渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

刀の銘はアート

2011年10月31日 | 日本刀

日本刀は無銘でも十分に楽しめるのだが、正真物の銘は
銘ぶりの楽しみも日本刀の楽しみのひとつに加わる。
刀剣の銘は大宝元年(702年)の令により製作者の銘を
入れることが義務付けられたのが始まりだが、
現代刀では
作者銘と製作年月を必ずナカゴに入れなければならない
ことになっている。
(登録年月とは別。製作年月は製作承認を受けた年月に
対応している。登録は後年になる場合もあり、現代刀でも
ナカゴにある制作年月と登録年月が異なる場合がある)

現代刀はすべて銘が入っているので、刀工のタガネ運びや
銘の運筆を楽しめる。

これなどはかなり個人的には好きな字体だ。

タガネの調子というか、文字そのものがかなり好き。
この作者はたぶん、筆で書いてもこのような字体だろう。

こちらは巧すぎるくらいに熟達している。

将平刀工の銘。実に整っている。花を添えたのは
女性向けお守り短刀ゆえか。

現代刀工は銘を自分で切れない刀工も多くいる。
そのために専門の銘切り師が刀工の作に銘を切る。
だから似た字体の銘がとても多かったりするのも事実だ。

私が個人的に一番好きな銘ぶりはこの方。

備州長船兼仁造とある。
見てくれ、この下手っぴ加減(笑)
明らかに自分自身で銘を切ってますね。
でも、この左右上下不統一のバラバラの筆致が
見ていると何とも味が出てくる。
私が一番好きな現代刀工の銘ぶりだ。
この兼仁というのは初期銘で、現在は長船の
名跡である「祐定」を名乗っている。
本名は上田範仁。土佐っぽだ。それが日本刀の
継承のために岡山の地に住んで後進の指導に
あたっている。
この銘ぶりの自由奔放さを見て欲しい。
なんとも土佐人らしいではないか。

こちらは祐定刀工が造った包丁。


上田祐定刀工は、弟子たちの鍛刀訓練のために
日本刀と同じ造り方で実用的な包丁を造っている。
普通の包丁よりはお値段は張るが、日本刀と同じ
製法というところが面白い。
切れ味は頗る良いようだ。
日本刀包丁製作所

それにしても、この包丁の銘も上田刀工が切ったの
だろうが、やはり縦横が自由な角度(^^;
まるで子どもの落書きのように思えるが、さにあらず。
ずっと見ていると、なんともまとまりのないこの自由さが、
豪胆で言いようのない魅力に思えてくるから不思議だ。
ピカソの絵と子どもの絵は違う。上田刀工の銘はアートだと
私は思う。
逆にこの上田刀工の銘は偽名を切るのが難しい感じもする。
虎徹などはその切れ味とは裏腹に、かなり繊細な文字運びと
タガネなので、性格が結構細やかな人だったように思える。
新選組の土方歳三なども、試衛館時代には女性のような
文字だったのが京都時代には段々変って来ていた。
人の書く文字というのは心の在り方次第なのだろうか。
坂本龍馬などは「なんだこれ?」と思うくらいに下手くそ
な字をかきなぐっている。

しかし・・・上田刀工の銘は・・・古雅というか風雅というか、
なんとも味がある。
一見日本一下手くそな銘切りに見えるが、見方によっては
稲荷山古墳出土の雄略天皇のことを記した鉄剣の銘の字体
にも見えてくる。
私はこの上田刀工の銘が現代刀工の中で一番好きな銘ぶりだ。
これ、この味知るとやばいっすよ。
ハマったら抜けだせない。まるで蛭子さんの漫画みたいです(^^)



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古刀再現

2011年10月31日 | 日本刀

自家製鉄-古刀再現
 

日本刀は二つに大別できる。
平安から室町末期までの刀を古刀、慶長以降の刀を
新刀と呼ぶ。現在の刀剣界の分類では、歴史学とは
差異があり、江戸期の慶長から寛文頃までを桃山時代
としている。これは刀剣の分類上そうしている。
新刀は江戸初期当時「新身(あらみ)」と呼ばれ、古刀とは
やはり区別されていた。
それはなぜか。
それは、それまでの古刀とは製作方法と材料が異なるからだ。
新刀の祖は京都の梅忠明寿とされている。
戦国時代が終わり、徳川の世になり、大小二本の刀を帯びるのが
武士の正式な帯刀とされた。さらに、多くの国内社会経済、国際的な
要因が重なり、刀剣産出地域の刀工集団が全国各地に散らばる
現象が発生した。
これに伴い、鉄の質に関しても各地の特色が江戸期に入ると
完全に失われる。近代に学術的に分類した五個伝(大和、山城、
備前、相州、美濃)という分類は事実上消滅する。
これは室町期の戦国時代におびただしい武器重要として刀剣の
物量が求められたことにより、鋼の製造方法に工夫を加えて
製鉄が量産できるようにした送風量の多い大型たたらによって
作られた新鋼が鋼製品として流通したことが江戸期に入り一般的
材料としてその量産鋼を用いるようになった傾向に合流して行く。
現象としては、製造者が移動し、材料が変わった。当然製造方法も
新しい新時代の物になって行った。

しかし、新時代の物がすべて最先端の性能を具備するとはいえない。
これは現代のバイクでも全く同じことがいえ、バイクは1980~90年代
の物が一番本質的に性能が良い。現代バイクのハイテクの開発焦点
は耐久性であったり経済性であったりする。また、商品戦略においても
レトロ感を出しているため、最新鋭のレーシングマシンのレプリカ
ではなく、おっちゃんが乗るようなバイクばかりがデザインされる。
1970年代~1990年代までは多くから「とっつぁんバイク」と揶揄された
ようなデザインが今は主流として作られている。個人的には全く乗る気が
起きない(あくまで個人の好みとして)。最新の新幹線ではなく、蒸気機関車
のようなデザインのバイクが今は意図的に作られている。エンジンのパワー
も1970年代に逆行している。

刀においては、新刀以降の刀は堅牢な鋼を作り出せる一部の
刀工の作を除いて、古刀に比べて折れやすく刃こぼれしやすい。
刃引き古刀を使った組太刀や打ち合いをしている現代の人で
「古刀は曲がりやすい」としているのは、使う古刀がくたびれた
研ぎ減り激しい薄い物を使用しているからだろう。戦国期までの
古刀は兜の上からぶっ叩くためにナタのように重ねが厚い。
容易には曲がりはしない。
新刀が荒木又右衛門の決闘の例を挙げずとも折れやすいのは
単純に鋼が粘らずにただ硬いだけというのは自明の理であるの
だが、流通経路が同じ新鋼を使っている以上、古刀のように粘る鋼
にまとめあげるのは難しい。鋼が硬いから、折損を防ぐために炭素量
の低い心鉄を用いるが、この組み合わせのために余計鉄を揉むので、
尚更鋼が変なことになる。

ただし、気をつけなければならないのは、旧日本軍の軍刀は
過去の用例を十分に吟味して近代刀として「堅牢さ」をとことん
追求したのであるが、それを以って「近代刀は優れている」と
短絡思考で直結させることはできない。まして、近代軍刀以外
を感情的に直情的に攻撃する極めて愚かな言動は慎むべき
だろう。
なぜならば、その時代時代の国内経済や材料の流通の背景が
あり、それに基づいてその時代時代の日本人は懸命に「最良の
物」を作ろうとしてきた日本の歴史というものがあるからだ。
従って、軍国主義的時代背景に基づいて軍刀を研究した
一時代の作品群を以って他の時代の日本刀を全面否定する
ような感情的な言動は、軍刀開発の優れた知見をも貶める
品のない行為だと言わざるを得ない。
言葉を換えれば、その軍刀信奉者の下品な発言如何で、軍刀開発
を日本刀の中での炯眼と捉えて研究する真摯な研究者たちの立場
をも下品極まりない極右特有の排他主義的攻撃性と同類項で一般人
から括られかねない危険を伴う。

私個人も、日本人として日本の歴史の中で軍刀時代の日本刀
開発が戦国期と同じ「実用」に重点を置いて、冶金学と現代材料を
いかに結合させていくかという点で「最良の物」を目指した部分に
おいては大いに評価するが、それが軍刀偏愛で偏頗な言辞をなす
軍国主義志向者に口汚い表現と共に日本刀を語られたとしたら、
それと同類項とみなされるのは甚だ心外だ。
この心外な思いは、美術刀論に基づいて他者を排撃する輩にも
軍国主義偏愛者による軍刀時代絶対主義で他者を排撃する輩に
対しても等しく私は抱く。要は「同じ穴の狢」に思えるのだ。
両者の共通項として、日本人への愛は感じられない。そしてどちらも
自分だけを善とするエセ愛国主義特有の衣をまとっている。

前述したように、日本人はその時代時代においてたゆまぬ努力を
してきたのであり、歴史の中で特別な一時期のみが「優れている」と
いう史観は私は全面否定する。
なぜなら、そこには日本人を愛する真の愛国心や郷土愛を私は
感じないからだ。無論、過去の刀工たちへの愛も感じられない。
感じるのは、ただただ「特定一時期」の体制に依拠して他の時代や他の
日本人や他の時代の日本人が造り出した物を否定する独善的な
歪んだ国粋主義(全日本歴史的ではなく、一時期の擬似愛国主義)が
例の得意の口汚い感情的な罵りを過去や現在の日本人に向けて
攻撃的に行なっていることだけだ。
過去の先人の刀工たちは仮に作品が軍刀時代ほどには強靭性が及ば
なかったとはいえ、その時代時代で懸命に刀作りに精魂傾けてきた。
現代刀工もそうだ。
そうした日本人の人間模様と歴史を軍刀こそが最優秀という論調で
攻撃的に切り捨てるのが果たして真の愛国者といえるだろうか。
軍刀開発の努力と功績に光を当てて日本の歴史の中で再度日本刀
の真の姿の見直しを提言することと、軍国主義時代の日本刀は最優秀
であるという観点で日本刀を語り他者を攻撃しようとすることは全く相い
容れない別次元の立ち位置なのである。

さて、紹介した動画は、鉄の作り方は古刀の通りかもしれない。
ならばなぜ、古刀のような深い青い地鉄で刀を作れないのか。
それは、現代刀工が古刀とは別な作り方をしているからだろうと思う。
戦国末期以降の鉄のまとめと同じ作り方で古鉄らしき自家製鉄を使っても
再現は無理なのではないだろうか。
依頼した刀工は、多分、新刀鍛造法でこの自家製鋼を使ったのでは
ないか。
また、古刀は現在の砂鉄集めのように磁石を使ったのか。使って
いないだろう。川に入りカゴで比重差によるドジョウすくいのようにやった
はずだ。砂鉄産地島根の安来節のあの格好は泥鰌(どじょう)すくいではなく
土壌すくいなのである。磁石で集めた砂鉄と比重差で集めた砂鉄は
そもそもが異なる可能性が高い。だとしたら、いくら古代式まがね吹きで
自家製鉄をやっても最初から別な部屋の扉を開けていることになる。
それと、サゲとアゲではまったく出来が異なるし、舶載鉄の存在も無視
できない。

鋼の研究は進んでいる。
30年前には考えられなかったほどに自家製鋼にこだわる作者も
増えている。
ただし、日刀保がいうところの古式ではない「古式鍛錬」の手法を
踏襲する限り、多少鋼が変わっても出来上がるのは新刀、新新刀
の作域を出ることはないと思われる。
真の古式鍛錬という「造り方」そのものを再現しないと古刀の再現は
できないのではないか。
しかし、この古刀再現とういう技術的課題は、単純に「心鉄を入れない」
とか「折り返し回数を減らす」とかいう単純な問題でクリアされるもの
ではないだろう。
また、鍛錬方法については、刀工以外の素人が口を出す問題でもないと
思われる。「ではなかろうか」でとどまるならともかく、「これがそうだ」とか
独善的に断定したり、「これが証明された」とか素人が解ったようなことを
言うものではない。古刀における心鉄の有無の問題などは刀工は大昔
から知っているからだ。
レーシングライダーでもない者が、高度な技術とノウハウを必要とする
レーシングバイクの乗り方について聞きかじりでとやかく言うことは
できないのである。


余談ですが、動画でナレーターが「冷えた炉を壊して」というところ
(3分16秒あたり)での「冷えた」の「ひ」は正調江戸弁の発音。
江戸方言ですね、これ(^^;


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ナン

2011年10月30日 | 一般

昨夜仕事帰りにスーパーに寄った。
ナンがない・・・。
家内に架電し尋ねた。
「日本人て流行り物が好きだから数年前はブームだったけど、
今はあんまし売ってないのかもよ」とのこと。
レジの人に尋ねた。
家内と同じようなこと言ってた。
一緒に探してもらったけど、以前置いてあったという場所にはない。

仕方ねーなぁ、肉まんとあんまんでも買って帰るかとうろうろしていたら
冷蔵食品のところにありましたよぉ(^^)


5袋ほど買って来た。
夜食べた。娘もホクホク食べた。
お店で焼いたナンよりは味は落ちるけど、そこそこいけた。

でも以前は何種類もあったけど、スーパーにはこれ一種類しか
なかっただすよ。
かみさん説、レジのおばちゃん説は当たっているのかも。


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カレーにはナン

2011年10月29日 | 内的独白

休日出勤で事務所に出て残務処理していたら、家内から連絡。
今晩はカレーだという。

カレーにはナンだろう。
久しくナン食ってないぞ。
カレーライスもいいけど、やっぱナンだろう。
家内はナン作ったことない。

食材に詳しそうな友人にナンを売ってそうな店を尋ねてみた。
したっけ、「うちは自家製で作るのでわからない」とのこと。
ショボ~ン。。。。
やっぱ、カレーにはナンだよなぁ。

物知らないから、キーマカレーという絶品のカレーを知ったのも
つい2年前なんだけどね(^^;)
昔はよく銀座や赤坂のインド料理店(これがまた格別に美味い)に
行ってたけど、食通じゃないから、メニューで「これとこれ」なんて
頼んでんだよ、いつも。おいらが詳しいのは握り寿司と蕎麦だけだい。
備後安芸に引っ越して来てからぬぁんと一度もこちらではインド料理屋
行ってないや。

しっかし、ナン食いてえなぁ・・・。

ナンッ!(大分弁)


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江戸散歩

2011年10月29日 | 外出・旅

最近、都内だけでなく地方の各地でも歴史にゆかりのある
場所の説明標識が建てられていたりする。

試衛館跡
かつて住んだ家から歩いて10数分位のところにある。
近所だったから、散歩がてら柳町あたりをよく散策したけど、以前は
このような説明標識はなかった。
試衛館の場所がついに比定されたということ?
ホントかなぁ・・・(苦笑)
上の画像ではうらぶれた裏路地チックですが、この柳町、二十騎町、加賀町
あたりの界隈はけっこうなお屋敷街です。昔は旗本屋敷や大名屋敷のあった
いわゆる武家町ですね。






東京の旧江戸部分は江戸時代と道割りがほとんど一緒ですので、
散歩していても歴史散策のようで楽しめます。
時間がある日は、都内は歩くに限ります。それだけで『仁 -JIN-』の
世界にタイムスリップ。

昔行政側が新しい町名にしようとしたら牛込区民が反発して
神楽坂界隈はほぼ江戸時代のままの町名が残されました。
新宿というと高層ビル群を想像される方が多いようですが、
新宿区内のほとんどは住宅街です。
名曲「神田川」の物語は早稲田~落合にかけて青春時代を
過ごした喜多条忠先生の実話物語です。当時早稲田大学に
通った人の話を聞くと、「三畳一間」のアパートは大学周辺に
たくさんあったそうです。
(スクロールで皇居北の丸まで)



犬の散歩には戸山公園。
毎日夜8時になると近隣の犬仲間が集まります。30人くらい(^^)
そこで犬同士遊ばせて社会性を学ばせ、飼い主たちは情報交換や
歓談して親睦を深める。(現在は首輪放せなくなったらしい)
みんないい人たちばかりだった。家もみな近所だし。
目黒で生まれてから今まで20個所程に居住しましたが、この新宿区
西早稲田穴八幡界隈が一番住みやすかった。断トツで住みやすい。
とても好きな町です。私が生まれる前、両親も一時期住んでいました。
ちなみに、私が初めて二本足で歩行した場所は新宿御苑だったそうです。

犬の遊び場の戸山公園(旧尾張殿下屋敷)では、毎年今の時期、こんな
ことが行なわれます。








カッケー!!
毎年観に行ってた。

馬場に乗り入れる前に城内アナウンスで名を呼ばれるの。
しかも、苗字-通称-姓-諱(いみな=実名)の順で。
「机龍之介藤原のムネヨシィ~」みたいな感じで。
それがまたベラボーにカッコイイのよ。

で、その騎馬武者ぶりを見物する私はこんなイメージで自己妄想(笑)


大菩薩峠には縁があるしな(笑)


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模範演武

2011年10月28日 | スポーツ・武道など

【居合演武】範士八段草間先生(夢想神伝流/新潟)

すご。
この冴えと切れ。軸のぶれのなさ。
素晴らしい。
他流派ながら、素晴らしいものは素晴らしい。


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ディズニーソングを歌いこなす天才男

2011年10月27日 | 音楽

ディズニーソングを歌いこなす天才男


こりゃすごい!
ここまで歌えてはじめて「うたえる」といえるだろう。

ま、俺と同じくらいかな(


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刀の手入れ ~油~

2011年10月27日 | 日本刀

居合などで使う真剣日本刀の手入れは、まず刀身の油をぬぐい紙
で除去してしてから打ち粉(内曇砥の粉末)を打ち、それを軽く
ぬぐって完全に手脂や保存油を除去します。
そして、保存用の刀剣油を刀身全体にまんべんなく塗って白鞘に
入れて保管します。

居合をやる方に多い方法がネルの布に油を浸み込ませてそれで
サッと刀身をぬぐうだけというのがあります。
これは一時的な保存には簡易ですが、家や宿に帰ってからは
入念に手入れしないと出錆を招きます。
私の場合は、居合の稽古後に道場で簡易でない手入れを行い、
さらに家に帰ってから入念な手入れを行います。
刀身には油を塗って、大気に刀身が触れないようにする必要が
あります。そうしないと、鋼は化学変化で錆が発生しますので。
そして油を引くため、保管は「油鞘」「休め鞘」と呼ばれる白鞘に
刀を入れます。
白鞘はハバキと呼ばれる刀の金具で刀身を支え、鞘の中では
刀が浮いて鞘の内部と刀身が接触しないようになっています。

刀の油は旧来の植物性の物よりも鉱物性の物、あるいは100%
化学合成の物が良いでしょう。
植物性の油といえば、別な世界ではカストロールの2スト・レーシング
オイルが有名です。かつて私が高校~大学の頃にサーキットに
行くと、ほとんどのレーサー2ストオイルにはカストロールが使われて
いました。オイルが焼けるパンケーキのような甘い良い香りが
サーキット中に漂い、とても独特の雰囲気でした。
あの匂いが良いからと一般市販車の2ストバイクに使う人もいましたが、
ちょっと待て!なのです。
植物性レーシングオイルというのは、開封後24時間で腐食してしまい
ます。ですので一般車に使用するのはNGなのです。
1980年代初期に100%化学合成のオイルが登場してからは、
レースの世界でも保存が利く化学合成オイルにシフトしていきました。
化学合成オイルとは別に、昔からあったのが鉱物性オイルで、
こちらは経年変化も少なく、多くの内燃機に使われてきました。

刀の油は従来は植物から採取した油を使っていました。
ところが、植物油は時間と共に腐食し、質が変化します。刀油の場合、
ニスのようになって黄色く貼りついてしまったりします。これを「油染み」
といいましたが、ケミカルがなかった昔にはその油染みを除去するのも
一苦労だったようです。
現代では良質の鉱物油が出回っています。
私はその鉱物油の新品を毎回塗布するようにしています。ネル浸み
込ませ油は使いません。だから結構油は消費しますが、価格では数値と
して高額といえども、消費量からいうとレース活動で使用するレーシング
オイルに比べたら毎回新品を消費しても刀油は格段に安いものです。

ただ、刀油も種類がいろいろあって、皮膜のでき方も異なります。
安いものを使うと、塗ってから数分でシマシマになり、玉になったり皮膜が
はがれます。ねっとりとしてよく延びる油膜でないと保護の意味がありません。

私が愛用しているのは、銀座刀剣柴田の油。
太田さんという方が製造しています。太田さんの油も何種類かの粘度が
あるのですが、私は透明の物が一番延びがよいのでそれを使用しています。

中瓶 48ml


手入れ箱に入っている小瓶 18cc

中瓶からこちらに移しかえて携帯している。

この刀剣柴田がリリースしている油はかなりのスグレモノで、
この油を使った人はなかなか他の油に戻らないみたい。
とにかくいい塩梅です。
年に数回、多い年には年に数十回東京に行きますので、都内に
出たときには中瓶のほうを尾道の先生方にお土産として
買い込んで来たりしました。
でも先週先生から聞いたけど、「あの油は実に具合が良いので
もったいないから居合刀でなく家の鑑賞刀を手入れする時に
使っている」とのこと。なるほど~。
きっと毎日家でも居合は
稽古しているということがその言葉から読み取れました。
消費用の油とするにはちょいとオーバークオリティなんだよね、
柴田の油は。毎日塗り直していたら小瓶などは1ヵ月もたないのでは
なかろうか。かつて私が居合と斬術やりまくりの頃は、油の消費量
はんぱなかったもんなぁ。
それでもレーシングオイルに比べたら格安なんだけどね。モーター
スポーツは世の中で一番金かかる種目だから。

あと、藤代製の油も使いましたが、これもひょっとしたら太田さん製
ではないだろうか。刀剣柴田リリースの物と質が似ています。
でも、私、何で製造元が太田製と知っているのだろう。どこにも
書いてないのに。以前柴田で「作ってるの太田さんですよね」と
尋ねて「そうだ」という回答も貰っていますので柴田の油は太田製で
間違いないのですが、なぜ私がそれを知っているのか記憶にあり
ません。たぶん日本刀探求舎鍛人(かぬち)に通っていたときの知識かも。

刀の油の種類についてはこちらのサイトにレポートがありました。
使い勝手の感想レビューまでほしかったなぁ。
刀剣柴田の小瓶の値段が130円ほど安く書かれているので、古い
記事かも知れません。

あと、CRC-556などは、あくまでもネジ緩め用のルーセンと考えた方が
よく、かなり油の質も悪い
工作用消費油ですので刀剣には使わない
方がよいと思われます。まだ、100%化学合成の自動車用のオイルの
方がましでしょうが、刀剣にはできる限り専用の油を使うようにしましょう。

油の粘度について


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居合の不思議

2011年10月27日 | スポーツ・武道など

火曜日の居合稽古の時、神伝流の先生から妙なことを聞いた。
初めて知ったことだった。

古流居合といっても、夢想神伝流というのは昭和時代に
土佐英信流下村派を学んだ中山博道が新たに作った流派で、
中山先生自身がいろいろ工夫しているため、ご自身の居合が
年齢ごとにどんどん変化した。これはカタチとしても変化した。
そして、教える年ごとに教えられた弟子たちはそれを本物と
思い墨守したので、全国各地でカタチの異なる神伝流が
残る結果となった。
これは本家の英信流でも似た傾向があり、谷村派、下村派、
山内派ではカタチが異なる部分もある。さらに明治時代に
谷村下村両派を学んだ幕末~明治の人十七代目宗家の
大江正路先生が無双直伝英信流として大改編再編したので、
土佐英信流は江戸期の古伝を離れて近代居合の「古流」となった。
言ってみれば、本家筋の英信流も神伝流も現代居合なのだ。
だから「古流」「古流」と言ったところで、たかだか数十年前の
再編新居合であるので、侍時代の古伝ではないことを知る
必要がある。

夢想神伝流の特徴としては、「夢想神伝流」としての業はなく、
無双直伝英信流の初伝正座の部を改変したものを「大森流」
として位置づけ、英信流中伝立膝以降の業を「英信流」として
位置づけていることである。呼称もこう呼ぶ。
従って、夢想神伝流でも奥伝は中伝以降であるので「英信流」
となる。神伝流なのに初伝以降の業は「英信流」と称して業を抜く。
これも奇妙だが、現象面ではそうなっているのだから受け入れる
しかない。夢想神伝流の古い先生は自分の流名を夢想神伝流とは
自ら名乗らず「長谷川英信流」としていた先生方も結構いらした。
しかし、神伝流の横納刀で神伝流の前垂らし右結びの下げ緒さばき
だった。

ところが、前述したように、中山博道翁が各地に広めた神伝流は、
その時代時代によって中山翁自身が異なることを伝承したから、
日本各地で同じ業でもカタチが異なることが起きている。
これはまだよい。
ところが、業名が混同されたままで伝承し、それがその地方の
「本筋」としてそのまま受け継がれているという。
これは、さすがに他流派ながら同じ土佐系居合流派の私はどうした
ことかと思った。

夢想神伝流では、英信流奥伝の「戸詰」と「戸脇」が地方によって
名前が入れ替わっているのだという。ある地方では正確に伝わって
いるが、ある地方では「戸詰」のことを「戸脇」という業名にし、
「戸脇」のことを「戸詰」と呼ぶという。
これに類するものとして直伝英信流でも混同がみられ、実は江戸期の
古伝「向詰」がいつの間にか古伝「両詰」として誤伝され、さらに本来の
古伝「両詰」は現在は「戸詰」として伝わるに至っている。本来は左右
両側に敵が詰めて居るから「両詰」であり、現在「戸詰」と呼ばれている
奥伝の業は本来江戸期には「両詰」と呼ばれていたものである。
以下に、現在の無双直伝英信流(大江派)の奥伝業名を示す。


現在の呼び名で「戸詰」とは、戸(襖もしくは板の引き戸)の向こう(=つまり、
我が外で敵が中)に詰めている侍士に詰め寄られた際に抜刀抜き打ちする
から「戸詰」なのである。
また「戸脇」は、戸の向こう(中)とこちら側(外)の戸の脇に控えている
敵が詰め寄るから刺して切る業だ。当然戸を隔てた敵よりも我の側に
いる敵の方が早く動くからそちらから仕留める。
たぶん、いずれも、敵本陣の殿内に使者として遣わされたか、城内
での居合わせ業だと思うが、立膝の蹲踞からの業なので戦国期から
伝わる陣中想定の業もしくは上意討ちの想定だと思われる。

理合を中山先生が理解していなかったからこのような混同が起きたとは
考えにくいが確証がないので説明がつかない。あるいは弟子が誤って覚えて
それがそのま伝わったかのかも知れないが真相はわからない。ただ現実として
あやふやな状態が現在存在することだけは確かなようだ。直伝英信流の
「両詰問題」と同じような混乱が神伝流にもみうけられるという事実である。
因みに無双直伝英信流の誤伝された奥伝『上意之事』においては、二本目
に「両詰」(本来は「向詰」)があり、六本目に「戸詰」(本来は「両詰」)、七本目
に「戸脇」がある。古伝英信流奥伝立膝である誤伝『上意之事』には14本の
業があるのだが、更に明治期の大江正路以降の谷村派では8本に削られて
しまっている。谷村派においては奥伝のうち6本もが(表としては)完全な
失伝となってしまっているのである。

神伝流の横納刀に関して言えば、中山先生自身は土佐流の縦納刀で
あったが、ある弟子が研究の一環として太刀の横納刀を中山翁に
どうかと問い、中山翁が「それも稽古にはよかろう」と答えたら、今では
横納刀がさも中山神伝流の本筋のようになってしまったという。
中山博道先生自身は没するまで土佐英信流の縦納刀をしていた。


貴重な動画である。
完全に正対する大江以降の谷村派の「ガマ口」では抜きつけて
いないので、英信流下村派の「半身」であることが見て取れるが、
切先は谷村派のように大きく右まで切り開いている。現在の夢想
神伝流とは大きく異なる。それが戦後の動画部分になると止め
太刀のような抜きつけとなり、土佐居合から大きく逸脱している
このことは注目すべき点だ。土佐居合においては、谷村派の正対
ガマ口鳥刺し抜きにしろ、下村派の半身鞘なり直線抜きにしろ、
抜きつけの剣先は大きく切先を切り開くのが土佐英信流の道統
であるからだ。戦後の中山系は土佐居合から大きく外れている
ことになる。
現在の神伝流の納刀の横引きは太刀作法を刃を上にした刀にも
採り入れてみた新派としての創作といえるからまだよい。下げ緒
さばきにしても、新派の創作として前垂らし右留めでもよいだろう。
しかし、「英信流」の「奥伝」の業名を誤用するのはかなりよろしくは
ないと思える。将来的に業名が神伝流内で土佐英信流の業名に
統一復元されることを切に願う。
また、無双直伝英信流においては、「戸詰」を「両詰」と江戸期の業名
に復元すべきではないかと私個人は
思うのだが、いかんせん流が
全国的に広まりすぎてもはや復元改定は現実的に不可能だろう。

尾道の先生も、この夢想神伝流の業名混乱については問題意識を
お持ちのようだったが、先達からの伝承は守るしかなく、如何ともしが
たい案件で頭が痛いご様子だった。
中山博道先生は居合道を全国に広めた功績は大きいが、その研究心
ゆえに混乱を招いたことも歴史的現象としてはある。善し悪しとは違う
次元で現実的にはそういう事象が生じている。英信流谷村派においても
同様な内容となっており、無双直伝英信流谷村派は本質的には「無双直伝
大江流」とするべきなのである。覆水盆に帰らず。もはや誤伝を正す術は
ない。
土佐居合における誤伝問題は、まるで幕末に100人以上の弟子を抱え、
日本刀復興に多大な功績を残した刀工水心子正秀の如き様相を呈する。
正秀は日本刀復古論により日本刀の作刀技術に金字塔を打ち立てたが、
内実として作刀技法は古伝ではなく、幕末当時の技術の普及であった。
そのため、現代では水心子の製作方法があたかも「古式鍛錬」との如く
業界の権威筋にも誤認され、現代刀工による古刀再現の阻害要因となって
いる。
夢想神伝流と無双直伝英信流の業名誤伝と現代日本刀の権威筋サイドの
作刀技術に関する誤認は、とてもよく似ている性質のように思える。
これらの現象をみるとき、「温故知新」ということがいかに大切かということを
教えられる気がする。「古流に還れ」と先人が語っているようにも思える。
但し、中間部分的伝承者による誤伝といえども、大江と中山の存在なくしては
現在の居合の命脈は絶たれていただろうことも確かだ。
両先生の功績は大きい。


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懐かしい便り

2011年10月26日 | アウトドア

突然、なつかしい男からメールが来た。
10年程前、まだ私の娘が4歳か5歳の幼稚園児だったころに
よく通った広島県北のマスが釣れるキャンプ場で結婚式を
挙げた釣り仲間からのたよりだった。
今は広島から東北に職を変えて移住してるという。
ははあん。さてはフライフィシングのためだけに東北に転出したな、
こやつ(笑)
と思って尋ねたら、「当たり前ですよ」だって(^^;)
「2年連続で尺物上げてます」とのこと。
はぁ・・・。病何とかに入るだね、こりゃあ(^^;
かつて、起きて意識がある時間はすべて釣りをしていたいとして、
用を足すときもウエーダーをずらして尻を川につけて竿を振って、
「これがホントの天然ウォシュレット」と言ってたイカレタのがいたけど
彼もそのクチだなぁ・・・(笑)

まあ、でも国内各地だけでなく夫婦でニュージーランドや世界に出て
フライフィッシングをしているくらいだから、もう趣味の域を超えて
釣りのためだけに仕事してる感じがなきにしもあらず。
なんだか「道を極める」という感じで、ほとんど専門家だね、彼。

でも、10年位前は広島の山で共に良い時間が過ごせたなぁ。
マスが釣れたキャンプ場は今は閉鎖されて廃墟みたいになってるけど、
当時は多くの人が集まってとても楽しかった。
俺なんて、準スタッフみたいな感じだったしなぁ。
奇縁というものはあるもので、そこの支配人が私の以前の職場の上司兼
学生の頃からのバイク仲間の親友と福岡で幼馴染だったのよ。
支配人と飲んでて、「お前、なんであいつを知ってるんだ」という驚きの
状態。このパターン、居合の師匠とも同じことがあったなぁ。
人というのは、どこかで繋がっているようです。
ここのキャンプ場で私がフライ専門誌に載ったりテレビに出たりしたっけ。

結構良好な人造湖でした。            帽子被ってるのが私。

そういえば、このキャンプ場で鍛造刃物の焼き入れ会を催したっけ。
メールくれた彼の希望で私が斬鉄剣康宏の鋼でナイフを造って進呈し、
それを彼自身が焼き入れした。奥様のも造った。
一緒に焼き入れした彼のイケメンの後輩(モコミチに似ている)や
とても可愛い彼女(昔の椎名法子に似ている)はどうしているのかなぁ。

きょう連絡くれたフライマンとの思い出の記事はこちら。
アウトドアでの結婚式の思い出

来月末まで広島にいるので時間が合えば会いたいってさ。
勿論旧友だから会うだすよ。


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進捗状況の連絡

2011年10月26日 | 日本刀



京都の入選研ぎ師の先生からメールで連絡をいただいた。
私は今までこの先生を除いて4名の研ぎ師に依頼したことがあるが、
進捗状況を知らせてくれる方は初めてだ。
ネット時代とはいえ、こういうのは有難いと同時に少し戸惑った(^^;
なぜなら、かつての仕事の依頼は「依頼したら一切進捗を尋ねたり納期
をせかしたりしない」というのが私のスタンスだったし、そういうことを
するのは大変失礼と思っていたからだ。(今でも思っている)

以前、ビリヤードのリペアマンで同級生の凄腕の職人さんがいて、
いろいろカスタムキューのリペアやメンテや改造をお願いしたのだが、
値切りはもちろん、仕事の催促をしたことは一切ない。
彼もネット時代の環境を利用してキメ細かい作業工程の画像をメール
してくれた。これはその後の打ち合わせでもかなり役に立った。
そして、驚いたのは、作業完了の作品にはカルテをつけて、作業内容と
作業前の状態が細かく明記され、「仕事の記録」が添付されていたこと
だった。
だが、逆にネットお手軽時代のためか、若い人などは彼に依頼をして
納期をせかしまくったりしていた。「半年くらいかかりますよ」と説明して
いたのに、半年を前にまだかまだかと問い合わせをし、半年を少しでも
過ぎたら職人に対して詰問しまくりだった。
そうした対応して、芸術肌の職人さんがいい仕事すると思いますか?
「金払えば客」という感覚がそもそも商業資本主義的で、伝統工芸とか
とは合致しないのです。駅の売店でガム買うんじゃないんだから。
刀鍛冶で「気乗りが来るまで」として仕事に手をつけなかった刀鍛冶を
私は知っていますし、また別な刀鍛冶で私が紹介した客があまりに
せかしすぎるので「すまないけど、この一口を最後に彼の注文は一切
受けないから。君には済まないが」と言われたこともあります。
その人、私の知らないところで値切ったりしていたしね。
刀なんて値切るものではありません。
よく関西の人は「買い物は値切ってナンボや」という感覚があるようですが、
武具刀剣は値切ってはいけません。理由は調べてください。
刀にケチがつきますよ、そんなことしたら。
そして、新作刀の場合は受注元は価格を提示しているのだから、それが
価格なのです。なぜ値切るのか意味がわからない。その金額払えなければ
あきらめればよいだけです。
私は、刀工集団と親密に付き合っていた時期にはメザシさえ食べません
でした。これも刀を値切らない理由と一緒。メザシは落ち目だからです。
武家の町東京では飲食店に行ってもタクアンもふたきれです。ひときれ、みきれ
は出しません。

ただ、こういう武家特有のゲンかつぎでよく誤解されているのに「武家の屋敷
には椿は植えない」というものがあります。
これ、明治以降に作られた都市伝説のようなもので、椿は桜と並んで散り際が
潔いので武家には好まれました。邸内や生垣などにも結構あった。


ということで、京都の研ぎ師の先生から送られてきたのは、何点かの部分研ぎ
のうち、「刃こぼれを補修」についての画像報告です。
あと、横手筋が左右でずれているのとか変な砥石(?)を当てた痕を補修して
もらいます。
メールで打ち合わせしていたら、よじれ矯正等についてはやってもよいかと尋ね
られたので「お願いします。別途追加費用についてはお申し付けください」と返事
したら、当初の依頼費用内でやってくれると申し出てくれました。
こうした心のやりとりの機微とかは、納期をせかしたり値切ったりする人には
たぶん到底理解できないだろうし、客面してていいことは自分に返ってこないのです。
舌切り雀の大きなツヅラと小さなツヅラや池に落とした斧が金か鉄かでは
ないですけど、値切りもある種のケチ臭い「欲」が為すことですから、あたしゃ
あんまし好きではない、そういうの。武家の思考回路云々以前に。
値切って何が嬉しいのかよくわからない。
吹っかける相手はこちらが見切ればいいのだし、買わなければよいだけのこと。
それとね、値切ると金だけの関係になるんだよね。
でもなぁ・・・電車乗るとき値切ります?飛行機乗る時、特割になっているのに
さらに値切ります?「もうちょっと安くならんのか」とか言って。
なんだかね、私にはさもしく感じるのです、そういう心は。
かといって私に対して吹っかけようとしてもダメですよ、見切りますから(笑)

京都の研ぎ師さんには「お手空きのときでいいですよ。ゆっくりで」とお願いして
いましたが、どうやら仕事に着手されたようです。
来月中あたりには出来上がるでしょうか。
加州新刀、二尺三寸一分です。鉄(かね)がちょっと硬そうな(^^;
さっき古刀の居合刀を手入れしていたけど、ビヨンビヨンだもんなぁ。スプリング
みたいに。硬すぎるのは折れるのではないかと少し心配です。

いずれにせよ、その加州新刀は白鞘なので拵えを作らなければなりません。
これはおいおいだな。財布と相談しながら(笑)
柄だけはどうしてもこだわりたいんだよなぁ。刀と体の唯一の接点だから。







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居合稽古

2011年10月25日 | スポーツ・武道など

18:30~21:00まで尾道東高校武道場で居合の稽古。

・古流-夢想神伝流(大森流) 逆刀 ・・・・英信流では附込

・福山市長杯参加選手5名は模擬試合形式で稽古(制限時間6分)
<1回目>2セット
(古流)
自由二本

(全剣連制定居合指定業)
二本目 後ろ
六本目 諸手突き
十本目 四方切り 

<2回目>2セット
(古流)
自由二本

(全剣連制定居合指定業)
三本目 受け流し
七本目 三方切り
十一本目 総切り

<全剣連制定居合指導要綱>
二本目 後ろ
1.両つま先の立て方は練度による。
2.敵は真後ろではなく、わずかに左正面左寄り。
3.左足をやや左寄りに踏み込むと同時に抜きつける。
(踏み込む程度は、後ろの敵に正対する範囲まで)

三本目 受け流し
1.左足を右膝の内側に足先をやや外側に向けて踏み込む。
2.そのとき左足先は右膝頭と揃うくらいに。
3.受け流したとき、両足は「イ」の字のような形になるように。
4.受け流して袈裟に切り下ろすまでの流れは、受け流しをきちんと決め、
  剣先を振り回さないで、そして「刀を止めることなく」一連の動き(流れ)
  となるように。
5.「抜き上げ」とは、剣先が鯉口から離れる前までの動作をいう。
6.剣先は右足を「イ」の字のような形に踏み込んだときに、鯉口から離れる。
7.このとき体は左正面を向いている。

六本目 諸手突き
1.「中断におろす」とは、左手の位置は自分のへそ前約ひと握りのところとし、
  剣先は敵の喉の高さにつけるということ。
2.中段からの突きは、間をおくことなく一連の動きで。
3.「刀を引き抜きながら」という動作は、あらためてしなくても、剣先を突いた
  水月の位置から下げないで、柄頭から頭上に振りかぶれば、自然に「引き
  抜きながら」となる。
4.三人の敵はほぼ同一線上に立つ。
5.向き直るとき左足を左へ踏みかえる。
6.「刀を引き抜きながら」は、腰の回転と共に「受け流しに」という動作が加わる。
7.受け流しに頭上に振りかぶるとき、柄頭から先に上がるようにする。

※踏みかえについて
六本目、八本目、十本目の踏みかえはそれぞれ異なる。敵の立つ位置が
それぞれ異なるから、それに応じて踏みかえの程度も異なってくる。
 六本目(諸手突き)・・・三人の敵はほぼ同一線上に立つ
 八本目(顔面あて)・・・後方の敵はほぼ身一つ左に立つ
 十本目(四方切り)・・・四人の敵は四方に立つ

七本目 三方切り
1.「敵を圧しながら」とは気攻めであるから、正面に向ってあまり刀を抜き
  出さないように。
2.右の敵の頭上からあごまで抜き打ちするとき、剣先で上から下へ円を描く
  ような抜き方をしないように。

十本目 四方切り
1.一重身について
(ア)一重身になる理由
   柄の平で、右斜め前の敵の右こぶしを正体して打った体勢から、左斜め
   後ろの敵の水月を突き刺すためには、左足をわずか斜め左へ捌いた
   一重身にならざるを得ない。
(イ)一重身の状態(体勢)
   一重身は、「右斜め前の敵と左斜め後ろの敵に対する身構え」で、両足は
   逆さ(ハの字)のような形となり、ほぼ真横に開いた状態(体勢)、このとき
   体は4人目(左斜め前)の敵に対してほぼ生体する。突くときは、右足先を
   左斜め前に向ける。
2.4人目の後ろ(左斜め前)の敵に対して「脇構えにとる」でなく、「脇構えに
  なりながら」という一連の動作に留意する。

十一本目 総切り
1.刀を受け流しに頭上に振りかぶるとき、左足をわずかに後方へ退いてもよい。
2.刀の抜き出し方は「差しなり」である。
3.正面の敵の腰腹部を水平に切るとき、正体した自分の左上腰に刀を水平に
  して、正面の敵の右腰腹部から左腰腹部を(およそ180度まで)水平に切る。

<私への個人指導指摘点>
・受け流し・・・受け流す傘の角度をもっと小さく
・総切り・・・四太刀の切る部位をすべて正確に
・総合・・・1.腰の入れ方、2.首の角度、3.肩の開き、
      4.制定居合混合の演武では「前半差し」でも鞘を出しすぎないように。



稽古するべし。

 




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ワタリ

2011年10月25日 | 映画・ドラマ

私は幼稚園の時に大ファンだった。







ワタリ。
1965年(昭和40年)~1967年(昭和42年)に週間少年マガジンに
連載された。
私はマガジンとサンデーは毎週父が買ってくれて読んでいた。
幼稚園に入る前から漫画で字を覚えたようなもんだ。
特にこの『ワタリ』の大ファンだった。
白土三平先生のこの漫画で、幼稚園児ながら人の世に階級があり、
それから逃れて自由を求める心があることを知った。
そしてそのワタリの象徴としてこの武器の斧が欲しくてしかたなかった。
手裏剣を跳ね返し、刀を切り折るこのワタリ一族の斧がとてもカッコ良く
見えた。
↓このようなマサカリタイプでなく、


このちらのような手斧(ちょうな)タイプでアゴが長いところが
とてもカッコよく思えた。↓


私がワタリタイプの斧を異様に欲しがったのは、私の娘が幼稚園児の時に
『犬夜叉』の鉄砕牙を異様に欲しがったのに似ているのかもしれない。
現実的に本物の手斧タイプの自分の斧を所有するのは大学に入って
からだった。
この手斧タイプのシルエットは今見てもとてもイイと思う。

しかし、時代だ。
現代の漫画は、人の世の歪みや階級社会での人の苦しみや権力者の
圧政に抵抗する人たちの姿を描くことはしない。
戦後~60年代70年代初期の劇画・漫画・アニメは、子ども向けでもとても
シリアスで人間を考えさせるテーマを扱っていた。『巨人の星』にしても
『あしたのジョー』にしても、『タイガーマスク』にしても『カムイ外伝』に
してもだ。
『巨人の星』と『タッチ』ではまるで世界が異なるし、『赤き血のイレブン』と
『キャプテン翼』では世界観が異なる。
今を嘆いても仕方ないが、どんどん個人的な閉塞志向に向かう素地は
やはり社会情勢の歴史と密接な繋がりがあると思える。

『ワタリ』はむさぼるように読んだが、実写版映画はなぜか観に行かなかった。
ポスターを見てイメージが違いすぎていて嫌だという印象だったのを
記憶している。
今、トレーラーを観ると、結構当時としては楽しめた作品だったかも知れ
ないと思う。

 

家内もこれを観て「うひゃひゃひゃひゃ。古いね~、ナレーションの台詞が」と
笑っていた。
1965年当時はこんなもんだ。なんというか、舞台芝居のセリフみたいなんだよね。
でも、実はそういう空気は確実に1971年『仮面ライダー』に引き継がれている。
『仮面ライダー』はそれまでのSFヒーローではなく、等身大の変身ヒーローとして
後の現在まで続く40年来の「パターン」を作った特撮物の金字塔だった。
石ノ森先生の作品では一番『サイボーグ009』が好きだが、石ノ森先生の作品
でも「異形の者」「マイノリティ」にスポットを当て、それが戦うことを通してのみ
己の存在を見出していくという社会派ドラマがテーマの中心幹だった。
これが1960年代のアニメやドラマや小説や漫画作品の主要なテーマであるし、
時代を反映しているひとつの特徴だ。
這うようにして進みながらも立ち上がって更なる障害を乗り越えようとする人間の
不屈の息遣いが1960年代の人間たちの共通の「世代観」だった。
その最後の世代が私の世代だろう。


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方言講座(広島弁)

2011年10月25日 | 外出・旅

方言講座(広島弁) 古崎瞳


わははは。なんだこれ。


こちらも。

広島弁 ハムレットを読んでみる (1)

しゃべり方、うちの娘みたい(笑)
てか、何話しているのかよくわからない(^^;
でも動画の中で女の子が言う「じゃん」という横浜言葉は今でこそ
広島の人間も使うが、私が子どもの頃に広島に遊びに来た時には
使う人は皆無だった。東京から電車で30分の埼玉でさえそうで、
私が1972年に横浜から埼玉に転校した時、私が使う「じゃん」と
いう語尾が珍しく、クラスの連中がそれを真似したりした。
それに類する言葉で「さ」がある。今では大阪人さえも「さ」を使う。
「だからさぁ」みたいに。これも1960年代~1970年代後半までは
皆無だった。テレビで大阪芸人が東京に出て来てそれを逆輸入して
大阪でも使い始め広まったと思われる。逆に東京では使用しなかった
「ヤンキー」という大阪弁が東京でも標準化し、いまでは全国版に
なっている。元祖東京弁では「ツッパリ」だ。しかし「ツッパリ」という
単語は「ヤンキー」に駆逐されて死語となった。
うちの娘は、新宿生まれだが2才になる前に広島県に引っ越してきた。
幼稚園に入るまでは標準語だったが、幼稚園以降はどんどん広島弁
(正確には備後弁の中の三原弁)になっていき、今では標準語が全く
話せなくなった。

私には福山に母方のイトコがいる。
公務員なので各地を転々とし、今は東京都に住んでいる。東京住まいも
長い。
過日、
「福山弁が時々出たりしない?」
と訊くと、
「いや、そんなことはない。ブチ標準語」
と言っていた(^^;
(ブチとは標準語に直すと「極めて」という意味。江戸弁では「べらぼーに」
とか「すんげー」とかになる。)

先日、愛媛松山で東京神奈川の仲間と再会したが、言葉がとても
懐かしく感じた。
ということは、だんだん私にとっての標準語が広島地方言葉になって
きているということなのだろうか。
それでも、未だに「2千円」は「に- せ- ん- え- ん-」と標準語の
イントネーションで私は発音する。
広島弁のように「に- せ ̄ ん- え_ ん-」とは発音しない。
広島弁は「3千円」などに特徴があり、「さん_ ぜ ̄ ん_ え- ん-」
という抑揚で発音する。2千円と3千円では抑揚の音程が異なる。
「ネギらーめん」などは正統広島弁では「ね_ ぎ_ ら ̄ ぁ_ め- ん_」
という音程になる。いわゆる旗本言葉を基礎とした標準語の抑揚とは
全く異なる。
この広島独特の抑揚はなかなか抜けないらしく、東京に移住した私の
親戚は全員100%金額勘定を広島弁で発音する。その他は江戸弁に
なっているのに、おもしろい。
あと、「文法」は標準語では「ぶ- ん- ぽ- う-」なのに、広島弁では
「ぶ ̄ ん_ ぽ- う-」(←「う」は「ぽ」よりもシャープ上がる)となる。
出身地を公開していなくても大抵この抑揚でバレる(^^;
鯨は標準語では「く- じ- ら-」だが、広島弁では「く ̄ じ_ ら-」となる。

今はテレビの影響で方言で話すこと(とくに大阪弁が優先的に)でもOKと
いう風潮があるが、各地方から人が集まる場所(都会など)では、やはり
意思疎通のためには自分の出身地域の言葉だけで話すのはコミュニケー
ションの障害になるので、標準語を話せるのが好ましいと思う。
できれば、標準語だけでなく、自分が今いる居住地の言葉も自在に使えれば
よいのだが、なかなかムツカシイ。

ただ、私が思うのは、江戸方言含めて方言は大切だと思うが、方言しか
話さないことを何を勘違いしたのかそれが偉いのだ当たり前だとして振る
舞う傾向が岡山あたりにはみられるので、私はそれは否定したい。
自分の使う言葉が基準であるなどとして他地域の人間と接するのは傲慢
である。唯一、日本語の共通語としての標準語のみがそれを許される。
私も地方ではつとめて江戸弁ではなく標準語を使うようにしている。
岡山に多く見られる中国地区の一地方の言葉を使う自分たちが中心で
であるかのようなふるまいはかなり傲慢で高慢だと感じざるを得ない。
岡山は小中華思想の土地だからしかたないのであるが。

土地柄もあるもので、東京の大学では北海道から沖縄まで全国各地方から
学生が集まって来ていたが、岡山の人間と広島の人間で人柄が全然違った。
学生の時にはそれが単なる個性-個体差だろうという程度にしか思わなかった
が、中国地区に赴任したら、「お国柄」というのは厳然として存在することが
理解できた。
ただし・・・
岡山も広島も、そこに住む人間はその「お国柄」と密接に連結する「人柄」が
存在していることをあまり自覚していない。そして、それが他の地方から来た
人にどう思われているか(特に負の感情として)についてはあまり興味がない
ように見受けられる。
岡山などは自覚どころか外から来た人の意見に全く100%耳を貸さない。
そのくせ「なぜ岡山県人は嫌われるのか」というフォーラムを県主催で開催
したりしている。パネラーは岡山から出たことない人しか呼ばない。これが
ひとつの岡山パターンである。

娘には「外の世界を知らないと視野が狭くなるから東京か大阪か京都に出ろ」
とすすめていたが、大学は東京に出る意志を固めたらしい。それがよかろうと
思う。
狭い日本だが、こんなに人間性が違うなんて、東京神奈川にいたときには
まったく知らなかったもの。
先日会ったスキンヘッドの同僚と話していて、「隣りの県でそんなに違うのか?」
と不思議がっていたが(東京と神奈川、東京と埼玉はほとんど変わらない)、
そういうことがあるんだなぁ、これが。
東京の場合は、新宿区と文京区でジモチーでも人柄が変わることはないが、
中国地区の場合、例えば三原と尾道ではまったく人柄が異なる。
また岡山県でも、井原市と旧芳井町では隣りなのにまったく人が異なる。
そういうことが何に基づくのかは民俗学的なことも関係してくるだろうが、原因は
私にはまったくわからない。要は「イナカ」なのだと思う。自分の周辺テリトリー
より外は「異質」となる人間社会の原始的な形態が21世紀の現代でも
日本の「地方」では現象として色濃く残っているのである。
これが東京や神奈川に住んでいるとまったく知り得ない。
同僚は知らないので驚いていたが、無論私も赴任するまでは知らなかった。
ある意味我々も江戸横浜のイナカモンなのだが、中身の意味が少し違う。
今は内実としてのコミュニティの特定現象面を説明しているのだから相対化は
できない。

要するに、海に出ろ、ということだ。
大海知らずだとどんどん人間が小さくなる。
そういう事例は嫌という程見てきた。
子には旅をさせよと昔の人も言う。
目指せ、海を、だ。


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嵐の中に起つ  トイウコト

2011年10月25日 | 文学・歴史・文化

明治新政府に抗して決起した西郷軍に呼応する筑前福岡藩の反乱士族
の中に私の居合の師匠の曽祖父の名が見えたので興味深く読んだ。

玄洋社史概観

これを読むと、幕末の黒田藩内の佐幕派と勤皇派の勢力争いは
熾烈なものがあったことがうかがい知れる。慶応元年の乙丑(いっちゅう)
の獄では140名の勤皇派が処刑されている。まるで水戸藩や土佐藩
みたいだ。しかし、その後藩論が勤皇に傾くと今度は佐幕派の藩重臣が
軒並み切腹させられている。
幕末には各藩でこのような動静があったようで、映画『たそがれ清兵衛』も
庄内の小藩でも藩内政争で佐幕派と攘夷派が殺し合いをする状況が
描かれていた。
個別各藩でみたらそのような流れだが、明治新政府ができて以降は、
今度は明治新政府の内部で権力争いが一極化されていき、西郷や江藤、
板垣は職を辞して野に下る。
板垣はやがて政党政治に先鞭をつける立志社を起こして民権運動を
作っていくが、旧筑前福岡藩黒田家の家臣たちも民権運動を起こしていく。
士族が作り出したこの流れは全国で起こり、明治中央政府はこれを
無視できなくなり、やがて国会開設を明治30年と約して鎮めざるを
得ないのだが、それよりも前段階の明治初期には政府は徹底的な中央
集権制を画策して各種の専横的政策を断行した。
この明治政府の政策に対して、各地の士族が決起したのは学校の教科書
でも習ったところだ。

明治初頭の国内のこうした動きの特徴としては、一方で言論で民心を獲得
しようと動きながら、一方では武力クーデターで政府転覆を狙っていた点は
紹介した玄洋社史概観でも語られている。
しかし、紹介サイトの筆者はそれを
民意を施政に反映させようとする民権運動に名を連ね、もう一方で武力による
クーデターを意識するという背反した行動の裡には、武によって死ぬことを
使命とする武士の思想が色濃く反映され」
「武士たる意識を引きずる武部らの限界であったともいえよう」
としている。
しかし私はこの指摘は現代の戦後議会制民主主義的観念からのみの指摘であって
こうした指摘こそが限界性があると思う。
世界の歴史を見ても、民衆蜂起と呼応した武装蜂起によって政権奪取が
なされてきたのが実は近代民主主義の世界史だからだ。言論による民意と
武装蜂起は背反しない。
西欧型近代民主主義は暴力によって体制が作られてきた。いわば暴力革命
によってのみ民衆主体の民主主義体制は確立されてきた。これはフランス革命
しかり、アメリカ独立戦争しかり、ロシア社会主義革命しかりである。(ロシア革命は
スターリンの裏切りによってねじ曲げられて民衆主体の社会主義体制ではなくなり、
その後ソ連国家によりコルホーズやソフホーズでロシア本国でも民衆虐殺が行われ、
それだけでなく連邦の衛星国でも多くの民衆が虐殺された。民権を求めようとする
民衆の行動を武力で圧殺するソ連は、ソヴィエト=評議会とは空文句の名前だけの
専制国家であった。こうした専制圧政国家はどのみち民衆の力によりやがて崩壊する)

明治初期の士族の乱は、不平士族の蜂起とはいえ、サイトの筆者が指摘する
ような「民権運動と武装蜂起の結合という限界」でも、「死を使命とした武士の限界」
でもない。世界史と同じように自ら命をかけて血を流して次なる世の中を作ろうと
する暴力革命=のちの民主主義世界の獲得として存在したのである。
議会での話し合いで何かが変わるなどという甘っちょろい現代的な感覚で
動乱の19世紀を語ることはできないのだ。
そして、暴力革命によってしか新体制は築けないという歴史は今も歴史の
定理として存在する。民意を反映した暴力、組織された暴力こそが新しい世の中を
作る。世界の民主主義国家は自ら民衆が血を流し、それを築いてきた。
だが、日本にはその歴史がない。
日本に民主主義が存在した歴史はないのである。

幕末、明治の武士たちは新たな世を作ろうと命を賭して決起した。
明治になっても政府に命がけで抗した。それは政府転覆までも視野に入れて
まさに血みどろの闘いを挑んだ。
明治新政府は圧倒的武力でこれらを個別撃破し、歪んだ「立憲国家」を
捏造して結局はWW2で国を滅ぼすところに導いていく。
戦後は米国の傀儡となって今度は擬似民主主義を捏造した。
だが、国内の右翼や一般庶民も、現代社会で政府にたてついて新時代を
作ろうと起ちあがった人たちを「国賊」や「非国民」呼ばわりし、時には
「過激派」として社会悪のように政府に追従して規定するが、日本の歴史、
特に幕末明治の歴史を知る者からするとちゃんちゃらおかしくてヘソで茶を
沸かしそうだ。民衆蜂起こそが新時代を作るのは人類の歴史の常なのだ。

でもね、幕末明治と違って、お上に尻尾フリフリすることが正義だと勘違いして
いる連中が今の日本には多すぎるから、そういうのが大多数になったとしたら
別に蜂起もいらんのよ。
勝手にポチになってなさい、という感じで。城内平和で予定調和でやってなさい、
という感じで。今の体制でね、政権がどの政党が取ろうと世の中変わらないのよ。
権力構造が変化しないのだから。
反乱行動に決起する人たちもね、「反権力闘争」なんて言ってるうちはムリムリ。
反権力闘争ではなく対権力闘争と位置付けて権力を奪取しないと。
この国はね、官僚と警察が運営してるんだよ。国会や政党ではなく。
それは明治に作られたの。大久保利通は暗殺されれて当然だと思うけど
彼はまさに「国家百年の計」を為したという訳。
たぶんあと百年後もこうだと思うよぉ。官僚大国日本万歳!ってね。
腐った体質だから多少の膿を出しても、本体腐ってるから助からない。
一度、体を真っ白な灰にしないとね。



この国で維新=革命は未だ成就していない。



 

 


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