断できない。(ただし切先や
帽子のフクラを利用する刀法はある。この場合、連続運刀が早く
なる)

私のこの無銘刀は加州新刀に見える。
しかし、差し裏は見方によっては出羽大掾国路にも見える。

↑↓ 参考:出羽大掾藤原国路(在銘正真)


しかし、私の今回の刀は、ざんぐりとした肌、鎬地寄りの柾目、地沸つき、
大乱れ尖り刃交じり、砂流し・金筋等の盛んな働き、焼き出しが小模様、
三品帽子、沸で尖って小丸に返る帽子、返りが深い等がまったく国路同然
だが、焼き刃頭が二つ揃いでない点、刃文が表裏揃っていない点が国路
から大きく外れている。やはり加州三代兼若あたりか。
この無銘相州伝、少なくとも桑名打ちではないだろう。ただ、鎬地が柾のみ
でなく板目流れて杢が交じり、妙に古く見える。ただし、茎(なかご)の錆色
が追いつかないので時代が慶長を上ることはない。
無銘刀は誰の作かはどんな鑑定家でも完全には絶対に特定できない。
物理的な裏づけが取れないので確認のしようがないからだ。
仮にどんな鑑定書があろうとも、当て推量で折り紙をつけているだけだ。
この無銘刀の特徴としては棟焼きが上から下まで入っている。村田刀を
発明した村田男爵の講演にあるように、折れと曲がりには一般刀よりは
強いと思われる。しかし、前所有者において何を斬ったか刃に微塵の
刃こぼれが生じていたことは刃部の靭性において不安が残り、堅物試しは
ためらわれる。

今回の継ぎ研ぎ依頼は、画像のみだが研いだ作を予め見て研ぎ師を
決めた。
研ぎ上がって返ってきた刀を見てさすが技術展覧会で入選する研ぎ師の
研ぎだと感じた。
昨年の入選砥ぎは加賀藤島友重の作を研いだ出展だったので加州新刀
に見える私の刀をこの研ぎ師に依頼してみた。
新作刀は丁寧に研げば粗は出ない。
しかし、古い刀を破綻なく研ぐのはかなり技量がいる。
ただ刃を白くするだけの研ぎでは通用しないからだ。
刃に白いスプレーを吹いたようにして刃を見えなくする研ぎ師が
最近多い中、差込のような落ち着きをみせている。
美的センスを感じさせる良い研ぎだ。
技術展覧会などでは、技術が拮抗した作品が並んだ場合、職人の絵心や
美術的センスの勝負となる。

刀は研ぎによって表の顔が変わるというのを改めて感じた。
しかし、刀を詳細に見るに、この一刀での試斬はしない方が正解
と思われる。
それは保存の観点からではなく、刀剣そのものの資質として。
保存鑑賞用ならば、化粧研ぎに出した方がよいだろう。
そして、横手線もしっかり真っ直ぐに切って三つ頭の部分もきっちりと
出してもらうことが望ましい。帽子の肉を落として角を出すのは容易だが、
ふっくらと肉を残したまま三つ頭の角を立てて横手を寸分の狂いなしに
破綻なくまとめるのはかなり難しい。
最も注意すべきは刀の地肉を削いでしまうような研ぎで、現今畳切りの
ためだけに肉を極度に落としてしまう研ぎがみられる。
畳表などは片手でも切れるし、小学生でも切れる。畳切りの為だけに
刀をそれに特化させて肉置きを削ぐなどというのは武術の本道から
大きく外れる。しかもそういう研ぎは使い手の欺瞞性を助長するばかりか
刀自体を駄目にしてしまう研ぎであり、前掲の村田経芳男爵の講演に
おいても以下のように刀剣所有者に注意を喚起している。

「この肉合いと言うものが非常に大切であるが、研師の巧拙に依って
その肉合いを崩すので研師は充分に選ばなければならない。殊に名刀程
その必要がある。それは研ぎ上げの時ばかりでなく、荒研ぎの際が最も
大切で、下手な研ぎ師はその時、刀の肉合いを崩す事があるからである。
若し鞘下地まで研ぎ止められる方々は或いは上手な研師でなくても宜しい
と言う考えで凡庸な研師に懸けられる事が往々にあるようであるが、それは
大いに注意すべき事で、荒研ぎの場合が一番大切であって、若し下手な
研師に懸けると刀の肉合いから総ての形を毀損する。
これは刀の為に極めて大切な事であるから重複ながら特にご注意を
望んで置く。」(大正8年、村田男爵講演草案抜粋


今回の仕上がりでは、帽子についても肉を削ぐのではなくふっくらとした
肉置きで仕上げてくれたが、刀剣総体としては100%満足というところ
までは行かなかった。しかし、それは依頼内容からして致し方ないと思う。
美術刀剣としてこれ以上のきっかりした仕上がりを望むのであれば、
低予算で研ぎを受任してくれた部分研ぎではなく、下地からの全体的な
本研ぎに出すべきだろう。詳細に見ると、差し裏の鎬地の幅も中央から
横手にかけてコンマミリ単位で鎬幅が細くなる比率に狂いがある。これ
などは昔の下地研ぎが拙劣だったからだ。そこは今回手を加えていない。
また、鑑賞研ぎと「斬れる」ための研ぎは必ずしも同一ではないので、
研ぎを研ぎ師に依頼する側の人間はその点に十分留意する必要がある。
肉合いとともに刃の付け方の在り様が極めて重要になってくるからだ。
今回の仕上げには十二分に満足している。研ぎ師の先生に感謝したい。

今回依頼の日本刀研ぎ処はこちら。
剣武堂


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忍者 NINJA

2011年11月17日 | 文学・歴史・文化

「忍者」という言葉は今は全世界で通じる日本語だが、実は戦後に
小説家によって創作された単語だということは意外と知られていない。
「忍び」という言葉も戦後に創作された。
それまでは、戦前までは「忍術つかい」と呼び、江戸期以前は「らっぱ」
「すっぱ」「とっぱ」などと呼ばれた。「特ダネすっぱ抜き」の「すっぱ」が
言葉として現在も残っている。疾風のような忍者の如く出し抜いていきなり
報道することを言う。

さて、忍者というと、どうしてもこのような作られたイメージがある。


本当の忍者は戦うことよりも諜報活動が主たる任務なので、滅多にこのような
状況はなかったろうと思う。
それに現存する忍び装束というのはほとんどが柿渋か紺染めだ。
黒という色は闇夜の中で実はかなり目立つのだ。

忍び装束(外部リンク)

そして、古流剣術や居合においても忍びに類する業が結構ある。
土佐英信流でも下げ緒を口にくわえて鞘を刀身の物打ちまで出して
暗闇を探ったり、かがんで入口から入る時に鞘のまま刀を背負って
下げ緒を持って入って行く業などがあり、これらは一般居合剣術の
中に採り入れられた忍び業だと思われる。さらに表業で「信夫(しのぶ)」
という暗闇で切先を地面に当ててそこに敵が気を取られたら前進して
斬るという業もある。
しかし、忍びの任務とは通常は諜報活動であり撹乱などの謀略活動だ。
町人や武士や商人や農民の扮装をしたりして人の海に紛れて活動したようだ。
非公然活動なのだから当然そうなるだろう。現代の過激派やテロリストや
あるいは公安秘密警察やCIAの工作員のようなものだ。私服警察官も一般人と
同じ扮装という意味では忍びの装束であるといえる。
映画「007」シリーズが世界中で大ヒットしたのは、原作から離れて
日本の忍者のスタイルを多く採り入れたからだと私は思う。特殊車両
や偽造パスポートを使っての敵地潜入などの諜報活動は、まさに忍者
そのものだ。くの一も多く登場するし(笑)
すべてのくの一はボンドに篭絡されてしまうのだが(^^;
(手篭めでないところがいかにもいやらしいボンドならではの手練手管だ。
あれはきっと術だろう)

しかし、上の画像にあるような装束が空想物かというとそうでもない。
下の図は江戸期に描かれた北斎漫画の忍びの者なのであるが、まさしく、
映画やドラマの忍者そのものだ。


ただ、映画やドラマの時代劇で大きく間違っているのに刀の
背負い方がある。
この図を見れば明らかだが、柄は左肩上に出すのが正しい。
右肩上に出してどうやって刀を抜くのか(笑)
時代劇などは刀身が伸びて出てくる小道具用刀だったりCG
だから右肩上から抜けるが、現実には抜けない。
巌流島の決闘で佐々木小次郎が右肩上から柄を出す形で
長刀を背負っているが、いささか噴飯ものである。
この絵はもしかすると刀は背負ってはおらず、帯の後ろに回して
いるのかも知れない。武士でも徒歩戦において石垣などを
登る時には帯に刀を差したまま柄を後ろに回す。私も刀を差した
まま物を持ちあげる時とかはそうする。むしろこの図はその柄
回しかも知れない。

忍者のイメージも現実と空想が交差しているのが現況といえる
だろう。
それでも・・・


こ〜んな忍者は江戸時代には絶対にいませんでしたから(^^;

しかし、小説家や漫画家(白土三平先生)が作り上げた忍者の
イメージはかなり強い。

おお!忍者漫画には居合の始祖、林崎先生まで登場!(笑)
あ、影丸の背負い方・・・(^^;

忍者といえば主要武器に手裏剣のイメージが強いだろう。
しかし、回転型の手裏剣はあまり使われなかった。
戦闘には棒手裏剣が主に使われた。
手裏剣の「裏」とは、表裏の裏ではなく、中とか内の「うち」という意味
の「裏」だ。「秘密裏に」の裏。「秘密のうちに」という意味の「裏」である。

下の動画のような手裏剣の遣い手を相手にした場合、剣士はどのように
戦えばよいのか・・・。
私はわからない。
たぶん、「ウガッ!」とかなって簡単にやられてしまいそうな気がする。
忍びが打つ手裏剣には毒が塗ってあるだろうし。
古流剣術や居合にも手裏剣術はあるが、自分が手裏剣を打たれた時の
防御の仕方は教えていないような気がする。信抜流(広島藩伝承の新陰流系
居合剣術)の笠を片手に前にして短い刀をもう片方の手に素早く前進する
稽古などは実は胆力を練る稽古ではなく、対手裏剣用の動作だったのでは
ないだろうか。



そういえば、「水戸黄門」の最終回により、日本のテレビドラマから
娯楽時代劇が一切なくなる。
これはなんだか実にさびしいものがある。
日本のテレビ番組から時代劇が消えるなんて・・・。
なんというか、少し前には考えられない世の中になったものだ。
時代劇ルネサンスプロジェクトを私は応援したい。



西部劇がすたれて日本に数多くあったウエスタン村は現在すべてなくなった。
USJ のウエスタンエリアも廃止になった。
それと同じように、お茶の間から時代劇がなくなると、ロケセットや
観光として親しまれた日光江戸村や京都太秦もどんどん人が遠のき
斜陽化していくのではないかと危惧している。
いつか気付くと、日本人はチャンバラという言葉さえ忘れてしまう
未来になるのでは・・・。
そして、ロボットのロビタだけが人間の子どもに遠い昔の記憶をたよりに
チャンバラを教えるのだろうか。




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子連れ狼名シーン

2011年11月17日 | 映画・ドラマ

子連れ狼名シーン! 怒りの拝一刀

公儀介錯人拝一刀が刺客道に入った理由が分かる回。

「おのれ、柳生〜!」

てなこと言って、実は萬屋錦之介先生は他の映画やドラマ作品では
柳生但馬の役がハマリ役だったりする(笑)

この人が凄かったのは、この『子連れ狼』で同田貫(原作では胴太貫
という架空の刀工)の刀にハマり、大量に収集していたこと。
かなり昔の正月特番の番組で所蔵刀を紹介していたが、「これ300本目
あたり」と新たに入手した同田貫を嬉しそうに紹介していた。
どうせなら同田貫博物館を作ってほしかった(笑)
同一刀工同一系列収集でこれほど個人で日本刀を集めた人は
そういないのではないだろうか。

動画にもあるけれど、拝一刀が刀の柄を両手をつけて握っているが、
これは柄折れを防ぐための据え物斬りの手法で、刀の茎(なかご)が
通っている部分を握って柄木折れを防いでいる。茎が短い刀や一般的
な茎の長さの刀はこう握らないと柄木が折れることがある。だから
武用専一刀は柄の端まで茎が届くように長い茎仕立てとなっている。
しかし、大多数の日本刀は茎が短く、柄の端まで通っていない。
これは右手の片手斬りの際にはまったく問題はない。
この据え物斬り刀法の両手揃えの握りを日本の時代劇で初めて表現
したのは萬屋錦之介先生だったと思う。

なお、原作『子連れ狼』の第一部以降、作画の小島剛夕は亡くなったが、
その後続編が連載された。
これは、拝一刀が生まれる数十年前に死んだ東郷重位が大五郎と旅をする
というまったく時代背景を無視するにも程がある噴飯物なのだが、その作品の
中で東郷は同田貫を捨てて新たに刀屋で同じ肥後の延寿国清を購う。
続編の新作『子連れ狼』はあまりにも突拍子もないストーリー展開で、
オカルト漫画化してしまったのだが、人気はまったく出ていない。
子連れ狼といえば胴太貫であるのだが(続編では「同田貫」)、それを捨てて
新たな刀を手に入れる。
続編にはこのような奇をてらう展開が随所に見られ、それも陳腐な味付けで
薄っぺらだ。
劇画がまったく人気が出ないように、延寿国清もドウタヌキのように人気が
出る兆しはまったくない(苦笑)

しかし、第一作目と同じ原作者だとはとても思えない続編。
やはり、一作目で完結させておくべきではなかったろうか。
うらぶれてぶざまなみにくい小野小町など誰も見たくはない。

子連れ狼(Wikipedia)

こちらに面白い子連れ狼の時代設定の考察がある。

「子連れ狼」はいつの時代の話なのか?

拝一刀と柳生烈堂の最期の対決が1702年の元禄15年7月24日だ。
サイト内での指摘にあるように、もろに赤穂浪士討ち入りの年と重なって
しまう。
しかし、浪士討ち入りは12月なので、その年の夏に子連れ大事件が
あったと想定すれば不自然はない(そうか?)。
『子連れ狼』の第一作目も作話中で出てくる登場人物が現実と
時代が合わない場面もあったが、それはごくわずかだった。
ところが今年10月から連載が再再開された続編はもう無茶苦茶
すぎて読むのがきつい(苦笑)
完全に雑誌ムーの世界みたいな感じっす。


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