渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

不規則な時間帯の仕事

2004年05月29日 | 内的独白

昨夜は客先の都合で深夜まで出張先で仕事。
今朝は客先の都合で早暁から出張先で仕事。

昨日、病気が快方に向かい久方ぶりに仕事に復帰したという友人と会う。
仕事が終わってから茶のみ話しをしたが、やはりまだ本調子でないらしく
具合が悪そうだった。
早々に家に帰って寝るという。
私も、きょうの午前中の仕事を終えて、帰途、駐車場で車を停めたら、2〜3
秒で意識が遠退くようにうたた寝してしまった。
最近、眠るときはこういうことが多い。

昼過ぎ、電話が鳴って目が覚めた。
もとより客先の都合による休日出勤なので、午後はフリーだ。
久しぶりにビデオ屋さんで映画でも借りて来るとするか。
車のシートを起こし、高速道を走り出した。

今住む街まで戻り、ビデオ屋さんの駐車場に車を入れたとき、まだ観る映画
は決まっていなかった。
店に入る前、人と話をする。
観る映画は『たそがれ清兵衛』に決めた。
他には・・・

『バトルロワイヤル2-鎮魂歌-』
深作欣二監督が製作途中に逝去したため遺作となる作品。
前作では千葉真一のことは「闘士」という表現を使っているが、今回は「ゲリラ」
と直裁に表現しているらしい。
過去に国内を脱出してアラブゲリラとなった千葉がどのような位置づけで登
場するのかが興味深い。

『ターミネーター3』
もしかしたら合衆国大統領を目指すかも?のシュワちゃんは、これが最後の
出演作品になるかも?
スターローンが『デモリションマン』という主演作品の中で、未来に行ったとき
大統領がシュワちゃんとなっていることを知って愕然とし「ジーザス・・・」と
言うシーンがシャレとしてあるが、ゆめゆめ夢物語でもなくなりそうな気配
がある。

『クイック&デッド』
何度観ても飽きない。
この映画はガンエフェクトや考証が極めて正確。
ワンカットで、機関銃のように連続で数十発撃てる6連発拳銃が西部劇に出
てきたりしたら、やはり興ざめというものだろう。
それでいて、この作品は実現不可能なことを映像の嘘としてシャレで使う粋
さもある。
撃たれた人間の風穴は文字通り風が抜けて向こうの景色が見えたり、拳銃の
銃身が知恵の輪のように捻じ曲げられたり。
シャロン・ストーンが好き。少年ディカプリオもかわいい。

『ティアーズ・オブ・ザ・サン』
アメリカ得意の戦意高揚御用映画のタッチでないという前評判に期待。


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渓流の記念日

2004年05月28日 | 内的独白

昨日は僕にとって記念日だった。
記念日に
「吾 たそがれて じっと腹見る」
では、ほんなこつ情けんなかこつでござる(苦笑)

そして昨日に続き、本日も記念日だ。
ある曲の歌詞が完成した日なのだ。

花に囲まれてハーブティーを飲みながら、それは完成された。
その日は釣り竿を持って行ってはいない。
この日は、姿は見えないけれど確実にそこにいる彼女を、流れの傍らから
そっと眺めていようとしただけだったのだ。
眼下の川は、サツキマスが海から溯上する日本でも珍しい川の最上流域。
地図には記載されない隠れた支流がたくさんある。
氷河期の終わりと共に海とは行き来しなくなった陸風型のアマゴたちにとっ
てその支流が隠れ家であるように、僕にもあの渓流の界隈は大切な隠れ家で
あるのだ。


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鈍る

2004年05月27日 | 内的独白

鈍ると書いてナマルと読む。
これは多分、刀のことからきているのではないか。
ハガネ(鋼=刃鉄)という炭素鋼は、熱処理の過程で可逆的に純鉄に戻すこ
とが可能である。
この工程を冶金用語で「焼き鈍し」という。
炭素量の少ない純鉄は鋼でないので刃物にはならない。
ただの鉄である。
純鉄は柔らかい。
グニャグニャである。
まあ、大工さんの使う釘を想像してもらえばわかりやすい。
釘を打つ玄翁は鋼でできている。
ただ、鋼は生きた鉄であるので、経年変化でどんどん純鉄に戻っていってい
る。
焼き刃の刃文部分などは、冶金学理論上は数千年で焼刃が消失してしまうと
されている。
固定された状態のように見える金属である鋼は、人の目に見えないところで
どんどん内部の組成を変化させてるのだ。

また、体がナマルのも鈍ると書く。
こちらの場合、身体の筋肉が敏捷でしなやかさを備えていることではなく、
身体の動きも固くて鈍る(ニブル)ことをいうのだろう。
身体の場合、柔らかくなるというのは経年変化(笑)によって一部腹回りが
プヨプヨになるようなことか。

しかし、腹が出てくると、帯を締めて刀を差したときになんとも「据わり」
がよくなる。
刀は「閂(カンヌキ)差し」といって、地面と水平に差すのが正しい。
初太刀抜刀をしやすいように備えの形で刀を差すのが武士の折り目であり、
落とし差しはだらしなく無作法であるとされた。
刀を落とし差しにするのは、映画や小説で無頼の徒を気取る主人公もしくは
刀の差し方も知らない者だけの特権である。

腹が出てくると、この閂差しがピタリと決まるのである。
そして、古文書や古画や巻物の剣術伝書を見ると、剣術達者においても、日
本人の侍は一様にお腹が狸腹である。
これは、近代スポーツ医学の解釈とは別次元である「丹田術」により、腹ま
わりが太くなることがむしろ好ましいとされた古来の解釈に後押しされた体
型であるのだろう。
武士以外でも、物品金子のやりとりにおいて「太っ腹」などという表現が悪
い意味で使われていないことからも、胴巻きなどであっても、腹回りが太く
なるイメージは昔は忌避されたことではなかったのかも知れない。

だが、歳と共にポコンと出た柔らかい腹で硬い鋼の刀をたばさむ・・・・。
ナマルもニブルも鈍ると書く。
やれやれ、なんとも格好悪く皮肉なことであろう。


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俺はボケてはいないぜ

2004年05月26日 | 内的独白

でも太りすぎらしい。
(身長からみた平均体重ではそんなことはなく、人間ドックの診断書
 においても太りすぎという結果は記載されていない)
太っているというのは、俺の玉撞き仲間である某君くらいのをいうのだ
ろう。
彼は自称「全日本1/10トン倶楽部」の会員らしいから。

球撞きがもっとうまくなったら、きっと言ってやろう。
「一言だけ聞かせてくれ。俺は太りすぎかい?」
(参照:映画『ハスラー2』)

音楽における音のずれ、キューの撞点によるずれ、ギターの調律と音階、
感覚と数値・・・
等について、なんか書こうと思っていたが、なんだか忘れた。
ただし、俺は決してボケてはいない。
と思う。
けだし、単に疲れているだけ。


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健康管理

2004年05月25日 | 内的独白

健康管理と一言でいうが、人の多く集まるところでもらってきた病気は防ぎ
ようがないともいえる。
ほぼ1週間以上連絡がとれなかった友人にやっと連絡がついた。
風邪をこじらせたらしく、医者に行って診察を受け、抗生物質等投与した
とのことだが、なかなか回復しなかったらしい。
結局まるまる1週間、仕事を休んだそうだ。
私も先週月曜火曜と体調を崩した。
今の時期、気候も不安定だし、健康管理に留意すること、これ肝要なり。

季節の変わり目には必ずといっていいほど、私はどう気をつけていても
体調を崩す。
かかりつけの医者は「ああ。うちに来る時期は大体決まっているね」と
笑いながら言う。

惰眠は避けるべきだろうが、睡眠はやはりきちんととらないとよくない
ようだ。
なるべく、出張して夜になったら出張先で泊まるようにするか。。。
あとは・・・ビタミンC?
広島みかんだな。
そろそろ、広島みかんジュースの出荷の季節だ。
これが、また美味い。
案外知られていないが、広島県の瀬戸内沿いはみかんの産地なのです。
山間部はワサビが名産。
海には牡蠣。
それにタコと鯛。

まあ、友人においては、大事なくてよかった。


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思いがけない夜

2004年05月24日 | 内的独白

夕方、仕事で岡山県某郡某町に行った。
帰り道、いつもなら高速を使うのに、ふと一般道を通ろうと思った。
とっぷりと日は暮れている。
広島県に入ったとき、この道を通るたびに気になっていた店の灯が遠くに
見えた。
小さなステージのある喫茶店。
いつか入ってみようと思っていた。
僕は、思い出したようにウインカーを出して店の駐車場に車を滑り込ませ
た。
すると。。。
間もなく、ギタリスト岡崎倫典氏のライブがあるとのこと。
これはラッキー。
席空いてる?とカウンターの中のマスターに聞くと、1席だけ空いていた。
カウンターの端から2番目の席。
ライブが始まった。
位置関係から、岡崎さんのまん前の席となる。
これまたラッキー。
客は18人。

CDでの彼のギターがとても好きだったので、わくわくした。
意外や意外。
ギター雑誌等の写真から見る彼の風貌からイメージしていた感じと、実際に
目の前で見る印象が随分違う。
荒々しいのだ。
写真のように、折れそうなくらい痩身であったが、ギターから奏でる音は力
強い。
MCで語る声も、まるで夜明け前の築地の競り市で聞こえてきそうな骨っぽい
声である。
これは意外な発見。

演奏した曲で、印象的だったのが「City of Tokyo」という曲。
今年で日本の国際線就航50周年だそうだ。
かつて日本の航空機にはすべて「○○号」という名前がついており、最初に
飛んだ国際線には「City of Tokyo」という機号がつけられた。
明治時代に初めてハワイへの移民団を乗せて横浜から船出した船の名前を
もじったらしい。
現在、米国日系人は5世の世代だそうだが、最初に日本を後にして海を渡っ
た人々は、海から去り行く日本の景色を見てどんな気持ちだったろう。
そんな彼らを思って作った曲だそうだ。
かなり、リズミカルでジャジーな曲。
親指でベースランしながらも他の指で旋律をかき鳴らすグルーブ。
残念ながら、これも、CDのテイクよりもライブの演奏の方が、聴かせる。

ライブ後、CDを買った。
マジックペンでCDの円盤に日付とサインを書いてもらった。
岡崎さん、「あれ?ケイリュウってどういう字だっけ?(笑)」
サイン後、彼が差し伸べた右手に僕も右手を重ねて握手した。

(国際線 City of Tokyo)
http://echariot.hp.infoseek.co.jp/profeel17.htm

(岡崎倫典オフィシャルサイト)
http://www.smc-group.com/rynten/


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日曜参観日

2004年05月23日 | 内的独白

娘の授業参観なるものに初めて出てみた。
先生の授業に対する児童の反応というものは観察していて面白い。
娘は・・・授業中あっちをきょろきょろ、もぞもぞ、そわそわ落ち着きの
ない子だなぁ。
まるで俺みたいだ。
授業では山口素堂の俳句について。

目に青葉 山ほととぎす 初鰹

授業、なかなか面白かった。

授業参観の後、学校の敷地内をひとり歩いてみた。
幼稚園から中学まで一貫教育のため、敷地は思ったより広い。
敷地内に昔の屋敷の跡を残したのだろうか、小さな庭園と平屋のこじんまり
した建物があった。
灯篭や飛び石のある苔むした庭を歩くと、ここだけ江戸時代にタイムスリッ
プしたみたいな錯覚になる。
庭の木も大きい。いつごろ植えられたものだろう。
その後、校庭の裏山を歩いた。
山といってもなだらかな丘のよう。
江戸時代の武家地跡で、古地図をみると「山ノ手通」と記されている。
今では自然が残された遊歩道のようだ。
青葉の隙間を流れてくる風がとても心地よい。
なにもかもを受け止められる気がしてくる。
歩いていたら、
「実はこの作品も素堂が作ったと伝わっているんだ」
と、以前公私ともに親しかった知己が私に語ってくれたのを思い出した。

江戸っ子は 五月の空の吹流し 口先ばかりで腸はなし

御子孫である彼は頭を丸めて出家したのに、いまだに弁護士などという俗な
稼業をしているようだ。
思えば、彼の執務室には、懇請されて彼に差し上げた四つ切りの大判の写真
が掲げられていた。
抜きつけた初太刀、居合の技を抜く私の大きな写真だ。
今思うと、俗世間の未練が断ち切れない未熟の太刀であったと、甚だ忸怩た
る思いで、赤面ものである。

五月の風が爽やかに頬をなでていく。
私は、ひとり歩きながら、力及ばずとも最後の思いだけはとげよう、と心に
誓うのであった。


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刃物を研ぐ

2004年05月22日 | 内的独白

ナイフを数丁研いでいたら、包丁も研いでくれとのことで包丁も研いだ。
昨夜からひと晩水につけていた名倉砥、仕上砥、内曇砥で刃をつけた。
シャープニングは楽しい。
みるみる刃がついていくのがわかる。

世の中、動いているのに、家にいて呑気に刃物を研いでいた。
でも、研ぎながら、明日を思って、刃物を研いだ。

ナイフの皮製シース(鞘)が緩んできたので、補修した。
蝋に浸した糸で、千枚通しで新たにうがった孔にきつめに縫っていく。
簡単に刃物が抜けないようにきつく縫っていく。
縫いながら、明日を思って、きつく縫った。

刀を休め鞘(白鞘)から抜いてみた。
ああ。これは試し切りする訳ではないから、寝刃合わせをする必要はない。
まして、研磨は専門家の研ぎ師でないとできない。
油を引きなおして鞘に納めた。

最近、焚き火をしていない。
3年前には毎週必ず山に出かけて行って、焚き火をして気の置けない仲間
と山で過ごした。
そういえば、木片からナイフでデコイを作ることも、ここのところして
いない。
カマボコの板を面白くナイフで削って作ったりした、いくつかのヤマメの
デコイ。あれどこに仕舞い込んだのだろう。

研ぎあがったナイフたちを納めたとき、小さなお気に入りのナイフをぶら
下げて、ストローハットを被り、渓流のほとりを歩いてみたくなった。


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)記憶

2004年05月21日 | 内的独白

まったく失われていた記憶というものがある。

過日、山を歩いた。
行く道中、ひなびた単線の列車に乗っているときに、既に窓際に流れる風景を見た
ことがあるような気がしていた。
それがいつだったか、全く思い出せなかった。
山小屋に入って一息入れた時、まるで記憶のカラーフィルムがカタカタと逆転する
ような感覚が襲ってきた。
僕はここに、この部屋に来たことがある!確かに。
それがいつだか思い出せなかった。
しばらくして、高山植物に出くわすたびに足をとめながら、周辺を散策した。
宿泊地の近くに体育館があった。
ここで、記憶が完全に甦った。
大学2年になったばかりのとき、学生仲間の合宿でこの山に来たのだった。
都内8大学の仲間が集まって、お勉強会と我々には似つかわしくない行楽などを
してみたのだ。
自炊をして数日過ごし、ある者たちは体育館で運動をし、ある者たちは山歩きをす
る。
僕は体育館でバスケットをした。
腕に覚えのある者たちが5人のチームを作って、5対5の本格的(?)なゲームを
した。
僕は中学の時にバスケ部だった。
久しぶりの運動でもあり、思い切りコートの中を走り回った。
くたくたになるまでやったが、山歩きグループはもっとくたくたになったそうだ。

数年後、僕はオートバイの交通事故で入院し、半年寝たきりの生活を送った。
その時、はじめにかかった医師から「もしかすると、もう走ったり飛び跳ねたり
できなくなるかも知れない」と告げられていた。
それ程、大きな事故だった。
このとき、僕は何故だか、学生仲間で行った山の体育館でのバスケットを思い出し
た。
もうバスケなどやめて久しいのに、あれが最後かと思うと、とても悲しかった。

事故の後遺症は残ったものの、転院先の専門医の適切な処置とリハビリを根気よく
続けたためか、幸い、数年後にはどうにかゆっくりと走ったり、飛び跳ねたりする
ことができるようになった。

しかし、あれほど親密に関わりあっていた首都圏の学生仲間たちとあの山に行って
互いに手料理を作って夜どんちゃん騒ぎをしたりバスケをしたことは、その後二十
数年間、僕の記憶からすっぽりと抜け落ちてしまっていたのだ。

昨日、新幹線の中で森村誠一のある小説を読んでいて、唐突にこのことを思い起こ
した。
鮮烈な日々を偶然の出会いで思い出させてくれた、人のえにしに感謝する。


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母の日遅れの贈り物

2004年05月18日 | 内的独白

家で寝ていても仕事がたまるばかりだし、ひっきりなしに携帯にかかって
来るし、着信履歴だけでも26件。
それの処理1件につき平均15分かかるとしても・・・何分だ?
390分?・・・てことは、、、6時間半!?
会社行こう・・・這ってでも行こう。。。

母親に先日買い求めた某陶芸作家の「お茶入れ」をプレゼントした。
どう見ても「湯飲み」なのだが・・・・。
作家も「お茶入れとしても使えますよね」と仰ってた。
「としても」ということは、これは、湯飲みです(笑)。
湯飲みに違いない。湯のみですよ〜。多分。ねえ?

柿の木の蓋つき。
焼き物そのものも気に入ったのだけれど、この柿の木の蓋がまたいい。
聞くと蓋は京都の職人さんに作ってもらったそうな。
数々展示されていた作品の中で、気に入った色合いのぐい飲みを求めたのである
が、ぐい飲みを買った後に、さっきからどうしてもこの「湯飲み」が気になって
仕方ない。
心がそこから離れない。
ええと・・・・・その焼き物の前で・・・・(記憶をたどると)、40分以上
見つめていたでしょうか。。。
正確にいうと、見てたのが20分、手に取ってじっくりと拝見したのが20分?
はい。買いました。
蓋を取って中を見ると、青みがかった白い肌にお寺の庭みたいな洲流し。
尾関和尚のいる大徳寺大仙院の庭のような渦巻きがほんのりと出ているのです。
作家も「これは面白いですよね」と。
そう。ドラマ「大岡越前」のタイトルバックのような、あの模様(笑)
さすが越前!(?)
とにかく、とても好きになってしまった作品なのでした。
これに出逢えたことは、それは嬉しいことでした。
重ね重ね感謝でございます。
かなり好き。
でも、この模様、たてる前のお茶を入れていたら、カラにならないと見えない
のでは??
やっぱり、煎茶を入れて飲みながら楽しむ方に一票(^^;

そんでもって、うちに置くのでなく、母に進呈することにしました。
土曜日に実家に行った時、僕が3歳の時に買い求めた食器を出して紅茶を入れて
くれて、物持ちのよさに、なぜだかいたく感動したからでありんす。
たんなる40年前のガラスのティーカップなんだけど。
作家の作品を母に差し上げたら、作品の出来に見入って、えらくお気に召したら
しく、とても喜んでました。
めでたし。めでたし。


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風邪にて休業

2004年05月17日 | 内的独白

家で寝てた。
咳がとまらない。
風弾いた。
いや、風邪ひいたようれす。


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大雨 −鋼と湿気−

2004年05月16日 | 内的独白

朝から雨で、夜半どしゃ降り。

炭素鋼の刃物は、この時期に手入れを怠ると、梅雨が明けた頃には目も当て
られない姿になってることがある。
刃物の手入れは自分自身でしたい。
誤解されがちだが、刃物は「使った後に研ぐ」のでなく、「使う前に研ぐ」
「使うときには研がれている」のが正しい。
彫刻刀もナイフも、使う前に研ぐ。
包丁に限っては、料理の直前に研ぐと「エグさ」が食材にしみるので避けね
ばならない。
料理人の包丁は、一日の仕事が終わってから、明日のためにしっかりとその
日のうちに研ぎ上げてから仕舞われる。
これとて「使う前に研ぐ」のに変わりない。
錆が出たなら、刃に粉状のクレンザーを振りかけ、ワインのコルク栓などで
水にひたしながら軽くこするだけで錆は落ちる。
日本刀も含め、炭素鋼は研いだ直後は錆が出やすく、晩に研ぐと翌朝は錆が
うっすらと浮いていることがある。
包丁は、翌朝使う前には、浮いた錆を拭って落とすのみにする。
また、これは日本刀研磨の秘伝のひとつなのだが、研ぎ水に洗濯糊を混ぜる
と、研いでいる最中の出錆を防止できる。
何故だかはよくわからないけど、化学者の貴女、説明してください(笑)
お手軽な錆防止の保管方法としては、新聞紙で包むだけでも十分だ。
新聞紙のインクに含まれる油分が錆の発生の防止に役立つそうな。

刃物の手入れは自分自身でしたい。
けれど、包丁やナイフや彫刻刀等の「刀系」刃物を使える人がどんどん
減って、刃物自体がなくなってしまったら・・・。
すでに僕の少年時代あたりから、それらの刃物は身近な一般的刃物ではなく
なってきている。
箸やご飯の茶碗をきちんと持てない人が増えてきているように、多分、刃物
を道具として使えない人はどんどん増えるだろう。
そして、拾った木片から彫刻を想像することも、海辺の貝や珊瑚から首飾り
を思い浮かべることも、人はしなくなっていくのかも。

【10年前のデータから】

[朝日新聞の調査結果]
⇒小学6年生でナイフを使って鉛筆が削れる学童=100人中6人。

[全国子ども会連合会調査結果]
『小学生の手さばきの器用さに関する実態調査』
⇒小刀で鉛筆を削れる児童=100人中4人。
⇒鉛筆を正しく持てる児童=100人中10人。
⇒ハサミで決められた形に紙を切れる児童=100人中47人。

(社)全国子ども会連合会
http://www.kodomo-kai.or.jp/


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本格的な雨

2004年05月15日 | 内的独白

雨足が強い。

一年が過ぎた。
渓流詩人のつれづれ日記がきょうで一年目。
読み返すと、昨年の今頃も、晴れよりも雨が多かったようだ。
天気を気にしながら出かけた渓流。
雨と雨の狭間に青い空が広がるたった二日が、計ったように予定と
合わさって、文字通り天に感謝した。
今頃、あそこの渓流も、晴れの日には新緑が眩しいだろう。
美味しい山葵が名産なんだよね〜。
あのアマゴの泳ぐ渓流のあるあたり。


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雨ですね

2004年05月14日 | 内的独白

またもや雨です。
つきあいもほどほどにしないと、不摂生がたたりそうです。

 

(2011年6月評:この時期、気候について書いているのは、ほとんど
病者の心象状態についてのことを表している。)


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雨あがりかけ

2004年05月13日 | 内的独白

夕方、疲れたのでファミリーレストランで事務処理をする。
最近喫茶店らしい喫茶店て、ないのよね〜。

喫茶店といえば、喫茶店マッチの収集に凝っていたことがある。
今から四半世紀以上前の話だ。
デザインや絵柄が気を引くものは、その小さな箱をずっとながめているだけで
独りのときはお茶のお供になったりした。
中学の時から喫茶店ファンだった。
高校のときも、学校帰りに池袋の某大学そばの喫茶店で待ち合わせ、期末試験
の勉強したり、宿題頼んだり(自分でしなさい)、外に出れば喫茶店に入った。
御茶ノ水・駿河台などは隠れ家のような喫茶店の宝庫で、「さぼうる」なんて
喫茶店は、まさに授業をサボるためにあるようで、品行方正な由緒正しい不良
学生には楽園のような店だった。
通っていた高校の脇には「映画館」という名のJAZZしかかけない喫茶店があって、
これまた生徒会を中心にした曲者連中の溜まり場になっていた。
そこで熱く語られるのは、今考えるとよくわかってもいなかったくせに、哲学
の話や文学論や政治の話。
そして、映画と音楽だった。
僕のミドル〜ハイティーンの憩い空間は、喫茶店抜きにしてはあり得なかった。

今の子ならば、さしずめファーストフード店なのだろうか。
でも、ファースト・フード店では、ねばれないしなぁ(笑)
街の喧騒がそのまま店内にテイクアウト(イン?)だしさ。
お店の人との会話もないし。。。

最近、友人のサイトで喫茶店マッチのことが話題になり、過日、久方ぶりに新宿
タカノ・フルーツパーラーに行ったことをふと思い出す。
(いやぁ。さすがに男性が少なく、やや照れます)
店内の壁には、昔々のタカノのマッチが額入りで飾られていた。
アーティスティック。
小さなキャンバスに描かれる小さくも大胆なアート。
壁にあるマッチの額に気を取られすぎて、会話が上の空になり、一緒にいた相方
とあやうく喧嘩になりそうだったのも思い出した。
「人の話きいてんの?」
「あ。わるいわるい。。。
  (ごめん、ほんとは、ふと昔をひとり思い出していたんだ。
   俺、こればっかだな。すまんすまん。 ←と口には出さない・・・)」

時は過ぎるのでなく、やって来るもの。
そして、一緒の時間は、過去も未来も、星座も越えて、
どんどんつみ重ねられていく。


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