渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

人のえにし、血族のつながり

2011年09月30日 | 内的独白

地元のいとこの姉が逝去した。
56歳というのは若いといえるだろう。
心から冥福を祈る。

私は仏教坊主すべてが個人的には好きではなく、仏教そのものの
教義にも大いに疑問があり、プロテスタントの牧師の話は聴いても、
坊主の話をまじめに聴こうと思ったことがない。特に鎌倉以降の
インスタント葬式仏教などは、私個人の中では完全否定だ。
肉を食らい、酒を飲み、妻帯している坊主や尼の言うことには
聞く耳を持たない。特に在家の尼ども。なんだ?あれは。在家という
名を借りて還俗のまま出家とは、これは面妖なり。出家ならば家を出て
頭を丸めよ。そして、親に会うては親を殺し、仏に会うては仏を殺す
仏道というものを全うするがよい。
仏教は手前勝手な造語によって都合よく自己保身を正当化することが
あまりにも多くて、まったく好きになれない。日本では本地垂迹説の影響が
強かったから無理だったとはいえ、信長は比叡山だけでなく日本中の
寺を壊滅させるべきだったとさえ思う。
この本地垂迹にしても、日本仏教独自の「便法」であり、仏教はこうした
手前に都合よい解釈をどんどん捏造するのが得意な宗教だ。
どうしても私は、そこに潔さも美しさも清さも寸毫たりとも感じられない。
世の中の坊主を見るがよい。特に新興宗教としての仏教の首長を含めて
世の坊主どもを。生臭くない坊主がどれほどいるというのか。それが
現実であり、葬式仏教や布施集めの新興仏教が体現するものがそれだ。
ただ、そういう私の個人的な宗教的観点と先祖と一族の霊を慮り祈る
ということは別問題だ。

いとこの姉の通夜で、坊主が良いことを言っていた。
「不幸と不運は違う。私も妻を病で早くに亡くしたが、妻は不運では
あったと思うが不幸であったのかというと、それはまったく別なことだ
と私は思う」と。
人の一生の長さは定められている、という。
その中で長い短いはあるにせよ、その生涯を閉じるときに短い場合
不運ではあるけれども不幸ではけっしてない、という。
九死に一生どころか、九死の二乗に一生を得て生きながらえている
私からすれば耳が痛い話だが、死を覚悟して死地を求めて嵐の中に
身を置いても、死ぬか生き残るかは運次第というのは私の体験から
自分自身納得している。
召す時は神が決めるようだ、というのは自分で何となく解る。

人のえにしを感じさせる不思議なことがあった。
いとこの姉が亡くなった日、東京からある見知らぬご夫婦が寺を
訪ねて来たという。




三原は西の京都といわれる程に寺が多い町だが、この寺は仁治2年
(1241年)以前から、現在の市内西部にあった熊野神社の本宮と新宮
にそれぞれあった別当のひとつで、永禄10年(1567)の三原城整備
にともない今の城そばの地に移された。
三原城築城と共にと伝えるから天正8年(1580)の時かも知れない。
天正8年から10年にかけての工事で三原城は幕末までの姿、海に
浮かぶ要塞、別名「浮き城」となった。またの名を玉壺城と呼ぶ。

うちはもともとは真言宗だったが、後の戦国末期に曹洞宗となり、さらに
浄土真宗となり、さらに後に真言宗に戻した。
この寺は真言宗の寺で、江戸期に荒廃し、廃寺寸前だったところ、
私の先祖が坊主をどこからか引っ張ってきて寺を再興させた。
それゆえか、一等檀家というものらしく、一番良い墓所を貰っている。
また、昭和初期にできた附属幼稚園にもうちの一族は無償で通った。
昭和一桁生まれの私の父が第一期卒園生らしい。

いとこの姉が亡くなったその日に、あるご夫婦が東京からこの寺を
訪ねて来たという。東京本郷の赤門のある大学の大学院で教鞭を
執る先生らしい。
なんでも、私から数えると数代前の先祖の弟「G介」の直系子孫らしい
(私はどの先祖のどの系列かは把握している)。
私はそれまで「M介」と読むのかと思っていた。どうやら直系子孫に
よると「G介」らしい。(このG介というのは仮名(けみょう)だ。いわゆる
普段使う俗名。イミナという実名ではない)
先祖のルーツ探しで寺を探し当て、直接訪ねて来たのだという。
不思議なもので、20年ほど前「明治期に大阪や金沢や東京に散った
一族の子孫がいつか訪ねて来ることがあるかも」という予感が
あった。
先祖の一族といっても、うちのラインの直系以外は現在はほとんどつきあい
がない。
現在から幕末頃までの先祖は戸籍(取り寄せ可能な明治19年式戸籍まで)
で容易に判明する。それより先は寺の過去帳、藩の記録、他の資料
で判明する。華族に列する家系ではないので先祖の正式系図などは
残っていないが、江戸幕府が始まる前後をまたいだあたりからは
確かな記録が残っており、イミナと通称と生没年、妻と兄弟の名と
没年が明記されている。
しかし、興味ない人間にとってはどうでもよいことらしく、幕臣旗本
の末裔の友人知人は何人もいるが、自分の3代以上前の先祖の名も
もとより、江戸期の役職も知らない人がほとんどだ。これが将軍から数えて
3番目の役務に就いた大身旗本の子孫でもまったく知らなかったりする
のだから、私からすれば不思議なことだが、うちの親族とて、興味ある
人間以外はまったく自分のちょっと前の先祖がどこの誰ベエかも
知らない。(大体世間では私の親の世代からみての曽祖父=私の
世代の高祖父が江戸幕府終焉時に20歳位だ)
さりとて、本家の私が「こうである」と知らしめることもしていない。
一族でも興味ある人にだけ系図の写しを渡している。
それには理由がある。

20数年前のバブリーな時代、毎年一族で観光バスを仕立てて正月に
集団で旅行をしていた。
私の父も元気だった頃で、父は一族がそろうのはよい機会と、
一族のルーツに関わる系図や資料をまとめて、一堂に会した時に
配布した。戦国初期の不明瞭な部分は各種資料から「考察」という形で
説明を書き添えてあった(系図が複数あるため)。
ワープロ打ちは父が自分ですべて行った。私は「俺が打ち込みしようか」と
申し出たが、「いや、よい」と、慣れない手つきながらも父はすべて一人で
夜毎にモニターに向かって打ち込み作業をし、資料を作っていた。
私もまだ独身だったが、次代の本家の跡取りとして、親族の安泰を祈念して
一族の前で居合の演武を行ったりした。

だが、親族の食事会の席が終わったときに、配布された資料の何人分かが
宴会場に置き捨てられていた。
それを見た父は黙っていたが、心中はいかようなものであったのか。
私はその時に決意した。
そんな馬鹿な一族には今後一切「家」に関わる資料配布もしなければ
家のルーツや来歴について語ることもしない、と。
興味ない人間が自分の家系について3代前(自分の祖父母)から先を
知らない(=調べようはいくらでもあるのに興味ない)というのが現在の
日本全般のご時勢であるのだから、興味ない人間に興味ない資料を
与えても紙くず同然だからだ。どうせ打ち捨てられるのが関の山だ。
葬式仏教で坊主のわけわからない外国語の呪文にありがたがって手を
合わせている連中も、先祖供養とは名ばかりで、自分の親とそのさらに親
くらいにしか興味を示さない。要するに自分が直に接した自分の目の前の
事柄にしか興味を示さない。
それで先祖供養とは私からすると片腹痛い。
自分のこと、自分の目に見えることにしか興味を示さない。
口で何と言おうと、どんなに呪文をとなえて手を合わそうと、突き詰めると
他人事なのだ。
私が言いたいのは、何も家系を誇ったりしろと言っているのではない。
もっと別なことを言っている。
自分の目の前の目先のことだけを見るのはいい加減にやめろと言って
いるのだ。
そして、そんな明治以降の一族が仮に本家筋に入ったとすると、家に
江戸期から残された刀剣類や家老から下賜された什器類もほかして駄目
にするか朽ち果てさせるか、あるいは金銭に換えて霧散させるかの
どれかにきまっている。
本家筋だけがビシッとしていればよい。江戸時代と違い、封建的な統制力も
強制力も現在はないのだから、中央の中心だけが枯れない幹となって
いればそれでよい。他は与り知らぬ。

明日寺を訪ね、その東大の先生の住所を坊主に訊いて、先方には資料を
お送りしようと思っている。
私の母の曽祖父と私の父の曽祖父は同一人物だ(弘化2年-1845年生)。
つまり、私が一番親族の中で血が濃い。
父系、母系のどちらの父系をたどっても、私の血はひとつの道につながる。
そしてその道は、はるかいにしえの京、大和、斑鳩(いかるが)へと続いている。

 


この記事をはてなブックマークに追加

死の自覚

2011年09月28日 | 内的独白

突然、「あなたの命はあと半年」
そう告げられたら、あなたはどうしますか。

最期に声にならない声で眼に涙を浮かべながら
「ありがとう」と言って、あねは去っていった。


この記事をはてなブックマークに追加

同一作者 ~鍔~

2011年09月27日 | 日本刀

探していたが見つからなかった物がひょんなことから売りに
出されることがある。

これは私の鍔。
無銘だが水戸の安次作。冠の図。

冠の上緒は糸透かし技法。コピー用紙が1枚通るか通らないかの幅で
貫通している。現代では解明されていない
技法だ。
この鍔は、横浜の友人の昇段審査用に貸し出している。
鉄味がとても良い作で、表面には塗られた黒漆が一部残っていた。
保存状態は結構良かった。
銀座の刀剣柴田で6万円程度だったか。1990年代初期の独身時代
に現物を見て一目ぼれでその場で購入した。
かなり思い出が詰まっている鍔で、思い入れひとしおで大切にしていた。

安次の他の作をずっと探していたが、20年近く経って突然
某ネットオークションで出会った。

大小そろいで珍しい。少し手入れが必要かな。
絶対に落札する、との方針で落札ゲット。
水戸住安次の同じデザインの鍔が3枚になった。
横浜の剣友は現在装着している鍔を返却するとのことなので、
こちらの大を手入れして新たに進呈しようと思っている。

何年かに一度、同じ作者の同じデザインの鍔を見かけることがある。
先日紹介した鳳凰の鍔もまったく同じデザインの物を見たことがあり、
また、私伝の脇差に着けている鍔と同作者同意匠の鍔が現在刀屋さんの
刀心にある。(日記での紹介記事はこちらを参照)
私はこの正国の同デザインの鍔は大小2枚持っているので、刀心さんに
ある鍔で3枚目確認ということになる。さらに伊藤派の図譜で同意匠が
野っているの
で4枚、さらにもう1枚同じ図を見たことがあるので5枚。
金工は the one of kind で作らずに、どうやら同じデザインの物を複数
作るようだ。

上の画像の安次を貸し出した剣友とも横浜でよく飲んだ。家にも何度も
泊めてもらったりもした。
今は結婚し、3人の子のおとーさんだ。
横浜の大学で建築を学んだが、私が知らなかった専門分野の話を
いろいろ聴くのが楽しかった。
昨夜久しぶりに電話で話したが、息災でなにより。
数年前、師匠の喜寿の祝いの会で川崎に行った時に再会したが
40代後半なのに全然オッサンくさくなかった。
今は居合はお休み中とのこと。会社を起業して大変な時期らしい。
おお、そうだ。彼は私が居合動画でアップした時に使っていた刀を
所有している。亡くなった道場の師範代の形見だ。
その師範代の息子は私が道場にいた頃は中学生だったが、今は30才に
なろうかとしている。こちらも家庭を持って2人の子のおとーさんやってる。
私が広島に転勤した後に入った道場の門下生の女性と若くして恋愛結婚した。
ほぼ大学時代に結婚ではなかったか。
昨年嬉しそうに久しぶりに私に連絡があった。
「さっき国内最年少六段合格の記録作ったよ!お祝いはあの刀でいいから(笑)」
家伝の刀はあげないよ(笑)
中学生の時に約束していたオネーちゃんのいる店に今度連れて行くことで
了承してもらった(笑)
こやつとは酒飲んだことない。以前はティーンだったからね。
稽古後の酒席にはいつも同席したけど、彼はコーラ飲んでた(^^;
父上とは散々飲んだけど、年若くして病に倒れて残念だ。

年齢の差を越えて剣友とのつきあいというのは一生ものだなぁ、と思う。
上っ面だけの友だちごっこではない本物のつきあいというものは存在する
ものだ。表面では友だち面しながら陰でコソコソ動き回るやつばらとの
つきあいはもう結構。そんな連中、東京神奈川時代には私の周りにはいな
かったが、土地なりなのか、中国地区に引っ越してきてびっくりだ。
俺が生まれ育った土地では、意見の対立はあっても、皆正々堂々としていた。
こそこそ逃げ回って陰で「世論」を組織しようとする人間がいると吉備国で
知ったことは勉強になった。東京神奈川では未知の存在だったからだ。
温室育ちではないとは思っていたが、俺は世間を知らなかった。なぜなら、
同じ日本だから、地方でも東京神奈川の人間のような人たちばかりだと
思っていたから。
現実は、まるで違う。まあ、なんというか、一言でいうと「強烈」(笑)。
とてつもないぼっけー土地というのはあるもんだ。でも、本人たちはそれが
フツ~だから。
タイヤが減るのは車が悪いからだ、新品タイヤもってこい、オイルが汚れるのは
車のせいだ、オイルもってこい、てのがフツ~の土地があるのはいまだに不可解
だけど現実だからしかたない。そして、いつでもなんでも相手のせいにして保身を
はかる。これも強烈。
そういう土地ってあるんだよ、本当に。信じがたいけど。お国柄だろうね。

本筋を忘れがちだが、やはり自分の心のありか、真に心でつながった人たちとの
関係は忘れないようにしたい。今の土地でも本音でつきあえる人はいるよ。
これはとても幸いなこと。しかし、砂浜で一粒の真砂を拾うが如し。
こちらも大切にしないとなぁ、と思う。


この記事をはてなブックマークに追加

物真似上手は上達上手

2011年09月27日 | スポーツ・武道など



昨日テレビを妻と見ていて、番組でコロッケが出て、地方のスナックに
突然入ってモノマネをしていた。
「昔の営業思い出す~」とか言ってノリノリだった。

いつものコロッケはデフォルメしすぎるが、この度は昔技というか、まっとうな
モノマネでちょいデフォのモノマネ初期の原点のような芸だった。
見ていて驚いた。
コロッケ、歌うめぇ~~~。
たしか、初めてテレビでコロッケが歌を歌ったのは伊藤咲子さんの『ひまわり娘』
だったと記憶している(記憶あいまい)。
「歌真似はできないから形態模写」という路線だったコロッケだが、80年代後半
から自分で歌っている。
昨夜のをみたら、「まともに歌ったらこの人かなりうまいよ」と思った。

先週こんなことがあった。
道場で代表の先生が七段のA先生に稽古をつけていた。
その時、代表の先生はA先生に
「そこはあなたはこうやってる。これが違う」
とA先生の演武を真似してみた。
あたしゃ言葉を飲んだ。うそ。言葉を発してしまった。
「ソックリ・・・」
すると先生は、「似てる?やはりこうやってるでしょ?」と私に訊いてきた。
「ええ。似てるどころか、A先生の居合そのものみたいです」と答えた。
するとA先生は「ええ?そうかぁ。自分はそうやっとるかぁ。」と納得した。
他にもいくつか代表の先生は指摘のための演武をしたが、すべて代表先生に
個別指導を受けているA先生の演武にソックリだった。

こういう点は大いに学ぶべきだと思う。
なぜならば、武術者の場合、この「人の演武の特徴を捉えることができる」ことは、
「見て、何がどうなっているのか理解する」という能力を養うことになるからだ。
勉強になる。





 


この記事をはてなブックマークに追加

夜の勉強

2011年09月27日 | 日本刀

この連休は何をやったかというと、勉強してました(笑)
毎晩少しだけ寝る時間を割いて日本刀の勉強。
それをこの休みはまるまる日本刀タイムでした。
三連休、一歩も外に出ないで、刀剣書だけを読んでいた。

新刀をないがしろにするわけではないのですが、私はまったく
新刀についてのキッチリした知識がありません。かなりの部分が
あやふやで、詳しいことも虫食い状態なんす。
日本刀の刀工は今までに2万人位いるので、個別に覚えようと
しても無理なのです。
ですので、日本刀の学習方法は、平安末期からの各地各派の流れを
歴史背景と照らし合わせながら系統だてて把握します。
さらに五ヶ伝(大和、山城、備前、相州、美濃)とそれ以外の脇物とよばれる
地方の刀工郡の特色を勉強するのは、古刀の場合は地方色豊かですので
系統立てて勉強ができますが、新刀の場合は鋼が同じになってしまい、
地方色からではなく「刀工群」や個人の「一門」としての系列の理解が必要に
なってきます。だから、どうしても散発的な虫食い学習になりやすい。
武州鍛冶には詳しくても、北国物はサッパリというようなことが起きてしまったり
します。

この三日間は加賀の刀工についておさらいしていました。

「刀剣を観る時にはメモは取るな」というのが佐藤寒山先生の書での
教えでした。本体はそうですが、系列の特色や歴史などはやはり座学的
にメモをとっていきます。
でないと、書籍を読んだだけでは、理解はできても把握内容(特に固有名詞等)
は忘れがちなのよ、私。
書籍の内容を把握したら、なるべく原書原文を見ないようにしながら
学習カードのように画用紙に筆でメモっていきます。
高校のときの倫理社会の勉強みたい(笑)



私にとって古刀では面白いテーマが、「なぜある一時期に福岡一文字の
刀工群が近隣の各地(6地域=長船、片山、畠田、吉井、吉岡、宇甘)に
ほぼ同時に散ったのか」ということ。
新刀の場合は「なぜ美濃の刀工が全国各地に散ったのか」ということ。
現象面は説明していても、これらについて深く言及した刀剣書って
あまりないのよね。(というかほとんどない)
歴史の学習と平行して精査しないとならないテーマになるから、
刀剣書は刀剣そのものの特色を解説するにとどまっているのよ~。
個人的学習のメルクマールとしては、いくら刀剣単体の当て鑑定や個体や派の
特色の説明ができても、こういう起きた現象面を歴史背景とリンクさせて説明
できなければ駄目だと思うのよ、刀剣学習は。
単純に「新刀はなぜ美濃の影響が強く出ているのか」と問われたら、歴史的に
起きた事実と照らし合わせて刀剣のことを明確に説明できなければ駄目だと
思うのね。
いくら「この刀はどこどこの誰の作で特徴はこうだ」と言えても、それは観た物を
説明しているに過ぎない。そういうのは学術的知見ではないと考えてるわけ。
単に車の色を見て「これは赤ですね」と言っているのに等しく感じるのよ、私は。

いずれにせよ、勉強タイムは面白い時間です。
ただ刀剣原論的な基本学習の反復だけでなく、テーマを決めて、さまざまな
資料から解析アプローチするのが面白い。

日本刀っていいなぁ~。


この記事をはてなブックマークに追加

2011年09月26日 | 日本刀

愛用の鍔

肉眼で見るともっと黒いのですが、写真だとかなり茶色に見えます。
目に入る可視光線とレンズでは光の波長が異なるからかもしれません。
人間が色を感じるのはすべて光の反射によるものですから、肉眼と
写真で色が異なるのはよくあることです。


鑑定員の毛筆直筆の字体、好きだなぁ、こういう書体。


赤銅ではなく、地は正確には山銅ですね。つまり粗銅のこと。
それを烏色に黒く色上げしています。

ところで、私の鍔の作者は不明ですが、これと同じ作者では
ないだろうか。(ネットから)

これとか(肉眼で見る私の鍔はこの色に近い)


これとか


裏側

高彫りのタッチとかそっくりなので、たぶん同じ金工ではないかと。
美濃系古金工ですね。
保存会の鑑定書は江戸とありますが、もっと時代は上がる。
美濃系古金工の三枚構造です。薄い銅板を裏から打ち出しで出した
技法です。その板を3ミリほどの銅版にはさんで覆輪で固定する。
そもそも「室町時代-安土桃山時代-江戸時代」という区分けは
ごく最近の区分けであるし、歴史は途切れなく続いているので
「ここからが江戸文化」というように刀剣含めて工芸作品がきっぱりと
変化する訳ではありません。ゆるやかに時代とともに変わっていきます。
これは現代も同じで、1988年に昭和が終わったからと、1989年
から平成文化が始まったということではありません。
私の鍔も江戸初期という鑑定ですが、桃山文化の作風であることが
観てとれます。


鳳凰の顔が、これに似ているのでとても気に入っています。


この鍔は頂き物なのですが、見た瞬間に「あ、ヤッタランだ!」と
思いました。
ヤッタランとは松本零士先生の『キャプテン・ハーロック』に出てくる
キャラで、松本先生がアシスタントだった新谷かおる氏をキャラ化
したものです。ですから、新谷先生ご自身の自画像も似てますね。
実際の新谷かおる先生にもよく似ています(^^)

ということで、松本-新谷-ヤッタランのラインで、この鍔の画風は
とても気に入っているのです。

また、鳳凰と雁(ワイルド・ギース!)は戦国時代のうちの家紋でも
あったので個人的な思い入れもあります。


こちらは私がデザインしたオリジナル・ベレー・バッヂ。
鳳凰です。
リボンの文字はラテン語。


この記事をはてなブックマークに追加

真空砲vs真空切り

2011年09月26日 | スポーツ・武道など

時速820km豪速球 VS 居合斬りの達人

町井勲氏が、世界最速の真空砲で発射された820km/hのテニスボールを
切断し、4つ目のギネス記録に登録された。
町井氏は見事に抜刀切断した。

切った切れないを指して凄い凄くないとか言う評価が多いが、
町井氏の技が凄いのは切ることそのものにあるのではない。
切断すること自体超人的ではあるのだが、町井氏が優れているのは
そんな抜刀術のみにあるのではない。
「見切り」が超人的に優れているのだ。

理由を物理的に説明しよう。
初速820km/hというのは、秒速に換算すると約227m/sとなる。
実銃コルトガバメントの.45ACP弾が初速264m/sほどで、肉眼で
弾道を見ることができる。大体ガバと同じ位の速度だ。

だが、弾丸が見えたからといって、見てから抜いたのでは絶対に
切れない。物理的に切れない。
理由は以下の通りだ。
人間の反射神経は、肉眼で視認してから動作を起こすまで平均で
0.3秒かかる。脳の電気信号が神経に伝達されて動作を開始する
までにそれだけかかるのだ。(これゆえ、人間はタイムリーに物体を
見ることはできない。制止した物も、この電気信号が脳に達するまで
のタイムラグがある。人間は静止物を見ていても1000分の何秒かの
過去しか見ることができない)
訓練した人でも動作開始まで0.2秒代だ。(このあたりは自動車免許講習
でよく習うと思う)
だから世界一のコルトSAAのファスト・ドロウ世界チャンピオンの
ボブ・マンデンでも合図からドロウしたら0.1秒を切ることはできない。
従って、陸上競技の短距離走なども、ピストルの音を聴いてから
スタートしたのでは0.2~0.3秒ロスするので、タイミングを見切って
事前にスタート動作でスターティングブロックを蹴るのである。
だからこそ、タイミングが合わないとフライングとなるし、フライング
も多い。私は中2で身長(173cm)の伸びが停止したが、中2の時の
非公式記録では50mで5.8秒を何度も出している。5.9秒代など数え
きれない。そのかわりフライングも多かった。6秒代前半の連中より
少し速かったのは、ピストルの発射音と同時に飛びだすように事前に
動作を開始していただけだ。(最近の中学生足遅すぎ・・・)
イチローも5.8秒で50mを走るがスタートの見切りができるのだろう。
これが、シングルアクション拳銃のファスト・ドロウのセルフ・ドロウ、つまり
自分が任意でドロウするとなると単純に抜き撃ちだけのタイムだから、
1960年代初期にマーク・リードが0.06秒の記録(何回やってもこれ)を
残している。指が動いてから抜いて撃つまでが0.06秒だ。動作自体は
それほど速く行なえる。
ただし、動作を開始しようと脳が指令を始めたのは射撃より0.2秒ほど前
ということになる。

拳銃のファスト・ドロウ自体は人間はとても早く抜ける。
例えば、目の前にベルト(バンド)を二重にして両端を持って大きな
輪っかを作ってもらい、それを任意にパンと閉じてもらうとする。
その閉じるのとその輪っかに銃身を入れるのとどちらが早い
かというと、熟練者のドロウの方が早い。私がやっても、
必ず輪っかが閉じられる前に輪っかの中に銃身が入る。
これは、輪っかが閉じられ始めたのを確認してからだと
絶対にできない。一般的には相手の起こりを捉える=見切るのだ。
これが0.2秒代で銃を抜ける人ならば起こりを見てからでもファスト・
ドロウで輪っかに銃身を入れられる。100回やったら100回入る。
輪っかを閉じようとした人は不思議がって「すご~い」となるが、
これはトリックだ。相手が動き始めから閉じるまで0.3秒以内
ならば何回やっても入る。(ドロウ自体が0.4秒とかいう人は無理。
ちなみに私はセルフ・ドロウで0.1秒代前半だ。合図からのドロウで
0.25秒前後。ダブル・ハンドだともっと速い)

さて、町井氏の凄いのは「切断」そのものではなく(切断も超絶なのだが)、
「見切り」こそが超人的であるという話に戻す。
時速820km/hは秒速227m/sだ。ボールの空気抵抗による
減速を計算しないとして1秒間に227m進む。
発射されたのを見てから刀を抜き始めたら、抜き始める最初の
初動までにいくら練達の町井氏といえども0.2秒かかるとすると、
その間にボールは45m以上進むことになる。
実験したスタジオでは立ち位置と砲口は45mも離れていない。
発射を見てから抜き始めができるのは物理的に45m以上離れ
ないと絶対に無理なのだ。
結論からいうと、刀で時速820km/hのボールを切断するには
発射される前に抜刀動作を開始していなければならない。
そうでないと物理的に絶対不可能なのである。
だから、飛んできたボールを見てから切ったのではなく、飛んでくる
ボールの軌道とタイミングを鋭く見切って、そこに抜刀して運刀し、
ボール軌道と刀の切断軌道が斬り手によって合致させられてボールは
切断されているのである。
目視できる速度ならば、町井氏ならば1000回やって1000回切る
だろう。町井氏はボールの飛行ルートの未来をぴたりと見切って
そこに切りつけて見事切断しているのだ。
現在でなく、未来を切っているのである。(普通の人は過去を
切ろうとしてしまう)
これはスキートやトラップ、狩猟の射撃の際によく使われる
リード(見越し)と非常に似ている。鳥猟の際も、飛ぶ鳥の現在
ではなく未来に向けて発射する。
古流居合でいえば受け流しなどがこれで、受け流されてつんのめった
敵を斬る際、敵の現在位置を斬っていては目標部位は未来位置に
向かうので斬撃部位を正確に斬ることはできない。見切りと見越しが
必要になる。
振り下ろされる刀を払う場合もそうだ。相手の刀の現在位置を狙って
払ったのでは、こちらの刀がその地点に到達する間に敵の刀は
さらに進んでいるので払うことはできない。

今回のギネスは、物理的には発射前に見切って動作を開始して
切っている。
そうでなければ、1秒間に227m進み、0.1秒で22.7m進む
物体を切断することは物理的にできない。
普通の人が発射を見てから抜き始めたら、0.3秒後には
ボールは68mも進んでいるからかすりもしない。
砲口と立ち位置の距離が仮に10mだとすると、立ち位置まで
ボール到着のタイムが、1/100秒=0.01秒でボールは2.27m進むから
10m進むまで約0.044秒。発射されてからボールを見て切り始めたら
絶対に切れない。脳から神経への電気信号の伝達時間0.2秒が必要
だからだ。きっちり切断するには発射される以前から抜刀動作を開始する。
(空気抵抗の減速は計算していない)

ただし、ここで余人と達人の技の違いが出てくる。
それが「見切り」だ。
ボールが発射される瞬間のタイミング(これを古流剣術では「拍子」という)の
見切り、弾道の見切り。
町井氏はこれが諸人にはできない超絶レベルに達している。
もう一度言うが、町井勲氏は「発射を見て、抜いて、切って」いるの
ではない。それは科学的に無理。
町井氏は、発射の瞬間を予測して、弾道コースを予測して、そこを
寸分たがわず刀を正確な刃筋を立てて切りつけているのだ。
誰でもできることではない。
たぶん、町井氏は、置いた米粒さえも狙って切れるのではない
だろうか、武蔵のように。私は焚いた米粒を並べて斬ってみたが、
そこに切先を正確に毎度運ぶのさえ困難だった。武蔵の場合は
さらに米粒だけを斬って置いた台を斬ったりはしない。人の額に
米粒を置いて斬ったというのは後世の創作だろう。土佐では幕末に
投げつけられる大豆をことごとく狙って斬れる居合の達人がいた。
すべて、見切りの範疇に入る高度な技だ。

さて、この見切りがまったく解っていないから、町井氏のブログで紹介
されていた動画のドイツの番組のニセ侍(中国人)は、まったくタイミングが
合わなくて全然斬れていないのである。変な掛け声とともに、目標を凝視
して「見の眼」で切ろうとしていた。たぶん「見切り」の概念も知らないの
ではないだろうか。

町井氏は、この余人にはできない「見切り」こそが凄いのだ。
映像等では発射されたボールを見てから切断していると一般人は
錯覚して凄い凄いと驚くが、武術的に凄いのは別な所なのだ。
見切りなのである。
だから、「ボール切りは武道ではない」とか批判めいたことを言う
人間も「見切り」について見抜いていないことになる。
理由は簡単。誰でもあの見切りをできることではないからだ。
そして批判者は「ボールやBB弾を切った」というだけで批判する。
見るべきところを見ていないから、批判の論点も精神論的な
頓珍漢な批判に終始する。見切りができないやつは、氏の技が
見切りについて凄いのだということも見切れはしない。

CMでも使われたが、町井氏のデモ動画でよく「狙い切り」が
ある。様々な物体をスライスしたり斜め袈裟にカットしたりする
スーパースロー動画だ。
あれの凄さは「狙ったところを寸分たがわずに切る」という
ところであり、ここにこそ町井氏の超人的な技の冴えがある。
サラッとブログで紹介した練習風景の動画でも、エノキタケの
笠の上部だけ切断するというのがどれだけすごいことか、どれ
だけの人が解っているのか。
町井氏は抜刀が特段速いわけではない(一般剣士よりはずっと速いが)。
正確にミリ単位まで狙ったところに刀線を運刀できる腕、これが
頭抜けて超人的に優れているのだ。
私は立派な武術だと思う。
狙ったところを正確に斬れるということは、斬撃部位を寸分たがわずに
狙って斬れるということだからだ。これは恐ろしいことなのである。
ちなみに町井氏はブログでも書いていたが近眼らしい。
見切りとは視力ではない、という一つのもつれたあやとりの糸をほどく
ヒントが彼の演武から洞察できる。武術のひとつの深淵を彼は見せて
くれている。


飛行物体の見切りという点では、こちらの方も凄いと私は思う。
 

227m/sのテニスボールもさることながら、こちらの方もかなり難易度が高い
のではないだろうか。
日本の法律では0.2g-6mmBB弾換算で初速98m/s以下でないと銃刀法
違反だが、撮影が海外だとすると一体初速いくつで6mmBB弾が発射
されたというのか。しかも、シューティング・レンジでの実験・・・。
こちらのトライがギネス記録に認定申請されていなかったのが非常に残念で
ある。
日本のテレビ番組とタイアップでないと難しいのかなぁ。
次回のギネス記録は、この高初速6mmBB(初速200m/sくらい?もっと?)
切断のギネス申請で5冠を達成して不動の王者となってほしいと
個人的には勝手に願ったりしている。

見切りについて、部外者が余計な解説して申し訳ない。
ただ見た人は素人も武術やってる人間も含めて「切ったかどうか」だけを見て
凄い凄いと言っているから、超絶的な技の幹は別な所にあるという本質を
解き明かしたかった次第で。
ただね~、武蔵がそうだったように、こればかりは誰でも稽古すれば身に着くと
いうものでもないと思うのよね。かけっこ速い人は幼稚園の時から速いでしょう?
絵が描ける人は生まれた時から描ける素質があるでしょう?
それと同じ類のもので、誰でも町井氏と同じことができるかというと、できないと
思う。だからこそ凄いのよね。
居合の技は誰でも上達の速度の違いはあれ、学んで練達者になることは
できる。抜き打ちも日夜頑張れば15年後くらいには町井氏と同じように速く抜く
ことができるようになるかもしれない。
ただし、見切りができるかどうかは全く別問題だ。
誰でもそれなりの備えを幼少の頃からしていれば東京大学には合格するけど、
芸術大学には勉強できるからと誰でも合格できないのに似ているかな。
訓練だけではどうしても乗り越えられない壁というものは、ある。
そして、その天賦の才を持った人が人より努力するのだから、これはどんどん
差がつくのは当たり前。
そういうところが凄いんだよ。ただ物を切ったから凄いのではない。
物が斬れても、居合上手くても、全然凄くはない。誰でも訓練すればできる。
ただ、普通の人には出来ない領域、到達困難なハードルというのがあって、
それを超えて居合と結合させて結実させているところが町井氏の凄いところ
なんだよ。
町井氏の技について口汚いののしりをする人も多いが、まったく物事が見えて
いない雑音にしか私は思えない。高速真空砲球を切るのも立派な武術だ。
あの見切りは誰でもできるものではない。すばらしい技だと私は思う。

 


この記事をはてなブックマークに追加

長く使える刃物

2011年09月25日 | 刃物

切れ味が変わったと妻が言うので、包丁を研いだ。
本来なら料理を毎日するのなら包丁も毎日研ぐべきものだが、家庭用では
そう毎日研がない。今夜の研ぎは5日ぶり。
うちでは包丁を研ぐ役目は私だ。


家内が一番好む東京西勘の包丁。本鍛造全鋼。
良い鋼と適切な熱処理で、刃はとても粘り強い。良い包丁だ。
1984年に購入した。
以来27
年経つが、ずっと使い続け今でも現役だ。
ハンドルは朽ちたので、一度私が黒檀削り出し自作ハンドルに交換している。
目釘はニッケルのシュナイダーボルトを使用した。

どんな刃味がよいのか好みを聴いて刃付けを前回と変えてみた。
刃のつけかたで刃味も変わるし、使う人の好みもあるし、心のバイオリズムで
その週ごとの気分もある。
望みの切れ味により部分によってキーン刃とギザ刃を共存させることもある。
ただし、料理人の出刃のように、手元と中より先で刃角を変えることは
あまりしない(望まれたらそうするが)。
今回は要望により、刃先までピッとそろえるキーン刃にした。
キーンといっても、最後の砥石は6000番でとめた。

包丁の研ぎ方は、覚えれば簡単にできる。
ただし!
youtubeなどでアップされている包丁の研ぎ方は参考にしないほうが
よいものが多い。
特に、屋外業者や変な厨房で「研ぎ名人」とかの題でアップされているものは
目を覆いたくなるものが多いので真似しないほうがよい。
良質動画かどうかは、砥石を見てほしい。
砥石が真っ平でなく真ん中が凹型にへこんでいたり、砥石が十分に
水を吸っていない動画はまったく見る価値がないどころか、下手に見て
それを参考に同じようにしたら刃物が台無しになる可能性がある。
素人をだますような口上で傍で見ている素人に説明して、その素人が
「へえ」とか「ふ~ん」とか納得している動画も多いが、大抵は研いでる
人間は大出鱈目なことを言ってるしやっている。「これはひどい!」という
動画が多いのには驚いた。あの素人の聴くに堪えないカラオケ動画満載
youtubeのような感じだ。
刃物研ぎの場合、そういうデタラメマンが玄人のような態度で研いで
いるから質が悪い。
きちんと参考になる研ぎ動画はほんのわずかだ。
私は最低でも砥石は2日前から水に沈めるが、事前に砥石の面を平ら
にすることもとても大切なことだ。

刃物の研ぎだけでなく、ネット上はとんでもない嘘情報が氾濫している
ので、家庭で包丁を研ぐ人は、きちんと正確な情報を見極める努力を
してください。
(パソコンのスイッチ入れてパッパッと検索して得られるネットお手軽情報
にどっぷり漬かるのでなく、実際に有名老舗包丁店やナイフショップ
などに足を運ぶ、あるいはきちんとした文献を探して読む等、体を動かし
ての努力をせずに本物に接することはできません。これは何事でも)

包丁の切れ味ひとつで料理の味ぜんぜん違いますよ。これホント。
特に野菜や魚はてき面です。
切れる包丁で美味しい料理をどうぞご家庭で。


この記事をはてなブックマークに追加

刃の粘り

2011年09月25日 | 刃物

刀の手入れ箱に入れている工作用の肥後守を研いだ。

名倉で研いだ段階で嫌になった。
軽く砥石に当てているだけで刃先に微細な刃こぼれが生じるのだ。

かね駒の肥後守の青紙(鋼)でこのようになったことはない。

日本刀もそうだが、刃物は見た目だけでは刃の粘りは
わからない。
日本刀などは、無鑑査の作でも、ポロポロ刃こぼれするのが
ある。世間で名工と言われている人の作にもある。
たまたまならよいのだが、作る作品ことごとく刃こぼれ物と
いう作者もいる。親子そろって脆い刃の刀工もいる(相州伝
沸物や綾杉肌で有名な作者)。

今まで持っていた本家肥後守(本物)は、砥あたりも刃味も
良い物ばかりだったが、この画像の本家の個体は、砥あたりから
してざらついた感じで砥石に吸い付く感触がなかった。
20年前に買い揃えた個体とずいぶん違うので、「?」とは思って
いたが、どうやらハズレ個体だったようだ。単なる焼入れ失敗作。
材料は同じだから、失敗作か、もしくは、焼き入れ担当者が代わったか。
これ、どう考えても、焼きの温度が高すぎるでしょうよ。
切断すると即座に判明するが、粒子は粗くなっているはずだ。


焼入れの温度だけで鋼の粒子はこんなに変わる。
右に行くほど温度が高い。
左が一番良い状態。
一番右などは危険で使えない。刃こぼれしやすいからだ。
しかし、多くの現代刀はこの一番右ような断面状態を示したりする。
まったく同じ材料でもここまで違うので、鋼を育てるのも殺すのも
鍛冶屋次第だということがわかる。

安ナイフの肥後守だが、鋼は良鋼の日立の青紙を使っており、焼入れ
温度はメーカーから提示されているが、一般打ち刃物はコークスを使った
熱処理なので、温度が一気に上がりやすい。
しかし、コークスと青紙でも、佐治武士のように非常に粘る刃にまとめる
鍛冶もいる。
今まで、かね駒の肥後守は、値段が廉価なのに実用には申し分ない
鋼刃物だったが、私のこの個体は失敗作と思われる。
タングステンが入っていて粘る青紙でさえ、熱処理によっては
このようなバカ鉄になってしまう。

この肥後守の個体は私の血の味を知っている。
私も斬られ味を知っている。
カッターの刃でスッパリ斬ったような感じではなく、ビリビリという刃味
(斬られ味)だった。
誤って刀身を左指で握ってしまい、人差し指をざっくりと斬った。
かなり深いが、神経まで斬らなかったのは幸いだ。
すぐに消毒液で消毒して押さえ、止血し傷口をくっつけた。
後は、化膿止めの抗生物質を飲んでおけばよい。
研ぎ師の話で、日本刀の刀身を押さえるサイテ(木綿の布)がいつの
間にか切れていて手を斬ることがあるというが、刀によって斬れ味が
大きく異なるという。村正などはズバッと一気に斬れて、傷口もぴりぴり
するらしい。それに近いのかも知れない。
ただし、総じて村正は粘る刃で折れにくいようだが。
残念ながら、他の刃物の味は彫刻刀から包丁からナイフからカッター
からさまざま知っているし、工作作業以外の場面で銃剣の味や複数の
金属片摘出での麻酔なし縫合の痛みも知っている。今生きているのは、
たまたま運が良かっただけだ。
しかし、日本武術等の演武や道場稽古で日本刀で自分を斬ったことは
一度もない。(一度だけ居合の納刀指導で親指と人差し指の間を薄く
スライスされたことはある)
この先も、刀での怪我はないように気をつけたい。

それにしても、ハズレ刃物ってのは気分よくないなぁ(笑
本物のかね駒肥後守は何丁か持っているけど、この個体はアウトだわ(^^;
駄目なオピネルの個体みたいな感じ。
ここ10年以内で買ったかね駒製はこれだけだけど、もしかして今の別個体
も全部こういう感じの脆い刃だとしたら、終わったな、日本の肥後守。
すべてが廃業し、残った唯一の本家がこれではあきまへん。悲しいけれど。

 


この記事をはてなブックマークに追加

山本太郎

2011年09月25日 | 時事放談
2011年09月24日 17時59分(リアルライブより)

テレビ干されて反原発活動を活発化させそうな山本太郎

 佐賀県の玄海原発2、3号機の再稼働をめぐり、佐賀県庁に侵入し
抗議活動したとして建造物侵入や威力業務妨害などの疑いで、俳優
の山本太郎ら数人を京都市の行政書士の男性が告発し佐賀地検が
21日に受理した。

 「佐賀県で7月11日に行われたデモに山本は仕事先の四国から駆け
つけ反原発団体のメンバーの先頭に立って参加。県側は、机などでバリ
ケードを作って阻止しようとしたが、山本はそれをどけるように主張。太鼓
の音頭とともに、市民団体のメンバーら200人ほどが次々に県庁内になだ
れ込み、玄海原発の再稼働中止を求める要請書を職員に手渡してデモ
は終了。行政書士はその言動に対し『憲法が保障する表現の自由から
著しく逸脱するものであり、法治国家として是認できるものではない』と考え
告発したというが、ネット上で批判を浴びた。地検が起訴する可能性はかなり
低いだろう」(週刊誌記者)

 これを受け山本は同日、自身のツイッターに「告発なう?(笑)何があっても
覚悟してるよ。それが闘うって事でしょ。僕の事は自分で決着つけるから心配
しないで」と書き込んだが、脱原発運動は確実に仕事に悪影響を与えている
ようだ。

 「5月末に所属事務所を退社。現在はフリーとなっただけに、週刊誌のインタ
ビューに応じたり堂々と活動している。あまりにもタイミング良く、というか悪く
と言うか、21日に日本テレビ系で山本が出演していた連続ドラマ『アイシテル
~海容~』の続編『アイシテル~絆~』が放送された。山本は連ドラでは主要
キャストだったが、続編では遺影と数秒の回想シーンの出演のみだった。今
後も活動を続ける限りはテレビの仕事は入らないだろう」(テレビ関係者)

 とはいえ、山本に引き下がる気はないようで、ますます反原発活動にのめり
込みそうだが、何らかの成果を出すことができるだろうか?

(転載ここまで)




山本太郎、骨のあるやつ。
『柳生一族の陰謀』の別木庄左衛門のような漢(おとこ)だ。

だが、今は山本太郎だけが取りざたされるが、60年安保のときは名だたる
芸能人の多くが反対行動を起こしたし、ベトナム反戦の時もそうだった。
切実にわが身のことと受け止め、行動するってそういうことだ。
「闘う君のことを 闘わない奴らが笑うだろう」(中島みゆき)
「闘い続ける人の心を誰もがわかってるなら
 闘い続ける人の心は あんなには燃えないだろう」(吉田たくろう)

福島原発の処理は、今まで原発安全と言い続けた御用学者(爆発事故起き
てる最中も安全だと言ってた東工大のあの赤メガネどこ行った?嬉しそうに
被災直後に赤いネクタイしてたあの御用学者)や東電トップや自民党議員たち
が建物の中に入って処理してきてほしい。
原発輸出継続を打ち出した演説家のドジョウ総理も。
大津波で家族を失い、そのうえ放射能で200年も住めなくなって土地を
追われた人たちにどこへ行けというのか。
空と大地を奪われた者たちはどこへ行けというのか。
行った先々で差別され、それでも黙っていろというのか。
為政者とそれの同調者は、そんな空と地面でこの国全体を包もうとしている。
それでも、地面に何度も叩きつけられても飛ぼうとしてる人たちがいる。

この空を飛べたら


この記事をはてなブックマークに追加

出錆実験

2011年09月25日 | 一般

以前から仕事柄不思議に思っていたことがあったので、実験しています。

検体として2.3mmの薄い工業用鉄板のいわゆる黒皮を取り除いてから
マンションのベランダの外に放置してみました。
3ヶ月後の状態では
表面全体が真っ赤な状態だったのですが、それをクレンザーで
洗い落としてみると・・・。
不思議に思っていたのは、これ。やはり、想像していた状態が出ています。


なぜこのようにマダラというか、単なる工業用フラットバーなのに日本刀でいう
地沸く(じにえ)みたいなのがついたような感じで錆が発生するのでしょうか。
この金属はJIS規格のSK材生鉄の
白皮つきの工業用鉄板で、薄いため手で
押し曲げたら曲がるくらいの柔らかさです。一般的に特装自動車架装などに使われる
材料で、溶鉱炉で作られた鉄を圧延して板にした素材です。
生材の状態では表面はつるつるの面だったのに、放置しておくとこのように一定の
粒状の状態で赤錆が発生します。
これは以前から身近にある工業用鉄材において気になっていたことで、なぜ面で
出錆せずに、日本刀の目が詰んだ肌のような状態を示しながら朽ちていくのだろうと
ずっと疑問だったのです。
化学反応の理屈は解っていても、鉄材が一様に部分的に粒粒状態で反応が開始
されるのはなぜなのでしょう。


さらに放置を続け、朽ち果て具合を見ていきたいと思います。
上の画像の鉄板は特装車のボディ(業界用語ボデー)に使うスチールですが、
雪深い山陰などでは、路面にまく凍結防止剤(塩化カルシウム)の影響で
車両に甚大な出錆被害が出ます。
防錆処理に各メーカーも頭を悩ませています。
船舶用防錆塗料を使用しても1年でサビサビになっちゃうのよね。
山陰地方のトラックなんてボロボロよ。耐用年数は山陽側の1/4くらい。
やむなく架装物本体をステンレス化することで対処しているけど、車両価格が
80~100万円くらいアップしてしまう(客は防錆はあたりまえとして払わない)。
防錆について「これだ」という解決方法がないものか。

※ wikipedia


この記事をはてなブックマークに追加

秋月 ~うさぎ~

2011年09月24日 | 日本刀


                 秋野に兎の図鍔
      出羽国庄内渡部在哉(ありちか1661~1742)作。
      赤銅(※)透かし、毛彫り。

この図柄、惚れた。
でも45万円・・・・。う~ん。。。。
独りもんのときはスパーンと行ってたろうが、今は買わないし買えない。
学費とか何かと入り用だしね~(^^)

※赤銅(しゃくどう)
銅(すあか)に5%程度の金を加えた合金。
色上げすると表面に酸化皮膜を形成し、青黒く変色する。
色上げはミョウバン、タンバン、ロクショウ等を混ぜた液で煮る。
赤銅で造られた金具は、武家の江戸城登城の際の正式金具とされた。
ちなみに、三原城勤めの侍士も、通常の番差しにおいては、
赤銅磨き地の丸鍔等を愛用していた。
角鍔は江戸城だけでなく、各藩とも登城用礼装としては禁止である。


この記事をはてなブックマークに追加

実用刃物の本質

2011年09月24日 | 刃物

動画<味方屋作鞘鉈の切れ味を試してみた>


実に粘る刃だ。日野浦司
この鉈は明らかに多くの現代刀よりも刃物の本質において優れている。
日本刀は木を斬ったり紙を切ったりするためのものではないが、本来は戦闘用
刃物であるので、脆い刃では役に立たない。

戦後のGHQによる日本刀を地上から消滅させる思惑に対して先人たちは
「伝統的美術品である」と必死に説諭し、地球上から日本刀が消滅するのを
防いだ。この功績は大きい。
しかし、それは歴史の中での一時的な便法であり、美術性のみが日本刀の
本質ではない。
現代社会にあっては対人用に使用することがあってはならないが、ことさらに
日本刀の芸術的側面のみを中心幹に据えるのは、日本刀の本質的な成立
経緯と歴史的な刀工たちの工夫と努力さえもないがしろにすることに直結する。
事実、直結した。
戦後の現代刀は使用を前提としないからただの鋼の焼き物となり、本質から
どんどん乖離していった。
今、「名工」と呼ばれる現代刀工の作でも、「ええっ?」というくらいに
驚きますよ。
なぜなら、そのほとんどが脆くて、カッターナイフのようにすぐに刃先が
欠けたり、刀身が曲がったり、組太刀稽古で折れたりするから。
たまげるほどに脆い。
刀じゃないですよね、そういうのは。

いくら鋼の芸術を謳って美術性を宣伝しても、この動画のような実用刃物の
足元にもおよばない刀だらけの現代刀って・・・日本刀?それ。
せめて、この動画の程度に、木に打ち付けても刃こぼれせず、紙をも
スパスパ切れるような粘る鋼の刀を作り出してほしい。現代刀工は。
そういう刀は、当然、鉄をも裁断できる。

実は一般人にはほとんど知られていないが、大甘の手前味噌の自分
中心の自己満足の世界が現代日本刀の世界だ。
現代刀工が260名いて、切ることを前提にした本質を履き違えていない
刀工は10指に満たない。
ほとんどの刀工は刀身をキャンバスに見立てて狙った絵を描くことだけに
興味を持っている。また、その傾向のみを推奨する風潮が権威筋側から
後ろ押しされている。

だが、本質的には、組太刀に使えない刀など日本刀ではない。
そんなのは日本刀の形をした焼き物だ。
古刀が本来の日本刀のあるべき姿であるのは、実用の極地にありながら
美しさをも具備している点だ。
上辺だけの見てくれだけを追いかける現代刀は、日本刀ではない。
F1マシンぽく見えても、ハイチューンエンジンや足回りを搭載していない
1/1プラモデルのようなもの。

だけど、いつまで経っても、ほとんどの刀工たちは目が覚めない。
頼むから、いいかげんに中身のない見掛け倒しはやめにして、刃こぼれせず、
折れない刀を「普通」に作ってくれ。
芸術家である、先生である、という高慢な意識は排除して、自分たちが作る
刀が「普通のレベル」にさえも至っていないことを自覚してくれ。
そして、一刀鍛冶である、己は人の命を左右する日本刀というものを造る
鍛人(かぬち)であるという原点に還って、せめて普通の刀を作れるレベルには
到達してくれ。
高慢傲慢からくる歪んだ自尊心ではなく、本質を見据えたところでの真の
矜持を持ってほしい。



この記事をはてなブックマークに追加

食事中の会話

2011年09月24日 | 時事放談

昨夜の食事中の会話

私「文化祭どうだった?」
娘「別に」
私「音楽ステージとかないの?」
娘「カラオケ大会みたいなのと併催だった。『異邦人』ていう演歌歌ってる
男子がいたよ」
私「それ演歌じゃないよ」
妻「ニューミュージックだよ」
私「音楽シーンが一番活気あった70年代後期から百花繚乱のカーニバル
状態の80年代に向かう頃の曲だよ」
娘「それにしては暗い内容の曲だったよ。それに過去の栄光を語っても・・・」
私「・・・。バンドとか出なかったの?」
娘「中学の二人組の子がギター弾いてたけどそれだけ」
私「元気ないなぁ」
娘「パパの世代は度経済成長もバブルも経験してきたでしょ。今の子
たちは誰もそういう経験したことないんだよ、生まれて一度も。大学出ても
就職もできない、就職できても経済がこんな状態だから豊かになる希望もない。
このまま生まれて一度も豊かさを経験していない子たちばかりになるんだよ、
この先。
パパの世代やその前の団塊の世代は『今の若い子は元気がない』とか
『草食系』とか言うけど、これだけ冷え切った世の中で若い子が希望をもって
元気になるわけないじゃない」

返す言葉がございません。
高校1年15歳の社会観。若者にも実感を伴って身近に感じるこの閉塞感。
大人たちが今一度踏ん張って世の中どげんかせんと。
アフガンの子たちは生まれてからずっと戦禍の中にいて「平和というものが
どういうものか知らない」という。
そこまでの最悪状況ではないにせよ、構造的に同じような状況にあるのでは
ないだろうか。
明るく自由で平和で人々の暮らしが豊かな時代を知らない。
でも、そんな社会状況を作ったのは、もちろん子どもたちではない。
「戦後」は「戦前」の開始であるという、そういう未来だけは作りたくない。


この記事をはてなブックマークに追加

ダブルクリックにご注意

2011年09月22日 | 内的独白

クレジットカードの請求が来た。
7月に動画編集のためにシェアソフトをオンラインでDLしたのだ。
うちは家庭内でオープンで、家内が私宛の請求書や保険関係書類等も
一括管理している。(てか、あたしが管理されているのか・・・)

妻曰く、
「なんだか、同じ時間に同じ商品買った二つ分の請求がイギリス・ポンド・レートで来てるよ」

が!・・・・・
どひょ~~~ん!
やってるし、おれ・・・・(´∀`)


光回線なのになんだか反応遅いなぁと、2回クリックしていたのだ。記憶あるもん。
イギリスにつながってたのだから、そりゃ反応遅いよな・・・。
皆さまも、ネットで海外買い物の際のクリック2度押しは、くれぐれもお気をつけください。
日本のようにカート内商品で確認できるような親切なシステムは、海外にはあまりありません。

おれ、東京もんだから、二度漬けご法度って知らなかったんだよ、うん。。。

さようなら~。「天は人の上に人を 乗せて人を造った」の先生~。(T-T)/

            
 


この記事をはてなブックマークに追加