渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

日本刀の楽しみ ~新作古典落語『こんにゃく問答』から~

2011年08月30日 | 日本刀

きょうも、源ベエ長屋の牢人、如月(きさらぎ)右近のもとに
仕事がハネた大工の熊五郎がやってきた。熊五郎は仕事で
使う刃物好きが高じて刀好きでもあった。
近頃では、長屋の大家の家に町の旦那衆が集まる刀の鑑賞会の
末席に座らしてもらい、分からぬ講釈にうなずいて分かった
ような気になったりしている。

旦那ぁ、あっしはかねがね思ってることがあるんですがね。

何だ。申してみよ。

へい。
いや、なにね、確かに刀目利きの世界では「なかご千両」とは
申しますけどね・・・



そしてたしかに、地と刃の鑑賞も見どころではあるわけですが・・・

(いいねぇ、差込研ぎは。やっぱ化粧騙しの年増よりすっぴんに限るぜ。
これは重要指定で高知県文化財のさる御刀だけど、これがさむれぇの
時代の本物の刀の研ぎってもんよ)

あたくしは変態ってやつなんで、切先フェチなんざんすよ。

(なんでぇ、砥石目が残ってるじゃねぇか(><)
化粧かけても、こいつぁどうでぇ。)

でやすんで、刀つったら切先見るのが堪らねぇときて
やんがんで、へい。飯食らってても箸の先が気になる
くらいで、ええ。
ただ、いろんなカンナやノミを見て来やしたが、あっしども
でーくはいつもキリッと小股の切れあがった女の後姿のように
道具を研ぎ上げているのに、ヤットーの先生方の御刀で切先が
欠けてるのが多いのは、あれぁ一体どういう寸法なんでやすかね。
なんだかあっしは御刀見てて涙が出てきやしたぜ。

左様か。

ところで旦那、女といやぁ、なんでブログ書く女ってやつぁ、
全国どこ見ても食い物のネタしか書けねえんですか?

知らん。 
日常、にょしょうの目に見える物は、食い物だけなのであろう。

つまらねぇですね。あれ読んで人が面白がると思ってるところが
なんともすっとこどっこいだよな。食えねぇのは自分だよってね。
やせ薬だなんてこんにゃく食ってよろこんでやんの。ったく、ねえ?
あれ?これなんすか?

これか。
これは、蒟蒻(こんにゃく)だ。

・・・。
なんに使うんで?
旦那、おやせになってるのに、これ以上やせたい?

馬鹿を申すな。
蒟蒻にはな、「こんにゃく閻魔」といってな、内ではいばりかえり、
外では柔弱な者をさす意味もある。
まあ、いわゆる内弁慶のことだ。
最近では網弁慶などともいうらしい。
しかるに、こんにゃく侍などという不名誉なそしりを受けぬためにも、
それがしはこうして一日一回、こんにゃくを刀で一刀の下に切る
ことにしておる。

へぇ~、さむらいの考えるこたぁよくわからないね。
あ、そうだ。旦那、知ってやすか?
鉄までも斬れる斬鉄剣ってのが斬れないやつ。
なんと、そのこんにゃくなんですってさ。
つまりね、斬鉄剣の石川っていう剣術遣いはいつもつまらないもの
ばかり斬ってる、だけど、こんにゃくは詰まるから斬れない、とこういう
あんべえらしい。
たんなる駄洒落だぃね、そいつぁ。ねえ、旦那。
するってぇとなんですかね、斬鉄剣でなく指なら切れるんですかね。
指切りってくらいだから。
そういや、おいら、向こう横町のおみよちゃんと指きりして、めおとに
なろうって、ゆんべ誓ったんですがね。指切りげんまんってね。
こうやって指で輪っか作ってさ。
あれ?なんかいっぺえしゃべくったら、腹減ってきたな。っしょうめ。
我慢できねぇな。

このこんにゃくでも食っておけ。
これがほんとのこんにゃくゆびわだ。

げんまん(我慢)できねぇや。


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ツナギという名の形代

2011年08月29日 | 日本刀

普段、日本刀というのは拵え(外装)からはずされて、
このような白鞘(休め鞘)に納まっています。

白くない汚い鞘でごめんさない。
なにしろ、物がとても古いので・・・。

では、はずされた外装はどうなっているかというと、「ツナギ」とよばれる
木製の刀身に装着されています。
こんな感じ。


昔は竹で作ったのでいわゆる「竹光」と呼ばれたりもするものですが、
このツナギは、ほぼ実物の刀身個体と同じ寸法で作られます。


画像では判りにくいでしょうが、なくてもいいのではと思える横手筋まで
切っています。

(刀の先端部分の呼称)


棟と鎬(しのぎ)の形状もきちんと出しています。

身幅や重ね(厚み)も、抜いた真剣とほぼ同じ寸法です。

よく作るなあと思いますが、極めつけはこれです。

はばき。
実物のハバキとまったく同じ寸法で作ります。
特に外周の寸法と角度は重要で、ミリコンマまで正確に再現しています。
でないと、真剣の刀身を外してツナギをこれにはめた時、きっちりと鞘に
納まらないから。
実物と同じ寸法で作られた木製のはばきをはめられた木製のツナギは
真剣と同じく、鯉口を手で切らないと鞘から抜けません。

なんだか、すごいなあ。
ツナギ1本が1万円以上する意味がわかるなあ。
こんな普段気にしない日陰の部分にも、日本刀の世界では職人技が
発揮されているのです。
ツナギは主として真剣を研ぎに出したり、白鞘に納めて保管する時に
刀の外装の保持用としての用途のための物なのですが、そんなところ
にも手を抜かない職人の匠というものに頭が下がります。
ツナギだけの目的なら、ハバキ上20センチくらいの木製刀身でも
十分だと思うのですが、一般的にはツナギとは実物刀身とほぼ同じ
寸法で再現されています。


ツナギとは別に、モックアップの意味で、作りたい刀剣の木形を作って
イメージを絞り込むこともあります。

これはかつて私が造ろうとしていた平家重代の「小烏丸写し」の
剣のイメージモデル。短刀のサイズです。

カンナは使わずに、切り出し刃物1本で削り出してあります。



傷は、うちにいた仔犬がかじったもの(^^;

これは、ツナギとは違い、刃物を造る前のイメージ固めのために
バランスを考えて木製の模型を作ったものです。

でも、鍛造刃物の方は造れなくなっちゃいました。
なぜって、銃刀法が改正されて、両刃のダガータイプはアウトに
なったから。
この平家重代の小烏丸写しは、本歌がそうであるように、両刃の剣
だったからです。
銃刀法でOKの刃渡りが15cm未満といえども、両刃は5.5センチを超えたら
アウト。
銃刀法は曖昧な書き方をしていますが、両刃部分が5.5センチではなく、
「刃渡り」なので、片側の刃が5.5センチを超えていたらダメということと
解釈した方が問題はなさそうです。
(この手の判例まだ知らない)

2008年の両刃刃物5.5センチ規制の施行は、同年の秋葉原で起きた凄惨な
殺人事件が引き金でした。
もともと両刃のダガーナイフは戦闘用の物でした。
また、ハンティング用でもスウェッジと呼ばれる背刃がある物は、刺すと刀身が
動物の肉にスッと食い込んで行くので用途によっては便利なのですが、やはり
銃剣の多くがそうであるように、戦闘用ナイフが両刃であるのは、それは
殺傷力が高いからです。つまり、「それ用」。
銃刀法が改正されて、牡蠣剥き職人などは非常に困ったでしょうが、今の
社会情勢を見る限り、仕方ないものなのかもしれません。
金属バットで人を殴り殺す事件が起きても、たぶん金属バットは規制されない
でしょうが、刃物は物が物だけに、やはり節度ある規制は必要かと思います。

日本刀について
は、そもそもが武器ですし、殺傷力を増すためにいろいろな
形状が歴史的に変化してきたことは否めないのですが、現今の法律で所持
そのものが禁止された形状の物を免許がない者が造る訳には行きません。
いくら刀工免許のないナイフメーカーや一般人が法律的に15センチ未満の
刀剣製作や所持がOKといっても(所持禁止は15センチ以上の刀剣)、両刃は
5.5センチ以上は法に抵触するので、造るならば、ミニチュアのようなミニ剣に
なってしまいます。
ちなみに、真剣日本刀がなぜ誰でも所持できるのかというと、真剣日本刀には
「登録証」という物が附属しており、すべて政府に登録されているからです。
そして、今存在する日本刀は「美術刀剣」ということで、銃刀法でいうところの
「刀剣」ではない扱いだからです。

解釈はどうあれ、日本人が日本で日本刀を誰でも所持できる法律には感謝
したいと私は思います。

ただし、登録証のある日本刀でも、帯刀のままで外出は駄目よ。たとえ近所
でも。
和服外出には短刀ではなく、扇子をご使用ください。


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鋼の不思議 - 不思議の刀

2011年08月28日 | 日本刀

休みの日は刀の手入れをします。

家伝の刀で謎の刀があります。

脇差 無銘 鎬造庵棟 地肌板目詰む 刃文細直刃
刃長1尺7寸3分9厘(52.7cm) 反り4分6厘(1.4cm)
元幅7分4厘(2.24cm) 先幅6分3厘(1.9cm)
元重1分3厘(0.394cm) 先重8厘(0.24cm)
重量285グラム 登録:広島県

長さは長脇差-小太刀の長さですが、身幅が異様に細く、厚みも
通常の脇差の半分以下です。重量に至っては1/3程度。
極端に研ぎ減った脇差というのでないことは、茎(なかご)の
形状を見ても分かります。

これは一体どういう目的で使われる刀なのでしょうか。
スペックを見ずにこのシルエットだけ見ると、普通の刀(だいとう)の
ように見えますよね。でも、刀の形状の比率のまま小さくした刀剣
なんです。

きちんと刀の形になっています。横手下に弱い鉄(かね)が出ていますが
地は古雅な感じで、細直刃を焼いています。鋼はとても古い鋼に見える。


茎(なかご)を見ると、目釘穴は太刀目釘のような位置に開いています。


この刀は一体何の用途のための刀なのだろう。
儀仗刀のようにも思えます。
鉄味は写真だとよく分かりませんが、新刀以前の鋼であるように
見えます。
ただし、極端に薄くて細いので、戦闘には使えそうにありません。
いくつかの刀剣商に観せても、この刀の製作目的は不明でした。
普通の刀のミニチュアのようなこの刀、もしかしたら、元服刀かも?


さてこちらは、現代の鋼を使った造りかけのナイフです。


平成6年(1994)に二代目小林康宏の刀で鉄板斬り試しをやった時、
一発でポキンと刀が折れました。
刀工もビックリしたのですが、実はそれはお弟子さんが焼き入れ失敗
した刀でした。棟まで全体に焼きが入り,、後日
焼きなまして再刃しようと
していた作と知らずに鉄板試しで折ったもので、折れてビックリした刀工は
胸をなでおろし、その場にいた3人で大笑いしたものです。
その時の半分に折れた刀の下側部分を材料としてもらい受けました。
私が平成7年に数パーツにプラズマで切って完全に焼きなまして材料と
しました。それを鍛造し、小柄小刀や刀子、ナイフを90年代と今世紀初め
に数点造っています。
このナイフは、昨年亡くなった私の父がその材料を使って私と共に
平成7年に鍛造したものです。
厚さは4ミリなので、かなり叩き伸ばした感じです。
折り返しが終わった康宏鋼は、焼きなましてもかた~い・・・。
なかなか伸びないの。
私はエアハンマー持っていないので、私が向こう槌となって大槌を振るい
ました。
父は自分用の包丁を作りたかったのでしょうか。特別な形になっています。
向こう槌と修正センすきと研ぎは私がやりました。
焼き刃土は父が引き、焼入れは私がしたものです。
鍛錬は元々は康宏刀ですから折り返しは済んでいますし、無垢なので
切断しても材料として再生させることができます。

さて、以前から試斬後の刀を洗っているときや、包丁を研いだ時に
とても不思議に思えることがあります。
それは、水を刀身にかけたときに、焼き刃の部分だけパァーッと
水をはじくのです。しかも、おおよそ刃文の形に添って。
これはとても不思議に思っていました。

完全に脱脂した刀身にサッと水をかけただけの状態。
焼きの入った部分と焼きのない地の部分で水が分離する。
地の黒く見える部分が水が乗っている部分です。白く見える部分は
水がはじけている状態。何度水をかけてもこのように分離します。
一般の包丁などの炭素鋼でもよく見る現象ですが、なぜこのような
ことが起きるのかは私はよく知りません。

この父と私の合作ナイフは、日本刀用の研ぎをしていませんので、
普通の状態で見るとほとんど刃文は見えません。
ただ、明かりに透かして肉眼でよく見ると、地沸がついていることが
分かります。
水ではじかれたのは凡そ
の「刃文」部分であり、実際の刃の状態は
高低差のある大乱れであることが下の写真で見えますでしょうか。
「そんなに広く刃をとるの?」と父に訊きましたが、これは父の好みで
自身で土置きしたものです。
私だったら、直刃か極端に丁子だなぁ。
この重なる夏の夕焼け雲のような乱れは何乱れというのだろう。
父は、のたれの上に結構適当に引き土を縦に引いていました。
「なんじゃそれ。縦に足入りか?」と思いましたが、面白い刃が焼ける
ものです。
上の写真の水はじきでよく分かりますが、切っ先からの返しが長い
ですね。ここは三原物みたい。

明かりに透かしても、研ぎの関係でほとんど刃文が見えない
という・・・(笑)
ただ、鋼の質の変化で乱れの刃はそれとなく判りますが。
そして、硬くて粘る鋼なので、焼きの入った刃の部分は砥石の乗りが
あまりよくない。つるつる滑る。
康宏刀が低炭素との話が一部ネット上で出ていますが、低炭素で
刃先がロックウェル67も出るのでしょうか。
というか、康宏鋼は高炭素の鋼を脱炭させるのだけど、本当は(^^;
このナイフも一般的な康宏刀のように物凄く切れます。
硬いのに粘り、弾力性もある鋼。面白い鋼です。
焼き方によっては、地沸がびっしりとつくみたい。

こんな刃も焼けます。

これも小杢目が詰んで小沸がびっしりとついています。
刃中の入り乱れたまだら状態は写しきれないので省略。
刃縁のいわゆる刃文だけ写しましたが、直刃ぽく写し
取った部分は、実際には微細な小乱れとなっています。
実物は、やや映りみたいなのが出ている。


働きというほど大したことないけど、刃中は部分により
鋼の硬度が異なり、細かく入り乱れている様子が見られ
ます。
刃中がベタッとした感じが多い二代目康宏ですが、
二代目が鍛えた康宏鋼でも、持って行き方次第で、
面白い刃ができるのではないかなぁ。武用刀だから
そこまでやらないけど。
この康宏鋼(折り返し4回)で造った小柄小刀は、康宏伝
とは異なる独自の工夫を加味した焼入れを施してあります。
簡単に言うと、パッパーッ、ジョ~ン!ジョボジョボブクブク~
プルプル~という瞬間的な二度焼き入れ。
単純にそれだけではないのですが(^^;
間(あい)は康宏のやり方ではなく、政賢のやり方で取った。
出来上がりは、ややうつむいた内反りになっています。
光線の関係で、刃の方が黒く見えるのはご愛嬌。

ちなみに、私は康宏鍛えの鋼で造って焼入れした物は、たまたま小物だから
かもしれませんが、1口たりとも失敗したことはありません。
むしろ、白紙や青紙の方で失敗している。ヤスキ鋼の熱処理温度表に
照らし合わせて処理したつもりでも、下手だから上手くいかない。
ヤスキ鋼は康宏鋼に比べて、鍛造の際にはアメのように伸びやすい鋼だけど、
どうにも私は上手くまとめられないことが多い。白紙は簡単とか聞いたけど、
あたしはヘタレでダメポです。
どうにかいろいろやって、「はは~ん、そうか」ときてから満足の行く形になった
完成品は皆人様に差し上げてしまいました。康宏鋼の作品もほとんど人に進呈した。
でも、康宏鋼では、少なくとも私は失敗したことはありません。
逆に言うと、経験が薄いから、教わった特定の処理しかできないということ
かも知れない。本職でなく素人ですし。素人もなんかの拍子にたまにまあまあの
作品作れることがあるけれど、安定性がないところがやはり素人で、本職のプロと
そこが大きく違います。
トウシロはあくまでトウシロってこったい(笑)。


火造りまで終えて常温で安定化させている康宏刀工が折り返し鍛錬した
この部材(鉄板斬りで私が折った刀の最後の残り)も、そのうち完成させて
あげたいと思っています。鋼がそう語りかけてくるし(笑)。




つーか、備中水田派の系譜と武州下原派の繋がりが今ひとつ把握できていな
かったので、銘鑑をもとに戸籍簿を洗うように一つ一つ手作業で系譜まとめて
いたら、気づいたらこんなフンドシみたいになっちまった。


専門書買えば済むことなのに、アホか!おれ。 

  


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花火

2011年08月28日 | 一般



昨夜、会社で仕事をしていたら「ドド~ン」という爆発音がした。
花火だった。
三原では、毎年、8月の第二土曜と最終土曜に花火大会が開かれる。
第二のほうは、三原市の「やっさ祭り」に合わせたものだ。


今年の花火は8月14日と昨日27日だった。
やっさ祭りは永禄10年(1567)、毛利一族の小早川隆景が三原城を
築城した際にその祝い事として始まったのが起源とされている。
ただし、以下は推測だが、当時の情勢を見ると、城下町も整備されておらず、
城も湾内の離れ小島を繋いだ程度であり、さらに毛利水軍の四国攻略の
活動も活発であり、永禄10年に祭りを催したとは考えにくい。
阿波徳島城築城の際に三原やっさ踊りが基になって阿波踊りが
伝えられたという伝承もあり、それの時期をみても、三原城が天正8年
(1580)から天正18年(1590)の大増築で完成して城下が整備された
際に行われた祭りではないだろうか。永禄とするのは時代を上げすぎ
ているように感じる。三原城築城初期には小規模の慶事は行われたが
大々的な祭りとなったのは、阿波への波及の時期や三原城下の状態
からいって天正年間ではと私は踏んでいる。
いずれにせよ、資料を精査しないことには判らない。


三原城は関が原の戦い以降毛利家が長門周防二国に封じられた後、
広島本藩には福島正則が入って支城となった。その後、福島氏は
幕府謀略により改易、紀州から浅野家が入り、浅野の家老が治める
城下となった。浅野広島藩42万6千石のうち3万石を領した。最初の
福島広島藩は49万8千石で、現在の岡山県井原市(旧小田郡、後月
郡)も広島藩領だった。

それにしても、城下町を車で走っていて思う。
今の時代はいいなぁ、と。
これが江戸時代だったら、江戸をはじめ、日本全国の都市たる城下町
では「木戸」が設けられ、夜間通行禁止で隣町へ行くことすらできない。
通行自由というものは江戸時代にはなかった。
そして国ごとに関所が設けられ、通行するには藩の公式な通行手形
が必要だった。つまりパスポートだ。
隣の藩領というのは異国なのだなぁ、と思う。
ちなみに、広島県東部の福山藩領の人たちが今でも「ミャア」という
方言を話すのは、築城の際に尾張ダギャアの国から多くの職人や町人が
入植したから。福山だけが広島県で唯一「ミャアミャア」という言葉を使う。
「おまえ」は「おみゃー」となり、「やるまい」は「やるみゃー」となる(^^
備後弁の範疇から大きく外れる。
武家などは転封がしょっちゅうで各地を点々とするので、あまり方言は
使わないし、当時は階級ごとに使う言葉がまるで違ったので、方言の
成立にはあまり関与していない。
単語単体はいざしらず、日常使う「地言葉」が方言として定着するのは、
民衆的な移動に伴う伝播によると思われる。それもどうやら同心円で
広がる傾向をみせるようだから、武士という階級の統治管轄区域割りとは
連動していない。広島弁と岡山弁は厳密には異なるが、大凡は似て
いる。また、広島県西部に行くと長州の言葉と似ている。
これらは、武家の管轄領地とは別な作用が方言の成立に関与している
ことの証左だと思われる。

ちなみに、現在の日本語の標準語は江戸の旗本言葉を基本としている。
「維新」で天下を獲った薩長土肥芸藩の言葉では、明治新政府が徴兵を
行うときの命令になにかと不都合だったためだろう。
だが、もし首都が東京でなく京都のままだったら、いまごろNHKのアナ
ウンサーは、「よろしおすなぁ」とかNEWSで言っていたかもしれない。
現実的に「おいしい」が国語として「おいしい」と正式になったのは、結構
近年のことであり、明治中期までは「おいしゅう」が併用されていた。
ただ、「です」という江戸では幇間などが使う下品な言葉が標準語となった
のはどうにも理解に苦しむ。江戸時代には武士を始め町人も「~です」と
いう言葉は使わなかった。「~でございます」が普通であり、「~です」と
いうのは「~でげす」と同じで、辰巳芸者や色町の幇間(たいこもち)など
だけが使う言葉だった。
だから、もしタイムマシンがあって、現代人が江戸期に行き、仮に当時の
服装髪型をしていても、丁寧な言葉と思って「~です」と言ったら奇異な目で
見られることだろう。
なぜ「~です」が日本語の標準語になったのかは謎である。
案外、江戸の者が地方から来た江戸を知らない薩長の浅葱裏を「これが
丁寧語です」とおちょくったのが始まりなのかも知れない。

今はいい時代だ。
少なくとも、道を通るのに通行手形も木戸も関所もない。
ただし、土地柄とそれと連動する人柄というものは首都圏にいたときには
未知だったが、それが根強く残っていることを地方に住んで初めて知った。
逆に言うと、首都圏が「標準」だと思っていたら足元をすくわれる。
特に約定や信義則という人と人との関係性において、地方では文明開化
以前の態様ということが実に多くある。
表面上は何気なく装っていても、部落差別が圧倒的に人の心に根強いのに
かなり驚いたが、そういうのが江戸期の封建制からまったく脱しきれて
いない地方の人の心根というのをよく表している。妬み深く陰日向が多く、
そして陰湿だ。特徴としては、陰でのヒソヒソ話が好きで、「誰さんがどうだ」
という話ばかりが異様に好きだ。これ不思議。感覚がよくわからん。
また、土地土地で人柄は大きく違い、「どこも一緒」ということは決してない。
日本人の心は「日本人」としてひとつになってはおらず、隣の県はまるで
人柄が違う「異国」であることを強く実感する。
往来自由の現代でも、往来する人間にとっては不自由を感じる。
地元から出たことない人は不自由を感じないのだろうが、別地方からの
赴任者は不自由を感じる。心の不自由さを感じる。
こういうことの背景は、未だ開明的ではない江戸時代のままである地方の
人心に規定されるものなのだろう。

先日、ちょっとした交通トラブルがあって、警察内にいまだに「オイコラ警官」が
いたのにビックリした。
加害者である相手方の若い女性に対して、
「普通だったらただではすまないが、わしがええようにしといたるけん」
って、江戸時代の町方同心かなんかのつもりなのかって(笑)
おまいの胸ひとつでどうにでもなる問題ではないのだから、法律に基づいて
行動しろよ。思考回路も。何を権力を笠に着て恩着せがましく。民事介入か?(´ー`)
痛い、痛いよ、本官くん。
よほど、そのこまわり君に「警職法に基づいて身分証を提示し所属と階級を
示せ」と言おうかと思っただすよ(笑
めんどっちーから言わなかったけど、その警官のドヤ顔が面白かった。

なんというか、話題にはこと欠きません。ちっこい話題ばかりだけどね。
天下国家とは関係のない。

三原城下の花火(クリックで拡大)

ビルとネオンだらけの大都会の夜景でなく、こうした
静かな夜景もほんのりとしていいもんだ。


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アメリカのSAMURAI

2011年08月26日 | スポーツ・武道など



このアメリカのおっちゃん、なかなかやるなぁ。
完璧に「鳥刺し」(注1)で切ってる。
下手な日本人よりよっぽど修行を積んでいる。
長柄を使って、両手握りのときは右と左をかなり離して握るから
黒田民弥流の流れだね。

キリスト教の桎梏があるだろうから、自らに刃をあてて自決できる
侍の侍たる思想を獲得しているかどうかは不明だが、切るという
ソード・テクニックにおいては、そんじょそこらの日本人より上だ。
柄頭を敵から外さない軌跡で刀を抜きながら切るという居合の
本旨を守っている点だけでも、多くの日本人より卓越している。

ただ、サムライとは、技術だけではなく、心も含めてどう在るかが
問題なので、いくら技術が高くとも心法が練れていないとサムライ
ではないのではあるが。
マーシャル・アーツのソード・タクティカル・マスターがサムライと
いうわけではなく、連綿と流れるモノノフである血脈というDNAも
大切なわけだけど、この方の切りの技術は瞠目に値する。
銃の方でもクローズ・クォーター・コンバットのコーチでもあるし、
カリフォルニアの銃器インストラクターでもあるから、銃・剣ともに
ナンチャッテでなく近接戦闘の本物のプロなのだろう。
まあ、なんというか、居合と実銃の近接戦闘は心技体において
相通じるものがあるし。

動画は
こちら

サイトはこちら

スティーブン・セガールのサムライ版みたいな人だなあ(^^)

(余談)
しかし、動画観てると、アメリカ人は「サムライ」とすんなりと発音
できず、「サミュライ」となるのが分かる。サミュエル・コルトなどの
「サミュエル」と同じような発音とイントネーションなのだ。
サムライの「サム」は日本語で言うと「寒っ」のイントネーションだが、
英語だと「some day」の「サム」のイントネーションになる。聴き様に
よっては「サムライ」は「sun rise」と同じイントネーションのようにも
聴こえる。(サムライ=sun riseという英語の駄洒落ではなく)
そこが違和感の原初なのだが、さらに「ラ」音が後ろに続くと「サム」の
「ム」が名古屋人のように「ミュ」となる。う~む面白い。特にアメリカ
西部訛りではそれが顕著だ。これが南部に行くと日本語の東北弁
みたいに n が強くなる。
「サムライ」をきちんとした日本語のイントネーションと発音でしゃべれる
アメリカ人はいないのか!?
謎の埼玉人デーブ・スペクターにしても日本語のイントネーションは
変だ。
英語の発音やイントネーションについては正確性を徹底的に日本人は
仕込まれるし、外国人にイントネーション間違いも指摘されるのに、
外国人が日本語を話す時には不正確でもいいものなのか。
なんとも解せぬ。
自慢じゃないが、私は「朝日新聞」を正確に「アサヒシンブン」と発音
できるし、「広島」を「ヒロシマ」と楽勝で言える。どうだ!
「アサシシンブン」となったり「シロシマ」となったりする田舎もんとはこちとら
違うんでぃ。「広い道」も「白い道」になったりしない。絶対にない。なるもん
かってんだ、っしょう!べらぼーめ ヽ(´ー`)ノ


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(注1)鳥刺しの原理


竿の先に着けたトリモチを使って鳥を捕獲するとき、竿を横に振って
しまうと竿の横面が見えて鳥に察知され逃げられてしまう。
モリで突くように一直線にスーッと突けば、鳥にはモチしか見えず
容易に捕捉できる。
この前面投影面積を最小限に抑える原理は、土佐居合の居合抜刀術
の要諦でもある。敵に間合いを計らせないまま刀の柄頭と敵を結ぶ
ラインから外れないように、柄頭を敵の方向に向けた軌道で刀を抜刀
しながら最短距離で切るのが土佐居合の基本中の基本だ。袈裟に抜き
打ちで切り下ろす時は、敵の目を柄頭で攻めながら抜き打ちし、横払
いのときは柄で押すように最短距離で抜刀しながら切る。
横に刀を振ってから勢いをつけて横抜き抜刀するのは居合の本旨から
は外れる。また、一度抜刀してから切先を後ろに振って勢いをつける
ような刀法は居合でも「抜きつけ」でもない。土佐居合は「抜きなが
ら切る」のである。

日本人で正確に鳥刺しで抜刀しながら物体を切断できているのは、
町井勲氏以外に今のところ私は知らない。

(注意:現在トリモチ猟は狩猟法により禁止されています。
キジ笛さえも鳥を集めての多獲につながるので禁じられています。
インターネットでは銃猟免許があるのに、キジ笛等でのカモ猟を
紹介しているサイトも多くありますが、明らかに違法です。
そういう連中の狩猟免許は取り消せばいいのになぁ。)

キジ笛。
鳥笛は日本ではバードウォッチング以外に悪用しないでください。
って、なんでハンティングの店で売ってるのさ(><)


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リビア解放

2011年08月24日 | 時事放談



リビア反政府軍が首都トリポリを制圧した。
半年にわたり内戦が続いたリビアでは23日、反体制派の攻撃で
首都トリポリが陥落し、最高指導者カダフィ大佐(69)の42年間
に及ぶ独裁政権が崩壊した。
武装市民は自ら血を流しながら、自分の国の圧制に鉄槌を下した。
日本のような与えられた首輪付の飼い犬の自由ではなく、自らの命を
かけて自由を勝ち取った。
しかし、いまだ各地で戦闘は続いている。



武装市民側が使用する自動小銃は、やたらとFN FALが目に付く。
本日の現地からの特派員従軍映像報道でも、市民はFALを使っていた。
政府武器庫を襲撃して奪った銃はAKカラシニコフだが、報道で見る
限りでは、とにかく武装市民の武装はFALが多い。


推測だが、反政府支援でNATO軍が空爆を続けているが、アメリカが
かなりのテコ入れをして反政府側に武器供給をしているのではないだろうか。
政府軍はカラシニコフを使っている。
AK vs FAL という図式は、1979年のローデシア、その後の南アの戦い
以来30年ぶりのような気がする。
独裁政権打倒は個人的には応援したいが、今回の反政府武装蜂起には
弾薬共通の用兵思想ではなく、あえて旧西側の象徴でもあるFAL小銃を
旧西側大国が供給している点に、ある種の政治的意図を強く感じる。

 


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島田紳助さん引退に思うこと

2011年08月24日 | 時事放談

こわいねぇ、マスコミの論調が。
それに、いつから芸能界はクリーンな世界になったの?
暴対法以降?
国民栄誉賞を受賞した今は亡き昭和の大歌手はどうなっちゃうの?
弟と話してもアウトなのか?
組織の長や幹部の情婦(だった?)の大女優たちとかどうなっちゃうの?
今まで暴力団と散々癒着しておきながら、ここにきてクリーンな
ことを装ってる芸能界も気色悪いが、ことさらに「黒い交際」として
書き立てるマスコミ全体主義はもっとおぞましい。
過去にメールで人に礼言ったり多少会って礼を述べたりするのが
許されないのなら、冠婚葬祭の際に花輪贈ったりしていた
大物演歌歌手とかどうなのよ。なぜそちらは叩かない?
人を選んで礼を述べることをしないことがいいことなのか?
例えば自分が交通事故に遭って動けない時、その時たまたま
助けたのが暴力団だったら、お礼も言うなと?
それに、芸能界は、この人と密接不可分の関係にあったという
事実はどう説明をつけるのだろう。
筋者だから悪いのか、悪いから筋者なのか、いずれにせよ
いくら芸能界やマスコミがクリーンぶっても、各々別の意味で自分に
対して唾吐くようなものだ。

要は、結局、あるものの掌の中でマスコミも動いているだけ。
そもそも、この国は国家からして、戦後から60年安保の時は
国家が暴力団を使って市民活動を暴力的に弾圧してきた揺るぎ
ない事実があるのだし、それに対する反省などなにもなくして
昔からクリーンだったような顔をする黒い官僚や黒いマスコミは
まるで、恥知らずの代々木の連中みたいだ。
もっと、暴くべき問題があるだろうに。
もともと日本は戦前戦後も、このような人物たちによって牛耳られて
きた。来歴を見て、これを愛国者と呼べるか、国士と呼べるのか、
個人的には大いに疑問が残る。リンクにある戦後彼を利用しようとした
CIAの評価がすべてを物語っているような気がする。
ただ、物理現象としては、日本のかつての戦前の国家、そして戦後の
日本国家と米国中枢がこういう人間を必要として大いに利用してきた
ことだけは確かだ。
(田岡氏と児玉氏で60年安保に見解の相違があり、児玉氏が自民党
と時の国家の意を受けて安保反対勢力を暴力で弾圧しようとしたのに
対し、田岡氏はそれに懐疑的で全学連主流派=反日共系新左翼に
資金援助した事実は対象的だ。また田岡氏は市川房江と共に麻薬撲滅
の社会活動をしたりしていた。
両氏とも暴力団であるので、一概に単純にどちらかをあるいはどちらも
全面的擁護はできないが、行なった事実としては大陸で私設機関を
もって蹂躙して私腹を肥やした者と、麻薬撲滅の社会運動にも参加して
組員の右翼活動にも批判的で企業を非合法から合法にすることで
港湾荷役を中心に成業を為そうとした者は、見ている先の愛国の目線と
立脚視座が大きく異なるようにも私には思える)

メールなどの個人的な私信が第三者に漏れるということの問題性の
社会的重大性や重要な信義の不在(時によりそれこそが犯罪となる)に
ついて誰もマスコミ関係者が言及していないのが、なんとも胡散臭い。
発端はどうせ警察からの意図的捜査のリーク情報だろうが、でもそれは、
泥棒のお仲間に泥棒つかまえろと言うようなことなので無理といえば無理。

この国で起きていることは、自ら血を流すことはしないすべて
出来レースでしゃんしゃんの城内平和の絵空事なのに、
何を今さらいい子ちゃんぶって。
気持ち悪いんだよ、そういう風潮は。

マスコミをマスゴミと呼ぶことで唯一留飲を下げているネトウヨやネトヲタたちも
普段エゲツナイ生きざましておきながら、それみたことか的にピーチクパーチク、
あいかわらず気持ち悪い。
事の善し悪し以前に、自分の読みと解釈が芸能界の流れと合致していなかった
ということを自覚して声明した紳助の記者会見での態度は、潔いし立派だと思う。

今回の島田紳助氏の報道について、暴力団云々を論い(あげつらい)の理由と
するのであれば、マスコミはじめ今回の件に批判的な勢力が、戦前の日本国家
の在り様と戦後日本国家の歴史的な日米癒着構造、その末枝現象としての
暴力団と芸能界の歴史的蜜月に矛先が向かないのは、すべて茶番であると
私は断言する。 今さらクリーンぶるのは笑止。

どうせ今回の一連の動きの裏は、旧チヨダ=I.Sあたりの世論操作工作の
一環だよ。
秘密警察国家作りは着々と進んでいるしね。10月の法令施行に先駆けた
布石の一環だろうね。
紳助はそのターゲットになっただけ

世の中が見えてない人が多いなぁ。


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What a friend we have in Jesus

2011年08月23日 | 内的独白

What a friend we have in Jesus

いつくしみ深き 友なるイエスは
罪 咎(とが) 憂いを とり去りたもう
心の嘆きを 包まず述べて
などかは下さぬ 負える重荷を

いつくしみ深き 友なるイエスは
われらの弱きを 知りて憐れむ
悩み 悲しみに 沈めるときも
祈りにこたえて 慰めたまわん

いつくしみ深き 友なるイエスは
変わらぬ愛もて 導きたもう
世の友われらを 捨て去るときも
祈りにこたえて 労(いたわ)りたまわん


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動画アップ 居合斬術 Sword Cutting - Iai -

2011年08月21日 | スポーツ・武道など

新たにyoutubeに古い動画を追加しました。

居合で切り、居合で斬る

刀:小林康宏(二代目)、二尺三寸六分、鞘を払って1200g
斬り手:わたし(無双直伝英信流 全剣連三段/1993年)

納刀後、右に倒した敵が立ち上がろうとするので抜刀切りで
首を切断。
納刀し前進したら前の敵が上段から斬りかかるので受け流し
ながら右に体転し袈裟に切先で斬る(切るのではない)。
さらに剣先を後ろに大きく振らずに脇下の急所をすり込むように
払う。
「切り」と「斬り」を弁別した居合。

私は居合の流派は土佐の無双直伝英信流ですが、斬術は
林邦史朗先生に習った林流を基本にしています。
試斬とは据え物切りのことであり、刀の切れ味などを様す(ためす)
ことです。ですので、世間の大抵の「抜刀道」「試斬」では居合の
業では切らずに、抜刀して後、構えてから据え物を切っています。
私の居合斬術は居合の太刀さばきの流れの中で仮想敵を切る
代りに物体を置いて切っています。
このような仮想敵を想定して切り稽古をしているのは、私を含めて
町井勲さん他数名と圧倒的少数派ではないでしょうか。
大抵は、刀を抜いてから構えて「えいやっ」と切ります。また抜刀
切りでも「どれだけ切れたか」に主眼を置いていて、居合の体さばき
や身の移動の中で仮想敵として物体を切る方は今でも少ないように
見受けられます。
居合斬術で習得するべき眼目は、正しい刃筋と体のさばきという
言ってみれば居合の本道です。
従って、基本的には畳ならば半巻き~1巻き(1畳)程度の厚みで
十分です。
厳密には「試斬」とは別次元にあるものなので、私がやる物体切りは
試斬とは呼べないかも知れません。
構えてから「えいっ」と切って、据え物がどれだけ切れたかという
試斬とは異なるので、便宜上、私は造語である「斬術」もしくは
「居合斬術」と呼んでいます。

また、通常の居合においても、「切り」と「斬り」を弁別して指導する
先生は少ないようです。
切断のための「切り」には刀身に「切り代」がないと物理的に不可能で、
間合いは近くなります。
また、切先三寸程度までを使う「斬り(切断ではなく斬り裂くこと)」の
刀法においては、業によっては例外もありますが一般的には間合いは
遠くなります。同時に一発で致命傷を与えるための「斬り」は頸動脈等の
急所を狙い打ちに斬らないとなりません。
新陰流はこのあたりを実によく工夫・研究している流派です。
これらの理合の教義は、柳生連也厳包によって完成の域に達します。
上泉伊勢守から相伝された新陰流をさらに熟成させた新陰流正統
五代の柳生連也厳包が、並々ならぬ剣士であったことが伺えます。

古伝においてはこの二つの刀法と理合(りあい)は、どの流派でも
厳密に弁別して口伝で伝えられていたのですが、現代居合や古流
と称する剣術でこの理合が区別されずに曖昧なままただ「きる」として
のみ伝播されているのは、実を離れた空想的な剣術居合であり、
甚だ遺憾です。
刀の「きり代」が違うということは、当然間合いも違えば、刀の運刀
方法も速度も物理的に異なってくるので、それに見合った体さばきが
必要になってきます。
ちなみに新陰流では、体系の中で、業ごとに刀身の切っ先から鍔元
まで刀身のすべてを適宜最大限に使う理合が説明されています。
「切先三寸」だけなどという刀法は本来あり得ないのです。臨機応変に
刀身すべての部位が使いこなせなければなりません。
そのためにも、初歩的な「斬り」と「切り」の違いは何であるのかは
基本中の基本として理解する必要があります。

「斬り」を最大限に利用した殺陣における居合斬術。
「斬り」は致命傷となる敵の急所を狙わなければならない。
(『EAST MEETS WEST』より)


「切り」を使った殺陣における居合斬術。
「切り」は刀身の切り代が必要なため、間合いが近くなる。
(『LAST SAMURAI』より)

剣道にはかろうじて日本剣道形において「鎬(しのぎ)」を使う技が
伝授されています。鎬の使い方ひとつで敵の剣がふっ飛ぶこともあり、
これと「きり代」を高次に合体させたのが新陰流の「合撃うち(がっしうち)」
であり、小野派一刀流の「切り落し」であると思います。
このように、古伝には刀の構造を最大限に利用した「術」としての
勝つための理論がありましたが、今では一部しか伝承されていません。

温故知新。
どうか、真剣を手に取る武術家の方は、侍が命を張っていた時代の
古伝を生きた業として研究してください。

なぜ、こんなカビの生えたような私ごときの古い動画をアップするか
というと、現在に至るも、居合で切る動画をアップしている人が圧倒的
に少ないから。
居合で切っている人は町井殿はじめ林流や過去の私を含めてほんの
数える程で、ほとんどの方は残心も何もなく、ただ物切り作業のトライ
動画をネット上にアップしています。
ちなみに、鳥刺しの抜きつけで切っている人は町井氏以外に現在
私は知りません。他の人は私も含めていわゆる振り回し切りです。
柄頭で相手を攻めながらそのまま最短距離で抜いて切ることを
せずに、柄頭を体側(たいそく)に回してから反動をつけています。
このような抜きは居合の各流派でもやらないのに、物切りの時だけ
やるのはおかしなことです。
私は未熟ゆえ、鳥刺しでは「斬れ」てもなかなか「切る」ことはできて
いません。
私などは下手の見本です(^^;

ほんのごく少数ですが、居合の体さばきや体の移動で切り、きちんと
残心をとっている「わかっている」方の動画を拝見するとホッとします。


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刀剣鑑賞 ~古刀宗重(むねしげ)~

2011年08月20日 | 日本刀

雨が上がったので、部屋を乾燥させて刀剣の手入れをし、久しぶりに
ゆっくりと鑑賞しました。明日から大雨の予想なので、油を引き直して
おきます。
(クリックで拡大)
表銘 安藝國大山住仁宗重作
裏銘 天正八年二月吉日

私の居合用の刀です。
東京の先輩からの頂き物(^^;)
室町戦国時代に安芸の国(現広島県)の大山(瀬野川から八本松に
かけての低い山の山麓)に住した刀工集団大山鍛冶の宗重の天正
八年(1580年)の作品です。
(地元の方の現地調査はこちら「西国街道を行く」をご覧下さい。)

安芸国宗重は康正(1455~1456)、永正(1504~20)、
永禄(1558~1569)年間にも同銘が確認されており、
本作の住仁宗重は後代宗重で、旧山陽道の大山山中から
やや下った場所に移住した刀工です。
私が観るに、作者は苗字を延道、通称を彦三郎といった
天正年間の宗重で、毛利輝元の家臣の鷲頭弘氏がこの
宗重に注文した作が現存しています。その刀の銘は
「大山住宗重延道彦三郎作 天正五年八月吉日
多々良朝臣鷲頭左馬助」とあります。私の宗重は、この
鷲頭さんが注文した宗重と同人でしょう。
地元広島には郷土史家による大山鍛冶の保存会があり、私の
刀も広島県内に現存する18口目として登録されました。
一度、埼玉で、この宗重の以前の持ち主と一緒に別な宗重
(確か天正六年作だった記憶がある)を観たことがありますが、
すこぶる健全(ほぼ未使用)で、値段がとんでもない値が
ついていた。冗談抜きで田舎で家の建物が建つくらいの。
二人でぶったまげました。
出来もかなり素晴らしく、横に並んでいた薩摩波平にも全く
見劣りがしなかった。広島県重要文化財の宗重があるそう
ですが、それもきっと埼玉で経眼した宗重のように健全で
出来栄えも素晴らしい宗重なのでしょう。

広島藩の記録に『芸藩通志』という歴史書があり(我が家のことも
記載されている)、それによると大山鍛冶の祖は筑前左の一派で、
建武年間(1334~1337)に守安という刀工が安芸国大山に移り
住んだのが初代とあり、また刀工銘鑑などにも「大山荘守安」と
銘がありますが、現物は発見されていません。
さらに、銘鑑等の記録には、重守(貞治年間)-守重(応安年間)
-宗重(康正年間)・・・・宗重(天正年間)とありますが、最後の
宗重を除いては実物の刀が発見されていないともいいます。
地元の郷土史家のお話では、私の宗重(延道彦三郎)は
三代宗重とのことだそうです。
また、「永禄十一年作」の宗重が広島県重要文化財に指定され、
東京上野の東京国立博物館に展示されています。
広島城にも宗重の脇差1口が展示されているようです。



なかご千両とはよく言ったもので、なかごはウブ(作られた時の
状態)です。
体配と私なりの所見を以下に記します。

-刀- 安芸国(広島県) 安土桃山時代(1580年)
銘 安藝國大山住仁宗重作 天正八年二月吉日
鎬造、刃長二尺三寸三分六厘(70.8cm)、反り六分六厘(2.0cm)、
元幅一寸二厘(3.02cm)、先幅六分二厘(1.9cm)、
元重二分二厘(6.7mm)、先重一分四厘(3.15mm)、
表裏に棒樋あり(片散り丸留)
登録証:昭和34年神奈川県登録
安土桃山期の末古刀であり、寸伸びの打刀(うちがたな)の体を為す。
やや先反りがつき、鎬幅広く、地鉄は柾目ところどころ流れて板目、
杢目が交じる。末三原物の如く鎬寄りに白け映りが出るいわゆる
分けの鍛え風となる。刃文は直刃やや乱れながらも素直に延び、匂い
口はしまる。ところどころに匂い崩れ、糸の定めあり。帽子は乱れ
込んで尖りごころの小丸、滝落とし風に深く返り、虎の尾返りのように
乱れる。中心(なかご)はややたなご腹風にふっくらとして先が細るも
品よく伸びる。中心尻は刃上がり栗尻、鑢目は勝手下がりで中心尻
まで目がそろう。銘は鏨の運びが奔放にのびのびとしており、作者の
気質を表すが如し。総じて三原の風合い強し。
物打ちと鍔元の棟部、差し表散り部分に刃を受けた切り込み痕が
あり、実戦をくぐり抜けてきたことを静かに物語る。430年の時を
越えて、いにしえの武士(もののふ)の息吹を今日まで伝える
清涼感ある一口といえる。

(クリックで拡大)

(クリックで拡大)

棒樋のチリ部分に切り込み痕の補修がみられます。
この戦国時代の宗重には棟に刀の切り込み痕が3箇所あり、
実戦で使用されていたことを物語っています。


映り


本日は粗見ではなく、かなりじっくりと鑑賞しました。
気づいたら、1時間半くらい眺めていた(^^;
普段は拵えの柄は着けたままですが、鞘は白鞘(休め鞘)に
入れています。道場や試合会場に運ぶ時も刀身は白鞘に納め、
刀袋に入れてから本皮ケースに入れて運搬します。
稽古や演武の時のみ拵えの塗り鞘を使用しています。


私の手入れ箱の中身。

左から:肥後の守、打ち粉、角粉、目釘抜き、目釘抜き、目釘類
上:刀剣専用油

用途は、
肥後守・・・竹目釘を削ったり、鞘の鯉口緩みを直す経木を切ったりします。
鋼は安来鋼の青紙。
打ち粉(白いタンポ)・・・内曇砥の微粉入りの最高級の物。湿気を含むのを
防ぐために使用時以外は専用のビニール袋に入れて桐箱に納めています。
角粉(赤いタンポ)・・・主に鉄部こすり用。ヒケがついて刀身が痛むので、刀
にはほぼ使いません。
鋼鉄製の目釘抜き・・・鉄目釘専用の目釘抜き。これはベレッタ散弾銃だか
の折れたファイアリングピン(撃針)です。頂き物の実銃破損部品。ただの
鋼鉄の棒ですが、太さが丁度よくて便利です。20年以上使ってますが、
刀身と同じで錆びないように気をつけています。


目釘抜き・・・一般的な目釘抜き。但し細すぎて目釘を割る恐れあり。
主に小槌として使います。目釘抜きの当て込みにはベレッタを使うことが多い。
目釘・・・竹目釘に油を含浸させた物を使います。竹も厳選した竹を
使用し油を含浸させています。一番右は生鉄の鉄目釘、康宏製。
小林康宏刀以外には使いません。
刀剣油・・・銀座刀剣柴田特製。太田さんという方が作っています。
一般的な刀剣油よりも延びと皮膜の保持が良く、一度使ったら
他の一般的刀剣油はさらさら過ぎて使えない感じ。藤代製も太田さん
の油じゃないかなぁ。値段はかなり張るけど、質は極めて上質です。

ぬぐい紙は、普段は上質のティッシュをよく揉んで使用しますが、
手入れ箱には外出用に奉書紙を入れています。


宮内庁御用達だって。福井県無形文化財だそうな。
この紙は私は銀座刀剣柴田で購入しています。

刀剣の手入れについて、居合をやる人は予め油をネルなどに
染み込ませた物でサッと拭くだけの人が多いようですが、私は
都度、完全に刀身の手脂を除去して、打ち粉を軽く振ってから
常に新品の刀剣油を引きます。
ですので、油の消費量が半端ないのですが、刀剣の為を
思ったらケチってなどいられません。小さな1ビンが4000円
近い刀剣油は高いといえば高いのでしょうが、それなりの
効果はかなりあります。年間刀剣の油代だけで何万使おうが、
刀剣の手入れは丁寧に過ぎたることはなし。
油とニョーボは新しいほうがいい。あ、畳でしたね・・・(^^;

本当は、古い刀は空気を切る居合といえども使わずに
保存しておくのが刀剣の為には良いのでしょうが、この
宗重は、進呈してくれた居合の先輩(かつての大家さん)、
そして更に前の持ち主(教士七段の師範代、故人)の思いが
込められた刀でして、この刀を帯びてある祈願を私が成就する
ことを待ってくれてます。一人は現役選手で、一人は草葉の
陰から。
ですので、貴重な古刀といえども、私はお二人の思いと共に
この刀を帯びるのです。
そして、もう一人、この刀の作者宗重、延道彦三郎さんと共に。
ですから、私が居合を抜くときには、背負って立つものを常に
忘れずに、一本一本、命がけで抜いています。

この宗重は、戦国時代の合戦か、はたまた幕末の動乱か、研ぎ減りだけ
でなく数か所に及ぶその切り込み傷の痕跡から明らかに実戦で使用
されてきた刀ですので、同じく矢目(矢を受けた痕)がある備前刀と共に
毎年三原城下の神社でお祓いをして清めてもらっています。
日本国内に現存する古い日本刀で研ぎ減りしている刀は、研ぎ減る
だけの理由があるからで、まず「使われてきた」ということは間違いない
と思います。人の命にかかわる重い歴史が刀に刻まれている訳です。
この拝領した刀は、私の代以降、我が家の重代となります。
私が死して後は娘に。その後は、そののちの者に。
こういうことって、刀の本来あるべき姿のような気もします。


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使う前に研ぐのでなく使ってから研ぐ ~実用刃物~

2011年08月19日 | 刃物

「切れ味落ちた」と家内に言われたので、包丁を研いだ。
本来包丁は毎日研ぐべきものだ。
しかも、使う前に研ぐのではなく、使った後に研ぐのが基本だ。
使う前に研ぐと切った物に砥石の匂いがつくのでアウト。
だが、一般家庭では毎日包丁は使っても、毎日研ぐ家庭は
少ない。本職の板前のように厨房の得物にこだわる人は
一般人にはあまりいない。
先週以来研いでいなかったので、ご要望通り研いだ。
研ぐ前に刃を見たが、十分切れるのに「切れ味落ちた」とは
「切れるか切れないか」ではなく、「切れ味」に関しての感性
なので、そういう要望は大歓迎だ。


左から→関孫六と銘のある包丁(笑)。大学1年1979年に購入。
→土佐豊和の出刃(1993年、新婚旅行の高知で購入)。
→西堪の全鋼の文化包丁(1984年彼女=現妻へのプレゼント)。
これはヒルトも一体構造でいわゆるインテグラルという工法だ。
手が込んだ工法だが、打ち刃物だからできる。削りだしのストック・
アンド・リムーバル工法だと、ラブレス言うところの「資源の無駄使い」
ということになる。
→一番右は
兵庫三木の小出刃(1999年三木市で出張帰りに購入)。
切れ味は土佐出刃に大きく劣る。これなりの刃付けがあるのかも
知れないがうまくセッティングが出せない。他の3丁はとてもよく切れる。

他にもペティナイフやいろいろクッキングナイフがあるのだが、
普段使う物を研いだ。
一番使うのは右から二番目の西堪の包丁で、これは使い勝手が
かなり良い。柄が朽ちたので、私が数年前に黒檀を削りだして再生。
目釘にはニッケルのシュナイダーボルトを使用した。
研いでいると、鋼はひとつひとつ砥あたりが異なるので面白い。

それにしても、出刃包丁というのは一般的な包丁に比べると
まるで鎧通しのようにぶ厚い。

上:出刃8mm
下:一般包丁2mm

しかし、ノギスで測ってみると、少し厚めの日本刀と同じ厚み程度。
日本刀は、棟重ねで6.3mm程度を基準としてそれ以下だと概ね
「重ね薄い」とされ、それ以上だと「重ね厚い」といわれる。
戦国時代の鎧通しという短刀は厚みが1cmもあるものも多い。
(鎧通しとは、鎧武者の組打ちの際に、抜いて刺突するための殺傷用
武器。刀は護身用という側面も存在したが、鎧通しと槍のみは戦国期
に殺人目的のためだけに性能が特化されて作られた純然たる武器だ)
鎧通しだけでなく戦国時代の戦場刀は厚みが1cm程のものも少なく
なく、如何に実戦の中で刀剣に耐久性が求められたかがわかる。
現在、戦国時代の刀で厚み6mm~7mmの物は度重なる使用で
研ぎ減ったことが考えられ、大抵は柄を抜いてナカゴを見ると
とんでもない厚みだったりすることが往々にしてある。
だからこそ、古い刀の健全さは美術品の希少価値としてのみならず、
武器=実用の極の健常態として現代美術界でも歓迎されるのだ。
いくら出来がすばらしい正真正宗であったとしても、厚みが2ミリのペラペラ
だったら、まず国宝や重要文化財になることはない。
ちなみに、古刀の同じ作者の同じ出来栄えの作品が2口あるとして、
かたや研ぎ減った物が70万円だとしたら、健全な作が700万円になる
こともざらにある。
さらに研ぎ減り(刀剣用語では「疲れ」という)が激しい物になると、
1口10万円くらいまで値下がりすることもある。
日本刀の価格に大きな差が出るのは「出来」と「健全さ」の如何による
ものだ。それに加えて、刀工の位列というものが加味される。
同じ刀1本でも、作者により値段が大きく変わるのが日本刀の世界だ。
そして、ダメ押しで「人気」が加わる。
源清麿などは研ぎ師の藤代先生が光をあてるまでは現在ほど人気は
なかったし、肥後同田貫などは、劇画やドラマで脚光を浴びるまでは、
豊後刀や三原と同じく脇物の実用一点張りの田舎刀でしかなかった。
しかし、人気が出て以降、同田貫の価格は一気に8~10倍近くにまで
跳ね上がっている。出来も性能も豊後高田の刀とさして差はないのにだ。
逆に三原刀などは実用刀の宿命か、研ぎ減ったものが異様に多く、
健全な三原刀は極めて少ない。ナカゴの太さと刀身の厚みの差の
激しさを見るに、いかに実戦で使われ続けた物が多かったかを思い
知らされる。柳生石舟斎や柳生但馬は、好んで三原刀を帯びた。
(三原が備前に並ぶ刀剣王国であったことを知る三原市民は少なく、
個人的にはかなり愕然とする。備前は古備前時代に名刀を作り、
後鳥羽上皇の御番鍛冶に複数名を連ねた功績が大きい。長船だけ
でも鍛冶千軒といわれ、頗る反映した。三原の鍛冶集団はせいぜい
数十家だ)

ついでだから、実用ナイフも2本だけ研いだ。



Hattori製 #3718
鋼材:V金10号 ハンドル:黒檀 刃:コンベックスグラインド
全長:203mm ブレード長:100mm 重量:110g 刃厚:4mm


このハットリナイフは私にとっては使い勝手がとても良い。
ラブレス系ではなく、日本刀と同じようなシルエットだからだろうか。
この元々のデザインは米国ブローニング社が日本人向けにデザイン
したチーターという製品のシルエットだ。それをハットリがリメイクした。
Hattori

Browningt 
ブローニング #4000 チーター
鋼材:440C ハンドル:縞黒檀 刃:フラットグラインド
全長:195mm ブレード長:95mm 重量:100g 刃厚:4.3mm
アウトドアでロープを切ったり鱒をさばいたり、かなり使い込んだ。


このハットリは玉鋼ではなく特殊鋼のV系ステンレスだが、私はATS34
よりも好きだ。
これ1本で屋外ではほとんど間に合う。厚みは4mmと、ナイフとしては
厚めかな。しかし、ものすごく切れる。
ブローニングは北辰一刀流の剣友からの頂き物だが、娘が小学生の
時に自分のナイフが欲しいというので、娘の所有となった。
しかし、遣い勝手が極めて良かったので、同じ形状をリメイドされた
ハットリのナイフを自分用に購入した。(ブローニングは廃版)
少しばかりハットリの方がブローニングに比べてシルエットが野暮ったい。
ハットリの刃付けは一般的なナイフのような小刃は付けずに、日本刀の
ような蛤刃の刃付けにしている。
映画『ランボー』や『ターミネーター』で使われたナイフのリリース版は実は
ハットリ製(OEM)。一流ブランドのOEMを多く手掛けたのがハットリだ。
トップメーカーのOEMを担うということは、それだけの実力があるということ。
そして、製造数も多いため、仕事も確実にこなれた職人技を培える。
この#3718は服部唯知郎社長自ら厳選の鋼材で、熱処理はソルトバス
ではなく、日本刀のように手焼き入れを行なっている。
私はこのナイフの刃の粘りにはかなりの信頼を置いている。
アウトドアでは、これで缶詰の蓋を切り開けたり、アルミ缶を切り抜いて
灰皿を作ったりする。アウトドアナイフというものは、そういう使い方を
するものだ。飾って眺めるためのものではない。
乱暴に粗雑に扱うことと実用に徹して使い込むことは別次元のことだ。
実用刃物はどんどん使うに限る。そして、使った後は、十分にメンテナンス
すればよい。

刃物の扱いの基本。
それは、使う前に手入れするのではなく、いつでも使えるように、
「使った後に手入れする」ことだ。
常に刃を研ぎ澄ましておくと、刃物はきっと期待に応えてくれる。

包丁は誰でも研げるので、お父さんたちも家庭にある包丁を研いで
みてはいかがでしょうか。奥様の料理の味もさらによくなりますよ。

(ただし、日本刀の研ぎだけは極めて繊細な特殊技術なので、
何年もきちんとした師匠の下で修行した者でないと絶対に研げ
ません。日本刀を素人が研ぐのはやめましょう)


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初代康宏 斬鉄剣

2011年08月18日 | 内的独白

誰も気づかないのか、売りに出ている初代康宏の若作の刀、まだ誰も買わないなぁ(笑)



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アウトドア料理 ~キャンプ場での結婚式の思い出~

2011年08月18日 | アウトドア

10年ちょい前、広島県の県北吉和にある飯山帆船倶楽部(いいのやま
ヨットクラブ)というキャンプ場によく行った。
大きなひょうたん型のポンド(小さな湖と言った方がよいくらい)に
ニジマスを放し、フライフィッシング専用の池としていた。
キャンプ場も池もすべてスタッフの手作りだった。
広い敷地内には丸太のロッジがいくつも建てられ、釣りと
キャンプ客でにぎわった。
私は4歳の娘を連れ、毎週末にはそこで過ごした。年間60日以上
そのキャンプ場と周辺の渓流で過ごした。
釣り仲間たちと私が鍛造した刃物の焼き入れ会をやって楽しんだのも
そのキャンプ場だった。
私の娘は、見知らぬお客さんが記念撮影する時には必ずフレームの中に
入ってピースをして写り、「座敷わらし」とスタッフに呼ばれたりしていた。
広大な池には沢の清涼な自然水を引きこみ、その沢には、山葵(わさび)が
自生していて、そこで採れた新鮮な山葵がとても美味だった。





ある時、釣り仲間がそのキャンプ場で結婚式をした。
仲間内だけでやる小さな手作りの結婚式ということだったが、結構な
人が集まった。5~60人くらい集まったのではなかったろうか。
私も娘と参加し、娘は野で摘んだ花束を渡した。

その結婚式は、とてもよい雰囲気で思い出深いのであるが、
そのメインの料理がかなりワイルドだった。
スタッフがプロを手配して用意していたものだが、イメージはこんな感じ。


豚の丸焼きというのは、山の別なフライポンドのパーティーで何度か経験
していたが、牛の丸焼きというのは初めてだった。
こんがり程良く焼き上がった頃、各人が自分で好きにスライスして食べて
くださいなという趣向なのだが・・・。
集まった人たちは、アウトドア好きは各々自前のナイフを腰にしていた。
だが、小さいナイフではこの牛には役に立たなかった。
肉が硬いとかではなく、牛の大きさが圧倒的で、大きく肉片を切り取ったり
薄く一刀でスライスするには大型の刃物が必要だった。

そこで、私が腰にしていた大きい方のナイフが大いに役立った。


佐治武士さんが鍛えた剣ナタ、刃渡り8寸(24cm)。その2~3年前、姫路の
山下刃物の若にすすめられてその場で購入した一品だった。
安かったのよ。1万ちょい。他の作者の剣ナタが4万くらいするのを思えば、
青紙鋼使ってこの安さはかなりお買い得だった。
奇麗に除菌して、牛の横の丸木の切り株にこれを刺しておいて、現場でナイフを
持っていない人やナイフを持っている人にもこれを貸した。
これは実に大活躍した。
上手く焼けた牛はこの上なくおいしい。嘘みたいに美味い。アメリカ人が
ワイルドな料理での牛肉を好む筈だ。店のステーキよりも断然にウマイ。
日本で丸焼きは滅多にお目にかからないが、考えてみたら、小ぶりな物は
ホテルの立食パーティーなどでよく目にする。でも言っちゃ悪いが、京王プラザ
の丸焼きよりもこちらのキャンプ場での丸焼きの方が味は数段上だった。
こんがり焼かれた牛からがっつりと自分で肉片を切り取って小皿に取り、
スライスして食べる。たまらない。


牛の周りに人だかりができた。
刃物が足りない。
基本的に、誰か切る専用の人がいるのでなく、「各人で」というのが趣旨
なので、自分の前の人が切り終わったら後ろの人が自分で牛の肉を切って
自分で皿に盛るというようにしている。
だから、1本の剣ナタだけでは足りなかった。
同じような大きさの洋式大型ボウイナイフを持っているスタッフが
大きな丸太ログハウスの管理棟から持ってきた。

ここで和式刃物の素晴らしさを実感した。
以前『ナイフ・マガジン』誌の記事にあった、エルクなどの大型ハンティング・
ゲームの解体で、現地テストで日本の剣ナタを持ち込んだ日本人が
アメリカ人のベテランハンターに
「ヘイ!このナイフは一体どういうマジックなんだ?信じられない程
切れやがるぜ」
と言われたのも、実際に使ってみればアメリカ人の驚きもよくわかる。
スタッフの洋式ボウイも十分に刃付けがなされているのだが、鋼の
佐治ナイフにはかなわない。

一般的料理では、ステーキを切るには本来このような大型のステーキ
包丁を使う。

面白い現象として、多くの人が佐治剣ナタの前に並ぶ。
多くの人は何度か両方の刃物で牛の肉を切ることを試して、どういう訳か
切れ味の鋭い刃物の方に並んだ。
この時の佐治剣ナタの切れ味たるや、恐ろしいほどだった。
まさか剣ナタがクッキングナイフに使えるとは思わなかったが、
私は事前にこんなこともあろうかと、キンキンに研き上げていた。
一般的な肉切り用刃付けではなく、日本刀のようなキーン刃(微細な
ギザをつけない)にしていた。
長大な佐治剣ナタはカミソリで削ぐように牛の肉を切り取っていった。

この時、和式刃物の素晴らしさに改めて気づいたフライ仲間たちと
後日鍛造刃物の焼き入れ会を催した。
私が事前にスウェーデン鋼で鍛造成形した打ち刃物数点を6人で
月のない深夜に、このキャンプ場で焼き入れをした。
男女二組のカップルと私とキャンプ場管理人(私のフライの師匠-実は
偶然にも東京での私のバイク仲間&元上司と幼馴染)の6人が集まった
のは昼過ぎだった。ワイルド7のシノベエのような娘は家に置いてきた。
事前に手引書の小冊子を配り、日中各人が土置きをして、1晩焚き続けた
炉が乾燥した翌晩に各人が焼き入れを行なった。火加減と温度の
タイミングは私が声を出して指示した。
この時、焼き入れの舟に刀身を横に入れた女の子が、焼き入れ変態の
ために刀身を真横に「ヘ」の字形に曲げてしまったのはご愛嬌。
すぐに焼きなまして打ち直し、残留エフェクトを除去した後、翌日その
個体のみ私が再度焼き入れして成功した。
「研ぎは各人で」ということで、みなさんホクホク顔で持って帰った。
仲間内だし、私はプロではないので、手間賃も材料代も取らない。
しいて言えば、その晩のワリカン会計の晩飯晩さん会酒盛り費用の
会費をみんなが私の分を持ってくれた(そっちの方が高くついたりして・・・)



気の置けない仲間とそんな楽しいひと時を過ごせたのも、佐治さんが作った
素晴らしい切れ味の刃物に触れた人が多くいたのがきっかけだった。
この広島山間部での焼き入れ会の時は、娘もついて行くと言ってきかな
かったが、焼き入れと宴会でのフライフィッシング談義に集中したいので、
説得して娘は珍しく家に置いてきたのだった。家に帰った時には喜んで
飛びついて来た。



青紙で造られた佐治剣ナタは、このキャンプ場での結婚式の時だけでなく、
多くの場面で活躍した。強靭性も高く、刃こぼれもなかった。
そんな遣い勝手抜群の佐治剣ナタだったが、その翌年に東京の会社の先輩が
三原に仕事で来た時、この佐治剣ナタに目を付け、「ちょうだい。いいじゃん。
ちょうだいよ」と持って行ってしまった(笑)。
先輩は佐治ナタを大切にバンバン使ってくれているらしい。よかった(^^)
最近佐治さんは、このタイプの剣ナタには白紙鋼を使っているらしい。

キャンプ場での結婚式の時、今さらながらに、刃物の便利さを痛感した。
しかし、万能型刃物というものは少なく、特にナイフは「何に使うか」で
形状や刃厚が特化されているので、キャンプ場などでナイフを使うシチュエーション
では大小複数本携帯するのが便利だし、ベテランキャンパーの定番のようだ。
私は大きめのシースナイフと小型の折りたたみフォールディングナイフを併用している。
また、トレッキングなどの軽装での山歩きには、3インチ程度のシースやフォール
ディングナイフが使い勝手が良い。軽走破にはそれ1本で十分だ。


それにしても、キャンプ場でのあの泊まりがけ結婚式は、とても良い結婚式でした。
新婚さんの雰囲気も最高だしね。なんでも、その後は北海道からニュージーランド
まで、かわいらしい奥さんとイケメンの若旦那夫婦でフライフィッシング三昧らしい。
いいね~、仲が良いのは。
当時の広島吉和で知り合ったフライ仲間とはホンマに仲良くしてもらったけど、
みんないい奴らだったなぁ。今頃どうしているのかなぁ。





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如水館

2011年08月17日 | スポーツ・武道など

あら、負けちゃった。
これまで、逆転で競り勝ちが多かったが、横浜戦の智辨
みたいな9回2アウトからの大逆転はならなかった。

関西高校の投手のスライダーも冴えていた。
でも、みんなよく頑張った。


追伸。
さるさる日記からこちらのgooブログに移行して早3か月(正式移行は
7月1日から)。
この2カ月でトータル閲覧数が35873回。
訪問者がのべ9519人。
1日平均にすると、個人的な与太日記としては、結構な数の方が見て
くださってます。
今後もよろしくお願いします。


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熱い甲子園

2011年08月16日 | スポーツ・武道など



プロ野球の職人技も好きだが、高校野球の熱い闘いも好きだ。
本気で全力を出し合ってぶつかる若い力に清清しさを感じる。

地元三原の如水館高校が秋田の能代商業にせり勝ち、初めての
ベスト8進出を決めた。
相続人確定のため、市役所に戸籍・除籍を取りに行っている時、
市役所の待合コーナーで試合を見た。
如水館高校は、3試合連続の延長戦を制した。
かつて、2試合連続雨のノーゲームで、再試合の3試合目に
これまでの流れが断ち切られたように惜敗して涙を飲んだ経験も
あった。

高校野球は、勝ったチームにも負けたチームの選手や監督やマネー
ジャーや応援団にも私はエールを送りたい。
負けてざまあ見ろとか、勝ったからマウンドに校旗のミニチュアを
立てたりする行為や心根は、高校野球には絶対にあり得ない。
試合開始前の礼と試合開始後の礼にも清らかさを感じるし、
試合中のクリーンなプレーにもスポーツマンシップの凛として静謐な
透徹性を強く感じる。高校野球は日本独自の日本人の慣性にマッチ
したスポーツの祭典だと思う。

日常のスポーツにおいても、スポーツ性を否定するとスポーツマンシップ
をも連鎖的に無意識に拒否するから、その行為振る舞いも日常的に
陰日向のあることに走りがちだ。
スポーツを通じて若者は「大切な何か」を学んでいく。
「大切な何か」と無縁なところで生きてくると、うそ臭い友情ごっこが
大好きとなり、その嘘を塗り固めることが「本物」だと勘違いするように
なったりする。
日々心をひとつにして練習に励む「本物」の高校球児たちは、そんな
どす黒い世界とは無縁だろう。

さあ、明日は広島県代表の如水館高校は岡山県の関西高校と
準々決勝だ。

 

 


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