渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

健康のためやり過ぎに注意しましょう

2004年06月30日 | 内的独白

休み明け、友人と10時間ぶっ通しで球を撞いた。
ただ長く撞けばいいというものではありません、というものだ。
もう若くはないし、徹夜で球撞きしても、得るものは疲労だけのような
気がする。
それでも、球を撞く。
過去に連続撞きの最長は、確か28時間だった。
寝ないで撞いた。
今から16年ほど前だ。
私と一緒に球を撞いた相手もよくつきあったものだ。
連休があっという間に過ぎていった。
人生のうち、そんなことが何度かあってもいいだろう。

古流剣術・居合をやり始めたとき、最初についた師匠に
「一日五百本の業を抜きなさい」
と言われた。
いいつけを守って一心不乱に毎日抜いた。
雨の日も風の日も抜いた。
真剣での鞘ばなれと納刀の刀さばきが身についた頃、木刀で「抜きながら打
つ」業を稽古し始めた。
連日の打ち込み稽古で立ち木のひとつは枯れてしまった。

目付けから始まり業が終わって残心を解くまで、一本の業に大体30秒から
1分かかるとして、五百本では数時間になる。
数ヶ月後にはかなり運刀が自在に遣えるようになっていた。
私がいいつけ通り日に五百本の業を抜いていると言うと、最初の師匠は
「そんなのは嘘だ。日に五百本も抜ける訳がない」
と道場で一蹴した。
あんまりでござりまする。。。
ただし、稽古は継続、継続は力なり、である。
最初の師匠が信じまいと、事実はもくもくと黙って稽古を続けていた。
気がつくとそこそこ遣え、腕に覚えありとなっていた。
剣術において避けて通れない理合の理解というものも、実際の業の中で
実践的に手に取るように理解できた。
大会演武での居合も太刀打ちも試斬も、数段位上の業前を展開できた。
技が切れる。
刀も良かったのだが、据物(すえもの)もサクサクと大根のように切れる。
「体現できる自分」が痛快だった。
練習によって身についた力が自分で確認できるのが嬉しかった。
稽古をすればするだけの成果が自分でよくわかるのが嬉しかった。
ただ、これは例え教士になろうとも、範士になろうとも永遠に続く終わり
なき修行の道程と輪廻であることにそのうち気づくのだが。。。

継続して、反復訓練をつめば、地の力はついてくる。
そして、地の力がついたならば、研究で工夫を凝らし、研鑽で確かめながら
磨き上げれば、才は光ってくる。

ただ、健康のため、何事もそこそこに。。


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結婚について

2004年06月29日 | 内的独白

国際結婚というものは、生まれ育った文化の違いからか、さまざまな
困難が伴うようだ。
ことばで認識する思考の問題から始まって・・・食事の仕方、生活習慣、
国家体制の中で醸造された思想的意識。。。

悩むことはない。
二人の気持ちが確かなら、何事もひとつひとつ解決していけばいい。
とにかく明日に向かってひとつずつ前を向いてガムバッテ、としか、
俺には言えない。
君も頑張りなさい。俺も頑張る。
そして、ダメだったら、それでもくじけずに海に沈む夕日に向かって
バカヤローと叫べ。
(なんぢゃ、そりゃ?)


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術後検査結果

2004年06月28日 | 内的独白

予後良好。
まだ足は二本残っている。つーことで、しばらくは。しかし、たこ。


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楽しい食事

2004年06月27日 | 内的独白

高校2年のときのクラスメートに陶芸作家がいる。
高校のときから、地味だが骨っぽいところのある奴だった。
早大をある日突然中退して、陶芸の世界に入っていった。
そして東北にて築窯したと風の便りにきいていた。
あるとき、彼から茶碗が届いた。
「茶碗は作りなれていないので・・・ポリポリ」とのメッセージが添えられて。
私が結婚したお祝いにと、ご飯用の磁器の夫婦茶碗が届いたのだった。
嬉しかった。
以来、それをずっと大切に使っていた。

しかし、その茶碗はありがたく一礼の後、戸棚に納めることにした。
きょうから、昨日鎌倉で手に入れた鬼の図柄の九谷のお椀が食卓に並ぶ。
この作家の青の表現がとても好きだ。
図柄は、赤い雲に踊る青い鬼。
高台部分を握って指先ではじくと、トライアングルの様な透んだ音が長く
響く。
技量が冷徹に出てしまう冷たい石物(磁器)で、ぬくもりを共存させる作品。
今回の個展のテーマであるそうだ。
購ったお椀の内側には青い三つ葉の図がさらりとある。
作家曰く
「四つ葉にしようとも考えたが、あえて三つ葉にした」
とのことだ。
すばらしい。
でしゃばり過ぎず、それでいて、凛とした主張がそこはかとなく漂うひと筋
の三つ葉。
ご飯を盛った場合は、最後の最後にならないと、その葉は見えて来ない。
しかも、その葉は「特別な」四つ葉でなく、ごくありきたりの三つ葉。
それが最後に顔を見せる。
大変、気に入った。
個展での作品をひとつひとつ手にしたときに、ある種の衝動が走った。
本当のことを漏らすと、資金的に可能であるならば、個展出展のすべての
作品を買い占めてしまいたいと思ったのだ。
だが、現実は厳しい。。。

あれ?
実際に飯をついでもらうと、このお椀、大きい(笑)
一膳が普通の1.5倍くらいありそうだ。
それでなくても、作者の日展作家殿に
「よく食べる人だね」
なんて言われていたらしいのに(^_^;;
それでも、おかわりはいただく(笑)
作法通り、ひと口だけお椀に残してからおかわりを差し出す。
最後にならないと三つ葉は見えない。
このお椀は、動と静と時間の流れが収まった魔法の器に感じる。
ご飯が美味しい。
でも。
未知なる未来が入ったお椀。
ああ、大きい(笑)

菊池生
http://www.warabi.or.jp/kougeikan/kikaku/20020918.html

谷口幸夫
http://www.hoku2.net/inoichiban/profile/index.html


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タイフウ

2004年06月26日 | 内的独白

幸いふたつの台風に行程は影響されず。
鎌倉に行く。
10年ぶり。
10年前は八幡さまの武道館に。
きょうは陶芸作家の個展。
お昼には作家と二人で蕎麦をつついた。
なかなか美味しゅうございました。
作家が語る面白話。
お腹よじれすぎて腹筋が痛い。
個展で、ご飯用のお椀を求めました。
鬼の絵柄。
鬼の青、高台の中の落款のような銘の部分の青が映える。
この人の作品は、この青がたまらなく好きだ。
会場では、テルミンを弾く人が
「これ、弾いていい?」
と『雪代(ゆきしろ)』を演奏。
私のオリジナル曲だ(笑)
ネットにアップもしていないし、贈ったオリジナルCDにも
その曲は収録されてはいない。
口ずさんだだけなのに、よく覚えていたね。

続きはあとで。
今、千葉県。


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違和感

2004年06月21日 | 内的独白

予てより左扁桃腺上部に違和感有之候。
意を決し、倉敷の川崎医科大学病院の咽喉科に赴く。
二人のドクターが診た。
インフォームド・コンセントの後、「同意書」にサインをした。
噴射麻酔と注射麻酔の後、細胞を採取した。
血がなかなかとまらない。
数十分後にようやく出血が治まった。
一次検査の結果は来週。
「仮によくないほうでも、この段階なら直るでしょう」とはドクターの弁。
「それに、こんなに早い段階で病院に来る人は少ないですよ(笑)
 大抵、進行したり転移したりしてから来るんですよね〜(^_^)」
とも。
でも、
「検査結果はご家族に知らせるのとご本人とどちらにしますか」
って何さ?(笑)
以前、この病院に家人がお世話になったときも気づいていたが、医学書とか
では「良性」「悪性」と明記されているものも、この病院では患者に対して
はそのことばのいずれも極力使わないようにしているようだ。
小高い丘があって、その周囲にはこの大学の関連施設の建物が沢山ある。
まるで、この丘周辺が学園都市のような感じ。
緊急用のヘリコプターまで待機している総合病院だ。
また、このヘリが高速型?で格好良い。
乗れないかって?
緊急の患者以外は乗れないだろう。
一度、いつだかの夏、俺の住む町での花火大会会場に訓練で降り立ったのを
いつまでも眺めていたことを思い出した。
俺も呑気なものだ。

親愛なる松田優作の物語を綴った漫画を買った。


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誕生日

2004年06月19日 | 内的独白

今19:40。
あと数時間でS&W.44マギーの歳になる。

愛の讃歌を口ずさんでいたら、歌詞が浮かんだ。
下の詞の一行空け部分までは、愛の讃歌のメロディで曲の1番をうたえる。

今、ハンドルを握りながら、サビの部分をうたっている。
きょうから明日は嵐が来るらしい。
まだ、雨は降らない。
愛用のアルマー・フォールディング・ナイフは助手席に
転がっている。
街を抜けるハイウェイのトンネルは、まるで明るい闇だ。
風の音だけが後方に消えていく。

PROMISE

I want to hold you strongly and tightly.
I do not make you be alone.
Even when you are selfish, you're OK.
I'll accept you, all of you.
I want you just the way you are.
Even if the sun will disappear.
Even if marine water is evaporated.
Every day, Every night.
I don't make you be alone.

I don't make you be alone.
I will promise you.


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台風接近

2004年06月19日 | 内的独白

嵐が近づいてきているらしい。
ただし、ただの嵐だ。

明日は熊本まで日帰り出張。
列車大丈夫かしら。


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変な夢見て目が覚めた その4

2004年06月13日 | 内的独白

変な夢見て目が覚めた。

僕はどこかのお店の厨房で、一所懸命大根のつまを作っている。
板長「おお。なかなかいいぞ。次は何をやってもらおうかな」
僕「何をしましょう」
どこかの小さな料亭か割烹のようだ。
厨房の外を見ると、お盆で料理を運ぼうとしている女性がいた。
和服に割烹着を着ていて、せわしなく動いている。
僕と目が合って、女性がニコリと笑う。
どうやら、僕らは夫婦で、どこかの店で働いているらしい。

ここで目が覚めた。

夜中から何度も目が覚めて、気づいたら朝だった。

それにしても、随分と妙な夢ばかり見たものだ。
しかも、どの話も完結していないし、連続しないし、変なの(笑)
(睡眠中見る夢とは、そんなものだろうが)。

も少し、朝寝するとしよう。。。


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) 変な夢見て目が覚めた その3

2004年06月13日 | 内的独白

変な夢見て目が覚めた。

僕は何故か引越しの準備をしている。
自宅マンションを出て、どこかのアパートに住むためだ。
引越しの手伝いをしている女性がいる。

部屋が片付いた。
そして、最後に電話とインターネットの回線を外そうとした。
そのとき、引越屋さんが家具を運んできた。
引越屋「申し訳ありませ〜ん。だいぶ時間がかかってしまいました」
僕「え?運んでもらうのはここじゃなくてあっちですよ」
引越屋「ええ〜?」

ああ。ネットの回線はずさなきゃ。
僕は引越屋に聞いた。
僕「そういえば、引越先で電話とネットはすぐつなげないですよね」
引越屋「そうですね。明日のお昼まではつなげませんね」
僕「あれ?ここは最初からマンションに回線がついていたけど、
新しいところは工事しないといけないなぁ。。。今晩使いたいのに」
引越屋「どうしてもネットを見る必要があるなら、駅前のネットカフェに
行けばどうですか」
僕「そうですね」

と、うしろを振り返ると女性がいる。
女性「なんだったら、きょう、私の家に泊まれば?」
僕「でも君はどこに泊まるんだい?」

ここで目が覚めた。


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変な夢見て目が覚めた その2

2004年06月13日 | 内的独白

変な夢見て目がさめた。

僕と君は誰かターゲットを追いかけている。
僕らはどうやら男女で組んでいる刑事か政府組織のエージェントのようだ。
ある古いビルの最上階からエレベーターで階下に下りようとして乗り込ん
だ。
そのとき、突然、エレベーターが止まった。
どうやら、電源を切られたらしい。
無理やりドアをこじ開けて、二人で出た。
階段を使って降りようとした。
刹那、君は転びかけた。
僕は腕を支えるが、君のトートバックから中身が床に落ちる。
口紅やハンカチや身分証明書(警察手帳ニューバージョン)や・・・・
拳銃。
拳銃は黒く光る小型拳銃ベレッタ84Fだった。
そして小さなスティック形のライターと喫茶店のマッチがあった。
僕がそれをあわてて拾い集めていると、君は拳銃と手帳だけつかんで
「先に行くわよ」と叫んで、階段を駆け下りていった。
どうやら、内偵先の大物政治家の別荘(なぜか島)に向かったようだ。

しばらく君と連絡がとれなくなったが、やっと連絡がとれた。
僕「どうした」
君「寝たわ」
僕「寝た?どういうことだ」
君「眠いのよ。ただそれだけ。眠っただけよ」
僕「今どこだ」
君「何言っているの?今、あなたが電話しているのは私の家よ」
僕「え?」

ここで目が覚めた。


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変な夢見て目が覚めた その1

2004年06月13日 | 内的独白

変な夢見て目が覚めた。

港に停泊中の大きな船に僕は女性と乗っている。
エメラルドグリーンの青い海だった。
船からは双翼のプロペラ機が離発着できる。
風が強かった。
停泊中の船舶の横には小型の船があり、これが沈没しかけていた。
海面に油が浮いていた。
黒い油が海に広がっていく。
「そこにいると危ないから、こちらに入りなさい」
そばにいる若い細身の女性二人(知っている人)に僕は言った。
甲板の手すりのない部分に女性たちは面白がって立っているのだった。
女性のそばには僕の後輩らしき男性がいる。
なぜか女性二人はトレンチコートを着ていた。
彼女たちは笑って僕の言うことをきかない。
そうこうしているうちに、女性のひとりが誤って海に落ちた。
僕はあっ、と思って、
「なぜお前がついていながら注意しないんだ」
と後輩を叱って、海に飛び込もうとする。
すると、僕よりも早く、女性を助けるために乗組員が飛びこんだ。
船からは救命用の浮き輪が投げられる。
女性のひとりはその救出劇の光景を見ていて「あら〜」とか言っている。
そして、風が強くて危険なのに、彼女は双翼機に乗り込もうとする。
風具合を見るために、ラジコン飛行機を飛ばす人がいたが、すぐに墜落
した。
僕は苛立ちながらも、
「風が強くて危険だからよしなさい」
と言うが、女性は
「あら。大丈夫よ。なに心配してるのよ〜。子どもみたいな人ね〜」
と言って、一向に僕の言うことをきこうとしない。

ここで目が覚めた。


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レイ・チャールズ逝く

2004年06月12日 | 内的独白

病気だったそうだ。
深く、深く哀悼の意を表して瞑目する。

ところで。
彼・・・・奥さん過去に4人もいたのね(^_^;)


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石高と武士の収入について

2004年06月10日 | 文学・歴史・文化

武士の身分を表すものとして「石高」というものがある。
収入がオープンに晒されるのは現代と大違いで、これは「武士の面目と働き加減=
禄の公示」として「奉公具合」を計る判断軸の象徴として存在したからかも知れ
ない。立身出世は禄高と密接だからだ。

武士には大別すると「知行取り」と「扶持米取り」があり、前者は領地を有し、
後者は現物支給である。
知行取りは拝領地の年貢の上りの何%かを収入とする。
「四公六民」等がそれであり、武士の財政が逼迫すると年貢の取立ても厳しくし、
時には「六公四民」にしたりもした。
米の計り方にもかなり振幅があり、それによって武士の収入、農民の収入も変わ
るのであるが、これはここでは省略する。

さて、公の割合(これを「免」という)が4ならば、四ツ成といって、100石取り
の武士の実収入は40石に相当する。
更に細分化すると、知行取りには「蔵米取り」というものがあり、これは藩や
幕府から土地を割譲されたわけでなく、直接米を貰うものだ。

以上までがいわゆる「歴記」とした武士、上士とされる。
以下、下士の給与形態は「切米」「扶持米」「切銭」に分けられる。

「切米」は春(2月)、夏(5月)、冬(10月)の三季に分割して支給される扶持
米、あるいはそれ相当の金銭を指す。これは実数がそのまま収入となる。
なお、切り米については「石高」とは呼ばない。

「扶持米」は、1人1日米5合(0.5升)の割合で支給されるものをいう。
つまり、一人扶持でその年を360日とすると、
(0.5升×360日)×1人扶持=180升 となる。
  (注:100升は1石で、180升は1石8斗にあたる)
ただし、旧暦は1年365日ではないので年により支給額は異なる。

さて、これらは米本位制の時代のことであるので、現代の貨幣価値に換算するの
は難しい。
比較判断軸を米価にするか、職人の日当にするか、蕎麦の値段にするか等で大幅
に変わってくるからだ。また、時代によって相当のずれが生じる。
まず押さえておく前提として、当時の通貨単位の進法であるが、大雑把にいえば
こうなる。

1両=4分=16朱=4000文(1文が最小単位)
  →1分=4朱=1000文(1貫文)=100疋
  →1朱=250文
  →10文=1疋
(銀は匁(もんめ)という重量計算で複雑なので省略)

これとて、変動相場で両替するのでややこしく、時代により文だけが高騰したり
もした。

ここで、前述した通貨単位計算で当時の物価を見てみよう。
享保あたりで、おおよそ蕎麦が16文。
概算で1文が現在30円相当であるので、蕎麦は約480円。1両が約12万円となる。
これが幕末になると1両あたり3万円位になる。

さて、武士の収入についてその内訳をみていくと・・・・。

200石取りを例にすると、免四ツ成で実収入は80石となる。
1石は約140キロだから80石は11,200キロ。
10キロの米が2004年現在で3,500円として、11,200キロは392万円となる。
これが年収。
これに軍役に要する侍の人件費等が控除されるのであるから、200石の上士でもか
なり生活はきついことになる。

では上級武士と下級武士にはいか程の差があるのか。
単純比較をしてみよう。
仮に知行3000石(幕府奉行級)と50石取りの差。

上記計算では、免四ツ成として、3000石取りは年収約5880万円。
50石取りは年収98万円となる。
下士は内職をしなくては到底生きてゆけない。
平侍や徒・足軽などで、藩からの給与が5石などというのは、大工の半月分の手間
賃相当が年収となる。
藩からの禄だけでは、まず暮らせない。
よく、生活苦で娘が遊女に売られたのは百姓だけではないというが、実際に下級武
士の収入を数字で見ると、冷たい現実が見える。
どんなに貧しくとも、両刀を腰にして奉公する以上は武士である。
だが、武士とて人、霞を食っては生きていけない。
人としての矜持を保とうとしても、生きていけなければその矜持も保てないばかり
か、武士としての本分さえ全うできない。

日本の人口の1/10を占める支配階級としての武士の多くは、こうした現状であっ
た。
しかも、「武士の本分」を成就させるには、文武にしろ実際に即物的な「力量」が
なくてはならず、これは従来の「血筋」や「家系」のみではその目的は完結しない。
更に、市場を支える生産階層に下級武士階級は構造上組み込まれてしまっていた。
絶対矛盾を抱えたまま徳川幕藩体制はかろうじて命脈を保っていたといえる。
幕末天保年間以降、国内のその矛盾は頂点に達していたと思われる。

思うに、やはり、武家幕藩体制は、商業資本の市場支配と地球規模での外的覇権主
義勢力によるアジア権益確保の目論見という世界情勢とは別な要因で、薩長の武力
による徳川体制打倒を待たずとも、支配体制の主体の危機として、崩れるべくして
崩れざるを得なかっただろう。


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映画 『壬生義士伝』

2004年06月06日 | 内的独白

観てる途中から涙ボロボロ。
原作の浅田次郎は、今まで苦手だった。
読んでいて、どうしても途中で放り投げたくなるような作家だった。
だから、この映画も封切りのときに小屋で観なかった。

しかし。映画、よかった。
実在の人物たちが登場人物である。
物語は明治末期に元新選組隊士の藤田五郎(旧名:斉藤一)が雪の晩に孫を
背負って町医者を訪れるシーンから始まる。
これは杉村義衛(旧名:永倉新八)の晩年の史実を思い起こさせるキャラク
タとして元新選組隊士斉藤一を登場させている。
病室に置かれた一枚の古写真。
南部藩下級武士で藩を脱藩。上洛し新選組に入隊した吉村貫一郎だ。
吉村は隊士に「守銭奴」と陰口をたたかれながらも、必死に給金を国元に送
金する。
だが、それは子どもが増えて四俵二人扶持では冬を越せない家族への仕送り
のためだった。
妻しづは百姓の娘だった。祭りで出逢って惹かれあう仲となった。
貫一郎の幼馴染で親友である大野もその娘に惚れた。
大野は四百石の大身の跡取りとなってしまったため、その娘を嫁にとること
は両親から許されない。妾としてなら家に入れることを許される。
しづが大野家に入るその当日。御籠で送られる中、しづは逃げ出して貫一郎
のもとに息を切らせて駆け寄る。
その日から、貧しいながらも貫一郎としづの幸せな暮らしが始まった。
しかし、子どもが増えては四俵(四石)二人扶持では暮らしていけない。
しづは「これ以上、おめさんに苦労させるわけにはいかねぇのっす」と泣き
ながら口減らしのために川に入水しようとする。刀を投げ捨てて止めに入る
貫一郎。
幼子を背負った息子も「自分は飯食わなくても腹減らない。母上を叱らない
でけろ」と叫ぶ。
ともすれば、とってつけたような陳腐さになってしまうのだが、滝田監督の
手にかかると、これがお涙頂戴とは映らない。
この映画はその題名にそぐわない吉村貫一郎の家族への愛と最期を描いてい
る。

映画の配給の際に、作品の骨と別なイメージで予告編を作ることが多い。
これは配給会社の宣伝戦略やスポンサーの意向に左右されるもので、過去に
もよくあった。
この映画、「義士」というところを全面に出した予告編だったので、観る前
は、ありきたりの武勇モノのような印象を抱いていた。

ここ30年で、一番涙を流した映画だ。

http://www.shochiku.co.jp/mibugishi/


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