渓流詩人の徒然日記

知恵の浅い僕らは僕らの所有でないところの時の中を迷う

休日明けの出勤日

2004年04月30日 | 内的独白

旧友の声を久しぶりに聞く
(ちょくちょくかも?時間経過が濃密で・・・)。
普段何事にも冷静沈着な友がとまどう姿は、何故かほんわかとさせる。
そう、十代のときから大人びた人であった(まだ健在だけど)。
「クリエイティブな堕落者」のひとりである。
というかその造語の作製者本人でもあるのだが。。。

「君は泣いたりわめいたりすることがあるのか」
と以前その人に訊いたことがある。
「あるある。泣いたりわめいたりするぞ」
と言っていたが、四半世紀以上前からついぞ見たことはなかった。
友のふとした姿というのは長くつきあっていても、なかなか垣間見れない
ものもあることを知る。
おどろきの話題をいくつか交わす長電話。

本日のキーワード。
日本最古のソメイヨシノ。青森りんご。農学。お礼。飛行機。Eメール。


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休日

2004年04月29日 | 内的独白

知り合いのお店の駐車場でバーベキューにお呼ばれ。
参加19名。
家族連れが多かった。
さしつさされつ、玉撞き仲間だけでなく、見ていると家族も和気藹々
である。

普段あまり好きではない広島弁(備後弁)のよさを発見。
「これどうぞ」に対して標準語で「いただきます」というのを広島弁
では「よばれます」という。
いただくという主体的物理行為よりも、相手の意に対して自分がどう
応えるかに重きを置いたことばのように感じた。
少し考えさせられた。

炭火はよし。
風が吹くと、また火が燃え上がる。
火持ちもよきかな。


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ブルースカイ

2004年04月28日 | 内的独白

やあ!
よい天気だ。
雲は多いが、空は青く澄み渡っている。
風が少し冷たいかな。
おお。
川の水を見るとにごりも取れている。
上流はすっかり澄み切った水を湛えているに違いない。
木々の新緑の深さがまばらで、木漏れ日の中を走っていても、
光の強弱がその緑の深さの違いを追いかけるようにして降ってくる。
強かったり弱かったりする森の中のまばらな光。

海は空の青を映して、一層蒼く。
空に浮かぶ雲の影を穏やかな波間に落とす。

桐。桐の花。薄紫色。
花の色は山藤に似ている。
葉は柏に似ている。
蔦は葡萄に似ている。

鳳凰はなぜ桐にしかとまらないのだろう。
博識の彼なら知っているかも知れない。

お天気は晴れました。
やはり、晴れ間は心地よいです。


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雨あがる

2004年04月27日 | 内的独白

午前中、雨。
昼から陽がさす。
晴れ。
風強し。

豪州の友人から、写真集が届く。
手紙くらい入れてもよさそうなものなのに(笑)
と、開いたら裏扉に私へのメッセージ。
散りばめられた古い手作りのバンブーロッドの写真と
渓川を思い出しながら、広島のきょうの川面を見たら、
コーヒー色。
風強し。
こんな日は、振り出したラインも流れるし、第一、
コーヒー色は渓流日和ではない。
源流の方は、もう澄んでるかな。

オーストラリアやニュージーランドの渓流は、日本の渓相に
よく似ている。
でも、いるのは上品な山女でなく、豪快なマス。
ブリみたいな。ちょっと違うか。
そうだなぁ。
そうそう。
ジャンボジェットみたいなシルエット。

 

(2011年6月評:かくして病者に支配される日々は2003年5月27日に
開始され、2006年1月26日に私がすべてのコンタクトをシャットアウト
するまで続くのであった。その後は、私の方がストーカー扱いされて周囲に
ふれ回られるという顛末をくらうのであった。
病者は事実などどうでもよく、勝手に自分の脳内で作り上げたことが
すべて本人にとっての「事実」となるので、実に恐ろしい)


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覚醒

2004年04月25日 | 内的独白

すごいものを見た。
最後の願いも届かないほどすごいものを。
これは堕落か。
はたまた、馬脚の現出か。
いや、鍍金に幻影を見ていた我にもたらされた天の与えし試練か。
私は試されている。
その現実を突きつけられても、かくも現実をかつて見た陽炎と同一視
できうるのかどうかを。
この実像を目の当たりにしても、まだ幻が幻でなかったと言い切れる
のかどうかを。
地獄の業火を避けんがため、己のみの身を守ることにとらわれて、自ら
すすんで羽根を焼いて自らを地に落した等級好きの虚飾に満ちた天使は、
確かに十分同情に値する。


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それは(某詩人の詩を抜粋)

2004年04月24日 | 内的独白

海よりも深く。
天よりも高い。
決して離れることのない永遠の心。

虹色の刃先で 身を削るように
身をそぎながら 鉛でつづられた真実。
 
真実を知り 真実ゆえの誤りに気づく。
己は真実に 真実を 届けたのか。
己を振り返っても 我は 天を仰ぎ
こうべをたれるのみ。

それは決して 過ちではなく誤り。
真実には 真実が似つかわしい。
虚勢も 意地も 繕いも、
真実の心を包む外套は 似つかわしくない。 

ふたつの心は ひとつになり
永遠の真実を つかみとる。
溶けない雪を 生み出せる。

己の真実の心に 嘘をついてはいけない。
きっと必ず 真実と抱きしめ合える未来が
そこに 約束されている。

愛を試してはいけない。


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告白(長いトンネル掘って叫びたい)

2004年04月23日 | 内的独白

まだ間に合うだろうか。

違います~(ToT)
離れてません!
もう。

ここ数日、体調おかしいんです。
ナントカカントカいう病気かも。。。
日中、ストンと意識が数秒~数分なくなるの。
今(18:55)も携帯からこれ書いてて、そう。。

 

(2011年6月評:実際にこちらがホルモンのバランスを崩したのか
体調が著しく不調になってきているのが分かる。事実、いろいろな
ところに障害が出始めて来たのがこの頃だ。第一何だ?この文章は。
奴隷の文章か?これはすでに死んでいる・・・)

(あまりに見苦しいので、一部当時の記事を削除しました。)


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サイト閉鎖

2004年04月21日 | 内的独白

渓流詩人のカフェテラスを閉じた。

連動している。連動している。
思い起こすと連動している。
ネットでの動き。
メールやサイトを含むインターネットでのすべての自分の動きは、連動し
ている。

過去、自分以外のところの動きをいろいろずっと見ていても。
閉じたり復活したり、また閉じたり、一部復活したり、完全閉鎖したり。。
でも、考えてみると、触発されるのはリアルな世界でのことの理由による
のでは。。。
「うち、掲示板に人が来なくなっちゃうんですよね」
「そりゃ、閉じたり開いたり、そしてまた開いても管理人がレスしなけれ
 ば、そのうち誰もこなくなっちゃうよ」
「そうですねぇ。」
身近なうちの副管理人でさえ、リアルでの本人の環境によってサイトを
閉じたり開いたり一部復活させたりしている。

僕の場合はどうだろう。
ネット上での世界とリアルな世界での住み分けができないことに精神が破
壊されそうになって、人に辛い思いを抱かせる自分が嫌で嫌でたまらなく
なって、それは自分がそんな哀しい自分なんで哀しいから人に辛い思いを
させるだけの哀しい存在なんだと思うと、リアルな世界でも自分が嫌にな
って、大切なものさえ大切にできないそんなちっぽけな自分が物知り顔で
過ごすネット上がさらに嫌になって、自己嫌悪の塊で更にそんなに自分を
嫌う自分が又嫌になって、いたたまれなくなって自己サイトを閉じたのだ
が、このこと自体が、実は、住み分けのできないリアル世界と連動してい
るのだという矛盾。

ますます、僕の精神は融合でなく分裂していく。

けれど、僕は、ネット上の世界だけに住むことはできない。
ネットの世界だけでハンドルネームというものだけで暮らすことは、
できない。
だろう。多分。。。多分?

いつか、いつの日か、名前なんかどうでもよいただの「僕」として、
そのままの僕で、名辞以前の世界に暮らすことができるのだろうか。


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今まで

2004年04月20日 | 内的独白

本当に、ありがとう。
辛い事もありましたが、そんなことばかりではなかったと
今、思っています。
本当に、ありがとう。

 

(2011年6月評:
こうして渓流詩人のカフェテラスは閉じられることになった。
掲示板には1日に300名くらいのギター仲間が来てくれていた。
だが、特定の病者にかかりっきりになり、なにもかもが手がつけ
られない状態になっていたというのが事実だ。
結局今思うに、精神病者とは周りに破壊しかもたらさない。
家族が放置状態にしているので、なおさら周囲は多大なる
病者の「支配下」に置かれるに至っていた。私はサイトを閉じる
ことにした)


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オヤスミ

2004年04月20日 | 内的独白

ほら 少しずつ 
街の灯りが消えてゆく
遠くに見えるあの灯の下にも
こぼれる笑顔があるのだろうか
赤く瞬くあの星が まあるく微笑むあの月に
寄り添うようにしていたね
月は星に抱かれて 星は月を抱きしめて
そっと背中(せな)から 寄りかかる
そっと背中(せな)から 包み込む
揺れるススキが ひっそりと
手を振るように 見ているよ

ルールールー ルールールー

ほら あすこを見てごらん
街の蛍が ひとつずつ
眠りにつくよに 消えてゆく

ルールールー ルールールー

僕には いつかできてたろうか
きっと いつかはできてたろうか
眠れぬ夜を 獲るのでなくて
眠れる夜を 届けることを

どうしたの
もう眠くなったのかい

ルールールー ルールールー

いいよ このまま オヤスミ


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そろそろ

2004年04月20日 | 内的独白

おいとまを


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書き直し

2004年04月19日 | 内的独白

ああ。書き直し。
いつまでたっても表現未熟。
今になって、いろいろ大切なことを教わったと感謝してももう遅い。
書き直し。書き直し。
日記も何も書き直し。
人生も書き直しできないものかしら?
え?
過去は書き直しできなけれど、未来はこれから書いていくもの?
そうかぁ。
『時をかける少女』でもケンソゴルが言ってたね。
「時は去って行くものではない。やって来るものなんだ」って。
でも、僕にはもうそんなに時間がないんだ。。。

 

(2011年6月評:私の書くこと言うことすべてにいちゃもんをつけつづける毎日。
ほとほと疲れ切りながらも、どうにか病者が突発的にとんでもないことをしでかさ
ないようにと気を使う。疲れる)


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笑い

2004年04月18日 | 内的独白

喫茶店。

A「いや~。おしぼりが出ない店が最近多いけど、ここはあるね~。
  やあ!気持がいい。(顔を拭く)
  あ。オヤジをやってしまった。。。」
B「なんで、おしぼり使うと『オヤジ』さんになっちゃうの?」
A「・・・。それは・・・使うといっても顔拭くと言われるみたいだよ」
B「(きょとんとした顔で)なんで?」
A「顔の脂拭くからじゃない?
  ほら『脂ぎったオヤジ』とかいうじゃない」
B「やぁ~だぁ~(笑)」

以前、職場の給湯場で顔洗ってたら、女子職員が
「脂物はここでは洗わないでください」
と笑いながらタオルくれたことがあったのを思わずこのとき
自己暴露しそうになった。
これで俺も立派なオヤジだぜ、なんて。
オヤジ度自慢してどうする>俺
ほんと、やぁ~だぁ~。

 

(2011年6月評:この後何もなく帰路についたが、例によって突然
発症し、「もう貴方のことは信じられません」と猛烈な権幕で言ってくる。
そうしたことは突然にいつも何の予兆もなくやってくる。これと同じ経験を
岡山人からも経験させられてかなり消耗した。病者と病者でない者は
心の住む世界が違うのだ)


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土曜日の電車の中

2004年04月17日 | 内的独白

電車の中で中学受験の算数(数学ではない)の問題の広告があった。
見ていて「わからない」と思った。
これを数学の知識で解くのでなく、小学生がどうやって解くのだろう、と
いうのが皆目わからず、「わからない」とつぶやく。
しかし、この電車広告は車中の人が暇つぶしに見るためにあるのだそうで、
小学生だったらどう解くだろうなどという視点で考えたり疑問に思うのは
「何の意味があるのか。そういうことを考えるのはおかしい」という天の
声。
そうだろうか。ううむ。
たしかに答えは簡単だ。
でも僕には、答えを出すことが設問の目的でなくて、プロセスを考えさせ
るのが設問の目指すところのように感じるのだ。
だけどそのプロセスがわからない。
その設問内容を見ても、どうしても小学生の視点から解く方法がわからな
い。
答えを出すことではない。そのアプローチの方法がだ。
小学生の視点に立てないのだ。
否、小学生の目線は小学生でないと克ち得ないのだから、「小学生の目の
高さ」を洞察できうる視点に立てる大人か否か、という表現の方が妥当だ
ろう。

高等教育を受けた高い学識で受験問題を解くのは簡単かも知れない。
しかし、圧倒的大多数の一般教育を受ける小学生は、一般授業で教えない
段階を先取り特権のように保障されているわけではない。
また、突出した先取り特権を人為的に付与して「学力」の向上につながる
というのは疑問の残る教育観だ。
仮に1年生に分数を教える。
中学生に因数分解を教える。
こうしたことで、たまたまその生徒がそれを飲み込めて「設問」を解けた
として、こうした突出を全小学生に与えることはできない。
突出した先取り特権を与えて受験戦争を勝ち抜くことが、生徒全体の「学
力」の向上につながるとは思えない。
「戦争」には勝者と敗者がつきものだが、勝者は敗者がいて初めて勝者たり
得る。
「勝者」と「敗者」を造り出すための教育学習なら、そんなものは捨てちま
った方がよい。

ここで疑問の冒頭に戻るが、つまり、一般的小学生の思考能力を勘案する
ことを「意味のない」とすることは、どんぐりの背丈の子どもたちよりも
背の高い小学生たちだけを見ていたいのか、という疑念が払拭できない。
これは小学生に対して限ったことではなく、一般の人々に対してもそうした
序列嗜好を動員するのかという懐疑につながる。

ひょっとしたら、私の見識不足かも知れない。
塾で習う学習よりも一般義務教育の小学校過程では、すでに「高い」教育
が実施されているのかも知れない。それは不知。
だが、私が「小学生ならどう解くだろう」「そのプロセスは?」と心にふっ
と沸いた疑問を口にすることがただちに否定されるというのは、ちょっと、
これまたアプローチが別な方向に向いているような気がする。

問題としたいのは、あくまで、前述のように沸いた疑問や視点は言下に非
難されるべき対象のものなのだろうか、という追疑問であり、そうしたこ
とは物事に対するアプローチを限定的なものに矮小化してしまわないか、
という懸念だ。
まさに、この広告の設問はそのことを投げかけているように思えるのだ。
そして、子を持つ親としては、私の原初的問題意識を「意味のないこと」
とすることには抵抗があるし、教育に関して疑問の表明そのものを排除す
る思考性・志向性は、現実問題としては、あらゆる未来のいい方向に寄与
する作用とは思えないのだ。

私は唯のひとりの人だ。
けれども、意識の上では、大地を歩くランドウォーカーでずっとありたい。
こうした様々の問題をひとつひとつ相互に検証しながら、坂道を共に歩い
ていける人と、固く手を携えていけたなら。

と、気がついたら、電車乗り間違えて、遠方で待っている数十名に行事進行
を遅延させる迷惑をかけてしまった。
なんたるドジ(>_<)

 

(2011年6月評:1年のうち60日を人知れず東京で過ごさざるを得ない
生活が続いていた。常に自殺の心配と背中合わせだった。症状が良い
時は穏やかなのだが、例によって心の振幅の振り子が振れ出すと、
こちらはまたぞろ小林秀雄の言うところのシベリア流刑にやられてしまう。
きっと長谷川泰子もこんなのだったのだろう。それにしても、よく今
私は生きていられたと思う。このままだと多分殺されていただろう)


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土曜日

2004年04月17日 | 内的独白

2004年4月17日。
午前10時、西荻窪UENスタジオ。
テルミンとギターの音合わせ。
僕のギターを抱えて、テルミンと機材を持ってきてくれる某テルミニスト。
華奢なのに力持ち?
でも、多分とっても重たかったろうと思う。
大変だったね。そんなに、ふぅふぅ言って。
疲れたでしょう。苦労かけます。。。
ありがとう。

さて、音楽スタジオ。
実際には音合わせでなく、選曲とギター伴奏・テルミン演奏の骨子を探す
ガイドラインのすり合わせ確認。
初めてテルミンと対で合わせるが、実際にやってみるといろいろな発見が
ある。
収穫多し。
半日があれよあれよという間に過ぎてしまい時間が足りず。
借りたスタジオは次の方の予約が入っているので延長ができなかった。
改めて、打ち合わせのタイムテーブルの組み立てが大切だということを
認識した。
実際にこうした音楽活動で特に人と一緒に音を作り上げていこうとする
場合、「きょうは何をするか」というプランを練ることに事前にもっと
時間を割くべきであったと反省。
そういう意味でも収穫あり。
おつかれ様でした。
今後も頑張ってください。


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